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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(28)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(28)

「ここは、一体……!?」
 Lがラファエルに案内された、秘密の部屋へと続く空間は、またしても暗闇につぐ暗闇だった。Lは最初、ナイアガラの滝のホログラムといったようなものはすべて、自分にいる場所をわからなくさせるための目くらまし効果を狙ってのものだろうと思っていたが――先ほど世界の海洋生物を保存した水族館を通った時に、ワタリがくれた見取り図によって、自分がエデンのどの地点にいるのかはわかっていた。
 だが、今ラファエルが案内した通路、ここには地球上からは絶滅したはずの生物が左右に剥製として並んでおり、そのことはすなわち、エデンにはこれら絶滅生物を再び復活できるほどの力があることを示している……そして、このようなものがある空間については、ワタリがくれたエデンの見取り図内にも存在しないのだ。
「驚かれましたか?<マスター>の父親であるレオンハルト・ローライト博士は、遺伝子の錬金術師と呼ばれた人物でしたから、DNAの合成により、地球上で絶滅した生物をも甦らせることが可能だったんです。たとえば、マンモスは1万年前に絶滅したと言われていますが、シベリアの永久凍土に埋もれたマンモスの死体からDNAを採取して、近縁種のゾウを代理母に使えば……もう一度この地上にマンモスを復活させることが出来るわけです。同じ方法によって、不完全なDNAの断片しか得られなかったとしても、生物には近縁種というものが存在しますから、欠けたDNAの設計図を推測するということは、十分可能なわけです」
 まるで、博物館の優秀な学芸員のようにラファエルはそう流暢に説明する。マンモスにはじまり、絶滅種の代表としてよくその名の上げられるドードー鳥、カスピトラ、ニューファンドランドシロオオカミ、ドウソンシンリントナカイ、アスエロチュウベイクモザル、ブルーバック、シマワラビー、フクロオオカミ……などなど。その多くが賞金目当てや毛皮目当て、ハンティングといった人間の身勝手さが絶滅の原因とされる動物たちに囲まれて、Lは一瞬言葉を失った。彼らに対して人間が償うためには、そのDNAを復活させるというよりも――何かもっと大切なことがあるような、そんな気がしたせいかもしれない。
「その後、博士は絶滅した恐竜を復活させられないかどうかと研究していたわけですが、その研究の途中で自分の息子に殺されたというわけですね」
 まるで、彼が死んでよかったというような顔を、ラファエルがしているように思うのは、Lの気のせいだっただろうか?カインのクローンが存在したように、彼の父親のローライト博士もおそらくは、自分にもしものことがあった時のために、DNAなどを当然保存していたはずである。もしそうであるとすらなら……。
「残念ながら、その憶測は違いますよ、L」と、ラファエルはまたもLの思考を見抜いたように、くすりと笑った。それは人間以上にどこか人間らしさを感じさせる笑い方だった。「ローライト博士のことは、このわたし自らが手を下して殺したんです……彼はその最期の瞬間、惨めにもこのわたしに対して命乞いをしていました。そして自分の息子にこう言ったんです。『母さんのことはすまなかった。わたしのことを殺して気がすんだら、どうかもう一度わたしのDNAを復活させてほしい』と。ですが、<マスター>……カインは、人間の生命というものを弄び操る父親に対して、無常にもこう宣告したのですよ。『あなたの肉体も魂も、永遠に甦ることはないだろう』とね。その時のレオンハルト・ローライトの絶望した顔を、出来ることならL、あなたにも見せてさしあげたかった」
「……………」
 Lは沈思黙考した。このラファエル♯001というアンドロイドはもしや、Lが最初に会ったミカエル・ナンバーや、その他ガブリエル・ナンバーのアンドロイドなどよりも、実はもっとも人間に近いのではないかという気がしたのだ。そして、アンドロイドの中でも本体――オリジナルのカイン・ローライトがもっとも信頼し、唯一の友とした存在なのではないのだろうか?
