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探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(5)
   探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(5)

          Side:N

 ESスターはその後、何事もなくフィレンツェ駅を通過した。そしてここで、11輌あった車輌は七輌編成となり、乗客も600名から約320名ほどに減ったのだった。
(カイ・ハザードが何かを仕掛けてくるとしたら、フィレンツェ-ヴェネチア間だ。車掌や乗務員の身元なども一応洗ってみたが、とりあえずおかしなところはない……もし仮にカイ・ハザードが車掌か運転士に催眠術をかけていたとしたら、この列車が暴走して事故を起こす可能性はもちろんある。だが、探偵のドヌーヴひとりを消すために、彼がそこまでする可能性は低い。何故なら本当のドヌーヴがどんな人間かを知っているのは、Lとワタリにメロ、それに今ここにいるジェバンニとリドナーくらいのものだからだ。つまり、間違いなく本人が乗っていると確認できない状況下で、そこまでの惨事を彼が起こすとは思えない)
 電車のハイジャックにしても、論理は同じことだった。もしドヌーヴのダミーがESスターに乗っていて、「自分がドヌーヴだ」と名乗りでたとしよう。そして彼がカイ・ハザードの部下に殺された場合、単にダミーが無駄死にしただけで、カイ・ハザードはその時点で組織内での面子を失うはずだった。となれば、<絶対にこの人間がロジェ・ドヌーヴだ>という間違いのない『確認』をとる必要があるというわけだ――そしてそのことを前提としてもっとも想定されうるのが<誘拐>だった。
(ということは、可能性としてこの列車内では何も起きないということも考えられないことではない……だが、面白いものを見せてやると言った以上、絶対に<何か>があるはず。それが一体なんなのか……)
 ニアは窓際に人形を何体も並べながらそう考え続けた。そしてその時、すぐそばで「キャ―――ッ!!」と女性の叫ぶ声がしたのだった。
「様子を見てきます!」そう言ってすぐにコンパートメントから飛びだすリドナーとジェバンニ……彼らが通路に出てみると、そこには苦しみながらもがく女性の姿があった。
「しっかりして!!」
 リドナーが二十七、八歳くらいの女性の体を抱えこむ。だが、彼女はすでに事切れていた。急いで心臓マッサージをするものの、彼女の呼吸は戻らず、瞳孔の開いた瞳を閉じるより他はなかった。
「リドナー、何が原因ですか?」
 ジェバンニが列車にアナウンスを流してもらうと、一等席に医師がいることがわかり、すぐに駆けつけてもらった。ニアこと探偵のドヌーヴは、隣のコンパートメントの乗客が死んだにも関わらず、顔色ひとつ変えるどころか、その場から動きもしない。
 だが、リドナーは窓際に並ぶ指人形のうちの一体が――首をもがれた状況で転がっているのを見た。無駄に人の命がひとつ奪われたことに対する義憤、それが二アにそんな行動をとらせたのだろうと、少なくともリドナーはそう感じていた。
「医師の話では、毒物を飲んだ可能性が高いのではないかということでした。それも状況から察するに即効性の……彼女が倒れる前に飲んでいたジュースは、もちろん鑑識にまわすために保存しましたし、他の座席に座っていた三人の乗客にはそれぞれ、別の座席に移動してもらって、今ジェバンニが詳しい話を聞いているところです」
 コンパートメント(個室)、というと仲のいい人間同士が予約してとる座席、というイメージが強いが、ESスターの車内では見ず知らずの者同士が和気あいあいと席を取りあっていてもそうおかしくはない。ニアとジェバンニとリドナーのいるコンパーメントの隣――座席番号は三号車の53~56――も、四人とも知らない者同士で、旅の目的など、ずっと仲良く世間話をしていたという。
「彼女、ヴェネチアへは観光で行くんだって言ってたわ。ロンドンから来たって言ってて、仕事は何をしているかとか、そんなことまでは聞かなかったけど……同じ座席にいた他の三人は生粋のローマっ子で、ヴェネチアへは仕事で行くところだってわけ」
 会話を録音しても構わないと三人が言ったので、ジェバンニは職務質問や事情聴取などをした後、そのICレコーダーをニアに渡した。一通り聞いたあと、PCを開いてローマの官公庁にある裏データバンクにアクセスする。もちろんこれは探偵ドヌーヴ独自の裏技ともいうべきもので、暗証番号などのパスワードやコードを持っていればこそ出来ることだった。二アは三人の言っていることに嘘はないか、また犯罪歴はないか、勤務先に偽りがないか等、詳しく調べてみたが、特に不審なところは見当たらないように思った。死んだロンドン出身のイギリス人、メラニー・デイヴィスは二十六歳の既婚女性で、夫とは別居中であることまではわかっている……だが、ニアの目から見ても、他の誰の目から見ても、彼女は<普通の人>のように見えた。なんの変哲もない観光目的の一時的な異邦人、そんなところだろう。
 ちなみに、彼女がトイレなどで席を立ったことが二度ほどあったという。一応科学捜査の初歩として、リドナーが女子トイレを調べてみたが、特に不審な物などは見つからなかった。それと、重要な証拠品として、メラニー・デイヴィスのバッグなどの所持品を調べ、また携帯の履歴も洗ってみた。番号から察するに、そのうちのほとんどがロンドン市内かイギリス国内のものばかりだ。彼女が殺されたとすれば、誰に・どんな方法で……ということに当然なるが、死因等については検死の結果を待たなければ、今の段階で正確なことは何もわからない。
「デイヴィスさんの死体は、隣のコンパートメントに一時的に安置させてもらうことにしました。ヴェネチアに到着次第、鉄道警察のほうが乗りこんでくる形になるでしょう……そちらへは、車掌のほうから連絡をとってもらうことにしました」
「そうですか」と、リドナーの報告に対して答え、ニアはPCを閉じた。もちろんこのこと――いわば探偵ドヌーヴの失態――について、彼には<L>に対して報告義務があった。だが、今の段階ではこれといった物証もなく、高速列車という密閉された空間にいる以上、警察機関の詳しい捜査を待つ以外にはない身の上である。ニアは窓際に並ぶ指人形の首を、もう一体もぎとった。
「これは、偶然ではありませんよね?」と、ジェバンニが憂鬱顔のニアに対して声をかける。「あの招待状に書かれていた<見せたいもの>っていうのは、つまりこういうことだったんでしょうか?もしそうなら……」
「また死人がでる、ということに……」
 ジェバンニの後を引き取って、リドナーがそう言った。ふたりとも、今後のことについてニアの指示を待っているのが窺える。彼らは確かに優秀で行動力もあったが、少しばかり独創性に欠けるところがある、そうニアは上司として認識していた。リドナーもジェバンニも、ともにIQは150以上もあるのだが……普通の人の平均IQが90~110くらいであることを思えば、これは間違いなく高い数値だろう。リドナーはハーバード大学を卒業する時にCIAへスカウトされ、ジェバンニはポリス・アカデミーへ通ったのち、FBIへ抜擢されたという、いわばエリートといっていいふたりではある。だが<エリート>としてある意味真っ直ぐな道を進んできただけに――ニアは彼らには何かが欠けていると感じていた。もちろん、自分より『上』の人間に対して示すリドナーとジェバンニの忠誠心には満足していたけれど。
「おそらく、またなんらかの形で殺人が行われ、死者がでる可能性が高いと思われます……手をこまねいてまた殺人が行われるのを黙って見過ごすわけにもいきませんが、相手はおそらくこのゲームを楽しんでいるのでしょう。メラニー・デイヴィスが催眠術にかけられており、ある一定の時間に自ら毒物を飲んで死んだという可能性もないわけではありません。もちろん彼女は、<殺し屋ギルド>などという組織となんの関係もない一般人である可能性が高い。ですが、向こうが列車内で起きる殺人を『ゲーム』として楽しんでいるとすれば……何か手がかりとなるヒントを残しているはずなんです。少なくとも、わたしがカイ・ハザードの立場ならそうします。あとで、推理となるヒントを残してやったにも関わらず、それを見つけだせなかったことを嘲笑うために……」
「それはまた、随分陰湿ですね」と、ジェバンニ。
「ええ、陰湿です。そして陰湿な人間のことは、同じタイプの人間が一番よくわかる……」
「えっと、僕はその、ニアのことを陰湿と言ったわけでは……」ジェバンニは髪の毛をかきながら笑ってみせたが、ニアに拗ねたような目で睨まれて、思わず席を立った。
「えーと、僕その、列車内の見回りをしてきます。車掌さんや乗務員の方にも不審な人物や不審物を見かけたらすぐ連絡するよう言ってはあるんですが……当然彼らは銃を携帯してるわけじゃありませんし、何かあった場合すぐ動けるのは、こういう時、訓練された人間だけだと思うので……」
「そうですね。よろしくお願いします」と、ニアは形式的に言った。殺人事件の起きた列車内に警察機関の身分証を持つ人間がふたりも乗りこんでいて、ろくに見回りもしなかったというのでは、対面が悪すぎる。だが、ニアはジェバンニがいくら車内を見回ったところで――くだらないオチのサスペンス・ドラマよろしく、彼が殺人現場に居合わせたりすることはないだろうと思っていた。せいぜい言って、死体を見つけることはあったにしても……もし、カイ・ハザードの催眠術にかかっている人間が乗車していて、自ら死を選ぶなり、殺人を犯すなりしているのであれば――それは止めようがないということだ。
(それとも、<催眠術>にそう拘る必要はないのだろうか……誰かに怨恨を持つ人間を乗車させて、その相手を殺させたりといったことは、可能性としてありえなくはない。カイ・ハザードがああした<招待状>まで送ってきた以上、第二の殺人が起きる可能性は極めて高いと言えるだろう。ヴェネチアへ到着するまであと約二時間……何も起きなければいいとは思うが、このまま済むとも思えない。なんとか、相手の裏をかいて、出し抜くことはできないか……)
「こんなことをする相手の目的は一体なんなんでしょう?死んだメラニー・デイヴィスは、こう言っては語弊があるかもしれませんが、夫と別居中の普通の一般人です。ただ、娘の親権を夫に奪われそうなので、これから会えるのは月に一度か二度だと洩らしていたそうですが……」
「そうですか。まあ、わたしの考えでは、彼女はなんの罪もない一般人であればこそ殺されたということですね。そしてわたしがコンパートメントの一等席に必ず座席を取るということも当然予測していたでしょう。そのためにこそ、コンパートメントの一等席はひとつだけ空いていたんです。そしてすぐ隣のコンパーメントで死者がでる――探偵のロジェ・ドヌーヴは自分の目と鼻の先で死人がでるのを防げなかったとなる……ここまではおそらくカイ・ハザードのシナリオどおりに事が進んでいると見ていいでしょう。医者の話では、何か強い毒物を口に含んだのではないかということでした。もちろんまだ断定はできませんが、メラニー・デイヴィスの病歴等をカルテで調べたかぎりにおいて、彼女は心臓病といった持病は何も持ち合わせていない……ということは……」
「まさか……」と、リドナーが言いかけた時、コンパートメントのドアをジェバンニが乱暴に開けて飛びこんできた。
「二ア、今度は6号車でふたり、また死者がでました!メラニー・デイヴィスと同じく、突然苦しみだして通路に倒れたそうです!」
「……で、それは何番の座席に座っている人ですか?」
「え、えーと、16番と43番の座席に座る人間ですが……今度はふたりともイタリア人で男性です。名前がアレッサンドロ・フランチェスキーニ、年齢は45歳、職業は靴職人。そしてもうひとりが……」
「わかりました!次に死人がでるとしたら、7号車の15番と24番、33番、42番、51番の座席に座る人間です!」ニアの瞳は何故か、いつもと違って輝いていた。「ジェバンニ、リドナー、その座席に座る人間を念入りに調べてください。それと必ずバッグや所持品を調べて、中に毒性のある薬物がないかどうかを確認するんです」
「は、はい……」
 ジェバンニはニアのいつもとは様子の違う、生き生きとした顔つきにやや面食らっていた。だがリドナーは軽く肩を竦めて微笑むだけである――推理のパズルが解ける瞬間しか、このお子さまは人生が楽しくないということを、彼女は部下としてよく知っていた。





