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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(4)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(4)

「いてててて!このクソジジイ!!いいかげん、離せよ!」
「いいえ、離しません」と、Lは城の地下室に向かいながら言った。地下へ続く扉の前に、コンソールテーブルがあり、そこに燭台と蝋燭とマッチが置いてある。Lはラファエルに火を点けさせると、その真鍮の燭台を彼に持たせることにしたのだった。
「……なんだよ、俺べつにモーヴの奴に用なんかねえよ」
「用があろうとなかろうと、関係ありません。あなたはまだ全然眠りたくないようですから、それなら彼の元にいるしかないということです。わたしはまだ仕事がありますし、他の人たちはみんな眠ってますから、あなたが誰にも迷惑をかけないためには、これしか方法がありません」
「ちぇっ。つまんないの……モーヴってこっちが話しかけない限り、何もしゃべらないから、面白くないんだよ。それくらいなら、自分の部屋に戻って寝るよ」
「いいえ、あなたの言葉は信用できません。この間もそう言って、こっそり寝室を抜けだしたでしょう?こんな広い城でかくれんぼをしていられるほど、わたしは暇じゃないんです……今夜は眠くなったらモーヴにベッドを借りて寝てください。そうしたら、彼は夜が明けた頃に、あなたを部屋から追いだすでしょうから」
「……………」
 ラファエルは黙りこむと、ムスッとした顔つきのまま、冷たい石の床を下りていった。Lはいつもどおり裸足だったが、彼は常人よりも足の裏の皮膚が厚いのかどうか、全然平気なのだという。ラファはニアのお下がりの白いパジャマを着ていたが、足にはきちんと運動靴をはいている。さもなければ、とても寒くてやっていられない。
「夜分すみませんがモーヴ、この子の面倒を見てもらってもいいですか?」
 コンコン、と厚い鉄製のドアをノックしたあとで、室内に入りながらLは、色素性乾皮症(XP)のために、昼間は外に出られない青年にそう聞いた。一般に紫外線(UV)には、細胞内の遺伝子であるDNAを損傷する作用があるのだが、普通の人であれば、すぐにその損傷を修復させる能力がある。だが、XP患者はDNA損傷部位を修復する機能が遺伝的に低下しているため、DNAレベルの損傷が固定化され、異常細胞、つまりがん細胞が増殖し、皮膚ガンが発生してしまうのである……このため彼は、昼間は日の光に当たらぬよう寝て過ごし、夜になると起きて活動するという生活パターンを繰り返しているのだった。
「それは、構いませんが……」と、モーヴ・カークランドはまるで吸血鬼のような蒼白い顔で言った。彼の細い手には絵筆が握られ、キャンバスには蘭の花が描かれている。それを見てすぐにLは、ジョージア・オキーフの絵を思いだしたが、見ようによっては女性器を連想させるとは、口に出しては言わなかった。
「でも、ラファにはきっと退屈だと思いますよ。僕は絵を描くしか能のない、つまらない人間ですからね」
「それだけ、才能があったら十分じゃないですか」
 モーヴが本物そっくりの贋作だけでなく、彼にしか描けない独自の芸術的手法を会得していることを、Lは知っていた。ちょうどピカソがそうであったように、モーヴはその気になれば気の遠くなるような細密画を描くこともできたのだが、彼が本当に心から望んで描くものは、彼自身が『ドリーミング』と呼ぶ世界だった。絵それ自体は、幼稚園児か小学生にでも描けそうな感じさえするのだが、同時に極限まで単純化されたその線や色使いには、見る者の魂を震わせる<何か>があった。モーヴの絵を見た人は大抵、これと同じ景色をいつだったか夢の中で見たような気がする……そんなうまく説明できない既視感を覚えるのだった。
「これは、ラケルさんにプレゼントしようと思って描いているものです。胡蝶蘭の花言葉、知ってますか?」
