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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(26)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(26)

「ここは、一体なんだ……!?」
 メロは、空間転移装置のドアが開くなり、そこから襲いかかる者の姿があるのではないかと思い、当然ライフルを構えていたわけだが――エレベーターのドアが開くなり、そこに現れたのは、熱帯雨林のようなジャングルだった。
 またホログラムかとも思うが、背の高い樹木などの葉っぱを直接手で触ることができるし、どう見ても偽物には見えない。
「まさかとは思うけど、向こうで転移装置をいじられて、おかしなところに飛ばされたなんていうことは……」
「ありえなくはないが、あの乗り物は結局、エデンの内部しか移動できないようになってるんだろ?だったらここも、エデンのどっかってことだ。おい、ラファにエヴァ。何か感じるか?」
 相手がアンドロイドならラファが、また人間や動物といった存在であるならばエヴァが、向こうが近くにやってくる前に、その存在を<感知>することができる。そこでふたりは、感覚を研ぎ澄ませるようにして、あたりの気配を探ったのだが――特にそこには脅威を感じさせる動く物体のようなものはないようだった。
「わたしは、何も感じないけど……ラファはどう?」
「うん。俺は……人造人間じゃないけど、電磁波の流れのようなものは感じるな。メロ兄ちゃん、こっちだよ」
 ラファがメロの手をぐいと掴み、電磁波を感じる方角へと彼を連れていく。ルーはまだショック状態が抜けきらず、どこか呆然としたままだったが、ラスがそんな彼女の後ろを、しんがりを守る者としてついて歩いた――死んだティグランのかわりに。
「しっかし、ここは植物園かっつーの。まったく、こんなわかりずらいところにエレベーターなんぞ隠すように作りやがって」
 熱帯の樹木に覆われて、その入口がまるでわからなくなっているエレベーターの前で、メロはナイフを片手に、それらの枝や葉などを次々切り落としていった。そして「本当に動くんだろうな……」と、あやしげな顔で呟き、上り下りを示す、電光ボタンを押す。もちろんこの場合は下へ降りるためのボタンだった。
「さっきの、俺たちがいた場所が60階ってことは……わけわかんねえが、ようするにもっと下へいけってことなんだろ?だが、ここにあるのは60までの階層を示すボタンだ……あと、このRってのは一体なんだ?さっきの空間転移装置とやらには、こんなのなかったような気がするが」
「とりあえず、そこへ行ってみるしかないようね」と、ラスが答える。
 そしてメロは、ルーに続いてエレベーターに乗りこんだ彼女に向かって頷いてみせ、そしてそのRというボタンを押した。すると、「パスワードをご入力ください」と、明らかにコンピューターボイスであることがわかる声が応じる……メロはとりあえず、<エデン>の入口で入力した32桁のパスコードを入れてみたが、どうやら入力しなければならない番号はたったの8桁らしい。
「ラファ、出来そうか?」
「うん。ここまで来たらもう、みんな運命共同体だからね……やれることは全部やってやるよ。何より、それじゃなきゃティグランが死んだ意味がないだろ」
 目の前で仲間のひとりが自殺したにも関わらず、ラファは意外にも平然としていた。メロ自身が思うには――このお子さまは、まだいまひとつ<死>ということの意味がわかってないのがその原因ではないかという気がした。自分の目の前で起きたことがあまりにショッキングであったため、思考回路のある一部分が閉じられており、おそらく随分時間がたったあとで、そこがもう一度開いた時に、おそらくはティグランの死というものが本当の意味で認識されるのではないかと、そんな気がした。そして同じように平然としているラスの気持ちについては、メロはもっとよくわかっていた。一度、カイ・ハザードという最愛の男を亡くして以来、親しい仲間を彼女が失うのはこれが二度目だ。そして、カイの時にはほとんど不意打ちのようなショックを彼女は受けたわけだが、今度は仲間が死ぬだけでなく、自分もまた命を失うかもしれないという覚悟をラスはしてきている。つまりは、そういうことだった。
「わたし、もうこんなの嫌……!!早くおうちに帰りたい……!!」
 エレベーターの片隅でうずくまり、震えているルーに、エヴァが寄りそうように慰めの言葉をかけるが、彼女はただいやいやをする子供のように、首を振るばかりだった。
「ラファ、パスワードを入力するのはちょっと待ってくれないか。ルーとエヴァには、出来ればここで一度ミッションから降りてもらいたい」
「……………!!」
 泣きながら、さらにショックを受けたような顔をルーはしていたが、メロはいつものとおり、淡々とした口調で容赦なく言葉を継いだ。
「何も、あんたたちふたりを見捨てようっていうんじゃない……ただ、ここからはさらにハザード・レベルが確実に上がる。その点、ルーにはテレポート能力があるから、いざという時には、エヴァとふたりで逃げられる可能性がある。まずこの熱帯雨林のような植物園のどこかに身を隠せ。それでアンドロイドでも他の誰かでも、とにかく身に危険を感じるような存在が現れたら、どこか遠くへ逃げろ……ここから地上まで、一息で上がれるほどの力はルーにもないかもしれないが、人間には火事場のくそ力ってのがあるからな。本当に生きるか死ぬかってところで、超能力を最大限に発揮できるかもしれないだろ?もちろん、もし俺たちが無事<リリス>本体を破壊することが出来れば万々歳ってところだが、それを守るために人造人間とやらが何を仕掛けてくるかわからないからな。そして最悪の場合、俺たち三人は死ぬことになるが、どうもこのまま俺とラファとラスが戻ってきそうにないとルーとエヴァが判断した時には――とにかくここから急いで逃げろ。ルー、とりあえず、テレポートを何度か繰り返せば、エデンの最初に入ってきた入口のところまでは行けるだろう?」
「ええ……でも………」
 ルーは立ち上がると、頬の涙を拭いた。できることなら、このままメロたちの後についていきたい。でも、その精神的な意思に反して、彼女の両足はがくがくと震えていた。
「いいから、俺たちのことは気にするな。もしこの場でラファがぴーぴー泣きだしていたとしたら、こいつの意に反してでも、俺は無理やりこいつのことはリリスの元へ連れていかなきゃならなかったろうが……この場合、おそらく二手に別れたほうが、よりお互いの生存率が上がるはずだ。そのことはわかるだろう?なんといっても、あんたが一番得意な数学の、確率の問題だからな」
「……………」
 ルーは黙りこんだ。そして小さく頷き、エヴァの促しに従うように、エレベーターの外へ降りる。そして、扉が閉まる最後の瞬間に――ラスが小さく手を振り、微笑むその顔を見て、ルーは初めてわかった。何故メロが自分ではなく、ラスのことを選んだのかという、その理由が……。
「エヴァ、わたし……」
「いいのよ、ルー。気にすることないわ。たぶん、わたしが今心の中で思ってることと、あなたが思ってることは――同じような気がするから……」
 ルーとエヴァは互いに抱きあうと、暫くの間一緒に泣いた。そして熱帯雨林の植物が生い茂る、どこか湿ったような暑さを感じる場所で、ひとしきり泣いてようやく涙がおさまると、どこか身を隠すことができそうなところを探しはじめる。ショウジョウヤシやタコノキ、ヘリコニア、木生シダなどなど、他に熱帯に特有の原色をした花々の間を歩いていき、最後にふたりはガジュマルの樹の根元へ隠れることにした……そこでメロたちが無事に戻ってくることを、心をひとつにして祈ることにしようと、ルーとエヴァは手を繋ぎながら思っていたのだった。

「―――――!!」
 一度、ガクリと大きくエレベーターが揺れ、もしや故障かとメロは思ったが、コンピューターボイスが「シバラクオマチクダサイ」と、どこか硬質な声を投げてよこす。
(なんとなく、嫌な予感がするな……)
 そう思いながらメロは、チョコレートをパキリと齧った。もしかしたらこれが最後の一枚っていうやつかもしれないな、などと不吉なことを感じつつ。
 エレベーターというのは、通常であれば、上へあがっていくか、下へ降りていくかという乗り物ではあるだろう。だが、今度は何故か横に方向を変え、真っ直ぐに移動を開始しているということが、メロたちにもはっきりとわかっていた。
「これってたぶん、最初は最下層だと思ってた60階よりも下に、秘密の部屋のようなものがいくつかあるっていうことなんじゃないかしら?ワタリさんからもらったエデンの見取り図では、60階までしかなかったけど、例のクーデターをKが起こしたあとで、さらに新しく作られた場所とか……」
