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探偵L・イギリス編~ロンドンの爆殺魔~(23)
   探偵L・イギリス編~ロンドンの爆殺魔~(23)

 ビュターンはハムステッドに帰る道すがら、例のロンドン橋・ウォータールー橋・ウェストミンスター橋爆破の件については、きっぱり断らなければならないと心に決めていた。そしてガードナー牧師が話してくれたことを思いだし、自分にとっての最後の救い――ラケルに汚れた手を伸ばさなくて良かったと、あらためてそう思った。
 真に悔いあらためた罪はすべて赦されるのなら、彼女を仮にレイプしたとしても懺悔すれば赦されるし、お腹の子が邪魔だというので始末しても、そのあと悔いあらためれば赦されるということになるだろう……一応、論理的には。
 だが、ビュターンは自分がそこまで堕落した人間ではなかったことに、心底感謝した。むしろ、<神>という存在がもしいるのなら、自分はギリギリのところで救われるかもしれないという望みと希望が、この時彼の心を占めていた。ただ、そのためには自首し、ラケルのことも解放しなければならない――そのことを思うと、ビュターンの心は重く沈んだ。いや、もし彼女が妊娠しておらず、さらには相手の恋人も存在しておらず、ラケルが出所するまで待っていてくれるというなら……自分はどんなに重い刑罰でも耐えられるだろうと、彼はそう思う。けれど、ラケルのことは一度手を離したらそれきりになってしまうことがわかっているだけに――自首するよりも、そのことのほうが彼にはよりつらいことだった。
 そこで、ビュターンはまた新たにひとつの救いを求めるべく、フィンチリーロードにある公営住宅へ戻った。ラケルを監禁しているフラットは、ここから目と鼻の先にあるのだが、できるだけ長い時間、彼女と一緒にいたいがために――近ごろこちらの住まいにはほとんど戻っていない。それでも最初の頃は付近の住民に不審に思われたくないという思いから、なるべく戻るようにしてはいたのだが、今はもう『隠れ家』のほうが自分の住むべき本拠地のようになってしまっている。
 その時も、ビュターンがそのフラットへ戻ったのは、ギデオン協会寄贈の聖書を自分の部屋から取ってくるためだった。ところが、フィンチリーロードの彼が借りているフラットの前には警察の車輌が数台停まっており――ビュターンはとうとう、(来るべき時が来たのだ)と悟るに至った。もっとも、そのフラットは二十二階建てで、数百人もの人間が住んでいる住宅でもあるため、家宅捜索か何かが自分の部屋で行われているとは限らなかった。実際のところ、この公営集合住宅には俗にいう<何をしているかわからない>人間が多く住んでもいるからだ。たとえばビュターンのような元服役者に、麻薬の売人、シングルマザーの娼婦などなど……もちろん、堅気の低所得者なども住んではいるが、様々なマイノリティの人種が混在していて、いかにも人からは「うさんくさい」と思われる住居なのである。
 ビュターンは、自分以外の誰か――たとえば、麻薬ディーラーに対するガサ入れ――が捜査対象ならいいがと思ったけれど、その望みはないものとして捨てることにした。もう自分には自首するか死ぬかの道しか残されていないのだと、そう決意する。
 ビュターンは、フィンチリーロードから一本入った奥の通りに車を乗り捨て、歩いてラケルのいるフラットへ向かった。途中で彼女のためと思い、色々と買いこんできた食料品の紙袋を手にしていたが、よく考えたらもうそんな<最後の晩餐>を取るような時間は自分には残されていないと気づき、苦笑する。
 あとはそう――ただ、自分にとっての<赦しの儀式>、それを急いでラケルに執り行ってもらってから、彼女のことを解放しなくてはならないと、そうビュターンは考えていた。

「おかえりなさい」
 あまり元気のない声でそう言われ、ビュターンは一瞬、「ただいま」と言うことさえ忘れた。食料品の紙袋をキッチンに置き、尻尾を振って近づいてくるベティのことさえ構わず、彼女の隣に腰かける。
「どうした?気分が悪いのか?」
 ビュターンはラケルの額に手を触れるが、熱はないようだと感じる。だが、顔色があまり良くないことは確かだった。
「薬を買ってこようか?頭が痛いのか腹が痛いのか、言ってくれ。その症状に応じたものを薬局で買ってくるから」
「ううん、いいの」と、ラケルは首を振る。「たぶん、妊娠してるそのせいだと思うから……そういう薬を飲んでも治るかどうか、よくわからないもの」
「……………」
