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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(9)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(9)

 ルーは、城館の空いている部屋の中で、二階にあるロココ様式の部屋が一目で気に入り、そこで毎日朝から夜まで数学という真理の探究に夢中になっていた。この城館の部屋はそれぞれまるで統一感がなく、たとえばニアはバロック様式の部屋を自分の仕事部屋にしていたし、セスはその隣のチャイニーズ・チッペンデール様式の部屋に住み、メロは三階のまだ改装が終わっていない殺風景な部屋を自分の住みかにしていた。
 ルーとエヴァとラスは、二階の、中央ホールをすぐ上がったところにそれぞれ隣あって住んでおり、ラケルの家事仕事を手伝うためにリビングと自分の部屋を行ったり来たりすることが多かった。そこの暖炉にしか火を入れることが出来ないので、一応ラジエーターが各部屋に備えられているとは言っても、基本的に城館内の温度というのは低くて寒い。
 ルーの部屋にもまた、一応中央に暖炉があったとはいえ、そこは使用できないので、実質的に飾り暖炉のような状態になっている。だが、かわりにヒーターをたいているので、彼女がライティング・デスクに向かっている周辺だけは暖かく、寒さは勉学の妨げにはならなかった。
 もともとこの城館は、Lとラケルが一年に一度か二度帰ってくる唯一の<自分の家>としての役割を果たすだけの建物なので、百室も部屋がある以上、使用されない部屋は埃を被ったままになっている。それに廊下と廊下を移動して歩くのも寒いし、そんな中で唯一火のぬくもりを感じられるのがリビングだけとなれば――当然、そこに足を運ぶ回数は多くなるというものだった。
 だが、その中で唯一ティグランとルーだけは、必要最低限徹底して、そこへ行くのを避けた。ティグランはメロと同じ三階にいたが、彼とは正反対の離れた場所に住んでいたし、寝る時間以外はほとんど、外出していることが多い。マラソンをしたり、自分で作った外のバスケット・ゴールでひたすらシュートを打ったりする以外にも、彼はウィンチェスターの町に行きつけの場所を見つけたらしく、そちらで多くの時間を過ごすようになっていた。時には、真夜中に酒の匂いをさせて帰ってくることもあったけれど、ルーも他の誰も、そういう彼に対してどう接したらいいのかがまるでわからなかった。
 ルー自身もまた、今のティグランが以前の彼とはまるで違うようになってしまったことに、当然気づいていた。そしてそうさせてしまったのは自分なのだと思うと、彼女は胸が痛むものを感じたが、一度おそろしい憎悪の眼差しで見られて以来――ルーはティグランに何も言えなくなっていた。彼はもう、自分が文字やその意味を教えていた頃のティグランとは、まるで別人のようになってしまったのだ。
<人は時とともに変わるもの>だというのは、確かに世間一般ではそうなのだろうと、ルーもそのように認識してはいた。けれど、自分たち孤児院の仲間だけは、何があっても絶対変わらないという確信が彼女にはあった。何故なら、自分たちは施設の外の人間のように長生きは望めない特殊な存在だから、「時の風化」などというものに自分たちの友情がさらされて変質してしまうなどとは、想像してもみなかったのだ。
 でも、今はもう何もかもが変わってしまったのだと、そんなふうにルーは感じる。
 最初それは、カイが死んでしまったからだと思い、夜眠る前に心の中で祈る時、ルーはよく彼にこう話しかけたものだった。(次期に、わたしたちもみんなあなたの元へいくけれど、どうかそれまでは空からわたしたちのことを優しく見守っていてほしい)、と。
 だが、実際の変化というものは、エッカート博士が死んだその瞬間からはじまっていたのだろうと、ルーは今、そう感じている。その一年後にトマシュ・ヴェルディーユ博士も亡くなり、超能力研究所の実権が彼の娘のソニアに移ってから、おそらく運命の歯車のようなものが狂いだしたのではないだろうか?
