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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(16)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(16)

 モーヴ・カークランドの朝はいつも、日暮れとともにはじまり、そして彼の一日は夜明けとともに終わる。近頃の彼の<モーニング・コール>はラケルからかかってくる携帯電話で、その夕食――彼にとっては朝食――を知らせる電話が、ほとんど目覚ましがわりだった。
 モーヴはすっかり陽が暮れて月の光や星明かりのさす城館の廊下を歩いていき、みんなと食堂のテーブルを囲んで色々な話をする時間をとても楽しみにしている。といっても彼は元来無口で無愛想ではあったが、夜の食卓の時間を逃すと、それ以外では仲間全員に会う機会が滅多にないため――そのあまり長くはない一時を、モーヴはとても大切にしていた。
 彼は誰かから意見を求められでもしないかぎり、絶対に口を開かなかったし、食事が終わるとまたさっさと地下の自分の部屋へ篭もってしまう。けれど、モーヴは仲間たちの全員を自分の芸術と同じように愛していたし、また仲間のほうでも彼をかけがえないのない存在として認めていた。その証拠にと言うべきか、モーヴの地下の部屋には毎日必ず誰かがやってくる……Lと超能力を持つ者たちの間で会議があった日、彼の部屋を最初に訪れたのはセスだった。夕食の時にも、むっつりと黙りこんで何も話そうとしない彼の様子を見て、(何かあったな)とモーヴも直感してはいた。彼は単に自分から積極的に何かを働きかけようとしないだけで、そのあたりの人間の感情の機微といったものには極めて鋭い嗅覚を持っている。エヴァとは実際には違う形ではあるが、彼もまたテレパシー能力があるというわけでもないのに、人が何かを話す前にそれがほとんどわかってしまうという傾向が強い。言ってみればモーヴが無口でほとんど会話というものをしないのは、それが原因ともいえただろう。何故なら、相手が何かを口にする前に、その内容が大体のところわかってしまう場合があまりにも多いからだ。
 けれどそんな彼も、仲間たちのうちのひとりが個別に人生相談のようなものをしにくる場合には――時に少しばかり饒舌になってしまうことがある。大抵は、相手の話したことについて必要最低限度頷いたり同意したりするだけで済んだりもするが、何か<上>からの圧力のようなもので、「これを話したほうがよい」と感じた時には、その内容をすべて話すといったような具合に、モーヴは彼らと話をするのだった。
 もっとも最近で、彼の元を一番訪れていたのはティグランだったが、そのせいでモーヴはルーとラスとメロとティグランの四角関係については、本人たち以上に色々なことをよく知っていたともいえる。その上でモーヴがティグランにアドバイスしたのは、次のようなことだった。
「あのメロって子と僕は、夕食の席で何度か顔を合わせただけだけど……ラスと彼は感情の相がよく似ているんだよ。おそらく本人たちはそんなこと、気づきもしないで惹かれあってるんだろうけどね。逆にいうとカイとラスはそれが正反対だから惹かれあったんだろうな。だから、彼らのことは責めても無意味だ。ルーはルーで数学を糧に自分の心の畑を耕して、そこに種をまいて実ったものを刈りとる以外に、傷ついた心を癒す術はないだろう。そしてティグラン、君も同じように自分の心が求めるものを追求し続けることだ。いくら僕に未来が読めるといっても、先のことは本当にわからないからね――すべては最初から決まっていることもあれば、その過程に起きた出来事で変化することもある。この世界を支配する神は現在進行形で今も生きて動いているんだよ……そのことを忘れないで」
 モーヴにさんざん愚痴をこぼしまくった後で、彼からその答えを聞くと、ティグランはあまり地下の部屋へは来なくなった。これまでにも、悩みのある一時期だけ毎夜のように彼の元を訪れ、また足が遠のくといったような仲間たちの動きは何度となくあった。そして彼はそんなふうにして仲間たちの「心の一番奥深く」にある物ごとに触れていたから、生活スタイルがみんなとはまるで逆のサイクルでも、ひとりだけ孤島に住んでいるというわけでもなかったのだ。むしろ逆に――そうしたモーヴのことを誰もが必要とし求め、いざとなったら彼の元を訪れようという信頼感を常に持っていたとさえ言えただろう。
