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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)

「これは、本当に本物なんですか?」
 ラファエルにマスターのいる部屋まで案内しますと言われ、到着した部屋には、まだ誰もいなかった。それでLは、その室内にあるもの――おそらく価格にして一千万円はするであろう、精緻な模様のシルクの絨毯、細長い黒檀のテーブル、純金とクリスタルのシャンデリア、アンティークなサイドキャビネットの上の陶器の像や中国・清時代の壺など――を、点検するようにひとつひとつ眺めていった。
 そして、おそらく先ほどまでそこから自分と<K>のコピーがフェンシングをするのを見下ろしていたであろう長方形の窓には、今白樺の林や森の景色などが映しだされ、さらにそこからは鳥のさえずりまで聞こえている。
「実に不愉快ですね……」と、Lがカインの趣向について、指を齧りながら呟いた時、Lが入ってきたのではない、別のドアが開いて、そこからカイン・ローライト――おそらくは今度こそ本物の――が姿を見せた。
 身長は、大体背筋を伸ばしたLと同じ179センチくらいだったろうか。そして、どこか中世の貴族を思わせる衣服――白のゆったりとしたブラウスに、ダークブルーのベスト、それに揃いのズボンといった――を着ている。だが、さきほどのコピーである<K>との決定的な違いは、彼が三十代半ばといったような容貌をしていることであった。あのまま普通に年齢を重ねていたとすれば、今彼は四十歳であったろう。だが、例の細胞が若返るという薬を服用しているのであれば、実年齢より若く見えたとしても不思議はない……Lは、まだ目の前の彼が「本物」とは断定できないと思いながらも、相手に対して会話するに足る人物としては認め、彼と細長いテーブルに差し向かいになって腰掛けた。
「君は、その座り方じゃないと駄目なのかね?」
先ほどLがフェンシングをするのを、<マスター>である彼と一緒に見ていたであろう、ガブリエル・ナンバーのアンドロイドが、メイド服を着て、カインに給仕している。牛フィレのロースト赤ワインソースとじゃがいものグラタン添え、それにカリフラワーのクリームスープだった。そして彼女はLに対してもにっこりと微笑みながら、林檎のタルト・バニラアイスクリーム添えを置いていった……Lが甘いもの以外はほとんど口にしないということを、Kはすでに知っていたのであろう。
「わたしは、この座り方でないと推理力が40%減です。そして今のこの状況下では、フルに自分の脳の推理力を働かせる必要があります。ゆえに、たとえマナーに反しようとも、膝を伸ばす気にはなれません」
「なるほど。まあ、好きにしたまえ。ちなみに、その林檎のタルトの中にはおかしなものなど何も混入されていないから、安心して食べるといい。君の細君の作るアップルパイには、もしかしたら遠く及ばないかもしれないがね」
「ええ、彼女の作るスイーツは、天下一品ですから」
 カインがナイフとフォークを上品に使っているのに対して、Lは手づかみでムシャムシャと、いつもどおりの行儀作法で林檎のタルトを食べていった。もしこの中に睡眠薬にせよ幻覚剤にせよ毒物にせよ……何かが混じっていようがいまいが、現在の状況下ではあまり変わりがないとLは思っていた。何故なら、そんな姑息なことをしなくても、ここエデンはカインのフィールドであり、自分はその中にすでに取りこまれてしまっているのだ。それなら、小心な心遣いなど一切せず、フェンシングで消費した糖分を回復したほうが、これから行動する上でも有利になるというものだった。
「ところで、前からずっと聞きたいと思ってたんですが……あなたの造るアンドロイドは、何故全員顔が一緒なんでしょう?そこには何か、深い理由のようなものが存在するんですか?」
