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探偵L・ロシア編~モスクワの祈り~、第Ⅰ章 ノルド・オスト
 探偵L・ロシア編~モスクワの祈り~

       第Ⅰ章 ノルド・オスト

 ――その時Lは、東京の帝東ホテルの一室にいた。部屋は寝室や応接室などを入れて五室あり、全部で約270㎡。一泊170万円もするスイートルームだった。Lとしては何も特にスイートルームというものに拘りはない。ただ単にセキュリティ上の理由から、結局のところ最高級といわれる部屋に泊まらざるをえないという、ただそれだけのことだった。
 それと自分は一応新婚らしいので、奥さんに多少気を遣ったという部分もあることにはあったのかもしれない――と思わないこともないけれど、結局ひとりであったとしても、同じスイートに泊まったであろうことはほぼ間違いなかったといっていい。
(まあ、そんなことはどうでもいいか。この人の反応を見るのも結構面白いし……)
 ラケルは口を半開きにしたまま、きょろきょろと壁にかかるイタリア人画家の抽象画や、サイドボードの上のブロンズの女神像、地球儀の形をした時計、大きなボトルシップ、キャビネットの中に飾られた薔薇のプリザーブドフラワーなどを次々と眺めやっている。壁紙はウィリアム・モリスで、カーテンはラケルの好きなローラ・アシュレイのものだった。広い浴室には猫脚つきのバスタブが置いてあって、その隣にはサウナまで完備されている……まさに至れり尽くせりといったところ。寝室のベッドは六人の人間が並んで眠れそうな広さの上、ロマンチックなことには天蓋つきで、そこから絹のカーテンがかかっているのだった。
「……何してるんですか?」
 奇妙な動物の行動を観察するような目つきをしていたLは、ラケルが突然屈みこんで、絨毯を撫ではじめたのを怪訝に思った。
「これ、ペルシャ絨毯なのかしら……なんか肌ざわりがシルクっぽくて、踏むのがもったいないような……」
「あなたも動物みたいに四つん這いになってないで、少しは落ち着いたらどうですか。そこに敷いてるのは確かにペルシャ絨毯で、日本で普通に買ったとしたら、大体百五十万円くらいする代物だと思います。あなたの言うとおりシルクで織ってあって、とても高価なものなんじゃないでしょうか」
「えっ、百五十万円!?」ラケルは驚いたように飛びすさると、幾何学的な薔薇の模様が織りこまれた絨毯から足を離し、さらには自分の足の裏を初めて見るもののように何度か交互に眺めている。
「靴下、新しいのに取り替えたほうがいいかしら……」
(やれやれ)と溜息を着きつつLは、フロントに電話をかけてコーヒーと紅茶を頼んだ。お菓子ならウェルカム・チョコレートがクリスタルの鉢に山盛りになっていたので、必要ないと思った。
「ラケル、エミール・ガレのランプに惚れぼれするのも結構ですが、ちょっとそこに座ってわたしの話を聞いてもらえませんか」
「えっ!?やっぱりそうなの!?なんかガレっぽいなとは思ったんだけど、もしかして本物……ど、どどどうしよう……もし間違って壊しちゃったりなんかしたら……」
 ルームサーヴィスのボーイが微笑とも苦笑ともつかないような笑みを洩らして、テーブルの上に紅茶とコーヒーを運んでいく。Lは一瞬チップを渡すことを考えたが、ここは日本だったかと思い直した。
「それではごゆっくり、お寛ぎくださいませ」
 若いボーイの青年は、入ってきた時と同様、優雅な仕種でワゴンを引き、静かに部屋を出ていった。Lはソファから立ち上がると、後ろのラケルのことを振り返り、まるで自分の話を聞いていない彼女の隣まで歩いていく。
「あのう、人の話聞いてるんですか、あなたはさっきから……」
「ねえねえ、そっちに飾ってある絵、ミュシャでしょ?あれも本物なのかなあ。だとしたら本当に凄いね、帝東ホテル」
 Lは(駄目だ、全然聞いてない)と諦めることにし、ラケルが指さした先――アルフォンス・ミュシャの『夏』という絵のリトグラフのほうを見た。
