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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(20)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(20)

 ラクロス・ラスティスは、憤慨していた。何に対してといって、メロという男に対して――彼がした行為の何もかもに対して怒りを覚えていた。そして、自分の恋人が裏切ったことも、彼の親友のセスが裏切ったことも……さらには、ラス自身は自覚していないにしても、彼女の親友のルース――彼女が電話で何度も恋愛相談してきたことに対して、ラスは怒りを抑えきれなかったのだった。
 ソニア・ヴェルディーユ博士からは、なるべく早くロス入りするように勧告されてはいたが、ラスは色々と理由をつけてはそのことを先延ばしにしていた。結局、アメリカ大統領や政府高官を前にした例のデモンストレーションは、ティグランひとりがサーカス小屋のピエロを買ってでるという形をとることになったわけだけれど――それだけでも彼らは十分に満足し、<サンタモニカ超能力開発研究センター>などといううさんくさい施設に、年額でまずは五百万ドルもの出資をすることを決定したらしい。これからは<サンタモニカ超能力研究センター>は、ペンタゴンの一機関、ようするに軍需産業の一部に組み入れられることもすでに決定しているということだった……そのことを思うと、ラスはイラクで自分が行ったことが正しいことだったのかどうか、ますますわからなくなってくる。
 米政府が今回の決断をしたことには、自分が戦地で重要な役割を果たしたことと無縁ではないと、そのくらいのことは彼女にもわかっていた。とはいえ、自分はカイとマジードに言われて、道義的に「正しい」と思われることをしただけにすぎない……だが、もう一度イラクへ行けと言われれば、ラスとしては正直いってご免被りたいという気持ちのほうが強かった。
 それでももし、カイ・ハザードという青年が今も生きていて、そのことが自分たちの組織の未来に不可欠なことなんだと言ったとしたら、ラスもまた砂漠の異国の地へ赴く覚悟はある……けれどもう、彼女の中ではすべてがバラバラに壊れてしまった。さらには追いうちをかけるように、つい先日カイ・ハザードにかわる組織の指令塔、セス・グランティスからラスに、こんな電話が入った。
「なかなか君が来ないから、心配してるんだよ。もしかして何かあったのかと思って――たとえば、精神的な変化とか」
 セスにそう言われて、正直ラスはドキリとした。ホームの子供たちは小さい時から互いに仲が良く、気心も知れあっているけれど……ラスは彼のことが苦手だった。いや、セスのことを嫌いというわけではない。ただ、彼から嫌われているように感じることが、彼女には問題なのだった。
「べつに……何もないけど」と、戸惑ったようにラスは言った。セスは表面的には見せないまでも、自分のことを嫌っている……ラスにはそのことがわかっているだけに、すぐに彼に本心を見せることは出来なかった。カイが死んだと聞いて数日も経たないうちに、他の男と寝たなどとは――それこそ、口が裂けても言うことは出来ない。
「そっか。じゃあ、早く来れば?例のデモンストレーションの件は、ティグランひとりがうまくやりこなしてくれたみたいだからさ……君はルーと親友だから、もう聞いてるかもしれないけど、彼女、メロって子のことが好きらしいよ。で、ティグランは強力なライバルが現れて、ヘソを曲げてるってわけだ」
「そう……」心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、ラスは答える。セスにはどこか鋭いところがあるので、ほんのちょっとした言葉尻を捉えて、何かに気づくかもしれない――そのことが彼女は怖くて仕方なかった。
「まあ君もね、カイ以外に誰か他に好きな男ができたら……その時には余計な罪悪感など抱かぬようにすることだね。そのためにカイは、自分を忘れるための暗示を、最後に君にかけたわけだから」
「……どういうこと?」
 胸に重い一撃をくらった時のように、ラスはドクリ、と心臓の血管が脈打つ音を聞いた気がした。セスはいつもさりげなく自分に意地悪だった。他の子には決してそんなことはないのに、今も遠く離れた電話口の向こうで、彼が真実を告げるのを――「楽しんでいる」ように思えて、ラスはますます胸が苦しくなる。
「つまりさ、君がもし他の男を好きになったら、カイの記憶はその時点で徐々に薄れていくってこと……まあ、放っておいてもね、時間が経つにつれて、カイの顔の輪郭や声といったようなものは、思いだすのが難しくなるって部分はあるだろうけど、カイは君にだけ特に、そういう暗示を残したってことさ。逆にいうなら、それにも関わらず君がカイのこ
とを忘れず覚え続けていたら――それは本物の愛ってことになるんだろうけど。まあ、そんなわけだから、君がカイのことを忘れたとしても、仕方ないと思って罪悪感など持たないようにするんだね」
「セス、あたし……」
 ん?と、相手が聞き返してきたところで、ラスはガチャリ!と思いきりホテルの受話器を置いた。
(嫌いよ!あんたなんか大っ嫌い!!)
