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探偵L・イギリス編~ロンドンの爆殺魔~(12)
   探偵L・イギリス編~ロンドンの爆殺魔~(12)

 サミュエル・ビュターンは、硝酸アンモニウムと粉末アルニウムの詰まったパイプ爆弾を作りながら、鼻歌を歌っていた。彼が七年の刑を終えて刑務所から出所するなり、いわゆる昔のムショ仲間から、この手の依頼が殺到したのだ。今作っている爆弾は、なんでもヤクを横流しした奴に送りつけてやるのだそうだ。だが、ビュターンはそんなことに興味もないし、ただ金になるという理由だけで、それを作るだけのことだった。
 裏の世界の鉄則として、もし仮にビュターンに金を渡した男が捕まったとしても――その男が彼の名前をだすことはまずない。そんなことをすれば、今度は自分の元に爆弾が届くという、それだけのことだ。ビュターンに相手を恨むつもりはなくても、そうした奴を「許さない」とする奇妙な正義が、一般に悪党と呼ばれる連中の間にはあるからだ。
 それと同じ論理で、ロンドン同時爆破事件で捕まった連中が、自分の名前もクロンカイトの名前もだすことはないと、彼は知っている。何故ならクロンカイトは刑務所世界の裏のボスだからだ。もし下手なことを喋って刑務所へ戻った場合――死ぬより惨めで屈辱的な思いを味わわなければならないと、彼らはよく知っている。ゆえに、ビュターンの名前もどこからも洩れないはずだった。
 もちろん、彼らにはクロンカイトの指示どおり、自分の名前を伏せ、直接会うこともなく、間接的に爆弾の受け渡しを行った。だがそれでも、マッド・ボマー、ビュターンの名前を知らない人間は、裏の業界にはひとりもいないほど、彼は有名だった。
 この名前の由来は何も、彼自身がこれまでに爆弾魔として活動したことがあって、そこからきているというわけではない。ある日突然爆発したようにキレて、裏の世界の大物をひとり殺してしまったことから、「あいつを殺すなんて信じられねえ。奴は狂ってる」ということに由来するものだった。第一、彼はその頃はまだ爆弾の製造や扱いといったものに、さして詳しいわけでもなく、当時はただのケチなヘロインのディーラーだったのだ。
 麻薬のディーラーであるにも関わらず、ビュターン自身はほんの数度しかそれを試したことはない。何故なのかはわからないが、どの麻薬にもアレルギーに似た症状がでるからだった。何度も気分が悪くなって、どうやら自分はヤクでハイになれない体質らしいと悟ってからは、もっぱらそれを人に売ることに専念した。ビュターンをこの世界に引きずりこんだ<友人>も、そのことを喜んでいた。何故なら、分け前のことなどで揉めることが彼とはないだろうと思ったからに違いない。
 その<友人>との因縁話をはじめると、とても長くなるが、最終的にビュターンはその友人の左の目玉にナイフを突き刺したことにより、十四年の懲役刑を食らった。ちなみにその友人は裏の世界の大物で、刑務所にも彼の仲間が数多くいたために、ビュターンは刑務所に入る前になんとかして自殺できないものかと真剣に悩み抜いた……女に飢えた連中に慰みものとして輪姦されても、看守は見て見ぬふりをするだろうし、他の嫌がらせ行為も、ちょっと想像してみただけで怖気立つようなものばかりだった。だが、その時まるで<神>のようにクロンカイトがビュターンの前に現れて、彼のことを救ったのである。刑務所の裏のボス、クロンカイトは本当に何もかもすべて――考えられうることすべてにおいて、ビュターンを教え助け、そして導いてくれた。
 ただ、ビュターンが刑期を終えて出所した暁には、ちょっと手伝って欲しいことがあると彼は言った。いや、なに、それまでおまえさんが俺のしたことを恩義に思っていてくれたらの話だがね、と。
 もちろん忘れるはずがない。ビュターンにとってクロンカイトは命の恩人以上の存在なのだから。しかもクロンカイトはその時のためにと、爆弾の製造法をあれこれ、指南してくれてもいた。ビュターンはもともと、機械的な組み立てといったものが得意だったので、真綿が水を吸収するように、クロンカイトの弟子としてみるみる成長していった。
 そして仮出所すると、まるで教祖の教えを伝道するように、早速事に取りかかったというわけだ。すべて、クロンカイトの指示通り、クロンカイトの計画通りに……。
