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探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』~終章~
探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』

          終章

「あれ、L。もしかして卵買うの忘れちゃったとか?」
 Lはタクシーに乗っている間も、ずっと様々なことに思いを馳せ、考えごとをするのに忙しく、三時のおやつのクリームブリュレの存在をすっかり忘れきっていた。ホテルの自分の部屋に辿り着いた途端にLは、がっかりしたようにその場にへなへなと膝を着いている。
「クリームブリュレ……忘れてました、卵を買ってくるのを……ああ、わたしの大好きなクリームブリュレが遠ざかっていく……」
「大袈裟ねえ。そんなにクリームブリュレが食べたいなら、これからわたしが自分でいって卵を買ってくるわよ。ちょっと待ってて」
 エプロンを外し、軽く身仕度を整えようとするラケルのことをLは引きとめる。ちらと室内にある時計を見、五秒ほどLは考えごとをした。
「あ、L。おかえり」と、メロがふたりの話声を聞きつけて、モニタールームになっている部屋から出てくる。「早速で悪いんだけどさ、ちょっと報告したいことがあるんだ。悪いけどクリームブリュレのことはラケルに任せて、ちょっと聞いてくれないかな」
「メロ、それは急ぎますか?」Lはラケルの腕をつかんだままで言った。
「うーん。急ぐっちゃあ急ぐ話だけど、どうかした?例の枢機卿と何か問題でもあったのか?」
「いえ、彼の問題はわたしには解決できませんから、仕方ないとして……例の日記帳の送り主が今、この近くにきてるんですよ。確認する絶好の機会かと思いまして」
「ああ、そうか。それなら行ってくれば?俺は夜になったら出かけなきゃならないけど、それまでには戻ってくるだろ?」
「ええ、余裕ですね。ちょっとラケルを連れていったほうが都合がいいので、一緒にいきますが、留守番お願いします」
「ああ、わかった」
 ふたりの間で方針が決定すると、ラケルはほとんど本人の意志を無視されるような形で、Lに外まで連れだされた。五番街にあるすぐそばの高級ブティックへと連れこまれる。
「L、何これ?わたしがいきたいのは卵を売ってる食料品店……」
「気にしないでください。あなたはいつも似たような服ばかり着ているので、たまには違う洋服を買うのも悪くはないでしょう。すみませんが、適当にセレブっぽく見えるように見繕ってください」
「え、ちょっとL……」
 ラケルが百戦錬磨といった感じの店員数名に店の奥へ連れこまれるのを見送ると、Lは時計の針を気にしながらそわそわと、彼女が戻ってくるのを待った。プラダの白いドレスに靴、バッグにアクセサリー、帽子を含めてしめて五千ドルをカードで精算し、今度は彼女のことをタクシーの奥へと引っ張りこむ。
「すみませんが、セントラルパーク・ウエストまでお願いします」
 黒人のタクシーの運転手は、ノートルダムのせむし男とその隣のセレブ系ブロンド美人を見比べて、(随分おかしな組み合わせだな)と思いはしたものの、特に気にせず、ただ黙って近くのセントラルパークへと向かった。
「さあ、ラケル。こっちです」
 白い手袋をはめたラケルのことを引っ張って、Lはセントラルパーク内で開かれている、米大統領夫人、ナンシー・サイラスの講演会へとラケルのことを連れていった。公園の芝生にはパイプ椅子が数えきれないほど並び、座りきれなかった人は立ったままで彼女の『戦争と平和』と題した話に聞き入っている。今彼女が戦争や平和のことを論じるのは時節的にデリケートな感じもするけれど、ファーストレディが講演の中で話しているのはトルストイの同名の小説のことであり、ロシア文学に造詣が深いと言われる彼女は、そのことに被せて平和の尊さを語っていたのだった。
 その講演を聴いていると、彼女も彼女の夫も平和主義者であることが強く伝わってくるだけでなく、あくまでも文学作品の内容から引用して戦争について語るという形をとっているために、今イラクで起きていることを直接論じる形にはなっていないのが肝要な点だと、Lはそう思いながらサイラス夫人の話を聞いていた。
「日記帳!」
 人々が割れんばかりの拍手を送る中で、Lは猿のように飛び跳ねながら何度もそう叫んだ。
