スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】
スポンサー広告
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(19)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(19)

 その年の三月も末のある日のこと、アイスランド南西部にあるケプラヴィーク米軍基地に、ニアとセス、それにジェバンニとリドナーはいた。アイスランドは自国の軍隊を持っていない国ではあるが、1951年にNATOに加盟したことにより、ケプラヴィーク空港は、NATO加盟国であるアメリカの軍事基地となっている。その軍事施設のある一室で――ニアはヴァトナヨークトル氷河を捉えた衛生画像を見ていた。彼らが極秘にケプラヴィーク米軍基地で作戦室とした部屋には、アメリカのCIA諜報員、軍事分析家、さらにディキンスンと彼の協力者である星四つの将官、アンソニー・レスター将軍の四人がいた。これらの人々は<L>がリヴァイアサン側の人間でないと判断した協力者のリストに名前があり、かつディキンスンが個人的にも親交のある人々であった。言ってみれば、このうちの誰かがもし仮にクローン人間であるなどして、最終的に裏切り行為を働いたとすれば――それはもはや最後に<そうなる>運命であったとして、ディキンスン自身にも諦めのつく人選であるとも言えた。
「しかし、もし我々の独断で衛星ミサイルを発射したことがわかったとすれば……ただでは済みませんし、第一、いくら近隣の住民を避難させる措置を取っているとはいえ、氷河の一部を攻撃すれば、そこからおそろしい勢いで洪水が起きることは避けられません。それじゃなくてもヴァトナ氷河は温暖化の影響もあって、年々氷は後退し続けているんです。いってみれば、我々の手で世界遺産を破壊するにも等しい暴挙とも言えやしないでしょうか?」
 電光地図を前にしたワークステーションに腰かけたまま、優秀なアナリストであるアンディ・ウォーカーがそう口にする。この場合<L>の代理者ともいえるニアが、彼のその質問に答えるべきだっただろうが――ニアは何かに取り憑かれでもしたように、まさに絶景と呼ぶに相応しい雄大な景色に見入っている。もちろん彼の場合、その氷と雪の美しさに魅入られ、ただ単純に「景色」としてその衛星画像をあらゆる位置・角度からチェックしていたわけではない。<L>から指示されたポイントをずっと探っていたのだ。
「その質問には、わたしが答えるとしようか」公式としては、この場でもっとも位の高いレスター指揮官が、親友のディキンスンが何も言わないのを見て、溜息ながらに答える。ディキンスンは今、星ふたつの少将であったが、本来であるならば、とっくの昔に彼が自分と同等の地位にいたであろうことをレスターは知っている。ただ彼は今以上に星が増えると仕事として逆に動きにくくなる部分があるため、その地位に留まり続けているに過ぎないのだ。「アンディ、我々にとってすでに賽は投げられたのだよ。ようするに我々は今、ジュリアス・シーザー言うところのルビコン川を渡ろうとしているわけだ。<L>から今回の依頼がディキンスンにあってからというもの――我々は同志として、あらゆる方面に根回しを行ってきた。いくら極秘の作戦とはいえ、CIAやNSAの上層部には例のクローン人間をはじめとした、リヴァイアサン側に与する人間が多く存在する。ゆえに、この場にいるのは我々だけでも、実際のところいつなん時どんな形で邪魔が入ってもおかしくないわけだ……そういう可能性をすべて検討したとすれば、結局のところ<N>――ニアが衛星ミサイルの発射装置を押す可能性は低いということになる。何より、<L>たちが作戦を成功させて無事帰還を果たした場合にも、我々にはそのボタンを押す必要がないわけだから、可能性としては、そうだな……」
 顎に手をやり、チラッとレスターがディキンスンのほうを見ると、彼もまたそれが何%くらいの確率になるかを、頭の中で算出しようとする。
「まあ、大体10%くらいの確率ですね」と、目標地点を補足したニアが、その衛星画像を眺めながら言う。「そして、Lが<K>に勝つ確率が45%、そして逆に<K>の返り討ちあう可能性が45%、まあそういったようなところです」
「……………!!」