 病院へは、臨月を迎える頃に連れていけばいいと思っていたビュターンだったが、やはり妊婦には定期検診が必要なのだろうと思い至る。だが、こんな生活から解放されさえすれば彼女は、優しい恋人の元に帰って、彼と一緒にお腹の赤ん坊のことを大切にしていけるだろう……。
「ごめんな、ラケル」そう言って、ビュターンはラケルの首から爆薬の入ったネックレスを外す。「俺はもう、とっくの昔に起爆装置なんか押す気もなかった。ただ、俺がいない間にあんたがどっかへ行っちまうんじゃないかと思って、その保険にこの首飾りをつけてるだけだったんだ」
 わかってる、というように、ただラケルは頷く。
「俺は本当に、どうしようもない人間だが……あんたはこんな俺を赦してくれるか?」
 ビュターンはベッドから下りると、ラケルに赦しを乞うように跪いた。そして、彼女が彼の手を取ると、ビュターンはラケルの膝の間に顔をうずめて静かに泣きはじめた――まるで、小さな子供が母親の膝に縋って涙を流すように。
「あなたは決して、悪い人なんかじゃないわ……ただ、少し運命の巡りあわせが悪かったっていう、それだけなの」
 ラケルはビュターンが気が済むまで泣き終えるまで、彼の髪を何度も優しく撫でた。もし、自分がLに出会っておらず、まだ恋人もいなくて独り身だったとしたら――ビュターンのためになんでもしてやれるだろうにと、哀しく思いながら。
「ありがとう」ビュターンはラケルのワンピースの裾で涙を拭くと、そのままの姿勢で言った。「あと、もうひとつ頼んでもいいか?嘘でもいいから、愛してるって最後に言ってほしいんだ」
「愛してるわ」
 なんのためらいもなく、間も置かずにそう言われたことが、ビュターンは嬉しかった。そして暫くの間、ラケルの言葉の余韻に浸るように、彼女の膝に顔をうずめたままでいた。
「あんたは、俺が今まで出会った中で、最高の女だ」
 ビュターンは顔を上げると、にっこりと笑ってそう言った。もう何も思い残すことはない―――種の清々しささえ感じられる、そんな笑い方だった。
「……どこへいくの?」
 ビュターンが立ち上がり、また出かけようとするのを見て、ラケルは不安になる。いつもとは何かが違うと、彼女にもわかっていた。
「このゲームは、あんたの勝ちだ。最初に言っただろう?もし俺の望むような答えをあんたがくれるなら――生きたまま釈放してやると……。俺は約束は守る人間だ。これから数時間後に、ここに誰か、警察の人間がやってきてあんたを解放するだろう。その後に俺は、自首するつもりだ」
「……………」
 ラケルにはもう、何も言えなかった。ラケルに黙っている意志があったとしても、<L>がそれを決して許さないということを、彼女は知っている。再び、どこかでラケルと同じような被害者をださないためにも、Lはビュターンを必ず捜索するだろう。そして警察に見つかって逮捕されるよりは……彼が自首したほうが罪が軽くてすむかもしれないと、そう思ったのだ。
「じゃあ、最後にこいつのことは連れていくよ」
 ビュターンはそう言って、ベティのことを抱きあげた。ラケルは本当は、もっと彼に何か言うべきではないのか、言えることがあるはずだと思いながらも、結局、彼のどこか寂しいままの背中を、見送ることしかできなかった。
 まさか、その時には――ビュターンが刑務所へ戻るくらいなら死ぬ覚悟でいるとは、ラケルには到底わからないことだったのである。

(これでもう、十分だ)
 そう思いながらビュターンは、歩いて近くの廃墟となっている空き地までいき――少しの間そこで、ベティのことを散歩させた。そして暫くすると、犬のリードを樹に繋ぎ、スコップで穴を掘りはじめる。それはおそろしく深い穴で、ビュターンは穴掘りにゆうに二時間はかかっただろうか……ザクリ、ザクリ、と、まるで自分の心の絶望や闇と同じ深さまで、彼は地中に穴を掘っているかのようだった。だが、二時間を過ぎる頃には流石に疲れ、もうこれ以上はとても無理だと思い、スコップを投げ上げると自分も地上に上がった。
 そして樹に繋がれた犬がしきりと尻尾を振るほうへ足を向け――なんの迷いもためらいもなく、彼は自分の愛犬ベティを絞め殺した。
「ごめんな、許してくれ。本当に、こんなことしか俺には出来ない……」
 ビュターンは泣きながらそう言い、動かなくなった犬の死骸を、深い穴へ優しく投げ入れる。そして涙を流しながらその、犬の墓場とはとても思えないほどの、深い穴を埋め戻した。彼がベティのことを拾ったのは、まだ出所後間もない頃のことで、ビュターンは彼女のことを見かけた時、その顔を見て(なんとみっともない犬だろう)とそう思った。