「『あなたを愛します』……でしたっけ?」
「いえ、『幸福が飛んでくる』です。確かに、『あなたを愛します』という意味もあるようですが……僕が彼女に絵をプレゼントするのは、単にいつも美味しい食事を用意してもらっているお礼のようなものなので、それ以上の深い意味はありません」
「そうですか。それでは、ラファのこと、よろしくお願いします。わたしは仕事があるので、これで……」
 そう言って、Lは中央にキリストの磔刑像、そして磔刑像を取り囲むように、ルオーの銅版画『ミセレーレ』の並ぶ部屋を後にした。ちなみにミセレーレというのは、ラテン語で「憐れみたまえ」という意味である。
「もしモーヴが、あのおばさんのこと好きになったら、そりゃ不倫だろー?」と、ラファがカウチの上に寝転びながら言う声が聞こえたが、Lは頓着せずに、再び暗い階段を上って自分の執務室へ戻った。先ほどジェバンニやリドナーと一緒に話をしていた応接間――そこにある本棚の前で、ゲーテの『ファウスト』を取りだすと、奥に続く隠し扉が開く。そこは、いかなる情報洩れもウィルス侵入もありえない、何重にもプロテクトが施されたコンピューターのある部屋だった。すぐ隣の応接室は、アールヌーヴォー様式が基調の、いかにもアンティークな雰囲気の室内だったが、ここにはそうした人間味を感じさせるような物は何ひとつ置かれていない。
 今は亡き――というより、<K>の手によって処刑された――ヘルベルト・シュトラッセという建築家が編みだした建築手法により、壁がコンピューターの配線を『飲みこんでいる』のだ。シュトラッセはある時、特殊な『意志』を持つ細菌の培養に成功し、それを自身の建築術に応用したのである。その結果、<有害な電磁波をシャットアウトする>という強力な『意志』を持つ細菌を壁面に張りつかせ、情報の漏洩を防ぐ建物の建造を実現させたのだ。唯一の難点は、石や土壁などの素材が主でないと細菌が短時間で死滅するということだったが、この点についてはワタリがその後、セラミックスにも応用できるよう改良していた。この城館においては、その細菌にとって最適の温度や湿度が一定に保たれるよう徹底的に管理されているが、簡単にいうとすればまあ、外から盗聴器が持ちこまれても、中の会話が<細菌の力によって>聞かれることはないという、そういうことになるだろうか。
(ここまでくれば、わたしが他に打つべき手は……)
 Lは、セントラルヒーティングによって暖房のきいた床の上に座ると、一台のパソコンを前にして考えこんだ。先ほどLは、ジェバンニとリドナーに、自分の知っている<真実>のすべてを話しはしなかった。第一にまず、今のジェバンニにそのことを話すには、彼の心の準備が出来ていないように思われること、そして第二に、あまりに残酷すぎるその<真実>を知らせる権利が、果たして自分にあるのかと自身に問うた場合――Lにもその答えがわからないからだ。それでも、例の『リゲリアン・ムーブメント』の宗教秘儀において、ジェバンニは妊婦のみ三十人、UFOでさらわれる現場を目撃している……そう考えた場合、彼の妹もまたさらわれた当時、妊娠中だったことを思えば、ジェバンニが後で「彼女のお腹の赤ん坊はどうなったんですか?」と、Lに直接聞いてくる可能性は高い。その時にもしLが「わたしにもわかりません」と答えたとすれば、確かにジェバンニは一応納得はするだろう。だが、本当は……。
(人間がラットやウサギで動物実験するのと同じく、<K>の組織は赤ん坊も使って人体実験するのだと、教えていいものかどうか……)
 結局、Lの中では、そこまでのことは教える必要はないということで、答えがでた。それともうひとつ、ジェバンニの妹が特に手のこんだ手法によって地上に戻された理由についても、
(教える必要はないだろう……)
