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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(17)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(17)

 Lがセスをはじめとする超能力者たちと最初に会議の場を持ってから、数日が過ぎた。その翌日にLは、リヴァイアサンという組織がどれほど危険な組織か、またエデンと呼ばれるコロニーへ赴くことがそのまま死に繋がるかもしれないということを何度も説明した後――それでもみなの意志が変わらないなら、自分について来てほしいと言った。
「アイスランドへ行くのは、今の段階で三月の下旬を予定しています。ですから、それまでによく考えて、もし気が変わったというようなことでもあれば、なるべく早く知らせてください。これまでにも何度か言いましたが、あなたたちのうちで誰かがわたしと一緒に来ないことで、わたしの勝率が下がるといったようなことはないと思ってくれていいです。わたしがひとりでエデンへ行っても、あなたたちの全員が来てくれたとしても――どちらが有利でどちらが不利になるのかは、正直わたしにもわかりません。すべてのことは、それこそ<神>のみぞ知るといったところですから……」
 Lはその二度目の会議で、超能力者たちひとりひとりの意志確認を行ったあと、詳しい計画についてはまた後日知らせるとみんなに言い渡した。それというのも、Lにとってはアイスランドへ行く前に越えておかなくてはならない大きな山があるせいだった。
 そして何日も自分の仕事部屋に閉じこもって、ワタリから渡されたエデンの地下コロニーの見取り図を、3D映像であらゆる角度から眺めつつ、Lはもっとも最良にして完璧と思われる計画を立てるのに腐心した。それと同時に、いつも心にかかるのはラケルのことだった。この計画を子供たち全員に話す前に、ラケルにすべてを打ち明けなければならない……そう思うと、Lの心は暗い海に錨でも投げ入れたかのように重く沈んでしまう。自分の命がこのアイスランドの地底にある巨大コロニーで儚く散るということよりも、ある意味彼女にすべてを告白するというのは、Lにとってそれ以上につらいことだった。
 その日も、十人いる子供たちの世話があるせいで、すっかり質の落ちたスイーツや市販もののビスケットやマシュマロを食べながら、Lは白一色の有機照明に照らされた部屋で、同じことを繰り返し考える。
(毎日、食事とおやつを十二人分作らなければいけないというのは、大変なことだと思います……でも、これはさすがに少しひどすぎる。わたしはそれをラケルが作ったかどうか、それとも他の子供に作らせたかどうかわかるくらい、今ではすっかり舌が肥えてしまっているのに……そのわたしに、市販のお菓子で我慢するよう仕向けるなんて。彼女は血も涙もない鬼になったとしか思えない)
 チョコレートウェハースにガリッと恨めしく齧りつきながら、それでも今の段階ではラケルに正々堂々と文句を言うことはできないとLは思う。そう――もしこの抗議の申し立てをするなら、自分にはその前にどうしても告白しておかなければならないことがあるからだ。
 メロもニアも、他の子供たちも、Lがなかなかラケルに本当のことをすべて話そうとしないのは、おそらく彼には彼の考えがあってのことに違いないと、信じて疑ってもみない様子だった。けれどもLにしてみればまったくそうではなくて、ただ単純に「怖い」というだけだった。今でさえ、スイーツを通したラケルの自分に対する愛情は低下している……その上、もっと面倒で気味の悪いことを今告白しようものなら、愛想を尽かされてしまうとも限らない。
 もし、Lがこのことを子供たちのうちの誰かに相談しようものなら――たとえば、モーヴあたりにでも――彼らは大声で笑いだしたことだろう。これまでLも、幾多の事件を解決に導く過程で、そうした<外側>の立場にずっとい続けていた。言ってみれば犯人たちや捜査員たちの繰り広げる逮捕劇のドラマに、中心的に関わる役割を果たしながらも、そのうちの誰にも本当の正体を明かすことはないという意味で、彼らの心のドラマを高いところから見下ろしていたとさえ言えるかもしれない。けれど、誰かひとりの人間と親しい関係や交わりを持ったその時点で――自分が<内側>の参加者となった時、物の見え方というものはまるで変わってしまう。
