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探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』~第Ⅳ章~
探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』

       第Ⅳ章

 ジョージア州フォートベニング陸軍基地でメロは、とりあえず歩兵少尉という位を授けられて、小隊に必要な武器すべての使用方法、小隊規模でのパトロールと戦術、射撃統制などを他の士官たちに混じって学んでいった。一週間が過ぎると軍事教官はチャールズ・ディキンスン少将と連絡をとり、「そこそこ出来るようです」と極めて控えめな意見をメロについて述べ、彼は次にはフロリダにある空挺学校でパラシュート降下訓練を受けることになった。厳しい体育訓練――腕立て伏せ、スクワット・ジャンプ、腹筋運動、懸垂、十五キロの荷物を背負ってのランニングなどに耐え、メロは教官の言うことにもよく聞き従った。教官はメロと同年兵の士官たちに航空機から飛び降りる前に何度もこう言ったものだった。
「飛行機から飛びだすのを怖がるんじゃないぞ、着地の時も怖がるな。リラックスして何も心配するんじゃない」……パラシュート降下というのは、常に危険がつきまとい、不意にトラブルが発生する可能性があるものだ。もしかしたらパラシュートが開かないかもしれないし、もし開いたとしても、着地に失敗すれば骨折する可能性だってある。この時メロとともにC-119(古い双尾翼の中型輸送機)から飛び降りた若い士官たちは訓練終了後に楽しい悪ふざけのことでも思いだすように、口々にこう言ったものだった――「怖がるなだって?怖いに決まってんだろうが!こんちくしょうめ!」
 実際に訓練中に骨折した隊員がいたことも思えば、決して笑いごとではすまされなかったが、それでもメロは教官の言った言葉は確かに正しかったと感じていた。メロは生来が怖いもの知らずだったし、この時もまったく恐怖を覚えたりはしなかった。むしろつまらない地上の基礎訓練のことを思えば、こうした実践的な訓練はメロには楽しくさえあった。だが、自分の心の隅で同時にこう思ったのも事実だった。「怖がったら負けだ」と。つまり、メロに言わせれば訓練中に骨折した隊員などは、教官の言った言葉を信じなかったことが降下失敗の原因だったともいえる。「リラックスし、何も心配せず怖がるな」……この時こう助言した教官の名前や顔をメロはすぐに忘れてしまったが、彼の言った言葉をその後の人生でメロは何度か思いだすことがあった。まったくその通りだった。
 そしてさらに一週間、今度はレンジャー部隊の一員としてサバイバル訓練を受けたのち、メロは今度はサウスキャロライナ州フォート・ジャクソンにある陸軍基地で特殊部隊員としての訓練を受けることになった。メロは特別に速習的に爆発物処理法・通信法・救急
処置法・あらゆる武器や弾薬の扱い方法などを学び、さらには野外での隠密・秘密作戦の実践的展開訓練、敵地及び敵手からの脱出訓練、部隊訓練や実弾訓練などを三週間ほどここで経験したのち、実際にイラクへと派遣されることが決まった。
 ある意味にわか仕込みのこうした陸軍での訓練のすべてが終了すると――メロは上官に呼びだされて、引き続き正規の訓練を受けてはどうかと勧められた。もちろんメロに特殊部隊員として落第の判を押したというわけではない。その逆だった。メロは正規の特殊部隊員に正式にスカウトされたのだった。
「そのほうが今後何かと君や君の上司にとっても便利ではないかと思うがね」と、テレンス・フォスター少佐は言ったが、メロはこのどこか温厚そうな上官の有難い申し入れを丁重に断った。メロ自身にとっても意外なことだったが、メロにとって陸軍というのはとても居心地の好い場所だった。生来持って生まれた気質に合致しているといったような印象さえ受けた。だがやはりメロは性格的にせっかちだったし、なるべく早くLに与えられた任務をこなして、彼の期待に応えたいとの思いがもっとも優先された。そして何より――一番問題だったのがやはりこの場合も<チョコレート>だった。