Lはそう判断していた。そしてパソコンのキィをパタパタと叩き、そこに一枚の写真――ブロンドの髪の、美しい女性の絵を映しだす。彼女の名前はイヴ・ローライトと言い、女優のエヴァ・ガードナーによく似た面差しの美人だった。それもそのはずと言うべきか、<K>の母親は女優のエヴァ・ガードナーのクローンで、髪と瞳の色だけローライト博士好みに変えられた女性だったのである。レオンハルト・ローライト博士率いる最先端の科学研究コロニー、<エデン>では、数百人いる科学者たちがみな、そのような手法で結婚することがよくあった。彼らは自分たちのことを『選ばれた、特別な人間』だと自負しており、地上から好みの女性をタイタロンでさらって来、記憶抹消後に結婚……といったようなことを繰り返していたのである。当時、女性の科学者というのは数が少なかったし、すでに結婚している者が、その後離婚するような場合――妻である女性の記憶が消されて地上へ戻されるということになった。ようするに、<エデン>という科学研究所はほんの一部の優秀な女性を除いては、完全に男性優位の社会を地下コロニー内で形成していたのである。
 だが、ローライト博士は自分の妻のイヴをとても愛しており、優生学の頂点にいるような彼が、実際にはもっとも軽蔑する方法によって、イヴは自然妊娠し息子のカインを生んだ。これが<K>である。カインは遺伝子など一切操作されず生まれたにも関わらず、他の遺伝子操作された科学者の息子――人為的な天才児――に比べても、ずば抜けて賢かったという。そして彼が十三歳の時、イヴは再び、今度は遺伝子操作された赤ん坊を妊娠する。それが<L>だった。
 ローライト博士は、長年人工子宮の開発に打ちこんでいたが――遺伝子操作については、すでに研究が完成していたので――女性の子宮なしに赤ん坊を誕生させるのは、やはり難しかった。そこで、自分の遺伝子工学の最高傑作である<L>を、最愛の妻であるイヴに妊娠させたというわけである。<A>であるアダムから数えて、<J>のヤコブまで、全員人工子宮によっては長く生きられなかった。というより、最後の<I>(イサク)や<J>(ヤコブ)は、きちんと人工子宮で十か月以上順調に育ったにも関わらず……保育器に移してから数日後に死亡してしまった。そこでローライト博士は、<K>は自分の肉の息子の頭文字であるとしてそのアルファベットは使わず、次は<L>と名づけた遺伝的にハイブリッドな受精卵を、イヴの子宮で育ませたというわけだ。
 だが、この<L>という赤ん坊が胎内にいる頃から、イヴは精神病の兆候が見られるようになる。幻覚や幻聴などを見たり聞いたりするようになり、自分は「悪魔の子供を身ごもっている」と、しきりに口にするようになった。もともと、クローン人間は、偽の記憶を植えこまれているせいもあって、そこにコンピューターでいうところの一種のバグが生じると、精神病などにかかりやすかったのである。カインは最初、弟が出来たと聞いて素直に喜んでいたのだが――優しくて美しい自分の母親が、お腹だけ膨らんだ栄養失調児のように衰えていくのを見て、大きなショックを受ける。そして<L>を出産後、ひとりの世界に閉じこもってブツブツと呟くことしかなくなった母親を、カインは自分のその手で殺害した。
 これが地球上でもっとも科学の進んだ、地下コロニー<エデン>の、悲劇のはじまりだった……カインの父親であるローライト博士は、自分の妻の頭がおかしくなったとわかるなり、以前にあった愛情はどこへやら、彼女のことを出産の道具としか見なさなくなったのである。
 カインがその後<エデン>の乗っとりを計画し、その手はじめに自分の父親を血祭りに上げたのは、このことが原因だっただろうと、ロジャーはLに言った。
「これはわたしとキルシュの推測の域を出ないことではあるが……彼は十三歳とは思えぬくらい賢い少年だったから、大人たちがしている汚いことを、どこかで知ってしまったのだろう。そこで、自分というひとりの人間を支えるアイデンティティのようなものが、一気に崩壊してしまったのかもしれん。なんにせよ、彼は人造人間を製造する過程で、不良品であるとして捨てられた初期のナンバーに手を加え、彼らをプログラムし直して、研究所の職員を全員――わたしとキルシュのふたりを残して殺害した……地獄絵図というのは、まさにあのことを言うのだろうと、わたしもキルシュもそう思ったよ」