 やがてドイツからロサンジェルスにみんなで移動するということになり、そこでルーは初めて、世間一般でいうところの<普通の学校>に通うことになった。「学校」というものに、自分以外の誰もまったく興味を示さないのがルーは不思議で仕方なかったが、それもやはり今にしてみれば、自分の選択が間違っていたのかもしれないと、ルーはそう思う。
(もしわたしがメロに出会って恋をしていなければ、ティグランも今のようにはならなかったのに……)
 そう思うと、ルーはつらかった。そしてそれと同じようにラスがメロに惹かれてしまったことも、仕方のないことだった。むしろ、罰が当たったのかもしれないとすら、ルーは思った。それまで彼女は友達以上に誰かを好きになるという経験を一度もしたことがなかったので、ティグランが自分を想う気持ちについても、本当の意味ではまったく理解していなかったのだ。
 それでもルーは、メロと出会って彼に恋をしたことを、本当の意味では一度も後悔していなかった。もちろん、エヴァを通してラスとメロのことを聞かされた時には、とてもショックではあったけれど。
「だって、それじゃあカイは……?」と、思わず呟いてしまった自分のことを、ルーは今では恥かしく思う。
「カイは、いつかラスが自分以外の誰かを好きになるようになったら、自分の記憶が消えて失くなるように、彼女の記憶を操作して亡くなったのよ。だから、いいんじゃないかしら?少なくとも彼は、ラスの幸せを祈りこそすれ、彼女が不幸になればいいなんて、まったく思ってなかったと思うもの」
「……………」
 ベッドの上にふたりで並んで腰かけていた時、ルーもエヴァもパジャマ姿だった。もう夜の十一時近くのことで、就寝する前にエヴァがひょっこり、「少し話をしてもいい?」と言ってやってきたのだ。
「ねえ、ルーは知ってる?わたし、十歳の時に一度、カイに振られてるのよ」
「……え?」
 エヴァはルーのことを慰めるために、そう話を切りだした。
「彼はいつも、孤児院で一番問題のある子に優しかった……そのことはルーも覚えてると思うけど、わたしは目が見えなかったから、ずっと彼のことが精神的な杖であり、支えだったの。カイは、目の見えないわたしに対して、黄色っていう色の概念についてとか、空がどんなものか、宇宙がどんなに広いか、そのイメージを事細かく説明してくれて……だから、彼の優しさを勘違いしてわたし、彼もわたしのことが好きだし、わたしも彼のことが好きで……相思相愛なんだって思いこんでしまったのよ」
 ルーは、確かにエヴァとカイは仲がいいとは思っていた。十歳頃の記憶でルーにとって一番鮮明なのは、一生懸命自分がティグランやボーに文字やその意味を教えていたことだったけれど――そちらに力を使いすぎるあまり、もしかしたらエヴァとカイの関係にはまるで気づけなかったのかもしれないと、今初めて思った。
「そんな時に、ラスが<外>から突然院にやってきて……正直、最初はラスにカイのことを取られたと思ったの。もちろん、カイのわたしに対する関心が薄れたっていうことじゃないのよ。彼はわたしにもラスにも平等に同じように優しかっただけ……でもその優しさをラスが勘違いしても無理ないっていうことも、わたしにはよくわかっていた。だから、その時からカイとは少しずつ心の距離をとるようになって――最終的にカイはラスと恋人同士になったっていう、そんなわけ」
「そんな……言えばよかったじゃないの。わたしはカイのことが好きなんだって。新しく来た子のことより、自分だけを見てほしいって、どうして素直にそう言わなかったの?」
 エヴァは、いつものように目を閉じたまま、首を振った。
「カイのことを困らせたくなかったって言ったら、少しいい子すぎるかもしれないわね。でもわたしはその時、自分に対して本当に自信がなかったの。エッカート博士もみんな、わたしのことを美人だとか、なんて可愛い子なんだって褒めてくれたけど……わたしの目が見えないから、思いやりの心でそんなふうに言ってくれてるんだとしか思わなかったし……でも本当はね、ラスの名前を彼が呼ぶたびに、心の中が嫉妬で暗くなるのがわかったの。だから、目も見えない上に心まで醜いなんて嫌だと自分で思って――以来、ずっとピアノに打ちこんできたのよ。今も思うわ。コンクールで優勝できるくらいピアノが上達したのは、その時のことがきっかけだったんだって」
「それは、エヴァにとっていいことだったの?」