「いい質問だね、L」と、どこか優雅な手つきでワインを飲みながら、カインは笑う。「というより、本当は君も気づいているんだろうな。彼女たちの顔は、わたしと――そして君の胎の母の、イヴがベースのモデルになっている。あとはコンピューターが検出した、どの人間が見ても<美しい>と感じる顔立ちのデータを加えて作成されているんだよ。これこそまさに、最高の人間だという意味をこめて、わたしは全員を同じ顔にした。何故といって、ガブリエル・ナンバーはより人間に近いだけに、互いの違いに敏感で嫉妬するという感情も当然持っている。ゆえに、そこまでの複雑な感情がさらに深化してややこしい事態を引き起こさないためにも、みなが<平等>である必要があるというわけなのさ」
「なるほど……そしてあなたは、自分の母親によく似た面差しの女性を見つけると、必ず攫ってきますよね。そして殺すことはせずに、記憶を消すなどして地上に戻している。先ほど、そちらにいるラファエル♯001からも、わたし以外にこれまで、あなたの気に入った研究者などがここエデンへ来たことがあると聞きました。ところで、彼らや彼女たちは、その後どうなったんでしょう?」
 自分の後ろに、立ったまま控えているラファエルのことを、カインはちらと振り返る。そして<彼>が何か言い訳しようとするのを制して、言葉を継いだ。
「まあ、それはケースバイケースということになるな。君の優秀な部下のひとり――ステファン・ジェバンニ君の妹君にわたしが何をしたのか、L、君はそうした点について聞きたいのだろうな。『汝、選ばし者』と呼ばれ、リヴァイアサンの組織に忠実に仕えた者のことを、わたしは確かにここエデンへ招待することがあるのだよ。だがまあ、一通り案内したあとは、遺伝子研究のためのサンプルなどをいただいて、スリープ状態に入ってもらうことが一番多いかな……彼らは特殊な睡眠装置の中で、永遠の夢を見ながらゆっくりと老いていく。そして、わたしとて一応これでも人間だからね。時に人のことが恋しくなることもあるさ。そこで、L――君が殺したわたしの母に面差しの似た女性を捕まえては、時々戯れの時を過ごすこともあるというわけだ。だがまあ、結局彼女たちはどこか顔立ちが似ているというだけで、わたしの母のかわりにはなれない。君がわたしの母、イヴの胎内から生まれてさえ来なければ、エデンも今ごろこんなふうじゃなかったかもしれないけどねえ」
 血のように赤いワインをカインが飲みほすと、脇に控えていたラファエルが、彼にロマネコンティの1974年ものを注いでいる……その様子を見ながらLは、思っていた以上にもしかしたらこのカイン・ローライトという男の精神構造は幼いのではないかという気がした。母親という存在の呪縛から逃れられず、彼女と面差しの似た女性を地上から攫ってくるも、心が完全に癒されることはない。今、彼はその状況を作りだした全責任は自分にあるとして、Lのことを断罪している。
 これまでLは、その罪の追求を彼にされる時、どれほどつらい思いを味わわなければいけないだろうと想像していたが、意外にも開き直りに近い境地に自分が達していることがわかり、むしろ超然とすることさえできていた。
「わたしも、ある人に出会うまでは、ずっと自分など生まれてこなければよかったと、そう思って生きてきましたよ……旧約聖書のヨブ記に、こういう一説があるでしょう?『私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った」と言ったその夜も。その日は闇になれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。闇と暗黒がこれを取り戻し、雲がその上にとどまれ。昼を暗くするものもそれをおびやかせ。その夜は、暗闇がこれを奪いとるように。これを年の日のうちで喜ばせるな。月の数のうちにも入れるな。ああ、その夜には喜びの声も起こらないように。日を呪う者、リヴァイアサンを呼び起こせる者がこれを呪うように。その夜明けの星は暗くなれ。光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがないように。それは、私の母の胎の戸が閉じられず、私の目から苦しみが隠されなかったからだ。なぜ、私は胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は生まれ出たとき、生き絶えなかったのか。なぜ、私を受ける膝があったのか……』この箇所を、わたしは自分に対しての言葉のようだと思い、それこそ何度も繰り返し読みました。わたしは基本的に無神論者ではありますが、それでも<神>という人が本当にいて、もしあなたの母親であるイヴ・ローライトに心の底からあやまれと言うなら――自分が生まれてきたことを、なかったことにして償いたいとすら思っていました。その気持ちは本当です」