 直接そう言ってやりたいとラスは思った。そして同時にこうも思う。自分たちはやはり、カイがいなければ駄目なのだと……彼がすべてのバランスを考慮して、これまですべての采配をふるい、みんなを守ってくれたから――自分たちはうまくやってくることができたのだ。その上、エッカート博士もヴェルディーユ博士も今はもういない。自分にしても、短い間ではあるが、組織のために無私の心で働こうとは思った。けれど、カイのように高い理念を追い求め続けられるほど、自分は強くはないとラスは思い知らされるばかりだった……そしてイラク。カイが一時的に遠い土地へ自分が行くように追いやったのは、彼自身の<最後の計画>を実行するためだったと知り――ラスは愕然とした。さらに、自分の死後に残された彼女が他の男を好きになったら、彼のことを忘れるよう暗示をかけていたなんて……。
「たとえあなたでも、本当はそんな権利、ありはしないのよ……」
 涙声で、ラスは思わずそう呟いていた。同時に、カイが死んだと聞いて以来、何故こんなにもすり抜けるように彼のことが記憶から消えるようになくなっていくのかもわかった。それにかわって、ラスの中でリアルな感情をもって迫ってくるのは、メロのことばかりで――その葛藤の狭間で自分がどんなに苦しい思いをしているか、さらには彼のことをルースが好きらしいと聞いてからは、嫉妬でどうにかなりそうだと、ラスはそんなふうに感じてもいたのだ。
「わたし……生まれて初めて好きな人ができたのよ」
 最初に電話でそう聞かされた時、ラスは親友の幸せを嬉しいことのように感じていた。何故といって、ルーは数学に恋をしているようなところがあり、短い生涯の間に誰のことも好きにならなくても悔いはないと言っていたからだ。その彼女が<外>の世界へ出て初めて、「恋」というものに巡りあったということは――素晴らしいことのようにラスには思えた。最初は学校へ通うことになど、一体どんな意味があるだろうと思っていたけれど、シュナイダー博士もセスが言うほど無能ではないのかもしれないとさえ、ラスは思ったくらいだった。
 けれど、ルースが好きになった男の特徴や、彼のどんなところが好きかといったことを聞いているうちに……ラスはその男がメロによく似ているということに、気づいてしまったのだ。
「ねえ、ルー。最後に聞いてもいい?その、彼の名前のことなんたけど……」
まさか、そんな偶然はありえない――そう思いながらも、ラスは心が震えた。ホテルの電話のコードを指に絡ませ、彼女はなんとか自分を落ち着かせようとする。
「ミハエル・ケールっていうのよ」と、ルースは恋する乙女の無邪気な声で言った。「でも、小さい時からメロって呼ばれてるから、そう呼んでくれっていうの。なんだか犬みたいな名前のような気もするけど、可愛い仇名よね。あ、メロは可愛いっていうよりはカッコいいって言ったほうがぴったりくる感じで……わたし、今初めてラスがカイのことをどんなふうに好きだったか、わかるような気がしてるの。わたしも出来たらラスとカイみたいにメロとなれたらいいなって思うんだけど……彼、とてもモテるみたいだから気が気じゃないのよ。前に言った、同じクラスのバーバラって子もメロを狙ってるような気がするし……ねえ、ラス?聞こえてる?」
「ごめんね、ルー」と、ラスは小さな声でようやく言った。「なんだか電波の調子が悪いみたい。声が聞きとりずらいから、また今度かけ直すわね」
 そのあとルースは、軽く別れの言葉と、自分がロスへ来るのを待っている、といったようなことを言ってから電話を切った。そしてラスは――電話の受話器を置くなり、ホテルのベッドの枕を、思いきり壁に叩きつけたのだった。
 そう、ラスはその時になって初めて気づいたのだ。あのメロという男はおそらく、情報を得るために超能力者ひとりひとりに近づいているのだろう、と。
(だったら、あの夜にあったことは一体なんだったのよ!)