 もちろんメロはテレンス・フォスター少佐に「陸軍では自分の好きな時にチョコレートが食えないので辞退します」とは答えなかったし、ただ極控え目に「自分には自分の任務がありますので」と答えただけだった。フォスター少佐は溜息を着き、「そうか。本当に残念だな」と言ったが、メロはこれでやっと一旦休暇がとれて、ほっとしていた。何故なら九月の初めに軍キャンプからイラクへ出立するまでのほんの短い間は、久しぶりにチョコレート食べ放題の一日を過ごすことができるからだった。

 アメリカ海軍の基地があるカリフォルニア州サンディエゴから、メロの乗る航空母艦は出発し、日本の横須賀で燃料を補給してのち、ペルシャ湾へ向かうということになった。他のクルーには当然、海軍の者といれば海兵隊や空軍に所属する者もあり――そうした四千五百名もの兵士たちと、メロは一路イラクへ旅するということになったわけだ。
 メロが今回Lに与えられた任務はマギー・マクブライド大佐にもチャールズ・ディキンスン少将にもその内容を知らせてはいないので、おそらく彼らはメロがLから受けた<密命>がなんであるかを知ろうとして、自分の配下の者を使って探ろうとしてくるかもしれない……そうLからの忠告は受けていた。これからメロは歩兵部隊の補給科の一員としての任務を果たしつつ、マギー・マクブライド大佐とバクダッドで一度合流したのち、アブグレイブ刑務所の刑務官に転任されるという予定だった。
 補給科というのは文字通り、食料・医薬品・被服・電子機器・武器・弾薬などを補給する科のことで、この部隊が直接戦闘に参加するということは――ー応建前上はない。だが、曲がりなりにも陸軍内部に密偵として放たれる以上、基礎的な技術訓練や教練、団体行動などは身に着けていてしかるべきものだった。それに実際のところ、メロに思った以上の特殊技能が備わっていたからこそ、チャールズ・ディキンスン少将は彼の身柄を引き受けることにしたのだともいえる。
 ディキンスンは今バグダッドにある対イラク戦争における作戦本部で特殊部隊の司令官として指揮をとっていた。メディアなどでも周知のとおり、戦争開始後三週間でフセイン政権が倒れてのち、事態は捗々しくなかった。予想されていた最悪の市街戦がはじまり、戦争の泥沼化が懸念される中、ディキンスンは何人もの有能な部下たちを失っていた。彼は<裏>のCIAに所属する人間ではあったが、それと同時に生粋の誇り高い軍人だった。CIAのスタンスフィールド長官からLの密偵のことを聞かされた時、彼は「役に立たない犬を送りこまれても困る」と即座に断ろうとしたのだが、長官が「互いの利益のためにはどうしてもLの要求を飲まざるをえない」と言うので、不承不承ながらも今回の仕事を引き受けることになったというわけなのである。
 果たしてLは一体この戦争の何を知りたいというのか?悲惨な現実をか?それとも単に軍部で隠蔽工作が行われているとの情報を特別な筋からキャッチしたとでもいうのだろうか?日々が臨界態勢の今のディキンスン少将の職務からいって、外部の人間に余計なことを嗅ぎまわられるのは迷惑以外の何ものでもない。スタンスフィールド長官は「Lが知りたいのは特殊部隊のことではない」と請けあってくれたが、それならば何故特殊部隊の一員としての配属を最初に希望したというのだろうか?……現在特殊部隊の作戦本部長を務めている彼には、そんな余計なことにまで気をまわしている余裕はなかった。そこで、軍部に属する人間の中でもっとも信頼ができ、彼のCIA職員としての直属の部下ともいえるマクブライド大佐にディキンスンは事のすべてを任せることにしたのである。
 メロがコンパートメント(居住区画)から夕食をとるために食堂へいった時、男の隊員に混じって女性がひとりいたので、彼は少しだけ驚いた。Lから女性兵士はエネルギー支援や食料補給などの後方支援に回されることが多いと聞いてはいたものの――てっきり、野郎どもとは隔離されて、女性兵士は女性兵士だけで仕事をするのだろうと思いこんでいたからである。紅一点というのか掃きだめに鶴というのかわからなかったけれど、男だらけのところへもってきて、彼女はめっぽう美人でもあったため、まわりを何人もの若い男たちに囲まれていた。