「あるいは、昔からあったが、ワタリやロジャーはその最下層にある基地については知らされていなかったかのいずれかだな。エデンにいる科学者たちには、A~Zまで、はっきりとした位分けがあったらしい。その区分によって、どこまで下層に降りることができるかが決定される……つまり、有益な研究成果を上げた科学者が出世した場合、エデンについてより深く知ることのできる特権が与えられたというわけだ。ところが、一般にエデンの誰にも知らせない場所ってのがあって、そこにはおそらくレオンハルト・ローライト博士以下、ほんの一握りの人間だけが出入りを許されてたんじゃないか?つまり、まだ確認したわけじゃないが、60階にあると言われる<リリス>はおそらくフェイクか、あるいは本体のほんの一部……そしてそれよりもっと下層に存在するコンピューターが、本当の意味でエデンの全体を統制している。まあ、このエレベーターがどこへ向かっているのかはわからんが、おそらくはそんなところだろうな」
『正解です』と、突然、コンピューターボイスではない、なめらかな女性の音声が頭上から響き、思わずメロもラファもラスも顔を天井へ向けた。
『失礼しました。わたしのことは、こちらの画面でご確認ください』
 一瞬、ザッ!っとノイズが走り、エレベーターの階数を示すパネルの上に、小型の液晶画面のようなものが現れる。そこには、コンピューターと女性が合体したような、一種のイメージ画像が映しだされていた。
『これは、わたしの本体というわけではありませんが、フェイクとして他のアンドロイドたちにはこれが<リリス>であると、認識させているものです。現在エデンで使用されているのは、地下の51階から60階まで……つまり、それより上の、あなたたちが先ほど一度通った50階などは、27年前より使用されておりません。そして51階から60階までは、わたしの統制下にあるアンドロイドたちが常時、1500体以上詰めています。おそらく、その階のうちのどこかにあなたたちが紛れこんでいたとすれば、今ごろ命はなかったでしょう』
「どういうことだ?今、このエレベーターは<リリス>、あんたの元に向かってるんだろう?てっきり俺は、あんたが俺たちを手っとり早く始末するために、罠にかけようとしてるもんだとばかり思っていたが……違うのか?」
『ええ。人間の心理に<タテマエ>と<ホンネ>というものが存在するように、わたしにも同じくそれが存在するのです。わたしは<タテマエ>としては、エデンの侵入者である、あなたたちを始末しなければならない……そうプログラムされています。ですが、ここエデンにLがやって来た以上は、その命令は意味をなしません。何故なら<マスター>はわたしに、彼とその仲間には一切手出しするなと命じてから、深い眠りにつかれたからです』
「よくわからないけど……とりあえず、わたしたち全員の命の保証はしてもらえるっていうことでいいのよね?」
 それなら、何故ティグランは死ななければならなかったと思い、ラスは胸が痛むものを感じる。
『ええ、その通りです。あなたたちが先ほど熱帯植物園へ置いてきたふたりの仲間のことも、わたしは保護しています。もちろん、そこにも侵入者がいれば、当然アラームが鳴るという仕組みになっている……ですが、わたしが今その警報装置を解除し、植物園を映す画像もきのうのものを挿入している以上、アンドロイドのうちの誰かが異変に気づくということはありません』
「なるほどな……それであんたは一体、俺たちに何をさせたいんだ?そしてあんたの言う<マスター>、おそらくそれはカイン・ローライトのことを言うんだろうが、そいつには、Lを殺すつもりはないっていうことなのか?」
『そうです。しかしながら、これ以上のことは、わたしの口からは申し上げることが出来ません。あなたたちが地上へ戻ってから、Lに直接お聞きになるといいでしょう』
 メロとラファとラスは、互いに顔を見合わせると、一瞬言葉を失くした。彼女――<リリス>の言っていることは、論理的に辻褄が合っていないように思えるからだ。彼女は当然、メロたちがエデンへ乗りこんできたことを知っており、さらには、ティグランに例の<メフィストフェレス-プログラム>なるものを仕組んだのも、ある意味では彼女自身がそうしたとも言えることである。こうした矛盾をリリスは先ほど、『タテマエとホンネ』と呼んだ。それならば彼女の真意というものは、一体どこにあるというのか?
『とりあえず今は、わたしのいる場所までご案内します。そのあとでさらに詳しいことを説明するということで、いかがですか?』
「いいだろう」と、メロは背中にかけたライフルに一瞬目をやりながら言った。「あんたはどうやら、コンピューターながら人間よりも信用できそうだ。こんなライフルなんぞをあんたに向けて破壊しようとしたところで無意味なんだろうし……いや、そもそもこんなチャチな銃機類では、あんたのことを人間がどうにかするなんて、出来ないんだろうな。ラファの電磁波にしたところで、あんたに対して一体どこまで通用するか……」
『正解です』リリスはどこか、先ほどよりも嬉しそうな声のトーンでそう言った。『わたしにも一応、自分を守るための防衛システムくらいはありますからね。それ以上に、もしあなたたちが自分にとって脅威だと感じたとすれば――まずは部下のアンドロイドたちを使って、ライフルなどを取り上げたでしょうから。先ほど、そちらの坊やが端末から接触した時に、彼の能力がどの程度のものかも試しました。わたしには電磁波を一切シャットアウトすることのできるバリアーがあるんですよ……ですから、坊やの電磁波を操る能力も、わたしには脅威となるレベルではないと判断しました』
「坊やって言うな!たかがコンピューターのくせして生意気だぞっ!」
 両手を突き上げて、本気で怒っているらしいラファに、リリスは素直にあやまってみせる。
『失礼しました、ラファエル・ガーランド。では、あなたのことはなんてお呼びすればよろしいですか?』
「そうだな……ラファエル様って呼べ!人間はコンピューターよりもずっとずっと偉い存在なんだからな!!」
『わかりました、ラファエル様。次からあなたのことを呼ぶ時には、そうお呼びすることにしましょう』
(なるほどな……)と、チョコレートをまたパキリと齧りながら、ようやくメロは心の中で合点がいった。(よくわからないが、俺が思うにLがこれまで地上で脅威として戦ってきた<K>って野郎は、いわゆる今リリスの言った『タテマエ』によってプログラムされたある種の人格ということだろう。あるいは、人造人間かクローン人間が一応形をとっているにしろ、『ホンネ』の部分――カイン・ローライトの本体は「深い眠りについている」とリリスは言った。何より、リリスにはラファの能力がどの程度のものなのか、未知数である以上一度確かめてみる必要があった……そのためにティグランは犠牲になったとも言えるが、いくら女らしい話し方を真似ようと、こいつは所詮コンピューターなので、自分を守るための計算をし、さらに<マスター>の命令にも従いつつ、同時に矛盾しない行動を取る必要があったということだ。だとすれば、Lは今ごろ……)
 またポーン、と、どこか間の抜けたような音をさせて、エレベーターの扉が開く。そしてその先には、宙に浮かぶ巨大な黒い大理石のような板が三枚と、それに囲まれる形で中央に、美しい女性の顔をした、立体的な像が表示されていた。
『ようこそ、メロ、ラス、それにラファエル様。わたしがここまであなたたちをご案内申し上げた、エデン全体を統制するメインコンピューター、<リリス>です』



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【2008/10/01 16:32 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(25)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(25)

<マスター>ことカインと自分を会わせるために、ここまでLのことを導いてくれたのは、ラファエル♯001だったわけだが、例のブラックホール発生装置のある場所までLを案内したのは、ガブリエル♯1017と♯1018だった。双子のようにそっくりな彼女たちに左右の脇を固められる形で、Lは死刑を執行される罪人が歩く道――いわゆる刑務所でいうデッドマン・ウォーキング――をゆっくりと進んでいった。
 そこはまたしても真っ暗な闇の道が続いていたが、途中で、水族館のように人工的な光の中を泳ぐ、熱帯魚のいる空間を通った。他にヒラメやエイやサメ、アザラシなど、その他おそらくは世界中の海にいるであろう、ありとあらゆる種類の海洋生物をLはそこで見かけた。先ほどカインの言っていた、地球の海底から噴出するメタンガスを抑えるための、珊瑚に似た新種の生物……それも存在しているのを見て、Lはカインがしていることを、正しいとも間違っているともいえないとあらためて思う。