「日記帳!日記帳!」
 米大統領夫人だけでなく、衆目の注意さえ引く形になると、Lは今度はさっとラケルの後ろに隠れて、そこからそっとサイラス夫人の眼差しだけをじっと見つめた。
 周囲の人々はラケルとLのことを、セレブ夫人とその可哀想な知恵遅れの親戚か何かといったような目で見ており、その後問題らしきものは何も起こらなかった。ただ、ファーストレディを守護するシークレットサービスの男がひとり、近づいてくる以外は。
「サイラス夫人が是非あなたと少しお話がしたいそうです。そちらの方の障害のことで、何かお力になれればとのことです」
「え、えっと彼はべつに……」
 ラケルの口をふざけたように片手でふさぐと、Lは身長が二メートルほどもあるいかつい黒服の男の後へと黙ってついていった。黒塗りのストレッチ型リムジンの後部席を開かれ、中に通される。
 車内はまるでそこで生活しても支障ないほど広く快適であり、ソファの座り心地もとても良かった。
「……あなたが、<L>?」と、褐色の美しい巻き髪の夫人は、どこか気品を感じさせる仕種で、どうぞと紙コップのコーヒーを勧めた。
「いえ、わたしはLの代理で竜崎と申す者です。彼女はわたしの秘書で、ララ・ヴェルケットと言います」
 そう言いながら早速Lは、コーヒーにシュガースティックを次から次へと放りこんでいる。
「大統領夫人もお忙しい身でしょうから、お話のほうは手短に行いたいと思っています。例のご主人の日記帳のことですが、何故あれを<L>宛てに送ろうと思ったんですか?」
「主人の苦しみを、見ているのがつらかったからです」と、シャネルのスーツの前で手を組み、ナンシー・サイラスは伏せ目がちに言った。「そもそも主人は……世間でもそう言われているとおり、大統領なんていう器の人じゃないんです。ところが何か逆らえぬ力に押されるように、大統領になってしまった。そもそも副大統領に抜擢されたこと自体が間違いだったんです。あのままテキサス州の知事のままでいれば、わたしも主人も娘も、幸せだったんでしょうに……」
「お気持ちはある程度察しますが、イラク戦争が起きる前に時間を戻すということは、神にも不可能なことです。理論上はタイムマシンというものは完成しているそうですが、そんなことはどうでもよくて、大切なのは<今>どうするのかということです。ご主人の大統領としての任期はとりあえずあと一年以上あるわけですし――<L>の話では、決してサイラス大統領に国を治める者としての器がないのが問題だというわけではないということでしたよ。むしろ彼のまわりには優秀な人材がきら星の如く集まっているといってもいい。ただ、そうした一般にエリートと呼ばれる人たちは、一度ひとつの理念に凝り固まってしまうと、容易にパリサイ化してしまうんです。信心深いあなたになら、わたしの言っている意味がわかるでしょう?」
「ええ、大体のところは……」と、ナンシー・サイラスは伏せた長い睫毛を上げて、じっとLこと竜崎のことを見つめる。表面上ははかなげな、触れれば折れるような物腰であるにも関わらず、その青い瞳の奥には鋼鉄のような強さがあることに、Lは気づいていた。
「<L>はあなたのことも、ご主人のこともよく調べて知っています。そもそもあなたの影の支えがなければ、サイラス大統領は副大統領はおろか、州知事にもなれずに終わっていたでしょうね……これは<L>の推測として、わたしが代弁させていただくことなのですが、あなたはずっとご主人の公務全般について適切な助言を与え、彼の自尊心を傷つけぬように配慮しながら、彼の政治家としての仕事を手伝ってきた。サイラス大統領の良い点を国民に聞いたとすれば、「愛妻家」と答える人が物凄く多いでしょうが、まさか彼の政治家としての仕事をそれとわからぬ形であなたが実際にリードしてきたのだとまで言い当てられる人は少ないでしょう。あなたは先ほど自分の夫が「大統領になどならなければ」とおっしゃいましたが、それは外れているとわたしは思っています。彼が副大統領やさらには大統領にまで上りつめた時――あなたは内心こう思ったのではありませんか?「とうとう<わたしの力>で、主人のことをアメリカの最高権力者にまで押し上げることができた」と……ですが、現実の政治世界の最上層部にはおそろしいまでの権謀術数が影にひそんでおり、流石のあなたももう、身動きのとれない傀儡ともいえるご主人のことを支えきれなくなった。先ほどあなたが言った「テキサス州の知事のままでいれば」という発言はそういうことです。州知事であった頃が一番幸せだった、政治的野望の裾野を自分の手に余るほどに広げるのではなかった……そういうことなのではありませんか?」