【2008/04/10 12:02 】
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探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(4)
   探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(4)

          Side:M

 メロはラクロス・ラスティスを追って、フランスはパリ――リュクサンブール公園の近くにある、アパルトマンに滞在していた。ニューヨークのケネディ国際空港からラスティスがパリのシャルル・ド・ゴール空港へ到着した時――そのロビーには、アンドレ・マジードと思われる男が迎えにきており、ラスティスは彼とドイツ語でずっと何かを話している様子だった。
 もちろんメロは、英語と同じくらい流暢にドイツ語もフランス語も話すことができたわけだが――いかんせん、距離的な問題により彼らが何を話しているかまでは、はっきりとはわからなかった。唇の動きを読むのはもちろん容易いが、あまりじっと見つめてばかりいると、向こうに尾行しているのがわかる怖れがある。
 アンドレ・マジードは、五十三歳の傭兵稼業を生業としている男だった――ー応、表向きは。裏の顔は紛争解決屋とでもいえばいいのか、とにかく世界中の戦争の現場へ顔をだし、テロリストとも色々な深いネットワークを持つ人物として知られている。
 当然、アメリカのCIAなどからも重要人物としてマークされており、彼がネゴシエイターとして間に入って解決した問題があまりに多いことから、今回のイラク戦争でも彼は随分活躍の場を与えられていた。まず、テロリストと底の深い太いパイプを持つことができているのは、彼がアラブ系の血を引いた、イスラム教徒だからだろうと言われている……他に、傭兵としてベトナム戦争やフォークランド紛争、ユーゴの内紛などに参戦した経歴も持ち合わせている。メロは空港で彼の浅黒い、皺の深く刻まれた精悍な顔を見るなり――(一筋縄ではいかない相手だ)と、すぐに直感した。
 おそらく、生身で戦ったとすれば良くて五分、悪ければマジードのほうが圧倒的な強さでもってメロのことをねじ伏せるだろう……その上、ラスティスは炎を操るという超能力を持っている。メロはラスティスとイラクで一度顔を合わせているということもあり、尾行していることを絶対に勘づかれるわけにはいかなかった。
 メロにとってこの時一番幸いだったのは、アンドレ・マジードがすぐにラスティスのそばを離れたことだろうか。彼はリュクサンブール公園にあるアパルトマンまでラスティスのことを案内すると、その後パリから姿を消してしまった。マギー・マクブライド大佐の話によれば、ディキンスン少将にラスティスのことを紹介したのもマジードらしい……となれば、考えられることはただひとつ。戦争の残酷さというものを知り尽くしている平和主義者のマジードは、<超能力>によって世界平和を実現したいと考えているのではないだろうか?
 メロがそうLへ報告すると、マジードの今後の動きについては、<F>に調査を続行するよう命じるつもりだと、すぐに返事がきた。Fというのはおもにワタリの下について、色々と辺鄙なところで仕事をしている<L>の部下のひとりである。メロやニアのようにコイルやドヌーヴといった探偵の称号は持たないまでも、とても優秀な捜査員だと聞いている(メロ自身に直接の面識はないのだが)。
(さてと、どうしたもんかな)と、メロはアパートの窓から、ラスティスのいる一階の窓を眺めた。フランス式にいえば一階というのは、この場合二階のことだったわけだが――メロは彼女の住むアパートA棟の向かい側にあるB棟の二階に居を定めることができていた。それは幸運な偶然とも呼ぶべきもので、メロのいる部屋からは、A棟の人の出入りなどが丸見えだった。ラスティスはまず、朝の五時にバイクに乗ってパン屋へいき――焼き立てのパンを買ってきたようだった。そのあと、十時にまたバイクに乗って今度はルーヴル美術館へ。ダ・ヴィンチの『モナリザ』やフェルメールの『レースを編む女』など、ゆっくり鑑賞したのち、マルシェ(市場)で買物をして帰宅……。
 ラスティスの部屋は、ずっとカーテンを閉めっぱなしにしてあるので、中の様子はもちろんわからない。メロにわかるのは、せいぜい彼女の住む部屋の間取りくらいだった。B棟の三階の部屋を契約した時、A棟の間取りについて、コンシェルジュ(管理人)にそれとなく聞いてみたのだ。家具付きの2部屋ある室内で、メロのいるB棟よりも広く快適だとの話だった……メロのいる部屋は同じく2フロアあるのだが、家具は付いていない。A棟より家賃は安いものの、本当にここにずっと住むつもりならば、家中の修繕がまずは必要な感じのする部屋だった。
 まあ、なんにしても今メロにとって一番有難いのは、ラスティスの乗っているバイクのある場所が丸見えなことだろうか。彼女は移動にバイクを使うことが多いので、ほんの短い間目を離さざるを得ないことがあっても――バイクがあれば、彼女は部屋にいると考えて良さそうだった。
 そしてその翌日のこと……メロはC棟に住むコンシェルジュとラスティスが、アパートの前で何かを話しこんでいることに気づいた。何分、メロはイラクで一度顔を見られているため、ここは慎重を期する必要がもちろんあったのだが――虎穴に入らずんば虎子を得ず、の精神で、彼はふたりに何気なく近づいていった。
 アパートの管理人は、年金暮らしの年寄りで、少し耳が遠かった。その上ラスティスはあまりフランス語が流暢に話せないらしい……メロはここぞとばかり、彼女に近づいて「エクスキューゼ・モワ」と思いきって声をかけた。イラクで会った時のメロと、今のメロでは髪型など雰囲気が少し違っていたし――他人の空似として、何も気づかれないことを、彼は心から願った。
 最初の印象で、メロはラスティスが何も気づいていないらしいと感じ、ほっとして話の間にどんどん割りこんでいった。ようするに、彼女の部屋の水道の蛇口が壊れたので、修理を頼むにはどうしたらいいかということらしかった。管理人のギエム老人は、それならいいプロンビエ(配管工)を紹介しようと言ったが、メロは自分がただで直してやろうとラスティスにアピールした。
 ギエム老人はふたりの男女の間に恋の兆しを見てとったらしく、その後すぐに姿を消してしまったけれど――なんにしても、こうしてメロはラスティスに一歩近づくことができたというわけだ。