 Lは多くの物事を俯瞰して見るのが好きだったが、ある意味この時、ラケルに対しては近視眼になっていたと言えるかもしれない。愛は盲目とはよく言ったものだが、Lは彼女に対しては、他の人間が<外>から見て冷静に下せる判断というものを彼らしくもなく見失っていた。
(あ、このイチゴマシュマロは、市販のものにしては、そう悪くないですね……ラケルに今度、買い物へいったら十袋くらい買っておくように言っておくとしますか)
 もぐもぐと、柔らかい食感を舌の上で楽しんでいると、中からじわっとイチゴの味がしみだしてくる。それを甘い紅茶で飲みほす時の、口の中でのブレンド感……さらにLは、このマシュマロを紅茶の中に入れて飲んだらどうなるだろうと試しているうち、連想的にあることを思いだしてしまった。
 思わずごくり、と紅茶を飲みほす時に、喉が鳴ってしまう。
(そういえば、この食感は似てるんですよね……彼女に)
 この秘密の仕事部屋には、他に誰もいないと最初からわかっているにも関わらず――Lは思わずきょろきょろと周囲を見渡してしまう。人間の食欲中枢と性欲を司る中枢は近いところにあると言われているらしいが、どうやらそこが彼の中で今、ひとつに繋がってしまったらしい。
(そういえば最近、あまりしていません……)
 子供が十人も同じ城館内に住んでいるために、Lは仕事が忙しいせいもあって、夜にラケルのいる寝室へ行くことは滅多になかった。いや、あることにはあったが、そこで彼女はいかにも「疲れきった」というように、よだれを垂らして眠っているのだ。
(これまでは、起こしては悪いと思って遠慮してきましたが……よくよく考えてみると、何故わたしが遠慮などしなくてはならないのか?それに、近ごろの冷たい仕打ちに対して、抗議もしたい。かくなる上は……)
 エデンの地下コロニーの見取り図をあらゆる角度から回転させるのをやめると、Lはそのウィンドウを一旦閉じた。まるで我が儘な子供が母親におやつをねだる決意でもするように、すっくとその場から立ち上がる。
(現在、スイーツその他のことで、急にわたしのほうが虐げられているような気がしてきました。確かに、彼女が忙しいのはわかる……それに、そのことはわたしのせいであるとわかってもいる。だからといって、いつまでもこの立場に甘んじるということは、わたしのプライドが許しません)
 Lなりに頭の中で一度そう理屈が通ってしまうと、行動を起こすのは速かった。この場合、なんといっても優先されるものは理性ではなく感情である。Lは一旦<ラケルに真実を云々……>といったようなことは一切忘れ、彼には珍しいことながら、一時的な衝動に駆られて行動を起こしていたといっていい。
「ラケル。その、あなたと少し話したいことが……」
 広いリビングを横切っていくと、そこにはお菓子を焼く甘い香りが漂っていた。ラケルはダイニング・テーブルの上でイチゴのスコーンに軽く粉砂糖を振りかけている……Lは彼女のその様子を見るなり、口の中がよだれでいっぱいになるのを感じた。時計を見るともうすぐ午後の三時――(ということは、今日はもしかして久しぶりに手抜きではないのか?)、口の端を手の甲で拭いながら、Lは思わずテーブルいっぱいに並ぶ、神々しいまでのスイーツの数々に目移りしてしまった。
 他に、レモンタルトやバナナケーキ、蜂蜜の添えられたホットビスケットなどなど……彼の食べたいものがいくつもテーブルの上にはのっている。
「話ってなあに、L?」
 テーブルに顔がつくかというほど背中を丸め、どれから食べようかと指をむずむず動かすLに向かって、ラケルがそう聞く。彼女はこの時、Lのスイーツに対する飢餓状態というものをよく理解していたために――いつものように、「先に手を洗ってきて!」などと言って彼の手をぴしゃりとはたく真似はしなかった。Lのいう話というのもおそらくは、スイーツの質の低下についてどう思うかといったことだろうと、大体のところ想像がつく。