 キャスター付きの椅子に座ったまま、あくまでも淡々とした口調でそう語るニアのことを、その場にいた全員が注視する。セスとジェバンニとリドナーは別にしても、他の全員は、こんな年端もゆかぬ十代半ばといった少年が<L>の後継者候補として実地に数えきれないほどの事件を解決しているのだとは――いまだに信じ難かったのである。
「ですが、いくら極秘とはいえ、ある意味我々のこの作戦はあまりにスムーズに行きすぎた感があるのも事実です」今度は、ディキンスンと親交があると同時に、リドナーとも友人関係にあるCIA諜報員、エマニュエル・ハーレイが言った。「みなさんもご存じのとおり、機密レベルの分類は、極秘(トップ・シークレット)の上が機密、さらにその上が最高機密ということになり、我々のこの作戦もまた扱いが最上級の最高機密事項として進められてきました。CIAのどの人間も、作戦に関わる当事者以外は、このイカロス・プロジェクトのプログラム・ファイルには一切アクセスできません。ですが、向こうにその気があるなら、我々のこの作戦を邪魔したり、また誰かがコンピューターに侵入してアクセスするといったことが必ずあるはずだとわたしは思っていたのに――拍子抜けするくらい、一度もそうしたことがありませんでした。わたしは長年この仕事に携わっていますが、むしろこのほうがなんだか不気味な気がするんです。まるで、嵐の前の静けさとでも言ったような……」
 エマニュエル・ハーレイは、リドナーとCIAに入局した年が同じで、さらに年齢も一緒だった。彼女は二十数ヶ国語を操るという特技を生かして、これまで世界各国の情報操作を行ってきたのである。
「まあ、<L>にとって今回のことが私怨であるように――<K>にとっても同じようにそうだということなのだと、わたしはそう認識しています。つまり、彼にとってICPOのトップと言われるLの存在を消すことも、彼のクローンを作って入れ替えを行うといったようなことも、やろうと思えばこれまでにいつでも出来たことでした……ですが、<K>はあえてそれをせず、Lが自分に盾突くためにどこまで出来るのかをずっと観察し続けていた。そしてとうとう、彼にとってもその時が今満ちたということなんでしょうね。いってみればこのことは、<L>と<K>との一対一のプライドを賭けた勝負なんだと思います。確かに、衛星ミサイルをあるポイントへ撃ちこみ、さらにそこから火山活動を誘導させることが出来れば、ヴァトナ氷河の下にある秘密基地は壊滅するかもしれない……ですが、これは<L>が<K>に負けた場合の最悪のシナリオに過ぎません。今我々にできるのは、そうですね……まあ、神にでもLの勝利を祈ることくらいですか?」
 全員がまた重く沈黙するのを見て、セスはニアの横で軽く溜息を着いた。
「これは、あなたがわたしの後を継ぐための、最後の宿題だと思ってください」――そうLがニアに言ったことを、セスは知っている。そしてメロには、Lの後を継ぐための、ニアとは別の宿題をだしたというわけだ。
「あなたたちの宿題の出来いかんによって、どちらをLの後継者にするかを決めたいと思っています」
 Lがそう言っても、ふたりとも異議を唱えるとことはしなかった。そもそも彼のその言葉自体に矛盾があるにも関わらず……つまり、Lが<K>との対決を終えて無事帰還したとすれば――ニアは衛星ミサイルの発射装置など押さずに済むわけであり、逆に彼がそれを押さざるにえない立場に置かれたような場合……すでにLもメロもエデンと呼ばれる地下コロニーで死亡している可能性が高いのだ。
「わたしは、もし今回の件を無事終えることが出来たとすれば、引退して少し休もうと思ってますからね。そうしたら後のことは、メロとニア、あなたたちに仲良く協力して探偵稼業をやってもらいたいと思っています」
 いつもなら、当然ここでメロが何か文句を言って噛みつくところだが、彼もまた黙ったままでいた。いつものように、パキリ、と板チョコレートに齧りつきながら……。
「なんだか、僕はここへ来る必要はなかったような気がするな。まあ、こんなことを言うのは今更だけどね」と、セスは他の大人たちが作戦会議を開きがてら、食事をしにいく後ろ姿を見送りながら言った。
「そもそも、セスは何故ここまで来たんですか?ラケルたちと一緒に、レイキャビクのホテルに居残ってたらよかったのに」
「いや、僕は君がさ……まるで核ミサイルのボタンでも押すような気持ちで、衛星ミサイルの装置を作動させるんじゃないかと思ったもんでね。今は君もケロリとしたような顔をしてるけど、いざその時になったら隣で応援してくれる人間がいて欲しいんじゃないかと思ったんだ。でもどうやらそれは、僕の勘違いだったのかもしれないな」