【2008/04/09 16:55 】
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探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(3)
   探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(3)

          Side:N

 ローマのカバリエリ・ヒルトン・ホテルに一泊した翌日――ニアとリドナー、そしてジェバンニは、19:18発のヴェネチア行きESスターに乗るべく、テルミニ駅の構内に立っていた。一日に48万人の利用客がいるというだけあって、人通りも多く、どの場所からなんという列車が出るのか、三人とも皆目見当がつかない。
 もちろん、ジェバンニが駅の案内人に聞いて、そのへんのことは事なきを得たのだが――ESスターの一等車輌に三人が並んで座った時、ニアは窓に映る自分の顔を、無表情に睨みつけていた。
 何しろ、あの<招待状>には、19:18発としか書かれてはいないのだ。そしてきのうの19:18のESスターはすべて満席――ぎりぎりまでキャンセルが出ないかどうか張ってはいたものの、結局空きは出なかった。そして今日の夕刻、6:00頃に突然、40席もの空きが出た。これはどう考えても偶然とは思えない……ニアはそう思っていた。駅員の話では、ある団体客が突然キャンセルしたとのことだったが、これはおそらく<操作>されたものと考えるべきだろう。
 もちろんすでに、ジェバンニとリドナーがそのへんのことを調べてあった。キャンセルしたのは、ミラノに本社のある証券会社だった。だが、その会社に所属する人間40名のひとりひとりを当たったところで――おそらく<殺し屋ギルド>との繋がりは一切出てこないだろう……それでも、もしその証券会社と<殺し屋ギルド>に繋がりがあったとすればずっと上層部のほうだ。上からの命令で40席分を予約、そして後にキャンセル……ジェバンニがコンピューターで予約日時と乗る予定だった全員の名簿を二アに見せたが、彼はそれを一瞥するに留めておいた。もちろん、データのほうは保存しておくよう、彼に言い渡しておく。
「その、ニア……申し訳ないのですが」と、リドナーがひとり用の座席に座るニアに、こっそりと耳打ちする。「出来れば席を、代わっていただけないでしょうか」
 ESスターの一等車の車内は、片方の窓際に一席、そしてもう片方にふたり用の座席があるという具合だった。つまり三人は、ニアがひとり用の席に、そしてジェバンニとリドナーがふたり用の座席に並んで座っていたわけだ。
 二アは、ジェバンニが窓際の席で鼻歌を歌いながらPCを操作している姿を見て、(そういうことですか)とすぐに合点がいった。
「わたしも、彼の隣は嫌ですね」
 そう小声で囁くように言ったあと、ニアはロボットを手にしたまま席から立ち上がり、オカルト好きの部下にこう声をかけた。
「すみませんがジェバンニ、席を代わってください。わたしは今後のことで少し、リドナーに話があるものですから」
 ジェバンニはすぐにノートパソコンを閉じると、別段機嫌を悪くしたふうでもなく、自分の上司の言うとおりにした。
「これでいいですか?」
 二アはそう言って窓際の席へ先に座った。そして通路側のリドナーが「助かります」と微妙な表情をして言ったのを見て、軽く肩を竦める――おそらく、もしあのまま席順が替えられなかった場合、列車が発車して20分後には、ジェバンニ特有のオカルト話がはじまり、リドナーは未確認飛行物体がどうの、イースター島のモアイ像がどうの、イギリスのミステリーサークルの正体がどうのといった話につきあわなければならなかっただろう……となると、この場合考えられうるベストな席順はこれ以外にないということになる。
 やがて19:18になり、ESスターが無事発車することになった。ニアは、列車の一定の速度を感じはじめると、多少まずい、と考えはじめていた。何故なら――いわゆる1/fの揺らぎに近い心地好さを自分が感じていることを、はっきり自覚してしまったからだ。
 1/fの揺らぎとは、規則正しい音と、ランダムで規則性がない音との中間の音で、人に快適感を与えると言われるものだ。例として上げられるのは、人の心拍の感覚、蝋燭の炎の揺れ、電車の音、木漏れ日、アルファ波、小川のせせらぐ音……などである。ニアは、このまま自分がヴェネチアまで行く間に――約4時間半ほどだが――非常に催眠術にかかりやすい状態になるであろうことがはっきりとわかっていた。かといって、今のこの状況の場合、それを防ぐ手立てはないように思われる。では、どうすべきか……。
 二アはまず、きのうヒルトンホテルで調べておいた、ESスターの座席表をもう一度チェックした。全部で11輌編成で、1~4車輌までが一等車、そして5号車が食堂車、6~11車輌までが8号車を除いて二等車である(8号車は一等席であり、また三等席や自由席といったものは存在しない)。途中、フィレンツェで停まる以外は、真っ直ぐヴェネチアへ最高速度300kmで走るわけだが――その間、この密室の棺桶とも言うべき車内は、車掌などの乗務員を合わせて、全員で約600名ほどである……果たして、この中の誰かが催眠術にかかっていて自分を殺そうとする、などという事態が起こりうるものだろうか?
(確かにまったく不可能ではないが……カイ・ハザードも、よもやわたしが単身でこの高速列車に乗りこむとは思っていないだろう。それでも、キャンセル待ちをして後から乗りこんだ人間の中に探偵のドヌーヴがいるとなる……今のこの状況では、わたしが部下を数人しか連れていないのは向こうにも明らかだ。もしわたしが奴で、催眠術を使って人を操るとしたら……)
 ニアは、列車案内のパンフレットを見ながら、地図上の、フィレンツェのある場所を指さした。
(フィレンツェに到着するのが20:58分。ここで、多くの人間が降り、そしてまた多くの人間が乗車して入れ替わる……もしわたしがカイ・ハザードで催眠術を使って人を操れるとしたらどうするか……)
「すみませんがリドナー。早速仕事にとりかかってもらえますか?ジェバンニとふたりで、ユーロポール(ヨーロッパ警察)の身分証を見せ、車掌や乗務員に服を貸してもらってください。その上で、今現在このユーロスターの車内に不審な人物がいないかどうかをチェックし、また誰がフィレンツェで降りて、その後どのくらいの人間がフィレンツェからヴェネチアへ向かうのか、座席表や乗客名簿の資料などを貰ってきてください」
「わかりました」
 リドナーはすぐに立ち上がって車掌室のある車輌へ向かったが――車掌室はニアたちのいる一等席のすぐ隣である――ジェバンニは何か言いたそうな顔をして、立ち尽くしたままでいた。
「ジェバンニ、どうかしましたか?パソコンのほうは、そのままそこに置いていってください。これからLに報告がてら、メールで色々話をする予定なので」
「はい……その、ニア。先ほど思ったのですが、電車のこの一定の揺れのような、眠気を催す感覚――これは人間が催眠術にかかるのにちょうどいい条件が揃っているということなのではないでしょうか。なんとなく、そのことが心配で……」
「なるほど。わたしもまったく同じことを考えていました。ジェバンニとリドナーに乗務員として働いてもらうのは実は――その予防のためでもあるんですよ。忙しく立ち働いていれば、じっと座席に座っているよりは催眠術にかかりにくいと思うんです……まあ、カイ・ハザード本人がこの車輌のどこかにいる場合、そんなことをしても無意味でしょうけどね。とりあえず、わたしの考えではカイ・ハザード本人はこの列車のどこにもいないものと考えます。おそらく、彼の顔写真がこちらに渡っていることも彼の組織の人間は知っているでしょう。2002年度の世界チェスチャンピオン――その人間が怪しいと、ドヌーヴは一応形式的に、ユーロポールの上層部に報告する必要があった……まるで捜査が進んでいないというのであれば、オカルト探偵の名折れですからね。でも、その直後にあの<招待状>が届いたということは、すでにユーロポールの上層部内に、<殺し屋ギルド>の人間がいるということなんです。ちなみにここはイタリアですが、このイタリア・マフィアを牛耳るボスも、元は<殺し屋ギルド>の人間であり、そのマフィアと癒着のある人間が選挙で選ばれて大統領になってるんです……これは善も悪もない、そういう戦いなんですよ。どうかそのことを頭に入れて、捜査には当たってください」
「はい、わかりました」
 ニアは、ジェバンニからパソコンを受け取ると、早速Lへ一通のメールを送った。大体内容としては、以下のような文面である――今、ニア自身がジェバンニに言ったことに加えて、カイ・ハザードがこの車内にいないと自分が考える根拠について。つまり、相手は<面白いものを見せてやる>と言っているわけだから、ヴェネチア行きのこの4時間半の旅において、何か大きな事件を起こしてやると言っているに等しいわけだ。となると、もし仮にこのユーロスターETR500の車内にカイ・ハザードがいた場合、かなりまずいことになる。何故なら、もしローマ―フィレンツェ間で何か事件があった場合には、この車輌は一度フィレンツェ駅で停められて、鉄道警察の御厄介にならなければならない。そうなると顔も割れているカイ・ハザードは催眠術などいくら使おうとも誰かに捕まる公算が非常に高い。他に<攻撃系>の超能力を持つ仲間がいるにしても――そんな派手なことまでして逃げる可能性はまずないと言っていいだろう。つまり、残りの可能性として考えられるのは、催眠術の<遠隔操作>とも呼ぶべきものと、電車のハイジャック、あるいはフィレンツェ―ヴェネチア間で誰かが死ぬなり殺されるかなりする……ということだ。ニアの考える、カイ・ハザードの<見せたいもの>とは、そんなところだろうと見当をつけるが、それに対する<L>の考えを聞きたい、とニアはメールに書いて送った。