 Lがワタリから<真実>を聞かされたのは、十三歳の時だったが、それでもワタリの言葉にはまだ何か隠している節があるとLは思っていた。それで、ワイミーズハウスで施設長をしているロジャーに「どんなに残酷でも構わない、本当のことが自分は知りたい」と詰め寄ったのだ。その時Lは十五歳だったが――ロジャーがLにすべてを話したことで、その後ワタリとロジャーは激しい口論になったという。だがそれでも、最終的にLは本当のことを知ってよかったと思った。
 そして、Lが何故ワタリとロジャーのふたりだけ、<K>は生かしておいたのか聞くと、彼はこう答えた。施設長としての部屋で、マホガニーの机の上に両手を組みながら。
「エデンにいる様々な分野の研究員で、唯一結婚していないのが、わたしとキルシュだけだったからじゃないかね。キルシュは戦争で婚約者を亡くして以来、二度と誰とも結婚したいと望んでいなかったし――わたしも、自分好みの花嫁を地上からさらってきて結婚したいなぞとは思わなかった。口に出して言うことはしなかったが、おぞましい異常なことだと内心では思っていた。おそらく、その点が<K>に評価されたのかもしれないな」
 Lは、ロジャーがワタリと同じく、魂に痛みを抱えた人間であることを知っていた。彼は第二次世界大戦で、おもに心理学的な分野でヒトラーに協力していた過去がある……彼の精神鑑定を受けると、誰が裏切り者となりうるかがはっきりしたし、どの人間をどの部署に配属するのがもっとも適切で効果的であるかについても、ヒトラーはロジャーの精神鑑定の結果を見て決めていたのである。だが、祖国愛から一時的な熱情にかられて、ナチスに協力したことを――彼は悔いて一度は自殺しようとしたことがあった。彼が<エデン>を率いているレオンハルト・ローライト博士に拾われたのは、ちょうどそんな時である。そして英国で発明家として名を馳せていたキルシュ・ワイミーも……彼の研究している事柄の中に、<エデン>の研究者たちが興味を引かれるものがあったために、アイスランドの地下施設へタイタロンでさらわれたというわけだ。
 ロジャーとワタリはその後、<エデン>へ来た時期がほとんど同じだったこともあり、大の親友になった。そして今も彼は、キルシュが婚約者を亡くして以来、もう一度心から誰かを愛するようになったことを――心から喜んでいた。
「ロジャーにも、そういう人を作ることが、その気になればできたんじゃないですか?」
 十五歳のLが、どこか大人びた口調でそう聞いた時、ロジャーはただ首を振っただけだった。ワタリをもし自分の父親であるとしたら、Lはロジャーのことは血の繋がった叔父のように感じていたといっていいかもしれない。
「わたしは、一度死んだ人間なんだよ。うまく説明できないが、エデンに行く前、確かにわたしの魂は一度死んだんだ……にも関わらず、命根性汚く、肉体だけ生きているような、そんな感じだね。我ながら、なんとも浅ましいことだと思うが」
「……………」
 この時、Lはロジャーの深い孤独と、贖罪の気持ちから幸福を拒んできたその生き方が、理解できるような気がしていた。ワタリから<真実>を聞かされて以来、Lも彼とまったく同じような種類の、他の誰にも救うことのできない心の闇を抱えていた。だが、誰か他人の心の闇が、別の人間にとっては光となりうることもあるのだと、Lはこの時初めて知った。それなら、いまはただ闇雲に<K>という見えない敵と戦っている自分の心の闇も、誰かにとっては光となりうるかもしれないと思ったのだ。
(あなたのことを、「お母さん」と呼ぶことは、わたしには出来ませんが……)
 Lは、ロジャーが描いてくれた、写真のように精緻に描かれたその絵――自分を出産することになったために、気が狂ったという代理母の絵を見ながら思う。遺伝子的に、多くの優秀な人間の掛け合わせである<L>は、特定の誰かを父と呼ぶことも母と呼ぶことも出来ない身の上だった。それでも、ただの偶然の一致であるにせよ、自分の今の妻と呼べる女性は、髪が彼女と同じ金髪だった。ワタリから真実を聞かされて以来、自分は一生誰とも結婚しないし、そんな小さなことは苦痛でもなんでもないと感じていたLではあったが――それでも(もし)と考えることがただの一度もなかったといえば、それは嘘になる。