 その夜、怒りとともにラスはそう思った。けれど、そのあともルースの報告は毎日のように続き――次第にラスは、メロが自分に対してしたのと同じことをルーにしようと思っているわけではないらしいと気づいて、ほっとしてもいた。それと同時に、自分が親友の不幸を喜んでいるようにも思えて、悲しくなる……最後に、ルーからバーバラという同級生がメロとやたらベタベタしていると聞いた時には――彼女自身、心底怒りを覚えたものだった。
 そして今日……サンタモニカ・ブルーバードの交差点で、ラスはメロと再会した。ラスがメロに言った、「海が嫌い」という言葉は決して嘘ではない。彼女は海のそばへやってくると、硬直して体が動かなくなるのだ。それが何故なのかということについては、エッカート博士は「祖先の記憶が関係している」と言っていた。つまり、人間には三種類の記憶があって、まずひとつ目が<祖先の記憶>、ふたつ目が<認識的・連想的記憶>、みっつ目が<習慣記憶>である。このうちの<祖先の記憶>――これは、目の色や背の高さ、体つきなど多くの肉体的特徴が遺伝するのと同じことで、遺伝によって受け継がれる特性、技能、属性、能力についての記憶である。そうした様々な天性、遺伝が人間にも動物にも共通して見られるわけだが、そのうちのある種の記憶、自分にはまったく身に覚えのない記憶が遺伝するケースがあるのだという。たとえば、ラスは本能的・反射的に海が怖いと感じるわけだが、それはラスの先祖が海で(たとえばヴァイキングの襲撃に遭うなどして)、何十年、あるいは数世代にも渡ってよほど海に関連づけておそろしい思いをし、その恐怖があまりに強かったために、現在ラスが本能的に海が怖いと感じることに結びついているのではないかというのだ。この恐怖についてはカイの催眠術も太刀打ちできず、エッカート博士とヴェルディーユ博士は、治すためには遺伝子治療、恐怖を感じる遺伝子を治療する以外にないだろうと言った。
 研究所の外の世界ではまだその治療法は確立されていないが、もしラスが望むのなら、<海が怖くなくなる薬>を処方してあげようと博士に悪戯っぽく言われて――ラスはとりあえずそれを辞退した。それじゃなくても免疫抑制剤を服用しなくてはならないし、これ以上薬づけになるのはご免だと思ったのだ。それに、同時にこれは自分の自閉症が治ったことへの副作用でもあると、そうエッカート博士からラスは説明を受けていた。たとえば、ラス以外の今の仲間では、モーヴが<未来予知>の超能力を発症したかわりに、色素性乾皮症(XP)になってしまったように……博士が開発した薬は、多くの代償を必要とする危険の多いものだったのだ。
「ラス、もし君の可愛いお尻におできが出来たら、わたしは「なんてことだろう!」と思って、そのおできを治そうとするだろうねえ」と、エッカート博士は悪戯っぽく笑いながら言った。ラスの自閉症が治って、間もない頃のことだった。「それで、いい薬ができた!と思って君にそれを飲ませるんだけど、お尻のおできはそれで引っこんだのに、こんどはなんと!ラスの可愛い頭にたんこぶができちゃうんだ……」博士はここで、しょんぼりしたようにうなだれる。「そして今度はそのたんこぶを治すために、またわたしはがんばって新しい薬を開発するんだけど、頭のたんこぶが治ったと思ったら今度はまあ!ラスの可愛いあんよに腫れものができちゃうんだな。そんなわけで、先生の作った薬は決して完璧なものじゃないけど、人間はいつも何かに恐怖を感じ、怯えていたりするものだからね……そのこととうまくつきあっていくのも、<人生>なんじゃないかって、先生はそんなふうにも思うんだよ」