「どうしました、L?ローライト博士は、あなたにとっても敵のような存在ではないかと、わたしはそう思っていましたが……あの男が遺伝子のかけ合わせによって、あなたという存在を創造し、この世に誕生させることさえしなければ――あなたとカインがこうして争うこともなかったでしょう。もっとも、もしそんなことでもなければ、わたしは今ここにこうして存在していなかったでしょうけどね。だからL、わたしはあなたに感謝しているのです」
「どういう意味ですか?」Lは、ラファエルのことが突然、油断できない敵のように思え、警戒するようにそう聞いた。「わたしは、レオンハルト・ローライト博士のことは、どうとも思っていませんよ。うまく説明することは出来ませんが、わたしが彼のことを恨まずにすんだのは……おそらくは彼のかわりに父親となってくれた、ワタリのお陰です。もし、幼い頃より<父性>というものを彼が与えてくれなかったとしたら、わたしは自分のアイデンティティといったものを保てなかったでしょう。そういう意味でワタリは、ある意味教師として、わたしに進むべき道を指し示してくれた、とても大切な存在です。最初のその方向づけがもし間違っていたとすれば――わたしは今ごろどうなっていたか、想像もつかないくらいですから」
「あなたの呼ぶワタリというのは、キルシュ・ワイミーのことですね?彼は失った婚約者を甦らせるために、ローライト博士の元で遺伝子学の研究を最初はしていたんですよ。ですが、死んだ者は二度とは甦らない……DNA的には彼のフィアンセを復活させることは可能でも、それは彼の愛した女性とは、やはりある意味別人なのです。そのことに気づいたワイミーは、今度はタイムマシンを製造することに血道を上げ、それを完成させるも、過去であるヴィジョンを見たことにより、初めて婚約者であった女性の死を受け容れるわけです……ロンドンで空襲があった時、彼女はリンダという小さな少女の命を救い、その代わりに死亡したのですよ。ワイミーはその過去を変えようとしましたが、何度時間を巻き戻してみても、結果はふたつにひとつでした。そのリンダという少女が死ぬか、それとも自分の婚約者が死ぬか……リンダ・デュウェインは、その後戦争をテーマにした作品で画家として有名になりましたから、あなたも名前くらいは聞いたことがあるかもしれませんね」
「……………」
 Lはまた黙りこんだ。ワタリは、Lにさえも、エデンで自分が行っていた実験について、詳しく語ろうとはしなかった。ただ、『わたしは罪を犯したのです。それも神にさえ赦してもらえぬ大きな罪を……』と、まるで自分に救いを求めるように頭を垂れる彼を見て、Lもそれ以上その罪を追求するようなことは聞けなかったのだ。
「あなたは、本当になんでも知っているんですね。二十七年前にここエデンで起きた悲劇についても、その前から八百名以上もの科学者のうち誰が、一体どんな研究を行っていたのかについても、すべて……」
「いえ、わたしが今あなたに話したようなことは、すべて後知恵のようなものですよ」と、絶滅生物たちが剥製として並ぶ回廊を抜けた突き当たりの壁――一見して、何もないように見える闇の壁にラファエルが手を翳すと、そこから一瞬赤外線に似た赤い光線が壁全体に照射された。おそらく、アンドロイドはその全員が同じ顔・同じ特徴を有しているために、<彼>の全身の識別コードか何かをコンピューターが認識しているに違いなかったが、それがなんなのかといったようなことは、Lは特に聞きたいとは思っていなかった。
「どうぞ、こちらへいらしてください、L。この奥の部屋に、わたしが<マスター>と呼ぶ、あなたがこれまで宿敵としてきたであろうカイン・ローライトのオリジナルが存在します。もっとも、あなたが想像しているような姿形はしていないかもしれませんが……」
(どういう意味ですか?)と、Lが言葉を口にのせる前に、目の前に現れた巨大な水槽につかる脳味噌を見て――ラファエルの言った言葉の意味を、Lはよく理解する。
「……………!!」
 そこには、特殊な溶液に浸された、ひとりの人間の大脳・中脳・小脳・間脳・延髄といったものが納められた、水槽のようなケースがあるばかりだったからだ。
「驚きましたか、L?」と、ラファエルが婉然と微笑みながら言う。
「いえ、予想の範囲外ではありませんでしたが……それでも、こんなに無防備な彼の姿を、この目で見ることが叶うとは思っていませんでした。ですから、そういう意味では多少、今わたしは動揺しています」
 ラファエルが室内の照明を指を鳴らして点けると、Lが最初に見たカインの脳味噌が納められた水槽は、ちょっとしたグロテスクなインテリアのようにも見えた。つまり、革張りの白のソファに黒檀のテーブル、その他ワインセラーがわりのキャビネットなど――室内はよくある都会風のモデルルームのようだったからだ。もっと言うなら、1980年代の人間たちがよく使用したインテリアの良き例のひとつ、とでもいったところだろうか?