(ま、これだけ男がいて誰にもちやほやされなかったとしたら、それはそれで悲しいかもな)などと思いつつ、メロはハンバーグやスパゲティーなどの盛られた皿を給仕係りから受けとり、座席に座った。てっきりここでも、冷たい麦飯やレトルト食品のようなものを
食べさせられるのかと思いきや、意外にも食事の内容がずっと良いことにメロは驚いていた。唯一、デザートにチョコレートがついてこないのが不満と言えば不満だったが、それも艦内にある売店で買えばすむことだった。
「やあ、君もこの部隊にいるだなんて奇遇だね」
 メロがハンバークにフォークを突き刺していると、彼の座るテーブルの前に腰を下ろした人物がいた。リロイ・デンジャーという名前の、黒人の青年だった。
「……リロイ。おまえ、砲兵になるんじゃなかったのか」
「さあね。よくわからないけど気づいたらいつの間にか後方支援に回されてたんだよ。メロにはフロリダのキャンプで本当に世話になった。偶然とはいえ、また会えて嬉しいよ」
 メロはフロリダのレンジャー部隊の訓練で、リロイとグループが一緒だった。訓練中、川の十メートルほど上方にかけられたロープを渡っている時、突然教官が川岸から怒鳴り、仮想敵が急襲してきたという設定に切り替えられた。ようするにもっと急いでロープを渡れということだった。メロの後ろにいたリロイはその時、自分の背丈以上もある川に落ちてしまったのだが、くそ教官は今度はメロに「仲間が敵に撃たれて怪我をした、早く助けろ!」と命令したのである。仕方なくメロはロープから手を離して同じように川へ落ちると、リロイの体を引っ張って、三十メートルもの距離を死ぬ気で泳ぎきった。
(……まさかこいつがディキンスン少将の息のかかった人間で、Lの密命とやらを探るために俺につけられたスパイってことは……)
と、一瞬メロは疑ったが、やはりありえないと思った。リロイはフロリダのキャンプで、「ごちそう」として鶏や兎や蛇、アライグマやワニなどを渡された時――メロが容赦なくそれらの皮を剥いで手際よく調理していくのを見て、「何故そんなおそろしい真似ができるんだ」というような、怯えた目をしていたからだ。
(まあ、おそらくは兵士として適性なしと見なされたんだろう。それで補給科にまわされたってとこか)
「おまえさ、なんで軍隊に入ろうなんて思ったんだ?それも最初は前線を希望してたんだろ?訓練を通して向いてないなとは思わなかったか?」
「仕方ないよ」と、リロイは肩を竦めている。彼は偽造されたメロの入隊許可証に書かれた年齢と同じ十八歳で、小柄な上、どこか頼りなさそうな感じだった。「軍隊で六年務め上げたら、大学に進学するための奨学金がでるんだ。うちは兄弟が多い上に貧乏だから、これが苦肉の策ってところ」
「へえ」と、メロはどこか感心したようにハンバーグを食べながら言った。軍のキャンプで訓練中、メロは<イラク人のために……>とか<イラクのために……>と兵士たちが何か催眠術にでもかかっているように口々に話しているのを聞いていた。だがメロにしてみれば、リロイのように<イラクのため>などと建前的なことは言わず、『大学に進学するため、自分のためだ』と言われたほうがよほどすっきりする。そもそも今回のイラク戦争はアメリカの世界戦略として、第一の布石として真っ先にまずイラクがその候補に上げられたという向きがある。結局のところアメリカは、口では「フセインの圧政に苦しむイラク人を解放するため」などと耳に聞こえのいいことを言いながら、中東における重要な拠点としてイラクが必要だったともいえるだろう。事実、サウジアラビアをはじめとするアラブ諸国はフセインのイラクよりも今回のアメリカの侵略のほうがより脅威だと見ている。もちろんフセインのやり方はひどいものだし、彼に味方しようというわけでもないが、今後の中東における脅威の度合いという面について考えれば、諸手を上げてアメリカ軍を歓迎するというわけには当然いかなかった。
「よお、リロイ」