 子供たちはみな、ホームの創設者であるエッカート博士のことが大好きだった。そしてカイは亡くなった博士の遺志を継ぎたいと思っていたのだ……もし彼に、普通の健康な人間と同じだけの寿命が許されていたとしたら、それも十分可能なことだったろう。けれど、そのカイもまた死んだ今、彼らのためにラスは今度は自分たちがしっかりしなくてはならないのだと、何度も繰り返し自分自身に言い聞かせようとした。けれど……。
(わたしは弱いのよ、カイ。とても弱いの……あなたのように遠くを見つめて、崇高な理念のために働いたりするより、目の前にある物事にすぐ、感情を動かされてしまう。今日もメロの顔を見ただけで――とても冷静ではいられなかった。本当は、もっと大人の女っぽくしたいとは思ってたのよ……。あれは一夜の過ちだから、お互い忘れましょう、ルースはとてもいい子だから、できたら大切にしてあげてねって、彼と会ったらそう言おうって思ってたの。それなのに……)
 ガラス張りの広いバスルームでシャワーを浴びると、ラスはそのあと冷蔵庫からワインを取りだして飲んだ。飲酒は、彼女にとってどうしてもやめられない習慣のひとつだった。そう、嫌なことがあった時に、一時的に記憶を麻痺させるのに必要な、効果的飲料といったところ……ラスはメロに抱かれた夜に、すべてを忘れたいと思ったのと同じく、その日もワインを数本あけて、記憶があやしくなったあたりで眠りにつくつもりだった。
 自分は今、とても孤独で寂しいと、ラスは強くそう感じている。いや、カイが死んだと聞いてから、日増しにその思いが強く重いものになっていると言ったほうが正しいだろうか?彼は「万が一にも計画が狂うことがないように」、自分が近づくことのできない海に囲まれた都市、ヴェネチアを選んで死んだ。セスは、カイから自分の記憶が消えるよう最後に暗示をセットしたと聞かされていたというし、ルースは事故のようなものとはいえ、一度自分が寝た男に恋をしている……そしてティグランはそのせいでニア側には協力したくないらしい……これでもう、みんなバラバラだ。
 それでも、もし自分がメロと関係を持っていなかったら、とラスは思う。孤立状態にあるティグランとセスを結びつけるような役割を果たすことができたかもしれないのに……メロさえいなければ、メロが自分に近づかず、またルースにも近づかないでさえいてくれたら、メロさえいなければ……この時点で最初にニアに持っていた殺意というのは、ラスの中ではおもにメロに転嫁されていた。それとセスだ。カイからすべての計画を前もって聞かされていた彼には、気も狂いそうなほどの嫉妬を覚える。
 ラスは、そうしたややこしい事柄すべてを一時的に記憶から消し去るために、ワインを飲んだ。最近、アルコールに対してどんどん耐性ができているのかどうか、少しの量ではちっとも酔えない。そしてつまみにチーズか何か、ルームサービスでラスが頼もうと思っていると――不意に部屋の外で、携帯の着信音がしたのだった。
「ああ、アークエットか。悪いが今、取りこみ中でな。例のチャイニーズ・マフィアのボスのことで、話をしようと思ってたんだが……そう、ヤン・チョウって男だ。表向きは中国料理店のオーナーだが、裏では麻薬の売買に深く関わっていて、おもに北朝鮮から流れてきた麻薬を売りさばいてるって話だ。なんでも、キム・ジョンイルとは古くからの友人だっていうくらいだから、そこでドルが大量に北朝鮮へ流れてるのはまず間違いないと見ていいだろう。ああ、次の取引については、詳しい情報があるんで、また連絡する。じゃあな」
 プツリ、とメロが携帯を切ると、すぐ横でガチャリ、とドアが開いた。彼が電話で話す声を聴いて、ラスは思わずドアを開けていた――本当は、メロの存在など部屋からも自分の頭の中からも追いだすべきだとわかっているのに、体が勝手に動いてしまっていた。
「……こんなところで、何してるの?」