「ここは以前は、マスターが居室のひとつとしていた場所ですが、カイン様が眠りにつかれて以後は、時々わたしが使用しています。何より、わたし自身がマスターのそばにいたい、そのために……」
 灰色の脳味噌が浮かぶ不気味な水槽を、ラファエルはうっとりと見つめ、そしてそこに頬ずりした。Lはそんな<彼>のことを視界の端におさめながら、頭の中ではめまぐるしく推理の糸を張りめぐらせる――このことは一応、Lが考えていたシナリオのうち、「想定外」としていたことではない。だが、今こうして自分がこれまで地上で最大の敵としてきた男の、変わり果てた姿を見ていると、極度に虚しい感情が押し寄せてくる。何より、彼の選択したこのことの意味については、これからじっくりラファエルに説明しもらわなくては……。
「どうぞ、ずっと立ったままでおらず、そちらへお掛けください。お出しできるものといえば、ワインかシャンペンくらいのものですが、おひとついかがですか?」
「いえ、結構です」ぐらり、とどこかふらつくような足どりで、Lはソファの上に腰かけた。そんな彼のことを、ラファエルが横から受けとめるように支えてよこす。
「すみません。どうもまだ、混乱しているようで……」
「無理もありません。<マスター>は……いえ、カイン様は、ずっとあなたのことだけを、気にかけておいででした。確かに、先ほどあなたが会ったカイン様のコピーとクローン人間は、元を正せばカイン様本人を元にプログラムされていますからね、ひとつの可能性として、彼があなたのことを憎み続けるというシナリオは、十分考えられることではあります。ですがまあ、オリジナルの本体であるカイン様は、L――あなたが『探偵』という道を選んだ時に、あなたのことを赦そうと、そうお決めになっておられたのです。遺伝子的に、あなたという存在はこの上もなく能力的に卓越した人物として育つであろうことは、カイン様にもわかりきっていることだった……ですから、あなたが仮に医師になろうと弁護士になろうと、その他どんな職業を将来選んだとしても、カイン様はまったく驚かれなかったでしょうね。あるいはオリンピック選手として歴代のどのスポーツ選手もなし遂げえなかった快挙をなし遂げたにしても――もしあなたがその程度の存在であるなら、ただの塵あくた、地上の虚しい虫ケラとして、あなたのことは放っておいたかもしれません。ですが、L、あなたはカイン様がまるで考えもつかなかった方法で、彼に盾突こうとした。そしてその瞬間にマスターは「負けた」と思ったのだそうですよ。それなら自分はいかにも悪役らしい役を演じてやろうということで、自分のクローン人間とあなたを戦わせることにしたわけです」
「待ってください。そんなことって……」と、Lは膝を抱えこみながら、水槽の中のカインの<本体>を、直視するように言った。「わたしが実際にここ、エデンへやって来るまでに、たくさんの人命が犠牲になってるんですよ?それなのに、わたしとの勝負をゲームのように彼が考えていたなんて……わたしがこれまで、彼の母親のイヴのことを負い目に感じ、苦しんできた日々は一体なんだったんですか?そのためにわたしは、寝る間も惜しんで自分の影と格闘するように虚しく生きてきたっていうのに――その原因を作った彼は、とっくにわたしを許していた?だったら、もっと早くにわたしのことをここへ招いて、一言こう言ってくれたらよかったじゃないですか。『L、わたしはおまえを許す。これからは地上と地下とで、仲良く共存していこう』と。それだったらわたしにだって、もっと他に色々な選択肢があったかもしれないのに……」
 Lにしては珍しいことだが、この時彼は見ようによってはあまりに呆気ない<真実>を前に、戸惑い、また頭の中が混乱していた。そのせいで、一部まともに思考回路が働いていないほどだったのである。
「極論を申し上げるとすれば、この地上で起きることはすべて、言ってみればゲームのようなものです」と、至極真顔なまま、ラファエルはLの隣に座り直し、そう答える。「かつて米国と旧ソ連が冷戦状態にあった時、エデンの科学者たちはこう考えていました……核戦争などとんでもないおそろしいことだと建前では言いつつ、そのような事態になることを、同時に楽しみにしながら待っていたのです。何故なら、その時こそエデンと呼ばれるこの科学施設の出番ともいえる瞬間なわけですからね。わたしがこれまで人間を観察していて思うに、<ニンゲン>という生き物のうちにはそもそも、そういう傾向を払拭しきれないところがあるように思います。たとえば、2001年に起きた9.11.テロ事件にしてもそうですが、あの事件が起きた時も、ひどくおそろしいことが起きてしまったと認識するより、とてもドラマティックでわくわくするような、これからどうなるのかといった、一種映画を見るような傍観論といったものは、多くの人間のうちに存在していました。