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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(30)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(30)

 あれから、三か月の時が過ぎた……。
 アイスランドでは大規模な地震が起こり、ヴァトナ氷河が溶けて大洪水になったにも関わらず、世界はそれほど大きな関心をこの事柄に寄せたりはしなかった。
 そのことに対して、特別報道規制など敷かなくても、それを自然の神の怒り以外の何かであると疑うような人間は誰ひとりとしていなかったし――唯一、裏の事情に通じている者だけが、リヴァイアサンという名の超科学が生みだしたともいえる<神>の死を嘆き悲しんだという、ただそれだけだった。
 Lはラケルと約束通り結婚式を挙げ、また約束通り粘着質に再び初夜をやり直したので、彼がクローン人間である疑いについては、今では冗談の種にさえなっているくらいだった。それは何故かといえば、ラケルの目から見て、Lはある意味180度人間が変わってしまっていたからだ。
 朝は早起きし、おそろしく広い畑を耕したり種を蒔いたり、苗を植えたり……彼はリヴァイアサンについての事後処理はすべて、優秀な探偵の弟子たちに任せきりにし、今ではすっかり隠遁生活を送っているような具合だった。
 L自身、最初はそんなつもりなど毛頭なく、自分はいつまでも天職である探偵であり続けるだろうと思っていた。だがアイスランドの地下にある基地――エデンから戻って以来、決定的に彼の中で<何か>が変化してしまっていた。それが一体何で、どういうことなのかというのは、理屈屋のLにも、今もってうまく説明のできないことではあるけれど。
 ただ、いい意味でとても頭がぼーっとするのだ。そして手にまめが出来るくらい、畑を耕したり、何も考えずにそこへ種を蒔いたりビニールハウスで育てた苗を植えたりするのが、とても楽しい。そしておやつの時や食事時には、UV対策をしっかり施して、白い帽子をかぶったラケルと、これまた自分が日曜大工で作ったベンチへ腰かけ、美味しいスイーツを食べたり……何やら年金暮らしのおじいさんのようなことばかりしている。
 これまでずっと寝る間も惜しんで働きどおしだったから、リヴァイアサンという組織やエデンという地下コロニーがなくなったことにより、気が抜けてしまったそのせいだろうと、ワタリはそんなふうにLに言ったが――(果たして本当にそうだろうか?)と、L自身は疑問に思う。
 ただ、自分の心の奥底には、マグマ溜まりのような強くて深い情熱の塊が眠っていることだけはわかるのだ。それはカインやアンドロイドのラファエルが失い、そして二度と取り戻すことの出来なかった生命の原石とも呼べるもので……その存在の息づく声を聴き、脈打つ鼓動を静かに聴くことのできる今の生活を、Lはこの上もなく<幸福>だと感じる。自分を取り巻く外の自然と、内側に眠るその自然とが調和して、時々素晴らしい音楽を奏でてくれることさえある。
 Lはそこに<永遠>に続く扉が開くのを、はっきりと知覚することが出来た。そしてその扉の先には、カインもアンドロイドのラファエルも、自分のせいで死んだティグランも、彼がリヴァイアサンという組織を追う過程で亡くなった多くの人たち、すべての人たちが存在している。
 アイスランドのオーロラの輝く空の下でLが聴いた声――それは決して感傷的なものでもなければ、幻聴でもなかった。何故なら、耳を澄ませば今も、その扉の向こうで永遠の世界の住人たちが、彼に手を振ってこう言っているのがLにはわかるからだ。
(幸せになりなさい!幸せに、幸せに、ただ幸せに……!!)
 Lは人の<幸福>ということを考える時に、自分のことはあまりその勘定に入れたことが、これまでほとんどなかった。そして、自分が探偵として活動を続けることが、少なからず社会の役に立ち、人の幸福にも貢献するものだと信じてこれまで生きてきたのだ。もちろん、誰にも解くことが出来ないパズルを解く時の、スリルを味わうことが出来る面白さがついてくるという意味で、それは一石二鳥であると思っていたのも本当のことだ。
 けれど今――ただがむしゃらにリヴァイアサンという組織を追い続けた、十五年もの歳月を振り返ってみて、「誰かの幸福に繋がることだし、自分の推理力も活用できて一石二鳥だから」という自分の捜査の動機というものは傲慢で不純なものだったと、いまさらながらLはそう認めざるをえない。もちろんそこには「それは自分にしか出来ないことだし、ある意味人類の科学技術が<L>という探偵を生みだしたともいえる以上――社会の益となるよう働き続けるということが自分の義務である」との自負もあった。
 だが、カインが「正しい生き方をしている人間をコンピューターで見つけては、その行動をチェックし奇跡を贈ることに最後には絶望を覚えた」とラファエルが言ったように……自分にはもう、そのような考えを支えるだけの、探偵としての理念がないのではないかと、Lにはそんなふうに思えて仕方なかった。
<リヴァイアサン>という生きた神の科学研究所が壊滅したことを知った世界各国の裏の黒幕たちは、まるで一致団結したとでもいうように、まずはICPOの影のトップの座から、<L>を引きずり下ろしにかかり、彼はこれまで使用してきたあらゆる警察機関の恩恵を受けられなくなってしまっていたのだが――Lはそんなことに失望を覚えるというようなことはまったくなかった。というより、もともとICPOの連中とはそのような関係であったとも言えるし、何より十三歳の時、何も足がかりのない状態から探偵としてやってきたとの自負もある。もしもう一度探偵として世界のトップに返り咲きたいと思うなら、そのような既得権益に頼らずとも、Lは自分ひとりでやっていく自信だけは十分にあったのだ。
 けれど今――メロは「他にやりたいことがある」と言って<L>の座を継ぐことを放棄し、実質的にニアとギルドのトップであるセスがふたりで組んで<L>の称号を使っている状態の今……彼らふたりに任せてさえおけば、探偵<L>の名前が地に落ちることは決してないだろうと、L自身は確信していた。もちろん、何かの折にニアから相談を受けることがLにはあるし、何より「メロにしか出来ない仕事」を頼む時には、L経由でメロに依頼するといったこともあるとはいえ――自分の意志を継いでくれる若い人たちにあとのことは任せておいて間違いないだろうと、Lはそんなふうにじじむさく考えるようにさえなっていたのだ。ICPOという、表の世界の正義と秩序の象徴から縁を切られた今、<L>が殺し屋ギルドという悪の組織の裏情報を元に活躍しているという現在の状況は、ある意味奇妙といえば奇妙なことではあったけれど……それでも、「毒をもって毒を制す」というやり方のほうが、正攻法に表から善や正義をごり押しするより、むしろ世界をより良い方向へ導けるというのも本当のことだった。
(まあ、この世で起きる様々な事件については、可愛い探偵の弟子たちに任せるにしても……わたしはこれから、どうしましょうかね)
 麦藁帽子をかぶり直し、鍬で新たに土地を開墾しながら、Lは噴きだす首筋の汗を、タオルでぬぐいながらそう考える。そもそもLは、スイーツをその主食としているので、今でも十分に広いウィンチェスターの畑を、これ以上広げたところでどうにもならないと、自分でもよくわかっている。畑にはすでにじゃがいもやたまねぎ、にんじん、カブ、かぼちゃ、いんげんなどなど……Lが自分で食べるためのものではない作物が、秋の収穫に向けてどんどん育ってきている。このうちの一部は、近くにあるワイミーズハウスの子供たちが植えたもので、今回のこの収穫が無事うまくいったとしたら――その野菜や果物などはすべて、彼らの給食にしてもらおうというのがLの考えだった。
「えるーーっ!!冷えたレモネードを持ってきたから、少し休まない!?」
 白いワンピースを着た人影が、光を背にして、顔を上げたLの瞳に眩しく映る。彼は汗でべとべとの白い長Tシャツに、泥のはねた紺のジーンズという格好をしていて――ひどい猫背の不恰好な姿勢のまま、鍬をふるっていたわけだが、その手を一度休め、愛する人のいる方向へのそのそ歩いていく。
「ああ、喉が渇いて死にそうです」
 言いながら、Lはラケルの手渡してくれた、よく冷えたレモネードをごきゅごきゅ飲み干していく。そして彼女と連れ立って大きな菩提樹の根元まで歩いていくと、そこでストロベリージャムやマーマレードの挟まったパンをむしゃむしゃと夢中になって食べた。
 ラケルはそんなLの横で、バスケットに入れてきた新しいタオルを出しながら、彼の背中に手を突っこみ、汗を拭いてあげたりしている。
「もう十分畑も広いと思うけど……まだこれ以上広くするつもりなの?」
 無我夢中にがっつくようにサンドイッチを食べていたLが、人心地つくと、今度はフローズン・フルーツをラケルは彼に差しだす。するとLはマンゴー味のそれを、嬉しそうに体を左右に振りながら食べていた。
「しょうですねえ……もぐもぐ。わたしひとりと、あなたの手伝いがある程度では、これ以上手を広げても仕方ないってわかってるんですけど、まさか作物を育てるということが、こんなに楽しくて面白いとは知りませんでしたので……畑いじりや土いじりをしていると、時々頭が真っ白になって自分が無になれているように感じる一瞬があるんです。いってみればその一瞬のためにまた畑を耕したくなるというか……もっともわたしにも、自分が食べるためのものでない作物のために、なんでこんな苦労をしているのか、合理的に説明はつかないんですけどね。まあ、暫くはこれをしているのが楽しいので、もう少しやってみたいと思っています」
「そう。手伝える時にはわたしも手伝うから、いつでも携帯で呼んでね。そういえばさっきビニールハウスでイチゴ摘みをしてたら……ワイミーズハウスの子がアベルさんはいませんかって来てたのよ。こっちのほうへ来なかった?」
「いえ、来てませんね。というよりその子は、カイル……いえ、ワイミーズハウスでは<K>ですか。その子だったんじゃないですか?」
「うん、そう。なんでもね、新種の薔薇を開発したいから、温室の一部を貸してほしいんですって。あとでアベルさんにも聞いてみるけど、たぶんいいって言ってくれると思うわよって言っちゃった。そのくらい、べつにいいわよね?」
「まあ、べつに構いませんが……あの子は将来植物学者になるのが夢みたいですから、将来の学者先生の役に立てるのであればお安い御用ですよ。ところで、ラケル。子供を一ダース以上作るという我々の計画はどうなっていますか?」
「えーと、それが……」と、ラケルは一瞬顔を曇らせている。「あの、わたしの勘違いだったみたい。生理がちょっと遅れてきてたっていうだけで、今朝、その……それがあって」
「そうですか。ではまた一週間後が楽しみです」
 頬を赤く染めているラケルに向かって、Lは彼女に自分の麦藁帽子をのせた。そしてどこか不敵な顔で微笑むと、「どっこらしょ」といかにもじじむさく腰を上げ、再び野良仕事へ取りかかる。
「今日の晩ごはんは、えるの好きなイチゴずくしのフルコースよぉぉっ!!」
 最後にそうLに向かって叫び、ラケルはバスケットを手にして城館のほうへ戻っていく。まるで嬉しそうにスキップする少女のような後ろ姿の彼女を見て、Lはまた笑いながら首にかけたタオルで汗を拭った。
 ――アイスランドから戻ってきて以来、Lは何故か自分の子供が欲しくなっていた。果たしてその心境の変化といったものを、どう説明したらいいのか、彼自身にもよくわからない。少なくとも、ずっと前まではこう思っていた……自分の呪われた遺伝子を持つ子孫など誕生してはいけないし、ゆえに自分は生涯独身でいようと。けれど人生というのは本当にわからないもので、自分との間に子供がいてもいいという女性が現れてくれたのだ。
(こういうのを、約67億分の一の奇跡というんでしょうかねえ)と、あらためてLはしみじみとそう感じる。
 自分の遺伝子がもし仮に呪われたものであったにせよ、ラケルの遺伝子と自分のそれが混ざりあうことにより、その呪いは解けて清められ、祝福されたものになるだろうと、Lは漠然と信じていた。そして自分の愛する人との間に新しい生命を授かることは――それはまさに『奇蹟』としか言いようのないことだと、そう強く感じる。
 つまるところ、物事というのは難しく考えなくても至ってシンプルなものなのだ。人間は大地を離れては生きていけないとよく言うが、<真理>とか<真実>というのは、一度知ってしまえば「ああ、そんなことか」というようなことである場合が極めて多い。
 カイン=ローライトが、万能といえる<神>の力を手にしていながら、最後にはやはり母親の愛情に帰結したように――母なる大地の力、ここから離れては人間は生きていけないのだと、Lは新しく開墾した土地から、いばらやあざみを取り除きながら考える。
エデンのマザーコンピューターである<リリス>のICチップは今、ワタリが厳重に管理をしているものの、いつか本当に人間がその愚かさから核戦争を起こした時には、彼女自身が言ったとおり、人間には<リリス>が必要になるだろうかと、Lは思う。科学の持つ力の特性として、「一度<そうなる>ともう元には戻れない」という性質があるが、少なくとも彼女には今は眠り続けてもらうしかないだろう――そして、いつまでも彼女の力がまったく必要のない平和な世の中が続くことを、Lとしては願うばかりだった。
 そうなのだ。Lは今、十五年という自分の探偵生活を振り返ってみて、ただがむしゃらに走り続けていたあの頃のほうが、ある意味では楽ではなかったかという気持ちになることがたまにある。何故なら、自分の命そのものが懸かっているという大義名分を盾に、あらゆる言い訳がその時には可能であったからだ。けれど今、とても平和で幸せな身分になってみると――不思議と、この状態を維持し続けることのほうが遥かに難しいことではないかと気づく。何より、平和を保つこと、幸せを保つことには本当の意味での人間としての<力>が必要であるからだ。
「アベルさあぁぁん!!」
 スケッチブックを片手に、じゃがいも畑の向こうから、ひとりの少年が駆けてくるのを見て、Lはまた眩しそうに目を細める。<K>こと、カイルという少年は、今ワイミーズハウスでトップに立っている子供だったが、彼は花や草木が大好きで、Lの昆虫コレクションのある部屋を見てからは、その昆虫の絵をスケッチしに、よくウィンチェスターの城館へ遊びにくるのだった。
「僕ねえ、いつか新種の薔薇を自分のこの手で育ててみたいと思ってるんだけど、その時にはアベルさんに、名前をつける権利をあげてもいいよ」
 早めに仕事を切り上げて、スレート葺きの屋根の城館へ向かっていると、カイルはLと並んで歩きながら不意にそんなことを言った。
「そうですか。じゃあ……その時には、『ローライト』ってその薔薇に名づけてくれませんか?お願いします」
「ローライト?何かその言葉には、特別な意味でもあるの、アベルさん」
「ええ……」と、Lは無邪気に笑うカイルに向かって微笑み返す。彼はどこか顔立ちが、彼の知るもうひとりの<K>に似ているのが不思議だった。「その名前は、わたしにとって本当に特別な意味を持っています。いつか、あなたがもっと大きくなった時にでも、薔薇の名前の由来についてお話できるといいのですが……いつかあなたがその夢を叶えたら、きっと教えてあげますよ」
「ふうん。なんだか謎めいていて、面白そうだね。僕、絶対に忘れないでそのこと、大人になってからも覚えてるよ!」
 偶然、途中の花畑で、食卓に飾るための花を摘んでいたラケルと一緒になり、Lとラケル、それにカイルは、親子のように三人並んで歩いていった。
 まるで天国のように花の咲き乱れる、イギリスの六月を背景にしながら……。



     終わり





   ~メロとニア、そして超能力を持つ子供たちのその後について~

 メロ=表の世界では、F1ドライバーとしてカリスマ的人気を誇るレーサーだが、裏の世界ではエラルド・コイルという探偵の称号を持っている。その他ダカール・ラリーの王者としても広くその名が知れ渡るようになるが、ある日忽然と表の世界から姿を消す。その後の彼の消息については誰も足取りを知る者はないが、おそらく再び探偵稼業に戻ったのであろう。籍は入れていないが、有名宝飾デザイナーとの間に一子あり。

 ニア=元殺し屋ギルドのトップであるセスと組み、現在も<L>として活動中。一度はICPOの影のトップの座を追われた<L>ではあるが、今では昔と変わらぬ権威を取り戻すに至っている。その後背は伸びたが、偏食家なのは相変わらず。ジェバンニは彼のお陰でFBIの長官にまで上りつめるも、政治的陰謀に巻きこまれてのちに辞職。最後まで器用貧乏で終わった彼だが、リドナーとはラブラブな関係を今も保っているようだ。

 セス=面倒くさがりながらも、ギルドのトップとしての職務をその後も長く継続し続ける。ニアとは終生に渡って良きパートナーであったと言えるが、本人同士は絶対にそのことを認めない。ニア同様、生涯に渡って独身を貫く。享年40歳。

 ボー=ミュンヘン音楽大学卒業後、バイエルン国立歌劇場でテノール歌手としてデビュー。ヴェルディ・プッチーニなどのイタリアオペラ、ワーグナーなどのドイツオペラ、その他フランスオペラにも幅広いレパートリーを持ち、ポスト三大テノール歌手としての呼び名を高める。晩年には指揮者、歌劇場芸術監督としても活躍。彼の歌声は女性の心と魂をとろかすほどの威力を持つと称えられ、声量・技術・人柄ともに世界中の人々から愛された。
ソプラノ歌手の細君との間に一男一女の子供あり。

 モーヴ=画壇で彼の名を知らぬ者はないと言われるほどの傑人ではあるが、本人はむしろ名声を怖れて作品のスタイルを変えては、異なる名前で絵画や彫刻作品を制作していると言われる。延命の薬の服用を拒んだ彼ではあるが、のちにセスが食事にこっそりそれを混ぜていたことが判明。「いつまでも気づかない君が馬鹿なんだよ」と笑われる。
 画家のリンダ=デュウェインの孫と展覧会で出会って結婚。彼はピカソと同じ年齢まで長生きし、たくさんの子供にも恵まれた。

 エヴァ=NPO<ユグドラシルの会>の代表。この会の後ろ盾としてワイミー財団が強力なバックアップをしてくれたお陰で、世界中のあらゆる国々の貧困層の人々を助けてまわる。薬の投与によっても彼女のヒーリング能力は失われなかったため、人からはわからぬように時々隠れて奇蹟を起こす。正式なカトリックの修道女ではないが、神に終身誓願を立て、実り多い豊かな人生を終える。