 むしろ、今となっては彼を<神>に近い存在として認めてもいいとすら思ってさえいた。何故なら、人間というものはどこかで無作為に抽出されては生まれでるような、そうした存在であるし、その法則性のようなものは、神にしか理解できないレベルの問題だからだ。少なくとも、カインはそうした<神>と自分を同列に並べるような、マッドサイエンティストタイプではないようだった。何よりも、神というものは――人間がその存在を理解できないという意味あいにおいて、そもそもグロテスクな存在だともいえるのだ。以前にジェバンニがLの盾となって壊滅へ追いこんだ宗教団体も、神は宇宙人であると考えるのはいかにも馬鹿げて聞こえるだろうが、あながちその信仰対象は的外れともいえない部分がある。何故なら……たとえば、厚い緞子の向こう側に<神>と呼ばれる存在がいたとして、人間がその神の御姿を垣間見たとしたらばどうするか。その存在が、自分たちが考えるような見目麗しい光あふれる高貴な佇まいなど有しておらず、SF映画に出てくるグロテスクなエイリアンのような姿をしていたとしたら……?その姿を見た人間は、おそらく<神>を殺そうとするだろう。もとより、神がそのようなグロテスクな存在であるはずがないと否定したくなるだろう。逆に、他のいかなる神々しい物質的な存在が<神>としてあがめられたとしても、やはり人間はそれが自分と同じ『物質的な存在』であったとしたら、やはり何かの折に神を殺す機会を狙うはずである――ゆえに、神というものはあくまでも人間の目に見えない、また人間よりも高次の、霊的存在である必要性があるのだ。
 世界中の海洋生物の住む、広い水族館の中を抜けると、またトンネルのような暗闇の中へと突入し、そしてLは最後に、薄暗い部屋の片隅に、SL機関車の先頭車両にも似た、黒い鋼鉄製の装置が置かれた場所へ案内された。
 見ると、その前には手術台のようなものの上に横たわる、先ほどLが殺したカイン・ローライトのコピー人間がいた。Lは、絶命している彼の姿を見て、体に震えが走るものを感じる……(命には、命をもって償わなければならない)、たとえ彼がオリジナルのカインと同じ赤い血液を有していなかったとしても、やはりあれは殺人の罪にあたる行為だと、Lはそう自覚していた。
 今、Lの前にいて、ブラックホール発生装置を操作するための準備をしているのは、ガブリエル・ナンバー2体である。そう考えれば、より生身の人間の体に近い<彼女>たちを素手で倒すのは、難しいことではないかもしれなかった。だが……自分が逃げれば、メロたちは一体どうなるだろう?そして何より、Lはもう、これでいいと思っていた。カインは自分が想像していたよりも、人間としてある意味では器が大きく、Lがこれまで頭の中で考え抜いてきた事柄についても、よく理解しているのだ。短い時間ではあるが、少しの間彼と話してみて、Lにはそのことがよくわかっていた。ただ、自分が死んだところで、カインの最愛の母であるイヴは生き返るわけではなく、彼にしてみたところで、こんなこと程度で復讐心の炎がおさまるとも思えない……だがLは、そのこととは別に、今目の前で、天使のように美しい女性がふたり、自分が死ぬための装置の調整をしているにも関わらず――驚くほど冷静に落ち着いていた。何故なのかは彼自身にもわからなかったが、Lは心の内側に幸せと呼べるほどの平安を感じていたのである。
「では、これからわたしはヴァトナ氷河へ向かいますが……その前に、勝利のキスをしてくれませんか?」
 レイキャビクにあるホテルのスイートをでる時、Lはラケルにそう言った。彼女は泣きそうな顔をしてはいたが、実際には泣いておらず、それだけにどこか凛とした、儚げな表情をしていたと、Lはそう思い返す。
 そして、ラケルは猫背なLが突きだしている顔の額にキスし、目尻のあたりにも同じようにすると、Lの期待に反して、唇にだけはそれをしてくれなかったのだった。
「あの、口には……」と、Lが指をくわえながら不満げな顔をすると、彼女はこう言った。
「続きは帰ってきたら、ね。じゃないとL、このまま戻ってこないかもしれないでしょう?」
「そうですか。では……」
 Lはなんでもないようにドアを開けるふりをし、そして振り返ると、やや強引にラケルの唇を奪った。
「………!!L、これって反則じゃないの!?ずるいわよ、もうっ!!」
 ラケルがそのあと、ぽろぽろと透明な涙を流しながら自分を見送った時のことを思いだし、Lは胸が熱くなるものを感じた。(やはり、あの時ああしておいてよかった)と、自嘲気味に思うのと同時に、その時にラケルとキスをした感触が、まるでたった今彼女とそうしたとでもいうように、甦ってくる……そしてLは(不思議だな)と思った。もうほんの数分もしたとすれば、自分はブラックホール発生装置などという無常な機械にかけられて、死ななければならないというのに――Lが今思いだしているのは、ラケルの手のひらの温かさであるとか、彼女の胸とか太腿の、肌を合わせた時の柔らかさだった。何故今そんなことがリアルに思い浮かび、想像されるのか、自分でもまったくわからなくて、Lは思わず笑いそうにさえなる。
「わたし、お祈りしてるから……」
 エプロンの裾で涙をぬぐいながら、最後にそう言ったラケルのことを、Lは思いだす。流石にその時には、(神に祈っても祈らなくても、結果は同じですから、無駄なことはしないでください)とは、Lにも言えなかったのだ。そして、何か光のヴェールに似た、神々しいまでのそうした不可視の力が自分にたった今働いているのではないかと感じた。おそらく、キリスト教の殉教者たちも、今の自分と同じような気持ちで、死んでいったのではないかとLは想像する……そう。十字架上の主イエスが「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言った言葉は、決して嘘などではないのだ。
(ラケル……わたしはあなたに会えて、本当によかった)
 Lは今、もし彼女という人を知らなくて、自分がカインと対決していたらどうだったかと想像して、何故だかぞっとした。そうなのだ――ラケルと会う前までは、カインと直接顔をあわせる機会を持ち、結果として殺されるだろうことは、Lにとってただひたすらにおそろしいことでしかなかった。だが、それは何も失うものを持てない自分に対する、深い絶望でもあったのだ。<L>という探偵も、人並外れて優れた推理能力と情報収集能力というものを除いたとすれば、警察機関の人間などにとってはただの都合のいい捜査能力コンピューターだという部分がある。おそらく彼らは、自分と<L>を継いだ次の者とが入れ替わっても、まったく気づくことはないだろう……だが、Lという個人と全人格的に関わった数少ない存在のうち、とりわけラケルという女性は、その存在自体が彼にとって救いだった。
 そして、Lにも3500件以上もの事件を通して、多少なりともその心を救ったといえる人々がいる。うまく言葉にして説明できないにしても、今自分はそうした純然たる<救い>の力にとり囲まれていると、Lはそんなふうに神聖な気持ちにさえなっていた。
「お待たせしました、L。先にこの者の遺体を見本として処理するよう、マスターに言われておりますので……少し離れたところで、ご見学ください」
 ブラックホール発生装置の計器類などを調節していたらしいガブリエル♯1018が、底が見えないほど暗いように思えるその機械のドアを開き、♯1017と協力して、彼の遺体をそこへ放りこむ。そしてドアを閉め、鍵をかけると、スイッチを入れるなり、自分たちもまたそこから遠く離れた。
(これは……!!)
 ヴン……!!と、一瞬おそろしいような唸りをその装置は上げた。そして強い重力の波動のようなものが、数回にわけてLの体を駆け抜けていく。それはまるで、死者の呪いの声、その断末魔の叫びをLに連想させたが、たった数秒のうちに、カインのコピーの遺体が本当にブラックホールの中へ消え去ったのだとしたら……これはまるで悪魔のような機械だと、Lはそう思わずにいられなかった。
「さて、次はあなたの番です」
 ラファエル♯1017と♯1018が声をあわせて、まるで楽しいテーマパークを案内するような笑顔でそう言った。彼女たちにはおそらく、<死>の概念というものが存在しないのだろう。ゆえに、もしかしたら自分たちがマスターの命令でブラックホール発生装置の中へ入れと言われたとしても――彼女たちは「わかりました、ご主人さま」と答え、にっこりと微笑みながら死んでいくのかもしれなかった。
 Lは、ゆっくりと歩きながらブラックホール発生装置に近づいていったが、その時に考えていたのは、自分の死の恐怖のことなどではなく……自分が殺してしまったカインのコピーについてだった。Lはそこに、かつての自分の姿、ラケルのことを知らずに、より深い形での愛情を伴う人間関係というものを知らなかった頃の自分を重ねあわせていた。彼には果たして、カインのコピーとして生きるにしても、何か生き甲斐や真に誰かに愛情を感じる瞬間があっただろうかと思ったのだ。こんな、エデンという閉鎖された空間で、同じ顔をしたなんでも言うことを聞くアンドロイドに囲まれて暮らし――そして最後にはオリジナルである本体の余興を演じさせられて死んだのだ。
(カイン、やはりおまえのしていることは間違っている……!!)