「流石は噂どおりの探偵さんですわね、<L>という方は」と、ファーストレディは愉快そうに優雅に微笑んでいる。「いまさらお上品ぶって嘘などついてもはじまりません。あなたの……いいえ、Lという方のおっしゃるとおりですわ。主人はとても単純でわかりやすい人ですの。それに簡単にすぐ家族や友達の言うことを信じてしまいますのよ。こんなことを言うからといって、決してわたしが妻として内心では夫のことをコケにしているだなどと、お思いにならないでくださいね。わたしは主人のことを愛しているんです。本当に愛すべき、可愛い人なんですのよ。先ほどわたしは州知事のままでいればよかったと言いましたけれど、それはもっと正確に言うとすれば、そもそも主人は政治家になんてなるべき人じゃなかったんです。ただお父さまが政財界に顔の利く人だったばっかりに――わたしの父親もそうですけれど――その道に進むしかなかったんです。わたしはいつも夫のそばで、苦しむ彼のことを見つめてきました。彼の仕事を間接的に助けようと、あらゆる苦心を凝らしもしました。主人はあのとおり、感情がすぐ表にでるわかりやすい人なものですから、わたしの意見を自分の意見として知らぬ間に植えつけることなどは簡単でしたわ。そしてわたしは、意外にも自分に政治的才能があるのを発見して――以来、主人の仕事が我が事のように大切になってしまったんです。でも州知事というのがわたしが主人のことを影で支えうる、レベルの限界でした。今はもう彼がただ心の底では苦しみながらも、表面上は何も問題がないかのように明るくふるまう、その姿に合わせてわたしも偽善的な態度をとるしかないまでに追いつめられてしまったんです。もし明日彼が大統領室で首を吊っているのが発見されたとしても、わたしは少しも驚きません。夫の政治顧問やCIAやシークレットサービスの人間は、そうしたらどうしますかしら?少しは良心の呵責というものを覚えて、自分たちが真綿で首を絞めるようにして大統領のことを殺したのだと、死に追いやったのだと認めるでしょうか?……いいえ、決してそうはならないでしょう。主人の死の真相は妻であるわたしの目からさえも隠蔽され、心臓発作か何かとして処理されるでしょうね。わたしは毎日気が気じゃないんです。もしあの人が今日死んだら、いいえ明日死んだらと想像しただけでも……だって、あの人のことを副大統領にするために、あらゆる手を回したのはこのわたしなんですもの。わたしだって、彼の首を絞めた殺人者のひとりといってもいいくらいなんですわ」
「それで、ご主人の日記帳を盗み読みするようになったというわけですか?」と、Lは泣きじゃくる大統領夫人のことを冷静に眺めながら、コーヒーをすすった。
「ええ……先ほどわたしはトルストイの文学作品について論じてましたけれど、トルストイと夫人のソフィヤ・アンドレーエヴナが互いに日記を交換しあっていたのを、ご存じでらっしゃるかしら?」
「一応読んだことはありますが、個人的な感想を言わせてもらえば、たとえ夫婦であってもああしたことはすべきじゃないとわたしは思いますね。人に読まれると思うと、無意識のうちにもそれは人に読ませるための文章になってしまって、結局のところ本当の意味での『日記』としての効用が失われてしまうんです。日記というのは、心の言葉の墓場のような部分もありますから、その最後の逃げ場まで失ったとしたら、鬱病になるか自殺でもする以外に道はありません」
「そのとおりですわ。主人が昔から日記をつけるのを習慣にしているのをわたしは知っていましたけれど、これまで一度も盗み読みなんてしたことはなかったんです。でもあの人のことが心配でつい……そしたらある時、文章の調子が変わっていることにわたしは気づいたんです。あの人ったら、日記の中でまでわたしに心配をかけまいとして、嘘をつくようになって!」
 サイラス夫人は涙をすすりあげるうちに、だんだん様子がヒステリックになっていった。まるで何かの発作に見舞われでもしたように、ヒーック、ヒーックと、喉を鳴らしている。ラケルは何かの病気の前触れではないかと不安さえ覚え、夫人の隣に席を変えると、子供のように泣きじゃくる彼女の背中をさすった。