「ふひ……ふ……あへふ」
 喜びのあまりであろうか、Lの口からは我知らず、そのような意味不明の言葉すら洩れていた。彼は椅子に座るなり、いちごスコーン・バナナケーキ・レモンタルト・ホットビスケット・チェリーパイ・オレンジカスタードシュークリームといったものを次から次へと口の中へ放りこんでいた。
「し、幸せです。今日は何か特別な日ではなかったように記憶してますが……リッジウェイの紅茶も美味しいですね。わたしが求めていたのはまさにこれなんです。でもどうしてわかったんですか?そろそろわたしのスイーツを求める脳が限界に達していると……」
「だって、最近さすがに手抜きしすぎだっていうのは、自分でも自覚してたし……今日は子供たちがみんな検査でロンドンへ行ってるから、久しぶりにきちんとしたものを作ろうと思って。メロちゃんが気を利かせて、向こうで一泊して明日の夕方くらいに戻ってくるって言ってたの。なんでかわからないけど、ニアちゃんのことも珍しくメロちゃんが強引に連れていっちゃったし……だから今日は久しぶりにLとお城にふたりっきりだから、手抜きしないできちんとしたものを作ろうと思って」
「そ、そうですか……」
 口のまわりにメイプルシロップをべっとりつけながら、Lは甘いホットビスケットを口いっぱいに頬張る。そして香り高いリッジウェイのハー・マジェスティ・ブレンドを味わいつくすようにゆっくりと飲む……Lが我を忘れて至福の一時を過ごす間、そんな彼の様子をラケルは幸せそうにじっと見つめていた。
「あ、そういえば忘れていましたが……」皿の上のものがなくなると、Lはげっぷをしながら言った。「その、わたしはラケルに大切なお話があってですね……」
「え?最近スイーツの質が低下してるとか、その話じゃないの?」
「最初はそれもあったんですが……」
 Lがもじもじと落ち着かない様子になっても、ラケルは鈍いのでさっぱり気づかない様子だった。
「?」と、首を傾げているラケルのことを、Lは椅子から立ち上がるなり、その手を引っ張って部屋から連れだすことにする。
「ねえ、どこ行くの?話だったら、誰もいないんだし、どこでしても同じ……」
「いえ、寝室へ行きましょう。わたしの言いたいこと、わかりますよね?」
 階段を上がる途中で、一瞬だけLが振り向いたのを見て、そこでラケルにも流石に彼の言いたいことがわかる。廊下の赤い絨毯の上を、Lの背中についていくようにして歩きながら、彼女は少しだけ顔を赤らめた。
 本当は、もし理性的に考えたとすれば――とLは思う。先にリヴァイアサンやエデン、それに<K>のことを自分は話すべきなのだろうと。そのためにこそメロはわざわざ気を遣ったのだろうし、明日の夕方まで彼らが戻らないのであれば、その間に必ず自分はラケルにすべてを話すべきだとも思う。L自身も順序が逆だとわかってはいるのに、それでもこれは止めることの出来ない力であり衝動だった。
(わたしをこんな気持ちにさせるのは、世界で唯一、あなただけなんですから……)
 天蓋つきのベッドの上にラケルのことを押し倒すと、Lは彼女のエプロンの蝶結びを片手でほどき、何度もキスしながら、ワンピースのボタンを外しにかかる。そして白いレースのついたブラジャーの谷間に彼が顔をうずめていると――不意に突然、おそろしいまでの力でLは張り飛ばされた。
「ふごっ!!」
 まったく油断していただけに、絨毯の上に思いきり体をぶつけてしまう。思わず奇声まで発してしまったが、まともに顔面が床にぶつかったのだから、それも無理はないかもしれない。
「……ラ、ラケル??」
 もう、自分に触れられることさえ実は嫌なのかと、一瞬絶望的な思いに駆られながら、Lはもう一度ベッドのカーテンの隙間から顔をだす。
「ふーん。そうなんだ」
 ベッドの上に体を起こし、ラケルが胸元をかきあわせている目の前には、ラファエルの姿があった。もちろん、Lのことを突き飛ばしたのは彼ではない――Lがラケルにキスを繰り返す間に、ラケルの視界にラファの姿が映り、それで彼女は大慌てでLのことを突き飛ばした……といったような次第だった。
「ご遠慮なく、ゆっくり続きをどーぞ」