 どうぞ、と両開きのドアをそれぞれが片手で開き、そして彼女たちはそこへLが入るようにと促す。そこを見てみると、確かにカインのコピーであった若い青年の姿は跡形もなく消え去っており、中には黒々とした闇のような暗い空間が存在しているのみだった。
(どうする……彼女たちをこの手で殺すか?カインのコピーを殺した時のように……)
 Lがブラックホール発生装置の中をずっと覗きこんだままでいると、「L、どうかお早く」と、♯1017がさらに促した。今、この場にラファエルとカインはいない……いや、おそらくはこの薄暗い部屋のどこかに設置された監視カメラを通して、今の自分の言動を見張っているに違いないが、彼の計算のうちには、Lが死を目の前にして往生際悪く抵抗するというシナリオも、必ず含まれているはずだった。
(ならば、それに乗ってみるのも、ひとつの手だ……!!)
 Lはそう思い、ブラックホール発生装置から顔を上げるなり、ガブリエル♯1018の顔にカポエラ蹴りを食らわせた。さらに返す足で、♯1017の鳩尾のあたりにも蹴りを入れてやる。
「動くな!!」
 まともに蹴りを食らいつつも、なお起き上がろうとするガブリエル♯1017と♯1018ではあったが、その声の主は彼女たちではなく、ラファエル♯001だった。<彼>はLに対して銃を構えており、おそらくはこんなこともあろうかと、マスターから彼のことを最後まで見張る役目を仰せつかったに違いなかった。
「撃ちたければ、撃ってくださって構いませんよ……先に頭蓋を貫かれて死ぬのも、このブラックホール発生装置とやらに入って死ぬのも、そう大差ありませんからね」
 どこか皮肉げにそう言うLのことを、ラファエルは数瞬の間黙って見つめていた。そして、「ラファエル様……」と言って、<彼>の庇護を求めるように側へやってくるガブリエル♯1017と♯1018に向かい、ラファエルは容赦なく発砲する。
 先に死んだのは♯1018だったが、的確に眉間を銃弾で貫かれている仲間を見て、♯1017は極度の恐怖を感じたのだろう。「ひっ!」と叫び声を上げて部屋のドアへ駆け寄ろうとする……だが、その彼女に向かっても、ラファエルは後ろから容赦なくその心臓を撃ち抜いた。
「これは、どういうことですか?あなたは一体……」
 Lは驚きのあまり、それ以上言葉が続かなかった。自分の声がどこか干からびたような響きを持っており、うまく舌がまわらないようにさえ感じる。
「L、わたしはあなたを死なせるわけにはいかないんです。何よりも、それが<マスター>の命令でしたから」
 一瞬、Lは珍しくも、呆気にとられそうになった。アンドロイドたちは全員、まったく同じ顔をしている――ということは、<彼>は先ほどまでエデンを案内していた、ラファエル♯001ではないのだろうか?あるいは♯002とか♯003とか……。
「わたしは、先ほどまであなたと一緒にいた、ラファエル♯001ですよ」と、婉然と微笑みながらラファエルは言う。Lの考えていることはすべて、<彼>にはお見通しなようだった。
「では、あなたの言うマスターとは?まさか、先ほどまでわたしと話していたカイン・ローライトは……」
「ええ、あのあとわたしがこの手で殺害しました。もちろん、彼にも選択肢はあったのです……もし彼があなたを赦し、さらにはあなたを生かし続けるという道を選んだとしたら、わたしも彼を殺すことはなかったでしょう。ですが、これも<マスター>の命令ですから、わたしにとっては仕方のないことです」
「……………」
 Lは黙りこみ、複雑な気持ちにならざるをえなかった。カイン・ローライトがラファエルにとってのマスターでないとするなら、彼にとってのマスターというのが何者なのか、今のLには見当もつかない。だが、まさかもしかしたらとの思いが、彼の心の内を掠める。
「では、これからわたしはどうしたらいいんでしょうか?さしあたって、わたしはあなたの言うとおりにする以外、道はないようですが……」
 自分が手にしている拳銃に、Lが視線を注いでいるのに気づいて、ラファエルはそれをポイと床の上へ投げ捨てた。危害を加える気もなければ、強制して言うことを聞かせようというわけでもないことのしるしとして。
「わたしについてきてください。これから、エデンの最深部――わたしが本当に<マスター>と呼ぶ人物に、会ってほしいと思います。何よりも、そのことが彼の唯一の願いでしたから……」
 Lはわけがわからないなりに、ラファエルの後について、また歩きだすことにした。先ほど、ラファエルの手によってガブリエル・ナンバーの者ふたりに身柄を任された時――Lは、確実にこれで自分は死ぬだろうと思った。うまく説明できないが、エデンへ来て以来、Lは彼から何か特別に庇護されているような、守りの力を不思議と感じていたのだが、その彼が<マスター>であるカインの言うなりとなり、冷酷に死刑執行人に自分の身柄を渡すのを見て、「これでもう自分は本当に終わりなのだ」とLは漠然と感じていたのだ。
 だが、その彼が再び、自分の味方となってくれたことに対して、Lは何故か嬉しいような気持ちになっていた。相手はただのアンドロイドであり、その行動の規範は、プログラムされたものに過ぎないとわかっているにも関わらず――それでも、Lはこのほんの短い間に、彼に対して<信頼>とも呼べる強い繋がりのようなものを感じていた。それが何故なのか、L自身にも最後までわかることは出来なかったけれど……。



【2008/10/01 16:24 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)

「これは、本当に本物なんですか?」
 ラファエルにマスターのいる部屋まで案内しますと言われ、到着した部屋には、まだ誰もいなかった。それでLは、その室内にあるもの――おそらく価格にして一千万円はするであろう、精緻な模様のシルクの絨毯、細長い黒檀のテーブル、純金とクリスタルのシャンデリア、アンティークなサイドキャビネットの上の陶器の像や中国・清時代の壺など――を、点検するようにひとつひとつ眺めていった。
 そして、おそらく先ほどまでそこから自分と<K>のコピーがフェンシングをするのを見下ろしていたであろう長方形の窓には、今白樺の林や森の景色などが映しだされ、さらにそこからは鳥のさえずりまで聞こえている。
「実に不愉快ですね……」と、Lがカインの趣向について、指を齧りながら呟いた時、Lが入ってきたのではない、別のドアが開いて、そこからカイン・ローライト――おそらくは今度こそ本物の――が姿を見せた。
 身長は、大体背筋を伸ばしたLと同じ179センチくらいだったろうか。そして、どこか中世の貴族を思わせる衣服――白のゆったりとしたブラウスに、ダークブルーのベスト、それに揃いのズボンといった――を着ている。だが、さきほどのコピーである<K>との決定的な違いは、彼が三十代半ばといったような容貌をしていることであった。あのまま普通に年齢を重ねていたとすれば、今彼は四十歳であったろう。だが、例の細胞が若返るという薬を服用しているのであれば、実年齢より若く見えたとしても不思議はない……Lは、まだ目の前の彼が「本物」とは断定できないと思いながらも、相手に対して会話するに足る人物としては認め、彼と細長いテーブルに差し向かいになって腰掛けた。
「君は、その座り方じゃないと駄目なのかね?」
先ほどLがフェンシングをするのを、<マスター>である彼と一緒に見ていたであろう、ガブリエル・ナンバーのアンドロイドが、メイド服を着て、カインに給仕している。牛フィレのロースト赤ワインソースとじゃがいものグラタン添え、それにカリフラワーのクリームスープだった。そして彼女はLに対してもにっこりと微笑みながら、林檎のタルト・バニラアイスクリーム添えを置いていった……Lが甘いもの以外はほとんど口にしないということを、Kはすでに知っていたのであろう。
「わたしは、この座り方でないと推理力が40%減です。そして今のこの状況下では、フルに自分の脳の推理力を働かせる必要があります。ゆえに、たとえマナーに反しようとも、膝を伸ばす気にはなれません」
「なるほど。まあ、好きにしたまえ。ちなみに、その林檎のタルトの中にはおかしなものなど何も混入されていないから、安心して食べるといい。君の細君の作るアップルパイには、もしかしたら遠く及ばないかもしれないがね」
「ええ、彼女の作るスイーツは、天下一品ですから」
 カインがナイフとフォークを上品に使っているのに対して、Lは手づかみでムシャムシャと、いつもどおりの行儀作法で林檎のタルトを食べていった。もしこの中に睡眠薬にせよ幻覚剤にせよ毒物にせよ……何かが混じっていようがいまいが、現在の状況下ではあまり変わりがないとLは思っていた。何故なら、そんな姑息なことをしなくても、ここエデンはカインのフィールドであり、自分はその中にすでに取りこまれてしまっているのだ。それなら、小心な心遣いなど一切せず、フェンシングで消費した糖分を回復したほうが、これから行動する上でも有利になるというものだった。
「ところで、前からずっと聞きたいと思ってたんですが……あなたの造るアンドロイドは、何故全員顔が一緒なんでしょう?そこには何か、深い理由のようなものが存在するんですか?」
「いい質問だね、L」と、どこか優雅な手つきでワインを飲みながら、カインは笑う。「というより、本当は君も気づいているんだろうな。彼女たちの顔は、わたしと――そして君の胎の母の、イヴがベースのモデルになっている。あとはコンピューターが検出した、どの人間が見ても<美しい>と感じる顔立ちのデータを加えて作成されているんだよ。これこそまさに、最高の人間だという意味をこめて、わたしは全員を同じ顔にした。何故といって、ガブリエル・ナンバーはより人間に近いだけに、互いの違いに敏感で嫉妬するという感情も当然持っている。ゆえに、そこまでの複雑な感情がさらに深化してややこしい事態を引き起こさないためにも、みなが<平等>である必要があるというわけなのさ」