 メロが食事を終え、食器を下げるために席を立とうとしていると、どこか馴々しい感じのする背の高い白人が、彼の座るテーブルまで近づいてきた。
「そっちの相棒……ミハエル・ケールとか言ったっけ?ミハエルってことはドイツ人か?どうりでナチくさいと思ったぜ。ドイツ人と黒んぼのコンビとは笑えるな」
(一体今は西暦何年だ?)と、メロは眉をひそめたが、馬鹿を相手にしていても仕方ないと思い、無視して白人ののっぽの傍を通りすぎることにする。
「待てよ。おまえは今日から俺の部下なんだからな。こっちの命令には聞き従ってもらうぜ」
 馴々しく肩に手をまわされて凄まれたが、メロはその白豚の太った脚を思わせる腕を振り払った。
「汚い手で触るな、この豚野郎」
 途端、食堂にいた五十名ほどの兵士たちの視線がメロともうひとり――エドワード・ノックス中尉に釘づけにされた。そして一触即発の睨みあいが数秒続き、あわや喧嘩になろうかという時、その場にそぐわない女の声が止めに入ったのだった。
「やめなさいよ、エド。その子、あなたより年下なんでしょ?」
 すらりと背の高いブロンドの美人、メアリ・トゥールーズが歩いてやってくると、男の兵士たちはまるで彼女に敬意を払うように通り道をあけている。そしてメアリがノックスの腕に自分のそれを絡ませると、彼は牡牛のような四角い顔に歪んだ慈悲のようなものをちらりと浮かべていた。
「今日はこれで勘弁してやるよ。だがな、明日は覚えておけ」
 顔の真ん中を指さされ、肩を強引に突き飛ばされたが、メロは(まあ、とりあえずいいだろう)と思い、その場は引くことにした。何よりちょうどその時、この中隊を率いるマイク・マクダーモット少佐が食堂にやってきたためでもある。
 メロは厨房のカウンターのところにトレイを置くと、廊下を歩いて自分に与えられた四人部屋へ真っ直ぐ戻ろうと思った。

「メロ、今のはまずいよ!」
 すぐさま後ろをリロイが追いかけてきたが、メロは先を急ぐように彼のほうを振り返らなかった。
「あいつは……僕の属する小隊の隊長だからわかるけど、とにかく嫌な奴なんだ。絶対逆らわないほうがいいって。第一あいつは君と同じ少尉でなしに、一応上官の中尉なんだからさ!」
「この際中尉もクソもあるか」とメロは言った。「売られた喧嘩は買う。あいつが俺より位が上でも、それならそれで影でこっそり黙らせてやるまでだ」
「で、でも……」
 それ以上リロイはメロの後を追ってはこなかった。リロイは能力的にも人間としても、ノックスよりメロのほうが器が大きいと感じていた。それに彼には訓練中に何かと助けてもらったという恩もある。リロイはくるりと踵を返すと、食堂にとって返して、早速ノックスに関する情報収集を開始した。もちろん彼の名前をだして仲間にあれこれ聞いてまわるような間抜けな真似はしない。ただ話しかけやすそうな連中のそばへ近寄って、黙って耳を傾けてさえいればそれでよかった。そしてリロイは最終的にまとめた情報を、メロが横になっている部屋まで報告しにいったのだった。
「だからさ、ようするにノックスはメアリにぞっこん惚れこんでるってこと。メロに因縁つけたのも、彼女がメロのことをちょっとタイプだって言ったそのせいなんだって。とにかく問題が女絡みだってわかったからには、とにかくミズ=トゥールーズには近づかないに越したことはないよ。彼女、どうも男にその気のあるそぶりはするんだけど、大体蛇の生殺しで終わるって噂まであるみたいだから」
「くだらないな。大体こんなところに女がひとり不自然に混じってるってこと自体間違ってる。兵士の中には目の保養になっていいという奴もいるようだが、早い話、レイプしてくれって言ってるようなもんだろ?何が男女同権だ、馬鹿馬鹿しい」
 娯楽室でポーカーをしていたメロと同室の三人が戻ってきたため、リロイも自分にあてがわれている部屋へと戻った。就寝の点呼がとられた後、ひとりの顔も知らない兵士がメロに近づいてきて、固く丸めたような小さな紙片をただ黙って手渡してきた。

<今夜0時に待ってるわ。見せたいものがあるの。場所は司令部区画のそばにある診療室……間違えないで、必ずきてね。
メアリ・トゥールーズ>

(……これは一体なんだ?)