<なかなかいい読みだと思います。
 その方向で推理を進めてみてください……それと、カイ・ハザードの『見せたいもの』という物言いには、『自分の能力を見せつけたい』という意味もこめられている可能性があります。おそらく二アがいる車内で起きる事件は、我々が考える範疇を越えた、突拍子もないものと予想されます。それだけにどうか、くれぐれも気をつけてください。

 L >

 メールの言葉数が少ないということは、それだけニアの推理とLの推理の予想が重なり合っているということを意味している。だが、ニアはそのノートパソコンの画面を見ながら溜息を着いた。万一、自分が敵の手に落ちないとも限らないので、今書いた自分の文章もLからのメールも削除し、履歴等辿られないようすべてのデータを消去しておく必要がある。今回の事件で自分は常に後手後手に回っているということを、ニアは自覚していた――カイ・ハザード本人を挙げられる可能性は何%くらいかと、もしLに聞かれたとすれば、ニアは素直に15%くらいだと答えただろう。
(だが、やるべきことをすべてやっておくことによって、最悪のシナリオを回避できる可能性はそれだけ上がるということだ……)
 ニアがそう考え、次の一手を打つべく指人形セットを窓際に並べていると――ひとりは写真を見て作ったカイ・ハザード、もうひとりは同じくラクロス・ラスティスだった――茶色の女性乗務員服を着たリドナーが、車内販売の車を押してやってくるところだった。
「なかなか似合ってますね、リドナー」
 そう声をかけると、リドナーは「ありがとうございます」と、一礼していた。そしてスナックや飲み物の積まれたワゴンの中から、サンドイッチとコーヒー牛乳を取り出している。
「少しは、何か食べておいたほうがいいと思います。いやいやながらでも胃に入れておけば、それが結局エネルギーになるわけですから……」
「そうですね。リドナーは美人ですから、変に馴々しいイタリア男には、くれぐれも注意してください。前にも言ったと思いますが、催眠術師の中には目を見ただけで暗示にかけられる者、また声のトーンや手の仕種などによって催眠に陥れる者などがいます。なんにせよ、しつこく繰り返し話しかけてくるような人間には、注意してください……向こうには、我々の面は割れていないでしょうが、キャンセル待ちをして座席を獲得したことにより、ほとんど確定されたも同然ですから」
「そうですね。気をつけたいと思います」
 リドナーがいなくなると、今度は車掌とふたり組みになって、ジェバンニが検札を始めたのが見えた。茶色の乗務員服を着て、同色のネクタイを締めたジェバンニは、なかなか様になっているように思える。
「これが乗客のリストです」
 二アのすぐ隣までくると、ジェバンニは小声でそう言って、一冊のファイルを置いていった。きのうの段階ですでに、ある程度の段取りはふたりに説明してあった――リドナーとジェバンニは、この車輌に乗りこんだ可能性のある、凶悪な犯罪者を追っているという設定だ。そのための車内捜査に協力して欲しい……おそらくそれだけでこのユーロスターの全車輌を預かる車掌は納得したに違いない。ジェバンニとリドナーが持つ身分証は本物なので、仮に当局に問い合わせてもらったところで、何も差し障りはないのだから。
 二アは、一等車から二等車までの名簿に目を通しながら、特別そこからわかることはないようだと判断した。そこに並ぶ多くの名前がイタリア人の姓であり、イタリア人に特有の名前だった。国籍がイタリアではない人間のチェックと、フィレンツェで降りる乗客のチェックはもちろん行ったが――それより、フィレンツェからこのユーロスターが7輌編成になることのほうに、ニアはより注目した。つまり、現在8車輌目から後ろの四車輌がフィレンツェ駅で切り離されるのだ。またそのあとの車内は、あちこちに人の隙間が出来るということもわかった……さて、このことをどう捉えるべきなのか?
(やはり、わたしがカイ・ハザードであるならば、事を起こすとすればフィレンツェ―ヴェネチア間だ。仮にもし電車のハイジャックということを考えるとすれば……)
 二アは、ラクロス・ラスティスの後ろ姿をメロの指人形に追わせると、自分はカイ・ハザードの指人形を左の人差し指にはめた。そして残りの4本指に、彼の部下と思しき顔のわからぬ<?>と書かれた黒い指人形をはめる。果たして自分なら、その部下にこの密閉された車内で何をさせるか……。
 電車のハイジャックというのは、飛行機やバスと違って分が悪いと一般に認識されている。何故なら、電車という乗り物がレールの上を走る以上、行き着く先が極めて限定されてしまうからだ。しかし、探偵のロジェ・ドヌーヴが自ら投降し、射殺されるならば、それ以外の人員を全員助けようと犯人が呼びかけたとすればどうだろう?その設定でいくとすれば、ニアは自ら名乗りでる以外ないということになる……。
 だが、果たしてカイ・ハザードの目的は単に探偵のロジェ・ドヌーヴの殺害だけなのだろうか?もしそうだとすれば、今ここにニアが座っている時点で、突然誰かがサイレンサー付きの銃を胸元から取りだし、イタリアのマフィアよろしく射殺すればいいだけのことである。
(例の<招待状>には、ヴェネチアまで辿り着いたら『もっと面白いものを見せてやる』と書いてあった……ということは、それまで奴はわたしのことを生かしておくということに……)
 さらに二アがいくつか仮説を立てていると、一通り車内を点検してまわったらしいジェバンニとリドナーが戻ってきた。流石に制服姿のふたりとそのまま話をしていたのでは目立ちすぎる……そう思ったニアは、三車輌目にあるコンパートメントの座席にふたりと移動した。
 一応、座席は一般席とコンパートメントの両方とってあった。最初に一等車の一般席にニアがいたのは、車内の雰囲気をそれとなく知るためだった。そしてコンパートメントのほうはプライバシーを守れる反面、個室であるため、いつ何が起きてもおかしくないというリスクがより高かったせいでもある。
「特に、不審な人物というのは見当たらなかったように思います」
「そうね。せいぜい言ってしつこくナンパしようとした男が三人いたっていうことくらいかしら」
 肩を竦めて溜息を着いているリドナーに向かって、ニアは自分の指人形をはめた人差し指を曲げてみせる。
「それは、どんな男でしたか?」
「三人とも、ちょい悪風の典型的なイタリア男といった雰囲気でした。ひとりがナポリ出身で、後のふたりがミラノ出身だという話でしたが……」
「なるほど。現代のカサノヴァといった感じのする男というわけですか。ところで、座席の番号などはわかりますか?」
「8号車のNo,63、64、65に座っている男でしたが……」
「それでは、おそらくフィレンツェで降りますね。可能性はゼロではないにせよ、その男たちはただのナンパ目的でリドナーに声をかけてきたと判断して良いでしょう」
 ニアの淡々とした物言いに、思わずジェバンニがプッと笑い声を洩らしている。
「ジェバンニ、一体何がおかしいんですか?」
「い、いえ、なんでも……」
 どこなくムッとした顔をした二アに、ジェバンニはそう答える。彼の上司の年齢は現在、彼と一回り以上下の16歳――つまり、一般的に言えば、異性に興味を持って彼自身こそが女の子をナンパしてなんらおかしくない年齢なのだ。それなのに、ただ淡々と美人はナンパされやすいだのと状況を分析し、年頃の女の子にはまったく興味がないといった様子の彼が――ジェバンニはおかしくて仕方なかった。
「そのー、ニアはどんな女性がタイプなんですか?こんな探偵なんていう仕事をしてずっと引きこもってばかりいたら……特に出会いのようなものもないでしょうし、そうなると一生結婚もしないつもりなんですか?」
「それはまた随分プライヴェートな質問ですね」と、ニアは、また自分の指人形をはめた人差し指を曲げている。「わたしは結婚とか、そんな安っぽいことに興味はないんです……もっとも、わたし以上に忙しくて女性に縁遠かった人が結婚したので、この先自分の人生がどうなるのかなんて、予測はできませんが」
「そうですねえ」と、リドナーが相槌を打っている。「本当に、人生なんてわからないですから……ジェバンニも、人のことより自分の心配をしたら?」
「えっと、それは……」
 ジェバンニは思わず口ごもった。自分にもし運命の人がいたとすれば――それは他でもない目の前にいるあなたです……とは、今のこの状況では、口が裂けても言えないジェバンニなのだった。