「……………」
 セスは電光地図をちらと見上げ、それから自分とニアの分の食事をここまで持ってくるために、椅子から立ち上がった。隣のお子さまが自分とは違って少食であることは知っているが、それでも必要最低限の栄養を摂取するために、何か彼の口に合いそうなものを選んでこようと思っていた。
 そんな彼に、ニアは「セス」と、思わず声をかける。
「あなたの指摘は……確かに当たっています。わたしは、もし最悪のその瞬間がやってきたとしたら――ミサイルを発射するための装置を押す指が震えるだろうと思っています。だから、あなたが一緒に来てくれて本当によかった」
 いつもは偏屈なお子さまが、いつになく素直に本音を洩らすのを聞いて、セスは軽く肩を竦める。振り返っても、ニアは片肘を立てたいつもの姿勢で、背中を丸めるように衛星画像に見入るのみだったが――先日、自分も彼に対して見られたくないところを見られていたため、ある意味これで「おあいこ」だったとも言えるかもしれない。
 今から数週間前、セスはいつものように夢を見ていた。夢の中ではカイが生きていて、自分の死んだ後にみんながどんな様子かを事細かく知りたがるのだ。それでセスは、エヴァがエリザベート・コンクールで優勝したこと、ルーに好きな相手が出来て、ティグランが臍を曲げていること、<L>と協力関係に入り、どうやら新薬の開発はギリギリ間に合いそうだといったようなことを、順に説明していった。
 その時、カイとセスがいたのは、ホームの庭にあるブランコで――お互いに隣り合ってそこに座ったまま、澄みきった空の下で話をしていたのだった。
「ふうん、そうか。それじゃあ僕の死が無駄にならなかったようで良かった」
<死>という、この場合あまりに生々しい言葉を、なんでもないことのように彼が口にするのを聞いて、セスはドキリとする。そうなのだ。彼は間違いなく死んだのだ。それなのに、この夢の中で生きる、彼のリアルなまでの存在感はどうだろう?そしてそうしたことすべてをわかっていながら、自分の意志で目を覚ますことができないこの<夢>の不思議さについて、セスはなんともいえない気持ちになる。
「ところで、セスはまだラスのことを怒っているのかい?」
 キィ、と軋むような音をさせながら、カイがブランコを軽く漕いでいる。ああ、またこの<既視感>だ――と、セスは両目を覆って泣きだしたいほどの切なさを胸に覚える。だが、不思議と涙はでない。
「べつに、怒ってるってわけじゃないさ。女ってのは節操のない生きものだと思ってるっていう、ただそれだけでね」
「僕は、ラスの夢の中で、彼女に許しのサインを与えたよ。だから、君も僕にかわって怒るような真似はもうよすんだね。いいかい?君は<僕のためを想って怒ってる>っていう、ただそれだけなんだ。でも当の本人の僕がもうそれでいいって言ってるんだから、ラスに対してもエヴァと同じように接してあげることだよ」
「君はそんなふうにしていつも心が広かったけど、僕は顔は似ててもやっぱりカイとは別人なんだ。それに、君はまだ生きてる時に、ラスに対して自分を忘れるための暗示をかけた……そしてそのことを聞いた時に、僕は思ったよ。結局君は、ラスのことなんて愛してなかったんだってね。僕が君なら――好きな相手のことはがんじがらめに縛りあげて、絶対に手放したりなんかしない。もしそういう泥臭い感情をカイがラスに一度も感じたことがなかったとすれば、やっぱりそれは愛なんかじゃないんだよ。ラスは体に負った火傷のことで、もともとコンプレックスが強かったから、君は彼女の傷ついた心を癒すために唯一残された手段をとったにすぎない。そしてその役目をかわって引き受けてくれる男が現れたから、今度は自分を忘れるように仕向けたんだ。<本当は愛していない>ことの罪悪感から逃れるためにね……違うかい?」
 またキィ、と軋むような音をさせて、カイが漕いでいたブランコを一度止める。そして彼はとても悲しそうな瞳をして、隣の双子といってもいいほど顔立ちの似た親友のことを見つめる。
「死んだ人間にもまだ、守秘義務といったものはあるよ。それより、ニアはどうしてる?」