(それでももし、誰か結婚するような女性がいたとしたら、黒い髪の女の人がいい)
 漠然とではあるけれど、小さな頃からそんなイメージがLの中にはあった。けれど、実際に結婚したのは金髪の女性で――なんとなく面差しがどこか、ロジャーの描いてくれた胎の母のイヴと、ラケルは似ていなくもないのだ。
(母を求める心が、無意識のうちにもわたしの中にはあったという、そういうことなんでしょうか……)
 育ての母親としては、Lにはスーザンという女性がいる。彼女は凄腕のナニーとしてその業界では有名な人物で、Lとひとつ違いのエリスを連れて、ワタリと結婚したのだった。けれど、スーザンは精子バンクからIQが200の優秀な男性と自分の卵子を受精させてエリスを生んでいたので――血の繋がった母と娘の関係は時に微妙で複雑なことがあった。Lとしては、彼女たちが紛れもなく血が繋がっている以上……そこには入りこめないし、ふたりの関係の邪魔をしてもいけないのだとずっと思っていた。そしてワタリは、そうしたLの気持ちも深く察してくれた上で――彼に対して血の繋がった父親とまったく同じ愛情を示してくれたのだった。
 けれど、残酷な真実を知らされた当時、Lは結局のところワタリが自分を愛してくれたように思ったのは、ただの贖罪の気持ちからだったのではないかと、一時期ひどい人間不信と孤独に陥ったことがある。もっともその後、ワタリのLを想う気持ちが、血を分けた息子を思うにも等しい、あるいはそれ以上のものだと、Lはより強い絆をワタリに感じるようになるのだけれど――今、自分が他の誰かに「真実を話すべきか否か、また話すとしたらどこまで話すべきか」という立場に立たされてみると、ワタリの苦悩というものがいかに深いものであったかを、Lは思い知っていた。
 そしてLが、イヴ・ローライトの絵を閉じ、<K>に関する別のファイルを出そうとしていると、何もない白い壁に映像が表示された。すぐ隣の応接間に、ラケルが現れたのだった。部屋に侵入者があった場合は、こんなふうに自動で映像が表示されるようになっているのだが――彼女の手に、スイーツらしきものが何もないのを見て、Lはがっかりした。時刻は今、午前五時である……(ラケル母さんの、忙しい一日がはじまった。まあ、そんなところですかね)、Lはそう思い、軽く溜息を着いた。何しろ、今この城館には、メロとニアを含めて、色々と複雑な事情を持った子供たちが、全部で十人もいるのだ。近ごろどんどん彼女のスイーツの量と質が落ちていっているように感じるのは、ある意味仕方のないことかもしれなかった。
(それでも、なんだかわたしに対する愛情まで十分の一になったように感じるのは、甚だ遺憾です……)
 そう思ったLは、床から立ち上がると、本棚でカムフラージュされたドアを開いて、隣の部屋へ戻ることにした。
「わたしのスイーツ、まだですか?」
 いくら、子供たちも手伝ってくれるとはいえ、十人分の朝食をこれから用意するラケルに向かって、スイーツの催促をするのは無理があると、L自身もよくわかっている――それでも、スイーツの量と質は落ちても、自分に対する愛情は変わっていないと確認するために、あえてそう聞いた。
「えっと今、ルーが食事の仕度を手伝ってくれてるから……そうね。あと一時間か二時間もすれば、誰かがまたここまで運んでくれると思うわ」
「そうですか。忙しいのはわかってますが、最近どうもスイーツが量的にも質的にも、味が落ちてきてると思うんです。しかも、この部屋まで運んでくるのも、子供たちのうちの誰か……きのうなんて、一度もあなたの顔を見てないような気がしますが、その点についてラケルはどう思っているんでしょう?」
「どう思うって言われても……顔が見たかったら、Lが中央にある広間とかリビングに来たらいいんじゃない?きのうだって、わたしがお夜食用のスイーツを運ぼうとしたら、ボーくんが持っていってくれるって言うんだもの。みんな、お互いに気を使いあったり、協力しあったりして暮らしてるんだから、Lも少しは妥協してくれないと、あたしだって困るわ」