 バスローブを着たラスの胸元からは、ケロイド状の火傷の痕が見えている。彼がもし、あの時は気まぐれで自分のことを抱いたのだとしたら……今度はこの紫色の肌を見て引くかもしれない、そうラスは思ったけれど、それならそれで彼はその程度の男なのだと思い、諦めがつきそうな気もした。
「何って、あんたが出てくるのを待ってたんだろ」
 黒いジーンズのポケットに、携帯をしまいこみながらメロは言った。まるで間がもたない、とでも言うように、彼はまたチョコレートを食べはじめている。
「だったら、なんでドアをノックしないのよ?そんなところでいつまでも立ってて、あたしが中で死んでたらどうするつもりだったわけ?」
「……………」
<死>、という単語を聞いて、メロは一瞬躊躇する。そうなのだ。前にセスから彼女は、ある程度超能力をセーブして使うなら――おそらく普通の能力者よりも長生きするだろうと聞いていた。だが、ラスはそのことをまだ知らないのだ。
「ちょうどいいわ。あたしもあんたに話があったの」
 ラスは黙りこんだメロのことを見て、彼のことを部屋に通すことにした。セスがカイの代行者としてニア――探偵ロジェ・ドヌーヴの側についた以上、ルースとメロが同時に揃った場所で、自分はある意味<仕事>として彼らに会わなければならない事態がこれから起きてくるだろう。そのためには、今のうちにはっきりさせておく必要があると、ラスはそう思っていた。
「さっきも聞いたが、何故あんたは他の仲間よりもロス入りが遅れたんだ?」
「それは企業秘密よ」と、ラスはソファに座りながら言った。メロは彼女に目で促されて、ガラステーブルを挟んだ向かい側の肘掛に腰を下ろすことにする。
「あたしだって、これでも一応重要なギルドの構成員ですもの。色々やらきゃいけない仕事がヨーロッパではあったというわけ……さっきあんたが麻薬の取引のことで誰かと話をしていたのと同じようにね」
「なるほどな。ところで、本当に海は嫌いなのか?」
「どういう意味?」
 ラスはワイングラスを手にして、その中身を飲みほしている。
「いや、さっきは取り乱してるみたいだったから、自分が何を言ってるのかわかってないのかと思ったんでな」
 そこで、ラスはカッと頭に血がのぼった。ワイングラスをメロがいる側の壁に向けて叩きつけてやる。
「あんたなんか何よっ!あたしが一体どのくらいの思いをしてロスへ来たか、そんなことも知らないくせしてっ!大体あんたたち、本当に一体なんなわけ!?きのうまでは敵みたいなこと言ってたくせして、今度は仲間ですって!?ふざけんじゃないってのよっ」
「ああ、その件については、俺も意外だった……」メロは粉々になったワイングラスの破片に目を落としながら言った。カイが死んだと聞いた夜もそうだったが、どうも彼女は物にあたり散らす習性があるらしい。「いや、あいつの元にあんたの恋人が最後に遺言として言い残したとおり、セスって奴がやってきたのはある程度予測していたことではあった。だがそのお陰で色々なことが微妙に狂ったってことは確かだ。なんでもセスは、仲間のモーヴって奴から日時と場所を指定されて、ニアの奴に会いにいったらしいからな……もしその時間って奴がもっと早ければ、俺も高校に編入して退屈な授業なんぞ受けずにすんだんだろうが、セスの話によるとそれは偶然じゃなく必然なんだそうだ。俺にはとてもそうは思えないが、あんたはどう思う?」
「そうね」と、ラスはメロがあまりに平静な顔をしているので、自分だけが感情的なのが恥かしいと思った。顔と体が熱いのは、今飲んだワインのせいなのだと、なんとか必死で思いこもうとする。
「モーヴにしても、すべての未来が見えるってわけじゃなく、彼に見えるのはあくまでも断片的なものなのよ。その中であらゆる無意識的計測を元に、それだけは間違いなく<確か>だということが、モーヴには見える……そういうことなんだと思うけど」