【2008/04/08 18:33 】
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探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(2)
   探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(2)

          Side:M

 ラクロス・ラスティスが、ニューヨークのLが宿泊しているホテルまでやってきたのは、深夜0時過ぎのことだった。軍内部での書類上の手続き等で少し時間をとらされたらしい。
 本当は彼女が泊まろうとしていたのは、ウォルドーフ・ホテルだったのだが、メアリ・トゥールーズに頼んで、そこのところはうまく変更してもらった。トゥールーズが衣服に盗聴マイクをつけているため、メロとLには彼女たちの会話がすべて丸聞こえとなっている。だが、ラスティス本人が盗聴器の存在に気づいているはずもないのに、彼女は言葉の少ない反応しか返すことはなく、肝心なところは何もわからないままだった。
(Lはまず、彼女がどんな女性なのかを知りたいと言っていた……つまり、たまたま不幸にも超能力を得てしまったという以外、他は普通の17歳と何も変わらない少女なのかどうかとか、そうしたことを知りたいのだと。バグダッドの土産物屋で会った時、ラスティスはスカーフを何枚かとネックレスを買っていた……おそらくあれは自分のためというより、他の<仲間>にイラク土産を買っていたのではないだろうか……)
 ラクロス・ラスティスがホテルの前でタクシーを降り、メアリ・トゥールーズが部屋まで送ろうとすると、彼女はそれを丁重に断っていた。
『いえ、ここまでで本当に結構ですから。次の任務の指令は、またマジードを通して、わたしには絶対に直接連絡をとろうとしないでください。そこのところだけ、よろしくお願いします』
『……任務、ご苦労さまでした』
 メアリ・トゥールーズこと、ルイス・ヒューイット――それが彼女の本名だった――CIA諜報員は、ホテルのロビーから出ていくふりをして、女性トイレへ向かった。そこからフロントの様子を窺いつつ、ラスティスが鍵を受けとり、エレベーターへ向かうのを見届ける。
「こちら、RH12523919。今そちらへ目標人物が向かいました。おそらく部屋番号を変更することなく、そのまま2011号室へ向かうものと思われます……彼女の能力からいって、今この場で捕獲するのは不可能と思われますが、Lは一体どうするおつもりなんですか?」
『今、この場で彼女をどうこうしようとはまったく考えていません。敵を知るためには、まずわたしは相手の性格などをプロファイリングにかけます。今度のイラクの任務では、彼女の本意ではないにせよ、怪我人や火傷をした人も多く出た……そのことを彼女がどう感じているのか、そこをまずは知りたいです。あとのことはまあ、それからですね』
 非人間的な音声を耳にしたルイスは、軽く肩を竦めた。これが世界のL……それにしては随分悠長なことを言っているな、というのがルイスの感想だった。
『あと、この会話はメロのほうにも聞こえていますが、彼に何か伝えたいことがあれば、どうぞ』
「……べつに、特にないわね。ただ、彼女の能力を甘くみないこと、ただそれだけかしら。それとL、もし<盾>が必要になったら――またわたしのことを思いだしてくれると嬉しいわ。結婚しても、パートでならあなたの下で働くのも悪くないってそう思ってるから」
『そうですか……ありがとうございます。マクブライド大佐のお許しがあれば、いつか仕事のほうをお願いするかもしれません』
「ええ。それじゃあ……」
 ルイスは携帯電話を切ると、表に待たせておいたタクシーへ乗りこみ、ブルックリンへ向かった。そこに親戚のひとりが住んでいるので、今日はウィリアムズバーグにいるその親戚の家へ泊まる予定だった。
ディキンスン少将は、まるで彼女の<裏切り>を予期していたとでもいうように何も言わなかったが――それでも正直いって、長年世話になっただけに気が咎めるものがないわけではない。
(もしマギーと結婚しないなら)と、深夜料金の加算されたタクシーのメーターを見ながら彼女は思う。(Lと軍部の二重スパイになることを考えないわけじゃないけど……あの坊やがいる以上、それは無理だわね。まあ、言ってみれば今が潮時ということ……)
 ルイスは、ブルックリン橋から、ニューヨークの美しい夜景を眺めながら、あの坊やが将来好きになる女の子は、どんな雰囲気の女性なのだろうと想像し、くすりと笑った。
 メロは後にも先にも、彼女の誘いを断った、ただひとりの男だったから……。