「なるほど」
 そう言って、Lは空腹を紛らわすのに、シュガーポットの中から角砂糖をひとつ摘んで食べた。ラケルは、先ほどジェバンニやリドナーがいた時にLが食べ散らかしたものを片付け、食器類などをすべてワゴンに乗せている。
「ところで、わたしちょっと今傷ついてるんです……慰めてくれませんか?」
「今じゃないと、どうしても駄目なの?」ちらっと、部屋の隅の柱時計に目をやりながら、ラケルは言った。朝食の用意をすべて任せられるほど、ルーはまだ料理をあまり覚えていない。
「駄目なんです……十分でいいので、ちょっとそこのソファに座ってください」
 しようがないわね、というように軽く溜息を着いているラケルを見て、Lはほっとする。そして彼女がロイヤルブルーのビロード張りのソファに座ると、自分は残りの空いたスペースにころりと横になった。
「十分たったら、教えてください」
 ラケルの膝の上に頭をのせると、Lは眠ったふりをするように目を閉じながらそう言った。そして彼女が髪の毛を梳いてくれるのを気持ちよく感じながら、日向ぼっこしている猫が体を丸めるように、ラケルの太腿に顔をすりよせる。
「♪」
 L自身は、これまで誰かにはっきりと「自分のことを愛してほしい」という意思表示を行ったことが一度もなかった。ワタリに対してでさえ、愛情がほしいという積極的な行動をとったことはほとんどない。ただなんとなく相手の顔を見て、無意識のうちにも「それが欲しい」という態度をとること――愛情面において、一番積極的な態度といえるものが、Lにとってはそれだった。しかもこうした態度をLは、ワタリにしかとったことがなかったし、その上それは幼少期の極短い期間のみにしか現れたことはなかった。ワタリはそのLの微妙な心理をミリ単位で理解して愛してくれたといってよかったけれど――唯一Lはラケルに対してだけは「なんだか、甘えたい気分になってきたので、そこに座ってください」と言って、膝枕を楽しんだり、「わたしの傷ついた心を癒してください」と言っては、彼女の手をとってベッドに連れだすことができた。
 ラケルにしてみれば、Lが単にふざけているのか、それとも本気でそう言っているのかが、その度によくわからなかったけれど――いつも結局彼の言うなりになってしまうのには、やはりそれなりに理由がある。その内容について詳しいことはわからなくても、彼が人の命に関わる大切な仕事をしているといったこと以上に、根源的な問題として、<深く傷ついている>ことが彼女にはわかっていた。それも、何か一時的にショックな出来事があって心が傷ついているのではなく、随分前から絶えずそこに痛みがあって、それを紛らわすために時間を忘れるくらい仕事をしているといった種類の……言葉ではうまく言い表すことの出来ない、<魂の痛み>とでも言えばいいだろうか。
 それは<L>がLであればこそ耐えうる痛みなのだけれど、誰か他の人間がその十分の一でも肩代わりしようとしただけで――その重みに普通は押し潰されてしまうだろうことが、ラケルにはよくわかっていた。そしてそんな彼がもっとスイーツが欲しいと言い、最近その量と質が落ちていると言っている……ようするに、さっきLが言った「その点についてラケルはどう思っているんでしょう?」というのは、言い換えるとすれば愛情不足についてどう思っているのかということになる。
 ラケルは、そろそろ十分という時間が経過しても、Lになんて言ったらいいのかがわからなかった。今日からスイーツは必ず自分が運ぶようにするというのも、これからはその質と量の向上に努めるよう誓うというのも、なんだかおかしい……というより、それは事実上、物理的に実現不可能な口約束だった。
「ねえ、L。もう十分よ」
「そうですか……もうそんなになりますか」
 仕方がないと思ったLは、パチリと目を見開くと、ソファの上に起き上がった。そしてぼりぼりと頭をかき、ちょっとの間拗ねたように両膝を抱えたままでいる。