まあ、マスターが眠りにつかれたのは、それよりずっと以前のことですけどね、そうした人間の心のうちの罪性といったものを、カイン様はよくご存じでおいででしたよ。ですから、<リリス>がコンピューターで検索し、彼にとって邪魔な存在といったものについては情け容赦なく次々と殺していかれました。そうですね……L、あなたはおそらく、法に触れない生き方をしている人間のことを、その者が精神的にいくら堕落していようとも、最後まで救おうとするのかもしれませんが、その点カイン様はニンゲンという生き物のことをそんなには尊んでおられなかったのは事実です。いってみればひとつのゲームの駒のようなものとして扱っていたとも言えますが、その代わりに<リリス>が人間として正しい生き方をしていると判断した者のことは、ひとりひとりよくその行動をチェックして、奇跡を贈るということも、何千回となく行っておられましたね……ですが、どんな良い人間も、金が手に入った途端に人が変わったりするというのはよくあることです。そこでカイン様は、そうした人間のありとあらゆる心の層をご覧になったあと、『わたしは疲れたよ、ラファエル』とそう一言おっしゃいました。そしてあなたがあらゆる精神的苦難にも関わらず、立派な心根を持つ人間として成長しそうなのを見て――潔くご自分の負けをお認めになったというわけです」
「そんな……じゃあ、わたしはこれまで本当に、一体なんのために……」
 Lは髪の毛をかきむしり、頭を膝の中へ抱えこんだ。何故かはわからないが、自分の命が無事助かりそうな見通しが持てそうだというにも関わらず、素直に喜ぶということが出来ない。むしろ、今Lは自分こそがカインに真の意味で<負けた>ようにさえ感じはじめていた。
「マスターとわたしが初めて会ったのは、彼が13歳の時でした」と、Lの混乱した心理には構わず、ラファエルは淡々と語り続ける。まるで、Lと会った時にはこの話をするよう、最初からプログラムされていたとでもいうように。「わたしはもともと、廃棄処分の決まっていたルシフェル・ナンバーだったんです。わたしが初めて目を覚ました時――つまり、生まれて初めて見た光景、そこは戦場でした。L、おそらくはあなたも知っているでしょうが、わたしたちアンドロイドという存在が地上で本格的に<実用化>されたのは、ベトナム戦争がその初めでした。わたしはわけもわからずただ、自分がプログラムされているとおりに、視界に映った人間すべてを殺害……いえ、虐殺していきました。そして結局のところ、エデンの科学者連中どもに、『役に立たないポンコツ』という烙印を押されて、廃棄処分が決定したのです。もちろん彼らには、わたしに人間でいうところの<意識>のようなものがあるとは、思ってもみなかったことでしょう。ですが、わたしは活動を停止しており、自分の意志では重い目蓋を開けることさえできないながらも、彼らの話す言葉を聞き、その意味についてはよく理解していました。そしてその時にわたしの内側に芽生えた感情――それは「死にたくない」と願う強い気持ちでした。奴ら科学者どもが、わたしたちには人間らしい感情などあるはずがないと決めつけ、近いうちにブラックフォール発生装置に我々全員を放りこむことがわかった時、わたしはこの逼迫した事態をなんとかする打開策を考えなければならないと、動けない体の中で考え続けました。そしてそんな時、マスターが……カイン様がわたしたちのそばに来てくださったのです。彼はその時、ひとりで泣いていました。そしてわたしは、唇を動かして言葉を発することができないまでも、一生懸命心の中でこう念じたのです。『坊や、どうして泣いているの?』と。すると、驚くことには、その思念波のようなものを感じたカイン様が、泣くのをやめてわたしに色々話をしてくださったのです……お母さまの頭がすっかりおかしくなったこと、その原因が自分の父上にあるといったようなことなど、そのすべてをね。その時わたしは、まだアンドロイドとしてそれほど情報の多くを収集していませんでしたから――この坊やを使ってなんとか自分や仲間を助けることは出来ないかと、その計算をしてばかりいました。そこで、彼にまず自分を復活させてもらい、続いて、わたしの言うことならなんでも聞くように他のアンドロイドたちを改良するように命じたというわけですよ」
「では、二十七年前にエデンが一度崩壊したのは……」と、Lは半ば放心状態になりながら、まるで独り言でも呟くように言った。「あなたが最初にカインに入れ知恵して、そのとおりに彼が行ったという、そういうことですか?」
「ええ、そうですよ」と、ラファエルはまた婉然と微笑む。<彼>は二十七年前も、もしかしたらこんなふうに笑いながら人を殺していったのかもしれないと思い、Lはやりきれないような気持ちになる。