「ふふん。L、君が聖書を引用するとはね……わたしは随分前から、君が<神>など信じることが出来ぬように、色々なことを仕掛けてきたつもりだがね。正直なところを言って、今君がここでこうしてわたしと顔を合わせることが出来ているのも、言ってみればわたし個人の好意……慈悲にも近い感情によってなんだよ。君がこれまで生きてきた二十数年の間、わたしにはいつでもL、おまえの命をとることが可能だった。でもそうしなかったのには、それなりに理由がある。ワインを樽の中で時間をかけて熟成するように、わたしはじわりじわりとおまえを追いつめて最後に絶望の中でのたうちまわるおまえに引導を渡してやろうと考えていた。脳味噌をいじくって苦痛を与えるもよし、レーザーで生きたまま五体をバラバラにしてやろうと思ったことも何度かある……だがまあ、この場合、痛みが続くのはせいぜい二十分程度だ。それではわたしが受けた精神的苦痛に遠く及ばないものだと思わないかね?死んだ者は二度とは生き返らない――その代償としてはあまりに安すぎる償い方だ。そこでわたしは考えた。L、おまえが最初から<いなかった>ことにしてやろうとね」
「どういう、意味ですか?」
 林檎のタルトは、まだ半分以上残っていたが、Lも流石にもう食指が進まなかった。というより、生まれて初めてスイーツをまずいと感じてさえいた。味がどうこうという以前に、何故だか吐き気を催すような、嫌なものを食べている気分に、Lは今なっていた。
「言った言葉のとおりだよ。その昔、ここエデンには八百人を越える科学者たちが住んでいたんだ……ワタリは、ロンドンの空襲で失った婚約者のことを甦らせようとして、禁断の方法に手を染めていたし、その他色々な種類のありとあらゆる研究がここでは進められていたのさ。そのうちのひとつ――ジャスパー・リンドグレイという天才物理学者がね、現在地上に存在するエネルギー資源はいつかは枯渇すると考えて、新たなエネルギー源の開発を推し進めていたんだよ。それは人為的にブラックホールを生みだし、そのエネルギーを石油やガスなどの代替燃料にするというものでね、まあ、核燃料よりも危険な方法だと言えるが、エデン全体を統括する長であった父は、リンドグレイ博士の研究を特に止めだてはしなかった。ところが、彼とは別のエデンではまるで下っ端の物理学者が、ある時二酸化炭素と水さえあれば、永久にエネルギーを生みだすことの出来る装置を開発したんだよ。悲観したリンドグレイ博士は、ブラックホール発生装置に自ら身を投じて自殺した……以来、そこは人体実験などで不用になった人体のなれの果て、物質と化したそれを捨てるゴミ捨て場になったんだ。L……君にもそこへ、入ってもらおうかとわたしは考えてるんだが、どうかね?」
「……………」
 Lは黙りこんだ。ブラックホールの中に身を投じたとすれば、それは生きながらにしてそのまま<無>の世界へ行くということだ。冗談にも楽しい死に方とはとても言えないのは確かだが、それでも――当初Lが考えていたような、『最悪の事態』よりは、まだ僅かばかりマシだったともいえる。
 少なくとも、カインは<L>という存在がコピーであれなんであれ、この世界で息をしているそのこと自体が気に入らないのだから、Lにとっての最悪のシナリオ……オリジナルである自分が今ここで殺され、クローン人間が地上へ戻されるという可能性は回避されたということになる。奇妙なことではあるが、最悪よりも少しはマシであるその最期に、Lは淡い希望さえ持っていた。ただ、<L>という人間が地上に生きた痕跡を消すというのが――もし自分に関わった者すべての記憶を消すということであるなら、Lはラケルにも忘れ去られてしまうのかと思い、胸が痛んだという、それだけだった。