 今の自分とも重なる部分が大きいだけに、ルーはエヴァの真っ白な横顔をじっと見つめながらそう聞いた。彼女が美しいということは、お世辞でもなんでもなく、小さな頃から本当のことだった。その姿を彼女が鏡で確認できないのが、残念なくらいに……。
「さあ、どうかしらね?良かったも言えるし、もしかしたら悪かったとも言えるかもしれない。でも、わたしはただ怖かったの。カイに本当の気持ちを伝えたら――目の見えないわたしを気の毒がって、彼が本当はラスを好きなのに、わたしを選ぶんじゃないかって、なんとなくそんな気がしてたから……でも、わたしはそういう自分の気持ちのすべてを振り切るようにピアノに専念して、他の部分ではみんなに<いい子>として接してきたつもりだったけど――セスのことまではごまかせなかった。彼ね、わたしの気持ちなんてとっくに全部お見通しだったわ。それで、ある時こう言ってくれたの。『自分はラスよりもエヴァのほうが、カイに似合ってると思う』って……その言葉で、どれだけ救われたか知れないわ」
「わたし……何も知らなかった。まさか、あなたがそんなに苦しい思いをしてたなんて……」
 エヴァはこの時、ルーから発せられる波動が変わるのを感じた。オレンジから水色、そして濃い青へと、彼女の感情が変化していくのがわかる。そう――ルーはこの時、泣いていたのだ。
「カイが死んだって聞いた時、本当に悲しかったわ。でも同時に、それが救いだとも思った。だって、わたしもどうせあと数年の命だと思ってたから、彼の元へいくこと……死ぬことが喜びだとさえ感じたの。でもラスは、もっと苦しい思いをすることになるってわかってたし、ルーのことを別にすればわたし、ラスが他の子のことを好きになったのを見て、自分のほうがカイに対する想いが強かったんだって思ったりもしたわ。もちろん、そういうことじゃないっていうのはよくわかってるつもりだけど……想いの強さで彼女に勝ったような気がして、嬉しかったの。嫌な女でしょ?」
「そんなことないわ」と、白いパジャマの袖で顔の涙を拭いながらルーは言った。「そんなこと言ったら、わたしだって嫌な女よ。もちろんラスのことは前と変わらずもちろん好きよ……それに、メロがわたしよりもラスのことを選んだ気持ちも、なんとなくわかるような気がするの。わたし、ラスを許すわ……ううん、許すなんて傲慢な言い方かもしれないけど、ふたりのことを祝福するわ。だって、エヴァ、あなたはこれまで、今のわたし以上に苦しい思いをしてきたはずだと思うから……」
 それからルーとエヴァはそのまま、四柱式のサテンのベッドの上へ横になり、小さな頃の懐かしい話を夜明け近くまで続けた。ルーはこの時、エヴァからカイに対する気持ちを聞いたことで、救われる思いがしていた――そして、エヴァがセスから『カイにはラスよりも君のほうが似合う』と言われた時も、今の自分ような気持ちだっただろうかと想像する。
 ルーはこれまで、<人の気持ち>ということについて、それほど深く考えたり、思い悩んだりしたことが一度もなかった。彼女にとってはそうした塵界のことよりも、もっと高次元のことについて考えなければいけないことがたくさんあったからだ。ルーはラファと同じく、小さな頃から数字といったものに魅入られた子供で、さらにはルーの場合はラファとは違い、最初のうち文字やその意味するところにはまるで興味がなかった。たとえば、エッカート博士が子供の情操教育のための番組を見せた時にも――彼女が興味あるのは、その番組の内容ではなかった。どんぐり村でどんな事件が起きようが、誰と誰が喧嘩して仲直りしようが、ルーはどうでもよかったし、その中で繰り広げられる擬人化された動物たちの物語を面白いともなんとも感じなかった。彼女が興味あること……それは男の子のキャラクターが何人出てきて、女の子のキャラクターが何人出てきたか、また彼らの喋った言葉の数、さらには背景に生えた樹木の数やその葉っぱの数を数えることだった。また絵本を読んでもまったく同じ反応を示し、さらに大人向けの難しい本を開くことも好んだが、彼女がそこから読みとるのは物語の内容ではなく――一ページ一ページの言葉の文字数だった。そしてほんの十分程度で本を読み終わり、ルーがエッカート博士に話すことはといえば、「全部で1,057,986文字、この小説では使われています」と誇らしげに宣言することだったのである。
 ところが六歳になる頃、薬の投与によって自閉症の症状が大分良くなり、ルーはその時初めて、『言葉』が持つ意味の素晴らしさを知った。彼女自身、その自閉症が「治った」ように感じた瞬間のことは、今もうまく言い表せないくらい素晴らしいもので――たとえて言うなら、それは数字と文字が互いにお辞儀をし合って、彼女の心の中で結婚しはじめたようなものだった。