 ブレザーを着た小悪魔は、まるで何ごともなかったかのように、バタン、と大きな音をさせてラケルの寝室を出ていく。ラケルの頭の中は、次にラファと顔を合わせた時にどう説明しようかということでいっぱいだったが、Lはまったく別のことを考えていた。
「やれやれ。たぶんあの子は……検査をすっぽかしてこの城に居残ってたんでしょうね。まあ病院の検査を受けるのも、こう何度もだと嫌になるのもわからなくはありませんが。ラファはよく「早死にしてもいいから薬を飲みたくない」と言って、だだをこねるんでしょう?」
「ええ……時々」
 ラケルがワンピースのボタンを上まできっちり止めるのを見て、Lは軽く溜息を着く。今は一旦諦めるしかないようだと、そう思い、ぼりぼりと頭をかく。
「その……こう言ってはなんですが、これもちょうどいい機会なので、あなたに一度、話しておきたいことがあるんです」
 ぎゅっ、と強い力をこめてラケルの手を握りしめながら、Lは言った。
「なあに?スイーツの質の低下のことだったら……」
「いえ、そのことじゃありません。その、わたしはあなたにずっと隠していたことがあって……本当は、いつ話したらいいだろうかと、思い悩んでいたんです」
 ラケルは、いつもとは違うLの物言いに、一瞬ドキリとした。これまでにも、彼にエリスという義姉がいることや、その他彼の本名を知らずにいたことなど、ラケルが<L>について知らなかったことは色々ある。そして彼女自身、Lにはまだ(何かある)と感じていたのも本当のことだった。
 その中でもラケルがこの時もっとも怖れていたのは――Lが自分に詳しくその内容を話すことのできない事件のために「申し訳ありませんが、少しの間離れて暮らしましょう」などと切りだされることだったかもしれない。同じ城館に住んでいながら、一日顔を合わせないこともざらにあるとはいえ……それでも「会おうと思えばすぐ会える」環境にいるのと、無期限で遠く離れて暮らすのでは、全然訳が違う。
「その、わたしの父と母のこと、ラケルには一度も話したことがなかったと思うんですが……わたしには、遺伝子上の父と母があまりにもたくさんいすぎて、結局父母にあたる人間は誰もいないとも言えるんです。これがどういうことか、わかりますか?」
「……試験管、ベビーっていうこと?」
 自分の手を握るLのそれが、微かに震えていることに気づいて、ラケルは彼の手をLの指力にも負けないほどに、ぎゅっと強く握り返した。まだよくわからないにしても、それはきっと――Lの魂に傷を創った最初の出来事だったのだろうと、ラケルはそう直感した。
「そうですね……平たくいえばまあ、そういうことです。優性遺伝子のみをうまくかけあわせて、遺伝子工学の権威であったある科学者が、わたしのことを生みだしたんですよ。そしてその科学者には優秀なひとり息子がいて――名前をカイン・ローライトというんです。わたしのアベルという名前はワタリがつけてくれたものですが、あなたも聖書の創世記に出てくる話は知っているでしょう?」
 ラケルは、ただ黙って首肯した。Lの右手を、両方の手で包みこむように握りしめながら。
「アイスランドに、わたしがこれまで全生涯をかけて追ってきたともいえる、リヴァイアサンという組織の本拠地があって……わたしが生まれたのも、もともとはそこにあるエデンと呼ばれる地下のコロニーでした。こんな話、馬鹿げて聞こえるでしょうが、そこには現在の地球上の科学を遥かに凌駕するほどの発達した科学技術があって――クローン人間の技術も、そこではすでに完成されているんです。そしてわたしが今もっとも怖れているのが、自分のクローンをカイン・ローライトが作ってこの地上に送りこんでくるということ……なんとかそうなる前に彼と話をつけたいというのがわたしの悲願だったわけですが、つい先日、その彼から招待状が送られてきて、まあ三か月以内に一度会おうというような内容のメールでした。カインはわたしのことを激しく憎んでいると、ワタリやロジャーからは聞いています。何故なら、彼の母親がわたしを妊娠している間に気が狂ってしまったから……「自分は悪魔の子を身ごもっている」と、彼女は自殺することすら試みたそうなんですが、彼女の夫でありカインの父親でもあるローライト博士は、半ば拘束・監禁する形で自分の妻にわたしを出産させたそうです。