「どうした?ショックのあまり、言葉もないのかね?」
 ワイングラスをくゆらせているカインに向かって、暫くの間下を向いていた顔を、Lは真っ直ぐに上げた。これまで、十三歳の時にワタリから真実を聞かされて以来、この瞬間が来るのを自分はどれほど怖れて生きてきたことだろう……それなのに今、Lは自分の心のうちから怖れや不安が取り除かれていることに驚いていた。そうなのだ。もし仮にカインが心の内にあることをすべて行ったところで、自分が死に、ラケルの記憶から<L>という存在が消え去ったとしても――彼女をたった今強く「愛している」と思うこの気持ちまでは、彼にさえも消し去ることはできないと、Lはそう思っていた。
「いえ、もっと中世の拷問器具にでもかけられるような苦痛が存在するものと想像していたんですが……ブラックホール発生装置にかけられるというのなら、それも悪くないかもしれません。あなたは心の内にあることをすべて、わたしに対して行ってください。ただしそのかわりに、この最後の晩餐ともいえる席で、わたしが知りたいと思っている質問にいくつか答えてほしいんです。どうせわたしは死にゆく運命なんですから、そのくらいのことは許してくれてもいいでしょう?お願いします」
「……………!!」
 今度は、カインが黙りこむ番だった。Lの顔つきは、絶望しているわけでもなければ、狼狽しているわけでも、苦痛に歪んでいるというわけでもなかった。まるで、これからサッカーの決勝戦が行われる時の、選手の顔つきとでも言えばよかっただろうか……それでカインは、まだLが希望を持っている、生きのびることのできるチャンスを掴もうとしているのだろうと思った。だが、これから彼がどんな意表を突く興味深い質問をしたところで、自分の中でこの決定が覆されることはない――カインは、今はまだ冷静さを保っているLも、ブラックホール発生装置にいざ放りこまれようという時には、泣いて命乞いするだろうと思い、極めて寛容な気持ちになっていた。それで、自分の理解できない種類の、奇妙な微笑みを浮かべている男に対して、残酷な微笑みを返してやる。
「いいだろう。死人に口なしとはよく言ったものだからな……おまえが今ここでわたしに何を聞こうと、<L>、おまえは最後には絶対に死ぬ。この運命は何があっても変わらない。その前に、ひとつくらい願い事を叶えてやるというのも一興だろう。まあ、おまえがわたしに聞きたいことなぞ、ある程度想像がついているがね」
 カインが食事をし終えたのを見計って、またもメイド服を着たガブリエル・ナンバーのアンドロイド――給仕ロボットとでも呼ぶべきだろうか――が、銀のトレイに皿などを乗せ、黙って去っていく。その様子を見て、Lは具体的な質問をする前にカインにこう聞いた。
「デザートはないんですか?それとも、わたしが今日のあなたの分のスイーツを奪ってしまったんでしょうか?」
「気にしないでくれたまえ。わたしはもともと、君と違って甘いものはあまり好きじゃないんだよ」
「そうなんですか……まあ、人の口の好みはそれぞれですからね。それより、まずは質問のひとつ目なんですが、何故あなたは実の父親であるレオンハルト・ローライト博士を殺したりしたんです?彼の遺伝子研究の最高傑作ともいえるこのわたしを殺すというのならわかりますが、ワタリやロジャーからは、あなたが自分の父親のことをとても尊敬していたと聞いています……それこそ、実の母のイヴと同じくらい、家族として彼のことを愛していたんでしょう?」
 いかにも不愉快だと言いたげに、カインは細い眉を吊り上げている。そのことの理由はLにも当然わかっていた――彼は、自分の母親が死ぬ原因を作ったLが、彼女のことをイヴと呼び捨てにしたり、平行して<愛>などという単語を口にするのが気に入らなかったのだろう。