「つまり、ご主人は妻であるあなたの盗み読みに気づいて、文章の調子をそれとなく変えたということですか?」
「そうなんです。普通の人ならもしかしたら気づかないほどの小さな変化だったかもしれません……でも、夫婦ですもの。そのくらいのことはわかりますわ。わたしたちにはもう、どこにも逃げ場がないんです。だから、もしかしたら<L>ならわたしたちを助けてくれるかもしれないと、そう思って……っ」
 Lはラケルの分のコーヒーにまで手をだすと、その紙コップの中にざらざらとシュガースティックを七本分入れた。プラスチックの棒で中身をかきまぜながら、ナンシー夫人の感情の昂ぶりがおさまり、気分が落ち着くのを待つ。それはLにとっても大統領夫人にとっても必要な、ある種の<間>だった。
「申し訳ありませんが、わたしはあなたが心の底で密かに願っているであろうことを、叶えられそうにありません」
 ナンシー夫人はハッとしたように顔を上げ、化粧がとれてくしゃくしゃになった顔にもう一度ハンカチを押しあてると、今度は押し殺したように涙を流しはじめた。最後の希望の細い糸が断たれた、そう彼女が感じているだろうことは、隣にいるラケルにさえも痛々しいまでに察せられることだった。
「ただ、そのかわり……」と、Lは慎重に言葉を選びながら言った。それは、影でこっそり秘密裏にLがアメリカの政策決定について大統領に助言するかわりに、という意味だった。「<L>にもそれなりに幅広い人脈というものがありますから、サイラス大統領にとって今足枷のように重い存在となっている政治顧問の首をすげかえて風通しをよくすることくらいはできると思います。いえ、今大統領は足枷だけでなく手枷と首枷までついたような、自分の意志では身動きのとれない状況に置かれていると思いますが、まずその手枷と首枷をとることくらいは<L>にもできる、そう言いかえたほうがいいかもしれませんね。最終的に足枷くらいは残るでしょうが、耐えられないほどの重みというほどではないはずです。あなたのおっしゃったとおり、サイラス大統領は愛すべき、いい人なんだとわたしもそう思います。ただ、いい人すぎるあまり、政治の世界には不向きだということはいえるかもしれません……でもそれはあくまでも彼が実際に政治家として歩みはじめる最初の頃の話です。彼は確かに人は好いが、決して馬鹿というわけじゃない。あなたはこう思ったことはありませんか?優しい彼が、実はすべてをわかっていて、あなたの言い分をよく聞き入れて政治的方針を定めていると……つまり、操られているようなふりをしながら、実際には彼が手綱を握っていると感じたことがきっとあるはずです。あの日記を読むと、ご主人は確かに臆病で小心であるように感じられますが、それは彼が人間として弱いということとイコールではないんです。サイラス大統領はあなたが思っている以上にずっと、本当は強い人なんだとわたしは思いますよ。そこで、これ一回限りという約束で、今後のことについてLのかわりにわたしが助言したいと思います。これから公式の場では、政治顧問が書いた文章をそのまま読み上げるのではなしに、大統領が自分で思ったことを発言されるのが一番なのだとわたしは考えます。そのためにあなたが元の草稿よりも遥かに立派で素晴らしい文章を彼のかわりに書くというのもいいでしょうし、言葉に詰まりながらアドリブで大統領が自分の言葉を生のままで国民に伝えたとしてもいいでしょう。もし失敗して笑われても、べつにそれならそれでいいじゃないですか。第一、自殺するにも相当な勇気がいるんですから、そのエネルギーを別の方向へ向けたと考えれば――最初の一段を踏み越えることさえできれば、あとのことは格段に楽になるはずです」
「そんなこと……できるでしょうか、本当に?」
 半信半疑という顔をして、ナンシー夫人はじっとLこと竜崎の、どす黒い隈の浮かんだ目のあたりを見つめる。彼女にとって彼は、知恵遅れの障害者というよりは神がかり行者に近かった。今自分は神その人の託宣を聞いているのだと、ナンシー夫人はそう信じて疑いもしなかった。