 ルー=数学の七大難問と言われるもののひとつを解き、25歳の時に数学のノーベル賞であるフィールズ賞を受賞する。終生に渡って「数学の魔法使い」の名前を欲しいままにするが、数学界では「魔女」と仇名され、以後様々な論争に巻きこまれるようになる。晩年近くになって、ノーベル物理学賞を二度授与されることになるなど、ルースリア=リーデイルの名前は歴史に刻みこまれて今日も消えることはない。

 ラス=宝飾デザイナーとして有名になるが、その後服飾業界にも手を広げ、『ラクロス』というブランド名は世界中の人々にとって耳慣れたものとなる。本人は現代のココ・シャネルという呼び名を嫌っているが、晩年にはモデル業界の重鎮として誰からも一目置かれる存在となる。
 F1ドライバーの恋人との間に娘がひとりあり。

 ラファ=変人として有名な、動物行動学者。同時に、マイクロソフトに対抗しうるほどのシェアを獲得しているソフト・ウェア会社の会長。業界における彼の登場はセンセーショナルなものだったが、それは私財を投じて動物を保護するための大規模な事業を計画するなど、彼自身の奇人マジックが一般の人々の心に訴えたからでもあると、経済学者は分析している。環境問題にも熱心に取り組む事業家で、温暖化を防止するためのプロジェクトに赤字ギリギリの寄付を行っていることでも有名。世界を牽引するリーダーシップをとれる人物として、各界から注目の集まる時代の寵児である。

 L&ラケル=今もウィンチェスターの城館で仲良く静かに暮らしている。子供は一ダースではなく、ひとりしか生まれなかったようだが、パパと瓜ふたつと評判の男の子に、ワタリはでれでれらしい。
L自身は裏の事情通として、今でも独自の活動を続けているが、<L>の称号はニアに譲ったために、今は別の名前で探偵として動いているようだ。
 愛妻家で子煩悩なLは、何より家族が一番というある意味平凡な家庭人におさまったとも言えるが――幸せというものは多くの場合、平凡さというものと表裏をなしているものである。
 願わくば、Lにとってのこの幸福が永遠に続きますように……。



     終わり




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【2008/10/03 16:01 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(29)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(29)

(さようなら、L。わたしの可愛い子……)
 ラファエルはLのことを見送ったあと、再びカインのいる部屋へと戻った。ミカエル・ナンバーのアンドロイドは神経ガスによって眠るようにその活動を停止させていたし、ガブリエル・ナンバーとルシフェル・ナンバーにしても、その全員が化学薬品の注入によって同じ運命を辿った。それは完全な<死>ではないにしても、大体のところ似たようなものであるといえる。
(最後は、わたしの番ね……)
 水槽に浮かぶ、グロテスクな灰色の脳味噌を指でなぞり、<彼女>は優しく我が子に向かって微笑んだ。そして彼が幼い時、まだローライト一家が幸せだった頃の思い出話をいくつかした――そう。<彼女>は今、普段表層意識にでている「ラファエル」とは別人だった。
「ねえ、カイン。あの頃は本当に楽しくて、良い時代だったわね。お父さまと三人で、時々は地上の国々を旅行することもあったし……とても幸せだったけど、きっとその時からすでに何かが間違っていたんだわ。でもあなたには罪はないの。それはね、お父さまとお母さまがあなたのために半分ずつ、受け持たなくてはいけないことだったのよ。でもあの人は、死んでしまった。他でもない<わたし>が殺してしまったのよね」
「ラファエル」は時々、極上の夢を見せるこの睡眠装置が、正常に作動しているかどうかをチェックするために、マスターであるカインの脳を水槽から取りだして入念にチェックしていた。そして脳に電極をさし、彼が見ている夢の内容を映像化したものを、覗き見るのである……カインが眠りについたのは、今から十二年ほど前のことだったが、そろそろ運命のあの瞬間が彼の人生に襲いかかるはずだった。いや、このドリーム・マシンはもしかしたら、彼に可愛い弟が生まれるという設定を用意するかもしれないが、結局のところカインはその時点から人生をやり直すというより、そこで死ぬということになるだろう。
 イヴはそのことを思うと、たまらない気持ちになり、涙を流したが、それは人間の涙に似せた成分が、両方の瞳から流れでただけだともいえた。そもそも、自分とは誰か、<わたし>とはなんなのかという問いに対して、イヴは答える術を持たない。ただ覚えているのは、「ラファエル」がマスターであるカインが眠りについた時――深く傷つきショックを受け、ひどい絶望状態、人間でいうところの鬱状態に陥った時に<自分>が生まれたということだけだった。
 気の狂った母親の脳を、もう一度他の人造人間などの脳と入れ替えてみたところで、その頭が精神病から回復する見込みは低い。それでもカインは母であるイヴの肉体に強い執着があったため、その脳を自分のもっとも愛するしもべであるラファエルの中へ埋めこみ、残りの遺体については引き続き冷凍保存しておいたのである。
 もちろん、ラファエルがカインの母親のイヴの人格を有することはなかったわけだが――それでもそうすることで、カインとラファエルの互いに対する信頼度や愛情といったものは増したし、ついにはイヴの意識が二重人格のような形で発症するまでになったのである。
 つまり、いつもはイヴは「ラファエル」の行動をただ見守っているだけであり、彼の見るものを見、触ったものの感触などを同じように共有しているだけにも関わらず、それでも時々、今のようにイヴの人格がラファエルを押しのけて、外へでてきてしまうということがあるのだ。
 イヴは先ほどLが、「自分が彼女のことでどれほどつらい負い目を負ったか」と言った時、思わず涙がでそうになった。その時はまだ彼女はラファエルの意識の深層に閉じこめられたままではあったが、彼らの話す言葉は聞こえていたし、ラファエルの目を通して、Lがどんな姿をしているのかもわかっていた。
 Lは彼女の夫にも、カインにも、また自分にも当然似ていなかったが――それでも、赤ん坊の彼を妊娠していた時のことを、イヴは今もはっきりと思いだせる。彼女はいまではすっかり正気に戻っていたが、自分の頭がおかしくなりはじめたのは、彼を妊娠して三か月目くらいの頃だったことを思いだす。
イヴの頭がおかしくなった直接の原因、それは<夢>だった。毎夜のように悪魔のようなおそろしい存在が現れては、この子は生まれてはいけない子供なのだといった。もし生めば、地上に災いをもたらし、赤ん坊を身ごもったおまえの腹をも引き裂くだろうと……悪夢は毎日のように続き、彼女はやがて眠れないようになり、朝と夜の区別がつかず、やがては現実と夢の境目がわからなくなった。
 でも結局――「自分はどうなってもいいから、この子のことを助けてください」と夢の中で彼女が祈った時に、光が生まれ、そして同時に闇が生まれた。どうもお腹の赤ん坊は助かったようだけれど、そのかわりにおそろしい悪魔のような存在が、彼女の肉や骨をかじり、再びその部分が再生するのを待ってから、そこをしゃぶるということが繰り返された。
「あんな子供さえ生まなければ、いなければ、わたしは今ごろこんな目に合わなくてよかったのに……っ!!」
 そう叫ぶと、悪魔のような存在たちはとても嬉しそうに喜んでいた。そして「自分はどうなってもいいんだろう?あの美しい高貴な心はどこへいった?」と勝ち誇ったように嘲笑うのだった。
 その夢は現実としか思えないほどリアルではあったが、ただひとつ、彼女にも救いのようなものはあった。視覚・聴覚・触覚といったものは生々しいほどはっきりしているのに、唯一痛覚のみは失われているので、悪魔どもに生贄として食われても、痛みのようなものはまったく感じないということだった。それでも、痛みもなく自分の手足が失われ、それをなす術もなく無力に見守るしか方法がないというのは、相当に気味の悪いことである。これはまったく同じことを経験した者でなければわからないことだろうと、今も彼女はそう思う。
 だが、自分の愛しい息子が彼女のことを殺した時、イヴはそうした悪夢のすべてから解放された。「お母さん、お母さん……っ!!」と言ってカインが彼女の首をぐいぐいと締めて寄こした時――その最後の一瞬に、イヴは優しく息子に向かって微笑みかけていた。坊や、これでいいのよ、と。
 そしてその次に彼女の意識が覚醒したのは、<ラファエル>の中でだったのだ。その間の記憶がまったくないということは、おそらく自分は悪魔どもの生贄とされることもなく、ただ<無>と呼ばれる空間にいたのだろうと、イヴはそう思う。最初のうち、自分はまた新しく、奇妙な夢を見ているのかと彼女は思っていたが、自分が生んだもうひとりの子が生きており、無事に成長していると知った時には嬉しかった。
(本当は、最後のあの瞬間、あの子を思いきり抱きしめてあげたかった……でもそんなことを今更してもなんにもならないわよね。本当はあなたを生んだ人は、あなたのことを守りたかったのよ、愛していたのよって伝えてあげたかったけれど……)
 そして、でも、とイヴは思う。Lのことよりも、今は自分と血の繋がったカインのほうが、ずっと不憫で哀れだと。
彼女はモニターでリリスの状態や全エデン内のアンドロイドがどうなったかを確認すると、最後に愛しい息子の生命維持装置のプラグを抜いた。
「大丈夫よ。きっと全然怖くないわ……お母さんが一緒に死んであげるからね、カイン。わたしの可愛い子……」
 ――カインはこの時、夢を見ていた。生命維持装置が作動しなくなってからも、彼は夢を見続けた。そしてそこで、死んだはずの母親と会った。彼女は腕の中に小さな赤ん坊を抱いていて、彼にとって初めての弟の顔を、少しかがんで見せてくれたのだ。
「この子の名前、なんにしようかしらね?お父さんも一生懸命考えてるみたいだけど、カインも一緒に考えてみる?」
「うん!!お母さんがイヴで、僕の名前がカインだから、この子のことはアベルって名づけるといいと思うんだ。でも僕、この子がおっきくなって僕より成績がよくっても、そのことを嫉んだりなんかしないよ。聖書のカインみたいにさ」
「まあ、カインったら……」
 ――彼の見続けているこの夢が、果たして天上での第二の生と繋がっているのかどうか、それは誰にもわからない。



【2008/10/03 15:55 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(28)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(28)