「なるほど……そしてあなたは、自分の母親によく似た面差しの女性を見つけると、必ず攫ってきますよね。そして殺すことはせずに、記憶を消すなどして地上に戻している。先ほど、そちらにいるラファエル♯001からも、わたし以外にこれまで、あなたの気に入った研究者などがここエデンへ来たことがあると聞きました。ところで、彼らや彼女たちは、その後どうなったんでしょう?」
 自分の後ろに、立ったまま控えているラファエルのことを、カインはちらと振り返る。そして<彼>が何か言い訳しようとするのを制して、言葉を継いだ。
「まあ、それはケースバイケースということになるな。君の優秀な部下のひとり――ステファン・ジェバンニ君の妹君にわたしが何をしたのか、L、君はそうした点について聞きたいのだろうな。『汝、選ばし者』と呼ばれ、リヴァイアサンの組織に忠実に仕えた者のことを、わたしは確かにここエデンへ招待することがあるのだよ。だがまあ、一通り案内したあとは、遺伝子研究のためのサンプルなどをいただいて、スリープ状態に入ってもらうことが一番多いかな……彼らは特殊な睡眠装置の中で、永遠の夢を見ながらゆっくりと老いていく。そして、わたしとて一応これでも人間だからね。時に人のことが恋しくなることもあるさ。そこで、L――君が殺したわたしの母に面差しの似た女性を捕まえては、時々戯れの時を過ごすこともあるというわけだ。だがまあ、結局彼女たちはどこか顔立ちが似ているというだけで、わたしの母のかわりにはなれない。君がわたしの母、イヴの胎内から生まれてさえ来なければ、エデンも今ごろこんなふうじゃなかったかもしれないけどねえ」
 血のように赤いワインをカインが飲みほすと、脇に控えていたラファエルが、彼にロマネコンティの1974年ものを注いでいる……その様子を見ながらLは、思っていた以上にもしかしたらこのカイン・ローライトという男の精神構造は幼いのではないかという気がした。母親という存在の呪縛から逃れられず、彼女と面差しの似た女性を地上から攫ってくるも、心が完全に癒されることはない。今、彼はその状況を作りだした全責任は自分にあるとして、Lのことを断罪している。
 これまでLは、その罪の追求を彼にされる時、どれほどつらい思いを味わわなければいけないだろうと想像していたが、意外にも開き直りに近い境地に自分が達していることがわかり、むしろ超然とすることさえできていた。
「わたしも、ある人に出会うまでは、ずっと自分など生まれてこなければよかったと、そう思って生きてきましたよ……旧約聖書のヨブ記に、こういう一説があるでしょう?『私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った」と言ったその夜も。その日は闇になれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。闇と暗黒がこれを取り戻し、雲がその上にとどまれ。昼を暗くするものもそれをおびやかせ。その夜は、暗闇がこれを奪いとるように。これを年の日のうちで喜ばせるな。月の数のうちにも入れるな。ああ、その夜には喜びの声も起こらないように。日を呪う者、リヴァイアサンを呼び起こせる者がこれを呪うように。その夜明けの星は暗くなれ。光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがないように。それは、私の母の胎の戸が閉じられず、私の目から苦しみが隠されなかったからだ。なぜ、私は胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は生まれ出たとき、生き絶えなかったのか。なぜ、私を受ける膝があったのか……』この箇所を、わたしは自分に対しての言葉のようだと思い、それこそ何度も繰り返し読みました。わたしは基本的に無神論者ではありますが、それでも<神>という人が本当にいて、もしあなたの母親であるイヴ・ローライトに心の底からあやまれと言うなら――自分が生まれてきたことを、なかったことにして償いたいとすら思っていました。その気持ちは本当です」
「ふふん。L、君が聖書を引用するとはね……わたしは随分前から、君が<神>など信じることが出来ぬように、色々なことを仕掛けてきたつもりだがね。正直なところを言って、今君がここでこうしてわたしと顔を合わせることが出来ているのも、言ってみればわたし個人の好意……慈悲にも近い感情によってなんだよ。君がこれまで生きてきた二十数年の間、わたしにはいつでもL、おまえの命をとることが可能だった。でもそうしなかったのには、それなりに理由がある。ワインを樽の中で時間をかけて熟成するように、わたしはじわりじわりとおまえを追いつめて最後に絶望の中でのたうちまわるおまえに引導を渡してやろうと考えていた。脳味噌をいじくって苦痛を与えるもよし、レーザーで生きたまま五体をバラバラにしてやろうと思ったことも何度かある……だがまあ、この場合、痛みが続くのはせいぜい二十分程度だ。それではわたしが受けた精神的苦痛に遠く及ばないものだと思わないかね?死んだ者は二度とは生き返らない――その代償としてはあまりに安すぎる償い方だ。そこでわたしは考えた。L、おまえが最初から<いなかった>ことにしてやろうとね」
「どういう、意味ですか?」
 林檎のタルトは、まだ半分以上残っていたが、Lも流石にもう食指が進まなかった。というより、生まれて初めてスイーツをまずいと感じてさえいた。味がどうこうという以前に、何故だか吐き気を催すような、嫌なものを食べている気分に、Lは今なっていた。
「言った言葉のとおりだよ。その昔、ここエデンには八百人を越える科学者たちが住んでいたんだ……ワタリは、ロンドンの空襲で失った婚約者のことを甦らせようとして、禁断の方法に手を染めていたし、その他色々な種類のありとあらゆる研究がここでは進められていたのさ。そのうちのひとつ――ジャスパー・リンドグレイという天才物理学者がね、現在地上に存在するエネルギー資源はいつかは枯渇すると考えて、新たなエネルギー源の開発を推し進めていたんだよ。それは人為的にブラックホールを生みだし、そのエネルギーを石油やガスなどの代替燃料にするというものでね、まあ、核燃料よりも危険な方法だと言えるが、エデン全体を統括する長であった父は、リンドグレイ博士の研究を特に止めだてはしなかった。ところが、彼とは別のエデンではまるで下っ端の物理学者が、ある時二酸化炭素と水さえあれば、永久にエネルギーを生みだすことの出来る装置を開発したんだよ。悲観したリンドグレイ博士は、ブラックホール発生装置に自ら身を投じて自殺した……以来、そこは人体実験などで不用になった人体のなれの果て、物質と化したそれを捨てるゴミ捨て場になったんだ。L……君にもそこへ、入ってもらおうかとわたしは考えてるんだが、どうかね?」
「……………」
 Lは黙りこんだ。ブラックホールの中に身を投じたとすれば、それは生きながらにしてそのまま<無>の世界へ行くということだ。冗談にも楽しい死に方とはとても言えないのは確かだが、それでも――当初Lが考えていたような、『最悪の事態』よりは、まだ僅かばかりマシだったともいえる。
 少なくとも、カインは<L>という存在がコピーであれなんであれ、この世界で息をしているそのこと自体が気に入らないのだから、Lにとっての最悪のシナリオ……オリジナルである自分が今ここで殺され、クローン人間が地上へ戻されるという可能性は回避されたということになる。奇妙なことではあるが、最悪よりも少しはマシであるその最期に、Lは淡い希望さえ持っていた。ただ、<L>という人間が地上に生きた痕跡を消すというのが――もし自分に関わった者すべての記憶を消すということであるなら、Lはラケルにも忘れ去られてしまうのかと思い、胸が痛んだという、それだけだった。
「どうした?ショックのあまり、言葉もないのかね?」
 ワイングラスをくゆらせているカインに向かって、暫くの間下を向いていた顔を、Lは真っ直ぐに上げた。これまで、十三歳の時にワタリから真実を聞かされて以来、この瞬間が来るのを自分はどれほど怖れて生きてきたことだろう……それなのに今、Lは自分の心のうちから怖れや不安が取り除かれていることに驚いていた。そうなのだ。もし仮にカインが心の内にあることをすべて行ったところで、自分が死に、ラケルの記憶から<L>という存在が消え去ったとしても――彼女をたった今強く「愛している」と思うこの気持ちまでは、彼にさえも消し去ることはできないと、Lはそう思っていた。
「いえ、もっと中世の拷問器具にでもかけられるような苦痛が存在するものと想像していたんですが……ブラックホール発生装置にかけられるというのなら、それも悪くないかもしれません。あなたは心の内にあることをすべて、わたしに対して行ってください。ただしそのかわりに、この最後の晩餐ともいえる席で、わたしが知りたいと思っている質問にいくつか答えてほしいんです。どうせわたしは死にゆく運命なんですから、そのくらいのことは許してくれてもいいでしょう?お願いします」
「……………!!」