ビュターンが今いる部屋は、十畳ほどあるが、とても狭い。何故なら爆発物のための資料や化学薬品、その他モデルガンや本物の銃などがひしめきあっているからだ。彼は爆発物の設計の他に、拳銃というものがとても好きだった。これほど心に安らぎをもたらすものを、ビュターンは他に何も知らないと言ってもいいくらいだ。
 彼はその時も、自分が改造した銃を愛しげに何度も撫でているところで、女があまり銃というものに愛着を感じないのは、おそらくアレがないせいだろうなどと考えていた。そして時計をちらと眺め、爆弾を依頼主に渡す時刻が迫っていることを思いだし、支度をはじめることにする。
 実はビュターンは、この隠れ家の他にもう一軒、フラットを別の場所に借りている。何しろ、まだ仮出所中の身なのだ。ここからほんの目と鼻の先の低所得者向けのフラットを、なんとかいうボランティア・グループの人間に世話してもらったのだった。彼らは刑務所からでたばかりの人間の世話をしてくれる、とても素晴らしい人たちで、定期的に色々な生活の相談にのってくれたりするのだ。
「わからないことがあったら、なんでも相談して」と、家具付きではあるが、みすぼらしいフラットの中を案内しながら、その世話人の女性は言った。「わたしに出来ることがあったら、なんでも力になるわ」
 なんでもね、とその時ビュターンは寝具のない、ベッドのほうを見ながら思った。もっとも、相手は六十過ぎの、年齢以上に老けてみえる赤毛のババアだったけれど、彼女に何か自分に対して恐怖心を起こさせてやりたいように、ビュターンは感じていた。そして、本当にレイプしないまでも、彼女を突き飛ばすか何かして、「その歳でまさか、本気にしたのかい?」と嘲笑ってやりたい気さえした……相手の「わたしは善人よ」という顔つきが、やたら鼻について仕方なかった。
 もちろん、こうしたことはすべて、自分の被害妄想に近い何かだということを、ビュターンはよく承知している。そしてこの場合は相手の善意に理解と敬意、そして優しさをも示して、愛想よく振るまうべきだということも……だが、彼にはそれが出来なかった。というより、幼い頃からビュターンはそんな人間だった。相手から自分の心を満たす愛情が欲しいと渇望しながらも、あえてそれを遠ざけるような態度しか、どのような人間に対しても、とることができなかった。
 サミュエル・ビュターンは、コミュニケーション不全の、完全なる社会不適応者だった。いや、社会に適応できないことによってしか、この世界に彼という人間が生きていることを表明できないと言うべきか……彼は生まれついての不幸な人間で、赤ん坊の時にロンドンのとある教会の前に捨てられていた。とても寒い冬の夜のことで、その英国国教会の牧師がもし、ビュターンを発見するのが一時間遅れていたとしたら――彼の命はなかっただろうと、のちにその牧師はビュターンに言った。
 なんにせよ、その時死んでいればよかったにも関わらず(と、彼は今もそう信じている)、いかなる神のお恵みによってか、ビュターンは生き延びてしまった。最先端の科学医療というものは実におそろしい。一世紀前だったらビュターンはまず、間違いなく死んでいたに違いないのに、医師たちは親がいようといなかろうと関係ない、この子には自分の命を保持する権利があると考えて――チアノーゼで死にかかっている彼を、間一髪で奇跡的に救ってしまったのだ。
 その後、ビュターンは孤児院に入れられ、五歳の時まで一言も言葉を話さなかった。赤ん坊の時に死にかかったことで、何か脳に障害があるのではないかと心優しい職員たちは考えたようだ。だが次期に彼はその施設で暴力行為を受けるようになり、自主的に「話す」ということを覚えるようになる。もっとも、いくら「やめて!」と叫ぼうが「助けて!」と言おうが、素晴らしい施設のスタッフたちは耳を貸そうとしなかったが。
 それでもまだ、鞭打ちの刑くらいですんでいるならまだよかった。そのくらいならまだ――その先の彼の一生は木っ端微塵に打ち砕かれた……というほどのこともなかったろうと、ビュターンはそう思う。そのくらいなら、まだ耐え忍べた。当時、子供ながらに彼は健気にもこう考えた。自分のような思いをしてる子は、他にもきっといっぱいいるんだ、それに、実の親に虐待されてる子供だっている……想像してごらん、サミュエル。実の親に虐待されるのと、血の繋がりなんか全然ない、どうでもいいクソみたいな連中に折檻されると、どっちがより不幸か……。
