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探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』~序章~
探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』

       序章

 以前は世界第二位の高さを誇っていた、世界貿易センタービルがあった場所――今はグラウンドゼロ(爆心地)と呼ばれているその場所から、比較的近い通りにゴシック建築様式のカトリック教会がある。
 朝の五時に起床の鐘が打ち鳴らされると、ミサのあとに聖餐式が執り行われ、そのあと司祭や助祭はそれぞれに割り当てられた仕事に追われることとなる。教会の中庭にある花壇や芝生の手入れ、建物の掃除といったようなことにはじまり、それが終わるとようやく慎ましい食事……今度は瞑想を含めた朝の勤行の時間となる。
 将来神に仕える神父となるために、この教会で修行を積んでいる修道士は現在二十三名。世界的な規模で見た場合、これは多い数字と言わねばならないだろう。ましてやここは世界有数の都市、ニューヨークはロウアー・マンハッタンなのである。カトリックにおける神父やプロテスタントにおける牧師の数が年々目に見えて減っていっていることを思えば――彼らは教会にとって実に貴重な存在であるといえた。
 ところで、このゴシック様式の教会には彼ら修道士の他に、司祭や助祭、そしてさらに彼らの上に立つ枢機卿なる人物がいたわけだけれど、当然他にも教会に出入りする者として信徒の姿がある。いわゆる9.11.テロ事件が起きる前の当教会の日曜のミサの出席者は平均して百名前後だった。だがテロ事件後、カルロ・ラウレンティス枢機卿はハリウッドのトップスター並に有名となり、彼がした感動的な説教の内容はいまやアメリカ中知らぬ者はないほどまでになった。それはあたかも、世界を代表する都市の真ん中に突然神の光が射し、無関心に荒んだ人々の心を照らしだしたかのようだった。それ以後、教会の聖堂はミサのある日曜日のみならず、平日も人々で溢れるようになり、それまで修道士たちが目のまわるような忙しさで務めていた仕事は目に見えて減っていったのである。
 まず朝は善意の奉仕として何人かの主婦たちがローテーションで神に仕える使徒たちの食事を作ってくれるようになり、さらに教会内の掃除に至っては、毎日十歳から十七歳くらいまでの子供たちが担当してくれることになった。修道士たちはいわば、彼らの監督役みたいなものである。もちろん彼らも模範を示すために心をこめて熱心に掃き掃除や床磨きに励んではいたものの、やはり人数は多ければ多いほど、朝の仕事は楽になった。時に子供たちの喧嘩の仲裁に当たらなければならなかったにしても。
 現在この教会では、枢機卿や司祭や助祭を含む教会役員の会議で、スラムに住む貧しい子供たちが十歳から十七歳までの五年間、朝の掃除など教会への奉仕活動に休まず携わったとしたら――大学へ進学するための奨学金を無利子で貸しだしてはどうかという審議がなされているが、まだ決裁には至っていない。
 その日も、枢機卿カルロ・ラウレンティスは子供たちが神への奉仕活動を終えて学校へ行こうとするのを、ひとりひとり祝福しながら見送っていた。みな一様に「いいこと」をしたあとの輝くばかりに美しい顔をしている――中には恥かしそうにしながらも、「優しい枢機卿さまがわたしは大好きです」と告白する子供まであった。カルロはそうした子供たちに微笑みかけ、神の愛と祝福を約束するのを、日課として強制された義務の心で行ったことは一度もない。みな、一様に可愛い紛れもない神の子供たちであった。
 とはいえ、ラウレンティス枢機卿は現在百二十七歳という、普通では健康状態の危ぶまれる高齢であり、他の信徒の目から見ても自分の足で立っているのさえすでに奇跡とさえ思われていた。優しげではあるが、開いているのか閉じているのかよくわからない眠ったような瞳、恰幅は良いけれども、畏れ多くも枢機卿様を蹴飛ばそうなどという輩が現れたとしたら、転んだあとに自力ではとても起き上がれなさそうな丸々と太った体……実際にはカルロは、よちよち歩きという無様な歩きぶりであったとはいえ、自分の足でしっかり歩けたし、転ばされたとしてもおそらくは――蹴飛ばした相手を恨むこともなく、誰の手も借りずにひとりで起き上がれたに違いなかった。
 カルロ・ラウレンティス――9.11.テロ事件が起きて以後、感動的な説教によってこの枢機卿が一躍有名になった時、多くの新聞記者は彼の出自や生まれた年などが謎に包まれていることについて、実に不思議がった。詮索好きな記者の中には当然、ローマ教皇庁にまで問い合わせて彼の詳しい経歴を調べだそうとする者まであったが、結局のところ彼らにわかったのは次のようなことだけだった。ラウレンティス枢機卿はイタリア南部の貧しい漁村の出身で、両親が教養のあまり高くない人たちであったために、自分の生まれた年さえ定かでないこと、さらには私生児であったこと、にも関わらず彼が神の導きと並々ならぬ不屈の努力によって下級神学校から上級神学校へ進学したこと、そのあとは司祭や神父代理、教区司祭などをイタリアの地を転々としながら二十年以上も務めたのち――第二次世界大戦前にアメリカへ渡った時には司教に任じられていた。ちなみに枢機卿の位を授けられたのは、彼が八十歳の時のことである。
