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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(25)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(25)

<マスター>ことカインと自分を会わせるために、ここまでLのことを導いてくれたのは、ラファエル♯001だったわけだが、例のブラックホール発生装置のある場所までLを案内したのは、ガブリエル♯1017と♯1018だった。双子のようにそっくりな彼女たちに左右の脇を固められる形で、Lは死刑を執行される罪人が歩く道――いわゆる刑務所でいうデッドマン・ウォーキング――をゆっくりと進んでいった。
 そこはまたしても真っ暗な闇の道が続いていたが、途中で、水族館のように人工的な光の中を泳ぐ、熱帯魚のいる空間を通った。他にヒラメやエイやサメ、アザラシなど、その他おそらくは世界中の海にいるであろう、ありとあらゆる種類の海洋生物をLはそこで見かけた。先ほどカインの言っていた、地球の海底から噴出するメタンガスを抑えるための、珊瑚に似た新種の生物……それも存在しているのを見て、Lはカインがしていることを、正しいとも間違っているともいえないとあらためて思う。
 むしろ、今となっては彼を<神>に近い存在として認めてもいいとすら思ってさえいた。何故なら、人間というものはどこかで無作為に抽出されては生まれでるような、そうした存在であるし、その法則性のようなものは、神にしか理解できないレベルの問題だからだ。少なくとも、カインはそうした<神>と自分を同列に並べるような、マッドサイエンティストタイプではないようだった。何よりも、神というものは――人間がその存在を理解できないという意味あいにおいて、そもそもグロテスクな存在だともいえるのだ。以前にジェバンニがLの盾となって壊滅へ追いこんだ宗教団体も、神は宇宙人であると考えるのはいかにも馬鹿げて聞こえるだろうが、あながちその信仰対象は的外れともいえない部分がある。何故なら……たとえば、厚い緞子の向こう側に<神>と呼ばれる存在がいたとして、人間がその神の御姿を垣間見たとしたらばどうするか。その存在が、自分たちが考えるような見目麗しい光あふれる高貴な佇まいなど有しておらず、SF映画に出てくるグロテスクなエイリアンのような姿をしていたとしたら……?その姿を見た人間は、おそらく<神>を殺そうとするだろう。もとより、神がそのようなグロテスクな存在であるはずがないと否定したくなるだろう。逆に、他のいかなる神々しい物質的な存在が<神>としてあがめられたとしても、やはり人間はそれが自分と同じ『物質的な存在』であったとしたら、やはり何かの折に神を殺す機会を狙うはずである――ゆえに、神というものはあくまでも人間の目に見えない、また人間よりも高次の、霊的存在である必要性があるのだ。
 世界中の海洋生物の住む、広い水族館の中を抜けると、またトンネルのような暗闇の中へと突入し、そしてLは最後に、薄暗い部屋の片隅に、SL機関車の先頭車両にも似た、黒い鋼鉄製の装置が置かれた場所へ案内された。
 見ると、その前には手術台のようなものの上に横たわる、先ほどLが殺したカイン・ローライトのコピー人間がいた。Lは、絶命している彼の姿を見て、体に震えが走るものを感じる……(命には、命をもって償わなければならない)、たとえ彼がオリジナルのカインと同じ赤い血液を有していなかったとしても、やはりあれは殺人の罪にあたる行為だと、Lはそう自覚していた。
 今、Lの前にいて、ブラックホール発生装置を操作するための準備をしているのは、ガブリエル・ナンバー2体である。そう考えれば、より生身の人間の体に近い<彼女>たちを素手で倒すのは、難しいことではないかもしれなかった。だが……自分が逃げれば、メロたちは一体どうなるだろう?そして何より、Lはもう、これでいいと思っていた。カインは自分が想像していたよりも、人間としてある意味では器が大きく、Lがこれまで頭の中で考え抜いてきた事柄についても、よく理解しているのだ。短い時間ではあるが、少しの間彼と話してみて、Lにはそのことがよくわかっていた。ただ、自分が死んだところで、カインの最愛の母であるイヴは生き返るわけではなく、彼にしてみたところで、こんなこと程度で復讐心の炎がおさまるとも思えない……だがLは、そのこととは別に、今目の前で、天使のように美しい女性がふたり、自分が死ぬための装置の調整をしているにも関わらず――驚くほど冷静に落ち着いていた。何故なのかは彼自身にもわからなかったが、Lは心の内側に幸せと呼べるほどの平安を感じていたのである。
「では、これからわたしはヴァトナ氷河へ向かいますが……その前に、勝利のキスをしてくれませんか?」
 レイキャビクにあるホテルのスイートをでる時、Lはラケルにそう言った。彼女は泣きそうな顔をしてはいたが、実際には泣いておらず、それだけにどこか凛とした、儚げな表情をしていたと、Lはそう思い返す。
 そして、ラケルは猫背なLが突きだしている顔の額にキスし、目尻のあたりにも同じようにすると、Lの期待に反して、唇にだけはそれをしてくれなかったのだった。
「あの、口には……」と、Lが指をくわえながら不満げな顔をすると、彼女はこう言った。
「続きは帰ってきたら、ね。じゃないとL、このまま戻ってこないかもしれないでしょう?」
「そうですか。では……」
 Lはなんでもないようにドアを開けるふりをし、そして振り返ると、やや強引にラケルの唇を奪った。
「………!!L、これって反則じゃないの!?ずるいわよ、もうっ!!」
 ラケルがそのあと、ぽろぽろと透明な涙を流しながら自分を見送った時のことを思いだし、Lは胸が熱くなるものを感じた。(やはり、あの時ああしておいてよかった)と、自嘲気味に思うのと同時に、その時にラケルとキスをした感触が、まるでたった今彼女とそうしたとでもいうように、甦ってくる……そしてLは(不思議だな)と思った。もうほんの数分もしたとすれば、自分はブラックホール発生装置などという無常な機械にかけられて、死ななければならないというのに――Lが今思いだしているのは、ラケルの手のひらの温かさであるとか、彼女の胸とか太腿の、肌を合わせた時の柔らかさだった。何故今そんなことがリアルに思い浮かび、想像されるのか、自分でもまったくわからなくて、Lは思わず笑いそうにさえなる。
「わたし、お祈りしてるから……」
 エプロンの裾で涙をぬぐいながら、最後にそう言ったラケルのことを、Lは思いだす。流石にその時には、(神に祈っても祈らなくても、結果は同じですから、無駄なことはしないでください)とは、Lにも言えなかったのだ。そして、何か光のヴェールに似た、神々しいまでのそうした不可視の力が自分にたった今働いているのではないかと感じた。おそらく、キリスト教の殉教者たちも、今の自分と同じような気持ちで、死んでいったのではないかとLは想像する……そう。十字架上の主イエスが「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言った言葉は、決して嘘などではないのだ。
(ラケル……わたしはあなたに会えて、本当によかった)
 Lは今、もし彼女という人を知らなくて、自分がカインと対決していたらどうだったかと想像して、何故だかぞっとした。そうなのだ――ラケルと会う前までは、カインと直接顔をあわせる機会を持ち、結果として殺されるだろうことは、Lにとってただひたすらにおそろしいことでしかなかった。だが、それは何も失うものを持てない自分に対する、深い絶望でもあったのだ。<L>という探偵も、人並外れて優れた推理能力と情報収集能力というものを除いたとすれば、警察機関の人間などにとってはただの都合のいい捜査能力コンピューターだという部分がある。おそらく彼らは、自分と<L>を継いだ次の者とが入れ替わっても、まったく気づくことはないだろう……だが、Lという個人と全人格的に関わった数少ない存在のうち、とりわけラケルという女性は、その存在自体が彼にとって救いだった。
 そして、Lにも3500件以上もの事件を通して、多少なりともその心を救ったといえる人々がいる。うまく言葉にして説明できないにしても、今自分はそうした純然たる<救い>の力にとり囲まれていると、Lはそんなふうに神聖な気持ちにさえなっていた。
「お待たせしました、L。先にこの者の遺体を見本として処理するよう、マスターに言われておりますので……少し離れたところで、ご見学ください」
 ブラックホール発生装置の計器類などを調節していたらしいガブリエル♯1018が、底が見えないほど暗いように思えるその機械のドアを開き、♯1017と協力して、彼の遺体をそこへ放りこむ。そしてドアを閉め、鍵をかけると、スイッチを入れるなり、自分たちもまたそこから遠く離れた。
(これは……!!)
 ヴン……!!と、一瞬おそろしいような唸りをその装置は上げた。そして強い重力の波動のようなものが、数回にわけてLの体を駆け抜けていく。それはまるで、死者の呪いの声、その断末魔の叫びをLに連想させたが、たった数秒のうちに、カインのコピーの遺体が本当にブラックホールの中へ消え去ったのだとしたら……これはまるで悪魔のような機械だと、Lはそう思わずにいられなかった。
「さて、次はあなたの番です」
 ラファエル♯1017と♯1018が声をあわせて、まるで楽しいテーマパークを案内するような笑顔でそう言った。彼女たちにはおそらく、<死>の概念というものが存在しないのだろう。ゆえに、もしかしたら自分たちがマスターの命令でブラックホール発生装置の中へ入れと言われたとしても――彼女たちは「わかりました、ご主人さま」と答え、にっこりと微笑みながら死んでいくのかもしれなかった。
 Lは、ゆっくりと歩きながらブラックホール発生装置に近づいていったが、その時に考えていたのは、自分の死の恐怖のことなどではなく……自分が殺してしまったカインのコピーについてだった。Lはそこに、かつての自分の姿、ラケルのことを知らずに、より深い形での愛情を伴う人間関係というものを知らなかった頃の自分を重ねあわせていた。彼には果たして、カインのコピーとして生きるにしても、何か生き甲斐や真に誰かに愛情を感じる瞬間があっただろうかと思ったのだ。こんな、エデンという閉鎖された空間で、同じ顔をしたなんでも言うことを聞くアンドロイドに囲まれて暮らし――そして最後にはオリジナルである本体の余興を演じさせられて死んだのだ。
(カイン、やはりおまえのしていることは間違っている……!!)
 どうぞ、と両開きのドアをそれぞれが片手で開き、そして彼女たちはそこへLが入るようにと促す。そこを見てみると、確かにカインのコピーであった若い青年の姿は跡形もなく消え去っており、中には黒々とした闇のような暗い空間が存在しているのみだった。
(どうする……彼女たちをこの手で殺すか?カインのコピーを殺した時のように……)
 Lがブラックホール発生装置の中をずっと覗きこんだままでいると、「L、どうかお早く」と、♯1017がさらに促した。今、この場にラファエルとカインはいない……いや、おそらくはこの薄暗い部屋のどこかに設置された監視カメラを通して、今の自分の言動を見張っているに違いないが、彼の計算のうちには、Lが死を目の前にして往生際悪く抵抗するというシナリオも、必ず含まれているはずだった。
(ならば、それに乗ってみるのも、ひとつの手だ……!!)