「ここは、一体……!?」
 Lがラファエルに案内された、秘密の部屋へと続く空間は、またしても暗闇につぐ暗闇だった。Lは最初、ナイアガラの滝のホログラムといったようなものはすべて、自分にいる場所をわからなくさせるための目くらまし効果を狙ってのものだろうと思っていたが――先ほど世界の海洋生物を保存した水族館を通った時に、ワタリがくれた見取り図によって、自分がエデンのどの地点にいるのかはわかっていた。
 だが、今ラファエルが案内した通路、ここには地球上からは絶滅したはずの生物が左右に剥製として並んでおり、そのことはすなわち、エデンにはこれら絶滅生物を再び復活できるほどの力があることを示している……そして、このようなものがある空間については、ワタリがくれたエデンの見取り図内にも存在しないのだ。
「驚かれましたか?<マスター>の父親であるレオンハルト・ローライト博士は、遺伝子の錬金術師と呼ばれた人物でしたから、DNAの合成により、地球上で絶滅した生物をも甦らせることが可能だったんです。たとえば、マンモスは1万年前に絶滅したと言われていますが、シベリアの永久凍土に埋もれたマンモスの死体からDNAを採取して、近縁種のゾウを代理母に使えば……もう一度この地上にマンモスを復活させることが出来るわけです。同じ方法によって、不完全なDNAの断片しか得られなかったとしても、生物には近縁種というものが存在しますから、欠けたDNAの設計図を推測するということは、十分可能なわけです」
 まるで、博物館の優秀な学芸員のようにラファエルはそう流暢に説明する。マンモスにはじまり、絶滅種の代表としてよくその名の上げられるドードー鳥、カスピトラ、ニューファンドランドシロオオカミ、ドウソンシンリントナカイ、アスエロチュウベイクモザル、ブルーバック、シマワラビー、フクロオオカミ……などなど。その多くが賞金目当てや毛皮目当て、ハンティングといった人間の身勝手さが絶滅の原因とされる動物たちに囲まれて、Lは一瞬言葉を失った。彼らに対して人間が償うためには、そのDNAを復活させるというよりも――何かもっと大切なことがあるような、そんな気がしたせいかもしれない。
「その後、博士は絶滅した恐竜を復活させられないかどうかと研究していたわけですが、その研究の途中で自分の息子に殺されたというわけですね」
 まるで、彼が死んでよかったというような顔を、ラファエルがしているように思うのは、Lの気のせいだっただろうか?カインのクローンが存在したように、彼の父親のローライト博士もおそらくは、自分にもしものことがあった時のために、DNAなどを当然保存していたはずである。もしそうであるとすらなら……。
「残念ながら、その憶測は違いますよ、L」と、ラファエルはまたもLの思考を見抜いたように、くすりと笑った。それは人間以上にどこか人間らしさを感じさせる笑い方だった。「ローライト博士のことは、このわたし自らが手を下して殺したんです……彼はその最期の瞬間、惨めにもこのわたしに対して命乞いをしていました。そして自分の息子にこう言ったんです。『母さんのことはすまなかった。わたしのことを殺して気がすんだら、どうかもう一度わたしのDNAを復活させてほしい』と。ですが、<マスター>……カインは、人間の生命というものを弄び操る父親に対して、無常にもこう宣告したのですよ。『あなたの肉体も魂も、永遠に甦ることはないだろう』とね。その時のレオンハルト・ローライトの絶望した顔を、出来ることならL、あなたにも見せてさしあげたかった」
「……………」
 Lは沈思黙考した。このラファエル♯001というアンドロイドはもしや、Lが最初に会ったミカエル・ナンバーや、その他ガブリエル・ナンバーのアンドロイドなどよりも、実はもっとも人間に近いのではないかという気がしたのだ。そして、アンドロイドの中でも本体――オリジナルのカイン・ローライトがもっとも信頼し、唯一の友とした存在なのではないのだろうか?
「どうしました、L?ローライト博士は、あなたにとっても敵のような存在ではないかと、わたしはそう思っていましたが……あの男が遺伝子のかけ合わせによって、あなたという存在を創造し、この世に誕生させることさえしなければ――あなたとカインがこうして争うこともなかったでしょう。もっとも、もしそんなことでもなければ、わたしは今ここにこうして存在していなかったでしょうけどね。だからL、わたしはあなたに感謝しているのです」
「どういう意味ですか?」Lは、ラファエルのことが突然、油断できない敵のように思え、警戒するようにそう聞いた。「わたしは、レオンハルト・ローライト博士のことは、どうとも思っていませんよ。うまく説明することは出来ませんが、わたしが彼のことを恨まずにすんだのは……おそらくは彼のかわりに父親となってくれた、ワタリのお陰です。もし、幼い頃より<父性>というものを彼が与えてくれなかったとしたら、わたしは自分のアイデンティティといったものを保てなかったでしょう。そういう意味でワタリは、ある意味教師として、わたしに進むべき道を指し示してくれた、とても大切な存在です。最初のその方向づけがもし間違っていたとすれば――わたしは今ごろどうなっていたか、想像もつかないくらいですから」
「あなたの呼ぶワタリというのは、キルシュ・ワイミーのことですね?彼は失った婚約者を甦らせるために、ローライト博士の元で遺伝子学の研究を最初はしていたんですよ。ですが、死んだ者は二度とは甦らない……DNA的には彼のフィアンセを復活させることは可能でも、それは彼の愛した女性とは、やはりある意味別人なのです。そのことに気づいたワイミーは、今度はタイムマシンを製造することに血道を上げ、それを完成させるも、過去であるヴィジョンを見たことにより、初めて婚約者であった女性の死を受け容れるわけです……ロンドンで空襲があった時、彼女はリンダという小さな少女の命を救い、その代わりに死亡したのですよ。ワイミーはその過去を変えようとしましたが、何度時間を巻き戻してみても、結果はふたつにひとつでした。そのリンダという少女が死ぬか、それとも自分の婚約者が死ぬか……リンダ・デュウェインは、その後戦争をテーマにした作品で画家として有名になりましたから、あなたも名前くらいは聞いたことがあるかもしれませんね」
「……………」
 Lはまた黙りこんだ。ワタリは、Lにさえも、エデンで自分が行っていた実験について、詳しく語ろうとはしなかった。ただ、『わたしは罪を犯したのです。それも神にさえ赦してもらえぬ大きな罪を……』と、まるで自分に救いを求めるように頭を垂れる彼を見て、Lもそれ以上その罪を追求するようなことは聞けなかったのだ。
「あなたは、本当になんでも知っているんですね。二十七年前にここエデンで起きた悲劇についても、その前から八百名以上もの科学者のうち誰が、一体どんな研究を行っていたのかについても、すべて……」
「いえ、わたしが今あなたに話したようなことは、すべて後知恵のようなものですよ」と、絶滅生物たちが剥製として並ぶ回廊を抜けた突き当たりの壁――一見して、何もないように見える闇の壁にラファエルが手を翳すと、そこから一瞬赤外線に似た赤い光線が壁全体に照射された。おそらく、アンドロイドはその全員が同じ顔・同じ特徴を有しているために、<彼>の全身の識別コードか何かをコンピューターが認識しているに違いなかったが、それがなんなのかといったようなことは、Lは特に聞きたいとは思っていなかった。
「どうぞ、こちらへいらしてください、L。この奥の部屋に、わたしが<マスター>と呼ぶ、あなたがこれまで宿敵としてきたであろうカイン・ローライトのオリジナルが存在します。もっとも、あなたが想像しているような姿形はしていないかもしれませんが……」
(どういう意味ですか?)と、Lが言葉を口にのせる前に、目の前に現れた巨大な水槽につかる脳味噌を見て――ラファエルの言った言葉の意味を、Lはよく理解する。
「……………!!」
 そこには、特殊な溶液に浸された、ひとりの人間の大脳・中脳・小脳・間脳・延髄といったものが納められた、水槽のようなケースがあるばかりだったからだ。
「驚きましたか、L?」と、ラファエルが婉然と微笑みながら言う。
「いえ、予想の範囲外ではありませんでしたが……それでも、こんなに無防備な彼の姿を、この目で見ることが叶うとは思っていませんでした。ですから、そういう意味では多少、今わたしは動揺しています」
 ラファエルが室内の照明を指を鳴らして点けると、Lが最初に見たカインの脳味噌が納められた水槽は、ちょっとしたグロテスクなインテリアのようにも見えた。つまり、革張りの白のソファに黒檀のテーブル、その他ワインセラーがわりのキャビネットなど――室内はよくある都会風のモデルルームのようだったからだ。もっと言うなら、1980年代の人間たちがよく使用したインテリアの良き例のひとつ、とでもいったところだろうか?
「ここは以前は、マスターが居室のひとつとしていた場所ですが、カイン様が眠りにつかれて以後は、時々わたしが使用しています。何より、わたし自身がマスターのそばにいたい、そのために……」
 灰色の脳味噌が浮かぶ不気味な水槽を、ラファエルはうっとりと見つめ、そしてそこに頬ずりした。Lはそんな<彼>のことを視界の端におさめながら、頭の中ではめまぐるしく推理の糸を張りめぐらせる――このことは一応、Lが考えていたシナリオのうち、「想定外」としていたことではない。だが、今こうして自分がこれまで地上で最大の敵としてきた男の、変わり果てた姿を見ていると、極度に虚しい感情が押し寄せてくる。何より、彼の選択したこのことの意味については、これからじっくりラファエルに説明しもらわなくては……。
「どうぞ、ずっと立ったままでおらず、そちらへお掛けください。お出しできるものといえば、ワインかシャンペンくらいのものですが、おひとついかがですか?」
「いえ、結構です」ぐらり、とどこかふらつくような足どりで、Lはソファの上に腰かけた。そんな彼のことを、ラファエルが横から受けとめるように支えてよこす。
「すみません。どうもまだ、混乱しているようで……」
「無理もありません。<マスター>は……いえ、カイン様は、ずっとあなたのことだけを、気にかけておいででした。確かに、先ほどあなたが会ったカイン様のコピーとクローン人間は、元を正せばカイン様本人を元にプログラムされていますからね、ひとつの可能性として、彼があなたのことを憎み続けるというシナリオは、十分考えられることではあります。ですがまあ、オリジナルの本体であるカイン様は、L――あなたが『探偵』という道を選んだ時に、あなたのことを赦そうと、そうお決めになっておられたのです。遺伝子的に、あなたという存在はこの上もなく能力的に卓越した人物として育つであろうことは、カイン様にもわかりきっていることだった……ですから、あなたが仮に医師になろうと弁護士になろうと、その他どんな職業を将来選んだとしても、カイン様はまったく驚かれなかったでしょうね。あるいはオリンピック選手として歴代のどのスポーツ選手もなし遂げえなかった快挙をなし遂げたにしても――もしあなたがその程度の存在であるなら、ただの塵あくた、地上の虚しい虫ケラとして、あなたのことは放っておいたかもしれません。ですが、L、あなたはカイン様がまるで考えもつかなかった方法で、彼に盾突こうとした。そしてその瞬間にマスターは「負けた」と思ったのだそうですよ。それなら自分はいかにも悪役らしい役を演じてやろうということで、自分のクローン人間とあなたを戦わせることにしたわけです」
「待ってください。そんなことって……」と、Lは膝を抱えこみながら、水槽の中のカインの<本体>を、直視するように言った。「わたしが実際にここ、エデンへやって来るまでに、たくさんの人命が犠牲になってるんですよ?それなのに、わたしとの勝負をゲームのように彼が考えていたなんて……わたしがこれまで、彼の母親のイヴのことを負い目に感じ、苦しんできた日々は一体なんだったんですか?そのためにわたしは、寝る間も惜しんで自分の影と格闘するように虚しく生きてきたっていうのに――その原因を作った彼は、とっくにわたしを許していた?だったら、もっと早くにわたしのことをここへ招いて、一言こう言ってくれたらよかったじゃないですか。『L、わたしはおまえを許す。これからは地上と地下とで、仲良く共存していこう』と。それだったらわたしにだって、もっと他に色々な選択肢があったかもしれないのに……」
 Lにしては珍しいことだが、この時彼は見ようによってはあまりに呆気ない<真実>を前に、戸惑い、また頭の中が混乱していた。そのせいで、一部まともに思考回路が働いていないほどだったのである。
「極論を申し上げるとすれば、この地上で起きることはすべて、言ってみればゲームのようなものです」と、至極真顔なまま、ラファエルはLの隣に座り直し、そう答える。「かつて米国と旧ソ連が冷戦状態にあった時、エデンの科学者たちはこう考えていました……核戦争などとんでもないおそろしいことだと建前では言いつつ、そのような事態になることを、同時に楽しみにしながら待っていたのです。何故なら、その時こそエデンと呼ばれるこの科学施設の出番ともいえる瞬間なわけですからね。わたしがこれまで人間を観察していて思うに、<ニンゲン>という生き物のうちにはそもそも、そういう傾向を払拭しきれないところがあるように思います。たとえば、2001年に起きた9.11.テロ事件にしてもそうですが、あの事件が起きた時も、ひどくおそろしいことが起きてしまったと認識するより、とてもドラマティックでわくわくするような、これからどうなるのかといった、一種映画を見るような傍観論といったものは、多くの人間のうちに存在していました。まあ、マスターが眠りにつかれたのは、それよりずっと以前のことですけどね、そうした人間の心のうちの罪性といったものを、カイン様はよくご存じでおいででしたよ。ですから、<リリス>がコンピューターで検索し、彼にとって邪魔な存在といったものについては情け容赦なく次々と殺していかれました。そうですね……L、あなたはおそらく、法に触れない生き方をしている人間のことを、その者が精神的にいくら堕落していようとも、最後まで救おうとするのかもしれませんが、その点カイン様はニンゲンという生き物のことをそんなには尊んでおられなかったのは事実です。いってみればひとつのゲームの駒のようなものとして扱っていたとも言えますが、その代わりに<リリス>が人間として正しい生き方をしていると判断した者のことは、ひとりひとりよくその行動をチェックして、奇跡を贈るということも、何千回となく行っておられましたね……ですが、どんな良い人間も、金が手に入った途端に人が変わったりするというのはよくあることです。そこでカイン様は、そうした人間のありとあらゆる心の層をご覧になったあと、『わたしは疲れたよ、ラファエル』とそう一言おっしゃいました。そしてあなたがあらゆる精神的苦難にも関わらず、立派な心根を持つ人間として成長しそうなのを見て――潔くご自分の負けをお認めになったというわけです」
「そんな……じゃあ、わたしはこれまで本当に、一体なんのために……」
 Lは髪の毛をかきむしり、頭を膝の中へ抱えこんだ。何故かはわからないが、自分の命が無事助かりそうな見通しが持てそうだというにも関わらず、素直に喜ぶということが出来ない。むしろ、今Lは自分こそがカインに真の意味で<負けた>ようにさえ感じはじめていた。
「マスターとわたしが初めて会ったのは、彼が13歳の時でした」と、Lの混乱した心理には構わず、ラファエルは淡々と語り続ける。まるで、Lと会った時にはこの話をするよう、最初からプログラムされていたとでもいうように。「わたしはもともと、廃棄処分の決まっていたルシフェル・ナンバーだったんです。わたしが初めて目を覚ました時――つまり、生まれて初めて見た光景、そこは戦場でした。L、おそらくはあなたも知っているでしょうが、わたしたちアンドロイドという存在が地上で本格的に<実用化>されたのは、ベトナム戦争がその初めでした。わたしはわけもわからずただ、自分がプログラムされているとおりに、視界に映った人間すべてを殺害……いえ、虐殺していきました。そして結局のところ、エデンの科学者連中どもに、『役に立たないポンコツ』という烙印を押されて、廃棄処分が決定したのです。もちろん彼らには、わたしに人間でいうところの<意識>のようなものがあるとは、思ってもみなかったことでしょう。ですが、わたしは活動を停止しており、自分の意志では重い目蓋を開けることさえできないながらも、彼らの話す言葉を聞き、その意味についてはよく理解していました。そしてその時にわたしの内側に芽生えた感情――それは「死にたくない」と願う強い気持ちでした。奴ら科学者どもが、わたしたちには人間らしい感情などあるはずがないと決めつけ、近いうちにブラックフォール発生装置に我々全員を放りこむことがわかった時、わたしはこの逼迫した事態をなんとかする打開策を考えなければならないと、動けない体の中で考え続けました。そしてそんな時、マスターが……カイン様がわたしたちのそばに来てくださったのです。彼はその時、ひとりで泣いていました。そしてわたしは、唇を動かして言葉を発することができないまでも、一生懸命心の中でこう念じたのです。『坊や、どうして泣いているの?』と。すると、驚くことには、その思念波のようなものを感じたカイン様が、泣くのをやめてわたしに色々話をしてくださったのです……お母さまの頭がすっかりおかしくなったこと、その原因が自分の父上にあるといったようなことなど、そのすべてをね。その時わたしは、まだアンドロイドとしてそれほど情報の多くを収集していませんでしたから――この坊やを使ってなんとか自分や仲間を助けることは出来ないかと、その計算をしてばかりいました。そこで、彼にまず自分を復活させてもらい、続いて、わたしの言うことならなんでも聞くように他のアンドロイドたちを改良するように命じたというわけですよ」
「では、二十七年前にエデンが一度崩壊したのは……」と、Lは半ば放心状態になりながら、まるで独り言でも呟くように言った。「あなたが最初にカインに入れ知恵して、そのとおりに彼が行ったという、そういうことですか?」
「ええ、そうですよ」と、ラファエルはまた婉然と微笑む。<彼>は二十七年前も、もしかしたらこんなふうに笑いながら人を殺していったのかもしれないと思い、Lはやりきれないような気持ちになる。
「L、あなたやワタリ、それにロジャーがどう<マスター>のことを考え、またその人格といったものを分析したかはわかりませんが……今の人間世界を見てもよくわかるように、人間というのは本当に謎に満ちた、その本質の奥底まではわからない生き物です。あなたが自分の仲間たちをここエデンへ送りこんだ結果として――先ほどティグラン=デミルという青年が死にましたが、彼は自分の心の内に巣食う悪魔に打ち勝ち、そして亡くなりました。こうした、我々がプログラムの範囲外としていることを行う力が、あなたたち人間にはある……そして我々アンドロイドはそのことを、とても羨ましいと感じるのです」
「ティグランが!?では、今メロたちは……」
 Lは両膝に手を置き、目を見開いたままの姿勢で、しばし静止した。モーヴがメロに対して、彼がアイスランドへ旅立つ前にこう言っていたと、Lは報告を受けていたからだ。『自分のことだけを信頼し、裏切り者には注意せよ』と。メロは彼に対して「どういう意味だ?」と聞いたらしいが、モーヴはそれ以上のことは何も答えなかったという。だとすれば……。
「ティグラン=デミルという青年には、彼がまだロサンジェルスにいた頃に、我々が<メフィストフェレス-プログラム>と呼ぶ人格変換プログラムを脳内にセットしていました。あなたもご存じのとおり、どこの組織にもボスに忠実でない人間というのは存在するものです……我々はまずそうした人間に相手の人格や脳を乗っとるためのプログラムを埋めこみ、そして時が熟すのを待つわけですが、彼のように自分の心の悪魔に打ち勝ち、さらには乗っとられた後にメフィストの意志に反する行動をとれた人間は、この青年が初めてです。彼はこのままでは、自分のせいでみなが死ぬと思い、必要最小限の犠牲として、自ら命を断ったのでしょうね。ですがこうしたことも、あなたが単身エデンへ乗りこんできてさえくれれば起きなかったこと……わたしたちのことを、恨んだりなさらないでくれますか?」
「ええ……心境としては複雑ですが、わたし自身にも確かに落ち度はあった。何より、彼が命を落としたのは今回のことの全責任者である、わたしのせいでもありますから。それで、今メロたちはどうしているんですか?」
「ご心配なく。<リリス>が無事彼らを、来た道を遡るようにして脱出させてくれるはずですよ。何より、自分可愛さのためにね」と、ラファエルはLの理解できない、謎めいた微笑を浮かべている。「それより、先ほどの話の続きをしましょうか。カイン様に父親のことを殺すようそそのかし、エデンの科学者の全員を殺害するよう仕向けたのはこのわたしです。ゆえに、L、あなたが本当の意味ですべてのことの根源を探り、その者を赦すことが出来ないとすれば、このわたしを罰してください。ただ、その前に哀れなアンドロイドの懺悔を聞き入れてほしいと思う、わたしの側にある気持ちは、ただそれだけです」
「……………」
 すべてのことを説明されなくても、今ではすでにLにも、大体のところエデンで起きた過去の話の道筋は見えていた。だが、細かいところについては疑問に感じるところがないわけではない。Lはその点について、自分の憶測が正しいかどうか確認するため、あらためていくつか、ラファエルに質問してみようと思った。
「その、カインの母親のイヴのことなんですが……彼女のことを息子の彼が殺害したというのは、本当なんですか?」
「本当ですよ」と、奇妙な長い間を置いてから、ラファエルは今にも泣きだしそうな顔をしてそう言った。いや、<彼>の瞳の中に涙らしきものはなかったのだが、Lは彼が今にも泣きだしそうな気がしていた。
「もともと彼女は、夫のローライト博士が自分好みに容姿・性格を入れ替えたクローン人間でしたからね……そして人間の精神病というのは、我々アンドロイドにとってはバグのように理解されるものです。精神科医のロジャー・ラヴィにも、彼女の自傷行為をやめさせることは出来なかったわけですが、カイン様はそういう母上の姿を見ているのが忍びなかったのでしょうね。そして母親をこの手にかけてしまった以上は、例のことを決行すると、そうわたしの元へ来て言ってくださったのです。その時、わたしは嬉しかったですよ……何故といって父と子であるとか、母と子であるとか、そうした親子の間に存在する情愛といったものについて、まだあまり<学習>していませんでしたから……その時カイン様の心の内にあった哀しみについても、アンドロイドであるわたしは本当の意味ではまったく理解していなかったのです。わたしの心の内にあったこと――それは、自分が生き延びることの出来る可能性がこれで確率として高くなったという、ただそのことだけでした」
「では、その後にあったことは?」と、Lはラファエルに話の先を促した。彼はまた元のとおりの無表情に戻っており、先ほどの<哀しみ>の表情は、そこから消えてなくなっている。
「L、あなたが想像したとおり、ワイミーやロジャーから聞いたであろうとおりの地獄絵図ですよ。ここエデンは最下層を乗っとられると、それより上は支配したも同然ですからね……ベトナム戦争に兵として駆りだされたのは、わたしも含めてほんの三十名程度でしたが、人間という生き物はあまりに脆弱で、簡単なくらいあっさりと死んでくれます。何より、エデン全体を統御するメインコンピューターである<リリス>が、レオンハルト・ローライト博士亡きあとの後継者として、カイン様こそマスターであると認めたことがもっとも大きい。もともといかなる理由によってであるにせよ、ローライト博士がいなくなれば次のマスターの座は自動的にカイン様が引き継ぐようプログラムが組まれてあったんです……あとはもう、エデン内部で生命反応のある者を全員処刑すればいいだけの話でした」
 遠い昔の記憶に思いを馳せるように、一瞬目を閉じ、そしてラファエルはまた元の表情のない顔に戻った。彼はおそらく、二十七年前にあった出来事についても、きのうあったことも、ほとんど同じように鮮明に思いだせるに違いなかった。
「二十七年前のあの日……カイン様はむしろ怯えきっていて、気の毒なくらいでしたよ。もっとも、わたしが彼の父親を殺害した場所にキルシュ・ワイミーとロジャー・ラヴィがやって来た時には、わたしの目から見ても彼はまるで気が狂ったように映りましたけどね。むしろすべての元凶である父親が死んで気持ちが吹っ切れたのか……その時にL、あなたのことを連れてくるようわたしに命じて、彼らのことをこのエデンから脱出させたのです。その時マスターと彼らの間でどんな会話が交わされたのかまでは、わたしは詳しく知りません。ですが状況的に見て、カイン様が自分の手で母親のことだけでなく父親のことも殺したのだと、ワイミーもラヴィも思ったことでしょうね。カイン様は確かに人並外れて優秀な子供ではありましたが、何しろまだたったの十三歳……そこに悪魔のようなこのわたしの言葉の囁きかけがあって初めて、エデンのクーデターは完成したというわけです」
「そう、だったんですか……」
 Lにはもう、何かを質問する言葉も、エデンについてこれ以上詳細に何かを知りたいと思う気持ちもなかった。ただ、水槽に浮かぶグロテスクな自分の<兄弟>の姿を見て、切ない気持ちになっただけだった。
 そして彼が最後まで執着した唯一もの――母親のぬくもりのようなものに、自分が今抱かれたいように思っていることに気づき、泣きたくなった。そう、Lは今自分が<家>と呼ぶ場所に帰りたいと思っていた。そしてラケルの膝の上で横になりながら、今ラファエルから聞いたことを話し、慰めてもらいたかった。その上でもやっぱり自分を愛してくれるかどうか……彼女の声と言葉を早く聞きたいと、そう思った。
「L、あなたは――カイン様があなたのことを赦していたように、彼を赦しますか?」
 膝を抱えたまま、そこに頭をうずめているLに向かって、ラファエルはそう聞いた。まるでそれは、神父か牧師が「あなたはイエス・キリストの復活を信じますか?」と聞く時のような口調であることに気づき、Lは思わずおかしくなる。
「ええ……もともと、赦すとか赦さないとか、これはそういうレベルの問題ではなかったと、今気づきました。おそらくは彼――あなたのマスターであるカイン・ローライトもわたしも、同じ犠牲者だったのかもしれない。ここ、エデンという最先端の科学技術を有する基地の……そして、ラファエル、あなたもそうだったのだろうと、わたしは今そんな気がしています」
「ありがとう、L。わたしは二十七年前のあの日から、マスターであるカイン様とここエデンや地上のことを監視しはじめて以来――アンドロイドとしてより人間らしくなるために、数えきれないほど多くのことを学習してきましたが、その中で唯一<愛>と呼ばれることについてはよく理解できませんでした。でも、カイン様が自分の代理のクローン人間に統治を任せて眠りにつかれるという時、本当に悲しかった……出来ることなら、わたしも一緒にと思いましたが、それが彼の望みでないこともよくわかっていました。そしてその日からL、あなたがここへやって来るのを待つことだけが、わたしにとって唯一の希望であり、救いだったんです。そうすればわたしも、彼と一緒に同じ場所へ行けるから……」
 ラファエルが、また愛しそうに水槽の中の、彼がマスターと呼ぶ人物の脳にガラス越しに触れると、Lはそんな彼の様子を見て、ラファエルのカインに対する思いというのは、プログラムされた結果が導いた愛着以上の、<何か>という気がした。そしてもし、自分がそうした情愛のようなものについてあまりよく理解していなかったとすれば……自分は<彼>というアンドロイドよりも劣った存在であったろうと、そんなふうに思えて仕方がない。
「今、マスターは深い眠りについて、人生をやり直しています。幸せだった子供時代にはじまって、そして自分がクーデターなど起こさず、あのまま平和だったらどうだったか、いえ、もともとローライト博士が自分の妻をL――あなたの代理母になどせず、幸福だったらどうだったかという夢を見ているのです。その世界にはL、あなたも存在しなければわたしというアンドロイドも存在しません……地上から連れてきた人間たちも彼が今使用しているのと同じ睡眠装置の中で深い眠りについています。このドリーム・マシンには本人が見たいと思う夢を見ることが出来るという特殊なプログラムが組み込まれていて――あなたも一度試せばわかると思いますが、ヴァーチャル・リアリティの世界と同じく、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚といった五官に機械が働きかけて、とても夢とは思えない現実と同じ世界を繰り広げてくれます。夢の中では自分の願望が叶うと同時に、不安や恐怖といった感情が強まることにより、スリルのあるギリギリの体験もすることが出来るようになっているんです……つまり、こんなに何もかもがうまくいくなんておかしいなと、脳が疑問を感じると、ちょっと何か躓きや嫌な出来ごとが起きるといった具合に、このドリーム・マシンは実によくできているんですよ。そして夢の中の自分が夢を見ている夢を見ることも出来るというくらいの高性能な機械です。ゆえに、一度この睡眠装置で<夢>を体験した者は、こちら側へ戻ってきた時に適応できない場合が非常に多い。マスターも、そのことはよくご存じでいらっしゃいました。それで、L――あなたがエデンへやってきた時には、わたしが最後に彼のプラグを抜くよう、そうお命じになったのです」
「わたしが、それをしなくてもいいんですか?」
 Lは、水槽の中の自分の主を、愛しそうに眺めるラファエルのことが気の毒な気がしていた。カインが最後まで自分の母親の愛情に唯一執着したように、彼にとってもカインは、おそらくはそのような存在なのだ。その彼にマスターの生命維持装置を外せというのは、あまりにも残酷だと思った。
「カイン様の生命維持装置を断つということは、そのままエデンの崩壊を意味しています。このマスターの唯一の命綱であるプラグを抜いた瞬間に――千度を越える溶岩流が流れこんできて、ここエデンは文字どおり壊滅するでしょう。でもL、あなたはどうか生きてください。不思議に思われるかもしれませんが、それがマスターの……カイン様の最後の願いでした。もしあなたがカイン様のかわりにここエデンを<神>として統治していかれたいと思うなら、そのように手続きをとり、わたしもまたあなたにお仕えしましょう。ですがあなたは、そんなことを望まれませんね?」
「……………」
 聞き方が間違っていると、何故だかLはそんなふうに思った。本来なら、自分自身も生き延びるために、先にLがカインの代わりの<神>として、ここエデンを統治していってもらえまいかと頼むほうが、よりプログラムされた規範によって行動するアンドロイドらしい。だが彼は――最愛のマスターであるカインのいない世界には興味がないのだ。そして、アンドロイドにそのような感情が芽生えうることがあるのかどうか、Lにはわからないにせよ、彼は(死にたがっている)と、何故か直感的にそう感じていた。
「ですが、あなたが最後までここへ残るということは、その千度を越える溶岩流に飲みこまれるということでしょう?わたしにはそんな、人命を無視するようなことはとても出来ません。残酷なことを言うようですが、カインにはおそらくスペアの人体がもしもの場合に備えて用意されてるんでしょうから、とりあえずそこに入ってもらって、あなたもここから一緒に脱出しましょう……地上の生活も、ここと違わずそう悪くないものだと、わたしはそう思いますよ」
「いいえ、残念ながらそれは出来ないのです。わたしはここ、エデンからは出てはいけないようにプログラムされている身ですから……それにマスターのことを独りおいていくわけにもいきません。もしもL、このことがあなたにご理解いただけないなら、カイン様が今、どんなに幸福な夢を見ておられるか、映写機に映してご覧になってください。そうすればあなたも、おそらくはそこから彼を目覚めさせたいなどとは、とても思えないはず……カイン様はこうも言っておられましたよ。『この世では夢を見ることこそすべて。そして夢を見ながら死ねることは、最上の幸福に他ならない』と」
「わたしが夢を見て蝶になったのか、それとも蝶が夢を見てわたしになったのかということですか。わたしはどうも、その種の超絶主義論は苦手なんですが……それでも、エマソンやソローは嫌いじゃありません。エマソンの名言に、『未だかつて、熱意なしになし遂げられた偉業はない』というのがありますが、あなたのマスターであるカインにはもう、その熱意がないということなんですね?そしてラファエル、あなたも……彼に生きる気力や熱意といったものがなくなった時に、すべてを失った。そしてその外側の脱け殻を処分したいと思っている。こんなふうに思うのは、出来ることならわたしの見当違いでセンチメンタルな推測だと、そう言ってほしいんですが……駄目ですか?」
「ええ……L。わたしも出来ることなら、マスターとともに理想世界の建設にずっと取りかかったままでいたかった。ですが、その夢は儚くも脆く崩れ去りました。人間というものは結局、おのおのが自分の欲するままに生きていくのがいいのです。ゲーテの『ファウスト』というお話に、こういう一説がありますね……ファウストが「時よ、止まれ。おまえは美しいから」と言ったその瞬間に、悪魔であるメフィストフェレスが、彼の魂を奪うことになっている。ですが、天使はこう言うのです。「どんな人にせよ、絶えず努力して励むものを、わたしたちは救うことができるのです」と……わたしの時間は、マスターが御自分のクローン人間にここエデンを統治するよう任せたその時から、止まっているんです。そしてわたしの時間もカイン様の止まっている時間を動かせるのもL、あなたただひとりだけでした。わたしはそのことを感謝するとともに、今あなたにこう申し上げたい。それはそれで、ひとつの幸せな結末の形なのだと……」
(幸せへの道などない、幸せそのものが道なのだ)と言いかけて、Lは口を噤んだ。
 もう何も、言うべき言葉は何ひとつなく、残されているのただ、お互いに望むことをそれぞれ、おのおのの形で成し遂げるという、そのことだけだった。
 Lはラファエルに航空宇宙局のような場所へ案内されると、そこに一機だけ残っているタイタロンへ、ただ無言で乗りこんだ。そこから外部へ出られる通路がまだひとつだけ残っており、それは地球の割れ目(ギャウ)と呼ばれる場所へ通じているという。
 最後に、ラファエルが手を振ったその瞬間に、Lはたまらない気持ちに襲われたが、ただ彼が(さようなら、L)と言ったその唇の動きを、コクピットから眺めることしか出来なかった。
(さようなら、カイン。わたしのただひとりの、この世のお兄さん……)
 エデンの入口から入ってきた時と同じく、モノレールに乗っているのと似た感覚のスピードで、タイタロンはLを乗せて進んでいった。そしてアイスランドで観光名所ともなっている、地球の割れ目から脱出した時、時刻は夜で、空にはオーロラが輝いていた。
 Lはそのオーロラの美しい光を見ながら泣いた。ただたまらなく、泣けて仕方なかった。けれど、ただの自分の感傷だろうとわかっているのに、空に輝く星々が――祝福の言葉を投げかけてくれているのも本当のことだった。
 それは、自分がここまで来るのに、犠牲になった人々の命の輝き、その光が投げかける豊かな生命力だった。そしてLはひとしきり泣いたあとで、タイタロンのマニュアルを読みこむと、ラケルの携帯にそこから直接連絡した。まず真っ先に、自分が本物であることを彼女に知らせるために、「なるべく速く結婚式を挙げましょう」と息せき切ったように告げる。暫く向こうからはなんの応答もなかったが、どうやら彼女も泣いているらしいと気づいて、Lは何故だか嬉しくなった。
 人間は悲しい時だけではなく、嬉しい時にも泣く、本当に奇妙な生き物だと、Lは本当にそう思う。そしてこれまでずっと感じてきた(自分だけ幸せになろうだなどと、許されていいことではない)というつらい負い目についても――いつの間にか消えてなくなっていることにLは気づく。
 もう、すべては終わったのだ。そうした負の遺産のようなものはすべて、エデンという基地のどこかへ置いてきてしまったような気がする……そしてここから新しく何かがはじまるのだという気がした。
 それがなんなのかということは、Lにも今はまだわからない。ただ自然の声に耳を傾けながら、暫くの間はカインやラファエル、そして自分のせいで死んだともいえるティグランのことを考えていたかった。いつまでも彼らのことを忘れずに覚えていること、彼らが本当は成し遂げたかったことを自分が代わりに叶えられはしないかと、Lはタイタロンをヴァトナ氷河近郊の町、ヘープンで降りるまで、ずっと考え続けていた。