その後、すっかり頭がおかしくなった彼女を見るに忍びなかったカインは、自分の手で母親のことを殺し、さらに父親や父親の科学者仲間のことも全員殺害しました。そしてその中からふたりだけ――ワタリとロジャーのことだけを生かしておいて、赤ん坊のわたしのことを託したのだそうです。いつかわたしが、カインのことを倒せるほどの力を身に着けたとしたら、もう一度エデンであいまみえようと、そう彼は最後に言い、そして二十数年の時が流れて、とうとうその時がきたんですよ……」
 Lはラケルの両手からするりと逃れると、両方の手で自分の頭を抱えこんだ。彼女の澄みきったような瞳の色を見るのが、彼は急に怖くてたまらなくなり、ほとんど両膝の間に顔を埋めるような姿勢で、話を続ける。
「わたしは……人を殺したんです。生まれたその瞬間から、わたしは犯罪者であり、殺人者でした。こんなことを言っても、誰もがきっと『それはあなたのせいではない』と言ってくれると、わかってはいます。それでも、考えてしまうんです。生まれてこなければよかったと……そうすれば、自分のコピー人間が突然自分に会いにくるということに怯えたり、あるいはある日命を落として、自分のクローンが世界一と言われる探偵の<L>とすり替わるかもしれないことに、脅威を感じる必要もなかった。探偵のLは臆病者の安楽椅子探偵だと、そう言う人間が今も存在することを、わたしは知っています……でも、わたしはわたしなりにいつも命懸けだったし、寝る間も惜しんでそれこそ死にもの狂いで働いてきました。その最後が、それまでの労苦がまったく報われない形で終わるかもしれないと、絶えず脳裏をよぎることがあっても……そうする以外に自分に生きる道はないと、そう思って生きてきたんです」
<贖罪>、そして<正義>――そう自分の心に強く働きかける声を、ラケルは聞いた気がした。Lの正義というものに対する執着は、一種異常なほどであったが、それほどの強い意志の裏側には、L個人の苦しみと絶望が最初から存在していればこそだったのだろう。以前に、ラケルがモーヴと少し話をした時、彼がこんなことを言っていたのをラケルは思いだす。『人間はいつか死ぬ。それが人類全体に共通して見られる唯一のヴィジョンだ』と。それは100%絶対に変えられない未来ではあるけれど、その合間に光を見つけて幸せになる義務と権利が人間にはあると自分は信じている……彼はそう言っていた。そしてそれなら、とラケルはこの時思う。
「……Lは今、幸せじゃないの?」
(わたしといるだけじゃ、足りないのね?)と、そう聞かれた気がして、Lは何度もかぶりを振る。
「いえ、そういう意味ではないんです。わたしにとってラケルは――自分の人生に起きた、唯一の奇蹟のようなものでしたから……そうでなければ、孤独なままひとりで死ぬことも、そう怖くなかったかもしれない。いや、やっぱり怖いことに変わりはないにしても……自分の命が失われてただ死ぬということも、人の記憶の中に残らないかもしれないことも、以前は今ほど怖いと思わなかった。でも、心の中に計り知れない不安と絶望の源のようなものがあって、それがこのごろ日に日に強まっているんです。それはずっと昔から、わたしに影のようにつきまとっていて、滅多に見ない夢の中に<彼>は現れることさえあるんですよ……まるで悪魔のように否定的なことしかその影は言わなくて、けれどわたしには彼を殺すことは絶対に出来ないんです。何故ならそれはわたしの一部だから……そして彼はよくわたしにこう言うんですよ。『おまえはラケルにとって相応しい人間ではない』と。ラケルが誘拐されていなくなった時も、その夢を何度か見ました。でもある時気づいたんです。それほどまでにしつこく<彼>がそう言うのは何故なのかって。それは、わたしにとってあなたが唯一の光であり安らぎであり希望であって、「ラケルがいる」ということが彼にとっては邪魔なことなのではないか?……そう思ったら、影の囁く声とはべつに、『わたしにはラケルが絶対に必要なんだ』と、そう思えました。でも、今も不安な気持ちは消えません。本当のことをすべて話した時に、あなたの心が離れていったらと思うと……わたしがカインに殺されようと、その後この世界がどうなろうと、すべてのことに意味はなくなるような、そんな気がして……」