 Lはそう思い、ブラックホール発生装置から顔を上げるなり、ガブリエル♯1018の顔にカポエラ蹴りを食らわせた。さらに返す足で、♯1017の鳩尾のあたりにも蹴りを入れてやる。
「動くな!!」
 まともに蹴りを食らいつつも、なお起き上がろうとするガブリエル♯1017と♯1018ではあったが、その声の主は彼女たちではなく、ラファエル♯001だった。<彼>はLに対して銃を構えており、おそらくはこんなこともあろうかと、マスターから彼のことを最後まで見張る役目を仰せつかったに違いなかった。
「撃ちたければ、撃ってくださって構いませんよ……先に頭蓋を貫かれて死ぬのも、このブラックホール発生装置とやらに入って死ぬのも、そう大差ありませんからね」
 どこか皮肉げにそう言うLのことを、ラファエルは数瞬の間黙って見つめていた。そして、「ラファエル様……」と言って、<彼>の庇護を求めるように側へやってくるガブリエル♯1017と♯1018に向かい、ラファエルは容赦なく発砲する。
 先に死んだのは♯1018だったが、的確に眉間を銃弾で貫かれている仲間を見て、♯1017は極度の恐怖を感じたのだろう。「ひっ!」と叫び声を上げて部屋のドアへ駆け寄ろうとする……だが、その彼女に向かっても、ラファエルは後ろから容赦なくその心臓を撃ち抜いた。
「これは、どういうことですか?あなたは一体……」
 Lは驚きのあまり、それ以上言葉が続かなかった。自分の声がどこか干からびたような響きを持っており、うまく舌がまわらないようにさえ感じる。
「L、わたしはあなたを死なせるわけにはいかないんです。何よりも、それが<マスター>の命令でしたから」
 一瞬、Lは珍しくも、呆気にとられそうになった。アンドロイドたちは全員、まったく同じ顔をしている――ということは、<彼>は先ほどまでエデンを案内していた、ラファエル♯001ではないのだろうか?あるいは♯002とか♯003とか……。
「わたしは、先ほどまであなたと一緒にいた、ラファエル♯001ですよ」と、婉然と微笑みながらラファエルは言う。Lの考えていることはすべて、<彼>にはお見通しなようだった。
「では、あなたの言うマスターとは?まさか、先ほどまでわたしと話していたカイン・ローライトは……」
「ええ、あのあとわたしがこの手で殺害しました。もちろん、彼にも選択肢はあったのです……もし彼があなたを赦し、さらにはあなたを生かし続けるという道を選んだとしたら、わたしも彼を殺すことはなかったでしょう。ですが、これも<マスター>の命令ですから、わたしにとっては仕方のないことです」
「……………」
 Lは黙りこみ、複雑な気持ちにならざるをえなかった。カイン・ローライトがラファエルにとってのマスターでないとするなら、彼にとってのマスターというのが何者なのか、今のLには見当もつかない。だが、まさかもしかしたらとの思いが、彼の心の内を掠める。
「では、これからわたしはどうしたらいいんでしょうか?さしあたって、わたしはあなたの言うとおりにする以外、道はないようですが……」
 自分が手にしている拳銃に、Lが視線を注いでいるのに気づいて、ラファエルはそれをポイと床の上へ投げ捨てた。危害を加える気もなければ、強制して言うことを聞かせようというわけでもないことのしるしとして。
「わたしについてきてください。これから、エデンの最深部――わたしが本当に<マスター>と呼ぶ人物に、会ってほしいと思います。何よりも、そのことが彼の唯一の願いでしたから……」
 Lはわけがわからないなりに、ラファエルの後について、また歩きだすことにした。先ほど、ラファエルの手によってガブリエル・ナンバーの者ふたりに身柄を任された時――Lは、確実にこれで自分は死ぬだろうと思った。うまく説明できないが、エデンへ来て以来、Lは彼から何か特別に庇護されているような、守りの力を不思議と感じていたのだが、その彼が<マスター>であるカインの言うなりとなり、冷酷に死刑執行人に自分の身柄を渡すのを見て、「これでもう自分は本当に終わりなのだ」とLは漠然と感じていたのだ。
 だが、その彼が再び、自分の味方となってくれたことに対して、Lは何故か嬉しいような気持ちになっていた。相手はただのアンドロイドであり、その行動の規範は、プログラムされたものに過ぎないとわかっているにも関わらず――それでも、Lはこのほんの短い間に、彼に対して<信頼>とも呼べる強い繋がりのようなものを感じていた。それが何故なのか、L自身にも最後までわかることは出来なかったけれど……。



【2008/10/01 16:24 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)

「これは、本当に本物なんですか?」
 ラファエルにマスターのいる部屋まで案内しますと言われ、到着した部屋には、まだ誰もいなかった。それでLは、その室内にあるもの――おそらく価格にして一千万円はするであろう、精緻な模様のシルクの絨毯、細長い黒檀のテーブル、純金とクリスタルのシャンデリア、アンティークなサイドキャビネットの上の陶器の像や中国・清時代の壺など――を、点検するようにひとつひとつ眺めていった。
 そして、おそらく先ほどまでそこから自分と<K>のコピーがフェンシングをするのを見下ろしていたであろう長方形の窓には、今白樺の林や森の景色などが映しだされ、さらにそこからは鳥のさえずりまで聞こえている。
「実に不愉快ですね……」と、Lがカインの趣向について、指を齧りながら呟いた時、Lが入ってきたのではない、別のドアが開いて、そこからカイン・ローライト――おそらくは今度こそ本物の――が姿を見せた。
 身長は、大体背筋を伸ばしたLと同じ179センチくらいだったろうか。そして、どこか中世の貴族を思わせる衣服――白のゆったりとしたブラウスに、ダークブルーのベスト、それに揃いのズボンといった――を着ている。だが、さきほどのコピーである<K>との決定的な違いは、彼が三十代半ばといったような容貌をしていることであった。あのまま普通に年齢を重ねていたとすれば、今彼は四十歳であったろう。だが、例の細胞が若返るという薬を服用しているのであれば、実年齢より若く見えたとしても不思議はない……Lは、まだ目の前の彼が「本物」とは断定できないと思いながらも、相手に対して会話するに足る人物としては認め、彼と細長いテーブルに差し向かいになって腰掛けた。
「君は、その座り方じゃないと駄目なのかね?」
先ほどLがフェンシングをするのを、<マスター>である彼と一緒に見ていたであろう、ガブリエル・ナンバーのアンドロイドが、メイド服を着て、カインに給仕している。牛フィレのロースト赤ワインソースとじゃがいものグラタン添え、それにカリフラワーのクリームスープだった。そして彼女はLに対してもにっこりと微笑みながら、林檎のタルト・バニラアイスクリーム添えを置いていった……Lが甘いもの以外はほとんど口にしないということを、Kはすでに知っていたのであろう。
「わたしは、この座り方でないと推理力が40%減です。そして今のこの状況下では、フルに自分の脳の推理力を働かせる必要があります。ゆえに、たとえマナーに反しようとも、膝を伸ばす気にはなれません」
「なるほど。まあ、好きにしたまえ。ちなみに、その林檎のタルトの中にはおかしなものなど何も混入されていないから、安心して食べるといい。君の細君の作るアップルパイには、もしかしたら遠く及ばないかもしれないがね」
「ええ、彼女の作るスイーツは、天下一品ですから」
 カインがナイフとフォークを上品に使っているのに対して、Lは手づかみでムシャムシャと、いつもどおりの行儀作法で林檎のタルトを食べていった。もしこの中に睡眠薬にせよ幻覚剤にせよ毒物にせよ……何かが混じっていようがいまいが、現在の状況下ではあまり変わりがないとLは思っていた。何故なら、そんな姑息なことをしなくても、ここエデンはカインのフィールドであり、自分はその中にすでに取りこまれてしまっているのだ。それなら、小心な心遣いなど一切せず、フェンシングで消費した糖分を回復したほうが、これから行動する上でも有利になるというものだった。
「ところで、前からずっと聞きたいと思ってたんですが……あなたの造るアンドロイドは、何故全員顔が一緒なんでしょう?そこには何か、深い理由のようなものが存在するんですか?」
「いい質問だね、L」と、どこか優雅な手つきでワインを飲みながら、カインは笑う。「というより、本当は君も気づいているんだろうな。彼女たちの顔は、わたしと――そして君の胎の母の、イヴがベースのモデルになっている。あとはコンピューターが検出した、どの人間が見ても<美しい>と感じる顔立ちのデータを加えて作成されているんだよ。これこそまさに、最高の人間だという意味をこめて、わたしは全員を同じ顔にした。何故といって、ガブリエル・ナンバーはより人間に近いだけに、互いの違いに敏感で嫉妬するという感情も当然持っている。ゆえに、そこまでの複雑な感情がさらに深化してややこしい事態を引き起こさないためにも、みなが<平等>である必要があるというわけなのさ」
「なるほど……そしてあなたは、自分の母親によく似た面差しの女性を見つけると、必ず攫ってきますよね。そして殺すことはせずに、記憶を消すなどして地上に戻している。先ほど、そちらにいるラファエル♯001からも、わたし以外にこれまで、あなたの気に入った研究者などがここエデンへ来たことがあると聞きました。ところで、彼らや彼女たちは、その後どうなったんでしょう?」
 自分の後ろに、立ったまま控えているラファエルのことを、カインはちらと振り返る。そして<彼>が何か言い訳しようとするのを制して、言葉を継いだ。
「まあ、それはケースバイケースということになるな。君の優秀な部下のひとり――ステファン・ジェバンニ君の妹君にわたしが何をしたのか、L、君はそうした点について聞きたいのだろうな。『汝、選ばし者』と呼ばれ、リヴァイアサンの組織に忠実に仕えた者のことを、わたしは確かにここエデンへ招待することがあるのだよ。だがまあ、一通り案内したあとは、遺伝子研究のためのサンプルなどをいただいて、スリープ状態に入ってもらうことが一番多いかな……彼らは特殊な睡眠装置の中で、永遠の夢を見ながらゆっくりと老いていく。そして、わたしとて一応これでも人間だからね。時に人のことが恋しくなることもあるさ。そこで、L――君が殺したわたしの母に面差しの似た女性を捕まえては、時々戯れの時を過ごすこともあるというわけだ。だがまあ、結局彼女たちはどこか顔立ちが似ているというだけで、わたしの母のかわりにはなれない。君がわたしの母、イヴの胎内から生まれてさえ来なければ、エデンも今ごろこんなふうじゃなかったかもしれないけどねえ」
 血のように赤いワインをカインが飲みほすと、脇に控えていたラファエルが、彼にロマネコンティの1974年ものを注いでいる……その様子を見ながらLは、思っていた以上にもしかしたらこのカイン・ローライトという男の精神構造は幼いのではないかという気がした。母親という存在の呪縛から逃れられず、彼女と面差しの似た女性を地上から攫ってくるも、心が完全に癒されることはない。今、彼はその状況を作りだした全責任は自分にあるとして、Lのことを断罪している。
 これまでLは、その罪の追求を彼にされる時、どれほどつらい思いを味わわなければいけないだろうと想像していたが、意外にも開き直りに近い境地に自分が達していることがわかり、むしろ超然とすることさえできていた。