「それで、今日は一体僕にどんな相談ごとがあるのかな、セス?」
 たくさんの蝋燭の灯りに照らされた部屋で、ブランケットにくるまりながら、セスは寝椅子にもたれかかっている。モーヴはそんな彼の前で立ったままキャンバスに向かい、ラケルの肖像画を描いていた――彼には<直感像>というものがあるので、たとえ今目の前に彼女がいなくても、細部に至るまで「まるでラケルがモデルとしてこの場にいるかのように」描くことが十分可能なのである。
「……モーヴは、自分のことを不幸だと感じたことがあるか?」
「そりゃあもう、しょっちゅうね」と、筆を動かし続けながら、モーヴは笑う。「生まれてからすぐ親に捨てられたこともそうだし、その上不治の病いにかかっているとあっては、我が身があまりに哀れで泣けてさえくるよ」
「でも、僕は――というより、僕たちのうちの全員は、君をそんなふうには全然思わない。いつも超然としていることのできる君が、僕は羨ましいとさえ思ってるよ。今日、Lが……みんなのことを集めてこう言ったんだよな。アイスランドにリヴァイアサンとかいう最先端の科学技術を持つ組織があって、そいつを一緒に潰すのを手伝ってくれないかってね。僕の答えは“ノー”だったけど、みんなの答えは“イエス”だった。まったく今日という日ほど、自分のこれまでの努力が報われなかったことはないよ。カイはそんなことのために命を捨てたんじゃないって、そう説いてみたところで無駄だろうから何も言わないけどさ……もしかしたらこれも、一種の集団心理って奴なんだろうか?僕らはこれまで、せいぜい生きて二十歳前後だって言われてきたから――新薬のお陰で急に長生きできるかもしれないって聞いて、元の寿命を神にでも捧げるような気持ちがみんなに生まれてしまったのかもしれないな。僕は、それを神の大切なお恵みだとでも思ってみんなに大切にしてほしいと思うけど、特にこれといった理由もなしにみんなはLについていこうとしてる……モーヴ、このことを一体君はどう思う?」
「そうだね。まあ、僕に言えるのは、セスはセスの思う道を進むしかないっていうことかな。それは、カイがヴェネチアへ行く前に君と同じように僕に聞いたことだよ……セスもその場にいたから、きっと覚えてると思うけど。彼は僕に、これから自分がしようとしてることは正しいと思うかどうかと僕に聞いたけど、実際のところそれが『正しい』か『正しくない』かというのは、単にカイ個人の動機の問題にすぎない。もちろん彼が僕に聞きたかったのはそういうことじゃないっていうのはわかってはいるけどね――人間は、自分が正しいと思ったことを行って最終的に悲劇を招く生き物だからさ、彼は自分の<選択>した結末を、未来を読める僕に聞いておきたかったわけだ。その時に僕がなんて答えたか、セスは覚えてる?」
「覚えているさ」忘れるわけがない、というようにセスは数瞬目を閉じる。「無二の親友に対して君は、あまりに冷酷なことを言ってのけたんだからな。『その答えについて、君は知らないほうがいい』――今も思うが、何故そんなことをモーヴはカイに言ったんだ?嘘でも気休めでもなんでも、『カイがこれからしようと思っていることは必ず、後に大きな実を結ぶことになる』と、何故言ってやらなかった?第一、僕らはカイが自分の命を捨てたお陰で、これから新薬開発の恩恵にあずかろうとしてるんだぞ?それなのに……」
「ストップ」油絵の具をパレットの上で混ぜ合わせながら、モーヴはいつになくセスが感情的になろうとするのを止めた。「そんなセリフを君が僕に言うのはあまりに無神経だ。八つ当たりなら、どこか別の場所でやってくれ……あの時点ですでに、カイには死相が見えていたからね。たとえ気休めでも、『きっとうまくいく』っていうようなポジティブなメッセージをカイに伝えるのはもちろん簡単だったさ。でも僕は、彼の心の奥底の希みを知っていたんだよ。それで、セス――君がいずれニアに会いにいくであろうヴィジョンは確定してるって教えたんだ。これだって僕にしてみれば十分な彼に対する餞だった。彼がヴェネチアで死ぬということは、同じように僕にはわかりすぎるくらいわかっていたから……<もしかしたら、何か奇跡のようなものが起きて>、カイはもっと長生きできるかもしれないと、ほんの僅かなりとも希望を持てる他の人間とは、僕は訳が違うんだ。そういう意味では、僕のほうがカイの死についてはつらい思いをしたってこと、忘れないでほしい」