「いや、この絵はレプリカですよ。下のほうに鉛筆書きで1/160とあるでしょう?たぶんリトグラフの生産数が160枚で、これはそのうちの一枚だという意味なんだと思います。おそらくは、ですけどね……たぶんミュシャの絵のこのタイプのものは大体40万円くらいでしょう。でもこれをどこかの画廊に売り払っても、せいぜいニ、三万円くらいでしか引きとってもらえないんじゃないかと思いますが」
「ふうん。Lってほんとに物知りさんなのね。あなたに知らないことってないんじゃない?」
 ラケルはミュシャの絵が偽物と聞いても全然がっかりするようなこともなく、『夏』という題に象徴されたひとりの美しい女性のことを静かに見上げている。
「そんなことはないと思います。わたしは知っていることについては知っていますが、知らないことについてはまったく知りませんから」
「まあ、それはそうかもしれないけど」
 ラケルはくすりと笑うと、Lがジーパンのポケットに手をつっこんで、ソファに腰かけるのを見守った。彼の椅子の腰かけ方は独特で、何度見ても見飽きないものがあるのが不思議だと彼女は思っていた。もっともLのほうはLのほうで、(どうしてこの人はホテルを変わるたびに、こう新鮮なリアクションをするのだろう……)と、不思議でならなかったのだけれど。

「……だから、ですね。メロとニアと一緒に暮らしていた時みたいに、いちいち家計簿なんてつけなくていいんじゃないかとわたしは思いますよ。もしわたしがラケルの持っているカードの使用状況を知りたいと思ったら――パソコンで問い合わせればすぐにわかりますしね。前にも言ったかと思いますが、そのカードには使用金額に制限がありませんから、もし仮にあなたが1000万でフェラーリを買いたくなったら買えますし、トランザムやアルファロメオが欲しいと思ったら買えます。そういうことでいいんじゃないでしょうか」
「……………」
(上に着てる長Tシャツが無印良品で、下のジーパンがユニクロっていう人にそんなこと言われてもまるで説得力ないと思うんだけど)
 そう思いつつラケルは、テーブルの上に乗った黒いカードをじっと見つめた。どうもゴールドカードよりランクが上のカードらしいのだが、色が黒いせいか、どう見てもラケルには悪魔のカードのようにしか思われない。
「あの、前から聞きたかったんだけど……いつもどこに泊まるのもスイートってちょっとどうなのかなあってわたしは思ったりするんだけど……どこ行っても軽く一泊六十万とか八十万とか……さらには百何十万とか……自分は金銭感覚ちょっとおかしいぞとか、L的には思ったりしないのかなって、ちょっと疑問っていうか……」
「ああ、そうですね。その説明がまだでした」
 Lは独特の手つきでチョコレートの包み紙をつまむと、その中のチョコをぺろりと食べている……ジャン=ポール・エヴァンの高級ショコラ。ホテルのスイートということを考えれば当然なのかもしれないけど、ここでも(ちょっと贅沢すぎるのでは)と主張したくなるラケルなのだった。
「わたしの年収は平均して軽く一千億を越えますし、ワタリに至っては資産総額が一兆円を越えています……これがどういうことなのか、数学に弱いあなたにもわかっていただけるかと思うのですが、どうですか?」
 ラケルは日・英・独・仏・ロシア語と五か国語に堪能であったが、そのかわりというべきなのかなんなのか――数学的なもの、統計的なグラフの読みこみといったものがまるで駄目だった。第一、一千億といわれても、果たして一のあとにゼロが幾つつくのかも皆目見当がつかない。
「そうですね、つまり……」と、Lはコーヒーを飲みほしてから言った。「ここのホテル代は一泊百七十万ですが、それ以上に株の配当金やら銀行に預けてあるお金の利息やらがあるのだというのが、あなたにとっては一番わかりやすい説明ということになりますか?」
「えっと……」
(これでまだ説明を要求したとしたら、本物の馬鹿だと思われるかしら?)