「わたしも、ある人に出会うまでは、ずっと自分など生まれてこなければよかったと、そう思って生きてきましたよ……旧約聖書のヨブ記に、こういう一説があるでしょう?『私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った」と言ったその夜も。その日は闇になれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。闇と暗黒がこれを取り戻し、雲がその上にとどまれ。昼を暗くするものもそれをおびやかせ。その夜は、暗闇がこれを奪いとるように。これを年の日のうちで喜ばせるな。月の数のうちにも入れるな。ああ、その夜には喜びの声も起こらないように。日を呪う者、リヴァイアサンを呼び起こせる者がこれを呪うように。その夜明けの星は暗くなれ。光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがないように。それは、私の母の胎の戸が閉じられず、私の目から苦しみが隠されなかったからだ。なぜ、私は胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は生まれ出たとき、生き絶えなかったのか。なぜ、私を受ける膝があったのか……』この箇所を、わたしは自分に対しての言葉のようだと思い、それこそ何度も繰り返し読みました。わたしは基本的に無神論者ではありますが、それでも<神>という人が本当にいて、もしあなたの母親であるイヴ・ローライトに心の底からあやまれと言うなら――自分が生まれてきたことを、なかったことにして償いたいとすら思っていました。その気持ちは本当です」
「ふふん。L、君が聖書を引用するとはね……わたしは随分前から、君が<神>など信じることが出来ぬように、色々なことを仕掛けてきたつもりだがね。正直なところを言って、今君がここでこうしてわたしと顔を合わせることが出来ているのも、言ってみればわたし個人の好意……慈悲にも近い感情によってなんだよ。君がこれまで生きてきた二十数年の間、わたしにはいつでもL、おまえの命をとることが可能だった。でもそうしなかったのには、それなりに理由がある。ワインを樽の中で時間をかけて熟成するように、わたしはじわりじわりとおまえを追いつめて最後に絶望の中でのたうちまわるおまえに引導を渡してやろうと考えていた。脳味噌をいじくって苦痛を与えるもよし、レーザーで生きたまま五体をバラバラにしてやろうと思ったことも何度かある……だがまあ、この場合、痛みが続くのはせいぜい二十分程度だ。それではわたしが受けた精神的苦痛に遠く及ばないものだと思わないかね?死んだ者は二度とは生き返らない――その代償としてはあまりに安すぎる償い方だ。そこでわたしは考えた。L、おまえが最初から<いなかった>ことにしてやろうとね」
「どういう、意味ですか?」
 林檎のタルトは、まだ半分以上残っていたが、Lも流石にもう食指が進まなかった。というより、生まれて初めてスイーツをまずいと感じてさえいた。味がどうこうという以前に、何故だか吐き気を催すような、嫌なものを食べている気分に、Lは今なっていた。
「言った言葉のとおりだよ。その昔、ここエデンには八百人を越える科学者たちが住んでいたんだ……ワタリは、ロンドンの空襲で失った婚約者のことを甦らせようとして、禁断の方法に手を染めていたし、その他色々な種類のありとあらゆる研究がここでは進められていたのさ。そのうちのひとつ――ジャスパー・リンドグレイという天才物理学者がね、現在地上に存在するエネルギー資源はいつかは枯渇すると考えて、新たなエネルギー源の開発を推し進めていたんだよ。それは人為的にブラックホールを生みだし、そのエネルギーを石油やガスなどの代替燃料にするというものでね、まあ、核燃料よりも危険な方法だと言えるが、エデン全体を統括する長であった父は、リンドグレイ博士の研究を特に止めだてはしなかった。ところが、彼とは別のエデンではまるで下っ端の物理学者が、ある時二酸化炭素と水さえあれば、永久にエネルギーを生みだすことの出来る装置を開発したんだよ。悲観したリンドグレイ博士は、ブラックホール発生装置に自ら身を投じて自殺した……以来、そこは人体実験などで不用になった人体のなれの果て、物質と化したそれを捨てるゴミ捨て場になったんだ。L……君にもそこへ、入ってもらおうかとわたしは考えてるんだが、どうかね?」
「……………」
 Lは黙りこんだ。ブラックホールの中に身を投じたとすれば、それは生きながらにしてそのまま<無>の世界へ行くということだ。冗談にも楽しい死に方とはとても言えないのは確かだが、それでも――当初Lが考えていたような、『最悪の事態』よりは、まだ僅かばかりマシだったともいえる。
 少なくとも、カインは<L>という存在がコピーであれなんであれ、この世界で息をしているそのこと自体が気に入らないのだから、Lにとっての最悪のシナリオ……オリジナルである自分が今ここで殺され、クローン人間が地上へ戻されるという可能性は回避されたということになる。奇妙なことではあるが、最悪よりも少しはマシであるその最期に、Lは淡い希望さえ持っていた。ただ、<L>という人間が地上に生きた痕跡を消すというのが――もし自分に関わった者すべての記憶を消すということであるなら、Lはラケルにも忘れ去られてしまうのかと思い、胸が痛んだという、それだけだった。
「どうした?ショックのあまり、言葉もないのかね?」
 ワイングラスをくゆらせているカインに向かって、暫くの間下を向いていた顔を、Lは真っ直ぐに上げた。これまで、十三歳の時にワタリから真実を聞かされて以来、この瞬間が来るのを自分はどれほど怖れて生きてきたことだろう……それなのに今、Lは自分の心のうちから怖れや不安が取り除かれていることに驚いていた。そうなのだ。もし仮にカインが心の内にあることをすべて行ったところで、自分が死に、ラケルの記憶から<L>という存在が消え去ったとしても――彼女をたった今強く「愛している」と思うこの気持ちまでは、彼にさえも消し去ることはできないと、Lはそう思っていた。
「いえ、もっと中世の拷問器具にでもかけられるような苦痛が存在するものと想像していたんですが……ブラックホール発生装置にかけられるというのなら、それも悪くないかもしれません。あなたは心の内にあることをすべて、わたしに対して行ってください。ただしそのかわりに、この最後の晩餐ともいえる席で、わたしが知りたいと思っている質問にいくつか答えてほしいんです。どうせわたしは死にゆく運命なんですから、そのくらいのことは許してくれてもいいでしょう?お願いします」
「……………!!」
 今度は、カインが黙りこむ番だった。Lの顔つきは、絶望しているわけでもなければ、狼狽しているわけでも、苦痛に歪んでいるというわけでもなかった。まるで、これからサッカーの決勝戦が行われる時の、選手の顔つきとでも言えばよかっただろうか……それでカインは、まだLが希望を持っている、生きのびることのできるチャンスを掴もうとしているのだろうと思った。だが、これから彼がどんな意表を突く興味深い質問をしたところで、自分の中でこの決定が覆されることはない――カインは、今はまだ冷静さを保っているLも、ブラックホール発生装置にいざ放りこまれようという時には、泣いて命乞いするだろうと思い、極めて寛容な気持ちになっていた。それで、自分の理解できない種類の、奇妙な微笑みを浮かべている男に対して、残酷な微笑みを返してやる。
「いいだろう。死人に口なしとはよく言ったものだからな……おまえが今ここでわたしに何を聞こうと、<L>、おまえは最後には絶対に死ぬ。この運命は何があっても変わらない。その前に、ひとつくらい願い事を叶えてやるというのも一興だろう。まあ、おまえがわたしに聞きたいことなぞ、ある程度想像がついているがね」
 カインが食事をし終えたのを見計って、またもメイド服を着たガブリエル・ナンバーのアンドロイド――給仕ロボットとでも呼ぶべきだろうか――が、銀のトレイに皿などを乗せ、黙って去っていく。その様子を見て、Lは具体的な質問をする前にカインにこう聞いた。
「デザートはないんですか?それとも、わたしが今日のあなたの分のスイーツを奪ってしまったんでしょうか?」
「気にしないでくれたまえ。わたしはもともと、君と違って甘いものはあまり好きじゃないんだよ」
「そうなんですか……まあ、人の口の好みはそれぞれですからね。それより、まずは質問のひとつ目なんですが、何故あなたは実の父親であるレオンハルト・ローライト博士を殺したりしたんです?彼の遺伝子研究の最高傑作ともいえるこのわたしを殺すというのならわかりますが、ワタリやロジャーからは、あなたが自分の父親のことをとても尊敬していたと聞いています……それこそ、実の母のイヴと同じくらい、家族として彼のことを愛していたんでしょう?」
 いかにも不愉快だと言いたげに、カインは細い眉を吊り上げている。そのことの理由はLにも当然わかっていた――彼は、自分の母親が死ぬ原因を作ったLが、彼女のことをイヴと呼び捨てにしたり、平行して<愛>などという単語を口にするのが気に入らなかったのだろう。
「フッ……予想していたとおりの質問とはいえ、おまえの口から母の名前や愛などという言葉を聞くと、あらためて虫唾が走るな。そうとも、L。おまえの言うとおり、わたしは母同様、父のことも敬愛していたさ。だが、父の母に対する扱いようをみて、気が変わったんだよ……この男は、実に身勝手で、自分の研究のためならどんな犠牲をも厭わぬおそろしい男だとね。もっと言うなら、<エデン>の存続のためなら、母の命も息子であるわたしの命をも犠牲にするだろうと、その時はっきりわかったんだよ。いや、父だけじゃない。このエデンにいる科学者と呼ばれる者のその全員が、心の底ではそう思い、一致団結している……けどまあ、君もわたしと同じことを思っているに違いないが、エデンの体制は当時からかなりおかしかった。先ほど話にでた、リンドグレイ博士は、自分の研究に絶望して自殺したわけだが、他にも精神的な病気にかかってロジャー=ラヴィの治療を受けているような者はたくさんいたんだよ。地上へ戻るためには記憶を消すというのが絶対的条件になるからね……いくらホログラムで地上の世界をリアルに体験できたところで、一部の者には決して耐えられるような環境じゃなかったんだ。けどまあ、そういう人間の行きつく先は、結局は処刑による<死>だからね。その一方で、適応できた科学者たちにとっては、エデンという環境はこの上もなく素晴らしいものだといえただろう。何故といって、研究費のことなどまったく考えることなく、湯水のようにそれを使えるんだからね……わたしがこのエデンの環境を変えようと思ったのは、何も母のことだけが原因というわけじゃなく、それまでも<おかしい>と感じていたことを、少しばかり暴力的な方法によって変革しようとしたまでのことなんだよ」
「ですが、あなたがエデンにいる八百数十名もの科学者たちをアンドロイドを使って処刑したことは、ある程度わたしにも納得できるにせよ」と、Lはあえて人命の重さ・尊さを無視する言い方をした。「それを理屈によって理詰めで「正しい」とすることと、実際にそれだけの人間を一度に殺すことには……物凄く大きな隔たりがあるとは感じませんでしたか?というより、やはりあなたにとってはお母さんを亡くしたということが、それほどまでに大きなショックだったということなんでしょうね……そのことが、それまでも「おかしい」と感じていたことの積み重ねに直接的な火を点ける結果になった。そう考えても、よろしいですか?」
(こいつ……!!)