 ああ、夕暮れがはじまった……と、そうセスは思う。自分はまた間違った質問をしてしまったのだ、とも。何故なら、カイがセスの夢に現れる時、彼がした質問に自分が適切な答えを返している時には、その時間は長いものになるが、逆に彼が答えたくない質問を自分がしてしまった場合は、水色の空がいつも、だんだんに夕暮れ色に染まっていくのだ。
「カイが選んだあのお子さまか。Lとメロとニア――この三人のうちで個人的に僕が一番マシだと思ってるのはニアだね。能力的なことをどうこう言ってるんじゃなく、Lともメロとも僕は全然反りが合わない。ただ、ニアのことはかろうじて我慢できるという意味合いにおいて、確かにカイの人選は正しかったって、そう思うよ」
「そうか。なら、よかった。僕は彼の夢の中にも化けてでてやろうかと思ってたけど――どうやらニアは普段だけでなく、夢の中でまでガードが堅いんだな。彼のあの心の内側は、僕が生きてた頃に感じていた絶望にも近い形をしているから……表面上は平気そうな顔をしてるみたいでも、彼がもしつらい決断をしなくてはいけない時には、セス、君が彼についていってやれよ。僕の最後の時に、そうしてくれたみたいに」
「やめてくれよ。あんなのは、一度だけでもうたくさんだ」
 セスが、思いだしたくない記憶を振り切るように、目をぎゅっと瞑って何度も首を振ると、次に目を開けた時、隣のブランコの上に彼の姿はなかった。そこにはただ、風に揺れるブランコが存在しているだけだ。
「カイ?どこにいったんだ?」
 夢の中ではおそろしく早く陽が暮れ、あたりにはすでに宵闇が漂いはじめている。そして空に輝く一番星を見上げ、そのあまりに美しい輝きに、セスは胸が詰まったように苦しくなった。
「カイ……!!僕を置いていくなよ!どうして僕ひとりを置いていくんだ……!!おまえはどうしていつもそうやって……!!」
 ――それ以上のことは、セスの中で言葉にならなかった。何故なら現実の世界で彼ははっきりと目が覚めてしまったからだ。セスは自分が泣いていることに気づくと、灰色のシャツの袖で目頭をぬぐった。そしてベッドの傍らに白い幽霊のようなものが存在していることに気づき、ガバリと身を起こす。まだ少し寝ぼけていたせいもあって、カイがそこにいるのかと思ったのだ。
「……カイ?」
 窓から差す月光に照らされたその人物は、カイではなく、ニアだった。何故自分の寝室に彼がこんな夜更けにいるのかと苛立つが、それ以上に泣いているところや寝言を聞かれてしまったかもしれないことに、セスは恥かしさを感じた。
「お休みのところ、申し訳ありません。ただ、ギルドの資料でどうしても欲しいディスクがあったものですから……少し、お邪魔させていただきました。ちなみにあなたの寝言はまったく聞いていません」
「……………!!」
 セスはさらにごしごしと目のまわりをこすると、なんとか泣いていたことをごまかそうとした。だが、寝言を聞かれていたのなら、やはり同じことかもしれないとも思った。
「僕は、なんて言ってた?寝言でなんて……」
「『カイ、僕を置いていくな』、と。ただそれだけです。もしかして彼の夢を見ていたんですか?」
 キィ、とキャスターの付いた椅子を回転させて、一枚のディスクを手に持ったままニアがいつもの淡々とした声で答える。ベッドサイドに足を下ろした形のセスは、モニター上に世界四大マフィアと呼ばれる組織のボスの顔が映っているのに気づき、軽く溜息を着いた。仮に彼ら全員を殺害したところで、この世界から<悪>と呼ばれるものがなくなることはない。それなら、そこから流れる情報をうまく操って一般社会に及ぼされる影響をある程度コントロールするというのがおそらくもっとも賢いやり方だろう……だが、エリス博士の見解によると、超能力者たち個々人の遺伝子に合わせて創った薬をそれぞれが服用した場合、超能力が弱まるか、あるいは消えてなくなる可能性があるという。
「その可能性については、最初からエッカート博士もヴェルディーユ博士も気づいていたはずよ。でもわたしが思うに――彼らはあくまでも超能力の発症と存続という方向性においてしか研究しようとしなかった。まあ、ギルドを裏で操ろうと思ったら、超能力を持つ子供たちの存在は不可欠ともいえる……彼らの行っていたことが正しいことなのかどうか、そしてわたしがオーダーメイド創薬によってあなたたちを<治療>しようとしていることがいいことなのかどうか、わたしにも判断は出来ない。突き放すような言い方をするようだけど、すべてはあなたたち自身が決めることだと、わたしはそう思ってるわ」