 Lはラケルの沈黙を了解したものと見なしたのかどうか、ソファから立ち上がると、寝室ではなく、別のゲストルームになっている部屋のほうへいってしまった。「すみませんが、ちょっと仕事します」と言い置いたあとで。

 Lが部屋の扉を閉めて、いつものように閉じこもりきりになってしまうと、ラケルはその場にぽつんとひとり取り残された。彼の行動パターンはすでに大体のところわかっているので、今日はもうこのまま数時間はパソコンと向かいきりということになるのだろう。
(……わたしって、これでも一応新婚の妻なのよねえ?)と多少疑問に思わなくもないけれど、ある意味ではあとはひとりで伸びのびしていればいいということでもある。
 そこでラケルはとりあえずお風呂に入ってせっかくだからとサウナも楽しみ、バスルームから出てきたあとは、冷蔵庫の中からアップルタイザーを一本とりだして飲んだ。
(ふう。あとは髪がかわいたら眠るだけだけど、本当にこんなことでいいのかしらねえ。Lは毎日遅くまで仕事をしてるのに、あたしときたらただのぐうたら主婦のような……といっても、相談する相手も誰もいないし、メロちゃんもニアちゃんも今ごろ、モニター越しに打ちあわせみたいのしてるんだろうし……それにしても探偵がファミリービジネスと化してるのってどうかとも思うんだけど……)
 ラケルは小さな音で世界情勢を伝える深夜枠のニュース番組をつけたあと、すぐにそれを消した。ロシアのモスクワ市内にある劇場で人質占拠事件が起き、チェチェン共和国のテロリストがチェチェンからのロシア軍の撤退を求めているという現地からの緊急リポートだった。占拠された建物の中には七百人以上もの人質がいると見られており、現場では予断を許さぬ緊張が……と、女性リポーターが伝えているところで、ラケルはTVの電源をリモコンでオフにした。
(髪、乾いてないけど、もう寝よう)
 Lとは違い、世界の政治情勢といったものにとんと疎かったラケルは、夜眠る前に心を騒がせるようなニュースと首っぴきになりたくはなかった。続報についての詳しいことなら、明日また新聞等で知ることもできる。とりあえず眠る前くらいだけは――日本が平和な国であることを感謝して、心安らかにベッドに横たわりたいと、ラケルはそんなふうに思っていたのだった。

「メイスン長官、それでは約束が違います」
 Lは薄暗い部屋でパソコンのモニター越しにFBI長官である、スティーブ・メイスンと内密の話をしていた。デイビット・ホープ大統領がもしイラクへ戦争をしかけるのなら――自分は今後少なくともその戦争が終わるまで、FBIへの捜査協力や助言等を一切差し控えさせてもらうと、つい先週言ったばかりだった。
「イラク派兵が本決まりとなりそうな今、もはやわたしがアメリカの犯罪捜査に協力しなくてはならない必要性はまったくないと考えます。一応大統領のほうにも直接電話で連絡させていただいたかと思うのですが、最後にもう一言、新保守主義とやらを掲げる彼にこう言っておいてください。『武力に頼るものは、武力によって倒れる』と、そうあなたの愛するキリストも言っているということをね……では、失礼します」
「待ってくれ、L。せめてこの間送ったファイルにだけでも目を通して……」
 慌てるメイスン長官を遮り、Lは一方的に通信を切った。そして(この間FBIから送られてきたファイルか)と、まだ未開封のそのファイルを一応開けてみることにした――本来であれば、そのまま尽き返してやったほうがいいのだろうとわかってはいるのだが、とりあえず目を通すだけでも……と、好奇心のほうが若干勝ってしまった結果だった。
(やれやれ。FBIはこんなものにまだ時間をとられているのか)

<――事件はニュージャージー州、ヴァージニア州、ウィスコンシン州、オハイオ州、ダコタ州、ネバダ州、フロリダ州、サウスカロライナ州、カリフォルニア州、ユタ州、ロードアイランド州、テキサス州……と十ニ州に跨って起きているが、犯人が常に事前に犯行声明を警察やTV局、新聞社等に送っていること、また殺害現場に次の犯行を予告するようなメッセージを残していることから、これらの殺人犯は同一犯と考えられる……>

 Lは専門家のプロファイルや犯行現場の死体の写真、犯人が残したメッセージなどを一通り見たあとで、ひとつの犯人像をすぐに思い描くことができた。それで不本意ながらもすぐに再びメイスン長官へとワタリを通して回線を繋ぐことにした。