 カインは、自分の苛立ちを抑えるように、前髪をかきあげた。Lが今、自分のことを<ただの殺人者>として見、同情しながら殺人犯を取り調べる、警察官の顔つきをしているのに気づいたからだ。実際には、立場としては自分のほうが圧倒的に優位なはずなのに――奇妙な敗北感に似た感情が心に忍びよってきて、カインは一瞬目の色を変えた。
「まあ、なんとでも言うがいい。わたしは二十数年前に起きたあの日の事件については、今もまったく後悔していない。そしてL、おまえのことをエデンから追放した時のこともだ。汚れのない赤ん坊のまま、なんの苦しみもなくおまえが死ぬことを、わたしはどうしても許すことが出来なかった。それよりも、地獄のような地上でのたうちまわって苦悩し、苦しみ抜いて死ぬがいいと思っていたからね……どうだ、L。おまえもわたしのことを殺してやりたいほど憎いと思ったことが、何度となくあったんじゃないかね?」
「いえ、今はもうそのことはあまり問題ではありません」と、あくまでも冷静にカインの顔を見つめながら、Lは真っ直ぐに言葉を投げた。「それよりも、あなたが父親であるローライト博士にかわって、エデンを治めるようになったその後のことをお聞きしたいんですが……あなたが今も、世界各国にここが超一流の最先端をいく科学研究所であり、ここには数多くの天才的な研究者がいると見せかけていることは知っています。ですが現在、ここにはあなたの他には、アンドロイド以外に普通の人間はいない――ワタリやロジャーのその推測は正しいですか?」
「その通りだよ。ここにはわたし以外の<生きた>人間はひとりも存在しない。時には地上から人を連れてくることもあるにはあるが、一度睡眠装置に入った人間は、そこから一歩でた途端に、ここを地獄と感じるだろうからね……いつまでもいい夢をみさせてやるのが、せめてもの慈悲というものだよ」
「そうですか。では、他の質問に移りますが、ここで稼動している人造人間は全部でどのくらいの規模になるんでしょう?少なくとも、世界中に今、あなたがクローンとして送りこんだり、その他注意すべき人物としてマークしている人物は、ざっと千人以上はいるはず……その全員をあなたがアンドロイドを使って監視していることはわかっています。そして、世界各国の国防省の人間や、政府機関の人間を、風呂やトイレに入っている時まで監視するのは、まあ百歩譲っていいとしても――あなたは先ほど、父親の時代からエデンはおかしかったと言いましたよね?それなのに、何故その点を正して、世界をより良い方向へ導こうとしなかったんですか?」
「愚問だな、L」自嘲するような、どこか歪んだ笑みを浮かべて、カインは言った。「第一、今のこのエデンの現状を見てみたまえ……言ってみれば、わたしひとりの完全な独裁体制だよ。よくSF小説などではね、自我に目覚めたアンドロイドが人間にクーデターを企てる、なんていう筋立ての話があるが、そうなったらそうなったで、わたしは全然構わないんだよ。L、君はわたしが自分自身で望んで今のこの地位に着いていると思っているかもしれないが、そんなのは考え違いもいいところだ。わたしはこの<神>にも等しい王座を、自分で手に入れたくて手に入れたわけじゃない……言ってみれば、地上の哀れな人間どもに押しつけられた地位に留まっているに過ぎないのさ。リヴァイアサンの存在を知る、各国政府の裏の黒幕などは、いざとなったら自分たちにはリヴァイアサンという存在があるということが、何よりの救いなんだよ。L、もしかしたらおまえはわたしやエデンという存在を出来ることなら消し去りたいと思っているかもしれないが、地上の蛆虫みたいにか弱い連中のことも少しは考えてやるんだな。どこかの国の誰かが誤って核のボタンを押した日には――その惨状を救えるのは、このエデンをおいて他にはないということをね」
「いえ、むしろその点こそが、わたしの聞きたいところです。あなたが今現在利用しているクローン技術その他を使ったとすれば、核を廃絶することも可能なはず……それなのにそれをしないということは、あなたはリヴァイアサンという組織の重要性を世界各国に知らしめるために、むしろその点については何もしていないといったほうが正しいのではありませんか?」
「またしても愚問だな、L。わたしはね、このエデンがどうなろうと、地上が核戦争に見舞われて人類が滅びようと――どうとも思わない人間なんだよ。それでもまあ、自分なりの義務感から、この基地を守るためにあらゆる手を尽くしてはいるし、地上の人間にもそれなりの恩恵を返しているつもりだよ……たとえば環境問題にしても、海底から噴出するメタンガスを抑えるために、ある特殊な珊瑚に似た開発植物を植えたりね、そうしたことをエデンは行っているし、他にも色々、君があずかり知らぬところで、我々は良いことをしているんだ。つまり、わたしが言いたいのはこういうことだといえるかな――先ほどL、おまえは何故わたしが父を殺したのかと聞いたが、おまえが言いたかったことは正確にはもう少し別のことだったに違いない。およそ八百人以上もの研究者を全員殺さず、何故そのうちの百人でも生かしておかなかったのかと、おまえはそう聞きたかったのかもしれない……旧約聖書のソドムとゴモラの話はL、おまえも知っているだろう?」
 知っている、とあくまでも自分を取るに足らない、目下の者として扱おうとするカインに、Lは首肯してみせる。
「神は、ソドムという町が道徳的にも社会的にも、あらゆる観点から見てこの上もなく腐敗しているとして、その町を滅ぼそうとした。ところが、そのことを知ったアブラハムはこう言うんだな。『正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがない。そこにいる十人の正しい人のために、どうかその町を滅ぼさないでください』と――だが、結局ソドムという町は、神の怒りによって滅んだ。返していうなら、十人もの正しい人さえそこには見つからなかったということだ……だが、神はこの時、アブラハムの甥のロトとその家族のことは救おうとしている。わたしに言わせればまあ、L、おまえのことをワタリとロジャーに託したのは、そんなような理由によってだった。とりあえず、自分の知っている中で唯一、彼らには人間として<見るべきところがある>と思っていたからね……そして、父を殺すからには、他の科学者も全員殺さなければいけないというのは、わたしの中で完全に決定していた出来事だった。それは一体何故か?第一にそれがもっとも手っとり早いということ、第二に、父がエデンにいなくなることと、エデンが滅びるというのはイコールで結びついた事柄だったからだ。いいかね、L。八百人も科学者がいて、おのおの、好き勝手な研究をしているというのは、実に危険なことなんだよ。そこには必ず、頂点に立って全体を見通すことのできる、カリスマ的な指導者が存在しなければならない。エデンにおいては父がそうした存在だった……むしろ君や他の地上の人類は、わたしのこの英断に感謝すべきだとすら、わたしは今も思っているよ。何故なら、わたしが母を殺し、父を殺し、さらに自分の頭を拳銃で撃ち抜いていたとすれば――他の科学者たちは統制を失って、おのおのに勝手なことを行い、派閥争いの果てに自ら滅んでいたろうからね……それも、地上におそろしい破滅の痕跡を残したそのあとで」
「……………」
 カインの眼差しがまたも、残酷に一瞬輝くのを見て、Lは黙りこんだ。彼に対して最初から感じている自分の違和感――それがなんなのか、Lは今、初めてわかったような気がした。彼は誰が見ても好意を持つような、貴公子然とした顔立ちをしており、その瞳は両方とも冷たい氷のような青色をしている……だが、その右目には正しい心が宿り、左の目には狂気が宿っていると、Lはそんなふうに感じていた。だから、その両方の眼差しで見つめられると、何か矛盾したような、奇妙な気持ちに捕われそうになるのだ。
「質問は、以上かね?」
「ええ……もう結構です」と、Lは自分の膝の上に手をおきながら言った。他にも、まだ彼に対して色々聞きたいことは確かにあった……地上の環境問題にまで気を配っているのなら、このまま人口が増え続けて、エネルギー資源の奪いあいを人間がした場合、どう救いの手を伸ばすつもりなのかといったことや、彼自身がいつまでも永久に生き続けるということは不可能だと思うが、その場合はクローン人間がカインの後を継ぐことになるのかといったことも……だが、Lは突然、今のカインの回答によって、何もかもがどうでもよくなった。何故なら、彼は決して<神>ではないにしても、彼なりの信念や哲学といったものがあり、それを「間違いである」として正す権利が果たして自分にあるのかどうか――Lにとっての信念や哲学といったものが揺らいでしまったからだ。そしてそれでも、とLは思う。
「あなたに処刑される前に、最後にひとつだけ、いいですか?」
「いいとも。この際だから、なんでも言いたまえ」と、カインは優越感に浸りきったような、居丈高な様子を崩さず答える。「わたしが地球上にいる蛆虫どもの中で、唯一自分の手でひねり潰したいと思うのは、L、おまえひとりだけだからね」
「今、このエデンには、わたしの部下とも呼べる人間が、数人乗りこんできているはずです……わたしの命は最初からなかったものとして取ってくれて構いませんが、彼らのことだけは――記憶を消すなどするに留めて、助けてやってくれませんか?」
「ああ、もちろんだとも、L。今このエデンにネズミが何匹紛れこんでいるか、そんなこともわたしはとっくに承知の上だ……そしておまえが、自分の部下のニアに命じて、ここを破壊しようとしている企みについてもね。だがまあ、軍事分析家のアンディ=ウォーカーは、すでにわたしたちの手のうちに落ちている……これがどういうことか、L、君にもわかるだろう?もしニアとやらが衛星ミサイルを発射しようとしたその瞬間に――彼はおそらくいかなる手段を用いてでも彼を殺す。そしてもしそうならなかったにしても、わたしは彼と敵対しているメロを地上に戻したその後で、彼にニアのことを殺させ、Lの後釜に据えることもできるというわけだ。どうだ、そんなところで手を打たないか?」
「いえ、メロにはLは死んだが、エデンは壊滅したと、そう記憶の操作を行ってください。そしてその後でニアや他の者に対しても記憶の操作を行うということが……カイン、あなたならば可能なはずです。そうでなければ、多少厄介なことになりますよ」
「厄介なこととは、どんなことだね?」
「これです」
Lはごそごそとジーンズのポケットを探り、サイコロほどの大きさの何かを取りだすと、右手の親指と人差し指で、それを摘むように前へ突きだした。
「これは、ワタリが製造した分子爆弾です。わたしは最悪の場合に備えて――これを自分が死ぬために使おうと思っていました。あなたも知ってのとおり、これを使えば<わたし>という存在は分子レベルで消えてなくなることになります。ですから、あなたの言うブラックホール発生装置に入って消え去れという刑罰は、わたしにとってそれよりはいくらかマシな措置とも言えるわけです」
「さて、それはどうかな……人工的に発生したブラックホールに吸いこまれて死ぬのと、分子レベルで消え去るのと、五十歩百歩といったところという気もするがね。なんにしても、そんなものでわたしを殺したところで無駄だ。どうせまたわたしの代わりの者など、ここにいるラファエルかリリスが別の方法で再生するだろうからな。そうなればL、おまえの仲間のことは全員、有無を言わさず皆殺しにさせてもらう……おまえのもっとも愛する細君のことも含めてな」
「……これは、わたしの遺言のようなものだと思って聞いてほしいんですが」緑色の液体を不気味に光らせる、分子爆弾をテーブルの上に置きながら、Lは言った。「わたしは今、あなたに感謝しています。そして唯一ひとつの点においてのみ、あなたに<勝った>と思いました。確かに、これからわたしは肉体ごと「無」の世界へと運ばれ、人々の心の中に残る<L>という存在も、あなたが操作した記憶の中において、ということになるのかもしれません。それでも――おそらくわたしは、あなたがクーデターを起こさず、エデンであのあと健康に育つよりも、今置かれている自分の状況のほうが、遥かに幸せではなかったかと思うんです。十三歳の時にワタリから本当のことを知らされた時には、確かにつらかったです。生まれてこないほうがよかったのにと思ったことも、何度もありました。そして、死にもの狂いで自分の影と戦うみたいにして、あなたが裏で糸を引いているリヴァイアサンという組織を追い続けました……その過程で、たくさんの人の命が失われましたし、わたしもまた、自分の不甲斐なさを呪ったことが何度となくありました。でも、わたしのことを信じてついてきてくれる人が数多くいたということ、それが何より今のわたしにとっての<救い>なんです。それから、あなたがわたしを苦しめるというそのためだけに、ラケルにも手出ししないでおいてくれたことにも、感謝します。あなたもおそらくすでにご存じでしょうが、彼女は以前に一度誘拐され、その時のストレスのためか、流産しています。このことはわたしも口にだして彼女に言うことはできませんでしたが――わたしはそう聞いた時、内心ではほっとしていました。何故なら、あなたが妊娠中の彼女を攫う動機はあまりに大きすぎるから……そしてあなたが味わったのと同じ悲しみをわたしに与えないでくれてよかったと、今そんなふうに感じています」
「……………」
 カインは、いかにも耳障りな演説を聞いた、とでもいうように、顔をしかめている。そして、まるで「もう用はない」とでも言うように、Lに対して手を振った。まるで野良犬を追い払う時のような手つきだった。
「ではL、こちらへ」
 ラファエルは、Lにこの部屋から退出するように促し、Lもまたそれに大人しく従った。もう今さらじたばたしたところで仕方がない――Lはそう思い、一瞬目を閉じ、そしてすべてのことの覚悟を決めたのだった。



【2008/10/01 16:15 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(23)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(23)

「ティグラン―――ッ!!」
 ルーが悲鳴に近い声を上げて、自分の頭を銃で撃ち抜いた幼馴染みのそばへと走り寄る。彼は、痛々しくも、両方の目を見開いたままで絶命していた。
「ティグランっ、どうしてこんなことに……っ!!