「L、ラスティスが隣の部屋に入ったのを確認した。電話はもちろんのこと、寝室やバスルームにも盗聴器を仕掛けてある……おそらくこれから、なんらかの形で<仲間>の誰かと連絡をとりあうはずだ。俺はこのままここで、彼女の動きを見張る。もしかしたら、念には念を入れた形で、向こうが突然ホテルから姿を隠すかもわからない……何か動きがあり次第、また連絡する」
『わかりました』
 Lとの通信を終えると、メロはいくつもの盗聴器から聞こえる音のみに神経を集中させた。このホテルは、ワタリが会長を務める、ワイミー財団の子会社の持ち物だ。ゆえに、特定のホテルの部屋を押さえた上、そこに盗聴器を仕掛けることなど造作もないことだった。
 Lは最上階のスイートにおり、メロはその三つ下の部屋――20階の2010号室で、すぐ隣の部屋の様子を窺っていたというわけだ。
 ジィー、と何かファスナーを下ろすような音が聞こえ、どさりとソファの上にそれが落ちる音が聞こえる。おそらく着衣を脱いで、無造作に放ったのだろう……次に、バスルームから蛇口をひねる音やシャワーのお湯が流れる音が聞こえる。もちろんあまりいい趣味とは正直いえないが、このホテルのバスルームは広いので、そこで彼女が仲間と電話をしないとも限らなかった。
 そして次に、彼女がシャワーを終えて、冷蔵庫を開く音……栓を抜く音がしたということは、ワインかシャンパンでも開けたのだろうか?その後5分間ほど、TVからの音声が流れていたが、すぐにそれも消える。おそらく彼女の興味を引くような映像や情報がひとつもなかったためだろう。
 監視カメラは設置されていないが、それでもメロには、彼女が今どこでどんなふうにしているか、目に浮かぶようにはっきりとわかった。イラクからアメリカまで、飛行機で七時間半ほど……さらにまたすぐニューヨークへ移動してきたことを思えば、相当疲れているはずだ。普通に考えれば、あとはもうベッドに潜りこんでぐっすり休む、そんなところだろう。
 だが、彼女はその後もじっと何かを<待つ>ように、寝室へは向かわなかった。そのままソファで眠ってしまったのかとも思われたが、そのわりには時々、物音がする。
『こういう時に限って、マジードは連絡が遅いんだから……』
 その独り言からは、彼女が内心イライラしていることが読みとれた。さっさと仕事上の連絡を終えて眠りたいが、相手から電話がかかってこないことには、それもままならないということなのだろうか?
 そして、彼女のその独り言から、当然メロとLは(しめた)と思っていたわけだが――その後、二十分ほどして、電話が鳴った。携帯ではなく、ホテルの室内用の電話である。このこともまた、Lとメロには当然重要なことだった。電話に盗聴器を仕掛けてあるので、向こうのマジードとかいう男の話す声も、はっきり聞きとれるからだ。
『……連絡が遅れてすまなかった。で、どうだった?イラクは?』
『べつに……どうもこうもないわよ。暑さと血と、それから砂――他には何もないわ。それより、カイやみんなはどうしてるの?ヴェルディーユ博士は、これからわたしたちの能力を各国に大金で売るつもりなんでしょうけど――そんな無茶なことってないわ。わたしはいつ死んでもいいにしても、みんなのことだけは絶対に守ってみせる。マジードだって本当はわかってるんでしょ?お父さまが亡くなってからのヴェルディーユ博士は、なんだか人が変わったみたいで……ねえ、アンドレ。聞いてるの?』
『ああ、もちろん聞いてるさ』と、どこかザラつくような耳障りの声で、マジードは言った。『これからおまえはフランスのパリへ行け。ヴェルディーユ博士からは、そこで暫く待機してるようにと言われてる。カイは<例の件>の後始末が終わるまで、おまえとは会えない……残念だが、そういうことだ』
『彼がどこに行ったのかについては、教えてもらえないってわけ?まあ、いいわ……ロジェ・ドヌーヴなんて探偵、カイの相手になるとも思えない。なんだったら、わたしが代わりに殺したっていいのよ。イラクでの任務も無事終わったことだし……』
『あまり力を使いすぎるな。それと、薬のほうはきちんと飲んでいるんだろうな?先ほどおまえは「いつ死んでもいい」と言ったが――そんなことを口にするのもやめろ。少なくとも俺の前でだけは言うな。わかったな?』
『……わかったわ』
 ふたりが話している会話は、ドイツ語だった。その後ラスティスとマジードは、フランスのパリで落ち合う約束をし――電話は切れた。これでかなり多くの判断材料を得たLは、メロに今夜はもう眠ってもいいと指示を出した。明日、午後の便でラスティスはアメリカからフランスへ飛ぶ……メロにはその彼女の後を尾行するという重要な任務があった。
 ホテルの警備室のモニターが映しているのと同じ映像がLの元にもあるため、彼女が突然外出したとしても、Lにはチェックが十分可能なのである。
(非常に興味深い情報をふたりの会話から頂きました……何より、ラスティスの英語には強いドイツ訛りがある。かねてより、<殺し屋ギルド>の本拠地はドイツにあるのではないかとわたしは思っていましたが、これから色々、面白いことになりそうです……)
『その、L……ニアから連絡はあったか?』
メロが通信を切る前に、ポツリとそんなことをためらいがちに聞いた。
「気になりますか?ニアは今、ローマにいます……明日の夜には、ESスターに乗ってヴェネチアへ向かうそうですよ。正直、わたしは反対したんですが、今のラスティスとマジードの会話で、少なくとも想定されうる<最悪のパターン>ではないとも考えました。カイ・ハザードはおそらく、単身で動いている可能性が高い……部下がいるにしても、そう多くはないでしょう。<例の件>の後始末というのは、ユーロ紙幣原版盗難のこと――その事件を追っている探偵のドヌーヴを始末するという意味なんでしょうが……ラスティスとマジードの話す言葉のニュアンスから、奇妙な印象をメロは受けませんでしたか?」
『奇妙って……まあ、ふたりとも流暢なドイツ語を話すなっていうことくらいしか……』
「そうですね。その点も非常に重要ですが、それだけではなく――彼らは他でもないユーロ紙幣の原版を盗みだしたほどの大悪党なんですよ?確かに、事が露見しても彼らの能力を持ってすれば口封じなどはいくらでも可能でしょう。ですが、彼らはロジェ・ドヌーヴの抹殺を<例の件の後始末>と言いました……ユーロ紙幣の原版を盗んで偽札を量産することなどは、大変な重犯罪であるにも関わらず――彼らはそれを『非常に重要な任務』といったようなニュアンスでは語らなかった……大したこともない<後始末>だと。このことはとても重要です。まるで、そんな簡単なことはカイ・ハザードという催眠術師ひとりで十分事足りる……そう言っているようにわたしには思えました。それと、ヴェルディーユ博士には、父親がいる、そして父親を亡くしてからの彼(あるいは彼女)は様子がおかしい、この点も興味深いですね。もしかしたら、彼らが犯罪の闇の世界ではなく、表の舞台へ今出てこようとしているのは――そのことに大きな鍵があるのかもしれません……」
『そうだな。それからもうひとつ気にかかることがある――あのマジードという男が言っ
ていた<薬>という言葉……どうやら、奴らの超能力は万能じゃないらしいっていうことだ。俺が昔読んだことのあるその手の小説じゃあ、超能力には<代償>がつきものだった。たとえば、念動力などの特殊な力が使えるかわりに、早く老いて死ぬとか、そういった類のことだ。奴らもおそらく<薬>で超能力を開発するか、それとも超能力を操ることに伴う副作用を薬で抑えるとか、何かそういうことをしてるんだろう。いわば、その点はあいつらのウィークポイントとも言えるな……』
「メロはいつも、話が早くて助かります」
 感心したようなLの物言いに、メロは一瞬肩を竦めて、通信を切った。明日の午後にフランスへ発つために、今日はもう自分も少し眠っておかなければならない。そして、ラスティスとマジードという男の会話を反芻していて、メロはまた心に引っ掛かるものがあった。
『わたしはいつ死んでもいい――でも、みんなのことはわたしが必ず守ってみせる』
<みんな>というのはもちろん、超能力開発研究所にいる他のみんな、といったような意味だろうと推察される。だが、彼女の言葉の中にはどこか、刹那的かつ絶望的な響きがあるように、メロは感じとっていた。
 それが何故なのかは――これからメロが彼女を追う過程で、明らかになることだったけれど。

(あと、五年だな……)
 Lは、メロが考えていたのと同じことを思いながら、あるひとつの計画を立てていた。
 ジョージ・サイラス大統領には、これから自分が八方手を尽くして、一年後にある選挙で再選してもらう予定でいた。また、もしも彼が自分を頼るなら、正しい政策決定を出せるようにアドヴァイスしてもいいと考えてもいる。それこそ、ファースト・レディのナンシー夫人が言っていたように、<L>の考えをサイラス大統領に自分の考えのように錯覚させるのは、Lにとって造作もないことだった。
ただそれは、カルロ・ラウレンティス枢機卿が行っていたような催眠術とはまったく違う――その結果としてアメリカという大国を民主主義の正しい道筋に戻すことができるのも重要だが、何よりも<L>は自分の命が惜しかった。つまり、脆弱な<正義>などというもののために、これからアメリカに手を貸そうというのではなく、命根性の汚さから、やむなくアメリカの大統領に国を建て直すため、手を貸そうというのだった。
(このままいけばわたしも、いつかはカルロ・ラウレンティス枢機卿のようにならなければならないだろう――もっとも、わたしの場合は首をはねられるのではなく、脳をいじくりまわされたあとで、クローン人間として再生されるといったところだろうが……)
 果たして<K>が『殺し屋ギルド』と呼ばれる超能力者集団をこれからどうするつもりなのか、Lには皆目見当がつかなかった。ワタリの言ったとおり、「自然淘汰」と称して抹殺しようとするのが、可能性として一番近いにしても……。
(Kはあくまでも気まぐれだからな。むしろ逆に超能力者の<超能力>というものを面白がらないとも限らない……その場合はKが『殺し屋ギルド』と組むことになり、わたしに勝ち目は一切ないということになる)
 出来ることなら、この謎の超能力者軍団と手を組みたいとLは思うが、何しろ向こうはすでにニアことロジェ・ドヌーヴを抹殺すべく動いているのだ。果たして、どうしたものか……。
 Lは、すっかり冷えたコーヒーに角砂糖をぎっしり詰め込むと、思案に耽った。アメリカの大統領と懇意にして、その権限を最大に活用できそうなのが、あと約5年――Lは、ジョージ・サイラスがもう一期大統領を務められるように、歴史を動かすつもりでいた――その期間にKと必ず決着つける……もちろん、優秀な助手のメロとニアがいるとはいえ、これからは今まで以上に忙しくなるだろう。それこそ寝る間を惜しんで働かなくてはならない。
 Lは、隣のリヴィングから、コトリ、と何か物音がしたのを聞きつけて、ビロード張りの椅子から立ち上がると、そちらへ向かった。朝の午前四時過ぎ――ラケルがトイレにでも起きたのだろうかと彼は思った。
 だが、そうではなく、コトリ、と物音がしたのは、棚に飾ってあったテディベアが床に落ちた音だったらしい。Lはその真っ白な熊のぬいぐるみを見て、微かに笑った。それはラケルがどことなくニアに似ていると言って、某デパートで買った代物だったからである。
 そしてLは、そのぬいぐるみを手に持ったまま、ラケルの寝ているベッドの縁に腰掛けた。彼女は今日もまた、よだれを垂らしてぐっすり眠っている。
 Lが5年でKとの決着を、と思うのは、自分の命が大切であるのと同時に、<生命倫理>というものを守りたいためでもあるのだが――他にもうひとつ、と今彼は思う。
(守りたいものが増えたんですよね……なんとも厄介なことではありますが。でも、これから死ぬほど忙しくなるのが目に見えているだけに――仮に5年でKを追い詰めることが出来たにせよ、その時彼女がわたしに愛想をつかして、どこかに去ってないといいのですが……)
「ロクローさんの牧場で、イーアイイーアイオー……♪」
「!!!」
 人は、寝言でも歌を歌うことが出来るのか……そのことに軽い衝撃を覚えたLは、さらにじっと、ラケルの顔に見入った。
(六郎というのは、一体どこの誰なんでしょうか。多少気になりますね……歌のほうの英詞は確か、マクドナルドじいさんの牧場にはたくさん家畜がいるといった内容のものだったと思いますが……)
「ラケルは、六郎さんの牧場で何をしているのですか?まさかとは思いますが、イヤイヤながら働かされているのでしょうか……」
 それにしても意味不明の寝言の多い人だ、そう思いながらLはラケルの眠る隣にテディベアを置いて、また仕事に戻っていった。