「……すまなかった」
 セスは溜息を着くと、体を起こした。これではモーヴの言うとおりただの八つ当たりだとそう思う。感情的にならず、いつものように理性で物事を判断し、結論を導くようにしなくては。
「本題に戻ろう。Lやみんながリヴァイアサンに乗りこんでいった結果どうなるのか、僕はそのことが知りたい。それともこの場合も『君はそのことについて知らないほうがいい』って、モーヴはそう思うか?」
「わからないな」と、白とクリーム色の中間くらいの色でラケルの服を塗りながら、モーヴは答える。「その質問に答えるためには、僕には与えられた情報量が少なすぎる……でもまあ、今日の夕食の席に着いた時、みんなの顔には死相のようなものは現れていなかったから、死にはしないということになるのかな」
「じゃあ、みんなと一緒に僕もそのアイスランドにあるとかいうリヴァイアサンの基地とやらへ行くべきだと思うか?」
「セスの中で答えはもう決まってるんだろう?それなのに、僕に質問するなんてナンセンスだよ」
 ギルドの裏の運営事情というものがある以上、彼はそのボスの座というものから今は離れることができない。もちろん、後継者としてラファにすべてを教えこみ、彼のかわりに自分が……ということも出来ないことではない。だが、ラファには磁気嵐を起こすことが出来るという特殊な能力がある。そしてリヴァイアサンに渡ったと思われる資料には、ラファの能力についてはそれほど詳しく書き記されてはいないのだ。帯電体質で、静電気を発生させるといったようなことしか、ミドルトン博士もシュナイダー博士も知ってはいない。あとは鳥だけでなく、動物たちがなんとなくラファに寄ってきて、彼に懐くといったようなことしか、おそらくデータとしては書かれていなかったはずである。
 そうしたことすべてを考えあわせたとすれば――Lが仲間のうちでもっともリヴァイアサンへ連れていきたいのは、おそらくラファエルだったろうと、セスは自分を彼の身に置きかえて考える。
「エッカート博士が病気で倒れる前から、僕には彼の死期が見えていたし、ヴェルディーユ博士にしても同様だった。それとソニアとカミーユも長くはないと彼女たちの顔を最後に見た時からわかっていた……もっとも、君も知ってのとおり、ソニアは未来の見える僕に、先にこう聞いていたけどね。『ロサンジェルスの研究所と提携するのは神の御心にかなっているかどうか』って――だから僕はこう答えた。『それが運命だ』と。人間ってのは実に勝手な生き物だから、彼女はただ自分の心にあることの確証を与えられたかっただけなんだよ。仮にソニアにロサンジェルスへは行くなと言ったところで、彼女は間違いなくそうしていただろうしね……<運命>っていうのはつまり、そういうことだ。なるようにしかならないし、運命という風の流れを操ることは、人間のうちの誰にもできないことなんだよ」
「じゃあ、このままみんなが命の危険をかえりみず、無鉄砲にLとアイスランドへ行こうとするのを指をくわえて僕は静観しているしかないわけだ」
「まあ、シンプルにまとめるとすれば、そういうことになるね」
 セスが溜息を着き、黒い髪の毛をかきむしるのを見て、モーヴはそこにある種の<真実の瞬間>を垣間見た。普段は冷静でクールそのものの彼が、珍しくも人間の心の根底にある剥きだしにも近い無防備な姿を自分に晒している……そのことを感じるとモーヴは、もう一言二言、彼に慰めの声をかけてやりたい気がしたが、ちょうどその時、なんの前触れもなしにコツコツ、と鉄製の扉がノックされた。モーヴにとっては本日ふたり目の来客といったところだった。
「どうぞ」と、ラケルの金の髪を一本一本精緻に描いていきながら、モーヴは小さな声で答える。すると「失礼します」などと言って、いやに礼儀正しい猿のような姿勢でLが室内に入ってきた。
「たぶん、あなたも今夜ここへ来ると思っていました」