「メイスン長官。先ほど言っていたファイルの件ですが……今初めて目を通して、すぐに気づいたことがありました。アメリカには確かガーディアンと呼ばれるインターネットを規制するための組織がありましたよね?彼らに頼んで、『殺人クラブ』というようなサイトがないかどうか、徹底的に洗ってみてください。100%絶対とは言い切れませんが、FBIのチーフプロファイラーのまとめた報告書にもあるとおり――ほぼ間違いなくこの犯人たちは愉快犯です。何か怨恨があって人を殺すというのでなしに、ただ単純に人を殺すことを面白がっているんですよ。いいですか、よく聞いてください。最初の事件はニュージャージー州のアトランティックシティで起きていますね?殺人の予告として地元の新聞社に『Threesome、3Pをしているものは殺す』というものを送りつけ――そのとおり、裸の男性がふたりに同じく全裸の女性がひとり公園で発見されています。ただし、様々な科学判定の結果、彼らは実際には性行為には至っておらず、さらにはまったくの知らない者同士である可能性が高いことがわかった……わたしの推理がもし正しければ、この三人を殺したのはおそらく三人組の人間ですね。それも男がふたりに女がひとりという組み合わせである可能性が高い。そして次にネバダ州で起きた事件ですが、予告文章が先の犯行現場に残されていたものと同じ書体で印刷されている……『双子は殺す』。当然、ネバダ州中にいる双子は名乗りでてもらって警察に守られることになりましたが、不幸なことに自分が双子で生まれたことを知らないふたりの女性が命を落としました。残されていたメッセージは『おお、キャロライナ!』……これは双子の片割れの女性がキャロラインという名前であることの引っかけかと思われましたが、次に事件のあったのがサウスキャロライナ州でしたね。こうした次から次へとバトンタッチしていくリレーのようなメッセージは、もともと何か計画性があるというわけではないんです。殺し方はどれも極めてずさんで、犯行もいきあたりばったり的なものである可能性が高い……そしてどれも複数の同じ犯人による犯行と考えるにはあまりにも無理がありすぎる。ようするにこれは――ある同じ目的を持った人間たちが同一の何かから情報を得て殺しを行っているとしか思えない。以前に残されたメッセージは『あばずれ女は殺す』で、その前が『ホモは死ね』でした。そして実際にゲイの男性が亡くなったわけですが……『あばずれ女』は娼婦の女性と見て間違いないでしょうから、おそらくそこから犯人が絞りこめると思います」
「『殺人クラブ』……そんなようなサイトがもしあるなら、今までにわたしたちFBIが目をつけていても良さそうなものだが……一見そうとはわからないような形で見ず知らずの人間同士が情報のやりとりをしているということか?」
「そうですね。すぐに表に浮かび上がってくるような間抜けなことはしていないと思います。ただ、『殺人』で検索しただけでも、相当な数のサイトがありますから、そのすべてをとりあえず洗ってみてください。わたしも以前そうしたサイトにアクセスしてみたことがあるんですよ……証拠を残さない人の殺し方マニュアルであるとか、殺人・その100の方法であるとか、かなり怪しげなサイトを運営している人間がいるのは確かです。その時も心のどこかでちらっとは思ったんですよ。もしこうした同種の傾向にある人間同士がEメールなどを通して互いの意見を交換しあった場合、かなり危険なことになるのではないかと……もしそれで該当するサイトないし人物が何も見当たらないようであれば、また連絡をください。次の手を考えます」
「わ、わかった……」
 Lは再びスティーブ・メイスンとの通信を切ると、今度は自分の分身ともいえる、エラルド・コイルとロジェ・ドヌーヴに同時に回線を繋いだ……モニターのひとつにMの文字が、また別のモニターにはNの文字が表れる。
「それぞれの捜査状況を聞いておきたいんですが、いいですか?はっきりしたことはまだわからないものの、できればわたしは近いうちに少し休暇をとりたいと思っています。そしたらL名義の仕事はコイルとドヌーヴに受け持ってもらうということに……」