【2008/04/07 15:14 】
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探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(1)
   探偵N・ヴェネチア編(前編)~ユーロスター連続殺人事件~(1)

 「ジェバンニ、リドナー、どう思いますか?」
 ロジェ・ドヌーヴこと、ニアはそう呟き、パリ十六区にある本拠地のアパート――実際には彼ら三人以外、誰も住んでいない――の一室で、モーターカーを走らせた。これは彼の手作りで、当然複雑なレールの部分も彼のお手製だった。
「例の招待状のことですか?」と、リドナー。彼女はCIAの優秀なケース・オフィサーで、ある事件がきっかけで<L>と知り合った。その後、任務の失敗が原因で組織内にいずらくなっていたところをLに拾われたと、そういうわけだった。
「ロジェ・ドヌーヴ=N、ということを知っている人間は、ほとんどいないことを考えると……情報が洩れたとすれば、ユーロポールの上層部じゃないでしょうか?<殺し屋ギルド>は、ヨーロッパ中のあらゆる警察機関と癒着関係にあるという噂は、あながち嘘ではないということなのでは……」
「そうですね……」と、ニアは片手でモーターカーを走らせつつ、もう片方の手では、くるくると髪の毛を巻きとっている。「ジェバンニはどう思いますか?これは明らかに敵方の罠と考え、万端の準備をして我々はユーロスターに乗りこまなければなりませんが……差し当たり、何か策のようなものはあると思いますか?」
「策、と言っても……」ジェバンニは言葉を濁らせた。自分の直属の上司であるニアにもし策がないとすれば、自分にあろうはずもない、彼はそう思った。「招待状には、ユーロスターイタリアの、19:18分発のものに乗れと書かれているだけです。そうすれば面白
いものが見れると……そしてヴェネチアに無事辿り着ければ、さらに面白いものを見せてやろうと言っています。これが一体何を意味するのか……」
「そうですね」
 ニアはもう一度、カイ・ハザードという男から送られてきた、例の<招待状>をスクリーン上で読み返した。パリ十六区にある高級住宅街の片隅に、探偵ロジェ・ドヌーヴが本拠地としているアパルトマンがあるわけだが、そこは本当にまわりの住宅地や風景に溶けこんだ、なんということもない白塗りの建物だった。一見してみると、大きな庭つきの一軒家のように見えるが、アールヌーボー調の銅製の門をくぐると、いくつものドアがその家についていることがわかる。そこで初めて人は、ここが個人の住まいではなく、アパートであることを認識するのだった。
 三階建ての建物は、フランス式にいえば三階がジェバンニとリドナーの私室兼仕事部屋、一階のすべてが、ニアの私室兼おもちゃ部屋、そして今三人がいる二階中央にある部屋が――モニタールームとなっていた。そして今ニアは、その部屋――百以上も液晶画面の並んだモニタールームで、カイ・ハザードが送ってきた招待状を読んでいたのだった。

『探偵ロジェ・ドヌーヴ殿
 貴殿におかれましては、ご機嫌麗しくあらせられることでしょう……この度は、我々の開催するパーティへ出席していただきたく、この招待状を送付させていただきました。
 もし貴殿に我々主催のパーティへご出席願えるなら、19:18発のESスターでヴェネチアまでお越しください。さすれば面白いものが見られますゆえ……また、ヴェネチアへお越しの際には、もっと面白いものを拝見できるものと、期待しておいていただきたい……その我々が<見せたいもの>にきっとあなた様が興味を抱かれることを、心から期待しております。

                                                χ・ハザード』

 ESスターというのはもちろん、ユーロスターイタリアのことである。時刻表を調べてみたところ、確かに19:18発のものがある。しかしながら、その時間の便はすでに満席であることもわかっていた……ニアは(何かある)と直感しつつ、プラチナブロンドの髪をくるくると巻きとった。
(カイという自分の名前を、あえてχと表示していることに、何か意味はあるのか……χというのは、キリストの頭文字だが、救世主を気どって自分たちの超能力で世界を救おうとでも考えているのだろうか……?)
「この<我々主催のパーティ>というところが、なんとなく気になります」と、リドナーがスクリーン上のその箇所に、赤い線を引きながら指摘した。「少なくとも、敵はひとりではないということ……<L>から聞いたとおり、仮にもし敵の頭目が十二名いた場合、この青年はそのうちのひとりということですよね。さらに他に、最低でも十一人何か特殊な力を持つ人間がいた場合……ESスターという密室空間にこのままのこのこ乗りこむのは危険だといえます。わたしが考えるに、おそらく発車時刻より少し前に座席がいくつかあくものと思われますが……その<密室>という空間を利用して、彼らは邪魔な探偵のロジェ・ドヌーヴを消そうとしている、そう考えるのが妥当ではないでしょうか」
「まったくそのとおりですが、この場合はまあ、危険を承知であえて乗りこむ必要があると、わたしはそう考えています。ただ、その危険にあなたたちまで巻きこむのはどうかとも思いますので、怖ければここに残ってくれて結構ですよ」
「いや、でも……しかし……」と、ジェバンニが言葉を濁らせていると、リドナーが先にきっぱりと言った。
「わたしはニアについていきます。<L>には、CIAという組織で、居心地が悪くなっていたところを救ってもらったという恩がありますから。そしてその<L>がわたしにニアの護衛と助手という役を任せてくれた以上――いただいている給料並みの働きはしたいと思っています」
「そうですか。でも、相手は超能力者ですよ?なんでも、イラクで特殊任務についていた女性は、発火能力を持っていて、自在に炎を操れるという話でした……アメリカ陸軍が彼女に五百万ドルもの大金を支払った以上、その能力は本物と考えて間違いないでしょう。このユーロスターのヴェネチア行きは、言うなれば死の列車――下手をすれば我々を待ち受けるのは<死>以外の何ものでもありません。その覚悟があるなら、ジェバンニもついてきてください」
「はい、もちろん……あの、でもちょっとドキドキしますよね。超能力者なんて……僕、実は結構そういう話好きなんですよ。スティーブン・キングの『キャリー』とか『ファイア・スターター』とか。確か『X-ファイル』にも自然発火現象の話がありましたよね?そういう力を持つ人のことを、パイロキネシスって言うんでしたっけ?」
 なおもオカルト現象について、うんちくを語ろうとするジェバンニのことは無視して、リドナーは早速部屋を出ると、旅仕度をはじめた。この奇妙な職場で働きはじめて、一年近くになる――ニアは十六歳の少年とは思えないくらい優秀であり、自分の上司として申し分ないと彼女は考えていたが、一緒に働いている同僚――ステファン・ジェバンニには、正直いって辟易していた。彼は超のつくオカルトマニアで、口を開けば『ナスカの地上絵』の謎がどうの、『イギリスのストーンヘンジ』がどうの、果てには妖精は本当にいると思うかと、真顔で自分に訊ねてくる始末だったからだ。
「妖精はね、この世に妖精なんかいない!って誰かが叫ぶと、死んでしまうんだそうよ」
 と、その時リドナーは答えていたが、それが失敗だった。以来、ジェバンニはリドナーのことをオカルトのロマンがわかる人間として認識し、色々一方的に話をするようになっていたからだ。
(まあ、ドヌーヴがオカルト探偵なんだから、仕方ないといえば、仕方ないのかもしれないけど)
 リドナーは2フロアある広い室内で、スーツケースに必要なものをすべて詰めこむと、エレベーターで二階へ上がっていった。偶然そこで、同じように旅仕度のすんだ同僚と一緒になり、片手にコート、片手にスーツケースを持った格好で、同時に乗りこむ形となる。
(あーあ、ジェバンニも顔だけは結構いいのにねえ)と、リドナーは溜息を着きたくなった。最初にニアから彼のことを紹介された時、「ちょっといいな」と思ったけれど、それはのちに彼女の中で「口さえ開かなければいい男」というように評価が変わっていた。
「あの、謎の超能力者集団なんて、なんだか冗談みたいな話ですけど……でも、安心してください。リドナーとニアのことは、僕が命に代えてもお守りしますから!!」
「…………………」
 あらそう、と軽蔑したように言いかけて、リドナーはやめた。彼の際限のないオカルト話にはうんざりさせられるけれど、こういう時、年下の男っていうのも悪くないかなと、ちょっとだけ思うリドナーなのだった。