 カルロは教会内部にある自分の庵室へ閉じこもると(朝のミサや聖餐式のあと、正午になるまで彼は祈りと瞑想に専念するのである)、数週間前に発行されたばかりの『ニューズ・ウィーク』誌の表紙に自分の写真が掲載されているのを見て――やや困惑した。もしあの異教徒どもが同時多発テロなどという愚かな暴挙に至らなかったとしたら、自分は以前として比較的地味な枢機卿のままでいられたことだろう。これまでアメリカ社会の中枢を裏で操ってきた彼にとって、それは多少都合の悪いことであった。ルーズベルト大統領からトルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、カーター、レーガン、そして現在の大統領、ジョージ・サイラスに至るまで――彼らはホワイトハウスが誰も知らない方法によって、実は重要な政策決定前には必ずカルロに相談を持ちかけていた。もちろん歴代大統領はそのほとんどがプロテスタントであり、その彼らが何故カトリックの神父に助言を乞うようになったのかについては、それなりに経緯というものがある。
 まず、ルーズベルト大統領の名前を聞いて、誰もがすぐに思い浮かぶのが有名な『ニューディール政策』だろう。当時、町には多くの失業者や浮浪者が溢れ返っていた。カルロ自身もまたそうした貧しい困窮した人々に自分の食べるパンさえ与えていたほどだった。だがほどなくして、<奇跡>が起こった。ラウレンティス司教の分け与えた一切れのパンが増殖し、何人もの人間がひとつのパンから食べて満腹したのである。
 主イエスが行った奇跡と同じ奇跡が、ここニューヨークの町でも起こったという噂を聞きつけた大統領は、カルロに告解室で会うなりすぐに打ちとけ、自分の人生上の悩みや政策のことについてなど、まるで天なる神にすべてを告白するが如く、とうとうと打ち明けた。言うまでもなく、プロテスタントには神父に罪を懺悔して許していただくというこの<告解>の儀式はない。何故ならカトリックとは違い、プロテスタントの神学的な見解では――同じように原罪を背負った人間が神のかわりに他の人間の罪を許すなど、傲慢で不遜な行為に他ならないと見なされているからである。
 しかしながら、人間というのは弱いものだ。ルーズベルト大統領はラウレンティス司教に罪を告白し、政治上のことをあれこれ相談するうちに、自身はプロテスタントでありながらも、結局のところは同じ神に赦していただいているのだという心強い安心感を覚えていた。事実、彼は『ニューディール政策』をはじめとした、自分が大統領として務めた任期の間中、政治の舵取りがうまくいったのは神とラウレンティス司教のお陰に他ならないと信じて疑いもしなかった。そして次の大統領に選挙戦で選ばれた男に――マンハッタンにあるカトリック教会の告解室のことをこっそり伝えたというわけなのである。
 このことは、大統領から大統領へと、秘密の口伝として代々伝えられることになった。それが共和党の大統領であれ、民主党の大統領であれ、例外はなかった。またカルロ自身、中にはひとりくらいもしかしたら自分のことを訪ねてこぬ大統領もいるかもしれぬと内心思っていたのであるが、彼が長年に渡って彼ら大統領の顧問を務めているうちにわかったことは――人間というのは強大な権力というものを持てば持つほど、心の内は蛆虫のすくった内臓をかかえる獅子の如く弱っていくものらしいということだった。
 彼ら歴代の大統領がTVでは強気な姿勢や意気軒昂たる堂々とした様子を見せている時にも、カルロはその前日にその大統領がいかに気弱な様子を見せ、悩み嘆いていたかを知っていた。それは政治の諸問題のことについての場合もあれば、家庭のこと、あるいは個人的な人生の悩みである場合もあった。カルロはそんな彼らひとりひとりの悩みや愚痴を優れた精神科医のように黙って聞き、そして助言と神の赦しとを与えたものだった。時にはカルロ自身もまた、魂の高揚によって彼らとともに涙を流すことさえあった。
 実際のところ、カルロが枢機卿の職に任じられたのも、こうしたある種の政治的根回しがあったお陰に他ならないともいえる。彼が表紙を飾った『ニューズ・ウィーク』誌の別の記事には、現在の教皇、ヨハネ・パウロⅡ世のことが書かれていたが、そこには教皇がミサの最中に居眠りしたことや祝福の言葉を信徒に投げかけることさえおぼつかなくなっている……などということが写真とともに掲載されていた。正直なところを言って、教皇ヨハネ・パウロⅡ世の命はもうそれほど長くはないだろう。彼が亡くなり、次なる教皇を選ぶためのコンクラーベがローマで行われたとしたら、カルロはラッツィンガー枢機卿に一票を投じなければならない。何故といってカルロが枢機卿になれたのは歴代アメリカ大統領のラッツィンガーへの口利きがあったそのお陰であるし、結局のところ神がおわすはずの場所であるローマ教皇庁というのは、そうした政治的権威が幅を利かせている場所だった。すべては『神の御心のままに』というのではなく、ほとんどのことは人為的に操作されているというわけだ。
 とはいえ、カルロ自身がこれまで大統領たちに対して露骨に枢機卿の座のことを匂わせたことは一度もないし、ラッツィンガー枢機卿にしてもカルロに対して「神の御名においてその時には清き一票を与え給え」と半強制的に迫ったことがあるわけでもない。そうしたことはすべて、阿吽の呼吸のうちに暗黙の了解として執り行われるべきことなのだ。
 かくして、カルロ・ラウレンティスは長きに渡って超大国アメリカの政治の中枢部を密かに操ってきた。彼自身は大統領たちの政治的、あるいは人生上の泣きごとをすべて聞いてしかるべき助言を与えただけともいえるが、カルロのとった手法というのは実に巧妙なものだった。歴代の大統領たちはみな、カルロが実に自然かつ巧妙に、彼らの意識を操って彼自身の望むとおりに話を運んでいったかということに少しも気づいていない。そしてそれはこれから先も、教会の<告解室>に入るのが大統領個人ひとりだけである以上、他の誰にも決して洩れずに終わるであろう、国家的な重要機密であった。




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【2008/01/15 03:17 】
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