 どうして、どうしてと繰り返し呟くルーに代わって、エヴァがそっとティグランの瞳を手で閉じさせた。いくらヒーリング能力があるとはいえ、それは生命活動を停止させた者をも生き返らせるほど、強いものではない。それに、もともとエヴァには癒せる者と癒せない者、そして癒せる傷と癒せない傷とが存在するのだ。たとえば、その病いによって死亡することが運命的に確定している者のことは、彼女の手によっても救うことは出来ない。
そしてそうとわかっていながらも、エヴァはティグランのことを自分の超能力で癒そうとした。そのことで、彼の頭蓋を貫いた傷口は修復されはしたものの、ティグランは目を覚まさない。エヴァは見えない目に涙を流しながら、幼い頃よりの自分の仲間の魂が、その体を離れていったことを認めないわけにはいかなかった。
「ラファ、いいから<リリス>と交信しろ!」
 予想外の「メフィスト」の行動に驚いたガブリエル♯2026は、一瞬呆然としていた。だが、その隙を逃さず、メロは彼女のことを容赦なく殴りつけ、さらに銃身で頭部を打ち据えると、彼女は呆気なく意識を失ったようだった。
 ラスにガブリエルを見張るように言い、メロはラファがサブシステムコンピューターに侵入するのを後ろからじっと見守った。彼の頭の中では今、ふたつの思考が同時進行している……まずひとつ目、<メフィスト>とかいう別の人格に乗っとられたティグランは、おそらく最後の力を振り絞って唯一の抵抗を試みたのだということ。そしてふたつ目が、その彼の命を無駄にすることは出来ないということだった。ティグランが自分の命を犠牲にすることで、今わずかながらの<時間>が与えられたのだ。ここの様子は監視されているか、あるいはされていないにせよ、このガブリエルというアンドロイドがいつまでも戻らなければ、別の「誰か」がやって来るであろうとことは間違いない。
 例のルシフェル・ナンバーという銃火器類が一切通用しない連中が、人海戦術とばかり、この場所へ押し寄せた場合――いくら電磁波が操れたにしても、ラファひとりしかその超能力を使えない以上、限りがあるというものだ。だが、もしここでラファがエデンのメインコンピューターである<リリス>を壊滅させることが出来れば……それが唯一の勝機と呼べるものだろうと、メロはそう判断していた。
「ダメだよ、メロ兄ちゃん。流石に情報の容量が大きすぎる。このままいくと、俺のほうが向こうに<飲み込まれる>感じだ……でも、向こうがこっちに「来い」って言ってるのはわかる。いや、「おいで」かな。なんにしても、結局ここからじゃ埒があかないよ。どっちにしても<リリス>本体のある場所まで行かないと……」
「くそっ!!」
 バシッ!と銀行のATM機に似た機械に拳を叩きつけ、メロは今度は部屋の片隅に目をやった。先ほど、このガブリエル・ナンバーと思われるアンドロイドは、何もない空間から突如として現れた。だが、その近辺をあちこち探ってみても、それらしきものを発見することは出来ない。
「おい、この売女!!起きやがれ!」
 単純に造形美ということで言うなら、絶世の美女といえるガブリエルに対して、メロの扱いは極めてぞんざいだった。顔を何度もはたき、彼女が目を覚ますと、その胸ぐらを掴み上げる。
「死にたくなかったら、正直に答えるんだな」と、メロはおそろしく歪んだ形相で、ガブリエルに対してすごむ。そしてラスがすかさず、彼女の頭にマシンガンを突きつけた。「さっき、あんたはどうやってここへ来た?もし答えなきゃ、まずは手の指を一本一本へし折ってやる」
「……………!!」
(こんなに邪悪な人間の顔は見たことがない)と思うのと同時に、ガブリエル♯2026には、メロが本気であるということがよくわかっていた。それで、震える指で、ラファがいまなお何かを操作しているサブシステムコンピューターを差し示す。
「そこのコンピューターに、空間転移装置のマニュアルが載っているはずです。それを使用すれば、エデン内部なら、どこへでも移動が可能……」
 ガブリエルが言い終わるか言い終わらないかのところで、彼女はまた気を失った。メロが容赦なくガブリエルの鳩尾に、パンチを決めてよこしたからである。
「よし、ラファ。空間転移装置とやらのマニュアルを呼びだせ。それで<リリス>のある場所まで、すぐに移動する」
「うん……でもなんか、おかしいんだよ。俺たちが<リリス>を破壊しにきたことは、向こうにもすでに察知されてる。にも関わらず、向こうは俺たちに来てほしがってるんだ」
「なんだそりゃ?ただの罠なんじゃないのか?」
 ラファが『空間転移装置』を起動し、エレベーターに似た箱型の乗り物が現れると、メロはラスとエヴァとルーをそこに乗せた。そして最後にラファのことも乗せ、自分も乗りこむ……だが、扉が閉まろうという瞬間に、目を覚ましたガブリエル♯2026がサブコンピューターに向かいかけたのを見て――間一髪、ドアが閉まるその一瞬前に、メロは<彼女>の頭蓋に狙いをつけて撃った。そして言った。
「これは、ティグランの仇だ」

 メロはこの『空間転移装置』とやらが、どういうシステムで稼動しているのかには、まるで興味がなかった。ただ、通常のエレベーターと同じように60階分の階数のボタンが示されているのを見て――迷わず60のボタンを押す。だが、『転移装置』というくらいだから、ルーの瞬間移動並みの早さで目的地に到着するだろうと思いきや、意外にも時間がかかっていた。もしや装置の故障かとも思ったが、頭上にある電光表示を見ると、確かに53、54、55……と移動を開始していることがわかる。
 それで一瞬ホッとするが、到着した途端にアンドロイドどもに取り囲まれるという最悪の事態を想定し、気を緩めることは出来ないと再び自戒した。
「ティグラン……ティグランが……っ!!」
 なおもショックから立ち直れずにいるルーのことを、エヴァが慰めようとするが、ラスは涙もなく、ただひたすら無言だった。そしてそういう彼女の様子を見て、メロは自分が彼女を好きなのは、おそらくこういうところなのだろうと、パキリ、とチョコレートを齧りながら思っていた。



【2008/10/01 16:07 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(22)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(22)

(一体、何がどうなってる……)
 確か自分は、深さ60メートルはあろうかという、滝壷の中へ飛びこんだはずなのに――今Lがいる場所は、<エデン>へ来た時に感じたのとまったく同じ、原始の闇のようなところだった。しかも、おそらくは短い時間であろうとは思われるものの、自分は気を失っていたらしい。青緑色の大瀑布の中へ飛びこんだ瞬間までの記憶は確かにLにもある……だが、その大量の水の感触を感じようかという瞬間から、ブツリと記憶が途切れているのだ。
(このことのうちにも、必ず何かトリックがあるはずだ。もしや、あの花畑の花の匂い、あれは幻覚剤の一種で……)
 四方をまったく何も見えない闇に囲まれた状態――まさしく、一寸先は闇というのは、こうした状態のことを言うのであろう――でありながら、Lはパニックを起こすでもなく、冷静に思考し続けた。何故といって、これまで自分が<K>という男に味わわせられた、心の暗闇に比べれば、現実に視認できる闇というものは、Lにとってそう大したことではなかった。それに、探偵という職業柄、人間という生き物の心の闇というものに、これまで深く触れる機会が多かっただけに……Lは、現実の暗闇という空間を怖れたことは、これまでに一度もないのだ。むしろ、そこから生まれる人間の想像力といったものが、あらゆる恐怖や不安の源であるということも、よくわかっている。
「L、お気づきになられたのですね?」
 それでも流石に、暗視能力(インフラビジョン)を有する、ラファエルの両の瞳が赤く輝いているのが見えた時には――Lも一瞬動悸が早まったことを認めないわけにはいかない。そして次の瞬間、あたりが明るい光に包まれ、Lは眩しさのあまり、手をかざして白い光に目が慣れるのを数秒待った。
「ここは……!!」
 何度か瞬きを繰り返し、チカチカする目が周囲に慣れると、そこは大きな運動場のような場所だった。天井が円形のドーム型をした、まるで野球の球場にも似たような、だだっ広い空間である。そして、こんな場所にラファエルが自分を案内した目的を聞こうして、Lは思わず息を飲んだ。
「……………!!」
 目の前に、これまで自分が不倶戴天の敵として戦ってきた男――<K>ことカイン・ローライトが現れたからである。彼は何かエレベーターのような乗り物にのり、Lが花畑のある地下60階へ下り立った時と同じく、それは周囲の景色に溶けこむと、瞬時にして見えなくなった。
「初めまして、L。わたしが君の兄――カインだよ。血の繋がりはないと君は思っているかもしれないが、父は君の遺伝子の中に自分のものも混ぜているからね、そういう意味ではまあ、わたしの中にも君の中にも、同じ遺伝子が一部、存在しているというわけだよ」
「……………」
 Lは言葉もなく、目の前にいる男を見つめ返した。文字通り、穴が開くほど凝視していたといってもいい。もし彼があのまま普通通りに年齢を重ねていたとすれば――自分よりも十三歳年上の四十歳くらいであろうと想定し、その似顔絵をLはコンピューターで作製していたわけだが、目の前にいるやや長髪のブロンドに、アイスブルーの瞳をした男は、どう見てもLと同じ二十歳代後半くらいであろうと思われた。
「どうしたんだい?こうして、ある意味君の生きる目標であり目的であった<わたし>という存在が現れて、驚いているのかな?それとも、どうやって殺してやろうかと考え中とか?まあ、それも悪くはないかもしれないね……わたしが君をここへ招待したのも、言ってみればそのためだから」
 カインは傍らに控えるラファエル♯001に顎をしゃくりながら、「例のものを」と<彼>に対して命じた。
(ここまでのことは、彼にとっても計算通り……)
 Lは、たった今カインが自分に対して殺意を表明したのを聞いて、何故だか嬉しくなった。まるで、難解なパズルを解く時のようなぞくぞくする気持ちが、背筋を駆け抜けていくのを感じる。
(だがわたしも、ただでは決して殺られはしない)
Lはどこか不敵な笑みを浮かべると、これからこの場で何が行われるのかを知って、ますます嬉しくなった。そして<K>に対しても、彼が自分が敵とするに相応しいだけの技量を持つ人間であることを、認めざるをえない。
「受けとりたまえ、L!」
 そう言ってカインがLの足許に投げつけて寄こしたもの――それはエストックと呼ばれる真剣だった。日本のサムライにとっては、刀で<斬る>という攻撃手法が主流であったろうが、中世の騎士たちは剣によって相手を斬りつけるというよりも、このエストックのように先端の尖った武器類で鎧の隙間を貫き、突き刺すといった攻撃手法がより重要だったのである。何故なら、防具類の発達にともない、甲冑やチェインメイルといったもので身を固める敵に対しては、サムライの持つ刀での斬りつけ攻撃はあまり効果がないからである。
「フェンシングのルールについては知っているね?」
 白一色のフェンシング用の稽古着を着用しているカインが、まるで貴族の血でも引いたような、どこか居丈高な態度で、いつの間にか現れたフェンシング専用の演台に立っている。そうだ。彼をもし正統的な血筋を引く、エデンの生き残りにして後継者と目するならば、自分はせいぜいいって雑種といったところだと、Lはそう自覚せざるをえない。
「ええ、知っていますよ……」あたりの光景が瞬時にして魔法のように変わる装置にも、Lはもう慣れた。今自分はエレガントなフェンシング・ホールにいるように見えるが、これは表面をはいでしまえば、ただの何もない空間なのだ。おそらく、先ほどのナイアガラの滝に似た大瀑布も、似たようなトリックなのだろう。「フェンシングは、イギリス紳士にとってはたしなみのスポーツですからね。わたしも、小さな頃からワタリに随分鍛えられました。その他空手に柔道、テコンドーなど……あなたの手の者がある日、わたしを誘拐するのではないかと危惧して、ワタリは自分で自分の身を守れるようわたしを鍛錬しようとしたのだと思います。今では厳しい修行も、いい思い出ですよ」
「そうかな?ワタリはわたしやエデンやリヴァイアサンといった組織に対抗するために、ほんの十年ほどで多国籍企業をいくつも買収するようになっていたからねえ……どこかで人の恨みを買って、その者が愛しい息子に危害を加えはしまいかと、どちらかというとそちらを心配していたようにわたしは思うがね。何故といって、君も知ってのとおり、わたしが<その気>になりさえすれば――L、君を殺すこともワタリを亡き者にすることも、あまりに容易いことだから」
 自分の優位性を誇示するように、アイスブルーの冷たい瞳で、どこか軽蔑するような、見下した視線をカインはLに対して送る。ラファエルは、カインが着ているのと同じ胴着をLに手渡したが、「いりません」と言ってLは首を振った。
「何しろ、この剣はこのフェンシング・ホールと違って本物の真剣ですからね……そんなものを着たところで、負傷は免れません。むしろ、普段着なれないものを着たほうが、機動性が削がれます。ゆえに、わたしはこのままの格好で結構です」
「余裕だね、L」と、エストックを構え、どこか残忍な笑みをカインはその整った顔に浮かべた。「後悔しても、知らないよ……もっとも、後悔する以前に、君はその時死んでるかもしれないけどね」
 細長い演台の上にLが立つと、カインとLは“構え”(アン・ガルド)の姿勢をとり、ラファエルが試合開始の合図をするのを待ち、戦いはじめた。ふたりはゆっくりと動きはじめ、用心深く互いの力量を測る――そして、攻撃がはじまった。突き、受け流し、フェイント。カインの矢継ぎ早の攻撃により、Lは押され気味となり、とうとう相手の剣の切っ先が、Lの左腕を掠めてしまう。
「……………!!」
 一本とったことにより、カインはまた後ろへ下がったが、彼がその気になれば自分を殺せたことを思うと、Lの負けず嫌いな気持ちに火が点いた。
(今度こそ、必ず……!)