 超能力者全員の代表として、エリスからその話を聞かされたのは、セスひとりだけだった。傍らにはニアとメロもいたが、とりあえず、このことは新薬が具体的に完成するまで、黙っていて欲しいとセスは彼らに口止めしておいた。この時にもセスが思ったのは、(カイに相談してからすべてのことを決めたい)ということだった。そして彼に何故ラスのつまらないことを話すかわりに、そのことを聞かなかったのかと、セスは内心舌打ちしたいような気持ちになる。
「超能力者たちが延命と引き換えにその能力を失くした場合――これまでのようにギルドを裏で統治していくのは困難かもしれません。ですが、わたしたちもあなたひとりに重いものをいつまでも背負わせようとは思っていませんから……お互い、協力し合ってこれからのことは考えていきましょう」
 では、と言ってパソコンから一枚のディスクを抜きとり、ニアはセスの部屋から出ていった。みっともないところを見られたと、セスはこの時思ったものの――今はそれで良かったような気もしていた。何故なら、あの日以来、セスの気のせいかもしれないが、ニアはぴったりと閉じた心の扉を彼に対しては開いて見せるような瞬間が時々あったからだ。
 ニアがメロに対して「協力しましょう」と口に出して言ったとすれば、メロは烈火の如く怒って差しだされた手を拒んだに違いないが、メロが蛇蠍の如くニアを嫌う気持ちが、セスにはわからないでもない。自分のことを棚に上げるつもりはないとはいえ、それでもニアが同世代の子供が通う学校にでも放りこまれた場合、彼は「いやなやつ」という印象を、多くの男の同級生に与えるに違いなかった。セスに言わせれば、メロのニアに対する嫌い方はそのような種類に分類されていたといっていい。成績の悪いスポーツマンタイプは、体育以外はすべてオールAといった優等生とは、もともと水と油のように反りが合わないものだ。その点、自分とカイは似たもの同士として、たとえ短い間でも本当の友情を築けたという意味では幸福だったのかもしれないと、セスは彼らの関係を見ていて時に感じることがある。そして、カイなき今、自分は彼と似た半身を無意識のうちにも探そうとして――カイが自分の遺志を託そうとしたニアのことを見ているのかもしれないと、セスはそうも思う。
 もちろん、セスの心の中でカイの代わりになれるような存在はいない。そしてラスもエヴァも、他のみんなも……彼と同じような思いを心のどこかで感じているだろう。それは埋めようのない喪失感だった。それでも、夢の中で「君がニアを助けてやれ」とカイが言ったことで、セスはある意味救われたのだ。そして、以前に「誰の顔にも死相は見えない」と言ったモーヴの言葉をセスは信じていた。今ごろ、ラファ、ティグラン、ルー、ラス、エヴァ、それにメロは、アスキャ山から通じるエデンの入口へと乗りこんでいることだろう。エデンの内部へ入ったが最後、そこは完全に内から外へ電波の通じない特殊な空間となるため、メロからの通信があったのは、ヴァトナヨークトル氷河近郊のヘープンという町からのものが最後だった。そして彼らよりも先に――<K>ことカイン・ローライトの招待に応じる形で、Lはすでにアイスランド西部にあるスナイフェルスネス半島から、タイタロンなる迎えのUFOに乗って、地獄よりも深いと思われる場所に位置する、地下コロニーへと向かっていたのである。



スポンサーサイト
【2008/09/25 07:30 】
探偵L・アイスランド編 | コメント(0) | トラックバック(0)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(18)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(18)

 アイスランド共和国は、北極圏に近い北大西洋上にある、独立国家である。総面積およそ10万3000k㎡の国土のうち、およそ5分の4には人が住んでおらず、さらに約三十万人いる人口のうちほとんどがレイキャヴィクなどの都市部に集中している。そしてLがカイン・ローライトから<招待>を受けた地下コロニーのエデンは、ヨーロッパ最大の氷河ヴァトナヨークトル氷河の下に眠っている……ヴァトナヨークトル氷河は、アイスランド東部に位置しており、その厚さは千メートルにも達し、全面積はヨーロッパに存在する氷河すべてを集めたものよりも広いという。