『ああ、べつにそれならそれで何も問題ないんじゃないか?』と、二アよりも先にメロが即答した。『俺が今追っている事件は、大体の解決の目処がついた。コイルは金次第で動くっていうキャラだから、実際人捜し以外ではエグい仕事が多くて嫌になるな……例の妊婦ばかりを狙った連続引ったくり通り魔犯、誰なのか目星がついた。ロスの裏の情報屋に手をまわしたら、相手が妊婦だろうとなんだろうと手をかける人間とすれば顔は絞られてくるだろうってことで、その中に確かに該当する人物がいた。まあ、あとはロス市警の仕事ってことで、一件落着だ。それともうひとつ、次の大統領候補と目される民主党上院議員の娘がレイプされたっていう事件……他に被害者が少なくとも七名いることがわかった。ただし、その中で法廷に立ってもいいと言っているのはたったのふたりだけだ。何しろ全員が十二歳から十五歳までの未成年者ばかりなんだから無理もない。まったく、アメリカっていうのは知れば知るほど腐った国だな。遠い他人の国の心配なんかするより、自分の国の心配をもっとしろと言ってやりたいよ』
「大体のところはわかりました。で、その戦争に絡んでなんですが……わたしが暫く休暇をとることにしたのも、それと多少関係があるんですよ。わたしは今回のイラク派兵には反対しているので――FBIには中東での戦争が終わるまでは捜査協力は一切しないと言ってあります。そうなれば当然メイスン長官はコイルとドヌーヴに捜査の依頼をすることになるでしょう。そういうわけで、これから忙しくなると思いますが、よろしく頼みます」
『わかりました、L』と、N――今度はニアのほうが答えた。『ラケルのことをこの機会にハネムーン旅行にでも連れていってあげたらいいんじゃないですか?もしわたしが彼女の立場なら、まず間違いなくLのことを結婚詐欺で訴えているでしょうからね。まあそれはそれとして、次はわたしからの正直いってあまり気の進まない報告です。例の南仏の幽霊屋敷の件ですが、十日間赤外線カメラを設置して屋敷中を観察したところ、白いぼんやりしたようなものが映像に残ってました……そちらをファイルに添付して送りますので、Lのほうで――ついでにメロにも送りますが――ー応確認してみてください』
 ロジェ・ドヌーヴというのは実は、半分趣味でオカルト探偵のようなことをやっている。当然のことながらニアは超のつく現実主義者なので、その手の依頼は倦厭しているし、必要最低限引き受けないようにもしているわけなのだが……今回の依頼主であるリュシアン・ド・ロエル侯爵はLのことを長年に渡って支援してきた資産家であり、ワタリの昔からの友人であることも手伝って、断るに断れない相手だったのである。
 さて、ロエル侯爵の依頼――南仏プロヴァンスにある石造りの城館に残る幽霊伝説の科学的根拠の捜査――は、まずニアの忠実にして優秀な部下である、ジェバンニとリドナーによって開始された。流石にドヌーヴというのが実は、まだ十四歳の少年であることがバレるのはまずいので、ジェバンニにドヌーヴの名を騙らせ、ニアはパリの本拠からふたりに指示をだすという形をとることになったわけなのだが……。
「ニア、確かに映像のほうは確認しましたが、これだけではまだ十分な科学的根拠とはいえないと思います。赤外線カメラに数秒、白い何かがぼんやり映って消えた……たったのこれだけでは、あの気難しい侯爵が納得するわけもないでしょうし」
『まったくそのとおりです、L。ジェバンニとリドナーに屋敷にいる三十人もの使用人に幽霊に関する話を聞きこんでもらったんですが……証言を聞くかぎり、そのうちの誰もが幽霊を目撃しています。そしてさらに興味深いのは、屋敷に寝泊まりしているジェバンニとリドナーたちも間違いなく真夜中に幽霊と会ったと言ってるんですよ。といっても、ふたり同時にというわけではなく、他の使用人たちに関しても、幽霊に出くわすのはひとりでいる場合のことがほとんどのようです。で、ここまでくるとわたしも好奇心が押さえきれなくなってきましたので、幽霊屋敷に明日直接出向いて、この目で幽霊を確かめてこようと思っています。ちょっと苦しい言い訳ですが、わたしはジェバンニとリドナーが若い頃に過ちによって生んだ子供ということにでもしておこうと思うんです。さも幽霊に興味のある無邪気な子供というふりをして、ロエル侯爵の今回の依頼の真意を確かめようと考えています』