 チッ、と内心舌打ちしているような顔のセスを見て、モーヴは一瞬笑いたくなってしまう。Lとセスは感情の相がまったく噛み合わない性質を持つ者同士なのだ。ギルドの裏の仕事のことがあるにしても、彼らが直接的に行動をともにするのはある意味危険なことだといえた。あくまでも<ビジネス>として協力しあうならばいいが、それ以外では――互いによくない影響を及ぼしあうことになると、そのことがモーヴにははっきりとわかる。
「ここに僕がいてはお邪魔かもしれないから、そろそろ失礼するよ」
 羊毛で出来た赤いブランケットを脱ぎ捨て、Lと顔を見合わせることもなく、セスはモーヴの蝋燭で照らされた仄暗い部屋を出ていく。Lにしてももし、セスが同席したほうが都合のよい話であれば、彼に何か声をかけていただろう……だが、Lはモーヴとふたりだけで話したい事柄があったために、セスが苦虫を噛み潰したような表情で出ていくに任せたのだった。
「それで、ご用件は?」
 Lが自分に何を聞きたいか、大体のところわかっていながら、モーヴはあえてそう聞いた。自分が今キャンバスの上に描いている女性と、彼とはとても相性がいい――だが、ティグランとは違い、Lは恋愛相談などをしにきたのではないことが、モーヴにもよくわかっている。
「ルオーが好きなんですか?」
 キリストの磔刑像をとり囲むように、青灰色の石壁には、ジョルジュ・ルオーの『ミセレーレ』と呼ばれる銅版画がずらりと並んでいる。そしてLはミセレーレのうち13番目の「でも愛することができたならなんと楽しいことだろう!」という絵の前で、猫背の姿勢のまま、じっとそこに見入っている。
「人間は苦しまなければならない……というより、苦しまなければ人間は本当の意味での人間になることは出来ない。それがルオーにとっての信仰の本質だったんじゃないかと僕は思っています。まあ、つまらない一般論とも言えますけどね。でも、ここに並ぶ銅版画のうち、どの絵の前で立ち止まるかで、その人の心理状況がある程度見えるのも本当のことですよ。さしずめあなたは今、ラケルのことを想っている……ちなみにカイはよく、「イエスはこの世の終わりまで苦しみたまわん」や「死に至るまで、そして十字架上の死に至るまで従順なる」といった絵が好きだったみたいですけどね。でも、あなたには――それにも勝る愛情や光や救いといったものを感じます。僕から見ても、羨ましいくらいに」
「……その絵、完成したらいただけますか?」
 モーヴがラケルの絵を制作しているのを、横からひょっこり覗きこみながらLが言う。木漏れ日に手を差し伸べる彼女の横顔に、Lは確かに見覚えがあったが、それがいつどこでだったかが、よく思いだせない。
「いいですよ。今彼女は僕にとってのミューズですが、僕は基本的に一度完成した絵には執着や興味といったものを失いますから、一番大切にしてくれそうな人にもらっていただけるのは、とても嬉しいことです」
「ありがとうございます」
 またも礼儀正しい猿のような姿勢で、Lはモーヴに背を見せると、いつもの指使いで他の超能力者たちが「ライナスの毛布」と読んでいるブランケットを脇によけている。そしてまたいつもの座り方で寝椅子の片側に座りこんだというわけだ。
「おそらくは大体のところ、セスから話を聞いているとは思いますが……これからわたしはあなたの仲間の力を借りて、自分に因縁のある敵と戦おうとしています。最初、わたしはこの敵に自分ひとりで立ち向かうつもりでいたわけですが――ある種の巡りあわせのようなものにより、今こうしてある意味あなたたちのことを味方につけることが出来た。ですが、これから自分のしようとしていることが正しいことなのかどうか、正直わたしにはまったく確信が持てません。そこで未来が見えるというあなたに、相談をしにきたというわけです」
「なるほど。それは懸命な選択ですね」と、モーヴは自嘲するような皮肉げな笑みを洩らす。実際のところ、モーヴは先ほどひとつだけ、セスに嘘をついていた。仲間たち全員に死相は見えないと言ったのは嘘で、実はその中にひとりだけ――それが見えている者がいた。けれど、あくまでも彼にはそれが<見える>というだけで、運命を変える力というものは、また別のところから別の誰かが引っ張ってこなければならないことなのだ。さらにつけ加えるとすれば、死相の見える相手に「君は近いうちに死ぬだろう」などと忠告するのも意味がない。そう言ったところで、むしろそれであればこそ――「行く」と相手が答えるだろうことが、モーヴにはわかっている。