 当然、ここは観光名所としても有名であり、地質学を研究している学者にとっても興味深い人気スポットで、たくさんの観光客や研究者などが数多く訪れる場所でもある。まさかその近郊にこの地球を単独で滅ぼすことすら十分可能な、地下施設への入口があることも知らず、観光客たちはヴァトナ氷河でスノーモービルを楽しんだり、また暢気にも記念撮影をして一生の記念にしていたというわけだ……灯台もと暗しと言うべきなのか、<エデン>という地下組織の存在はこれまで、命知らずの冒険家などにも発見されることなく現在に至っている。
 もっとも、ここアイスランドではUFOの目撃例が多く、またセスナ機が飛行中に消えたり、登山者が途中で行方不明になったりといったことがよくあり、そのうちの事件のいくつかはタイタロンの目撃者を抹殺するため、その操縦者が相手の人間をエデンへ連れてくることと関係しているのだが……大抵の人間はその場で殺されて、遭難者のように見せかけられて死亡するか、あるいはエデンに連れてこられて必要な臓器などを奪われたのちにその存在を文字通り<抹消>されるのであった。
 こうした犠牲について、リヴァイアサンの支配下にあるといっていい国家の裏の指導者たちはどう捉えているのかといえば――彼らにとってリヴァイアサンはなくてはならない組織であり、どこかの気の狂った独裁者が核のボタンを押した場合に<救世主>、いってみれば生きたキリストが君臨するために、この組織がどうしても必要だという考えで一致していた。仮にどこかの国と国が争おうとも、それを瞬時にしてやめさせるだけの力がエデンには存在しており、普段は地上のことに不干渉でありながらも、「いざとなれば」必要に応じてコントロールを加えることが可能なこの科学研究所は、地球存続のために有用である以上、生かし続けなければならないと彼らは考えていたのである。ゆえに、この組織が人体実験などのためにだす『必要最小限』の犠牲は、まさしく神に捧げられた生贄としてやむをえないものであると、そう彼らは認識していたということだ。
 これまで、この秘密結社リヴァイアサンという組織に、盾突いた者で生き延びおおせた者はひとりもいないし、その秘密を洩らした者は必ず何がしかの方法により制裁を受けた。また倫理的に誤っているとしてリヴァイアサンに嫌悪感を抱き、この組織と距離を置こうとした国家元首もいることにはいたが、その場合にはクローン人間とすり替えられるなどして、その大統領や首相などは文字通り傀儡として操られる結果となった。
 だが、こうしたことをある意味<必要悪>として認め続けていいのかどうか、良識のある人間であれば、誰しもが思い悩むことであろう。事実上ICPOの影のトップといわれる探偵の<L>に、これまで自分が築き上げてきたネットワークのすべてを駆使して、協力してはもらえまいかと頼まれた時――チャールズ・ディキンスン少将も、一度その壁にぶち当たってひどく苦しい決断を迫られた。彼は(これでもうわたしのキャリアはおしまいだ……)などとは考えなかったし、また家族の誰かに危害が及ぶということもよくよく考え抜いてもいた。
<国家>というものが、無慈悲な権力を一個人に加えるのを、ディキンスンはこれまで嫌というほど見てきたし、自分だけはそのようになるまいとして、これまでうまく権力の波間を泳いできたつもりだった。だが、とうとう――彼にもある種の「賭け」に転じなければならない人生の瞬間が訪れたというわけだ。
『わたしは、あなたに自分のキャリアを棒に振ってまで、協力してほしいとは頼めません。ただ、少なくとも心情としてわかってほしかったんです。あの時点ではまだここまで詳しく話すことは出来ませんでしたが、リヴァイアサンという組織が存在し、その組織を最終的に壊滅に追いこむことが、わたしの探偵としてのルーツであり、たとえパソコンのスクリーン越しであるとはいえ、わたしもあなたと同じように命懸けであったこと……イラクであなたがメロのことをミサイル攻撃した時、むしろわたしはあなたのことを信頼できる人間だとさえ感じました。それがただの威嚇射撃であったろうこともよくわかっています。124名もの優秀な特殊部隊の隊員を一度に亡くしたことは、あなたの魂に消えない傷を負わせた……その失われたかけがえのない生命のことを、わたしは忘れたことはありませんし、もし仮に<K>をわたしが倒せたとしたら――それは彼らの尊い犠牲あってこその勝利だと、そのように認識してもいます』