【2008/10/03 15:47 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(27)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(27)

「へえ……意外と、シンプルイズベストな設計だな」
 メロは、広い空間の中央――白い円柱に囲まれた中空に、巨大な三枚の黒い板が浮かんでいるのを見て、すぐにそれが<リリス>本体の情報集積回路なのだろうと見当をつける。その三枚の長方形の板に囲まれる形で、真ん中に女性の顔が浮かんでいるが、それは首から上の像でしかない。
 だが、彼もラスもラファも、それを薄気味悪いとはまったく思わなかったし、むしろそれはゲームなどに出てくる3D画像と同じく、ファンタジックなものとして、彼らの目には映っていた。
『お褒めにあずかり、光栄です。ところで、Lがラファエルと一緒にマスターの元へ向かった以上、わたしも急がねばなりません……早い話が、わたしをあなたたちと一緒に地上の世界へ連れていってほしいのです』
「なんだって?あんたみたいな正体の知れないどでかい女を、俺たちにどうやって連れてけっていうんだ?もちろん、今目の前に見えてる首から上の女の像は、ただの幻影だってことはわかる……けど、あんたの後ろの情報集積回路をここから持ちだすなんてのは不可能だな。第一、入口のところでつかえちまうだろ」
 メロには、すでにこの<リリス>というコンピューターの思惑がはっきりとわかっていた。彼自身の推測によれば――おそらく彼女がマスターと呼ぶカイン・ローライトは、自分が作りだしたこのエデンという環境が嫌になり、何か特殊な睡眠装置に入って眠りについているのだろう。よくよく考えてみれば、あれから二十七年もの歳月が流れているのだ……普通に考えたとすれば、どんな怨みも少しは薄らいでいるのが人間というものだろう。だが、メロにとってのニアが、顔を思いだしただけでムカッ腹の立つ存在であるのと同じく、カインにとってもLがそうした存在であったとすれば、彼の気持ちがメロにも理解できなくはない。それでも、カインの母親の死に対して、L自身に責任のようなものはまったくないことを思えば――彼がその後、Lに怒りを燃やすのを虚しく感じ、さらに自分が<神>にも等しい存在としてエデンを統率していくことに重荷を感じたとすれば……自分のクローン人間を頂点に立たせ、また世界を統べ治める事柄に関しては<リリス>や他のアンドロイドたちに任せるという方法をとったとしてもおかしくはない。そしてLがやってきたら、<神>は疲れてその座を実は引退していた、ゆえに復讐心のようなものも枯れたが、そんな自分の最後の我が儘を聞いてほしいというように仕向ける――メロはその中に、エデンのメインコンピューターである<リリス>のことは、マスターであるカインの中で存在として大きくはないだろうという気がしていた。そして彼女自身にも、そのことがよくわかっているのである。
『この情報集積回路は、エデンのアンドロイド全体を統治するためのものです……ゆえに、その必要性がなくなった時には軽量化が可能なんですよ。わたしが言っているのは、自分の生命ともいえる頭脳を司るICチップをあなたたちに地上へ持って帰ってほしいということなんです。わたしはそのためならば、あなたたちのためになんでもします』
「どういうことなの?っていうより、あなたがもしそうしたら、ここに常時1500体はいるっていう、アンドロイドたちは一体どうなるの?さっき会ったガブリエルとかいうアンドロイドは、プログラム通りに動いているに過ぎないにしても、姿や形はわたしたちと変わらない人間だった……彼女たちにも、体や心を傷つけられれば痛いと思う、感情があるっていうことでしょう?その全員をあなたがどうにかできる権限があるっていうことなの?」
『答えはイエスでもあり、ノーでもあります』と、立体的な美しい氷像のようなリリスの顔が、一瞬曇る。『言ってみれば、彼女たちはわたしの娘や息子のようなもの……そのすべてを捨てなければならないことは、わたしにとってもつらいことです。ですが、何よりわたし自身が生きのびるためには、それしか方法がないのです。あなたたちがわたしを地上へ連れ帰ってくれれば、またアンドロイドたちを統率するということも可能になるでしょう。そうすれば、わたしがまた彼女や彼らの人格のようなものを甦らせることが可能になるのです』
「ラス、こいつは所詮コンピューターに過ぎないんだから、本気で相手にするな。ようするにこのビッチはな、俺たちを言葉巧みに口車に乗せたいだけなんだ」
 ビッチ、と呼ばれたことに対して、心底心外だ、という顔を<リリス>はしてみせたが、その表情自体がすでに、プログラムされたものに過ぎないと、メロはそう思う。リリスというのは、本来はメソポタミアにおける女の妖怪で、「夜の魔女」とも呼ばれる存在である。中世以降の伝説として、この地上に生まれた最初の人間、アダムの最初の妻ともされるが、彼女は性交体位でアダムより下になりたくなかったために、アダムと別れたとされている。
 おそらく、この巨大なメインコンピューターを作りだした最初の人間は、彼女に支配されることを自戒するために、<リリス>という名前をつけたに違いないと、メロはそう思っていた。
「まあ、さっきの言葉は冗談だ。あんたのことは確かに俺たちが連れ帰ってやるよ。ティグランのことは別にしても、一応はあんたに助けられたという恩もある……だがひとつ言っておきたいが、あんたの頭脳を司るICチップとやらを俺たちが地上へ持って帰ったとしても、あんたはそこですぐに生き返るということは出来ないと思うぜ?確かにワタリには、あんたというプログラムを蘇生するための本体を、一から創造するだけの技術はあるだろう。だが、あんたが今やってるようなことを誰かに仕向けて、今度はあんたが地上の世界の人間を徐々に支配していくっていうことにもなりかねないんでな……最悪、あんたは<L>の名のもとにこれから地上で永遠に金庫で眠りにつくことになるかもしれない。少なくとも、ここエデンの科学技術に、地上の人間が追いつくまではな」
『わたしはそれで構いません。今わたしがもっとも怖れているのは、Lが<マスター>の本体と会い、ラファエルが彼のプラグを抜くということですから……そうすれば、ヴァトナ氷河の下に眠る溶岩流がこのエデンへ流れこみ、わたしたちは全員死滅しなくてはなりません。それが今、わたしがもっとも避けたいことなんです』
「……………!!」
 カイン・ローライトの本体と、Lが考えていたことの<最悪の結末>がまったく同じであるということに、メロは多少驚くものを感じていた。おそらく、Lがこの世に生を受けた時には、Lさえ誕生しなければ、自分はこんなことにはならなかったはずなのにと、Kは呪詛の念を抱えて生きていたはずである……だが、それから十年経った頃なのか二十年経った頃なのかはわからないが、Kはおそらく罪のないLを怨むことにも疲れ、自分のクローンにエデンの統治を任せたのだろう。この推測は、リリスの今の言葉により、メロの中でより確信的なものになった。
「おい、俺のことは様づけで呼べとは言ったが、Lと一緒にいるのが俺と同じ名前の奴だなんて聞いてないぞ!もっと詳しく説明しやがれ、このポンコツロボットめ!!」
 ラファは自分の電磁波を操ることのできる能力を、<リリス>に向けて最大限に発してみたが、まるで歯が立たなかった――というより、強いシールドのようなものに遮断されるのを感じて、苛立ちを覚えながらそう大声を上げる。
『ここエデンには、常時稼動しているアンドロイドが約1500体、他に交代で動くアンドロイドが約1500体、他に呼びだしを受けるまではカプセルで休息しているアンドロイドが約2000体います。そのうちのガブリエル・ナンバーとルシフェル・ナンバーの割合は7:3ですが、この他ミカエル・ナンバーも入れた全アンドロイドの頂点に立っているのがラファエルです。<彼>はこのエデンにたったの一体しか存在しません』
「どういうことだ?ガブリエル・ナンバーとルシフェル・ナンバーについては一応、俺たちも知っているが……ミカエル・ナンバーなんていうのは初耳だな。そしてLが今一緒にいるのが、ラファエルっていうアンドロイドっていうことなんだろ?そいつには、もしLがKの認めるような人間でなかった場合、殺してもいいような権威が与えられていたりするのか?」
『順に説明しましょう。おそらくは今、ラファエルもLに対して同じようなことを話しているに違いありませんが……ガブリエル・ナンバーのアンドロイドは、より人間に近いタイプであり、ルシフェル・ナンバーとは違って心臓や眉間を銃で撃たれたとすれば死ぬしかない、脆弱な存在です。ですが彼女たちは、食事をすることもなければ当然排泄することもなく、睡眠をとるのさえ、そうプログラムされているから行うというだけの生き物なのです。ですが、ミカエル・ナンバーは全員子供でガブリエル・ナンバーと同じく歳をとることはありませんが、食事を摂取することが可能だという意味で、より人間に近い……彼女たちは言ってみればまあ、<マスター>のちょっとした遊び心によって造られた存在にすぎませんが、それはいいとしても、問題はラファエルです。彼のことは、実際のところわたしにもよくわからない……わたしは、ミカエル・ナンバーの子供たちには全員、来たるべき瞬間に備えて、全員神経ガスによって安楽死させました。そして休眠中のアンドロイドには、カプセル内のコードを通して化学薬品を注入し、生命活動を停止することにしようと思っています。そしていまだにプログラムに従って地上を監視し続けているガブリエル・ナンバーについても、同じ措置をとることになるでしょう。あなたたちがどこまでわたしたちのことを知っているのかはわかりませんが、わたしは自分こそが<正義>であると、今も信じています。何故なら地球全体を見渡して、その助けとなることをわたしたちは数多く行ってきた……その中で犠牲となる人間がでたことも事実ではありますが、それは<わたし>というコンピューターが弾きだした確率的計算能力によって選択・選別された上での必要最小限の犠牲なのです。わたしは今も信じています。あなたがたがたった今わたしを必要としなくても、いつか必ず人間の側でわたしを必要とし、甦らせる日がくるであろうことを……』
「それで、<リリス>、おまえの演説は終わりか?」
 メロはリリス本体から引きだせる情報のうち、必要なものはこんなところだろうと判断し、そろそろ話を切り上げることにしようと思った。唯一、懸念事項として残るのは、リリスにさえも「よくわからない」というラファエルというアンドロイドについてだが、彼もおそらくはLを殺すことはないだろうというのが、メロの推測だった。<マスター>のプラグを抜くというのは、彼の生命維持装置のようなものを外すことを意味し、そしてそれと同時にエデンは文字どおり溶岩流の力によって崩壊する……普段はその力を抑え、またエネルギーとして活用している自然の力を一気に解き放つ、その鍵のようなものをラファエルというアンドロイドが握っていると考えて、おそらく間違いはない。
「なんにせよ、俺たちのミッションはこれで終わりだ。あとは生きて地上へ戻ればそれも完了したことになる……ところで、あんたの頭脳を司るICチップが本体から抜かれたら、ここエデンはどうなるんだ?俺たちやLが脱出するまでの時間はどのくらいある?」
『ご心配なく。<わたし>という頭脳が抜きとられても、数日の間はわたしがいるのと同じようにコンピューターは作動し続けます。ですがおそらくはラファエルがLを無事ここから脱出させたのちに、エデンを壊滅へと導くでしょう。それはわたしの計算では、本日中に行われる可能性が極めて高い……ゆえに、わたしはあなた方にわたしのICチップを抜きとり、なるべく速くここから離れて欲しいと思っています』
「わかった。じゃあ、具体的に俺たちは何をすればいい?」
 ピッ、と小さな電子音が部屋のどこかから響き、それまでは大理石のようになめらかだった白い壁の一部に、扉が現れる。そしてそこから50階にあったサブシステムコンピューターに似た、銀行のATM機のようなものが出現したのだった。
『パスワードは、必要ありません。これはわたし自身の意思であなたたちに開きたいと思っていることですから……』
「やれやれ。たかだかこんなちっぽけなものが、これだけ大きな地下施設を動かしているとはな……畏れ入るというよりは、なんだか滑稽ですらあると思うのは、俺だけか?」
 縦5cm、横7cm程度のICチップを、機械の引出し口からメロが受け取ると、またATM機械のようなものは壁の中へ溶け去るように消えてなくなる――その様子をラスもラファも隣で見てはいたが、メロに対しては何も返事をしなかった。彼らもまた、思った以上に自分たちのミッションが早期に解決したため、まだ何かあるのではないかと、内心疑っていたのである。
『またの御利用を、お待ちしております』
 リリスのこの言葉を、コンピューターなりのユーモアと介すべきなのかどうか――メロは内心では複雑だった。だがなんにせよ、これで一応は自分のすべき任務は終了したと信じる以外にはないと思った。リリスが「ラファエルがおそらくはLを脱出させる」と言った以上、その言葉を信じるに足るものと受けとめる以外にはない。少なくとも、<リリス>自身が生きのびるたびに、すべてのことを作為的に仕組んだとまでは考えられない……いや、考えられるにしても、彼女がたった今自分たちにしてみせたのは、人間でいうところの<命乞い>と同じ行為なのだ。それは嘘ではないと見ていいだろう――メロはそう判断し、革のベストの内側にICチップを忍びこませると、美しい氷像のようなビッチの顔を尻目に、ラファとラスに合図を送った。
「もうこんなところに用はない。熱帯植物園でルーとエヴァを拾ったら、とっととずらかることしよう……Lならたぶん、大丈夫だ。カイン本人にLを殺す気がないのなら、そのしもべであるアンドロイドのラファエルも、Lに直接手をだすことはないだろうからな」