 Lは自分でも、自分の説明が不完全であり、ある部分非論理的でさえあるとわかっていた。それでも、理性よりも感情が大きく先に揺さぶられていて、これ以上どううまく説明したらいいのかが、彼自身にもわからなかった。
「わたしは、Lを愛してるわ。それに、Lがもし生まれていなかったらって想像しただけで……わたしの世界も終わってしまうの。人の不安や絶望の源は<死>というものがあるから、そこからやってくるんだって、昔何かで読んだことがあるけど……モーヴくんが言うにはね、<死>というものは破滅であると同時に救いでもあるんですって。わたしには、まだそこまで達観することはできないけど……でも、出来ることなら死というものが破滅としてではなく救いとして訪れてほしい。そしてLがもしどこかで死ぬというなら、わたしもその同じ場所で一緒に死ぬわ。そのカインっていう人が、お母さんのことでLを許さないって言ったら、わたしが彼のお母さんの命の代償として代わりに死んでもいいって思うの。だって、彼は自分の大切な人の命を奪われたから、それでLを憎んでいるんでしょう?それなら、わたしが死ねばそれでおあいこっていうことになる……違うかしら?」
 自分がずっと怖れていたことを、ラケルがあまりに的確に言葉にしたのを聞いて、Lは膝の中にうずめた顔を、一瞬上げた。そうなのだ。自分の命そのものをではなく、より彼を苦しめるために、Kがもしラケルのことを自分から取り上げたとしたら――そう想像しただけでも、Lにはたまらないことだった。だから、結局はそうしないし出来ないとわかっていながらも、Lはずっと彼女と離れることを頭の隅のほうで考えていなくてはならなかった。(もし、本当に愛しているのなら、いざとなれば決断できるように心の準備をいつもしておくべきなのではないか?)と。結局のところ、ラケルと一緒にいたいというのは自分のエゴでしかないとも思っていた。それでもそれがLにとって生涯唯一の我が儘といえる行為であるのも本当のことだった。
「……あなたがいなくなった時、わたしは自分に罰があたったんだと、そう思いました。でもあなたが無事戻ってきてくれて――この世界にもし神がいるのなら、信じてもいいという気持ちにさえなりました。そしてこうも思ったんです。もしラケルのことを知らないままだったら、人を<恋しい>と思う気持ちも、わたしは知らないままでいて、それはどんなに不幸なことかって……でも、わたしは今幸せなんです。あなたと会って、初めて女の人の肌の優しさを知りました。ラケル、わたしはあなたとこうしてる時……」
 そう言ってLは、泣いてしまったことをごまかすように、彼女の胸にしがみつくように抱きついた。
「一番幸せなんです。こうしてると、本当に全部忘れるんです。カイン・ローライトなんていう人間も本当は存在していなくて、わたしはただのLで、アイスランドのリヴァイアサンなんていう組織にもつけ狙われたりしていない……初めてあなたが体を許してくれた時、わたしは生まれて初めて、自分の存在を喜びました。ラケルだけがずっと、わたしにとって純粋な愛情であり優しさであり、そして唯一の安らぎの源でした。わたしはあなたのすべてを愛しています。けれど、カイン・ローライトという男はやはり実在していますし、わたしは彼と決着をつけなくてはなりません。生きて戻るという約束はできませんが……それでも、信じて待っていてほしいんです。以前はカインが自分に対してどういう復讐をして殺すつもりなのかとか、<死>以上に、自分の存在というものが無になるということ以上に――記憶を消されてエデンに標本として保存されることや、人体実験を行われたり、自分のクローン人間が地上に戻されたりすることのほうが怖かった。でも今は……そうなることがイコールとしてラケルを失うということに繋がるから、そのことが一番怖いんです。自分と同じ顔をした別人が――あなたとセックスするなんて、わたしにはとても耐えられません」