 けれど、彼が七歳になる頃には性的な虐待までもがはじまり、ビュターンはそれについては耐え難かった。十歳になる頃には、自殺することを日常的に考えるようになっていた。特に、一度里親が決定しそうになったにも関わらず――施設の職員たちが、自分の肉体を弄ぶそのためだけに、悪い報告書を作成し、それで彼が里親に引き取られないと決定した時は、心底死にたいと思ったものだ。
 けれど、ビュターンに<生きる>ということを選ばせたのは何より、施設の中でそんな目にあっているのは自分だけではないという事実だった。他にも四、五人、変態小児性愛者のお目に適った運のいい子供たちがいて、彼とまったく同じ目にあっていた。そのうちのひとりと偶然、刑務所で一緒になったことがあるが、彼は過重暴行罪で服役中の身だった。
「お互い、あの後あまりいい人生を歩まなかったようだな、兄弟」と、彼はビュターンが同じ養護施設出身とわかった時にそう言った。
 正直、最初は彼の名前を聞いても、ビュターンはすぐにピンとはこなかった。だが、向こうはビュターンというあまり多くはない名前、そして小さな頃からの身体的特徴によって彼のことがわかったようだった。
 サミュエル・ビュターン――彼の名づけ親は、例の彼の命を救った英国国教会の牧師だった。ビュターンは、大きくなって施設を出た時、なんとかその牧師に会おうとして、彼のことを探したのだ。そして自分の名前の由来について、その牧師に聞いてみようと思った。何故なら、ビュターンは最初にいた施設でよく他の――虐待を受けていない――子供たちに、サターン(悪魔の子)と呼ばれていじめられたからだ。彼は自分を虐待した職員たちにも、「おまえは呪われている。だからこんな目に遭って当然なんだ」と、レイプされながら何度も言われた。
 それが何故なのか、ビュターン自身にもよくわかっている。普段はカラーコンタクトを左目につけているが、彼は右の目と左の目とでは、色が違っていた。いわゆるオッド・アイで、この目を持って生まれた者は呪われていると、古くからの言い伝えがあるために――彼は養護施設の職員たちには特に可愛がられ、また施設に入っている子供たちにはいじめ抜かれたというわけだ。
 ビュターンの人生がわずかなりともマシになったのは、彼をいじめた子供グループのリーダー、マイケル・アンダーソンの片方の目玉をフォークで突き刺してやってからだった。その後、行動に問題のある児童専用の矯正施設に入れられてからは――ビュターンは精神的にも落ち着いて、真面目に勉学にも取り組むようになった。彼はその施設で理解のある本当にいいスタッフに恵まれた。またビュターンが数学・物理学には非常に優れた能力を持っているのに、言語学の方面では極度の学習障害が見られるため、高名な精神科医に彼を診てもらうということまで――その施設ではしてくれた。
 そして色々なテストを受けたのちに判明にしたのは、ビュターンが『アスペルガー症候群』だということだった。おそらく、幼い頃に脳の一部がダメージを受けたために、言語を司る部分が未発達のままになったのだろうと。そしてその未発達の部分を補償するために、数学の計算を司る部位が通常以上に発達したのではないかと、その医者は言っていた。
 その後、ビュターンが施設を出て缶詰工場で働くようになると、その障害はより顕著なものとして現れ、彼の人生を悩ますようになる。寡黙な人物など、どこの世界にも存在するものだが――彼は言葉を通して人と話すということが本当に苦手だった。その上、読み書きもあまり得意ではなく、彼の得意なこと――数学的計算・物理学の分野――でどのくらい優れたことが出来るのかと証明できる前に、社会の窓は閉じられてしまう。
 缶詰工場でも、ほとんど口を聞かない変人として扱われ、ビュターンはその工場をほんの半年ほどで辞めてしまう。その後も職を転々とするが、どこへ行ってもうまくいかず、結局最後にはあるひとつの運命的な出会いが――彼のその後の人生を決めた。
 幼い頃に養護施設でビュターンのことをサターンと読んでいじめ抜いた天使の名前を持つ男、マイケル・アンダーソンと、偶然パブで再会したのだ。向こうはビュターンのオッド・アイを、そしてビュターンは彼の、自分が潰した右目のことを覚えていた。