「……どちらが先に、<殺し屋ギルド>とやらの十二番目の首領に辿り着くことになるのか――競争ですね」
 百以上ものモニターが並ぶ、無機質な部屋で、ニアは誰かと話をしていたようだった。おそらくLかワタリ……というようにリドナーは見当をつけていたが、ニアが話をしていたのはメロだった。
「では、行くとしますか」と、キャスターのついた椅子からニアは無造作に立ち上がっている。その片手にあるのは、お気に入りのロボットだった。なんでもその昔、<L>がプレゼントしてくれたものらしい。
「あの、外は寒いですよ」ジェバンニがまるで、保父さんのように心配顔をして言う。「それに、いつも着てるその服はパジャマっぽいですから……何か他の服に着替えたほうが」
「すみませんが、ジェバンニ。わたしはこの服以外のデザインのものを着ると、推理力が40%減です。そういうわけで、このまま行くことにします」
 そうですか、とジェバンニが聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。リドナーは思わず笑いそうになったが、なんとかこらえた。
「大丈夫ですよ。どうせタクシーに乗っていくんですから……ドゴール空港から、ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へ移動し、そして例のESスターに空席が出るのを待つ……ホテルはどこか適当に良さそうなところを予約しておいてください。最上級のスイートで構いませんから」
「わかりました」と、リドナーは実務的に答え、ジェバンニはふたり分のスーツケースを持って先に下へおりた。タクシーがきたら、まずはそれをトランクに積みこまなければならない。
 ニアは探偵ロジェ・ドヌーヴの本拠地に、ぬかりなく何重もの電子ロックをかけ――そもそもこのアパルトマンはどの部屋も、指紋と声紋と網膜照合が一致しなければ入れないようになっている――リドナーとともにエレベーターへ乗りこんだ。一見してみると若いお母さんとその息子、というように見えないこともないが、リドナーはニアの精神年齢を百歳であると思っていたし、そういう意味では年配の人間に対するのと同じような尊敬の気持ちを彼に持っていたといえる。そして彼がこの時、エレベーターの中で意味深な発言をしたのを、彼女はその後もずっと忘れずに覚えていた。
「もしかしたらここへは、もう戻ってこれないかもしれませんね……」
(え?)とリドナーが思ったその時、エレベーターが開いた。エントランスホールのワンサイドミラーの向こう側には、一台のタクシーがワイパーを回転させながら待っている。
 秋の冷たい雨の中を、ニアは自分で歩いてタクシーに乗りこみ、ぎゅっと合金のロボットを胸に抱いた。
(L……もしかしたらわたしは、今回の戦いで死ぬかもしれません。それでも、あなたの役に立てるような情報を残せればいいのですが……)
 ニアにとって死ぬということは、少なくとも最悪のシナリオではない。自分の残したものの中から、おそらく<L>が何かを得、<殺し屋ギルド>のことを壊滅へ追いやってくれるだろうからだ。だが、有益な情報を何も残せないというだけでなく、催眠術師の罠に落ち、自分が<L>について知っている情報を洗いざらい話してしまう可能性がないとは言えない……。
(あの時、通信に出たのがメロでよかった。そうじゃなければおそらくLが――ロジェ・ドヌーヴとしてESスターへ乗りこもうとしていただろう。何故Lがロジェ・ドヌーヴをオカルト探偵として立てたのかには、諸説あるようだが……インターネット上のドヌーヴのサイトには、ある仕掛けがある。その仕掛けを解いた者だけが、ドヌーヴに正式に依頼ができるようになっていて、他のサイト上のデータはすべて上辺のものでしかない。そしてLがもっとも情報として欲しているのが未確認飛行物体――ー般にUFOと呼ばれている存在の情報だ。何故Lがそんな情報ばかりを欲しがるのか、最初は不思議だったけれど……あともう少しでLの真の目的を知ることができそうな今になって、死ぬかもしれないとは。最悪、このロボットの中に仕込んである爆弾を爆破させ、わたしの頭の中にあるデータの流出だけは何があっても防がなくてはならない……)
 シャルル・ド・ゴール空港へ到着すると、ニアは、搭乗手続き等をすべてジェバンニに任せ、空港のロビーでリドナーとともにローマ行きの飛行機の出発時刻を待った。パスポート等にはニアの本当の名前は記載されていない。それはリドナーやジェバンニも同様で、そのくらいのことをしても警察に捕まらない権威が<L>にあるということだった。
 シャルル・ド・ゴール空港からローマのフィウミチーノ国際空港まで、約二時間……ニアはエール・フランスの機上から、アルプス山脈を眺めながら、考えごとを続けた。スチュワーデスが持ってきた飲み物に少しだけ口をつけるが、それ以外は何も食べなかった。
「ニア、昼食がまだでしたよね。少しくらい何か胃に入れておいたほうが……」
「いえ、わたしはいいです。遠慮なく、ふたりだけで食べてください」
 ファーストクラスの座席から、隣のふたりにニアはそう声をかけた。もともと彼は偏食で、一日の食事の摂取量が極端に少ない。時々リドナーとジェバンニは、それなのにどこから彼の頭脳を回転させる力が湧いてくるのかと不思議になるくらいだった。だが、食べたくないというものを無理に食べさせるわけにもいかず……彼が本当に何かを<食べたい>という時には、それこそ最上級のものをと、ふたりは心掛けているのだった。
 ニアには、Lやメロのように甘いものやチョコレートといった、何か特定の食べ物に対する執着はない。ラケルが彼に食事を作っていた時も、彼はすべてのものをちょっとだけ食べては、残りをほとんど返して寄こした。好きな食べものや嫌いなものを聞かれても、「特にありません」としか答えないニアに、ラケルはなんとかバランスのとれた食事をさせようと考え――そして最終的に成功したのが<お子様ランチ>だった。
 チキンライスの上に小さなイギリス国旗が立っているのを見た時、ニアは(よくわかったな)と、正直そう感じた。残念ながら、ファミレスでついてくるようなおもちゃまではなかったけれど、その時初めてニアはラケルという女性に対して(思ったより、馬鹿ではないらしい)と考えをあらためることにしたのだった。
 お子様ランチというものは、実は結構手間のかかるメニューである。色々な種類のものをちょっとずつ、トレイの上に用意しなければならないからだ。だが、ニアは「本当に美味しいものをちょっとずつ」食べるのが好きだったので、ラケルの作るお子様ランチは珍しく完食した。その時彼女が泣いて喜んでいるのを見て、ニアが困惑したのは言うまでもない。
(Lと一年近くも一緒にいてなんともないということは……この先もおそらく彼女はLとうまくやっていけるということなんでしょうね)と、ニアは暇つぶしにつまらないクロスワードパズルを解きながら、軽く溜息を着いた。Lから、「わたしたちは結婚することにしました」と聞かされた時、ニアは一体なんの冗談だろうと思ったものだ。自分とメロの馬鹿げたゲームをやめさせるための口実としか思わなかったし、Lとラケルの間に男女間の恋愛感情がないことなどは、端で見ていても明らかだったからだ。
(Lは一体、どんな魔法を彼女に対して使ったんでしょうね)クロスワードの空欄を、フランス語で埋めていきながら、ニアは考える。ラケルが、政治・哲学・経済学担当のワイミーズハウスの教師のひとり――ケンブリッジ卒のアンダーウッドという男から、プロポーズされていたのをニアは知っていた。そのことについて軽く探りを入れると、ラケルは「彼はいい人すぎるから」というようなことを言った。その基準でいくと、Lは「あまりよくない人だから良かった」ということになるのではないだろうか?なんにせよ、たかだかケンブリッジ卒の二流の馬鹿にラケルをとられるくらいなら、少なくとも自分が<上>であると認める相手――Lと彼女がくっついていたほうがまだしもいい、そうニアは思っているのだけれど。
(最後に彼女に会ったのは、半年ほど前のことになりますが、その時彼女は幸せそうでした……まあ、ラケルのことはLに任せておけばいいとして、わたしは……)
 自分が死なないための最良の策を練らなければならない、そう考えながらニアは、イタリア・ローマのフィウミチーノ空港――別名レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港へと降り立ったのだった。



 
【2008/04/05 16:51 】
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