 最後だけ、あまりに直接的な表現だったために、ラケルは思わず笑わずにはいられなかった。彼女の体に密着したLが、微かに振動を感じて、その胸の間からラケルの顔を少しだけ見上げる。
「なんですか。人が真剣な話をしている時に笑うなんて、不謹慎です」
「だって……」Lがいささかムッとした顔をしているのを見て、ラケルはさらにおかしくなってしまう。「いくら瓜ふたつのクローンでも、そんなに何もかも一緒っていうこと、あるかしら?わたしが思うには――もし仮にそうなったとしても、きっと何かが違うような気がするの。たとえば、キスの仕方があんまり粘着質じゃないとか、あんまりあっさりしてて前とは別の人になったような気がするとか……そういう<何か>がきっとあるんじゃないかしら?少なくともわたしは――ううん、わたしじゃなくても、メロちゃんやニアちゃんやワタリさんや他の誰かが、Lが前とは違うっていうことに気づくんじゃないかっていう気がするわ。もちろんそんなこと、想像してみただけでも怖いことだけど……でも、Lがもしその自分の生まれた場所で決着をつけなくちゃいけないなら、足手まといにならないギリギリのところまでわたしも一緒に行きたいの。今までLと一緒に世界各地をまわってきたけれど、アイスランドにだけは、そういえば行ったことがないものね」
「……ええ」
(彼女は、強いな……)と、Lは思い、そもそも<女性>という存在そのものが自分よりも遥かに強いものなのかもしれないとすら感じた。クローン人間など馬鹿馬鹿しいと一生にふすでもなく、そのことを信じるに足るだけの論理的な説明を要求することすら、ラケルはしなかった。それは彼女が子供のように純粋にLのことを信じきっているからでもあり、彼女が「死ぬ」と言ったその言葉も、嘘偽りのないものであることが、Lにはわかっていた。もしこの場にカインが突然現れて、今の会話を聞いていたから、命を差しだせと彼女に迫ったとしても――必ずラケルが自分で言った言葉通りにするであろうことが、彼にはよくわかっている。
 Lは最初、自分がすべてを告白したら、ラケルが同情を越えたあたたかな愛情の涙を流すのではないかと想像していたが、むしろ泣いてしまったのが自分のほうで、何か恥かしいような気がした。けれどそれは不思議と居心地のいい恥かしさで――感情的に動揺しているところを見せてしまったことも、淡々と事務報告でも済ますように彼女に出生の秘密について打ち明けられなかったのも、ためらうあまりに告白するまで時間がかかってしまったことも……すべては彼女という存在が自分にとってあまりに<特別>だからなのだと、Lはそう理解する。
「もうひとつ、わたしはずっとあなたに言えなかったことがあるんです」もう一度また、ラケルのワンピースのボタンを外しながら、Lは言った。そしてブラジャーのフロントホックを口で開き、母親に甘える子供のように、そこに顔をうずめる。
「なあに?まだ何かあるの?」
 彼女が軽く溜息を着いているのを感じて、Lは少しその前に悪戯がしたくなった。
「ええ……でも、最近ちょっと飢えているので、先にしてもいいですか?」
「でも、ラファがまた戻ってくるかもしれないし……」
 子供の教育上よくないというように彼女が感じているらしいのを見て、Lは内心おかしくてたまらなくなる。
「大丈夫ですよ。あの子はあなたが考えている以上にずっと大人ですから……ここへは戻ってこないと思います。なんだったら鍵をかけてもいいですが」
「……………」
 ベッドにかかる絹のカーテンを閉めてしまうと、そこは薄暗がりとなり、他にどんな邪魔も入ることが許されないような空間になる。ラケルはこの時、世界中の色々な高級ホテルのベッドでLと今しているのと同じことをしたのを思いだしていた。パリ、ワルシャワ、プラハ、モスクワ、チューリッヒ……走馬灯のように様々な思い出が甦り、そして最後にLと初めて体を重ね合わせた瞬間のことを思いだした。
「ねえ、初めての時、ノミの話をしたの、覚えてる?」
「ノミの話、ですか」
 Lはもちろん覚えていたが、出来ればそのことは忘れたふりをしていたいような気が、今はしていた。それで彼女に抱きついたまま、黙ったままでいることにする。