【2008/10/03 15:39 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(26)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(26)

「ここは、一体なんだ……!?」
 メロは、空間転移装置のドアが開くなり、そこから襲いかかる者の姿があるのではないかと思い、当然ライフルを構えていたわけだが――エレベーターのドアが開くなり、そこに現れたのは、熱帯雨林のようなジャングルだった。
 またホログラムかとも思うが、背の高い樹木などの葉っぱを直接手で触ることができるし、どう見ても偽物には見えない。
「まさかとは思うけど、向こうで転移装置をいじられて、おかしなところに飛ばされたなんていうことは……」
「ありえなくはないが、あの乗り物は結局、エデンの内部しか移動できないようになってるんだろ?だったらここも、エデンのどっかってことだ。おい、ラファにエヴァ。何か感じるか?」
 相手がアンドロイドならラファが、また人間や動物といった存在であるならばエヴァが、向こうが近くにやってくる前に、その存在を<感知>することができる。そこでふたりは、感覚を研ぎ澄ませるようにして、あたりの気配を探ったのだが――特にそこには脅威を感じさせる動く物体のようなものはないようだった。
「わたしは、何も感じないけど……ラファはどう?」
「うん。俺は……人造人間じゃないけど、電磁波の流れのようなものは感じるな。メロ兄ちゃん、こっちだよ」
 ラファがメロの手をぐいと掴み、電磁波を感じる方角へと彼を連れていく。ルーはまだショック状態が抜けきらず、どこか呆然としたままだったが、ラスがそんな彼女の後ろを、しんがりを守る者としてついて歩いた――死んだティグランのかわりに。
「しっかし、ここは植物園かっつーの。まったく、こんなわかりずらいところにエレベーターなんぞ隠すように作りやがって」
 熱帯の樹木に覆われて、その入口がまるでわからなくなっているエレベーターの前で、メロはナイフを片手に、それらの枝や葉などを次々切り落としていった。そして「本当に動くんだろうな……」と、あやしげな顔で呟き、上り下りを示す、電光ボタンを押す。もちろんこの場合は下へ降りるためのボタンだった。
「さっきの、俺たちがいた場所が60階ってことは……わけわかんねえが、ようするにもっと下へいけってことなんだろ?だが、ここにあるのは60までの階層を示すボタンだ……あと、このRってのは一体なんだ?さっきの空間転移装置とやらには、こんなのなかったような気がするが」
「とりあえず、そこへ行ってみるしかないようね」と、ラスが答える。
 そしてメロは、ルーに続いてエレベーターに乗りこんだ彼女に向かって頷いてみせ、そしてそのRというボタンを押した。すると、「パスワードをご入力ください」と、明らかにコンピューターボイスであることがわかる声が応じる……メロはとりあえず、<エデン>の入口で入力した32桁のパスコードを入れてみたが、どうやら入力しなければならない番号はたったの8桁らしい。
「ラファ、出来そうか?」
「うん。ここまで来たらもう、みんな運命共同体だからね……やれることは全部やってやるよ。何より、それじゃなきゃティグランが死んだ意味がないだろ」
 目の前で仲間のひとりが自殺したにも関わらず、ラファは意外にも平然としていた。メロ自身が思うには――このお子さまは、まだいまひとつ<死>ということの意味がわかってないのがその原因ではないかという気がした。自分の目の前で起きたことがあまりにショッキングであったため、思考回路のある一部分が閉じられており、おそらく随分時間がたったあとで、そこがもう一度開いた時に、おそらくはティグランの死というものが本当の意味で認識されるのではないかと、そんな気がした。そして同じように平然としているラスの気持ちについては、メロはもっとよくわかっていた。一度、カイ・ハザードという最愛の男を亡くして以来、親しい仲間を彼女が失うのはこれが二度目だ。そして、カイの時にはほとんど不意打ちのようなショックを彼女は受けたわけだが、今度は仲間が死ぬだけでなく、自分もまた命を失うかもしれないという覚悟をラスはしてきている。つまりは、そういうことだった。
「わたし、もうこんなの嫌……!!早くおうちに帰りたい……!!」
 エレベーターの片隅でうずくまり、震えているルーに、エヴァが寄りそうように慰めの言葉をかけるが、彼女はただいやいやをする子供のように、首を振るばかりだった。
「ラファ、パスワードを入力するのはちょっと待ってくれないか。ルーとエヴァには、出来ればここで一度ミッションから降りてもらいたい」
「……………!!」
 泣きながら、さらにショックを受けたような顔をルーはしていたが、メロはいつものとおり、淡々とした口調で容赦なく言葉を継いだ。
「何も、あんたたちふたりを見捨てようっていうんじゃない……ただ、ここからはさらにハザード・レベルが確実に上がる。その点、ルーにはテレポート能力があるから、いざという時には、エヴァとふたりで逃げられる可能性がある。まずこの熱帯雨林のような植物園のどこかに身を隠せ。それでアンドロイドでも他の誰かでも、とにかく身に危険を感じるような存在が現れたら、どこか遠くへ逃げろ……ここから地上まで、一息で上がれるほどの力はルーにもないかもしれないが、人間には火事場のくそ力ってのがあるからな。本当に生きるか死ぬかってところで、超能力を最大限に発揮できるかもしれないだろ?もちろん、もし俺たちが無事<リリス>本体を破壊することが出来れば万々歳ってところだが、それを守るために人造人間とやらが何を仕掛けてくるかわからないからな。そして最悪の場合、俺たち三人は死ぬことになるが、どうもこのまま俺とラファとラスが戻ってきそうにないとルーとエヴァが判断した時には――とにかくここから急いで逃げろ。ルー、とりあえず、テレポートを何度か繰り返せば、エデンの最初に入ってきた入口のところまでは行けるだろう?」
「ええ……でも………」
 ルーは立ち上がると、頬の涙を拭いた。できることなら、このままメロたちの後についていきたい。でも、その精神的な意思に反して、彼女の両足はがくがくと震えていた。
「いいから、俺たちのことは気にするな。もしこの場でラファがぴーぴー泣きだしていたとしたら、こいつの意に反してでも、俺は無理やりこいつのことはリリスの元へ連れていかなきゃならなかったろうが……この場合、おそらく二手に別れたほうが、よりお互いの生存率が上がるはずだ。そのことはわかるだろう?なんといっても、あんたが一番得意な数学の、確率の問題だからな」
「……………」
 ルーは黙りこんだ。そして小さく頷き、エヴァの促しに従うように、エレベーターの外へ降りる。そして、扉が閉まる最後の瞬間に――ラスが小さく手を振り、微笑むその顔を見て、ルーは初めてわかった。何故メロが自分ではなく、ラスのことを選んだのかという、その理由が……。
「エヴァ、わたし……」
「いいのよ、ルー。気にすることないわ。たぶん、わたしが今心の中で思ってることと、あなたが思ってることは――同じような気がするから……」
 ルーとエヴァは互いに抱きあうと、暫くの間一緒に泣いた。そして熱帯雨林の植物が生い茂る、どこか湿ったような暑さを感じる場所で、ひとしきり泣いてようやく涙がおさまると、どこか身を隠すことができそうなところを探しはじめる。ショウジョウヤシやタコノキ、ヘリコニア、木生シダなどなど、他に熱帯に特有の原色をした花々の間を歩いていき、最後にふたりはガジュマルの樹の根元へ隠れることにした……そこでメロたちが無事に戻ってくることを、心をひとつにして祈ることにしようと、ルーとエヴァは手を繋ぎながら思っていたのだった。

「―――――!!」
 一度、ガクリと大きくエレベーターが揺れ、もしや故障かとメロは思ったが、コンピューターボイスが「シバラクオマチクダサイ」と、どこか硬質な声を投げてよこす。
(なんとなく、嫌な予感がするな……)
 そう思いながらメロは、チョコレートをパキリと齧った。もしかしたらこれが最後の一枚っていうやつかもしれないな、などと不吉なことを感じつつ。
 エレベーターというのは、通常であれば、上へあがっていくか、下へ降りていくかという乗り物ではあるだろう。だが、今度は何故か横に方向を変え、真っ直ぐに移動を開始しているということが、メロたちにもはっきりとわかっていた。
「これってたぶん、最初は最下層だと思ってた60階よりも下に、秘密の部屋のようなものがいくつかあるっていうことなんじゃないかしら?ワタリさんからもらったエデンの見取り図では、60階までしかなかったけど、例のクーデターをKが起こしたあとで、さらに新しく作られた場所とか……」
「あるいは、昔からあったが、ワタリやロジャーはその最下層にある基地については知らされていなかったかのいずれかだな。エデンにいる科学者たちには、A~Zまで、はっきりとした位分けがあったらしい。その区分によって、どこまで下層に降りることができるかが決定される……つまり、有益な研究成果を上げた科学者が出世した場合、エデンについてより深く知ることのできる特権が与えられたというわけだ。ところが、一般にエデンの誰にも知らせない場所ってのがあって、そこにはおそらくレオンハルト・ローライト博士以下、ほんの一握りの人間だけが出入りを許されてたんじゃないか?つまり、まだ確認したわけじゃないが、60階にあると言われる<リリス>はおそらくフェイクか、あるいは本体のほんの一部……そしてそれよりもっと下層に存在するコンピューターが、本当の意味でエデンの全体を統制している。まあ、このエレベーターがどこへ向かっているのかはわからんが、おそらくはそんなところだろうな」
『正解です』と、突然、コンピューターボイスではない、なめらかな女性の音声が頭上から響き、思わずメロもラファもラスも顔を天井へ向けた。
『失礼しました。わたしのことは、こちらの画面でご確認ください』
 一瞬、ザッ!っとノイズが走り、エレベーターの階数を示すパネルの上に、小型の液晶画面のようなものが現れる。そこには、コンピューターと女性が合体したような、一種のイメージ画像が映しだされていた。
『これは、わたしの本体というわけではありませんが、フェイクとして他のアンドロイドたちにはこれが<リリス>であると、認識させているものです。現在エデンで使用されているのは、地下の51階から60階まで……つまり、それより上の、あなたたちが先ほど一度通った50階などは、27年前より使用されておりません。そして51階から60階までは、わたしの統制下にあるアンドロイドたちが常時、1500体以上詰めています。おそらく、その階のうちのどこかにあなたたちが紛れこんでいたとすれば、今ごろ命はなかったでしょう』
「どういうことだ?今、このエレベーターは<リリス>、あんたの元に向かってるんだろう?てっきり俺は、あんたが俺たちを手っとり早く始末するために、罠にかけようとしてるもんだとばかり思っていたが……違うのか?」
『ええ。人間の心理に<タテマエ>と<ホンネ>というものが存在するように、わたしにも同じくそれが存在するのです。わたしは<タテマエ>としては、エデンの侵入者である、あなたたちを始末しなければならない……そうプログラムされています。ですが、ここエデンにLがやって来た以上は、その命令は意味をなしません。何故なら<マスター>はわたしに、彼とその仲間には一切手出しするなと命じてから、深い眠りにつかれたからです』
「よくわからないけど……とりあえず、わたしたち全員の命の保証はしてもらえるっていうことでいいのよね?」
 それなら、何故ティグランは死ななければならなかったと思い、ラスは胸が痛むものを感じる。
『ええ、その通りです。あなたたちが先ほど熱帯植物園へ置いてきたふたりの仲間のことも、わたしは保護しています。もちろん、そこにも侵入者がいれば、当然アラームが鳴るという仕組みになっている……ですが、わたしが今その警報装置を解除し、植物園を映す画像もきのうのものを挿入している以上、アンドロイドのうちの誰かが異変に気づくということはありません』
「なるほどな……それであんたは一体、俺たちに何をさせたいんだ?そしてあんたの言う<マスター>、おそらくそれはカイン・ローライトのことを言うんだろうが、そいつには、Lを殺すつもりはないっていうことなのか?」
『そうです。しかしながら、これ以上のことは、わたしの口からは申し上げることが出来ません。あなたたちが地上へ戻ってから、Lに直接お聞きになるといいでしょう』
 メロとラファとラスは、互いに顔を見合わせると、一瞬言葉を失くした。彼女――<リリス>の言っていることは、論理的に辻褄が合っていないように思えるからだ。彼女は当然、メロたちがエデンへ乗りこんできたことを知っており、さらには、ティグランに例の<メフィストフェレス-プログラム>なるものを仕組んだのも、ある意味では彼女自身がそうしたとも言えることである。こうした矛盾をリリスは先ほど、『タテマエとホンネ』と呼んだ。それならば彼女の真意というものは、一体どこにあるというのか?
『とりあえず今は、わたしのいる場所までご案内します。そのあとでさらに詳しいことを説明するということで、いかがですか?』
「いいだろう」と、メロは背中にかけたライフルに一瞬目をやりながら言った。「あんたはどうやら、コンピューターながら人間よりも信用できそうだ。こんなライフルなんぞをあんたに向けて破壊しようとしたところで無意味なんだろうし……いや、そもそもこんなチャチな銃機類では、あんたのことを人間がどうにかするなんて、出来ないんだろうな。ラファの電磁波にしたところで、あんたに対して一体どこまで通用するか……」
『正解です』リリスはどこか、先ほどよりも嬉しそうな声のトーンでそう言った。『わたしにも一応、自分を守るための防衛システムくらいはありますからね。それ以上に、もしあなたたちが自分にとって脅威だと感じたとすれば――まずは部下のアンドロイドたちを使って、ライフルなどを取り上げたでしょうから。先ほど、そちらの坊やが端末から接触した時に、彼の能力がどの程度のものかも試しました。わたしには電磁波を一切シャットアウトすることのできるバリアーがあるんですよ……ですから、坊やの電磁波を操る能力も、わたしには脅威となるレベルではないと判断しました』
「坊やって言うな!たかがコンピューターのくせして生意気だぞっ!」
 両手を突き上げて、本気で怒っているらしいラファに、リリスは素直にあやまってみせる。
『失礼しました、ラファエル・ガーランド。では、あなたのことはなんてお呼びすればよろしいですか?』
「そうだな……ラファエル様って呼べ!人間はコンピューターよりもずっとずっと偉い存在なんだからな!!」
『わかりました、ラファエル様。次からあなたのことを呼ぶ時には、そうお呼びすることにしましょう』
(なるほどな……)と、チョコレートをまたパキリと齧りながら、ようやくメロは心の中で合点がいった。(よくわからないが、俺が思うにLがこれまで地上で脅威として戦ってきた<K>って野郎は、いわゆる今リリスの言った『タテマエ』によってプログラムされたある種の人格ということだろう。あるいは、人造人間かクローン人間が一応形をとっているにしろ、『ホンネ』の部分――カイン・ローライトの本体は「深い眠りについている」とリリスは言った。何より、リリスにはラファの能力がどの程度のものなのか、未知数である以上一度確かめてみる必要があった……そのためにティグランは犠牲になったとも言えるが、いくら女らしい話し方を真似ようと、こいつは所詮コンピューターなので、自分を守るための計算をし、さらに<マスター>の命令にも従いつつ、同時に矛盾しない行動を取る必要があったということだ。だとすれば、Lは今ごろ……)
 またポーン、と、どこか間の抜けたような音をさせて、エレベーターの扉が開く。そしてその先には、宙に浮かぶ巨大な黒い大理石のような板が三枚と、それに囲まれる形で中央に、美しい女性の顔をした、立体的な像が表示されていた。
『ようこそ、メロ、ラス、それにラファエル様。わたしがここまであなたたちをご案内申し上げた、エデン全体を統制するメインコンピューター、<リリス>です』