 ルーはそれまでにも数学においてのみ、六歳とはとても思えない卓越した能力を見せていたが、それでもその犠牲としてと言うべきなのか、彼女の<数>というものに対する執着は確かに異常なものだった。たとえば、街を歩けば煉瓦の道の煉瓦を数え、街路樹の本数を数え、さらにその葉っぱの数を数え……床にマッチが散らばれば、一瞬にして「111本」と数えたりといったような具合である。一冊の本の文字数にしてもそうだが、それがいつでも間違いなく必ず合っているというのは、明らかに驚異的であった。
 ところが、数字と文字がルーの心の中で結婚して以来、彼女の中ではそうした数字に対する偏執的なまでの執着というものは緩和された。ルーはその時初めて、文字の意味がわかるのはこんなに素晴らしいことかと思い、施設の、他の文字をいまひとつ解さないティグランやボーに熱心に教えるようになったというわけである。
 続いて、文字の意味が理解できるようになったことにより、彼女の学習能力はさらに飛躍的に向上した。九歳の時に彼女は、大学院生並みの頭脳をすでに有しており、それからは自分がもっとも関心のある数学・物理学の難問にずっと取り組み続けてきたというわけだ。
 ルーは今、毎日机に向かいながらこう思う――エヴァがカイへの思慕を断ち切るため、ピアノに専念したように、自分は数学という学問にこそ打ちこむべきなのだと。特にルーは、数学の七大未解決問題と言われるものに関心を持っているが、つい先年、そのうちのひとつである『ポアンカレ予想』が、ロシアのグレゴーリー・ペレルマンによって解かれたのだ。いつかは自分こそがこの難問を……と思っていたルーにとって、誰かに先を越されたのはショックな出来事だったといえる。それで今、ルーはペレルマンの見事な論文を詳細に検証している最中だったというわけだ。
 ペレルマンはこの『ポアンカレ予想』を解決に導くのに、八年もの歳月を費やしたと言われているが、その間に彼が経験しなければならなかった孤独はいかほどのものであったろうとルーは想像する……そして自分も数学という真理の探究のために、彼と同じように数学のしもべ、いや数学の巫女として全生涯を捧げたいという思いを、ルーはペレルマンの論文を読むにつけ、深く感じるようになった。
 そう――メロに出会うまでルーは、そういう自分の人生を信じて疑ったこともなかった。それじゃなくても、自分には限りある時間しか与えられてはいないのだ。その間にどの程度数学という学問を究めることが出来るのか、ルーの頭の中を占めるのはいつもそのことだけだった。
 もちろん彼女は今もメロのことが好きだし、彼が何か話しかけてくれると、たまらなく嬉しく感じるというのも本当のことだ。エヴァがかつてラスに嫉妬したことを教えてくれた以上、ルーもまた自分の心に素直になろうと思う。
(わたしはラスに嫉妬してる……)
 けれど、彼女とメロが喧嘩して別れたらいいのにとまでは思っていないというのも、本当のことだった。ラスが時々不安そうな眼差しでメロのことを見ていることも、ルーは知っている。そうなのだ――彼はおそらく誰かひとりの人間に縛られるようなタイプの人間ではないし、カイほど感情的に細かいところをフォローしてくれるような性格でないことも、ルーにはわかっていた。
 だから、もしラスがメロに心をズタズタに傷つけられたとしたら、それは自分も同じ目に合っていたということだし、またそこまでのことは起きなかったとしても……メロと一緒にいる限り、自分は今のラスのように不安だったのではないかと、そんな気がルーはしていた。
 もしメロが振り向いてくれたら、自分は数学の七大未解決問題などどうでもよくなっていただろうとラスは思うけれど――ある意味では結果してこれで良かったのだとも思っていた。メロはかつて自分が「好きだ」といったことなどまるでなかったかのように接してくれるし、今はそれでルーも十分だった。
 それでも時々、パソコンから印刷した『ポアンカレ予想』の論文の上には、点々と涙の後が落ちていたのも本当のことで……これと同じ思いを自分がティグランにさせてしまったのだということに、ルーは苦い悔悛の思いを感じ続けていたのだった。



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【2008/09/22 21:29 】
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