 平たくいえば、それはいわゆる「夜のお誘い」というものだったのだろう。だがメロはそういう考え方は一切しなかった。今日ちらと見かけただけで、すぐにベッドに呼ばれるというのもおかしい。これはノックスの罠か、あるいは……。
(見せたいもの、か)と、メロは思った。(もし彼女が<裏>のCIAの職員、あるいはディキンスン少将かマクブライド大佐の手の者だったとしたらどうだ?喧嘩の仲裁に入って自分の顔を印象づけておくことくらいはしてもおかしくはない、か?女性ひとりという状況ではどうしたって目立つものだとは思うが、一応念のために……もし俺がノックスの豚野郎で、誰かをこっそりリンチにかけようとするなら、もっと露骨な文面にするだろうしな。まあ、この場所へこっそり忍んでいって、ノックスの手下どもが潜んでいたら、逆にぶちのめしてやればいいだけの話だ。どちらにしろ、いくしかない)
 メロはそう結論をだすと、腕時計を見て、あと三時間ほど時間が過ぎるのをじっと待った。同室の兵士たちの耳障りないびきや歯ぎしりが聞こえてきたけれど、この場合はぐっすり眠っているのがわかるだけ、むしろ逆に有難かった。
 時計が0時をさす十分前に、メロは機敏に行動を開始した。同じ第二甲板の迷路のような士官室を抜け、司令部区画へと向かう。艦内はまるで蜂の巣のように細かく仕切られ、どこを向いても何かの部屋に通じるドアがあるが、メロは一度見ただけでそれらすべての構造を覚えていた。幸い、司令部区画まで距離的にそう遠くはない。メロは診療所の開いたハッチを下りると、スチール製のドアをノックした。
 コンコン、という小さな音に答えて、中から女性の声がする。すぐにドアが開き、メロはメアリの手に引っ張りこまれるようにして、室内へ導き入れられた。
 部屋は男四人が刑務所みたいに狭い監房に押しこめられているのに対して、広い上にとても快適そうだった。ここを女ひとりが使用しているというのは、男女同権どころか男尊女卑ならぬ女尊男卑だとさえメロは思ったくらいだ。
「びっくりした?きちんと室内にトイレとバスルームまでついてるのよ。ここなら思う存分、好きなことができるでしょ?」
 メアリは何故か白衣を一枚着ただけの格好で、メロの腕に自分の豊満な胸を押しつけるようにしながら、彼のことをソファに腰かけさせた。テーブルの上にはスプマンテ――イタリア産のワインにフルートグラスまで置いてある。(一体どういうことだ?)とメロはやや困惑した。
「この間イラクまでいった時は、堅物の女医さんがこの部屋に一緒だったんだけど、今回は他に女がいなくて助かったわ。それだけ事がやりやすくなるものね」
「俺に見せたいものって、一体なんだ?」
 メロはすぐに本題について話を切りだした。彼女のいう事がやりやすくなるということについて、メロには他に思いあたる事柄はひとつもない。
 メアリは太もものつけ根が見えそうなくらい際どいところで足を組み替えると、ワインのグラスを手にして、色っぽく喉をのけぞらせながらそれを一口飲んでいる。
「決まってるじゃない。これよ」
 メアリは白衣のボタンをすべて外すと、バッとそれを脱ぎ捨て、セクシーな下着姿になった。黒いレースのブラジャーに、揃いのパンティという格好。彼女は有無をいわせずメロのことを押し倒すと、ディープキスしながら、先ほど飲んだワインを彼の口に流しこんでいった。
「…………………っ!」
 メロはメアリの体を突き飛ばしかけて、失敗した。彼女は曲がりなりにも軍隊で訓練を受けたことのある女性だったので、意外にも思った以上に力があった。
「げほっ!ごほっ!」
 ワインが気管に入ってしまったらしく、メロは暫くの間咽せこんでいたが、メアリは早速とばかりに彼のズボンを脱がせにかかっている。その手の早さはまるでプロの娼婦並みだったけれど、メロはトランクスだけはなんとか死守した。