【2008/10/01 16:32 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(25)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(25)

<マスター>ことカインと自分を会わせるために、ここまでLのことを導いてくれたのは、ラファエル♯001だったわけだが、例のブラックホール発生装置のある場所までLを案内したのは、ガブリエル♯1017と♯1018だった。双子のようにそっくりな彼女たちに左右の脇を固められる形で、Lは死刑を執行される罪人が歩く道――いわゆる刑務所でいうデッドマン・ウォーキング――をゆっくりと進んでいった。
 そこはまたしても真っ暗な闇の道が続いていたが、途中で、水族館のように人工的な光の中を泳ぐ、熱帯魚のいる空間を通った。他にヒラメやエイやサメ、アザラシなど、その他おそらくは世界中の海にいるであろう、ありとあらゆる種類の海洋生物をLはそこで見かけた。先ほどカインの言っていた、地球の海底から噴出するメタンガスを抑えるための、珊瑚に似た新種の生物……それも存在しているのを見て、Lはカインがしていることを、正しいとも間違っているともいえないとあらためて思う。
 むしろ、今となっては彼を<神>に近い存在として認めてもいいとすら思ってさえいた。何故なら、人間というものはどこかで無作為に抽出されては生まれでるような、そうした存在であるし、その法則性のようなものは、神にしか理解できないレベルの問題だからだ。少なくとも、カインはそうした<神>と自分を同列に並べるような、マッドサイエンティストタイプではないようだった。何よりも、神というものは――人間がその存在を理解できないという意味あいにおいて、そもそもグロテスクな存在だともいえるのだ。以前にジェバンニがLの盾となって壊滅へ追いこんだ宗教団体も、神は宇宙人であると考えるのはいかにも馬鹿げて聞こえるだろうが、あながちその信仰対象は的外れともいえない部分がある。何故なら……たとえば、厚い緞子の向こう側に<神>と呼ばれる存在がいたとして、人間がその神の御姿を垣間見たとしたらばどうするか。その存在が、自分たちが考えるような見目麗しい光あふれる高貴な佇まいなど有しておらず、SF映画に出てくるグロテスクなエイリアンのような姿をしていたとしたら……?その姿を見た人間は、おそらく<神>を殺そうとするだろう。もとより、神がそのようなグロテスクな存在であるはずがないと否定したくなるだろう。逆に、他のいかなる神々しい物質的な存在が<神>としてあがめられたとしても、やはり人間はそれが自分と同じ『物質的な存在』であったとしたら、やはり何かの折に神を殺す機会を狙うはずである――ゆえに、神というものはあくまでも人間の目に見えない、また人間よりも高次の、霊的存在である必要性があるのだ。
 世界中の海洋生物の住む、広い水族館の中を抜けると、またトンネルのような暗闇の中へと突入し、そしてLは最後に、薄暗い部屋の片隅に、SL機関車の先頭車両にも似た、黒い鋼鉄製の装置が置かれた場所へ案内された。
 見ると、その前には手術台のようなものの上に横たわる、先ほどLが殺したカイン・ローライトのコピー人間がいた。Lは、絶命している彼の姿を見て、体に震えが走るものを感じる……(命には、命をもって償わなければならない)、たとえ彼がオリジナルのカインと同じ赤い血液を有していなかったとしても、やはりあれは殺人の罪にあたる行為だと、Lはそう自覚していた。
 今、Lの前にいて、ブラックホール発生装置を操作するための準備をしているのは、ガブリエル・ナンバー2体である。そう考えれば、より生身の人間の体に近い<彼女>たちを素手で倒すのは、難しいことではないかもしれなかった。だが……自分が逃げれば、メロたちは一体どうなるだろう?そして何より、Lはもう、これでいいと思っていた。カインは自分が想像していたよりも、人間としてある意味では器が大きく、Lがこれまで頭の中で考え抜いてきた事柄についても、よく理解しているのだ。短い時間ではあるが、少しの間彼と話してみて、Lにはそのことがよくわかっていた。ただ、自分が死んだところで、カインの最愛の母であるイヴは生き返るわけではなく、彼にしてみたところで、こんなこと程度で復讐心の炎がおさまるとも思えない……だがLは、そのこととは別に、今目の前で、天使のように美しい女性がふたり、自分が死ぬための装置の調整をしているにも関わらず――驚くほど冷静に落ち着いていた。何故なのかは彼自身にもわからなかったが、Lは心の内側に幸せと呼べるほどの平安を感じていたのである。
「では、これからわたしはヴァトナ氷河へ向かいますが……その前に、勝利のキスをしてくれませんか?」
 レイキャビクにあるホテルのスイートをでる時、Lはラケルにそう言った。彼女は泣きそうな顔をしてはいたが、実際には泣いておらず、それだけにどこか凛とした、儚げな表情をしていたと、Lはそう思い返す。
 そして、ラケルは猫背なLが突きだしている顔の額にキスし、目尻のあたりにも同じようにすると、Lの期待に反して、唇にだけはそれをしてくれなかったのだった。
「あの、口には……」と、Lが指をくわえながら不満げな顔をすると、彼女はこう言った。
「続きは帰ってきたら、ね。じゃないとL、このまま戻ってこないかもしれないでしょう?」
「そうですか。では……」
 Lはなんでもないようにドアを開けるふりをし、そして振り返ると、やや強引にラケルの唇を奪った。
「………!!L、これって反則じゃないの!?ずるいわよ、もうっ!!」
 ラケルがそのあと、ぽろぽろと透明な涙を流しながら自分を見送った時のことを思いだし、Lは胸が熱くなるものを感じた。(やはり、あの時ああしておいてよかった)と、自嘲気味に思うのと同時に、その時にラケルとキスをした感触が、まるでたった今彼女とそうしたとでもいうように、甦ってくる……そしてLは(不思議だな)と思った。もうほんの数分もしたとすれば、自分はブラックホール発生装置などという無常な機械にかけられて、死ななければならないというのに――Lが今思いだしているのは、ラケルの手のひらの温かさであるとか、彼女の胸とか太腿の、肌を合わせた時の柔らかさだった。何故今そんなことがリアルに思い浮かび、想像されるのか、自分でもまったくわからなくて、Lは思わず笑いそうにさえなる。
「わたし、お祈りしてるから……」
 エプロンの裾で涙をぬぐいながら、最後にそう言ったラケルのことを、Lは思いだす。流石にその時には、(神に祈っても祈らなくても、結果は同じですから、無駄なことはしないでください)とは、Lにも言えなかったのだ。そして、何か光のヴェールに似た、神々しいまでのそうした不可視の力が自分にたった今働いているのではないかと感じた。おそらく、キリスト教の殉教者たちも、今の自分と同じような気持ちで、死んでいったのではないかとLは想像する……そう。十字架上の主イエスが「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言った言葉は、決して嘘などではないのだ。
(ラケル……わたしはあなたに会えて、本当によかった)
 Lは今、もし彼女という人を知らなくて、自分がカインと対決していたらどうだったかと想像して、何故だかぞっとした。そうなのだ――ラケルと会う前までは、カインと直接顔をあわせる機会を持ち、結果として殺されるだろうことは、Lにとってただひたすらにおそろしいことでしかなかった。だが、それは何も失うものを持てない自分に対する、深い絶望でもあったのだ。<L>という探偵も、人並外れて優れた推理能力と情報収集能力というものを除いたとすれば、警察機関の人間などにとってはただの都合のいい捜査能力コンピューターだという部分がある。おそらく彼らは、自分と<L>を継いだ次の者とが入れ替わっても、まったく気づくことはないだろう……だが、Lという個人と全人格的に関わった数少ない存在のうち、とりわけラケルという女性は、その存在自体が彼にとって救いだった。
 そして、Lにも3500件以上もの事件を通して、多少なりともその心を救ったといえる人々がいる。うまく言葉にして説明できないにしても、今自分はそうした純然たる<救い>の力にとり囲まれていると、Lはそんなふうに神聖な気持ちにさえなっていた。
「お待たせしました、L。先にこの者の遺体を見本として処理するよう、マスターに言われておりますので……少し離れたところで、ご見学ください」
 ブラックホール発生装置の計器類などを調節していたらしいガブリエル♯1018が、底が見えないほど暗いように思えるその機械のドアを開き、♯1017と協力して、彼の遺体をそこへ放りこむ。そしてドアを閉め、鍵をかけると、スイッチを入れるなり、自分たちもまたそこから遠く離れた。
(これは……!!)
 ヴン……!!と、一瞬おそろしいような唸りをその装置は上げた。そして強い重力の波動のようなものが、数回にわけてLの体を駆け抜けていく。それはまるで、死者の呪いの声、その断末魔の叫びをLに連想させたが、たった数秒のうちに、カインのコピーの遺体が本当にブラックホールの中へ消え去ったのだとしたら……これはまるで悪魔のような機械だと、Lはそう思わずにいられなかった。
「さて、次はあなたの番です」
 ラファエル♯1017と♯1018が声をあわせて、まるで楽しいテーマパークを案内するような笑顔でそう言った。彼女たちにはおそらく、<死>の概念というものが存在しないのだろう。ゆえに、もしかしたら自分たちがマスターの命令でブラックホール発生装置の中へ入れと言われたとしても――彼女たちは「わかりました、ご主人さま」と答え、にっこりと微笑みながら死んでいくのかもしれなかった。
 Lは、ゆっくりと歩きながらブラックホール発生装置に近づいていったが、その時に考えていたのは、自分の死の恐怖のことなどではなく……自分が殺してしまったカインのコピーについてだった。Lはそこに、かつての自分の姿、ラケルのことを知らずに、より深い形での愛情を伴う人間関係というものを知らなかった頃の自分を重ねあわせていた。彼には果たして、カインのコピーとして生きるにしても、何か生き甲斐や真に誰かに愛情を感じる瞬間があっただろうかと思ったのだ。こんな、エデンという閉鎖された空間で、同じ顔をしたなんでも言うことを聞くアンドロイドに囲まれて暮らし――そして最後にはオリジナルである本体の余興を演じさせられて死んだのだ。
(カイン、やはりおまえのしていることは間違っている……!!)
 どうぞ、と両開きのドアをそれぞれが片手で開き、そして彼女たちはそこへLが入るようにと促す。そこを見てみると、確かにカインのコピーであった若い青年の姿は跡形もなく消え去っており、中には黒々とした闇のような暗い空間が存在しているのみだった。
(どうする……彼女たちをこの手で殺すか?カインのコピーを殺した時のように……)
 Lがブラックホール発生装置の中をずっと覗きこんだままでいると、「L、どうかお早く」と、♯1017がさらに促した。今、この場にラファエルとカインはいない……いや、おそらくはこの薄暗い部屋のどこかに設置された監視カメラを通して、今の自分の言動を見張っているに違いないが、彼の計算のうちには、Lが死を目の前にして往生際悪く抵抗するというシナリオも、必ず含まれているはずだった。
(ならば、それに乗ってみるのも、ひとつの手だ……!!)
 Lはそう思い、ブラックホール発生装置から顔を上げるなり、ガブリエル♯1018の顔にカポエラ蹴りを食らわせた。さらに返す足で、♯1017の鳩尾のあたりにも蹴りを入れてやる。
「動くな!!」
 まともに蹴りを食らいつつも、なお起き上がろうとするガブリエル♯1017と♯1018ではあったが、その声の主は彼女たちではなく、ラファエル♯001だった。<彼>はLに対して銃を構えており、おそらくはこんなこともあろうかと、マスターから彼のことを最後まで見張る役目を仰せつかったに違いなかった。
「撃ちたければ、撃ってくださって構いませんよ……先に頭蓋を貫かれて死ぬのも、このブラックホール発生装置とやらに入って死ぬのも、そう大差ありませんからね」
 どこか皮肉げにそう言うLのことを、ラファエルは数瞬の間黙って見つめていた。そして、「ラファエル様……」と言って、<彼>の庇護を求めるように側へやってくるガブリエル♯1017と♯1018に向かい、ラファエルは容赦なく発砲する。
 先に死んだのは♯1018だったが、的確に眉間を銃弾で貫かれている仲間を見て、♯1017は極度の恐怖を感じたのだろう。「ひっ!」と叫び声を上げて部屋のドアへ駆け寄ろうとする……だが、その彼女に向かっても、ラファエルは後ろから容赦なくその心臓を撃ち抜いた。
「これは、どういうことですか?あなたは一体……」
 Lは驚きのあまり、それ以上言葉が続かなかった。自分の声がどこか干からびたような響きを持っており、うまく舌がまわらないようにさえ感じる。
「L、わたしはあなたを死なせるわけにはいかないんです。何よりも、それが<マスター>の命令でしたから」
 一瞬、Lは珍しくも、呆気にとられそうになった。アンドロイドたちは全員、まったく同じ顔をしている――ということは、<彼>は先ほどまでエデンを案内していた、ラファエル♯001ではないのだろうか?あるいは♯002とか♯003とか……。
「わたしは、先ほどまであなたと一緒にいた、ラファエル♯001ですよ」と、婉然と微笑みながらラファエルは言う。Lの考えていることはすべて、<彼>にはお見通しなようだった。
「では、あなたの言うマスターとは?まさか、先ほどまでわたしと話していたカイン・ローライトは……」
「ええ、あのあとわたしがこの手で殺害しました。もちろん、彼にも選択肢はあったのです……もし彼があなたを赦し、さらにはあなたを生かし続けるという道を選んだとしたら、わたしも彼を殺すことはなかったでしょう。ですが、これも<マスター>の命令ですから、わたしにとっては仕方のないことです」
「……………」
 Lは黙りこみ、複雑な気持ちにならざるをえなかった。カイン・ローライトがラファエルにとってのマスターでないとするなら、彼にとってのマスターというのが何者なのか、今のLには見当もつかない。だが、まさかもしかしたらとの思いが、彼の心の内を掠める。
「では、これからわたしはどうしたらいいんでしょうか?さしあたって、わたしはあなたの言うとおりにする以外、道はないようですが……」
 自分が手にしている拳銃に、Lが視線を注いでいるのに気づいて、ラファエルはそれをポイと床の上へ投げ捨てた。危害を加える気もなければ、強制して言うことを聞かせようというわけでもないことのしるしとして。
「わたしについてきてください。これから、エデンの最深部――わたしが本当に<マスター>と呼ぶ人物に、会ってほしいと思います。何よりも、そのことが彼の唯一の願いでしたから……」
 Lはわけがわからないなりに、ラファエルの後について、また歩きだすことにした。先ほど、ラファエルの手によってガブリエル・ナンバーの者ふたりに身柄を任された時――Lは、確実にこれで自分は死ぬだろうと思った。うまく説明できないが、エデンへ来て以来、Lは彼から何か特別に庇護されているような、守りの力を不思議と感じていたのだが、その彼が<マスター>であるカインの言うなりとなり、冷酷に死刑執行人に自分の身柄を渡すのを見て、「これでもう自分は本当に終わりなのだ」とLは漠然と感じていたのだ。
 だが、その彼が再び、自分の味方となってくれたことに対して、Lは何故か嬉しいような気持ちになっていた。相手はただのアンドロイドであり、その行動の規範は、プログラムされたものに過ぎないとわかっているにも関わらず――それでも、Lはこのほんの短い間に、彼に対して<信頼>とも呼べる強い繋がりのようなものを感じていた。それが何故なのか、L自身にも最後までわかることは出来なかったけれど……。



【2008/10/01 16:24 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(24)