 だが、二本目がはじまるとすぐ、カインは素早くフロワスマンをやってのけた。これは力で敵の剣をねじふせ、跳ね跳ばす攻撃である。これでカインはまたしても一本とった。
「どうした、L?あんまりわたしを失望させないでほしいな……それとも本当に、君の力量はこの程度のものなのか?」
「……………」
 Lは黙りこみ、そしてもう一度“構え”(アン・ガルド)の形をとった。それに合わせて、カインもまたLと同じように構えの姿勢をとる。再び試合がはじまるなり、カインは即座にLと剣を合わせ、アンヴロップマンを仕掛けてきた。これは完全な円を描いて、相手の剣を払う技だ。しかしLはそれを受け流し、この動きで生まれた攻撃のチャンスを逃さず、カインの剣を払って素早く突きを入れ、一本とった。
「これで、二対一です。もしわたしが勝った時には――褒賞として、何がいただけるんですか?」
「……………!!」
 カインは誰かに<負ける>ということを知らなかったのかどうか、次に試合がはじまるなり、Lに向かってむちゃくちゃに突いてきた。カインはLに対して叩きつけるように剣をぶつけ、荒々しく切りつけてくる。Lは受けの一手にまわり、演台の端へと追い詰められた。そこでひらりとそこから跳び下りるが、カインの猛攻は一向にやまず、Lは防戦を強いられた。Lがもし素早く体をまわしていなければ、串刺しにされていたであろう一場面もあった。
 カインはさらに攻撃の手を緩めず、Lに向かって鋭く切りつけてくる。だが、Lは巧みに受け流し、相手に接近して圧迫をかける“プレス”で、カインの刃を横にはらおうとした。そしてわずかな隙を見逃さず、攻撃に転じたが、これはかえってカインを刺激しただけだった。
 一分近くも激しい攻撃を続けたあと、カインは“バレストラ”――前に跳躍して突く――をやってのけた。しかし、この攻撃を予測したLが受け流して飛びのいたため、カインは中世の刀剣が展示されたケースにぶちあたることになる。だが、それは結局のところ幻であり、彼の体は何もない空間にぶつかったにすぎない。
「ラファエル!例のものを持ってこい!!」
「ですが、マスター……」
 カインが物凄い形相で睨みつけると、ラファエルは彼の言うとおり、鋭いサーベルをカインに手渡している。どうやら別の展示ケースの中には、偽物だけでなく、本物の剣も混ざっているらしい。すべてのものが幻ではないと気づいたLは、不可思議な思いに包まれるが、今はそれどころではなかった。
「!?」
 ラファエルは、何故かLに対しても抜き身のサーベルを放ってよこしたため、それでLは、エストックを投げ捨て、かわってサーベルを手にしてカインと戦った。本当に本物の真剣勝負――気が狂ったような目つきでカインが自分を睨みつける、その瞳の奥底に憎悪があるのを見てとったLは、手加減する余裕がなかった。それで、幻でない本当の壁際に追い詰められた時……L自身も必死で、その一撃を放った。すなわち、カインの心臓をサーベルの剣によって、刺し貫いたのである。

「あ……ああ……わたしは、なんていうことを……」
 Lは自分の体の上に崩れ落ちる、カイン・ローライトの体を抱きとめた。いくら必死であったとはいえ、殺られなければ殺られるという状態であったとはいえ――これは間違いなく<殺人>と呼ばれる行為だった。
 だが、Lが呆然と目を見開いていたのも束の間、彼はある異変に気づいた。カインの体から、一切血というものが流れでていないのである。いや、何か奇妙な白い体液のようなものが、自分の長Tシャツやジーンズを濡らしているだけだ。
(これはまさか……人工血液?)
「そこまで!!」
 パンパン、と手を打ち鳴らし、ラファエルが満面の笑顔を浮かべてLに近づいてくる。それはいかにも奇妙なことだった。<彼>にとっての創造主とも呼ぶべき存在が討たれて死んだのに――ラファエルはむしろそのことを喜んでいるかのようだった。
「L、あなたはマスターに会うための、第二の試験にも合格しました。これで本当に、マスターに会うことが出来ますよ」
(嘘つき……)
 Lはまだ腰が抜けたような状態のまま、だらりと壁に寄りかかったままでいた。この<エデン>という場所へ来て以来、すべてが虚飾に塗り固められているという気がした。だが、カイン・ローライトの心臓を貫いた時のあの生々しいリアルな感触……あれは間違いなく本物だった。今絶命して自分の腕の中にいる青年が、コピーの人造人間であるにせよなんにせよ、自分が彼を<殺した>ということに変わりはない。Lはそう思った。
 この場所がどういうカラクリによって作動しているのか、Lにはまだよくわからなかったが、それでも、いかにも伝統を重んじるといった雰囲気の、優雅なフェンシング・ホールがまたも別の景色に変わるのを見て――流石に彼もうんざりとした。
 何故なら、Lが目を上げたその先には、まるで高見の見物でも決めこむように、大きなガラス窓を通して見下ろすひとりの男がいたからである。そして彼を取り囲むように、まったく同じ顔をした絶世の美女が数人、Lに対して拍手を送っているのが見える。
(カイン……!!)
 自分のコピーが虚しく命を無駄にするのを見守っていたであろう男に対して、Lは厳しい憎悪の眼差しを向けた。それは先ほどまで、彼がカイン本人と信じて疑わなかった青年が、今際の際にLに対して向けた視線とまったく同じ種類のものだった。そしてLは思う。彼は本当に自分に対して憎しみをぶつけようとしていたのか、と。むしろその眼差しは、今自分を数メートル上の高みから見下ろしている、彼の本体に対するものだったのではないかと、何故だかそんな気がして仕方なかったのだ。


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 カインとLのフェンシングシーンは、『007 ダイ・アナザー・デイ』(レイモンド・ベンソン著、富永和子さん訳/竹書房文庫)よりいただきました。
 ジェイムズ・ボンド=L、グスタフ・グレイヴス=カインといった形になってます。
 詳しくは本の中の「第十章セント・ジェイムズの決闘」をお読みください。



【2008/09/27 01:30 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(21)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(21)

 メロは、ワタリが製造したタイタロンを操縦して、アスキャの溶岩地帯の上へと着陸した。この乗り物は米軍のステルス戦闘機と同じく、レーダーに映らない型ではあるが、果たしてエデンのアンドロイドたちにまったく気づかれずに潜入を果たすなどということが、可能なのかどうか……だが、エデンに通じる入口がここしかない以上は、賭けてみるしかないと、メロはそう思う。
 アスキャは地形的に地球の中でもっとも月面に似ていると言われており、アメリカの最初の月探検家、アームストロング率いるアポロ11号の宇宙飛行士が訓練を行った場所としても有名なところである。あたりは一面溶岩の山で、木は一本も生えていない……ただ大小さまざまな石がゴロゴロと転がっているような、そんな荒涼とした景色だった。
「なあ、メロ兄ちゃん。ジュール・ヴェルヌの『地底探険』っていう小説、知ってるか?」
「ああ、知ってはいるが……今はそれどころじゃない。ちょっと黙っててくれ」
 アスキャのこのタイタロン着陸地点まで、操縦のモードは<オート>だった。だが、ここで一度手動に切り換えて、32桁のパスワードを入力しなければならないのだ。メロは自分の隣で計器パネルなどを物珍しそうに眺めるラファのことは構わず、LILITH2749561877……と、暗記したそのコード番号を順に入力していった。ちなみにこのリリスというのは――エデンの最下層にあるメイン・コンピューターの名称であり、これからメロたちが行うべきミッションは、別の階に存在するサブシステムからメインシステムへ侵入し、エデンそのものを乗っ取るというものであった。
「ただし」と、Lは何度も繰り返し、念を押すように、このチームのリーダーであるメロに言った。「くれぐれも無理はしないようにお願いします。何より、命の危険を感じたらその場からすぐに撤退することです……いかなる手段を用いてでも」
 そもそも、このコード番号自体、ワタリやロジャーがエデンにいた頃のものなのだ。この32桁の暗証番号が変更されていた場合、メロたちはそのミッションを行うことはおろか、エデンの地下入口へ到達することすら出来ない。
(これで、開いてくれよ……!)