「まあ、俺は観念論って奴には興味がないんで、どうでもいいといえばどうでもいいことではある。俺がとりあえず今興味があるのは未来のことじゃなく現在のことだ……セスとニアが組むことになったのが必然なのかどうかなんて、俺にはどうでもいい。あいつらはもう互いに気なんか合おうが合わなかろうが、それが当然みたいに俺の家で暮らしてやがる。俺はそれが気に入らないんだ。前にも言ったがこのニアって奴が俺は生理的に大っ嫌いでな……正直、セスとあいつが険悪になってふたりともあそこから出ていけばいいのにって本音では思ってるんだ」
「どうしてそんな話を、あたしに?」
 ラスは別のグラスにワインを注ぐと、それを一口飲みながら言った。
「さあ、どうしてかな。あんたも知ってるかもしれないが、俺とあんたの仲間のティグランは、ちょっとした経緯があって関係がマズイことになった。そのことについては多少責任を感じないこともない……それに、あんたに対してもだ」
「どういう意味?」ラスはワイングラスを口許から離すと、一度テーブルの上に置いた。
「その前に、ひとつ聞きたいんだが――どうしてあの夜、あんたは何も言わずに部屋を出ていったんだ?」
 今度は、決してワインのせいではなく、顔と体が熱くなるのがラスにはわかった。もう、彼とは目を合わせることもできない。
「それは……あれがただの一時的な感情による発作みたいなものだったからよ。あたしは――あの時、カイが死んだと聞いたばかりで、普通の状態じゃなかった。あのあともすごく後悔したのっ。いくらショックだったとしても、あんなにすぐ、他の誰かとあんなこと……なのにメロ、あんたが……っ」
 ラスはバスローブの袖で目頭の涙を拭った。数瞬、室内には沈黙が落ちたままだった。けれど、そのほんの数秒の間に、彼女の中で答えは出ていた。あの日のすべてのことをメロのせいにするのはフェアじゃない……そのことに、初めて気づいてしまった。
「そうか。わかった。あんたには悪いことをしたと思う……べつに、恋人を亡くしたばかりのあんたの弱味につけこもうとか、そういう意志はなかったんだが……それでも、もしあんたがそう思ったんなら、やっぱりそれも俺のせいってことなんだろうな。じゃあ、これからは顔を合わせたくなくても何度かは会うってことになるだろうし……まあ、私情は抜きにして仕事だけでつきあってもらえるか?」
 この瞬間――ズキリ、とラスの中で何かが痛んだ。自分の中で、心が大きくショックを受けたのではなくて……それは誰か別の人間の痛みだった。
 ラスはメロが肘掛から立ち上がり、ドアまで歩いていこうとするのを、ゆっくりと目で追う。そして自分のことを最低の人間だと感じた。メロに抱かれて以来自分がずっと感じ続けていたこと――それは彼が自分と同じくらい傷つくことだった。その願いがたった今実現したにも関わらず、ラスは少しも喜べなかった。
「待って、メロっ!お願い、待って!!」
 ラスは慌てて、メロのことを追いかけた。こんなことは全部間違ってると彼女は思った。何故といって、自分は本当のこと……自分の本音について、少しも心の中にあることを話していなかったのだから。