「できますよ、あなたになら……いいえ、あなたとサイラス大統領になら。第一、もしそのことが原因で大統領の座を引きずり下ろされたとしても――それならそれで、願ったりじゃないですか。でもやはり名誉というものは大切ですからね、大統領には<L>がこう言っていたと伝えてください。自分の遺書を読み上げるくらいの気持ちで、なるべく早い時期に自分がアメリカ国民に今もっとも伝えたいと思うメッセージを読み上げるべきだと……もし彼にそれができるなら、影で秘密裏に暗殺される可能性は低くなりますし、そうした政治勢力を抑える方向で今後わたしやLのほうでも動きます。今はデイヴィッド・ホープ元大統領のスキャンダルでまだ政界は揺れている状態ですからね、こんなに短い期間にアメリカの大統領の首が変わったのでは、政治を裏で操ろうとする黒幕たちにも都合が悪いはずです」
「そう、うまくいくかどうかはわかりませんけれど」と、夫人はまるで肩の荷がすっかり下りたとでもいうように、まだ頬に残る涙をハンカチで拭きとりながら弱々しく微笑んだ。それは最初のどこか人工的な笑顔よりも、清々しくて誰の目にも好感を抱かせるものだった。
「でもなんだか、すべてをこうしてあなたにぶちまけることができただけでも、とても気持ちが楽になりました。確かにそうですわね、自殺するにしても暗殺されるにしても、主人は最後にきっと、自分の言葉で言いたいことがあるはずなんです。ありがとう、竜崎さん。そしてLによろしくお伝えください。自由の国アメリカはこれからも、自国民の利益を脅かすような犯罪組織の逮捕のためには、惜しみなく無償であなたに協力するということを……」
「確かにそのようにお伝えします」と、竜崎ことLは敬意を表するように深々と大統領夫人に頭を垂れ、紙コップを手にして立ち上がった。「それではララ・ヴェルケット、我々の任務はこれにて終了ということで、早々に退却するとしましょう」
「お送りしなくてよろしいんですの?」
 ナンシー夫人は最後にラケルに手を差しのべて、彼女と握手しながら言った。
「ええ、これからちょっと卵を買って帰るようにうちのボスに言われてるもんですから。それでは大統領夫人、大統領閣下によろしくお伝えください」
 嘘か本当かもわからない竜崎の口ぶりに、サイラス夫人はくすりと笑って、スモークの張られた黒い窓越しに手を振っている。障害児教育のことを熱心に大統領夫人と話しあったはずのセレブ、ララ・ヴェルケットは、夫人の車が見えなくなるまで見送ってから、先にさっさと歩いていこうとするLの後を追いかける。
「夫婦っていうのは、どちらかがどちらかに一方的に依存してるってわけじゃないのねえ」と、公園内を横切りながら、ラケルは感慨深げに言った。
 市民の憩いの場であるセントラルパークでは、散歩を楽しむ人や子供連れでピクニックしている夫婦の姿などが多数見受けられる。その中をラケルとLはフィフス・アベニューに向けてタクシーを拾うために歩いていった。
「確かにそうですね。わたしはボスであるあなたに弱味を握られているので、怖くて逆らうことができませんし」
「……なんか引っ掛かるんだけど、その言い方」ラケルは帽子をとり、その中にイヤリングやネックレスなど、普段身に着けなれていないものを入れている。これが全部でどうして五千ドルもするのかしら、と思わず溜息がでてしまう。「大体、Lの弱味ってなに?甘いものならべつに、わたしが作らなくても超のつく有名なパティシエを抱えこむってことだってあなたにはできるんだから、それはちょっと違うと思うんだけど」
「そうですね……でも本当のことを言ったらラケルは怒りそうなので、黙っておくとしましょう」
 フィフス・アベニューでタクシーを止めながらLは言った。中に乗りこむと、運転手にメイシーズまでいってくれるように頼む。単に卵を買うだけでなく、今回自分の可愛い愛犬が役に立ったので、その褒美として何か与えてやろうと思ったからだった。
「そういう中途半端な言い方されるとかえって気になるじゃないの。怒らないから、はっきり言ったら?」
「本当に怒りませんか?絶対ですね?」
 そう約束させたあと、Lはある言葉を彼女の耳元に囁いた。その後、タクシーのバックミラーにはセレブ夫人が障害者を虐待するかのような場面が演じられていたけれど――黒人の運転手は余計なことには関わらないほうがいいと判断し、見て見ぬふりをしながらヘラルド・スクエアにある巨大デパートへと向かったのだった。



終わり






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【2008/03/05 18:06 】
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