 数日、隠れ家でベティの面倒を見るものの、新聞に<迷い犬>のような知らせが出ることもなく……おそらく彼女は犬が不要になった飼い主に捨てられたのだろうと、ビュターンはそう見当をつけた。
 ベティはがりがりに痩せてはいたが、とても元気で、与えたものはなんでも最後まで食べ尽くすという、実に意地汚い犬でもあった。そうしたところからも、彼女が飼い主に捨てられた後の苦労が忍ばれるようだったが、ビュターンが思うに、これでもしベティが雑種にしろ、もっと見目麗しい犬だったとしたら――わざわざ拾って面倒を見たかどうかわからないと、彼は想像する。
 ビュターンが里親にもらわれると聞いた時、その人たちが誰でどんな人かというのは、彼はすでに知っていた。孤児院にあるプレイルームで遊んでいた時、とても優しそうな感じの女性が近づいてきて、「坊や、いい子ね」と言ったのだ。時々そんなふうに里親となってくれる人がやってきて、プレイルームで遊ぶ子供たちに声をかけるということを、彼は知っていた……だが、自分が左右目の色が違うオッド・アイだとわかるなり、そういう人たちはさも忌まわしいものを見たというように、すぐ離れていく。けれど、その中でひとりだけ――他の子供たちには一切目をくれず、自分のところへ真っ直ぐやってきた女性がいたのだ。
「わたし、あの子が好きよ」
 彼女が夫らしい男性とそう話しているのを聞いて、ビュターンは顔には出さなかったが、嬉しくなった。その柔和な顔立ちをした男が数学者であることを小耳に挟んだ時には――きっと、自分の数学の成績がズバ抜けているのが気に入られたのかもしれないと思った。とにかく、彼にとって理由はどうでもよく、彼らはこの地獄から自分を救ってくれる解放者なのだとビュターンは考えた。
 その期待が心ない職員の汚い手によって裏切られた時、ビュターンは心底哀しかった。そしてそのやり場のない怒りや哀しみは、彼の中でベティを拾う動機になったのだともいえる。
(こんなにみっともなくて頭も悪くて意地汚いのでは、この先もいい飼い主に恵まれるかどうかわからない)
 そう思い、ビュターンはベティを拾った。テロ事件を起こしたあと、女を攫って殺したのも、彼にとっては理由のあることだった。ビュターンはあれだけの事件を起こしておきながら、決して自分だけは捕まらないなどとは、まったく思っていなかった。それでどうせいつか捕まるのならと、適当に女性を攫い、自分の意のままにさせたいとその時は考えたのだ。けれど、ひとり目の女は、神経毒が切れるなり、気が狂ったように叫びだしたので、ビュターンは彼女が思うとおりにならなくて殺した。そしてふたり目の女は、比較的冷静ではあったが、レイプが目的ならさせてやるから命だけは助けてほしいと――彼がもっとも気に入らないことを言ったのでやはり殺害した。そして三人目……それがラケルだった。ビュターンは彼女についても、まったく期待していなかったが、もしかしたら<神>のような人が天にいて、自分にこれ以上罪を重ねさせるのをやめさせるために、ラケルを彼の元へ使わしたのではないかと、今はそう感じる。
 それから、何故可愛がっていた犬のベティを殺したのかといえば――これも彼にとっては理由のあることだ。人から見れば、極めて利己的な殺害理由だと、そう思われるであろうことも、彼はよく承知している。だが、こんなに寒々とした残酷な世界に、ベティを残していくのがビュターンは気がかりだったし嫌だった。運がよければ、自分よりもいい飼い主に拾われる可能性は確かにある……だが、それ以上にもっと高いのは、保健所の人間に殺されるか近所の悪ガキどもに悪戯されて怪我をするか……そうしたことを思うと、ビュターンはベティのことを自分と一緒に連れていくべきだと考えた。他の誰にも理解できなくても、彼は愛しているからこそ、ベティを自分のその手で殺したのだ。
「ごめんな、ベティ。許してくれ……俺もすぐ、おまえのそばにいくよ」
 ビュターンは泣きながら深い穴を埋めもどし、最後に彼女の墓の前で跪いて祈った。もし天国に自分の居場所があるなら――ベティと一緒に暮らしたいと、彼は願った。それとも、彼女はビュターンの前の飼い主と一緒に暮らしたいと思うだろうか?こんな、自分のことを突然殺したような男とではなく……。
 ビュターンはこうして、これまでもっとも愛した犬の埋葬を終え、そして自分自身の魂の埋葬をも終えると、最後に死に場所として自分が選んだ場所へ向かっていった。



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【2008/08/18 18:24 】
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