「なるほど。あのおじいさんは確かにかなりの偏屈者ではありますが、わたしも結構つむじ曲がりなので、気は合うんですよ。ロエル侯爵はおそらく、幽霊以外にも色々面白いものを見せてくれるだろうと思います……ですがニア、大学のほうはいいんですか?今はまだ十月だし、入学早々、単位を落としてばかりもいられないような気がするんですが」
『まったく問題ありません。わたしは触れば折れるような病弱な少年ということになってますので、まわりでも気を遣ってくれていますし……頭は良くても病弱で気の毒な少年という役を演じきって、なるべく早く学位を取得し、卒業したいと思っています』
『ニア、おまえまだあのイソフラボン大学とかいうのに通ってんのか?俺は飛び級でハーバードに入学したが、三日で飽きてすぐにやめちまった』
『メロ、イソフラボンは大豆胚芽に多く含まれるフラボノイドの一種です。わたしが通っているのはソルボンヌ大学。つまらないボケはやめてください。嫌がらせなのはわかってますが』
(やれやれ、相変わらずですね)と思いつつ、Lはモニターの向こう側にいるふたりの探偵の弟子たちに微笑を洩らした。メロとニアにはそれぞれ事件に進展があったら逐一報告するよう申し送り、互いに一度通信を切る……実をいうとLは現在、彼らが探偵などというやくざな稼業をやめるよう仕向けている最中だった。そこでコイルには担当するのが嫌になるようなエグい仕事ばかりをわざとまわし、ドヌーヴにはオカルト系の奇妙な仕事ばかりを担当させた、というわけなのだったが……。
(結局のところ、その必要がまったくなかったほど、ふたりはとてもよくやってくれている。むしろお互いにライバル意識があるだけ意欲的だし、競争原理が働くというのかなんというのか、ある意味わたし以上に事件の解決が早いともいえますし……)
 これでは近いうちにLも探偵廃業かもしれない、などと思いつつ、彼は最後にノート型パソコンを閉じて寝室に持っていった。人間が六人くらい並んで眠れそうな大きさのベッドにも関わらず、ラケルは一番隅のほうに小さくなって眠っており、(まったく、この人も変な人ですね)と、自分のことは棚に上げてLはそう思った。
(こんなに広いんだから、真ん中で堂々と寝ればいいのにといつも言っているのに……まあ、本人曰く「貧乏性だから、最初に真ん中に寝ても自然とこうなる」ということだったけど……)
 自分の眠る片側だけでなく、両側があまりにも広すぎて、何か虚しいものを感じるLなのだった。

 ――翌朝、Lは七時に起きた。彼よりも早く眠りに就いたはずのラケルは、きのう彼が見た時と同じ姿勢のまま、左隅のほうに横になっている。
(まあ、普通に考えたら無理もないかもしれませんね。きのうの夜遅くにニューヨークから東京にきたわけだし……これでまたわたしが先にひとりでルームサービスをとったりしたら、怒りだすのかもしれない。一体何時に寝て何時に起きたのかとか、いちいちやたら騒ぐのは何故なのか、わたしには理解不能ですが)
 Lはとりあえずノートパソコンと携帯電話を持って隣の部屋へいき、フロントに電話をかけてコーヒーとクラブハウスサンドを頼んだ。脳内に糖分が不足しているような感覚があり、早く甘いものを補給しないことにはいつもの推理力が戻ってきそうにない。
(といってもまあ、メイスン長官には釘を刺しておいたし、面倒くさい……もとい、他の仕事はメロとニアに引き継いであるし……こんなに平和な朝は、わたしには本当に久しぶりかもしれない)
 だが、そんな彼の平和な朝は、TVのスイッチを入れた瞬間にすぐ崩壊した。
『こちら、モスクワの劇場前より、実況生中継です。昨日、モスクワ市内の劇場センターを占拠したチェチェン人のテロリストたちは、依然として七百名以上もの人質をとって立てこもっており、状況に新しい事態の改善のようなものはまったく見られておりません。今のところ当局は、強行突入の可能性を否定していますが、このままロシア政府がテロリストたちの要求をのまず、彼らが人質を射殺していくとなれば、強行突入もやむをえないものとなり、犠牲者の数が一体何人になるのかまったく想像もできないという現状が今も続いています』
 きのうの夜に部屋へきたのと同じボーイが、クラブハウスサンドとコーヒーをどこか慇懃な手つきで置いていくと、Lは早速とばかりコーヒーに角砂糖を五個も入れた。いつもラケルに「そんなに甘いものばかり飲んだり食べたりしていると、糖尿病になっちゃうわよ」と言われているが、病院の定期検査で調べてもらった限り、彼にその兆候はまるで見られなかった。なんとも不思議なことではあるけれど。