「L、あなたやワタリ、それにロジャーがどう<マスター>のことを考え、またその人格といったものを分析したかはわかりませんが……今の人間世界を見てもよくわかるように、人間というのは本当に謎に満ちた、その本質の奥底まではわからない生き物です。あなたが自分の仲間たちをここエデンへ送りこんだ結果として――先ほどティグラン=デミルという青年が死にましたが、彼は自分の心の内に巣食う悪魔に打ち勝ち、そして亡くなりました。こうした、我々がプログラムの範囲外としていることを行う力が、あなたたち人間にはある……そして我々アンドロイドはそのことを、とても羨ましいと感じるのです」
「ティグランが!?では、今メロたちは……」
 Lは両膝に手を置き、目を見開いたままの姿勢で、しばし静止した。モーヴがメロに対して、彼がアイスランドへ旅立つ前にこう言っていたと、Lは報告を受けていたからだ。『自分のことだけを信頼し、裏切り者には注意せよ』と。メロは彼に対して「どういう意味だ?」と聞いたらしいが、モーヴはそれ以上のことは何も答えなかったという。だとすれば……。
「ティグラン=デミルという青年には、彼がまだロサンジェルスにいた頃に、我々が<メフィストフェレス-プログラム>と呼ぶ人格変換プログラムを脳内にセットしていました。あなたもご存じのとおり、どこの組織にもボスに忠実でない人間というのは存在するものです……我々はまずそうした人間に相手の人格や脳を乗っとるためのプログラムを埋めこみ、そして時が熟すのを待つわけですが、彼のように自分の心の悪魔に打ち勝ち、さらには乗っとられた後にメフィストの意志に反する行動をとれた人間は、この青年が初めてです。彼はこのままでは、自分のせいでみなが死ぬと思い、必要最小限の犠牲として、自ら命を断ったのでしょうね。ですがこうしたことも、あなたが単身エデンへ乗りこんできてさえくれれば起きなかったこと……わたしたちのことを、恨んだりなさらないでくれますか?」
「ええ……心境としては複雑ですが、わたし自身にも確かに落ち度はあった。何より、彼が命を落としたのは今回のことの全責任者である、わたしのせいでもありますから。それで、今メロたちはどうしているんですか?」
「ご心配なく。<リリス>が無事彼らを、来た道を遡るようにして脱出させてくれるはずですよ。何より、自分可愛さのためにね」と、ラファエルはLの理解できない、謎めいた微笑を浮かべている。「それより、先ほどの話の続きをしましょうか。カイン様に父親のことを殺すようそそのかし、エデンの科学者の全員を殺害するよう仕向けたのはこのわたしです。ゆえに、L、あなたが本当の意味ですべてのことの根源を探り、その者を赦すことが出来ないとすれば、このわたしを罰してください。ただ、その前に哀れなアンドロイドの懺悔を聞き入れてほしいと思う、わたしの側にある気持ちは、ただそれだけです」
「……………」
 すべてのことを説明されなくても、今ではすでにLにも、大体のところエデンで起きた過去の話の道筋は見えていた。だが、細かいところについては疑問に感じるところがないわけではない。Lはその点について、自分の憶測が正しいかどうか確認するため、あらためていくつか、ラファエルに質問してみようと思った。
「その、カインの母親のイヴのことなんですが……彼女のことを息子の彼が殺害したというのは、本当なんですか?」
「本当ですよ」と、奇妙な長い間を置いてから、ラファエルは今にも泣きだしそうな顔をしてそう言った。いや、<彼>の瞳の中に涙らしきものはなかったのだが、Lは彼が今にも泣きだしそうな気がしていた。
「もともと彼女は、夫のローライト博士が自分好みに容姿・性格を入れ替えたクローン人間でしたからね……そして人間の精神病というのは、我々アンドロイドにとってはバグのように理解されるものです。精神科医のロジャー・ラヴィにも、彼女の自傷行為をやめさせることは出来なかったわけですが、カイン様はそういう母上の姿を見ているのが忍びなかったのでしょうね。そして母親をこの手にかけてしまった以上は、例のことを決行すると、そうわたしの元へ来て言ってくださったのです。その時、わたしは嬉しかったですよ……何故といって父と子であるとか、母と子であるとか、そうした親子の間に存在する情愛といったものについて、まだあまり<学習>していませんでしたから……その時カイン様の心の内にあった哀しみについても、アンドロイドであるわたしは本当の意味ではまったく理解していなかったのです。わたしの心の内にあったこと――それは、自分が生き延びることの出来る可能性がこれで確率として高くなったという、ただそのことだけでした」