 その頃マイケルは、裏の世界でちょっと名前の知られた悪党となっており、ビュターンは彼の取り巻きらしき品のいい人間に取り囲まれた時、(殺される)と思ったものだ。ところがマイケルは、彼に酒を一杯奢ってくれたのち、こう言った。「おまえには感謝している」と。
「もう、昔のことはお互い水に流そうぜ、兄弟。おまえもきっと施設をおんだされたあと、ろくな目にはあってねえはずだ……昔のよしみで、俺が割のいい仕事を紹介してやるよ。おまえが昔、俺の目玉を駄目にしてくれたお陰で、俺はハクってもんがついたのさ。大抵の奴は俺のこの眼帯を見るか、眼帯を外したあとの傷痕を見ただけで――ビビッて小便もらしちまう。隻眼の天使って言えば、ここらの裏の世界じゃ有名だ……それというのも、おまえが俺の目玉を駄目にしてくれた、そのお陰なのさ。だから、今度は俺がおまえのことを助けてやろうじゃないか、なあ兄弟」
 そう言って、マイケルが彼の肩に手をまわした時――ビュターンは心底ぞっとした。彼が腹に一物持っていて、あとでビュターンを<死ぬよりひどい目>に遭わせようと算段していると思ったからではなく、ただ、彼の瞳を見るのが怖かった。そのひとつだけになった灰色の目を見ていると、自分が過去に犯した罪をまざまざと見せつけられているような気がして、本当に気分が悪くなった。
 結局のところ、ビュターンが彼の手足のように言いなりになったのは、贖罪の気持ちからだったと言えるだろう。贖罪のためにますます悪いことに手を染めるというのは、なんとも奇妙なことだったかもしれないが――その当時のビュターンには、それしか自分には生きる道はないというように思われていた。マイケルはビュターンの生活全般の面倒を見てくれ、さらには女の世話までしてくれた。ビュターンもまた、マイケルに忠実に仕え、彼が人を殺せと命じれば殺し、ヤクを横流しした奴を拷問せよと言われれば拷問した。
 やがてマイケルはビュターンのことを自分の片腕として心底信頼するようになり、「おまえの片方の灰色の目は、俺の目だ」と言うほどの信頼を寄せた。だがビュターンにしてみれば、自分の片目を抉りだしてマイケルの右目に移植できるなら――是非そうしたいという気持ちだった。そのかわり、もうこれで許してくれ、俺には構わないでくれ……そう叫びだしたい衝動に、一体何度駆られたことか。
 そして最終的に決定的だったのは、マイケルがビュターンのことを自分の分身のようにさえ感じて、昔養護施設で彼のことを虐待した人物――その中のひとりを捕えて、彼に差しだしたことだった。
「煮るなり焼くなり、おまえの好きにするといい」
 そう言って、マイケルが椅子に縛りつけられている体重三百ポンドはあろうかという太った男を見つめると、彼は心底震えて怖がっているということがわかった。言うなれば、ビュターンが小さな頃とは形勢が逆転したというわけだ。だが、ビュターンにはもうその男に対する復讐心のようなものは失せていた。そいつの内臓を生きたまま抉りだしたところで、自分の過去は決して癒されはしないのだ――それこそ、永遠に。むしろ、思いだしたくない過去を目の前に突きつけられて、マイケルに対してこそ、ビュターンは腹が立った。
 それで、胸元のポケットからナイフを取りだすと――マイケルはどうやら、ビュターンが太った男の腹でも刺すと思ったらしいが――変態小児性愛者にではなく、マイケルの残った左の瞳目がけて、それを振り下ろした。
「ギャアアアアッ!!」と、断末魔の叫びをマイケルが上げていても、誰も助けになどこない。ドアの前にいる連中は、てっきりデブ男が拷問されているものとばかり、思っていたのだ。
 やがて痛みのあまりマイケルが血の涙を流して失神すると、血で濡れたナイフを手にしたまま、さるぐつわを噛んでいる男とビュターンは向き合った。マイケルもこの男も、生きていたって仕様がないような奴だ。これからまた、自分のような犠牲者をださないために、ついでに殺っちまうか……。
 ビュターンがそう思った時、不意に、何かの臭気が鼻についた。男は小便を漏らして、ガタガタ震えていた。両方の瞳の白い部分が、卵の白身のように盛り上がっている。
 ビュターンは手を振りかざして、男の目を片方ずつ抉ろうとしたが、直前になってやめた。これまで一体何人のいたいけな子供を餌食にしてきたかわからない男は、気を失ってうなだれている……その瞬間に、ビュターンは何故かもういいと思った。何もかも、本当にどうでもいいと……。