(なんということだ……こうなったからには必ず奴――サイード・アルアディンが実行犯の背後にいるのは確実……まずいな。この時期にこのタイミングできたということは、<聖戦>と称して数千人の兵士をも犠牲にしかねない。今回のことは宣戦布告の意味をこめて起こした行動で、奴にとってはほんの小手調べといったところ……)
 サイード・アルアディンというのは、ロシアから国際指名手配されている男で、アメリカでも先のテロ行為に関与していた疑いが濃厚と見られて、誘導ミサイルによって二度ほど狙われている人物である。今はその生死すらも不明であるとされてはいるが、L独自の調査によれば、彼はおそらく生きており、イスラム原理主義組織の指導者としての役割を果たしているはずだった。
(サイードは、次は一体何をするつもりだ?まさかチェチェン共和国の救世主となるべく、徹底抗戦するつもりなのか……確かに、彼の手元にある莫大な財産と手兵を使えば、数万人といった犠牲をだしても、ロシア政府に妥協させることはできる……というより、そんなことができ、なおかつ実行に移そうなどと考えるような人間は、地球広しといえどももはや奴しかいないとも言える……)
 Lはクラブハウスサンドを甘いコーヒーを味わいながら食べつくすと、今度は食後のデザートがわりにチョコをいくつか食べた。糖が体内に補給されたことにより、彼の推理はさらに冴え、確定的なひとつの結論を導きだすに至った。
(まずはロシア……とりあえずモスクワにでも飛ぶか。チェチェンには今の状態ではまず近づけないし、わたしだけならともかく、今は……)
「あっ、Lっ。またひとりで朝ごはん食べてるっ!前にも起きる時には寝てたら起こしてって言ったじゃないっ。それできのうは一体何時間睡眠とったの!?」
「そうですね……軽く四時間は寝ましたよ。それも地獄の河童も起きないくらい、ぐっすりと……」
「また、そういう訳のわかんない言い訳を」ラケルは白磁のティーカップに自分の分のコーヒーをポットから注ぐと、Lの隣に座ってもぐもぐとクラブハウスサンドを食べだした。「わたし、毎日のようにしつこく同じこと言ってるけど、Lは生活のダイヤが不規則だし、二三時間しか寝なくても平気っていうのもちょっとどこか異常だと思うの。あなたは病院で定期的に調べてもらってなんともないんだから大丈夫だって言うけど、今無理してる分が四十代とか五十代の時にやってきたらどうするわけ?わたしが思うに、今の生活をこれから先ずっと続けてたら、Lは絶対早死にすると思うわ。それもある日突然原因不明の心臓麻痺とかでころっと死んじゃうの。そしたら残されたわたしはどうなるのかとか、想像したことある?」
「……わたしが突然死した場合は、あなたに全財産の二分の一、そしてメロとニアにはその残りの半分をふたりで分けるように言ってあります。だから心配いりませんよ」
「そういう問題じゃなくて……」ラケルは隣のとぼけたような自分の配偶者の髪の毛をぐしゃぐしゃにかきむしってやった。「Lって頭いいのに、なんでこんなこともわかんないの!?お金なんかいくらあっても、あなたが死んだら意味ないでしょう!いいわ、もうわかった。Lが早死にしたら、あたしはLの財産をどっかの慈善団体にでも寄付して、修道院に入ってやるんだから!」
(……なんでこうくだらないことのために、毎日朝から怒るエネルギーがわいてくるんでしょうね。女の人っていうのは本当に理解不能な、不思議な生きものだ……しかも彼女の中ではわたしが早死にすると確定しているようだし)
 メロやニアに言わせると、ああやってラケルが怒っているのを見ると、「ラケルはLと結婚してよかったんだな」と思うという。L自身にはその理由のほどがよくわからないのだが、彼女にはそろそろいいかげん気づいてほしいと思うのだ。誰か他の人間の習慣を変えさせようというのは、ほとんど山に命じて海に入れというのに等しい難事業だということを。


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【2007/10/15 17:51 】
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