「あたし……あのあと、あんたのことばっかり考えてたわ。でも苦しかったの、そのことがとても。あたしがあんたのことばっかり考えてるのに、あんたはあたしのことなんて少しも考えてないと思うと癪だった。セスがね、この間電話をかけてきてこう言ったの。あの子、なんでか知らないけど、小さい時からあたしにだけ意地悪なのよ。だからあたしもセスのことは嫌いなの……だって、カイが死んだあと、もし他に新しい相手をあたしが見つけたら、彼のことを忘れるようにカイが暗示をかけたってそんなことまで嬉しそうに言うんだもの。そして困ったことには、実際本当にそのとおりなのよ――あたし、カイが死んだって聞いて間もないのに、カイよりもメロ、あんたのことを考えてる時間のほうが長いの。そんな自分が嫌で仕方なくて……その上、ルーは何も知らないから、無神経に電話であんたのことばっかり話すし。ルーの話を聞いてた時のあたしの気持ちがあんたにわかる!?嫉妬で頭がどうにかなりそうだったわっ。だって、ルーはとってもいい子なんだもの。それにとても可愛いし、それに、それに……」
 ラスはそこまでまくしたててから、突然呼吸が苦しくなって、壁にもたれかかった。そんな様子のラスを見て、一度開きかけたドアを、メロはゆっくりと閉める。
「これだけは言うまいと思ってたんだが」と、メロは泣きながら壁に寄りかかる、ラスの体を支えながら言った。「セスの奴がやたらカイのことを褒めちぎるんで――俺は時々、あいつのことを殺してやろうかと思ってた。それがなんでかわかるか?」
 わからない、というようにラスは首を振った。彼女には本当にもう何もわからなかった。胸の内側から誰かがどんどんと叩いてるみたいに、心臓が苦しい。
 そしてメロと何度もキスをかわしながら、ラスは思う――彼の背後には、カタストロフの瞬間がはっきり見えるということを。それがおそらくは彼が最終的に求めていることなのだ。
 ルースがティグランから受けたという忠告……それはおそらく本当のことなのだろうと、ラスは今あらためて思う。彼はおまえを幸せになどしないし、むしろ心を傷つけるだろう――自分もおそらくはそうなると、ラスはこの時直感した。
(でも、もうそれでもいい……)
ラスはベッドの上でメロのことを迎え入れながらそう思った。彼とこうなることで、自分はおそらく仲間たち全員に軽蔑されるだろう。カイが生きている間はあれほど彼のことを求め、彼なしでは生きられないほど依存していたくせに――彼が死んで三か月と経たないうちに別の男と親密になるだなんて……その上、メロのことを親友のルーがどれほど好きか、素知らぬ顔で相談に乗ってやり、ティグランには、自分にできることがあったらなんでも言って、などと、わかったふうな口を聞いた。なんて浅はかで最低で馬鹿な人間なんだろう、自分は。そしてそうとわかっていながら、どうしても止めることができないのだ。
 もう、何もかもどうでもいい――ラスは心からそう思った。メロが言ったとおり、ラスも過去や未来といったものに、この時まったく興味を持てなかった。メロにも、明日には興味を失われて、捨てられるのかもしれない。彼は明後日には自分の存在を重いと感じて、避けようとするかもしれない。もっと、はっきりと心を傷つけてくるかもしれない。でも、もうそれでもいい……今この瞬間、確かに自分たちは繋がっていて、互いに生きているということを共有できているのだから。
「次にセスに会ったらたぶん彼、腐った林檎でも見るような目で、わたしのことを見てくるに違いないわね……そして言葉にははっきりして言わないまでも、『君なんて所詮その程度の女なんだよ』って顔の表情で伝えてくるに違いないわ」
「ああ、そういえばあいつはある意味、ニアによく似てるかもしれないな。ニアの奴も「自分が一番」って優越感に浸ってやがるくせして、口では「わたし、何も言ってないじゃないですか」ってよく言いやがるからな」
 寝ながらパキリ、とチョコレートを食べるメロを見て、ラスはくすりと笑う。さっき彼の背後に見えたカタストロフの光景は幻だったのだろうかと、そう思えるくらい、今彼女の隣にいる男は幼く見える。
「ねえ、わたしがそのニアって嫌な奴のこと、殺してあげましょうか?」
 冗談でラスは笑いながらそう言った。