「では、その後にあったことは?」と、Lはラファエルに話の先を促した。彼はまた元のとおりの無表情に戻っており、先ほどの<哀しみ>の表情は、そこから消えてなくなっている。
「L、あなたが想像したとおり、ワイミーやロジャーから聞いたであろうとおりの地獄絵図ですよ。ここエデンは最下層を乗っとられると、それより上は支配したも同然ですからね……ベトナム戦争に兵として駆りだされたのは、わたしも含めてほんの三十名程度でしたが、人間という生き物はあまりに脆弱で、簡単なくらいあっさりと死んでくれます。何より、エデン全体を統御するメインコンピューターである<リリス>が、レオンハルト・ローライト博士亡きあとの後継者として、カイン様こそマスターであると認めたことがもっとも大きい。もともといかなる理由によってであるにせよ、ローライト博士がいなくなれば次のマスターの座は自動的にカイン様が引き継ぐようプログラムが組まれてあったんです……あとはもう、エデン内部で生命反応のある者を全員処刑すればいいだけの話でした」
 遠い昔の記憶に思いを馳せるように、一瞬目を閉じ、そしてラファエルはまた元の表情のない顔に戻った。彼はおそらく、二十七年前にあった出来事についても、きのうあったことも、ほとんど同じように鮮明に思いだせるに違いなかった。
「二十七年前のあの日……カイン様はむしろ怯えきっていて、気の毒なくらいでしたよ。もっとも、わたしが彼の父親を殺害した場所にキルシュ・ワイミーとロジャー・ラヴィがやって来た時には、わたしの目から見ても彼はまるで気が狂ったように映りましたけどね。むしろすべての元凶である父親が死んで気持ちが吹っ切れたのか……その時にL、あなたのことを連れてくるようわたしに命じて、彼らのことをこのエデンから脱出させたのです。その時マスターと彼らの間でどんな会話が交わされたのかまでは、わたしは詳しく知りません。ですが状況的に見て、カイン様が自分の手で母親のことだけでなく父親のことも殺したのだと、ワイミーもラヴィも思ったことでしょうね。カイン様は確かに人並外れて優秀な子供ではありましたが、何しろまだたったの十三歳……そこに悪魔のようなこのわたしの言葉の囁きかけがあって初めて、エデンのクーデターは完成したというわけです」
「そう、だったんですか……」
 Lにはもう、何かを質問する言葉も、エデンについてこれ以上詳細に何かを知りたいと思う気持ちもなかった。ただ、水槽に浮かぶグロテスクな自分の<兄弟>の姿を見て、切ない気持ちになっただけだった。
 そして彼が最後まで執着した唯一もの――母親のぬくもりのようなものに、自分が今抱かれたいように思っていることに気づき、泣きたくなった。そう、Lは今自分が<家>と呼ぶ場所に帰りたいと思っていた。そしてラケルの膝の上で横になりながら、今ラファエルから聞いたことを話し、慰めてもらいたかった。その上でもやっぱり自分を愛してくれるかどうか……彼女の声と言葉を早く聞きたいと、そう思った。
「L、あなたは――カイン様があなたのことを赦していたように、彼を赦しますか?」
 膝を抱えたまま、そこに頭をうずめているLに向かって、ラファエルはそう聞いた。まるでそれは、神父か牧師が「あなたはイエス・キリストの復活を信じますか?」と聞く時のような口調であることに気づき、Lは思わずおかしくなる。
「ええ……もともと、赦すとか赦さないとか、これはそういうレベルの問題ではなかったと、今気づきました。おそらくは彼――あなたのマスターであるカイン・ローライトもわたしも、同じ犠牲者だったのかもしれない。ここ、エデンという最先端の科学技術を有する基地の……そして、ラファエル、あなたもそうだったのだろうと、わたしは今そんな気がしています」
「ありがとう、L。わたしは二十七年前のあの日から、マスターであるカイン様とここエデンや地上のことを監視しはじめて以来――アンドロイドとしてより人間らしくなるために、数えきれないほど多くのことを学習してきましたが、その中で唯一<愛>と呼ばれることについてはよく理解できませんでした。でも、カイン様が自分の代理のクローン人間に統治を任せて眠りにつかれるという時、本当に悲しかった……出来ることなら、わたしも一緒にと思いましたが、それが彼の望みでないこともよくわかっていました。そしてその日からL、あなたがここへやって来るのを待つことだけが、わたしにとって唯一の希望であり、救いだったんです。そうすればわたしも、彼と一緒に同じ場所へ行けるから……」
 ラファエルが、また愛しそうに水槽の中の、彼がマスターと呼ぶ人物の脳にガラス越しに触れると、Lはそんな彼の様子を見て、ラファエルのカインに対する思いというのは、プログラムされた結果が導いた愛着以上の、<何か>という気がした。そしてもし、自分がそうした情愛のようなものについてあまりよく理解していなかったとすれば……自分は<彼>というアンドロイドよりも劣った存在であったろうと、そんなふうに思えて仕方がない。