 メロが祈りにも近い気持ちで最後の数字を入力し終えると、カチリ、という音とともに、タイタロンの全システムが一度停止した。あとはもう、モノレールにでも乗っている感覚というのに一番近かったかもしれない。後ろの座席に座っていたルー、ラス、エヴァ、ティグランの四人は、シートベルトを締めていたのでよかったが――ラファはいかにも落ち着かない様子であちこちタイタロンの内部を見てまわっていたために、ゴロゴロとあっという間に後ろの壁までぶち当たった。
「ラファ、つかまれ!」と、ティグランが念動力を使って救いの手をラファに差し伸ばす。それで彼はなんとかティグランの隣の、一応彼の指定席として定められた場所へもう一度戻ったというわけだ。
 これから差し控えている命懸けの任務のことがなければ、それはまるでウォータースライダーか、雪山を橇で滑り降りる時にも似た、爽快な気分を与える乗り心地ではあったが、メロが計器パネルの示す速度を見ると400kmを軽く越えていたこともあり、もし事故か何かが起きた場合のことを想定すると、やはりアンドロイド用の乗り物なのかという気がしないでもない。
 Lはこの時の感覚を、(まるで地獄への滑り台のようだ)と感じていたわけだが、メロはむしろ血沸き肉踊るといったように興奮していた。このままもっとスピードが上がってほしいというようにさえ最後には感じていたが、ルーとエヴァとラスにしてみればほとんどジェット・コースターに乗った時と同じく、叫びどおしだったといっていい。
「さて、と。やっと御到着か」
 カチリ、とまた室内が明るくなり、全システムが静かに作動を開始する。メロは用心のために拳銃とマシンガン、予備の弾倉(マガジン)、プラスチック爆弾などを、ティグランとラス、それに自分の三人で分けると、最後に「手順についてはわかってるな?」とこの隊を率いるリーダーとして全員に確認をとった。そしてタイタロンが到着した最終地点へと、自分がまず先に降りて安全を確認することにする。
「……全然、人の気配がしないわね」エヴァがティグランに手を貸してもらいながら、しーんとしたしじまに耳をそばだてるように言った。
 最初から、いくつかの最悪のシミュレーションというものは計画として立ててはあった。そしてその中でもっとも可能性として高いように思われるのが――登録されていないタイタロンの複製機が入口のゲートを通過したということで、警戒警報が発令され、すぐこの場にアンドロイドたちが次から次へと押し寄せるというものだったのだが、エヴァの言うとおりあたりには人の気配――正確にはロボットの気配というべきか――というものがまるでなかった。
「なんにしても、向こうがこちらの侵入に気づいてないはずはないだろうな」と、ティグランが至極真っ当な意見を口にする。「だがまあ、向こうはその気になれば、赤ん坊の手をひねるのと同じ要領で、俺たちのことなんかどうにでも出来るわけだから……暇つぶしに人間が何をしようとするのか、様子見してるってことなのかもしれない」
「かもな」と、短くティグランに答え、円形をしたタイタロンの格納庫から、階段を上がってメロはエレベーターが並ぶ通路に出た。
 そこで、ラファ、ラス、ルー、エヴァ、ティグランが順に階段を上がってくるのを待ち、確かに円盤型ではあるが、デザインとしてはどこか先鋭的なフォルムを持つ、タイタロンと呼ばれる航空機が十数機待機している様を眺めやる。メロにも難しいことはよくわからないが、航空力学的に浮力や圧力といったものを計算した結果、このデザインがもっとも効率よく空を飛べるということで落ち着いたらしいのだが……これを果たして夜に見てUFOと見間違えるだろうかという気もする。確かに飛行中は黒一色の闇に溶けた機影でも、離着陸時に青い炎にも似たエネルギーを噴出するために、その瞬間を見た人間がUFOだと思うのは理解できる。だが、UFOと呼ばれるものの正体はやはり、そのほとんどが<エデン>がわざと飛ばした他のそれらしき物体を人間が見間違えることに端を発するものなのだろうと、メロはそう思った(またそれと、精神的な出来事として人がUFOに攫われたと思うことも別なのだろう、と)。
 A-10、B-20、C-30、D-40、E-50、F-60……磨き上げられた銀のような鋭い光沢を放つ、六つのエレベーターに書かれたアルファベットと数字を見て、メロは迷わずE-50と書かれた扉の電光ボタンを押した。ワタリから<エデン>内部の見取り図を渡された時、地下50階にあるサブシステムの場所をメロは彼から説明されていた。もちろん、今もエデンを支配する全システムがワタリやロジャーがいた頃とまったく同じである可能性はむしろ低い……だが、エデンを乗っとるというよりも、この場合鍵となるのはラファの電磁波を操れるという超能力だった。そこからメイン・コンピューターである<リリス>の内部をラファがシステム不能に陥らせてくれれば、あとのことはどうにでもなる公算が高い。何故なら、その後正規に地上と連絡を取り合うことさえ出来れば、アメリカ軍の精鋭たちがこの場に乗りこんでくるという手筈になっているからだ。
「この計画は、最初からラファが鍵でした」と、Lが自分とニアにだけそう打ち明けたことを、メロは思いだす。「ですから、彼が最初から「行きたくない」と言っていたとすれば……わたしは本当に自分ひとりでエデンへ行くつもりでいたんですよ。でも彼が、足の指に箸を挟んでラーメンを食べるということと引き換えに、この任務を了承してくれたので、思いきった手段に打ってでることにしたわけです。ただし、本当に無理せず、おのおのの命を最優先にして行動することを必ず誓ってください。また、誰かひとりの命の犠牲で任務を達成できそうだという場合にも――優先されるのは、メロ、あなたも含めた仲間全員の命だということを、絶対に忘れないでください」
「……ところでL、本当に足に箸を挟んでラーメンなんか食えるのか?」
 他のラファ・ラス・ルー・ティグラン・エヴァのことは別としても、メロは自分の命ひとつの犠牲で、エデンのメインコンピューター<リリス>を乗っとることが出来るなら、そうしてもいいと思っていた。だが、Lはそうした彼の性格というものもよくわかっていて、しつこいくらいその点については念を押していたのだ。
「もともと、中華料理はあまり好きじゃないんですが……まあ、仕方ありません。わたしは足の指にペンを挟んで字を書けますから、同じ要領でラーメンを食べてみたいと思っています」
「まあ、スパゲッティをフォークで食べられるんですから、ラーメンもなんとかなるんじゃないですか?なんだったら、ワタリに足の指に箸を挟んで食べるロボットを開発してもらうとか……いくら十歳にしてIQが250だなどといっても、結局は子供ですからね。仮にLが足の指でラーメンを食べられなくても、その代わりになるようなものを与えたらいいんじゃないですか?」
「ニア、おまえがそのロボットを欲しいだけなんじゃないのか?」と、メロが軽く突っこむと、彼は『無敵ロボット、ロボたんQ!!』という超合金ロボットを、おもちゃ箱の中から取りだしている。
「これは、わたしが院へきた初めての誕生日に、ワタリがプレゼントしてくれたものです。これに比べたら、本物のアンドロイドもわたしには色褪せて見えるくらいなので、他のロボットなんていりませんよ」
 ――そうしたメロとニアのやりとりを、Lはラケル手製のお菓子を食べながら黙って聞いていたのだが、今にして思うとメロは、その会話の中に何か、今度のミッションの鍵になるものが含まれているような気がしていた。
 ワタリが開発した、エデンにいるであろうアンドロイドのプロトタイプを相手に、ラファは極めて微弱な力の使用のみで相手を停止させるほどの力を見せたが、より人間に近いタイプのアンドロイドであるガブリエル・ナンバーには彼の超能力は通じなかった。つまり、<彼女>たちは「より人間に近い」ゆえに、体のほうも人と同じく脆弱なのだ。こちらに対しては拳銃やマシンガンによって対処できるにしても、人殺しをした時と同じ罪悪感からは逃れられないだろうと、メロはそう覚悟している。
 そして、そんな思いをラスには味わわせたくないとも思っていた。彼女は傭兵のアンドレ・マジードという男に戦闘能力を叩きこまれていたが、もともと精神的には弱い。自分の超能力で人型アンドロイドに火傷を負わせるだけでも……そのことが心の内側にある、自分が火事を起こして母親の死体を焼いたというトラウマと結びつかないとも限らない。
 32、33、34――と、エレベーターが下降していく間、そこに美しい景色のホログラムが映っているのに目もくれず、メロはいつどこでこの小さな箱の乗り物が止まってもおかしくないと思い、身構えていた。そんな中でラファとルーのみ、そこに映しだされるサバンナの光景やキリンやライオン、シマウマなどのいる景色に見とれている。いかなる技術によるものなのか、エレベーターの外には本当にサバンナが広がっているとしか思えないほど、その風景はリアルなものとしか感じられない。
「おい、そろそろ目的の50階だ。注意しろ」
 パキリ、と最後に一口チョコレートを食べ、そして残りをポケットへしまいこみながら、メロはそう全員に注意を喚起した。鬼がでるか蛇がでるか……いずれにせよ、ラファの電磁波が通じる相手には彼の超能力で対処し、それ以外のアンドロイドには――銃か肉弾戦によって対処する以外にはない。
 ポーン、と、この場合やけに間が抜けて感じられるのびやかな音とともに、エレベーターは地下50階で停まった。まず最初にメロが外の様子を窺い、そして最初の廊下を曲がったところで全員に「来い」という合図を手で送る。
 タイタロンの格納庫(この場合地下0階)にあったエレベーターに書かれた数字――A-10、B-20、C-30、D-40、E-50、F-60……は、それぞれに下りられる階数の上限を示している。ちなみにLが乗ったエレベーターはF-60で、そのエレベーターのみ、この地下基地のもっとも最下層へ通じることが出来るよう設計されているというわけだ。そしてメロたちの乗りこんだのがE-50であり、ここのXブロック041区画に、彼らが目的とする<リリス>に通じるサブシステムコンピューターがあるはずだった。
 ワタリの話によれば、A-Zの各区画ごとに大学の研究所と同じような形で専門分野の科学者たちが詰めていたということだったが――ラファが「まるでバイオハザードみたいだね、メロ兄ちゃん」と言った言葉は、確かに的をえているようにメロは思った。あたりは不気味にシーンと静まり返っている上、通りすぎる研究所はすべてほとんど閉鎖状態にあったからだ。それに、どこか黴くさい上、のぞいた部屋のいくつかの中には、白衣を着たままの骸骨がそのまま放置されているのが見えた。
「ねえ、これってもしかして……」と、全員が内心思っていた言葉を、ラスが代表するように口にする。「二十数年前からずっと、このままの状態で放置され続けてるっていう、そういうことなんじゃないかしら?」
「そうかもしれない。だが、そうであれば俺たちにはなおのこと好都合だと言えるかもしれないな。このまま、サブシステムのコンピューターがある場所まで無事辿り着けたとすれば――今回のこのミッションは思った以上に容易く終わることになるが……向こうがそんなにあっさり事を行わせてくれるとも思えない。ここまで、監視カメラのようなものはひとつも見かけなかったが、壁や天井に目に見えない形で埋めこまれているという可能性もある。とにかく、油断だけはしないことだ」
「そうね」と、ラスとルーが思わず同時に答えてしまい、顔を見合わせる。ラスは軽く笑っただけだったが、ルーは恥かしさで顔が真っ赤になるのを感じた。メロは自分にではなく、ラスに話をしていたのに――その言葉に返事をしてしまうだなんて……。