「これは、本当に本物なんですか?」
 ラファエルにマスターのいる部屋まで案内しますと言われ、到着した部屋には、まだ誰もいなかった。それでLは、その室内にあるもの――おそらく価格にして一千万円はするであろう、精緻な模様のシルクの絨毯、細長い黒檀のテーブル、純金とクリスタルのシャンデリア、アンティークなサイドキャビネットの上の陶器の像や中国・清時代の壺など――を、点検するようにひとつひとつ眺めていった。
 そして、おそらく先ほどまでそこから自分と<K>のコピーがフェンシングをするのを見下ろしていたであろう長方形の窓には、今白樺の林や森の景色などが映しだされ、さらにそこからは鳥のさえずりまで聞こえている。
「実に不愉快ですね……」と、Lがカインの趣向について、指を齧りながら呟いた時、Lが入ってきたのではない、別のドアが開いて、そこからカイン・ローライト――おそらくは今度こそ本物の――が姿を見せた。
 身長は、大体背筋を伸ばしたLと同じ179センチくらいだったろうか。そして、どこか中世の貴族を思わせる衣服――白のゆったりとしたブラウスに、ダークブルーのベスト、それに揃いのズボンといった――を着ている。だが、さきほどのコピーである<K>との決定的な違いは、彼が三十代半ばといったような容貌をしていることであった。あのまま普通に年齢を重ねていたとすれば、今彼は四十歳であったろう。だが、例の細胞が若返るという薬を服用しているのであれば、実年齢より若く見えたとしても不思議はない……Lは、まだ目の前の彼が「本物」とは断定できないと思いながらも、相手に対して会話するに足る人物としては認め、彼と細長いテーブルに差し向かいになって腰掛けた。
「君は、その座り方じゃないと駄目なのかね?」
先ほどLがフェンシングをするのを、<マスター>である彼と一緒に見ていたであろう、ガブリエル・ナンバーのアンドロイドが、メイド服を着て、カインに給仕している。牛フィレのロースト赤ワインソースとじゃがいものグラタン添え、それにカリフラワーのクリームスープだった。そして彼女はLに対してもにっこりと微笑みながら、林檎のタルト・バニラアイスクリーム添えを置いていった……Lが甘いもの以外はほとんど口にしないということを、Kはすでに知っていたのであろう。
「わたしは、この座り方でないと推理力が40%減です。そして今のこの状況下では、フルに自分の脳の推理力を働かせる必要があります。ゆえに、たとえマナーに反しようとも、膝を伸ばす気にはなれません」
「なるほど。まあ、好きにしたまえ。ちなみに、その林檎のタルトの中にはおかしなものなど何も混入されていないから、安心して食べるといい。君の細君の作るアップルパイには、もしかしたら遠く及ばないかもしれないがね」
「ええ、彼女の作るスイーツは、天下一品ですから」
 カインがナイフとフォークを上品に使っているのに対して、Lは手づかみでムシャムシャと、いつもどおりの行儀作法で林檎のタルトを食べていった。もしこの中に睡眠薬にせよ幻覚剤にせよ毒物にせよ……何かが混じっていようがいまいが、現在の状況下ではあまり変わりがないとLは思っていた。何故なら、そんな姑息なことをしなくても、ここエデンはカインのフィールドであり、自分はその中にすでに取りこまれてしまっているのだ。それなら、小心な心遣いなど一切せず、フェンシングで消費した糖分を回復したほうが、これから行動する上でも有利になるというものだった。
「ところで、前からずっと聞きたいと思ってたんですが……あなたの造るアンドロイドは、何故全員顔が一緒なんでしょう?そこには何か、深い理由のようなものが存在するんですか?」
「いい質問だね、L」と、どこか優雅な手つきでワインを飲みながら、カインは笑う。「というより、本当は君も気づいているんだろうな。彼女たちの顔は、わたしと――そして君の胎の母の、イヴがベースのモデルになっている。あとはコンピューターが検出した、どの人間が見ても<美しい>と感じる顔立ちのデータを加えて作成されているんだよ。これこそまさに、最高の人間だという意味をこめて、わたしは全員を同じ顔にした。何故といって、ガブリエル・ナンバーはより人間に近いだけに、互いの違いに敏感で嫉妬するという感情も当然持っている。ゆえに、そこまでの複雑な感情がさらに深化してややこしい事態を引き起こさないためにも、みなが<平等>である必要があるというわけなのさ」
「なるほど……そしてあなたは、自分の母親によく似た面差しの女性を見つけると、必ず攫ってきますよね。そして殺すことはせずに、記憶を消すなどして地上に戻している。先ほど、そちらにいるラファエル♯001からも、わたし以外にこれまで、あなたの気に入った研究者などがここエデンへ来たことがあると聞きました。ところで、彼らや彼女たちは、その後どうなったんでしょう?」
 自分の後ろに、立ったまま控えているラファエルのことを、カインはちらと振り返る。そして<彼>が何か言い訳しようとするのを制して、言葉を継いだ。
「まあ、それはケースバイケースということになるな。君の優秀な部下のひとり――ステファン・ジェバンニ君の妹君にわたしが何をしたのか、L、君はそうした点について聞きたいのだろうな。『汝、選ばし者』と呼ばれ、リヴァイアサンの組織に忠実に仕えた者のことを、わたしは確かにここエデンへ招待することがあるのだよ。だがまあ、一通り案内したあとは、遺伝子研究のためのサンプルなどをいただいて、スリープ状態に入ってもらうことが一番多いかな……彼らは特殊な睡眠装置の中で、永遠の夢を見ながらゆっくりと老いていく。そして、わたしとて一応これでも人間だからね。時に人のことが恋しくなることもあるさ。そこで、L――君が殺したわたしの母に面差しの似た女性を捕まえては、時々戯れの時を過ごすこともあるというわけだ。だがまあ、結局彼女たちはどこか顔立ちが似ているというだけで、わたしの母のかわりにはなれない。君がわたしの母、イヴの胎内から生まれてさえ来なければ、エデンも今ごろこんなふうじゃなかったかもしれないけどねえ」
 血のように赤いワインをカインが飲みほすと、脇に控えていたラファエルが、彼にロマネコンティの1974年ものを注いでいる……その様子を見ながらLは、思っていた以上にもしかしたらこのカイン・ローライトという男の精神構造は幼いのではないかという気がした。母親という存在の呪縛から逃れられず、彼女と面差しの似た女性を地上から攫ってくるも、心が完全に癒されることはない。今、彼はその状況を作りだした全責任は自分にあるとして、Lのことを断罪している。
 これまでLは、その罪の追求を彼にされる時、どれほどつらい思いを味わわなければいけないだろうと想像していたが、意外にも開き直りに近い境地に自分が達していることがわかり、むしろ超然とすることさえできていた。
「わたしも、ある人に出会うまでは、ずっと自分など生まれてこなければよかったと、そう思って生きてきましたよ……旧約聖書のヨブ記に、こういう一説があるでしょう?『私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った」と言ったその夜も。その日は闇になれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。闇と暗黒がこれを取り戻し、雲がその上にとどまれ。昼を暗くするものもそれをおびやかせ。その夜は、暗闇がこれを奪いとるように。これを年の日のうちで喜ばせるな。月の数のうちにも入れるな。ああ、その夜には喜びの声も起こらないように。日を呪う者、リヴァイアサンを呼び起こせる者がこれを呪うように。その夜明けの星は暗くなれ。光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがないように。それは、私の母の胎の戸が閉じられず、私の目から苦しみが隠されなかったからだ。なぜ、私は胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は生まれ出たとき、生き絶えなかったのか。なぜ、私を受ける膝があったのか……』この箇所を、わたしは自分に対しての言葉のようだと思い、それこそ何度も繰り返し読みました。わたしは基本的に無神論者ではありますが、それでも<神>という人が本当にいて、もしあなたの母親であるイヴ・ローライトに心の底からあやまれと言うなら――自分が生まれてきたことを、なかったことにして償いたいとすら思っていました。その気持ちは本当です」
「ふふん。L、君が聖書を引用するとはね……わたしは随分前から、君が<神>など信じることが出来ぬように、色々なことを仕掛けてきたつもりだがね。正直なところを言って、今君がここでこうしてわたしと顔を合わせることが出来ているのも、言ってみればわたし個人の好意……慈悲にも近い感情によってなんだよ。君がこれまで生きてきた二十数年の間、わたしにはいつでもL、おまえの命をとることが可能だった。でもそうしなかったのには、それなりに理由がある。ワインを樽の中で時間をかけて熟成するように、わたしはじわりじわりとおまえを追いつめて最後に絶望の中でのたうちまわるおまえに引導を渡してやろうと考えていた。脳味噌をいじくって苦痛を与えるもよし、レーザーで生きたまま五体をバラバラにしてやろうと思ったことも何度かある……だがまあ、この場合、痛みが続くのはせいぜい二十分程度だ。それではわたしが受けた精神的苦痛に遠く及ばないものだと思わないかね?死んだ者は二度とは生き返らない――その代償としてはあまりに安すぎる償い方だ。そこでわたしは考えた。L、おまえが最初から<いなかった>ことにしてやろうとね」
「どういう、意味ですか?」
 林檎のタルトは、まだ半分以上残っていたが、Lも流石にもう食指が進まなかった。というより、生まれて初めてスイーツをまずいと感じてさえいた。味がどうこうという以前に、何故だか吐き気を催すような、嫌なものを食べている気分に、Lは今なっていた。
「言った言葉のとおりだよ。その昔、ここエデンには八百人を越える科学者たちが住んでいたんだ……ワタリは、ロンドンの空襲で失った婚約者のことを甦らせようとして、禁断の方法に手を染めていたし、その他色々な種類のありとあらゆる研究がここでは進められていたのさ。そのうちのひとつ――ジャスパー・リンドグレイという天才物理学者がね、現在地上に存在するエネルギー資源はいつかは枯渇すると考えて、新たなエネルギー源の開発を推し進めていたんだよ。それは人為的にブラックホールを生みだし、そのエネルギーを石油やガスなどの代替燃料にするというものでね、まあ、核燃料よりも危険な方法だと言えるが、エデン全体を統括する長であった父は、リンドグレイ博士の研究を特に止めだてはしなかった。ところが、彼とは別のエデンではまるで下っ端の物理学者が、ある時二酸化炭素と水さえあれば、永久にエネルギーを生みだすことの出来る装置を開発したんだよ。悲観したリンドグレイ博士は、ブラックホール発生装置に自ら身を投じて自殺した……以来、そこは人体実験などで不用になった人体のなれの果て、物質と化したそれを捨てるゴミ捨て場になったんだ。L……君にもそこへ、入ってもらおうかとわたしは考えてるんだが、どうかね?」
「……………」
 Lは黙りこんだ。ブラックホールの中に身を投じたとすれば、それは生きながらにしてそのまま<無>の世界へ行くということだ。冗談にも楽しい死に方とはとても言えないのは確かだが、それでも――当初Lが考えていたような、『最悪の事態』よりは、まだ僅かばかりマシだったともいえる。
 少なくとも、カインは<L>という存在がコピーであれなんであれ、この世界で息をしているそのこと自体が気に入らないのだから、Lにとっての最悪のシナリオ……オリジナルである自分が今ここで殺され、クローン人間が地上へ戻されるという可能性は回避されたということになる。奇妙なことではあるが、最悪よりも少しはマシであるその最期に、Lは淡い希望さえ持っていた。ただ、<L>という人間が地上に生きた痕跡を消すというのが――もし自分に関わった者すべての記憶を消すということであるなら、Lはラケルにも忘れ去られてしまうのかと思い、胸が痛んだという、それだけだった。
「どうした?ショックのあまり、言葉もないのかね?」
 ワイングラスをくゆらせているカインに向かって、暫くの間下を向いていた顔を、Lは真っ直ぐに上げた。これまで、十三歳の時にワタリから真実を聞かされて以来、この瞬間が来るのを自分はどれほど怖れて生きてきたことだろう……それなのに今、Lは自分の心のうちから怖れや不安が取り除かれていることに驚いていた。そうなのだ。もし仮にカインが心の内にあることをすべて行ったところで、自分が死に、ラケルの記憶から<L>という存在が消え去ったとしても――彼女をたった今強く「愛している」と思うこの気持ちまでは、彼にさえも消し去ることはできないと、Lはそう思っていた。
「いえ、もっと中世の拷問器具にでもかけられるような苦痛が存在するものと想像していたんですが……ブラックホール発生装置にかけられるというのなら、それも悪くないかもしれません。あなたは心の内にあることをすべて、わたしに対して行ってください。ただしそのかわりに、この最後の晩餐ともいえる席で、わたしが知りたいと思っている質問にいくつか答えてほしいんです。どうせわたしは死にゆく運命なんですから、そのくらいのことは許してくれてもいいでしょう?お願いします」
「……………!!」
 今度は、カインが黙りこむ番だった。Lの顔つきは、絶望しているわけでもなければ、狼狽しているわけでも、苦痛に歪んでいるというわけでもなかった。まるで、これからサッカーの決勝戦が行われる時の、選手の顔つきとでも言えばよかっただろうか……それでカインは、まだLが希望を持っている、生きのびることのできるチャンスを掴もうとしているのだろうと思った。だが、これから彼がどんな意表を突く興味深い質問をしたところで、自分の中でこの決定が覆されることはない――カインは、今はまだ冷静さを保っているLも、ブラックホール発生装置にいざ放りこまれようという時には、泣いて命乞いするだろうと思い、極めて寛容な気持ちになっていた。それで、自分の理解できない種類の、奇妙な微笑みを浮かべている男に対して、残酷な微笑みを返してやる。
「いいだろう。死人に口なしとはよく言ったものだからな……おまえが今ここでわたしに何を聞こうと、<L>、おまえは最後には絶対に死ぬ。この運命は何があっても変わらない。その前に、ひとつくらい願い事を叶えてやるというのも一興だろう。まあ、おまえがわたしに聞きたいことなぞ、ある程度想像がついているがね」
 カインが食事をし終えたのを見計って、またもメイド服を着たガブリエル・ナンバーのアンドロイド――給仕ロボットとでも呼ぶべきだろうか――が、銀のトレイに皿などを乗せ、黙って去っていく。その様子を見て、Lは具体的な質問をする前にカインにこう聞いた。
「デザートはないんですか?それとも、わたしが今日のあなたの分のスイーツを奪ってしまったんでしょうか?」
「気にしないでくれたまえ。わたしはもともと、君と違って甘いものはあまり好きじゃないんだよ」
「そうなんですか……まあ、人の口の好みはそれぞれですからね。それより、まずは質問のひとつ目なんですが、何故あなたは実の父親であるレオンハルト・ローライト博士を殺したりしたんです?彼の遺伝子研究の最高傑作ともいえるこのわたしを殺すというのならわかりますが、ワタリやロジャーからは、あなたが自分の父親のことをとても尊敬していたと聞いています……それこそ、実の母のイヴと同じくらい、家族として彼のことを愛していたんでしょう?」
 いかにも不愉快だと言いたげに、カインは細い眉を吊り上げている。そのことの理由はLにも当然わかっていた――彼は、自分の母親が死ぬ原因を作ったLが、彼女のことをイヴと呼び捨てにしたり、平行して<愛>などという単語を口にするのが気に入らなかったのだろう。
「フッ……予想していたとおりの質問とはいえ、おまえの口から母の名前や愛などという言葉を聞くと、あらためて虫唾が走るな。そうとも、L。おまえの言うとおり、わたしは母同様、父のことも敬愛していたさ。だが、父の母に対する扱いようをみて、気が変わったんだよ……この男は、実に身勝手で、自分の研究のためならどんな犠牲をも厭わぬおそろしい男だとね。もっと言うなら、<エデン>の存続のためなら、母の命も息子であるわたしの命をも犠牲にするだろうと、その時はっきりわかったんだよ。いや、父だけじゃない。このエデンにいる科学者と呼ばれる者のその全員が、心の底ではそう思い、一致団結している……けどまあ、君もわたしと同じことを思っているに違いないが、エデンの体制は当時からかなりおかしかった。先ほど話にでた、リンドグレイ博士は、自分の研究に絶望して自殺したわけだが、他にも精神的な病気にかかってロジャー=ラヴィの治療を受けているような者はたくさんいたんだよ。地上へ戻るためには記憶を消すというのが絶対的条件になるからね……いくらホログラムで地上の世界をリアルに体験できたところで、一部の者には決して耐えられるような環境じゃなかったんだ。けどまあ、そういう人間の行きつく先は、結局は処刑による<死>だからね。その一方で、適応できた科学者たちにとっては、エデンという環境はこの上もなく素晴らしいものだといえただろう。何故といって、研究費のことなどまったく考えることなく、湯水のようにそれを使えるんだからね……わたしがこのエデンの環境を変えようと思ったのは、何も母のことだけが原因というわけじゃなく、それまでも<おかしい>と感じていたことを、少しばかり暴力的な方法によって変革しようとしたまでのことなんだよ」
「ですが、あなたがエデンにいる八百数十名もの科学者たちをアンドロイドを使って処刑したことは、ある程度わたしにも納得できるにせよ」と、Lはあえて人命の重さ・尊さを無視する言い方をした。「それを理屈によって理詰めで「正しい」とすることと、実際にそれだけの人間を一度に殺すことには……物凄く大きな隔たりがあるとは感じませんでしたか?というより、やはりあなたにとってはお母さんを亡くしたということが、それほどまでに大きなショックだったということなんでしょうね……そのことが、それまでも「おかしい」と感じていたことの積み重ねに直接的な火を点ける結果になった。そう考えても、よろしいですか?」
(こいつ……!!)
 カインは、自分の苛立ちを抑えるように、前髪をかきあげた。Lが今、自分のことを<ただの殺人者>として見、同情しながら殺人犯を取り調べる、警察官の顔つきをしているのに気づいたからだ。実際には、立場としては自分のほうが圧倒的に優位なはずなのに――奇妙な敗北感に似た感情が心に忍びよってきて、カインは一瞬目の色を変えた。
「まあ、なんとでも言うがいい。わたしは二十数年前に起きたあの日の事件については、今もまったく後悔していない。そしてL、おまえのことをエデンから追放した時のこともだ。汚れのない赤ん坊のまま、なんの苦しみもなくおまえが死ぬことを、わたしはどうしても許すことが出来なかった。それよりも、地獄のような地上でのたうちまわって苦悩し、苦しみ抜いて死ぬがいいと思っていたからね……どうだ、L。おまえもわたしのことを殺してやりたいほど憎いと思ったことが、何度となくあったんじゃないかね?」
「いえ、今はもうそのことはあまり問題ではありません」と、あくまでも冷静にカインの顔を見つめながら、Lは真っ直ぐに言葉を投げた。「それよりも、あなたが父親であるローライト博士にかわって、エデンを治めるようになったその後のことをお聞きしたいんですが……あなたが今も、世界各国にここが超一流の最先端をいく科学研究所であり、ここには数多くの天才的な研究者がいると見せかけていることは知っています。ですが現在、ここにはあなたの他には、アンドロイド以外に普通の人間はいない――ワタリやロジャーのその推測は正しいですか?」
「その通りだよ。ここにはわたし以外の<生きた>人間はひとりも存在しない。時には地上から人を連れてくることもあるにはあるが、一度睡眠装置に入った人間は、そこから一歩でた途端に、ここを地獄と感じるだろうからね……いつまでもいい夢をみさせてやるのが、せめてもの慈悲というものだよ」
「そうですか。では、他の質問に移りますが、ここで稼動している人造人間は全部でどのくらいの規模になるんでしょう?少なくとも、世界中に今、あなたがクローンとして送りこんだり、その他注意すべき人物としてマークしている人物は、ざっと千人以上はいるはず……その全員をあなたがアンドロイドを使って監視していることはわかっています。そして、世界各国の国防省の人間や、政府機関の人間を、風呂やトイレに入っている時まで監視するのは、まあ百歩譲っていいとしても――あなたは先ほど、父親の時代からエデンはおかしかったと言いましたよね?それなのに、何故その点を正して、世界をより良い方向へ導こうとしなかったんですか?」
「愚問だな、L」自嘲するような、どこか歪んだ笑みを浮かべて、カインは言った。「第一、今のこのエデンの現状を見てみたまえ……言ってみれば、わたしひとりの完全な独裁体制だよ。よくSF小説などではね、自我に目覚めたアンドロイドが人間にクーデターを企てる、なんていう筋立ての話があるが、そうなったらそうなったで、わたしは全然構わないんだよ。L、君はわたしが自分自身で望んで今のこの地位に着いていると思っているかもしれないが、そんなのは考え違いもいいところだ。わたしはこの<神>にも等しい王座を、自分で手に入れたくて手に入れたわけじゃない……言ってみれば、地上の哀れな人間どもに押しつけられた地位に留まっているに過ぎないのさ。リヴァイアサンの存在を知る、各国政府の裏の黒幕などは、いざとなったら自分たちにはリヴァイアサンという存在があるということが、何よりの救いなんだよ。L、もしかしたらおまえはわたしやエデンという存在を出来ることなら消し去りたいと思っているかもしれないが、地上の蛆虫みたいにか弱い連中のことも少しは考えてやるんだな。どこかの国の誰かが誤って核のボタンを押した日には――その惨状を救えるのは、このエデンをおいて他にはないということをね」
「いえ、むしろその点こそが、わたしの聞きたいところです。あなたが今現在利用しているクローン技術その他を使ったとすれば、核を廃絶することも可能なはず……それなのにそれをしないということは、あなたはリヴァイアサンという組織の重要性を世界各国に知らしめるために、むしろその点については何もしていないといったほうが正しいのではありませんか?」
「またしても愚問だな、L。わたしはね、このエデンがどうなろうと、地上が核戦争に見舞われて人類が滅びようと――どうとも思わない人間なんだよ。それでもまあ、自分なりの義務感から、この基地を守るためにあらゆる手を尽くしてはいるし、地上の人間にもそれなりの恩恵を返しているつもりだよ……たとえば環境問題にしても、海底から噴出するメタンガスを抑えるために、ある特殊な珊瑚に似た開発植物を植えたりね、そうしたことをエデンは行っているし、他にも色々、君があずかり知らぬところで、我々は良いことをしているんだ。つまり、わたしが言いたいのはこういうことだといえるかな――先ほどL、おまえは何故わたしが父を殺したのかと聞いたが、おまえが言いたかったことは正確にはもう少し別のことだったに違いない。およそ八百人以上もの研究者を全員殺さず、何故そのうちの百人でも生かしておかなかったのかと、おまえはそう聞きたかったのかもしれない……旧約聖書のソドムとゴモラの話はL、おまえも知っているだろう?」
 知っている、とあくまでも自分を取るに足らない、目下の者として扱おうとするカインに、Lは首肯してみせる。
「神は、ソドムという町が道徳的にも社会的にも、あらゆる観点から見てこの上もなく腐敗しているとして、その町を滅ぼそうとした。ところが、そのことを知ったアブラハムはこう言うんだな。『正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがない。そこにいる十人の正しい人のために、どうかその町を滅ぼさないでください』と――だが、結局ソドムという町は、神の怒りによって滅んだ。返していうなら、十人もの正しい人さえそこには見つからなかったということだ……だが、神はこの時、アブラハムの甥のロトとその家族のことは救おうとしている。わたしに言わせればまあ、L、おまえのことをワタリとロジャーに託したのは、そんなような理由によってだった。とりあえず、自分の知っている中で唯一、彼らには人間として<見るべきところがある>と思っていたからね……そして、父を殺すからには、他の科学者も全員殺さなければいけないというのは、わたしの中で完全に決定していた出来事だった。それは一体何故か?第一にそれがもっとも手っとり早いということ、第二に、父がエデンにいなくなることと、エデンが滅びるというのはイコールで結びついた事柄だったからだ。いいかね、L。八百人も科学者がいて、おのおの、好き勝手な研究をしているというのは、実に危険なことなんだよ。そこには必ず、頂点に立って全体を見通すことのできる、カリスマ的な指導者が存在しなければならない。エデンにおいては父がそうした存在だった……むしろ君や他の地上の人類は、わたしのこの英断に感謝すべきだとすら、わたしは今も思っているよ。何故なら、わたしが母を殺し、父を殺し、さらに自分の頭を拳銃で撃ち抜いていたとすれば――他の科学者たちは統制を失って、おのおのに勝手なことを行い、派閥争いの果てに自ら滅んでいたろうからね……それも、地上におそろしい破滅の痕跡を残したそのあとで」
「……………」
 カインの眼差しがまたも、残酷に一瞬輝くのを見て、Lは黙りこんだ。彼に対して最初から感じている自分の違和感――それがなんなのか、Lは今、初めてわかったような気がした。彼は誰が見ても好意を持つような、貴公子然とした顔立ちをしており、その瞳は両方とも冷たい氷のような青色をしている……だが、その右目には正しい心が宿り、左の目には狂気が宿っていると、Lはそんなふうに感じていた。だから、その両方の眼差しで見つめられると、何か矛盾したような、奇妙な気持ちに捕われそうになるのだ。
「質問は、以上かね?」
「ええ……もう結構です」と、Lは自分の膝の上に手をおきながら言った。他にも、まだ彼に対して色々聞きたいことは確かにあった……地上の環境問題にまで気を配っているのなら、このまま人口が増え続けて、エネルギー資源の奪いあいを人間がした場合、どう救いの手を伸ばすつもりなのかといったことや、彼自身がいつまでも永久に生き続けるということは不可能だと思うが、その場合はクローン人間がカインの後を継ぐことになるのかといったことも……だが、Lは突然、今のカインの回答によって、何もかもがどうでもよくなった。何故なら、彼は決して<神>ではないにしても、彼なりの信念や哲学といったものがあり、それを「間違いである」として正す権利が果たして自分にあるのかどうか――Lにとっての信念や哲学といったものが揺らいでしまったからだ。そしてそれでも、とLは思う。
「あなたに処刑される前に、最後にひとつだけ、いいですか?」
「いいとも。この際だから、なんでも言いたまえ」と、カインは優越感に浸りきったような、居丈高な様子を崩さず答える。「わたしが地球上にいる蛆虫どもの中で、唯一自分の手でひねり潰したいと思うのは、L、おまえひとりだけだからね」
「今、このエデンには、わたしの部下とも呼べる人間が、数人乗りこんできているはずです……わたしの命は最初からなかったものとして取ってくれて構いませんが、彼らのことだけは――記憶を消すなどするに留めて、助けてやってくれませんか?」
「ああ、もちろんだとも、L。今このエデンにネズミが何匹紛れこんでいるか、そんなこともわたしはとっくに承知の上だ……そしておまえが、自分の部下のニアに命じて、ここを破壊しようとしている企みについてもね。だがまあ、軍事分析家のアンディ=ウォーカーは、すでにわたしたちの手のうちに落ちている……これがどういうことか、L、君にもわかるだろう?もしニアとやらが衛星ミサイルを発射しようとしたその瞬間に――彼はおそらくいかなる手段を用いてでも彼を殺す。そしてもしそうならなかったにしても、わたしは彼と敵対しているメロを地上に戻したその後で、彼にニアのことを殺させ、Lの後釜に据えることもできるというわけだ。どうだ、そんなところで手を打たないか?」
「いえ、メロにはLは死んだが、エデンは壊滅したと、そう記憶の操作を行ってください。そしてその後でニアや他の者に対しても記憶の操作を行うということが……カイン、あなたならば可能なはずです。そうでなければ、多少厄介なことになりますよ」
「厄介なこととは、どんなことだね?」
「これです」
Lはごそごそとジーンズのポケットを探り、サイコロほどの大きさの何かを取りだすと、右手の親指と人差し指で、それを摘むように前へ突きだした。
「これは、ワタリが製造した分子爆弾です。わたしは最悪の場合に備えて――これを自分が死ぬために使おうと思っていました。あなたも知ってのとおり、これを使えば<わたし>という存在は分子レベルで消えてなくなることになります。ですから、あなたの言うブラックホール発生装置に入って消え去れという刑罰は、わたしにとってそれよりはいくらかマシな措置とも言えるわけです」
「さて、それはどうかな……人工的に発生したブラックホールに吸いこまれて死ぬのと、分子レベルで消え去るのと、五十歩百歩といったところという気もするがね。なんにしても、そんなものでわたしを殺したところで無駄だ。どうせまたわたしの代わりの者など、ここにいるラファエルかリリスが別の方法で再生するだろうからな。そうなればL、おまえの仲間のことは全員、有無を言わさず皆殺しにさせてもらう……おまえのもっとも愛する細君のことも含めてな」
「……これは、わたしの遺言のようなものだと思って聞いてほしいんですが」緑色の液体を不気味に光らせる、分子爆弾をテーブルの上に置きながら、Lは言った。「わたしは今、あなたに感謝しています。そして唯一ひとつの点においてのみ、あなたに<勝った>と思いました。確かに、これからわたしは肉体ごと「無」の世界へと運ばれ、人々の心の中に残る<L>という存在も、あなたが操作した記憶の中において、ということになるのかもしれません。それでも――おそらくわたしは、あなたがクーデターを起こさず、エデンであのあと健康に育つよりも、今置かれている自分の状況のほうが、遥かに幸せではなかったかと思うんです。十三歳の時にワタリから本当のことを知らされた時には、確かにつらかったです。生まれてこないほうがよかったのにと思ったことも、何度もありました。そして、死にもの狂いで自分の影と戦うみたいにして、あなたが裏で糸を引いているリヴァイアサンという組織を追い続けました……その過程で、たくさんの人の命が失われましたし、わたしもまた、自分の不甲斐なさを呪ったことが何度となくありました。でも、わたしのことを信じてついてきてくれる人が数多くいたということ、それが何より今のわたしにとっての<救い>なんです。それから、あなたがわたしを苦しめるというそのためだけに、ラケルにも手出ししないでおいてくれたことにも、感謝します。あなたもおそらくすでにご存じでしょうが、彼女は以前に一度誘拐され、その時のストレスのためか、流産しています。このことはわたしも口にだして彼女に言うことはできませんでしたが――わたしはそう聞いた時、内心ではほっとしていました。何故なら、あなたが妊娠中の彼女を攫う動機はあまりに大きすぎるから……そしてあなたが味わったのと同じ悲しみをわたしに与えないでくれてよかったと、今そんなふうに感じています」
「……………」
 カインは、いかにも耳障りな演説を聞いた、とでもいうように、顔をしかめている。そして、まるで「もう用はない」とでも言うように、Lに対して手を振った。まるで野良犬を追い払う時のような手つきだった。
「ではL、こちらへ」
 ラファエルは、Lにこの部屋から退出するように促し、Lもまたそれに大人しく従った。もう今さらじたばたしたところで仕方がない――Lはそう思い、一瞬目を閉じ、そしてすべてのことの覚悟を決めたのだった。