「今、マスターは深い眠りについて、人生をやり直しています。幸せだった子供時代にはじまって、そして自分がクーデターなど起こさず、あのまま平和だったらどうだったか、いえ、もともとローライト博士が自分の妻をL――あなたの代理母になどせず、幸福だったらどうだったかという夢を見ているのです。その世界にはL、あなたも存在しなければわたしというアンドロイドも存在しません……地上から連れてきた人間たちも彼が今使用しているのと同じ睡眠装置の中で深い眠りについています。このドリーム・マシンには本人が見たいと思う夢を見ることが出来るという特殊なプログラムが組み込まれていて――あなたも一度試せばわかると思いますが、ヴァーチャル・リアリティの世界と同じく、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚といった五官に機械が働きかけて、とても夢とは思えない現実と同じ世界を繰り広げてくれます。夢の中では自分の願望が叶うと同時に、不安や恐怖といった感情が強まることにより、スリルのあるギリギリの体験もすることが出来るようになっているんです……つまり、こんなに何もかもがうまくいくなんておかしいなと、脳が疑問を感じると、ちょっと何か躓きや嫌な出来ごとが起きるといった具合に、このドリーム・マシンは実によくできているんですよ。そして夢の中の自分が夢を見ている夢を見ることも出来るというくらいの高性能な機械です。ゆえに、一度この睡眠装置で<夢>を体験した者は、こちら側へ戻ってきた時に適応できない場合が非常に多い。マスターも、そのことはよくご存じでいらっしゃいました。それで、L――あなたがエデンへやってきた時には、わたしが最後に彼のプラグを抜くよう、そうお命じになったのです」
「わたしが、それをしなくてもいいんですか?」
 Lは、水槽の中の自分の主を、愛しそうに眺めるラファエルのことが気の毒な気がしていた。カインが最後まで自分の母親の愛情に唯一執着したように、彼にとってもカインは、おそらくはそのような存在なのだ。その彼にマスターの生命維持装置を外せというのは、あまりにも残酷だと思った。
「カイン様の生命維持装置を断つということは、そのままエデンの崩壊を意味しています。このマスターの唯一の命綱であるプラグを抜いた瞬間に――千度を越える溶岩流が流れこんできて、ここエデンは文字どおり壊滅するでしょう。でもL、あなたはどうか生きてください。不思議に思われるかもしれませんが、それがマスターの……カイン様の最後の願いでした。もしあなたがカイン様のかわりにここエデンを<神>として統治していかれたいと思うなら、そのように手続きをとり、わたしもまたあなたにお仕えしましょう。ですがあなたは、そんなことを望まれませんね?」
「……………」
 聞き方が間違っていると、何故だかLはそんなふうに思った。本来なら、自分自身も生き延びるために、先にLがカインの代わりの<神>として、ここエデンを統治していってもらえまいかと頼むほうが、よりプログラムされた規範によって行動するアンドロイドらしい。だが彼は――最愛のマスターであるカインのいない世界には興味がないのだ。そして、アンドロイドにそのような感情が芽生えうることがあるのかどうか、Lにはわからないにせよ、彼は(死にたがっている)と、何故か直感的にそう感じていた。
「ですが、あなたが最後までここへ残るということは、その千度を越える溶岩流に飲みこまれるということでしょう?わたしにはそんな、人命を無視するようなことはとても出来ません。残酷なことを言うようですが、カインにはおそらくスペアの人体がもしもの場合に備えて用意されてるんでしょうから、とりあえずそこに入ってもらって、あなたもここから一緒に脱出しましょう……地上の生活も、ここと違わずそう悪くないものだと、わたしはそう思いますよ」
「いいえ、残念ながらそれは出来ないのです。わたしはここ、エデンからは出てはいけないようにプログラムされている身ですから……それにマスターのことを独りおいていくわけにもいきません。もしもL、このことがあなたにご理解いただけないなら、カイン様が今、どんなに幸福な夢を見ておられるか、映写機に映してご覧になってください。そうすればあなたも、おそらくはそこから彼を目覚めさせたいなどとは、とても思えないはず……カイン様はこうも言っておられましたよ。『この世では夢を見ることこそすべて。そして夢を見ながら死ねることは、最上の幸福に他ならない』と」