 今度は、カインが黙りこむ番だった。Lの顔つきは、絶望しているわけでもなければ、狼狽しているわけでも、苦痛に歪んでいるというわけでもなかった。まるで、これからサッカーの決勝戦が行われる時の、選手の顔つきとでも言えばよかっただろうか……それでカインは、まだLが希望を持っている、生きのびることのできるチャンスを掴もうとしているのだろうと思った。だが、これから彼がどんな意表を突く興味深い質問をしたところで、自分の中でこの決定が覆されることはない――カインは、今はまだ冷静さを保っているLも、ブラックホール発生装置にいざ放りこまれようという時には、泣いて命乞いするだろうと思い、極めて寛容な気持ちになっていた。それで、自分の理解できない種類の、奇妙な微笑みを浮かべている男に対して、残酷な微笑みを返してやる。
「いいだろう。死人に口なしとはよく言ったものだからな……おまえが今ここでわたしに何を聞こうと、<L>、おまえは最後には絶対に死ぬ。この運命は何があっても変わらない。その前に、ひとつくらい願い事を叶えてやるというのも一興だろう。まあ、おまえがわたしに聞きたいことなぞ、ある程度想像がついているがね」
 カインが食事をし終えたのを見計って、またもメイド服を着たガブリエル・ナンバーのアンドロイド――給仕ロボットとでも呼ぶべきだろうか――が、銀のトレイに皿などを乗せ、黙って去っていく。その様子を見て、Lは具体的な質問をする前にカインにこう聞いた。
「デザートはないんですか?それとも、わたしが今日のあなたの分のスイーツを奪ってしまったんでしょうか?」
「気にしないでくれたまえ。わたしはもともと、君と違って甘いものはあまり好きじゃないんだよ」
「そうなんですか……まあ、人の口の好みはそれぞれですからね。それより、まずは質問のひとつ目なんですが、何故あなたは実の父親であるレオンハルト・ローライト博士を殺したりしたんです?彼の遺伝子研究の最高傑作ともいえるこのわたしを殺すというのならわかりますが、ワタリやロジャーからは、あなたが自分の父親のことをとても尊敬していたと聞いています……それこそ、実の母のイヴと同じくらい、家族として彼のことを愛していたんでしょう?」
 いかにも不愉快だと言いたげに、カインは細い眉を吊り上げている。そのことの理由はLにも当然わかっていた――彼は、自分の母親が死ぬ原因を作ったLが、彼女のことをイヴと呼び捨てにしたり、平行して<愛>などという単語を口にするのが気に入らなかったのだろう。
「フッ……予想していたとおりの質問とはいえ、おまえの口から母の名前や愛などという言葉を聞くと、あらためて虫唾が走るな。そうとも、L。おまえの言うとおり、わたしは母同様、父のことも敬愛していたさ。だが、父の母に対する扱いようをみて、気が変わったんだよ……この男は、実に身勝手で、自分の研究のためならどんな犠牲をも厭わぬおそろしい男だとね。もっと言うなら、<エデン>の存続のためなら、母の命も息子であるわたしの命をも犠牲にするだろうと、その時はっきりわかったんだよ。いや、父だけじゃない。このエデンにいる科学者と呼ばれる者のその全員が、心の底ではそう思い、一致団結している……けどまあ、君もわたしと同じことを思っているに違いないが、エデンの体制は当時からかなりおかしかった。先ほど話にでた、リンドグレイ博士は、自分の研究に絶望して自殺したわけだが、他にも精神的な病気にかかってロジャー=ラヴィの治療を受けているような者はたくさんいたんだよ。地上へ戻るためには記憶を消すというのが絶対的条件になるからね……いくらホログラムで地上の世界をリアルに体験できたところで、一部の者には決して耐えられるような環境じゃなかったんだ。けどまあ、そういう人間の行きつく先は、結局は処刑による<死>だからね。その一方で、適応できた科学者たちにとっては、エデンという環境はこの上もなく素晴らしいものだといえただろう。何故といって、研究費のことなどまったく考えることなく、湯水のようにそれを使えるんだからね……わたしがこのエデンの環境を変えようと思ったのは、何も母のことだけが原因というわけじゃなく、それまでも<おかしい>と感じていたことを、少しばかり暴力的な方法によって変革しようとしたまでのことなんだよ」
「ですが、あなたがエデンにいる八百数十名もの科学者たちをアンドロイドを使って処刑したことは、ある程度わたしにも納得できるにせよ」と、Lはあえて人命の重さ・尊さを無視する言い方をした。「それを理屈によって理詰めで「正しい」とすることと、実際にそれだけの人間を一度に殺すことには……物凄く大きな隔たりがあるとは感じませんでしたか?というより、やはりあなたにとってはお母さんを亡くしたということが、それほどまでに大きなショックだったということなんでしょうね……そのことが、それまでも「おかしい」と感じていたことの積み重ねに直接的な火を点ける結果になった。そう考えても、よろしいですか?」
(こいつ……!!)
 カインは、自分の苛立ちを抑えるように、前髪をかきあげた。Lが今、自分のことを<ただの殺人者>として見、同情しながら殺人犯を取り調べる、警察官の顔つきをしているのに気づいたからだ。実際には、立場としては自分のほうが圧倒的に優位なはずなのに――奇妙な敗北感に似た感情が心に忍びよってきて、カインは一瞬目の色を変えた。
「まあ、なんとでも言うがいい。わたしは二十数年前に起きたあの日の事件については、今もまったく後悔していない。そしてL、おまえのことをエデンから追放した時のこともだ。汚れのない赤ん坊のまま、なんの苦しみもなくおまえが死ぬことを、わたしはどうしても許すことが出来なかった。それよりも、地獄のような地上でのたうちまわって苦悩し、苦しみ抜いて死ぬがいいと思っていたからね……どうだ、L。おまえもわたしのことを殺してやりたいほど憎いと思ったことが、何度となくあったんじゃないかね?」
「いえ、今はもうそのことはあまり問題ではありません」と、あくまでも冷静にカインの顔を見つめながら、Lは真っ直ぐに言葉を投げた。「それよりも、あなたが父親であるローライト博士にかわって、エデンを治めるようになったその後のことをお聞きしたいんですが……あなたが今も、世界各国にここが超一流の最先端をいく科学研究所であり、ここには数多くの天才的な研究者がいると見せかけていることは知っています。ですが現在、ここにはあなたの他には、アンドロイド以外に普通の人間はいない――ワタリやロジャーのその推測は正しいですか?」
「その通りだよ。ここにはわたし以外の<生きた>人間はひとりも存在しない。時には地上から人を連れてくることもあるにはあるが、一度睡眠装置に入った人間は、そこから一歩でた途端に、ここを地獄と感じるだろうからね……いつまでもいい夢をみさせてやるのが、せめてもの慈悲というものだよ」
「そうですか。では、他の質問に移りますが、ここで稼動している人造人間は全部でどのくらいの規模になるんでしょう?少なくとも、世界中に今、あなたがクローンとして送りこんだり、その他注意すべき人物としてマークしている人物は、ざっと千人以上はいるはず……その全員をあなたがアンドロイドを使って監視していることはわかっています。そして、世界各国の国防省の人間や、政府機関の人間を、風呂やトイレに入っている時まで監視するのは、まあ百歩譲っていいとしても――あなたは先ほど、父親の時代からエデンはおかしかったと言いましたよね?それなのに、何故その点を正して、世界をより良い方向へ導こうとしなかったんですか?」
「愚問だな、L」自嘲するような、どこか歪んだ笑みを浮かべて、カインは言った。「第一、今のこのエデンの現状を見てみたまえ……言ってみれば、わたしひとりの完全な独裁体制だよ。よくSF小説などではね、自我に目覚めたアンドロイドが人間にクーデターを企てる、なんていう筋立ての話があるが、そうなったらそうなったで、わたしは全然構わないんだよ。L、君はわたしが自分自身で望んで今のこの地位に着いていると思っているかもしれないが、そんなのは考え違いもいいところだ。わたしはこの<神>にも等しい王座を、自分で手に入れたくて手に入れたわけじゃない……言ってみれば、地上の哀れな人間どもに押しつけられた地位に留まっているに過ぎないのさ。リヴァイアサンの存在を知る、各国政府の裏の黒幕などは、いざとなったら自分たちにはリヴァイアサンという存在があるということが、何よりの救いなんだよ。L、もしかしたらおまえはわたしやエデンという存在を出来ることなら消し去りたいと思っているかもしれないが、地上の蛆虫みたいにか弱い連中のことも少しは考えてやるんだな。どこかの国の誰かが誤って核のボタンを押した日には――その惨状を救えるのは、このエデンをおいて他にはないということをね」
「いえ、むしろその点こそが、わたしの聞きたいところです。あなたが今現在利用しているクローン技術その他を使ったとすれば、核を廃絶することも可能なはず……それなのにそれをしないということは、あなたはリヴァイアサンという組織の重要性を世界各国に知らしめるために、むしろその点については何もしていないといったほうが正しいのではありませんか?」
「またしても愚問だな、L。わたしはね、このエデンがどうなろうと、地上が核戦争に見舞われて人類が滅びようと――どうとも思わない人間なんだよ。それでもまあ、自分なりの義務感から、この基地を守るためにあらゆる手を尽くしてはいるし、地上の人間にもそれなりの恩恵を返しているつもりだよ……たとえば環境問題にしても、海底から噴出するメタンガスを抑えるために、ある特殊な珊瑚に似た開発植物を植えたりね、そうしたことをエデンは行っているし、他にも色々、君があずかり知らぬところで、我々は良いことをしているんだ。つまり、わたしが言いたいのはこういうことだといえるかな――先ほどL、おまえは何故わたしが父を殺したのかと聞いたが、おまえが言いたかったことは正確にはもう少し別のことだったに違いない。およそ八百人以上もの研究者を全員殺さず、何故そのうちの百人でも生かしておかなかったのかと、おまえはそう聞きたかったのかもしれない……旧約聖書のソドムとゴモラの話はL、おまえも知っているだろう?」