「L……ひとつお聞きしたいが、リヴァイアサンという組織は、自分たちにとって都合の悪い人間をこれまで何百人となくクローン人間と入れ替えたりしてきているわけだろう?であれば、わたしもまたそうである可能性がゼロではないということになる。さらに、わたしがクローンでなかったにせよ、あの事件をきっかけにして、そちら側と繋がりを持っている可能性が高いとは、考えなかったのか?」
『ディキンスン少将、もしあなたに協力を同意していただけるなら、これからアメリカ国防省の軍人リストをお送りして、その中で<K>側の人間をクローン人間含め、疑いのある者にはすべて情報を洩らさぬようお願いしようと思っていました……つまり、あなたはわたしの中では最初からその可能性が極めて低いために、今こうしてお話をしているというわけです。これでもしあなたが――リヴァイアサンに与する側の人間であるとすれば、あなたを選んだこと自体がわたしの失策ということになるでしょうね』
「なるほど……」かねてより、軍の上層部だけでなく政財界やCIAにまで顔の利くディキンスンは、イラク戦争の尻拭いをするという極めて損なポジションからこの時解放されることが出来ていた。今は休暇中でワシントンにある自宅へ戻ってきていたのだが、彼の家の地下には情報漏洩を防ぐための特殊なシステムを施した部屋があり、ディキンスンはそこで今、Lとパソコン越しに話をしていたというわけだ。
 結局この時、ディキンスンは他にもいくつかLに質問をしてから、「少し考えさせてくれ」と解答していた。だが実際には考えるまでもなく、彼の中で答えはほとんど決まっていたと言っていい。そしておそらくは――Lにもそのことがわかっているはずだった。ディキンスンの心を動かしたもの、それは<L>の部下であるメロに向けて威嚇のミサイル攻撃をせずにいられなかったのと同じ、ある感情的な激しい衝動だった。四年前、自分を信頼して極めて特殊な任務を引き受けてくれた彼の部下たちは、世間にその正体を知られていない組織と戦って死んだのだ。その仇を討つためならば自分はなんでもする……そう。自分が真に憎むべきは、そのリヴァイアサンという名の謎の秘密結社なのだ。そもそも、あの時に自分が生き残ったのは、ただの幸運でしかない――あの美しくもおそろしい殺人マシンが、<L>への伝言を託すために選んだ者が、もし別の人間であったとすれば、間違いなく自分は即死していただろうと、ディキンスンはそう思う。そしてあの場にいた唯一の生き残りとして、自分にとってこれは果たすべき責務であるとディキンスンは決断したのだ。
(L……随分長い間、わたしはあなたを誤解していたようだ)
 今も時々、あの時のことを、ディキンスンは夢に見ることがある。もし仮に夜の街で会ったとすれば、見とれるほどの容貌をした殺人鬼が――悪魔のように残忍な微笑みを浮かべて、たった一体のみで彼の部下たちを血祭りに上げていった瞬間のことを……さらに、あのアンドロイドには腕にプラズマ砲が内蔵されており、それに撃たれた者はその部分の血液が沸騰して、次から次へと卒倒していった。
 ディキンスンは鋼の意志と鉄のように強固な実行力を持ち合わせた男だったが、この時は普段自分の行動方針を定める基準となる、理性の力が弱くなっていると自分でも自覚せざるをえなかった。そうなのだ――Lが説明した言葉の中で、ディキンスンがもっとも共感し、心を動かされたのは、彼が自分がこれからしようとしていることを<私怨>と呼んだことである。ディキンスン自身、もし自分の信頼するもっとも優秀な選りすぐりの部下を失うという痛恨の悲劇を経験していなかったとすれば、おそらくはLの話に完全に同意することは出来なかっただろう。第一、アンドロイドだのUFOだの、あまりに現実離れしすぎていて、到底それを事実として認めることすら出来なかったに違いない。だが、ディキンスンには今手にとるように想像することが出来る……秘密結社リヴァイアサンの影にいるグロテスクな<神>に似た化物の正体を。その化物は母を殺し父を殺し、さらに血の繋がりは別としても――いってみれば自分よりも優秀な遺伝子を持つであろう弟をエデン(天国)から地上(地獄)へ追放したのだ。さらに、その研究所では旧式であったというアンドロイドたちが数百人もの科学者たちを一度に処刑した光景がどんなものかも、ディキンスンには想像できる。それは自分が見たのと同じ、阿鼻叫喚といっていい地獄絵図だったろうことが……。
(こんな化物がこの地上に存在することが、果たして人類にとって<正義>でなどありえるのか?)