「僕は、カイがヴェネチアへ行くという時、彼に自分の選択は正しいかどうかと聞かれて『その答えについて、君は知らないほうがいい』って忠告したんですよ……これから死にゆこうとしている親友に対して、何故そんな冷酷なことを僕が言ったか、あなたにはわかりますか?」
「そうですね。古代ギリシャ人たちは、戦争の前や重要な政治的決断を下す時には必ず、デルフォイの神殿――アポロン神に仕える巫女にお伺いを立てたと聞いています。そしてその神殿の入口にはこう書き記されていたそうですよ。『汝、自らを知れ』と。そこには、人間はもともと寿命の定まった死すべき存在であり、誰も運命からは逃れられないという意味がこめられていたそうですが……つまりはそういうことだったのではないですか?」
(面白い意見だな。いや、流石はLとでも言うべきなのか)と思い、モーヴは相手に敬意を表するように、一旦絵筆を置いた。
「紅茶でも一杯、いかがですか?」
 長い夜になりそうだとの予感から、モーヴはそう聞いた。「ええ、是非」とLが答えたので、水差し(ピッチャー)の中から湯沸し器に水を注ぐ。ここは地下室ではあるが、一応電気は通っている。にも関わらず蝋燭を灯しているのは、単なるモーヴの趣味だった。
「正直いって、他の仲間たちとは違って、僕はもともと延命というものにまったく興味がありませんでした。何分、吸血鬼のように陽の光に当たることもできない惨めな存在ですからね……その上、夜の街をさまよい歩いてみたところで、人の寿命が見えたり運命がわかったりして、心の休まることがない。そのくらいならいっそのこと早く死んでしまいたいというのが、僕のかねてからの希みだったんです。ですから、エリス博士が新薬を完成
させても、僕はそれを飲む気はありませんし、もともとの寿命のまま、死ぬつもりでいますよ」
 ピィ、と小さな音を立てて、湯沸し器が沸騰すると、ティーバッグの茶葉を浸せたカップを、モーヴはLに手渡す。
「ラケルのように本格的じゃなくて申し訳ありませんが、まあ砂糖をたくさん入れて飲んでください」
「どうも……では、遠慮なく」
 モーヴから砂糖壺を受けとると、そこには何故か一匹の蟻がいた。それでLはスプーンでその蟻んこを救ってやろうとするが、モーヴは何を思ったのか、彼の隣に座りこむなりそれを握りつぶしている。
「この部屋、やたら蟻がしょっちゅう出没するんですよ。僕の心にも最初のうち、大いなる慈悲深き心っていうのがありましたが、一日に十匹も二十匹も見かけるうち、殺すのが当然のことのように思えてきましてね。そんな時、Lだったらどうします?」
「そうですね……わたしだったら、とりあえず部屋をかえますよ」
 モーヴはライナスの毛布にくるまると、アップルティーのカップをふうと吹いて、それが冷めるのを待った。
「でも、僕はここから出られないんですよ。どんな厚手のカーテンを引いたって、そこから太陽の有害な紫外線が忍びこんでくる……それがたまらないんです。この部屋も一応、地下とはいえ電気は通ってますからね、照明くらい点けることはできる。でも、僕はそこから太陽の光を連想して、たまらない気持ちになるんです。ギリシャ神話のイカロスの話を最初に読んだ時、なんて馬鹿な男だろうと思ったけれど、結局最後には僕も、彼と似たようになって死ぬんだろうと思いますよ……僕に言わせれば、人の人生なんてみんな、そんなものです」
「そうですか。こんなに素晴らしい芸術的才能があるのに、そのこともあなたの中では救いになりませんか?」
 砂糖壺からスプーンで砂糖を掬うと、その下からまた、蟻が一匹姿を現す――彼にとっておそらくこの砂糖壺は小さなパラダイスなのだ。だが、Lが上から何杯も砂糖をかけると、とうとうその可哀想な蟻は生き埋めとなる。
「蟻入りの砂糖が嫌なら、上のキッチンから新しいのを持ってくるしかないですよ」砂糖を入れずにアップルティーを飲みながら、モーヴが言う。「それか、砂糖なしで紅茶を飲むかのどっちかですね。さて、どうします?」