 知っている、とあくまでも自分を取るに足らない、目下の者として扱おうとするカインに、Lは首肯してみせる。
「神は、ソドムという町が道徳的にも社会的にも、あらゆる観点から見てこの上もなく腐敗しているとして、その町を滅ぼそうとした。ところが、そのことを知ったアブラハムはこう言うんだな。『正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがない。そこにいる十人の正しい人のために、どうかその町を滅ぼさないでください』と――だが、結局ソドムという町は、神の怒りによって滅んだ。返していうなら、十人もの正しい人さえそこには見つからなかったということだ……だが、神はこの時、アブラハムの甥のロトとその家族のことは救おうとしている。わたしに言わせればまあ、L、おまえのことをワタリとロジャーに託したのは、そんなような理由によってだった。とりあえず、自分の知っている中で唯一、彼らには人間として<見るべきところがある>と思っていたからね……そして、父を殺すからには、他の科学者も全員殺さなければいけないというのは、わたしの中で完全に決定していた出来事だった。それは一体何故か?第一にそれがもっとも手っとり早いということ、第二に、父がエデンにいなくなることと、エデンが滅びるというのはイコールで結びついた事柄だったからだ。いいかね、L。八百人も科学者がいて、おのおの、好き勝手な研究をしているというのは、実に危険なことなんだよ。そこには必ず、頂点に立って全体を見通すことのできる、カリスマ的な指導者が存在しなければならない。エデンにおいては父がそうした存在だった……むしろ君や他の地上の人類は、わたしのこの英断に感謝すべきだとすら、わたしは今も思っているよ。何故なら、わたしが母を殺し、父を殺し、さらに自分の頭を拳銃で撃ち抜いていたとすれば――他の科学者たちは統制を失って、おのおのに勝手なことを行い、派閥争いの果てに自ら滅んでいたろうからね……それも、地上におそろしい破滅の痕跡を残したそのあとで」
「……………」
 カインの眼差しがまたも、残酷に一瞬輝くのを見て、Lは黙りこんだ。彼に対して最初から感じている自分の違和感――それがなんなのか、Lは今、初めてわかったような気がした。彼は誰が見ても好意を持つような、貴公子然とした顔立ちをしており、その瞳は両方とも冷たい氷のような青色をしている……だが、その右目には正しい心が宿り、左の目には狂気が宿っていると、Lはそんなふうに感じていた。だから、その両方の眼差しで見つめられると、何か矛盾したような、奇妙な気持ちに捕われそうになるのだ。
「質問は、以上かね?」
「ええ……もう結構です」と、Lは自分の膝の上に手をおきながら言った。他にも、まだ彼に対して色々聞きたいことは確かにあった……地上の環境問題にまで気を配っているのなら、このまま人口が増え続けて、エネルギー資源の奪いあいを人間がした場合、どう救いの手を伸ばすつもりなのかといったことや、彼自身がいつまでも永久に生き続けるということは不可能だと思うが、その場合はクローン人間がカインの後を継ぐことになるのかといったことも……だが、Lは突然、今のカインの回答によって、何もかもがどうでもよくなった。何故なら、彼は決して<神>ではないにしても、彼なりの信念や哲学といったものがあり、それを「間違いである」として正す権利が果たして自分にあるのかどうか――Lにとっての信念や哲学といったものが揺らいでしまったからだ。そしてそれでも、とLは思う。
「あなたに処刑される前に、最後にひとつだけ、いいですか?」
「いいとも。この際だから、なんでも言いたまえ」と、カインは優越感に浸りきったような、居丈高な様子を崩さず答える。「わたしが地球上にいる蛆虫どもの中で、唯一自分の手でひねり潰したいと思うのは、L、おまえひとりだけだからね」
「今、このエデンには、わたしの部下とも呼べる人間が、数人乗りこんできているはずです……わたしの命は最初からなかったものとして取ってくれて構いませんが、彼らのことだけは――記憶を消すなどするに留めて、助けてやってくれませんか?」
「ああ、もちろんだとも、L。今このエデンにネズミが何匹紛れこんでいるか、そんなこともわたしはとっくに承知の上だ……そしておまえが、自分の部下のニアに命じて、ここを破壊しようとしている企みについてもね。だがまあ、軍事分析家のアンディ=ウォーカーは、すでにわたしたちの手のうちに落ちている……これがどういうことか、L、君にもわかるだろう?もしニアとやらが衛星ミサイルを発射しようとしたその瞬間に――彼はおそらくいかなる手段を用いてでも彼を殺す。そしてもしそうならなかったにしても、わたしは彼と敵対しているメロを地上に戻したその後で、彼にニアのことを殺させ、Lの後釜に据えることもできるというわけだ。どうだ、そんなところで手を打たないか?」
「いえ、メロにはLは死んだが、エデンは壊滅したと、そう記憶の操作を行ってください。そしてその後でニアや他の者に対しても記憶の操作を行うということが……カイン、あなたならば可能なはずです。そうでなければ、多少厄介なことになりますよ」
「厄介なこととは、どんなことだね?」
「これです」
Lはごそごそとジーンズのポケットを探り、サイコロほどの大きさの何かを取りだすと、右手の親指と人差し指で、それを摘むように前へ突きだした。
「これは、ワタリが製造した分子爆弾です。わたしは最悪の場合に備えて――これを自分が死ぬために使おうと思っていました。あなたも知ってのとおり、これを使えば<わたし>という存在は分子レベルで消えてなくなることになります。ですから、あなたの言うブラックホール発生装置に入って消え去れという刑罰は、わたしにとってそれよりはいくらかマシな措置とも言えるわけです」
「さて、それはどうかな……人工的に発生したブラックホールに吸いこまれて死ぬのと、分子レベルで消え去るのと、五十歩百歩といったところという気もするがね。なんにしても、そんなものでわたしを殺したところで無駄だ。どうせまたわたしの代わりの者など、ここにいるラファエルかリリスが別の方法で再生するだろうからな。そうなればL、おまえの仲間のことは全員、有無を言わさず皆殺しにさせてもらう……おまえのもっとも愛する細君のことも含めてな」
「……これは、わたしの遺言のようなものだと思って聞いてほしいんですが」緑色の液体を不気味に光らせる、分子爆弾をテーブルの上に置きながら、Lは言った。「わたしは今、あなたに感謝しています。そして唯一ひとつの点においてのみ、あなたに<勝った>と思いました。確かに、これからわたしは肉体ごと「無」の世界へと運ばれ、人々の心の中に残る<L>という存在も、あなたが操作した記憶の中において、ということになるのかもしれません。それでも――おそらくわたしは、あなたがクーデターを起こさず、エデンであのあと健康に育つよりも、今置かれている自分の状況のほうが、遥かに幸せではなかったかと思うんです。十三歳の時にワタリから本当のことを知らされた時には、確かにつらかったです。生まれてこないほうがよかったのにと思ったことも、何度もありました。そして、死にもの狂いで自分の影と戦うみたいにして、あなたが裏で糸を引いているリヴァイアサンという組織を追い続けました……その過程で、たくさんの人の命が失われましたし、わたしもまた、自分の不甲斐なさを呪ったことが何度となくありました。でも、わたしのことを信じてついてきてくれる人が数多くいたということ、それが何より今のわたしにとっての<救い>なんです。それから、あなたがわたしを苦しめるというそのためだけに、ラケルにも手出ししないでおいてくれたことにも、感謝します。あなたもおそらくすでにご存じでしょうが、彼女は以前に一度誘拐され、その時のストレスのためか、流産しています。このことはわたしも口にだして彼女に言うことはできませんでしたが――わたしはそう聞いた時、内心ではほっとしていました。何故なら、あなたが妊娠中の彼女を攫う動機はあまりに大きすぎるから……そしてあなたが味わったのと同じ悲しみをわたしに与えないでくれてよかったと、今そんなふうに感じています」
「……………」
 カインは、いかにも耳障りな演説を聞いた、とでもいうように、顔をしかめている。そして、まるで「もう用はない」とでも言うように、Lに対して手を振った。まるで野良犬を追い払う時のような手つきだった。
「ではL、こちらへ」
 ラファエルは、Lにこの部屋から退出するように促し、Lもまたそれに大人しく従った。もう今さらじたばたしたところで仕方がない――Lはそう思い、一瞬目を閉じ、そしてすべてのことの覚悟を決めたのだった。



【2008/10/01 16:15 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(23)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(23)

「ティグラン―――ッ!!」
 ルーが悲鳴に近い声を上げて、自分の頭を銃で撃ち抜いた幼馴染みのそばへと走り寄る。彼は、痛々しくも、両方の目を見開いたままで絶命していた。
「ティグランっ、どうしてこんなことに……っ!!