 だが結局、ビュターンはマイケルとその男のふたりを殺した罪で逮捕され、裁判にかけられることになった。
 ビュターンは弁護士と何も話さなかった。陪審員の心証がどうの、そんな話もどうでもよかった。なんとかして刑務所の中で自殺する方法はないかと、そのことばかり考え続けていたのだ。
 そして、そんな彼の前に<ある人>から依頼されて、ビュターンの弁護を引き受けることになったという人物が現れる。弁護士になる前は精神科医だったというその弁護士は、ビュターンの心を開くことに成功し、彼の刑期は最初に予想されたものより、大幅に減らされることになる。
 確かに、ビュターンはマイケルの左の目にナイフを突き刺した――だが、遺体が発見された時、彼の頭蓋は撃ち抜かれ、また椅子に縛りつけられた太った小児性愛者も同じ方法で死んでいた。これらのことからわかるのは、別の何者かがビュターンに罪を着せて殺害したということだった。また、弁護士はビュターンの不幸な過去についても語り、彼が幼い頃より過剰な虐待を受けて施設で育ったこと、その暗い過去の象徴ともいえるふたりの人間が揃ったことで、理性を失ったとも話した。
 最終的に、ビュターンは十四年の刑を食らうことになったわけだが、それが果たして犯した罪に対する適当な罰かどうかというのは、彼自身にもよくわからない。最初、ビュターンが沈黙を守っていたのは、マイケルと腐った小児性愛者のためではなかった。むしろ彼らは悪い奴らなので、始末されてちょうど良かったのだ――だから罪の意識などかけらも感じない。だが、マイケルの言いなりになる過程で、ビュターンは多くの人間を拷問し、また殺害していた。そのうちの何人かについては、殺して悪かったと思っている……その罪について自分は今裁かれているのだと、ビュターンとしてはそういう認識だったのだ。
「君のサミュエルという名前はね」と、名前の由来をビュターンが聞いた時、英国国教会の牧師は言った。「旧約聖書のサムエル記からとったんだよ。サムエルはイスラエルの初代の王サウル、そして二代目の王であるダビデに油を注いで王にした人だ。彼は幼い時に、主の宮で、神さまの声を聴く。『サムエル、サムエル』と呼ぶ声をね……そしてサムエルは、てっきり祭司のエリが自分を呼んだものと思い、彼の元に行くんだ。でも、彼は呼んでいないという。そして三度そうしたあとで、エリはサムエルにこう言った。「次にそう呼ばれたら、『主よ、お話ください。しもべは聞いております』と申し上げなさい」とね。そしてまた神さまがきて、『サムエル、サムエル』とお呼びになった。それでサムエルは、祭司エリに言われたとおりにして、神さまの御声を聴いたんだ」
 ビュターンは、教会へいったり、施設で聖書を題材にした劇をやらされたりしたことはあっても、その教えの肝心な核心的部分については、何もわかっていなかった。聖書もろくに読んだことはない。けれど、この時牧師が言った言葉は、とても素晴らしいもののように思われた。だが、ビュターンのほうはどこから来ているのですか、と聞いた時、牧師の顔が僅かに曇った。
「その、どうだったかな。確かその時TVを見ていて……ビュターンという名前の人が出演していたんだよ。それでなんとなくその響きが気にいったというのかな」
 この答えは、ビュターンを心底がっかりさせた。その上、「その時TVで見たビュターンという人は、どんな人だったのですか」と聞いても、牧師はまるで覚えがないというのだ。
 ビュターンは最後に牧師から祝福を受けて教会をあとにしていたが――その時にはこう思っていた。人生など所詮、こんなものなのだと。
「あなたがわたしにサミュエル・ビュターンなどという名前をつけたから、わたしは施設でサターンと仇名され、いじめられたのですよ」……そう文句を言ってやりたい気もしたが、何分場所が場所ということもある。ビュターンは名づけ親に敬意を払って、何も言わないことにした。
 もともとビュターンは、人と話をしたり、コミュニケーションをとったりするのが苦手だった。ラケルに対してすらすらとものが話せるのは、相手が自由を奪われて自分の支配下にあるからであり、そうでなければ普通の状態で女性と対等に話をすることは彼には難しい。