「ああ、その時には頭に銃弾を一発埋めこむなんてものじゃなくて、できるだけ苦しめてから殺すようにしてくれ」
 それから、メロの口からはぽつぽつと、俺の家の冷蔵庫なのに、なんでセスの奴の食べ物のほうが多く詰まってるんだとか、地下の特別室を使う時間がニアの奴は長すぎるだのという愚痴がいくつか洩れた――ラスはそんな彼の言葉を、笑いをかみ殺しながら聞き続け、そしてふと哀しくなる。自分がたった今、「幸せ」だと強く感じていることが、何故だかとても悲しかった。
「……どうした?」
 微妙な空気の変化を感じとって、メロは体を起こすと、彼女にそう聞いた。
「ううん、なんでもないの。わたし、本当にひとりぼっちになっちゃったんだと思って……もう、これでみんなとは元の関係に戻れないし、ルーやティグランともぎくしゃくしたままになると思ったら、なんだか……」
「全部俺が悪いってことにすればいいだろ」と、メロは事もなげに言った。「パリで俺がストーカーみたいに張りついてて、カイが死んだと聞いてショックを受けてたところにつけこまれた……さらにそのあと俺は学校でルースの超能力のことを探るべく近づいてきた、サイテー野郎ってことにしとけば、あとはなんとかなるだろ」
「うん……」
 そう単純には済ませられないにしても、メロがすぐそばにいてくれることが、ラスには心強かった。彼ならばきっと守ってくれるというような、それは受動的なことではなくて――ただ、彼が<そこにいてくれる>だけで、目の前に生きていてくれるだけで、ラスには十分だった。彼さえいてくれれば、本当はセスに軽蔑の眼差しで見られることも、ルーやティグランや他の仲間に複雑な視線を投げられることにも、おそらく自分は耐えられるだろう。
 ただ、その時にルーが味わう感情のことを思うと――友達として何をどう償ったらいいのか、ラスは胸が苦しくなるものを感じた。一から説明すれば、時間はかかってもルーはきっとわかってくれる……でも、もしかしたらそれは、無責任で楽観的な自分の押しつけにすぎないのかもしれない。そして自分がもし逆の立場だったとしたら――執念深くいつまでも覚えていて、決して許さないだろうとも思うのだ。
「ラスはたぶん、カイって奴のことがこれからも一番好きなんだろうな」
 うとうとと眠くなりかけた時、ラスはポツリとメロがそう呟く言葉を最後に聞いた。よくわからないけれど、メロにはどうも一番とか二番といったことに対して、強いこだわりがあるらしい。
「まあ、死んだ奴には勝てないっていうのは、こういうことをいうんだろうから、仕方ないんだろうが」
 ラスは寝たふりをして、メロが言った言葉が聞こえなかった振りをしたけれど、内心では吹きだしそうだった。彼は最初の印象とは違い、意外に子供っぽいのだ。
(わたしが短い生を終えるまで、少なくともわたしの心はあんたのものよ――だなんて、よほどのことでもなければ絶対言ってやらないわ)
 そう思いながら、ラスは深い眠りの中へ落ちていった。そして次の朝、メロよりも先に目覚めて――彼女はバスルームで声を殺して泣いた。夢の中にカイが出てきて、一言「これでいいんだよ」と、子供の頃の自分に向かって優しく微笑みかけたからだった。
 その夢の中ではカイも自分もまだ十一歳くらいで、その頃からまだ数年しか過ぎてないのに、ラスは自分がとても遠い場所へ来てしまったように感じていた。そしてホームのみんなとも、もう以前のような関係に戻ることは決してできないのだと思うと――ラスは涙が止まらなかった。



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【2008/09/19 06:20 】
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