 Lは死んだ蟻ごと砂糖を紅茶に入れると、さらに蟻の死骸ごと紅茶を飲んでいた……ラスやルーがこの場にいたとすれば「うぇっ!」という顔をしたに違いないが、Lは全然平気だった。確かアフリカでは蟻を食料にしている原住民もいるはずだし、別にどうということはない。
「先ほどの話に戻りますが、カイが僕に希んでいたのは――『万事うまくいくから安心せよ』というような言葉ではなかったんです。だって、彼の命を代償として、その後のことが仮にすべてうまくいったからって、なんになりますか?モーセは、神から与えられた力により、葦の海を割ってイスラエル民族をエジプトの圧政から解放しました……ですが、彼は結局その神から約束された土地を見ることなく死んでいます。もし僕がモーセで、神から約束された土地を見ることなく死ななければならないと最初からわかっていたら――イスラエルの民族を導くというような大役を、担おうとはとても思えなかったでしょうね。だが、結局のところ神にはそうしたことがすべてわかっていた。自分が奇跡を起こして救った民が、やがて自分に呟き背き、罰を受け、さらにはそのことが後の子孫に語り伝えられて、後世の人々の戒めとなるであろうことが……僕たちは、言ってみればこの砂糖壺の中の蟻みたいなものです。歴史的に、自分がどこのなんていう場所にいるかもわからず、砂糖のような甘い幸運に出会えば大喜びし、それを奪い去られれば落胆して神を呪う――そんな小さな虚しい存在にすぎません」
「でも、人間と蟻は違いますよ」と、砂糖をざらざらとさらにカップへ入れながら、Lは言う。「まあ、人間を生かすのも蟻を生かしているのも同じ、生命保存の本能だとは、わたしも思いますけどね。蟻は食料を集められるだけ集め、人間は財産を蓄えられるだけ蓄えようとする……何故なら、本能的にそうしなければ安心できないからです。そして一生分の食料やら財産やらを眺めて、これで自分の生涯は安泰だと感じること、それが一般に人間が<幸福>と呼ぶものですが、蟻と人間の違いはやはりここでもはっきりしています。蟻ならば、そこで十分満足でしょうが、人間はお金があるだけでは幸福になれない……そこにさらに生きがいとか、愛とか才能とか、そうしたものがなければ駄目なんです。むしろそちら側が満たされてさえいたら――多少の窮乏には目を瞑ることのできる人も多いでしょうね。モーヴ、わたしはおそらくあなたはそういうタイプの人間なのではないかと思っています。これまでに数え切れないほどの彫刻作品を制作し、数百点にも上る絵画を描いてきたあなたは――それを自分の<生命>として後世に残そうと思っている。違いますか?」
「そうですね……L、あなたの指摘は確かに当たっていると思います。僕は若くして死ぬことをそれほど怖れてはいない。何故なら、長寿がそのまま才能の維持とイコールで結ばれているとは限りませんからね。むしろ長生きすることで、自分の芸術が堕落することこそを怖れているといってもいい……これまでに僕の制作した彫刻なりなんなりを外の世界にだせば、それなりの値がオークションなどでつくかもしれません。でも、僕は美術コレクターなんていう人たちに自分の作品を評価されたり、そうすることで名声を手に入れるということにもまったく興味がないんです。むしろそうしたことは僕の芸術の妨げにすらなりかねません。それくらいならいっそのこと――死んだあとに僕の知りえないところで好きなように保存するなり破壊するなりしてほしいと思ってるんです」
「なるほど。ではわたしには、新薬開発の取引材料として、あなたに未来を聞く権利はないということになるかもしれませんが……それでもよかったら教えてほしいんです。何より、あなたの仲間の命が懸かっていることでもありますし、わたしはもともと、リヴァイアサンへはひとりで赴くつもりでしたから――あなたに見えるヴィジョンとして、わたしが<K>に勝てる見込みは何%くらいでしょうか?」
「それは、お教えできませんね」
 アップルティーを飲んで体が温まると、ライナスの毛布をはらりと置いて、再びモーヴはイーゼルにかかるキャンバスに向かいはじめる。その薄汚いスモッグを着た青年は、薄い色の金の髪をひとつに束ね、骸骨のように痩せた体つきをしてはいたが――そのダークグリーンの瞳にはどこか決然としたような「生きる意志」が漲っている。そして彼のその眼には見えるのだ……まるで死神のように人の寿命や運命といったものが。