「フッ……予想していたとおりの質問とはいえ、おまえの口から母の名前や愛などという言葉を聞くと、あらためて虫唾が走るな。そうとも、L。おまえの言うとおり、わたしは母同様、父のことも敬愛していたさ。だが、父の母に対する扱いようをみて、気が変わったんだよ……この男は、実に身勝手で、自分の研究のためならどんな犠牲をも厭わぬおそろしい男だとね。もっと言うなら、<エデン>の存続のためなら、母の命も息子であるわたしの命をも犠牲にするだろうと、その時はっきりわかったんだよ。いや、父だけじゃない。このエデンにいる科学者と呼ばれる者のその全員が、心の底ではそう思い、一致団結している……けどまあ、君もわたしと同じことを思っているに違いないが、エデンの体制は当時からかなりおかしかった。先ほど話にでた、リンドグレイ博士は、自分の研究に絶望して自殺したわけだが、他にも精神的な病気にかかってロジャー=ラヴィの治療を受けているような者はたくさんいたんだよ。地上へ戻るためには記憶を消すというのが絶対的条件になるからね……いくらホログラムで地上の世界をリアルに体験できたところで、一部の者には決して耐えられるような環境じゃなかったんだ。けどまあ、そういう人間の行きつく先は、結局は処刑による<死>だからね。その一方で、適応できた科学者たちにとっては、エデンという環境はこの上もなく素晴らしいものだといえただろう。何故といって、研究費のことなどまったく考えることなく、湯水のようにそれを使えるんだからね……わたしがこのエデンの環境を変えようと思ったのは、何も母のことだけが原因というわけじゃなく、それまでも<おかしい>と感じていたことを、少しばかり暴力的な方法によって変革しようとしたまでのことなんだよ」
「ですが、あなたがエデンにいる八百数十名もの科学者たちをアンドロイドを使って処刑したことは、ある程度わたしにも納得できるにせよ」と、Lはあえて人命の重さ・尊さを無視する言い方をした。「それを理屈によって理詰めで「正しい」とすることと、実際にそれだけの人間を一度に殺すことには……物凄く大きな隔たりがあるとは感じませんでしたか?というより、やはりあなたにとってはお母さんを亡くしたということが、それほどまでに大きなショックだったということなんでしょうね……そのことが、それまでも「おかしい」と感じていたことの積み重ねに直接的な火を点ける結果になった。そう考えても、よろしいですか?」
(こいつ……!!)
 カインは、自分の苛立ちを抑えるように、前髪をかきあげた。Lが今、自分のことを<ただの殺人者>として見、同情しながら殺人犯を取り調べる、警察官の顔つきをしているのに気づいたからだ。実際には、立場としては自分のほうが圧倒的に優位なはずなのに――奇妙な敗北感に似た感情が心に忍びよってきて、カインは一瞬目の色を変えた。
「まあ、なんとでも言うがいい。わたしは二十数年前に起きたあの日の事件については、今もまったく後悔していない。そしてL、おまえのことをエデンから追放した時のこともだ。汚れのない赤ん坊のまま、なんの苦しみもなくおまえが死ぬことを、わたしはどうしても許すことが出来なかった。それよりも、地獄のような地上でのたうちまわって苦悩し、苦しみ抜いて死ぬがいいと思っていたからね……どうだ、L。おまえもわたしのことを殺してやりたいほど憎いと思ったことが、何度となくあったんじゃないかね?」
「いえ、今はもうそのことはあまり問題ではありません」と、あくまでも冷静にカインの顔を見つめながら、Lは真っ直ぐに言葉を投げた。「それよりも、あなたが父親であるローライト博士にかわって、エデンを治めるようになったその後のことをお聞きしたいんですが……あなたが今も、世界各国にここが超一流の最先端をいく科学研究所であり、ここには数多くの天才的な研究者がいると見せかけていることは知っています。ですが現在、ここにはあなたの他には、アンドロイド以外に普通の人間はいない――ワタリやロジャーのその推測は正しいですか?」
「その通りだよ。ここにはわたし以外の<生きた>人間はひとりも存在しない。時には地上から人を連れてくることもあるにはあるが、一度睡眠装置に入った人間は、そこから一歩でた途端に、ここを地獄と感じるだろうからね……いつまでもいい夢をみさせてやるのが、せめてもの慈悲というものだよ」