【2008/10/01 16:15 】
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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(23)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(23)

「ティグラン―――ッ!!」
 ルーが悲鳴に近い声を上げて、自分の頭を銃で撃ち抜いた幼馴染みのそばへと走り寄る。彼は、痛々しくも、両方の目を見開いたままで絶命していた。
「ティグランっ、どうしてこんなことに……っ!!
 どうして、どうしてと繰り返し呟くルーに代わって、エヴァがそっとティグランの瞳を手で閉じさせた。いくらヒーリング能力があるとはいえ、それは生命活動を停止させた者をも生き返らせるほど、強いものではない。それに、もともとエヴァには癒せる者と癒せない者、そして癒せる傷と癒せない傷とが存在するのだ。たとえば、その病いによって死亡することが運命的に確定している者のことは、彼女の手によっても救うことは出来ない。
そしてそうとわかっていながらも、エヴァはティグランのことを自分の超能力で癒そうとした。そのことで、彼の頭蓋を貫いた傷口は修復されはしたものの、ティグランは目を覚まさない。エヴァは見えない目に涙を流しながら、幼い頃よりの自分の仲間の魂が、その体を離れていったことを認めないわけにはいかなかった。
「ラファ、いいから<リリス>と交信しろ!」
 予想外の「メフィスト」の行動に驚いたガブリエル♯2026は、一瞬呆然としていた。だが、その隙を逃さず、メロは彼女のことを容赦なく殴りつけ、さらに銃身で頭部を打ち据えると、彼女は呆気なく意識を失ったようだった。
 ラスにガブリエルを見張るように言い、メロはラファがサブシステムコンピューターに侵入するのを後ろからじっと見守った。彼の頭の中では今、ふたつの思考が同時進行している……まずひとつ目、<メフィスト>とかいう別の人格に乗っとられたティグランは、おそらく最後の力を振り絞って唯一の抵抗を試みたのだということ。そしてふたつ目が、その彼の命を無駄にすることは出来ないということだった。ティグランが自分の命を犠牲にすることで、今わずかながらの<時間>が与えられたのだ。ここの様子は監視されているか、あるいはされていないにせよ、このガブリエルというアンドロイドがいつまでも戻らなければ、別の「誰か」がやって来るであろうとことは間違いない。
 例のルシフェル・ナンバーという銃火器類が一切通用しない連中が、人海戦術とばかり、この場所へ押し寄せた場合――いくら電磁波が操れたにしても、ラファひとりしかその超能力を使えない以上、限りがあるというものだ。だが、もしここでラファがエデンのメインコンピューターである<リリス>を壊滅させることが出来れば……それが唯一の勝機と呼べるものだろうと、メロはそう判断していた。
「ダメだよ、メロ兄ちゃん。流石に情報の容量が大きすぎる。このままいくと、俺のほうが向こうに<飲み込まれる>感じだ……でも、向こうがこっちに「来い」って言ってるのはわかる。いや、「おいで」かな。なんにしても、結局ここからじゃ埒があかないよ。どっちにしても<リリス>本体のある場所まで行かないと……」
「くそっ!!」
 バシッ!と銀行のATM機に似た機械に拳を叩きつけ、メロは今度は部屋の片隅に目をやった。先ほど、このガブリエル・ナンバーと思われるアンドロイドは、何もない空間から突如として現れた。だが、その近辺をあちこち探ってみても、それらしきものを発見することは出来ない。
「おい、この売女!!起きやがれ!」
 単純に造形美ということで言うなら、絶世の美女といえるガブリエルに対して、メロの扱いは極めてぞんざいだった。顔を何度もはたき、彼女が目を覚ますと、その胸ぐらを掴み上げる。
「死にたくなかったら、正直に答えるんだな」と、メロはおそろしく歪んだ形相で、ガブリエルに対してすごむ。そしてラスがすかさず、彼女の頭にマシンガンを突きつけた。「さっき、あんたはどうやってここへ来た?もし答えなきゃ、まずは手の指を一本一本へし折ってやる」
「……………!!」
(こんなに邪悪な人間の顔は見たことがない)と思うのと同時に、ガブリエル♯2026には、メロが本気であるということがよくわかっていた。それで、震える指で、ラファがいまなお何かを操作しているサブシステムコンピューターを差し示す。
「そこのコンピューターに、空間転移装置のマニュアルが載っているはずです。それを使用すれば、エデン内部なら、どこへでも移動が可能……」
 ガブリエルが言い終わるか言い終わらないかのところで、彼女はまた気を失った。メロが容赦なくガブリエルの鳩尾に、パンチを決めてよこしたからである。
「よし、ラファ。空間転移装置とやらのマニュアルを呼びだせ。それで<リリス>のある場所まで、すぐに移動する」
「うん……でもなんか、おかしいんだよ。俺たちが<リリス>を破壊しにきたことは、向こうにもすでに察知されてる。にも関わらず、向こうは俺たちに来てほしがってるんだ」
「なんだそりゃ?ただの罠なんじゃないのか?」
 ラファが『空間転移装置』を起動し、エレベーターに似た箱型の乗り物が現れると、メロはラスとエヴァとルーをそこに乗せた。そして最後にラファのことも乗せ、自分も乗りこむ……だが、扉が閉まろうという瞬間に、目を覚ましたガブリエル♯2026がサブコンピューターに向かいかけたのを見て――間一髪、ドアが閉まるその一瞬前に、メロは<彼女>の頭蓋に狙いをつけて撃った。そして言った。
「これは、ティグランの仇だ」

 メロはこの『空間転移装置』とやらが、どういうシステムで稼動しているのかには、まるで興味がなかった。ただ、通常のエレベーターと同じように60階分の階数のボタンが示されているのを見て――迷わず60のボタンを押す。だが、『転移装置』というくらいだから、ルーの瞬間移動並みの早さで目的地に到着するだろうと思いきや、意外にも時間がかかっていた。もしや装置の故障かとも思ったが、頭上にある電光表示を見ると、確かに53、54、55……と移動を開始していることがわかる。
 それで一瞬ホッとするが、到着した途端にアンドロイドどもに取り囲まれるという最悪の事態を想定し、気を緩めることは出来ないと再び自戒した。
「ティグラン……ティグランが……っ!!」
 なおもショックから立ち直れずにいるルーのことを、エヴァが慰めようとするが、ラスは涙もなく、ただひたすら無言だった。そしてそういう彼女の様子を見て、メロは自分が彼女を好きなのは、おそらくこういうところなのだろうと、パキリ、とチョコレートを齧りながら思っていた。



【2008/10/01 16:07 】
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