「ふざけるのはいいかげんにしてくれ!俺はてっきり仕事の話でもあるのかと思ってここへきたんだ!」
「仕事の話?」と、メアリはきょとんとしている。彼女はすでにブラジャーを外して、あられもない格好になっていたが、メロに自分とする意志がないなどとはまだ理解していない様子だった。「ああ、補給品の中に前線の兵たちの望みの商品を混ぜて、あとで賄賂が欲しいってこと?まあ、みんなやってることだものね。でもそれならエドに頼んだほうがいいわよ。なんなら、わたしが口を聞いてあげてもいいけど」
「結構だ」
 メロはその中にチョコレートはあるかとよほど聞きそうになったが、ノックスの名前がでたのでやはり黙っておくことにした。急いで軍から支給されたズボンをはき、口許をぬぐう。彼女がCIAの職員でないなら、自分がここにいる意味はない、そう思った。
「……ちょっと!あんた、どこいくのよ!」
 部屋から出ていこうとするメロのことを、メアリは追いかけた。メアリは今二十七歳だったけれど、こんな屈辱を味わったのは彼女の軍隊生活はじまって以来のことだった。
「ああ、そう!わかったわ!エドの名前がでたので怖じけづいたってわけ!信じられないわ、あんたみたいな男!せっかく人がただでやらせてあげようっていうのに!」
「なんとでもいえ。俺はあんたみたいな女、全然タイプじゃないし、興味もない。他のあのエドっていう女の腐ったような奴でも相手にしてればいいだろ。俺じゃなくてもあんたとやりたがってるのは、牛に群がる蝿みたいに一杯いることだしな」
「…………………っ!」
 ドアを閉めてハッチの下にでると、メアリがFuck you!と叫んでいるのが聞こえたが、メロは彼女の女らしい控え目な言葉が聞こえなかった振りをした。
(やれやれ、とんだ無駄足だ)
 そう思いながら自分に割り当てられた士官部屋へ戻ったが、その時メロは彼らしくもなく、ある異変が起きていたことに気づかなかった。メロと同室の他の三人――エリック・ソーントン、ダン・ギャラガー、ボブ・ファインズ――が、いびきや歯ぎしりをさせることもなく、一様に息をひそめて彼の帰りを待っていた、ということに。
 メロが欠伸をひとつして壁際に寝返りを打っていると、突然体をベッドの上から引きずりおろされた。何分相手はいくら補給科勤務とはいえ、体を鍛え上げられた筋肉マッチョの男三人だった。抵抗する間もなく、すぐにベッドシーツを体全体に覆いかけられ、何かバットのような棒状のものでいいだけ殴られる。
「…………………っ!」
 殴る蹴るといった暴行が続く間、メロはひたすら黙って耐えた。この時になって初めてメロは、自分がどういうところにきたのかということを悟った。少なくともこの時点で自分はすでにふたりの敵――お山の大将のエドワード・ノックスとメアリ・“ビッチ”・トゥールーズ――を作った。と同時に、あのふたりを敵にまわすことは、補給科では暗に部隊の全員を敵にするも同然のことだったらしい。
「けっ、自分だけいい思いしやがって!」と、最後にシーツ越しに唾を吐きかけられて長い拷問は終わった。
「まあ、これは規則違反の罰ってところだ。これに懲りて今後おいたはよすんだな」
「ヴァージン・メアリがこんな新入り野郎に汚されちまうとは思わなかったぜ」
(……一体あれのどこが聖母マリアだ)とメロは思ったが、そう思うのも束の間、流石に体があちこち痛んだ。弱々しくシーツを払いのけ、両の手足を床に置いたまま、這うようにして自分のベッドの上へようやく横になる。体中あちこち痣にはなっているだろうが、それでもまだどこも骨折していない分だけ有難かった。