「そうですか。では、他の質問に移りますが、ここで稼動している人造人間は全部でどのくらいの規模になるんでしょう?少なくとも、世界中に今、あなたがクローンとして送りこんだり、その他注意すべき人物としてマークしている人物は、ざっと千人以上はいるはず……その全員をあなたがアンドロイドを使って監視していることはわかっています。そして、世界各国の国防省の人間や、政府機関の人間を、風呂やトイレに入っている時まで監視するのは、まあ百歩譲っていいとしても――あなたは先ほど、父親の時代からエデンはおかしかったと言いましたよね?それなのに、何故その点を正して、世界をより良い方向へ導こうとしなかったんですか?」
「愚問だな、L」自嘲するような、どこか歪んだ笑みを浮かべて、カインは言った。「第一、今のこのエデンの現状を見てみたまえ……言ってみれば、わたしひとりの完全な独裁体制だよ。よくSF小説などではね、自我に目覚めたアンドロイドが人間にクーデターを企てる、なんていう筋立ての話があるが、そうなったらそうなったで、わたしは全然構わないんだよ。L、君はわたしが自分自身で望んで今のこの地位に着いていると思っているかもしれないが、そんなのは考え違いもいいところだ。わたしはこの<神>にも等しい王座を、自分で手に入れたくて手に入れたわけじゃない……言ってみれば、地上の哀れな人間どもに押しつけられた地位に留まっているに過ぎないのさ。リヴァイアサンの存在を知る、各国政府の裏の黒幕などは、いざとなったら自分たちにはリヴァイアサンという存在があるということが、何よりの救いなんだよ。L、もしかしたらおまえはわたしやエデンという存在を出来ることなら消し去りたいと思っているかもしれないが、地上の蛆虫みたいにか弱い連中のことも少しは考えてやるんだな。どこかの国の誰かが誤って核のボタンを押した日には――その惨状を救えるのは、このエデンをおいて他にはないということをね」
「いえ、むしろその点こそが、わたしの聞きたいところです。あなたが今現在利用しているクローン技術その他を使ったとすれば、核を廃絶することも可能なはず……それなのにそれをしないということは、あなたはリヴァイアサンという組織の重要性を世界各国に知らしめるために、むしろその点については何もしていないといったほうが正しいのではありませんか?」
「またしても愚問だな、L。わたしはね、このエデンがどうなろうと、地上が核戦争に見舞われて人類が滅びようと――どうとも思わない人間なんだよ。それでもまあ、自分なりの義務感から、この基地を守るためにあらゆる手を尽くしてはいるし、地上の人間にもそれなりの恩恵を返しているつもりだよ……たとえば環境問題にしても、海底から噴出するメタンガスを抑えるために、ある特殊な珊瑚に似た開発植物を植えたりね、そうしたことをエデンは行っているし、他にも色々、君があずかり知らぬところで、我々は良いことをしているんだ。つまり、わたしが言いたいのはこういうことだといえるかな――先ほどL、おまえは何故わたしが父を殺したのかと聞いたが、おまえが言いたかったことは正確にはもう少し別のことだったに違いない。およそ八百人以上もの研究者を全員殺さず、何故そのうちの百人でも生かしておかなかったのかと、おまえはそう聞きたかったのかもしれない……旧約聖書のソドムとゴモラの話はL、おまえも知っているだろう?」
 知っている、とあくまでも自分を取るに足らない、目下の者として扱おうとするカインに、Lは首肯してみせる。
「神は、ソドムという町が道徳的にも社会的にも、あらゆる観点から見てこの上もなく腐敗しているとして、その町を滅ぼそうとした。ところが、そのことを知ったアブラハムはこう言うんだな。『正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがない。そこにいる十人の正しい人のために、どうかその町を滅ぼさないでください』と――だが、結局ソドムという町は、神の怒りによって滅んだ。返していうなら、十人もの正しい人さえそこには見つからなかったということだ……だが、神はこの時、アブラハムの甥のロトとその家族のことは救おうとしている。