「L、ちょっとこっち向いて」
 はい?といったように、彼が首だけまわすと、ラケルはLの唇にそっとキスした。
「うちには今、問題のある子たちが十人もいるの。問題があるって言っても、決して悪い意味でっていうわけじゃないけど……スイーツの量と質が落ちたことについては素直にあやまるわ。でもわたし、本当に腕が十本あっても足りないくらいなの。そのこと、わかってくれるわよね?」
「ええ、もちろん……」と、少しはにかんだように、Lは急に目を逸らしている。いつもなら、彼はこちらが気詰まりなくらい凝視してくるにも関わらず。
「ところでラケルは気づいてますか?あなたのほうからわたしにキスしてくれるのは、わたしからするよりもずっと少ないんですよ」
「そうかしら?」
ラケルはワゴンの上に食器類を乗せ終わると、テーブルの上を拭いている。
「そうです。これまでにわたしが7319回あなたにキスしてるにも関わらず、あなたのほうからわたしにキスしてくれたのは、たったの1021回だけです」
 ラケルはLの言った数字を適当なでまかせだろうと思ったけれど――実際、Lはその回数を数えていたのだった。だが、ラケルはそれを冗談として受けとめ「じゃあ今ので1022回ってこと?」と、笑って言った。
「ええ、そういうことです……」
 Lはシュガーポットから角砂糖をまたもうひとつ摘むと、それを口の中に放りこみ、部屋から出ていこうとするラケルのエプロンをつかむ。
「自分からするのと、あなたのほうからキスしてくれるのでは、全然意味が違うんです。この違いが何故か、わかりますか?」
「L、お願いだから離して。もう本当にいかないと」
 それでもLは強い指力で、ラケルのエプロンを離さなかった。ソファから立ち上がると、今度は自分のほうから彼女に何度もキスする。
「……………っ!!」
 そして、ラケルの口の中にとけた角砂糖の味が入りこんできた時――突然バーン!!と応接間のドアが開いたのだった。
「こら、ババア!!仕事さぼってないで、さっさとメシ作りやがれ!」
 ラファエルは一言だけそう言い、また廊下をパタパタ走って戻っていった。十歳の子供に少しだけ恥かしいところを見られたような気もしたけれど、確かにそのとおりだとラケルは思い、急いでワゴンを運んでいこうとする。
「あの子は少し問題があるようですから、甘やかさずにビシビシしつけたほうがいいですよ。あなたは優しいですが、あんまり優しすぎると子供になめられて教育上よくありませんから」
「そ、そうよね。今度悪いことしたら、うんと叱ってやらなくちゃ……」
 ラケルがそう言いながらも、まともにラファエルに対して怒ったことがないのを、Lは知っていた。彼女の三つ編みに編んだ髪を無造作に引っ張ったり、片方の靴をどこかへ隠したり……また、ラファが何故そんなことをするのかも、Lにはわかっていた。彼自身が気づいているかどうかは別としても、メロやニアやその他自分も入れた十人の子供たちに対するラケルの愛情が、博愛主義的に平等であることが彼には面白くないのだろう。それで、特別にラケルが自分にだけ関心を向けてくれるよう、あれやこれや悪戯の手口を新たに開発しているというわけだ。
(確かに、自分だけに向けてくれるはずの愛情が、十分の一に薄まっていたのでは面白くないですからね……その気持ちはわからなくもありませんが)
 ワゴンを押しながらラケルが応接間を出ていくと、もうひとつ角砂糖を口の中へ放りこみながら、Lはまたゲーテの『ファウスト』の本を引き、普段は誰も入れない奥の仕事部屋に戻っていった。誘拐犯の手からラケルが戻ってきたのを喜ぶのも束の間、今度はなかなかふたりきりになれないとは――<神>というのはどこまでも、自分を毛嫌いしているらしいと、そう思いながら……。



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【2008/09/20 02:55 】
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