 正直いって、仮に筋肉ダルマのような男が三人相手でも、メロはその気になれば勝てただろう。だが、それでは意味がないと彼は考えた。今後必要なのはむしろ――これに懲りてすっかり大人しくなった新入り坊主という役を演じることだ。もしメロにLからの特別な任務というものがなかったとすれば、まず同室の三人を思う存分痛めつけ、自分がボスだということを認めさせた上、あのノックスとかいういけ好かない野郎のことをボコボコにのしてやったことだろう。でも今は……。
(L、これでようやくわかったぜ)と、メロは体中を殴打された痛みに耐えながら思った。(陸軍ってのは確かに、育ちのいい連中ばかりが多い場所らしいってことがな)
 実をいうと、メロが特殊部隊に配属にならなかった段階で、Lは作戦の変更を考えていたようだった。そして今度は空軍に配属の転換をディキンスン少将に頼んだようだったが、自分が陸軍に所属している以上、空軍にまで手をまわすことは不可能だと言われたらしい。その連絡のやりとりを聞いていたメロは、Lがディキンスン少将との通信を一度切ったあとで、
「べつにいいじゃん陸軍で。補給部隊なら前線にでるわけじゃないんだし、全然楽勝だろ」
 などと言っていたのだった。だがLはどこか納得しかねるような顔つきで、
「別に差別するわけではありませんが、空軍っていうのはやっぱり陸軍よりも待遇がいいですからね。大切なのはメロが軍隊の基礎的訓練を身につけたあと、バグダッド入りして無事アブグレイブ刑務所へいくことです。その間に無用な人的トラブルを回避するということを考えると、よりエリート意識の高い人間に混ざったほうが安全ではないかと思ったんです。そうした人種の多い場所では、何よりも能力の高い人間はそれだけ敬ってもらえますし、逆に陸軍の下っ端の兵士の間ではメロの能力の高さは鼻についていじめの対象にさえなるかもしれません」
「いじめの対象って……」と、メロは思わず笑った。Lがまるで小学校に通う子供のことを心配するようなそぶりを見せたからだった。
「んなわけねえだろ。大体俺のこといくつだと思ってんだよ。第一今回俺がイラクへいくように策を立てたのはLなんだからな。今さらいじめも何もないだろ」
「いえ、わたしが心配しているのはメロのことじゃありません」Lはいやにきっぱりとした口調で言った。「メロは自分が不合理な攻撃の対象にでもされないかぎり、誰かを傷つけたりすることはないでしょう。ただわたしはメロが正当防衛的な立場に立たされた場合、相手の兵士が気の毒だなと思っているだけです。それに、無用なトラブルは回避できるに越したことはありませんし」
「あっそ……」
 メロはフロリダのキャンプから戻った休日に、Lとそんな話をしたことがあったのを思いだしていた。胸の内ポケットから低血糖症の薬――血液中の糖分を補給するためのチョコ味の薬――をとりだして食べながら彼は思う。
(あーあ、本物のチョコレート食いてえ……)
 そして先ほど同室の男のひとりが「ヴァージン・メアリ」という言葉を口にしていたことを思いだして、首にかけている十字架のネックレスを握りしめた。それはメロがサンディエゴの海軍基地から出発する時に、ラケルがお守りとしてくれたものだった。
「メロちゃんが無事に帰ってくるまで、毎日お祈りして待ってますからね」などと彼女は清教徒らしいことを言っていたが、(全然祈りなんか神に届いてねーぞ、ラケル……)とメロは思った。だがその瞬間に何故か少しだけ全身の痛みが引き、不思議なことにメロはそのあと打撲傷の痛みに煩わされて夜中に何度も目を覚ますということもなく、翌朝の起床時間までぐっすり眠った。




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【2008/01/15 03:48 】
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