「何故教えることが出来ないか、理由はいくつかあります。ひとつ目の理由はまあ、教えたところで無駄だからです。人間、知らないほうがいいこともある……そのことは、あなただって仮にも探偵なんですから、ご存じでしょう?第一、行けばあなたは死ぬことになるといったところで、結局――L、あなたは自分の信じた道を進むという、そういう人です。カイもあなたと同じく、そんな人間だった。だから僕は『君が自分の命を犠牲にすることで、他のみんなは助かるだろう』とは言わずにおいたんです……いえ、正確にはより残酷なその真実を、僕は口にすることが出来ませんでした。それと同じことがL、あなたにも言えますよ。たとえば、オリンピックでメダルが取れるかどうかと、スポーツ選手が僕に聞いたとしても――僕は相手が金を取れると思ったところで絶対に言わないでしょうね。知るだけ無用であり、聞いた本人も後でそんなことは聞くほどではなかったと、後悔するような事柄だからです。ただ、あなたが迷う気持ちは僕にも理解できるし、何よりラケルの作る美味しい食事に免じてひとつだけお答えしましょう。仮に何がそこで起きたにしても、それはあなたの責任ではないということです。僕たちは一応その全員が未成年であるにしても、小さい時から長くは生きられない運命にあると覚悟して生きてきています。言ってみれば、病気にさえならず健康であれば八十歳くらいまで生きれるだろう……などと漠然と考えている同年代の子供よりは精神的に老成しているといっていいでしょうね。ですから、彼らのことはひとりの独立した個人として見、彼らひとりひとりの意見を尊重して、その方向で動いたほうがいいと思います。それで誰かがもし命を落としても結局は<そうなる>運命だったのだと、僕はそのことだけを予言しておきましょう」
「そうですか……有意義なお話、ありがとうございました」
 Lは、デルフォイの神託話を思いだし、微かに苦笑してしまう。アポロン神に仕える巫女ピューティアは、時にわかりにくい抽象的な言葉で未来のことを予言したと言われているが、それはおそらく本当には彼女にも未来のことなどわかってはいなかったからだとこれまでLは思っていた。だが――実は意外にそうではなく、未来の出来事がわかっていて、あえてそうした言葉を使ったのかもしれないと初めて思った。そして思う。人の未来が見えるという、十七歳の青年の心の中の地獄というものを……彼の描く絵の中には多くの黙示録的な事柄が描かれていたが、もしかしたらモーヴにはこの地球の終わりさえもが見えているかもしれないのだ。
 本当はこの時Lは、他にもうひとつ――(ラケルにすべてを告白すべきか否か)ということを、最後に彼に聞きたいと思っていた。だが、未来の秘蹟というものはあまりに大きく、モーヴの目には自分の悩みが小さなものとして映っているのを感じて、Lはその質問については取り下げることにした。それはあたかも、「この女性が本当に運命の人かどうか」と聞くにも等しいことだったし、仮にモーヴが「ラケルには別に運命の男性がいます」などと教えてくれたところで、自分はその運命を受け容れるつもりなど、最初からさらさらないのだから。
(そうと決まればあとは……)
 と、Lは考える。彼の言うとおり、自分は自分の信じた道を進む以外にはないだろう。ただ、心理学的な分析として、自分の心がモーヴの部屋を訪れる前よりも軽くなっていることにLは気づいていた。肚が決まった、とでも言えばいいのか……仮にもしモーヴに自分が元の場所に無事戻ってくるヴィジョンが見えていたとして、それはクローン人間ではなく、本当に本物の自分かどうかと聞く必要さえ、今のLにはなかった。
 あとはただ――愛する人が自分を信じて待っていてくれると約束さえしてくれたら……他に自分の希むものは何もないと、Lはそう思った。そしてモーヴの部屋にかかるルオーの銅版画を思い浮かべながら、心の中で祈りに近い言葉を彼は呟く。『ミセレーレ』、主よ憐れみたまえ、と。



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【2008/09/25 07:00 】
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