わたしに言わせればまあ、L、おまえのことをワタリとロジャーに託したのは、そんなような理由によってだった。とりあえず、自分の知っている中で唯一、彼らには人間として<見るべきところがある>と思っていたからね……そして、父を殺すからには、他の科学者も全員殺さなければいけないというのは、わたしの中で完全に決定していた出来事だった。それは一体何故か?第一にそれがもっとも手っとり早いということ、第二に、父がエデンにいなくなることと、エデンが滅びるというのはイコールで結びついた事柄だったからだ。いいかね、L。八百人も科学者がいて、おのおの、好き勝手な研究をしているというのは、実に危険なことなんだよ。そこには必ず、頂点に立って全体を見通すことのできる、カリスマ的な指導者が存在しなければならない。エデンにおいては父がそうした存在だった……むしろ君や他の地上の人類は、わたしのこの英断に感謝すべきだとすら、わたしは今も思っているよ。何故なら、わたしが母を殺し、父を殺し、さらに自分の頭を拳銃で撃ち抜いていたとすれば――他の科学者たちは統制を失って、おのおのに勝手なことを行い、派閥争いの果てに自ら滅んでいたろうからね……それも、地上におそろしい破滅の痕跡を残したそのあとで」
「……………」
 カインの眼差しがまたも、残酷に一瞬輝くのを見て、Lは黙りこんだ。彼に対して最初から感じている自分の違和感――それがなんなのか、Lは今、初めてわかったような気がした。彼は誰が見ても好意を持つような、貴公子然とした顔立ちをしており、その瞳は両方とも冷たい氷のような青色をしている……だが、その右目には正しい心が宿り、左の目には狂気が宿っていると、Lはそんなふうに感じていた。だから、その両方の眼差しで見つめられると、何か矛盾したような、奇妙な気持ちに捕われそうになるのだ。
「質問は、以上かね?」
「ええ……もう結構です」と、Lは自分の膝の上に手をおきながら言った。他にも、まだ彼に対して色々聞きたいことは確かにあった……地上の環境問題にまで気を配っているのなら、このまま人口が増え続けて、エネルギー資源の奪いあいを人間がした場合、どう救いの手を伸ばすつもりなのかといったことや、彼自身がいつまでも永久に生き続けるということは不可能だと思うが、その場合はクローン人間がカインの後を継ぐことになるのかといったことも……だが、Lは突然、今のカインの回答によって、何もかもがどうでもよくなった。何故なら、彼は決して<神>ではないにしても、彼なりの信念や哲学といったものがあり、それを「間違いである」として正す権利が果たして自分にあるのかどうか――Lにとっての信念や哲学といったものが揺らいでしまったからだ。そしてそれでも、とLは思う。
「あなたに処刑される前に、最後にひとつだけ、いいですか?」
「いいとも。この際だから、なんでも言いたまえ」と、カインは優越感に浸りきったような、居丈高な様子を崩さず答える。「わたしが地球上にいる蛆虫どもの中で、唯一自分の手でひねり潰したいと思うのは、L、おまえひとりだけだからね」
「今、このエデンには、わたしの部下とも呼べる人間が、数人乗りこんできているはずです……わたしの命は最初からなかったものとして取ってくれて構いませんが、彼らのことだけは――記憶を消すなどするに留めて、助けてやってくれませんか?」
「ああ、もちろんだとも、L。今このエデンにネズミが何匹紛れこんでいるか、そんなこともわたしはとっくに承知の上だ……そしておまえが、自分の部下のニアに命じて、ここを破壊しようとしている企みについてもね。だがまあ、軍事分析家のアンディ=ウォーカーは、すでにわたしたちの手のうちに落ちている……これがどういうことか、L、君にもわかるだろう?もしニアとやらが衛星ミサイルを発射しようとしたその瞬間に――彼はおそらくいかなる手段を用いてでも彼を殺す。そしてもしそうならなかったにしても、わたしは彼と敵対しているメロを地上に戻したその後で、彼にニアのことを殺させ、Lの後釜に据えることもできるというわけだ。どうだ、そんなところで手を打たないか?」