「仲のいいノミの夫婦がいて、人間の夫婦の体を痒がらせて、夜の生活を邪魔するっていう話……あれ、Lが自分で考えた話なの?」
「そんな昔のことは忘れました」と、Lはわざと嘘をついた。「でも、あの夜のことはよく覚えています。わたしは、あなたが何故わたしにこんなことをさせてもいいと思うのかが、最後までよく理解できませんでしたから。でも、ラケルがわたしに「愛してる」と言ったので、これがそれなんだと思ったんです……健気にもあなたは震えていましたが、その様子があんまり可愛いかったので、他の男が同じことをラケルにするなら、自分がそれをしたいと思ったのをよく覚えています」
「愛してるなんて、わたし言ったかしら?」
「言いましたとも」忘れたとは言わせない、というように、Lは彼女の体を強く抱きしめる。「あれはシンガポールのラッフルズ・ホテルで、午前3時27分頃のことだったと記憶しています。そうですね、またいつか同じ部屋に泊まることがあったら、時間をかけて思いださせてあげたいと思います」
「……L、わたしそろそろ行かなくちゃ。ラファとモーヴくんがいるから、夕食の用意もしなくちゃいけないし……」
 たとえは悪いが、蝿とり紙に貼りつくハエのように、Lが自分の体にべっとりと密着しているのから逃れようとしながら、ラケルはそう言った。
「そうですか。せっかく久しぶりにふたりきりになれたのに、とても残念です……ですがまあ、仕方ありません。それでも最後にひとつだけ、いいですか?」
「ええ。なあに?」
 身支度を整えようとするラケルの後ろ姿を見ながら、Lは彼女の白い背中に囁くような声で言った。
「その……わたしが無事、アイスランドの地下にあるコロニーから戻ってきたら――結婚式を挙げたいんです。そのことをもしわたしが忘れていたとしたら……それはおそらく本当のわたしではないと思ってください。それはある意味では確かに、形式上のことにしか過ぎないかもしれませんが、わたしは本当のことをあなたにすべて打ち明けるまでは、ラケルとそうする資格は自分にないと思っていたんです。でもすべてが終わって無事解決したら――新婚旅行も兼ねて、一度シンガポールへ行きませんか?もちろん、わたしとラケルが初めて結ばれた部屋に、また予約を入れたいと思っています」
「……L………」
 不意に、彼女の背中が震えているのを見て、Lは驚くあまり、体を起こした。見ると、ラケルが両手で顔を覆って、泣いていることが彼にはわかる。
「わたしは、絶対に戻ってきます。そして、必ずラケルのことを幸せにしますから……」
 その言葉を聞くなり、ラケルはLの首に抱きついた。そして自分のほうから熱烈なキスを彼に対して何度も仕掛ける。
「……………!!」
「自分からするのと、わたしからキスするのとでは違うって、Lは前に言ってたでしょう?」
「ええ……」
 それからもう一度お返しにと、Lが彼女にキスをして、ふたりはまたベッドの中へ倒れこんだ。結局その日の夕食は、いつもより遅れることになってしまったけれど――ラファはまったく気にしていなかったし、モーヴはラケルが夕食を知らせる電話を鳴らすまで寝ていたのだった。
 ただし、その夕食の席で「ラケルとLは仮面夫婦ってわけじゃなかったんだな」などとラファに言われ、ラケルは一瞬ドキリとすることになる。彼にしてみれば、ずっと部屋も別々に過ごしているLとラケルは、どことなく本当の恋人同士という感じがしなかったのだ。Lがどうやって彼女にプロポーズしたかという話を聞いた時にも、どことなく嘘っぽいものさえラファは感じていた。それで、自分が二十歳になった頃にラケルは三十四歳だと思い――それならまだ十分射程圏内だと考えていたのだった。
 この時ラファはショックを受けたというわけでもなんでもなかったとはいえ……それでも、数年が過ぎた時に、もしかしたらあれが自分の初恋だったのかもしれないと、彼はそんなふうに思い返すことになるのだった。



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【2008/09/25 07:14 】
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