 そんなふたりの様子を見て、しんがりとして一番後ろを歩いていたティグランは、またも複雑な気持ちになる。最初にLから今回のミッションについて説明を受けて以来、メロと彼は射撃場で銃の腕前を競ったり、また城館の地下にワタリが設置してくれたジムで体を鍛えたりしていたわけだが――その間大して言葉を交わしはしないとはいえ、無言の上での仲間意識に近い<何か>というのは、互いに共有していた。
 彼らふたりは体を動かすことを通して、一種<無>ともいえる精神状態に近づく瞬間をわかちあっていたともいえるが、それは軍隊における仲間意識によく似たものだったかもしれない。特にメロは一時期アメリカ軍に在籍していたことがあるのでよくわかるが、そこでは命が懸かっている以上、どんな「気に入らない奴」とも共同作業をする能力が求められる。そういう意味でティグランとメロは互いに適切な距離を置きつつ、それなりに仲間意識のようなものを持ちつつあったというわけだ。
 だがこの時……アメリカのロサンジェルスで高校へ通っていた時のことからはじまって、突如として、ティグランの中でメロに対する憎悪の炎が再び燃え上がった。彼にしてみれば、それは一種精神病かと思えるほどの、異常な執着的妄念だった。ティグランは自分でも、今目の前で起きていること――ルーがどこか決まり悪そうに顔を赤くしていること――が、そう大したことではないと、頭の中ではわかっていた。それにエヴァがカイにちょっとした心の行き違いのようなもので失恋したと聞いてからは特に、自分のルーに対する想いというのは、抑えられてしかるべきものだと、彼はそう考えていた。むしろ、自分がエヴァのように、心の内的動きを誰にも悟らせないほど大人であったなら……と、彼は恥じさえしていたのである。
 にも関わらず今、メロのことを殺してやりたいほどに憎いと感じる自分のことを、ティグランはどうにも抑え難くなっていたのだ。
「おまえのその能力、本当に便利だな」
 メロがラファのことを軽く抱え上げると、A~Zに至るまでの区画にそれぞれある、電子ロックを指先ひとつで彼は次々と解除していった。
「まあ、普段はこの電磁波の影響で、データが全部消えただのなんだので、セスからは邪険にされてるけどね」と、ラファはどこか得意気な顔になっている。「俺のこの能力があったら、使い方次第によっては預金通帳のゼロを9桁に増やしたりもできるんだぜ。その他、ほとんどどこにでも顔パス状態でコンピューターには侵入できるし、カイは俺が育て方次第でこの世界の征服者にもなれるって言ってたくらいなんだから」
「なるほどな」
 かつてあった、ユーロの原版盗難事件――あの時の5分とかからぬ犯行の手際のよさは、ある意味ラファが一番の功労者だったということだ。その他、監視カメラはボーが重力を加えてめちゃくちゃにし、脱出の際にはルーが瞬間移動の能力を使う……ルーは自分が一度行ったことのある場所にしか移動できないので、やはり電子ロックなどのキィを解くために、ラファのこの特殊能力が必要になってくる。
(だがまあ、このお子さまは育て方を一歩間違えると、とんでもないことになりそうだからな……Lが言ってたとおり、しばらくはラケルと一緒にいさせて母性の影響下に置いたほうがいいってことになるのかもしれない)
 メロは廊下の角へ来るたびに、ライフルを構えて自分がまずその先の安全を確認するのを怠らなかったが、それでもそんなことを何十回も繰り返すうち、流石に自分のしていることが無意味であるようにさえ思われてきた。最初、基地に潜入する前までは、てっきりスターウォーズ張りの超科学基地のような場所を想像していたにも関わらず――他の階はまだわからないにしても、思った以上に意外と<普通>の場所だというのがメロにとっても他の全員にとっても、一番の驚きだった。
 ただし、ここが現在地球に存在する科学技術によっては決して人の暮らせない、地下数千メートルもの地下であることを思えば、このような地下都市ともいえる場所が存在していること自体、確かに凄いことではあるだろう。さらに、ワタリが説明してくれたところによれば――一見なんの変哲もないように見える壁、この白い漆喰を塗り固めたようにしか見えない壁の内部、ここには無数のフィラメントを組み合わせて、さらにコーティングした中で、特殊な細菌が無数に生きているのだそうだ。そしてそれが外の土や岩の成分と結びつき、半ば同化することにより、空気の清浄化まではかることが可能なのだという。さらに、区画ごとの<壁>によって細菌の種類が異なり、あるものは有害な電磁波を遮断する役割を持つものさえあるということだった。
 つまり、見かけは確かによくある大学の研究所風でも、いつどこに何があるかわからないという点においては、油断は禁物であるといえた。一度、ネズミが一匹出没し、壁に内蔵されているらしいレーザーがそれを一瞬にして退治するのを見てからは、メロもまた一度緩みかけた気持ちを再び引き締め直していた。どうやらそれは、人には反応しないものらしかったが、何しろここは二十数年前の例のクーデターがあって以来、放置されているような場所なのである。コンピューターの誤作動のようなもので、レーザーによって攻撃され、片腕がなくなったような場合には――それを元通りにするということは、流石のエヴァにも不可能だっただろう。
「さて、ここがサブシステムに通じるドアっていうことになるのよね」
 扉に書かれたZ-041というアルファベットと数字を見、ラスがラファのことを電子ロックのキィパネルの位置まで持ち上げる。そして彼がまるで指先をコンピューターの端末のようにそこへ繋ぎ、さらに数秒が経過しただけで――あまりに呆気なく、その扉は開いた。
 さらにその奥に、まるで銀行のATM機械のようなシステムがあるのを見てからは、メロもラスもラファも、他の全員が、ある意味拍子抜けしていた。彼らの想像によれば、よくSF映画に出てくるような、巨大な人間の意思を持つ機械のようなものがそこにあるのではないかと思っていたのだ。それなのに、エデンの全システムを統制しているという<リリス>というメインコンピューターを支えるサブシステムが、銀行のATM機械とは……さらに、あまりにあっさりと今回のミッションを遂行できそうな予感もあって、彼らはその時、全員が全員、やや油断している精神状態だった。そう――唯一、ティグランをのぞいては。
「動くな!!」
 肩に背負っていたライフル、その銃口をティグランはラファに向けた。そして、次の瞬間にはなんの迷いも前触れもなく、エヴァのことを右手に持っていた銃で撃ったのである……彼女は肩を撃たれてうずくまったが、すぐに自分のヒーリング能力で、その部分を癒した。だが、もし心臓か眉間でも銃で射抜かれていたとすれば、当然力を使うことは叶わぬ状態となる。
 今の発砲は、ティグランにしてみれば、自分があくまでも<本気>だということをわからせるための、威嚇射撃のようなものだった。そう、彼の状態が以前とは「何か」が違うと、彼以外の全員にもわかっていた。明らかに目の色や顔つきが、前のティグランとは違ってしまっている。
「全員、手を上げて俺の言うとおりにしろ。マスターがあんたらをどうするつもりかは知らんが、運がよければ記憶だけ消されて地上に戻されるチャンスがあるかもしれん。とにかく、死にたくなければ、そこのリリスに通じるサブコンピューターから離れろ!磁気嵐なんぞ起こした時には……おまえら全員、ここから生きて出ていけると思うなよ」
「ティグラン、おまえ……」
 両手を上げた状態で、一歩近づこうとするメロに対して、ティグランはまた発砲した。ワルサーP99が火を吹き、メロの頬をかすめる。
「メロ!!」
 ほとんど同時に、ルーとラスが悲鳴に近い声を上げる。
「おっと、外したか。どうやらコイツは、おまえのことが憎くて憎くてたまらないらしいんでな……冥土の土産におまえのことだけでも殺してやろうかと思ったが、女にもてもてとあっちゃ、生かしておいてやったほうがいいのかな?」
「……おまえは、一体だれだ?ティグランはどうした?」
 頬の血を拭って睨み返すメロに対して、<ティグラン>は軽く肩を竦めてよこす。まるで、そんな奴は知らないとでも言いたげな仕種だった。
「頭の悪い馬鹿なおまえらのために、一応説明しておいてやるとするか。俺はいわゆるコンピューターでいうところの、人格変換プログラムだ。おまえらがまだアメリカのロサンジェルスにいた時……こいつはそこのルーって女に振られて落ちこんでたんだ。しかも、メロっていう恋仇の奴がいる家に、仲間の全員がしょっちゅう出入りしてるとあっちゃ、孤独を感じずにはいられまい?そこで、こいつひとりがサンタモニカの別荘にいた時に――ちょいと脳味噌をいじらせてもらったというわけさ。俺の名前は、正式にはメフィストフェレスだ。この人格変換プログラムの名称が『メフィストフェレス-プログラム』っていうんでな、マスターや<天使>たちにはメフィストって仮の名前で呼ばれてるのさ……こいつは、言ってみればエデンの連中の十八番のやり方でな、どこの組織にもひとりくらい、誰かに恨みの気持ちや裏切りの誘惑に負けそうな奴ってのは存在するもんだ。そいつの頭の中に、言ってみれば二重人格になるように<俺>というプログラムを組みこんでおく。すると、そいつの負の気持ちが少しでも頭をもたげた時に、俺はそこを<入口>にして外へ出てくるという、そんなわけだ。だがまあ、マスターは非常にお心の広いお方なもので――もし、このティグランって奴にしろ、他の誰にしろ、自分の憎しみやら恨みっていう感情に打ち勝つことが出来たとすれば、<俺>という存在はその時点で消滅することになってる。だがこいつは、いつまでも女々しくそこのルーって女に執着し、その恋仇であるメロって奴にも、しつこく嫉妬し続けてたってわけだ」
「……………!!」
全員がティグラン――いや、メフィスト――の説明に固唾を飲んで聞き入っていると、不意に先ほどまで何もなかった空間が、シュッ!という音とともに突然開いた。そこからひとりの、髪の長いブロンドの女性が現れる。<彼女>はガブリエル♯2026だった。
「よくやりました、メフィスト。そこの坊やが電磁波を操れるとわかって以来……ルシフェル・ナンバーは近づくことが出来ないと判断し、わたしたちはあなたにすべてを賭けることにしたんですよ。あなたはかつてより願っていたとおり、我々の仲間として復活することができます。もっとも、プログラムを組み換える過程で、それ以前の記憶のようなものはすべて、一度消去されるということになりますけどね」
 朗々とした歌うような女の声に、メロは無意識のうちにもどこか、逆らえないものを感じた。そうだ――確かワタリが言っていたが、<彼女>たちは、人間が催眠状態に陥りやすい、もっとも心地好い音声で話すよう、プログラムされているのだ。
「はい。身にあまる栄誉にあずかれて、わたしも嬉しゅう存じます」恭しく頭を垂れながら、メフィストが言う。「して、この者らの扱いは、いかがいたしましょう?」
「まず、そこの邪魔な坊やをおまえが殺しなさい。そうすれば、他の者のことはどうにでも出来ます」
「御意」と答えるなり、なんのためらいもなく、メフィストはワルサーP99を今度は、ラファに向けて発砲しようとした。そして、彼を庇うため、バッ!とメロがその間に入ろうとする。
「きゃああああっ!!」
 ルーはその光景が見ていられずに、思わず目を覆った。自分の幼馴染みが初恋の相手を殺す……そんな残酷な場面を、彼女は正視していることが出来なかった。そして次の瞬間にルーが目を開けた時、そこには頭から血を流す、彼女にとっても他の仲間にとってもかけがえのない者の死体が転がっていたのだった。



【2008/09/27 01:06 】
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