「いえ、メロにはLは死んだが、エデンは壊滅したと、そう記憶の操作を行ってください。そしてその後でニアや他の者に対しても記憶の操作を行うということが……カイン、あなたならば可能なはずです。そうでなければ、多少厄介なことになりますよ」
「厄介なこととは、どんなことだね?」
「これです」
Lはごそごそとジーンズのポケットを探り、サイコロほどの大きさの何かを取りだすと、右手の親指と人差し指で、それを摘むように前へ突きだした。
「これは、ワタリが製造した分子爆弾です。わたしは最悪の場合に備えて――これを自分が死ぬために使おうと思っていました。あなたも知ってのとおり、これを使えば<わたし>という存在は分子レベルで消えてなくなることになります。ですから、あなたの言うブラックホール発生装置に入って消え去れという刑罰は、わたしにとってそれよりはいくらかマシな措置とも言えるわけです」
「さて、それはどうかな……人工的に発生したブラックホールに吸いこまれて死ぬのと、分子レベルで消え去るのと、五十歩百歩といったところという気もするがね。なんにしても、そんなものでわたしを殺したところで無駄だ。どうせまたわたしの代わりの者など、ここにいるラファエルかリリスが別の方法で再生するだろうからな。そうなればL、おまえの仲間のことは全員、有無を言わさず皆殺しにさせてもらう……おまえのもっとも愛する細君のことも含めてな」
「……これは、わたしの遺言のようなものだと思って聞いてほしいんですが」緑色の液体を不気味に光らせる、分子爆弾をテーブルの上に置きながら、Lは言った。「わたしは今、あなたに感謝しています。そして唯一ひとつの点においてのみ、あなたに<勝った>と思いました。確かに、これからわたしは肉体ごと「無」の世界へと運ばれ、人々の心の中に残る<L>という存在も、あなたが操作した記憶の中において、ということになるのかもしれません。それでも――おそらくわたしは、あなたがクーデターを起こさず、エデンであのあと健康に育つよりも、今置かれている自分の状況のほうが、遥かに幸せではなかったかと思うんです。十三歳の時にワタリから本当のことを知らされた時には、確かにつらかったです。生まれてこないほうがよかったのにと思ったことも、何度もありました。そして、死にもの狂いで自分の影と戦うみたいにして、あなたが裏で糸を引いているリヴァイアサンという組織を追い続けました……その過程で、たくさんの人の命が失われましたし、わたしもまた、自分の不甲斐なさを呪ったことが何度となくありました。でも、わたしのことを信じてついてきてくれる人が数多くいたということ、それが何より今のわたしにとっての<救い>なんです。それから、あなたがわたしを苦しめるというそのためだけに、ラケルにも手出ししないでおいてくれたことにも、感謝します。あなたもおそらくすでにご存じでしょうが、彼女は以前に一度誘拐され、その時のストレスのためか、流産しています。このことはわたしも口にだして彼女に言うことはできませんでしたが――わたしはそう聞いた時、内心ではほっとしていました。何故なら、あなたが妊娠中の彼女を攫う動機はあまりに大きすぎるから……そしてあなたが味わったのと同じ悲しみをわたしに与えないでくれてよかったと、今そんなふうに感じています」
「……………」
 カインは、いかにも耳障りな演説を聞いた、とでもいうように、顔をしかめている。そして、まるで「もう用はない」とでも言うように、Lに対して手を振った。まるで野良犬を追い払う時のような手つきだった。
「ではL、こちらへ」
 ラファエルは、Lにこの部屋から退出するように促し、Lもまたそれに大人しく従った。もう今さらじたばたしたところで仕方がない――Lはそう思い、一瞬目を閉じ、そしてすべてのことの覚悟を決めたのだった。



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【2008/10/01 16:15 】
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