 クロンカイトの指示どおり、手下を使って地下鉄やバスを爆弾で爆破した時――ビュターンはTVで人がパニックになって逃げまどう姿を見て、『自分は正しいことをした』と感じた。何故なら、自分のように影で泣くしかない人間にとっては、普通に両親が揃っていて学校へいき、その後就職し、人並の生活を送るのが当たり前という人間の邪魔をするのは――ある意味正当なことであるように思われたからだ。
 奴らが<普通の>生活を享受するその裏側で、どれほどの人間が泣き暮らさなければならないか、思い知るがいいとも思ったし、自分がこれまで人生上において奪われてきた幸福を、別の形で奪い返してやったとも思った。
 そう、これはとても正しい、正当なことなのだ――ビュターンは鏡の前で紺色のスーツに袖を通し、彼の瞳の色と同じ、水色のネクタイを締めながら思う。その姿はまるで、ロンドンの証券取引所に勤めるトレーダーといった感じだが、彼はこれから仲間のひとりと爆弾と金の取引をしにいくところなのである。
 ビュターンにも確かにかつて、過去を振り切っていいことをしようと思う心根はあった。だが、<運命>というものがことごとく彼の前に立ちはだかり、その邪魔をしたとしか思えない。真面目に働いても、稼げる金などほんの微々たるものでしかない――それなら、こんなことでもする以外に、道はないではないか。
「あの、ワンちゃんが……」
 隣の部屋から、可愛らしい女の声が聞こえて、彼は思わず笑いそうになる。ウンコとか、クソという言葉を発音するのが恥かしいのだろうか。なんとも、お上品なことで。
 ビュターンは最後に、残酷な顔つきになると、そのあと一切の表情をそこから消した。そしてリビングのほうへいってみると、案の定、ベティがほかほかのウンチをしているところだった。
「あんた、運がいいな」と、ビュターンはまた笑いそうになりながら言った。「俺が出かけたあとだと、フンの始末は無理だったろう……こいつ時々、クソを踏んだままの足で近寄ってくることがあるからな。そんな目にあわなくて助かったろ?」
「……………」
 ラケルは何も言わず、黙ったままでいる。というより、なんて言ったらいいのかもわからなかった。
「まあ、なんでもいいが、俺はこれから用事がある。俺が戻ってくるまで大人しくしてろって言っても無理かもしれない……だから、これをやる」
 ビュターンは犬の糞の始末をして、手を洗うと、ラケルに近づいてきた。思わず彼女は身を引いたが、ビュターンは一切頓着しない。
「これは……?」
 首にひやりとした感触があり、ラケルは戸惑った。赤いチューブの先に小さな球形の飾りのようなものがぶら下がっている。
「いいネックレスだろ?これは、俺が起爆装置のスイッチを押せば、爆発する仕組みになってる……そうすれば、あんたの顔は焼け爛れて、二目と見られぬ容貌になるだろう。それが嫌なら」と、ビュターンはラケルの顎を手で押さえながら言った。「俺が戻ってくるまで、大人しくしてるんだ……いいな?」
「……………!!」
 ビュターンはラケルが泣きそうな顔をしているのを見て、とても満足した。微かに体が震えており、首筋に鳥肌が立っているのがわかる……昔、彼のことを陵辱した施設の職員も、今の自分と同じ気持ちだったのだろうか?無力な存在を自分の思いどおりにできるのは、とても楽しいことだ。それが美しい女であればなおのことだろうと、ビュターンはあらためてそう思う。
「じゃあ、逃げようとした痕跡がどこにもなくて、本当にあんたが大人しくしてたようだったら、今日の夜は美味しいものをご馳走してやるよ。まあ、楽しみに待ってるんだな」
 ラケルが心底怯えきっている様子なのを見て、ビュターンは上機嫌で取引場所へ出かけていった。本当に欲しいものがひとつ、手に入ったとそう思った。あと大切なのは、ちょっとずつ相手のことを洗脳し、昔の男のことを忘れさせ、心身ともに自分に頼りきるようにさせることだ……。
 これというのも、ベティが上玉を引っかけてくれたそのお陰だとビュターンは思い、可愛い犬のためにも何か、いつもよりワンランク上のドッグフードを買ってやろうと、そう考えていた。



 
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【2008/07/01 15:29 】
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