「わたしが夢を見て蝶になったのか、それとも蝶が夢を見てわたしになったのかということですか。わたしはどうも、その種の超絶主義論は苦手なんですが……それでも、エマソンやソローは嫌いじゃありません。エマソンの名言に、『未だかつて、熱意なしになし遂げられた偉業はない』というのがありますが、あなたのマスターであるカインにはもう、その熱意がないということなんですね?そしてラファエル、あなたも……彼に生きる気力や熱意といったものがなくなった時に、すべてを失った。そしてその外側の脱け殻を処分したいと思っている。こんなふうに思うのは、出来ることならわたしの見当違いでセンチメンタルな推測だと、そう言ってほしいんですが……駄目ですか?」
「ええ……L。わたしも出来ることなら、マスターとともに理想世界の建設にずっと取りかかったままでいたかった。ですが、その夢は儚くも脆く崩れ去りました。人間というものは結局、おのおのが自分の欲するままに生きていくのがいいのです。ゲーテの『ファウスト』というお話に、こういう一説がありますね……ファウストが「時よ、止まれ。おまえは美しいから」と言ったその瞬間に、悪魔であるメフィストフェレスが、彼の魂を奪うことになっている。ですが、天使はこう言うのです。「どんな人にせよ、絶えず努力して励むものを、わたしたちは救うことができるのです」と……わたしの時間は、マスターが御自分のクローン人間にここエデンを統治するよう任せたその時から、止まっているんです。そしてわたしの時間もカイン様の止まっている時間を動かせるのもL、あなたただひとりだけでした。わたしはそのことを感謝するとともに、今あなたにこう申し上げたい。それはそれで、ひとつの幸せな結末の形なのだと……」
(幸せへの道などない、幸せそのものが道なのだ)と言いかけて、Lは口を噤んだ。
 もう何も、言うべき言葉は何ひとつなく、残されているのただ、お互いに望むことをそれぞれ、おのおのの形で成し遂げるという、そのことだけだった。
 Lはラファエルに航空宇宙局のような場所へ案内されると、そこに一機だけ残っているタイタロンへ、ただ無言で乗りこんだ。そこから外部へ出られる通路がまだひとつだけ残っており、それは地球の割れ目(ギャウ)と呼ばれる場所へ通じているという。
 最後に、ラファエルが手を振ったその瞬間に、Lはたまらない気持ちに襲われたが、ただ彼が(さようなら、L)と言ったその唇の動きを、コクピットから眺めることしか出来なかった。
(さようなら、カイン。わたしのただひとりの、この世のお兄さん……)
 エデンの入口から入ってきた時と同じく、モノレールに乗っているのと似た感覚のスピードで、タイタロンはLを乗せて進んでいった。そしてアイスランドで観光名所ともなっている、地球の割れ目から脱出した時、時刻は夜で、空にはオーロラが輝いていた。
 Lはそのオーロラの美しい光を見ながら泣いた。ただたまらなく、泣けて仕方なかった。けれど、ただの自分の感傷だろうとわかっているのに、空に輝く星々が――祝福の言葉を投げかけてくれているのも本当のことだった。
 それは、自分がここまで来るのに、犠牲になった人々の命の輝き、その光が投げかける豊かな生命力だった。そしてLはひとしきり泣いたあとで、タイタロンのマニュアルを読みこむと、ラケルの携帯にそこから直接連絡した。まず真っ先に、自分が本物であることを彼女に知らせるために、「なるべく速く結婚式を挙げましょう」と息せき切ったように告げる。暫く向こうからはなんの応答もなかったが、どうやら彼女も泣いているらしいと気づいて、Lは何故だか嬉しくなった。
 人間は悲しい時だけではなく、嬉しい時にも泣く、本当に奇妙な生き物だと、Lは本当にそう思う。そしてこれまでずっと感じてきた(自分だけ幸せになろうだなどと、許されていいことではない)というつらい負い目についても――いつの間にか消えてなくなっていることにLは気づく。
 もう、すべては終わったのだ。そうした負の遺産のようなものはすべて、エデンという基地のどこかへ置いてきてしまったような気がする……そしてここから新しく何かがはじまるのだという気がした。
 それがなんなのかということは、Lにも今はまだわからない。ただ自然の声に耳を傾けながら、暫くの間はカインやラファエル、そして自分のせいで死んだともいえるティグランのことを考えていたかった。いつまでも彼らのことを忘れずに覚えていること、彼らが本当は成し遂げたかったことを自分が代わりに叶えられはしないかと、Lはタイタロンをヴァトナ氷河近郊の町、ヘープンで降りるまで、ずっと考え続けていた。



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【2008/10/03 15:47 】
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