 どうして、どうしてと繰り返し呟くルーに代わって、エヴァがそっとティグランの瞳を手で閉じさせた。いくらヒーリング能力があるとはいえ、それは生命活動を停止させた者をも生き返らせるほど、強いものではない。それに、もともとエヴァには癒せる者と癒せない者、そして癒せる傷と癒せない傷とが存在するのだ。たとえば、その病いによって死亡することが運命的に確定している者のことは、彼女の手によっても救うことは出来ない。
そしてそうとわかっていながらも、エヴァはティグランのことを自分の超能力で癒そうとした。そのことで、彼の頭蓋を貫いた傷口は修復されはしたものの、ティグランは目を覚まさない。エヴァは見えない目に涙を流しながら、幼い頃よりの自分の仲間の魂が、その体を離れていったことを認めないわけにはいかなかった。
「ラファ、いいから<リリス>と交信しろ!」
 予想外の「メフィスト」の行動に驚いたガブリエル♯2026は、一瞬呆然としていた。だが、その隙を逃さず、メロは彼女のことを容赦なく殴りつけ、さらに銃身で頭部を打ち据えると、彼女は呆気なく意識を失ったようだった。
 ラスにガブリエルを見張るように言い、メロはラファがサブシステムコンピューターに侵入するのを後ろからじっと見守った。彼の頭の中では今、ふたつの思考が同時進行している……まずひとつ目、<メフィスト>とかいう別の人格に乗っとられたティグランは、おそらく最後の力を振り絞って唯一の抵抗を試みたのだということ。そしてふたつ目が、その彼の命を無駄にすることは出来ないということだった。ティグランが自分の命を犠牲にすることで、今わずかながらの<時間>が与えられたのだ。ここの様子は監視されているか、あるいはされていないにせよ、このガブリエルというアンドロイドがいつまでも戻らなければ、別の「誰か」がやって来るであろうとことは間違いない。
 例のルシフェル・ナンバーという銃火器類が一切通用しない連中が、人海戦術とばかり、この場所へ押し寄せた場合――いくら電磁波が操れたにしても、ラファひとりしかその超能力を使えない以上、限りがあるというものだ。だが、もしここでラファがエデンのメインコンピューターである<リリス>を壊滅させることが出来れば……それが唯一の勝機と呼べるものだろうと、メロはそう判断していた。
「ダメだよ、メロ兄ちゃん。流石に情報の容量が大きすぎる。このままいくと、俺のほうが向こうに<飲み込まれる>感じだ……でも、向こうがこっちに「来い」って言ってるのはわかる。いや、「おいで」かな。なんにしても、結局ここからじゃ埒があかないよ。どっちにしても<リリス>本体のある場所まで行かないと……」
「くそっ!!」
 バシッ!と銀行のATM機に似た機械に拳を叩きつけ、メロは今度は部屋の片隅に目をやった。先ほど、このガブリエル・ナンバーと思われるアンドロイドは、何もない空間から突如として現れた。だが、その近辺をあちこち探ってみても、それらしきものを発見することは出来ない。
「おい、この売女!!起きやがれ!」
 単純に造形美ということで言うなら、絶世の美女といえるガブリエルに対して、メロの扱いは極めてぞんざいだった。顔を何度もはたき、彼女が目を覚ますと、その胸ぐらを掴み上げる。
「死にたくなかったら、正直に答えるんだな」と、メロはおそろしく歪んだ形相で、ガブリエルに対してすごむ。そしてラスがすかさず、彼女の頭にマシンガンを突きつけた。「さっき、あんたはどうやってここへ来た?もし答えなきゃ、まずは手の指を一本一本へし折ってやる」
「……………!!」
(こんなに邪悪な人間の顔は見たことがない)と思うのと同時に、ガブリエル♯2026には、メロが本気であるということがよくわかっていた。それで、震える指で、ラファがいまなお何かを操作しているサブシステムコンピューターを差し示す。
「そこのコンピューターに、空間転移装置のマニュアルが載っているはずです。それを使用すれば、エデン内部なら、どこへでも移動が可能……」
 ガブリエルが言い終わるか言い終わらないかのところで、彼女はまた気を失った。メロが容赦なくガブリエルの鳩尾に、パンチを決めてよこしたからである。
「よし、ラファ。空間転移装置とやらのマニュアルを呼びだせ。それで<リリス>のある場所まで、すぐに移動する」
「うん……でもなんか、おかしいんだよ。俺たちが<リリス>を破壊しにきたことは、向こうにもすでに察知されてる。にも関わらず、向こうは俺たちに来てほしがってるんだ」
「なんだそりゃ?ただの罠なんじゃないのか?」
 ラファが『空間転移装置』を起動し、エレベーターに似た箱型の乗り物が現れると、メロはラスとエヴァとルーをそこに乗せた。そして最後にラファのことも乗せ、自分も乗りこむ……だが、扉が閉まろうという瞬間に、目を覚ましたガブリエル♯2026がサブコンピューターに向かいかけたのを見て――間一髪、ドアが閉まるその一瞬前に、メロは<彼女>の頭蓋に狙いをつけて撃った。そして言った。
「これは、ティグランの仇だ」

 メロはこの『空間転移装置』とやらが、どういうシステムで稼動しているのかには、まるで興味がなかった。ただ、通常のエレベーターと同じように60階分の階数のボタンが示されているのを見て――迷わず60のボタンを押す。だが、『転移装置』というくらいだから、ルーの瞬間移動並みの早さで目的地に到着するだろうと思いきや、意外にも時間がかかっていた。もしや装置の故障かとも思ったが、頭上にある電光表示を見ると、確かに53、54、55……と移動を開始していることがわかる。
 それで一瞬ホッとするが、到着した途端にアンドロイドどもに取り囲まれるという最悪の事態を想定し、気を緩めることは出来ないと再び自戒した。
「ティグラン……ティグランが……っ!!」
 なおもショックから立ち直れずにいるルーのことを、エヴァが慰めようとするが、ラスは涙もなく、ただひたすら無言だった。そしてそういう彼女の様子を見て、メロは自分が彼女を好きなのは、おそらくこういうところなのだろうと、パキリ、とチョコレートを齧りながら思っていた。



【2008/10/01 16:07 】
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