 そうディキンスンは考えざるをえない。だがそれは結局のところ、自分の部下の無念をなんとしてでも晴らしたいという、彼個人の『私怨』に裏打ちされた思考が導きだす答えでもあるのだ。そう――L自身に「リヴァイアサンという組織が<悪>であると思うか?」ということを聞いた時、彼は必ずしもそうとは言えないと答えていた。
『言ってみればこれは、わたし個人の単なる私怨にすぎません。いかなる理由があるにせよ、わたしにも守りたいと思うものがある以上……彼に負けるわけにはいかないんです。リヴァイアサンという組織に、存在意義があることは間違いありませんし、彼らのしていることが正しいことであれ、必要悪であれ、その理由については禅問答のようなものであり、誰もが納得する明快な答えなどないだろうとわたしは思っています。ただわたしにわかっているのは、このまま彼らを放っておいたとすれば、おそらく自分がまともでない異常な死に方をするだろうということだけです。いうなれば、その運命からなんとかして逃れるために、ディキンスン少将、わたしはあなたの力をお借りしたいんです』
 ――最初、ディキンスンは世界一の探偵と目される<L>が、なんの感情もないコンピューターボイスで指令を下すのを聞いて、強い不信感を持った。だが今、彼の生の声を聞いて感じるのはむしろ……淡々としたどこか平板な声でありながら、傷つきやすいような繊細な印象さえ、そこからは受けるということだった。もちろん、彼のこの声が本当に本物の<L>という確証はないし、さらに言えば合成ボイスであるという可能性もある。だが、ディキンスンは彼のその声がおそらくは本物であろうと信じたように、L個人の信念を信じることにしようと心を決めていた。
 そう……彼の話を聞いていて、何よりもディキンスンが一番衝撃を受けたのは、人間の原罪にも似たその出生の秘密であり、おそらく<L>は自分と同年代くらいの人間であろうと思っていた自分の想像を裏切って――彼がディキンスンの息子と大して年齢が違わないということであった。
 もし仮に、自分の息子のマイクが、そのような過酷な運命を背負わされていたとしたら、自分は親として一体何が出来たろうか?エデンという科学研究所をでた時、Lの命は唯一生かされたふたりの科学者の手に託されたというが――彼らの心中はいかばかりのものであったろうと、ディキンスンは思う。そして<L>という名前からディキンスンが連想するのは、聖書のアベルとカインの話だった。カインとアベルは神に捧げものをし、神がアベルの捧げもののほうに目を留めたのに嫉妬したカインは、弟を殺してしまう……これは人類史上初の殺人と言われているが、アベルは正しい人間として今も神とともにいると信じられている。だが、人はつい愚かにこう考えてしまうものだ。もしアベルが清い心でよい捧げものをしたなら、何故神はカインの殺意からアベルを守ろうとしなかったのか?神が全能ならば、そうすることは十分可能であったにも関わらず……そしてディキンスンは、人間の<自由意志>といったような神学論は別として、この場合自分はカインの側でなくアベルの側につくべきだと思うのだ。何より、心がすでに決まっていながらも、Lに「少し考えさせてほしい」とディキンスンが答えたのは――彼の背負うあまりに過酷な運命に同情するあまり、あやうく声が震えそうになったためだった。
 実際、彼との通信をきったあと、ディキンスンはしばしの間目頭を押さえていた。イラク戦争でも、自分の息子と同年代の兵士たちが数多く亡くなっていることもあって――結局のところ上官として「何もできない」自分のことを、ディキンスンは不甲斐なく感じてもいた。もちろん、四年前に124名もの優秀な部下たちを一度に失ったという悔恨の思いもある……だがそれ以上に、自分のキャリアと命を棒に振る結果になるにせよ、彼が<L>に協力しようと決意したのは、孤独な心を抱えて生きるよう運命づけられた、自分の息子とも年齢の近い青年を助けてやりたいという、人としての善意だったろうか。
 もしその自分の人間としての選択が間違っており、この世に人智では計り知れぬ<神>がいて、リヴァイアサンという組織の存続を許すというのなら――自分はその同じ神に裁かれて死ぬことになるだろうと、最終的にそう、ディキンスンは覚悟を決めたのだ。



【2008/09/25 07:22 】
探偵L・アイスランド編 | コメント(0) | トラックバック(0)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(17)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(17)

 Lがセスをはじめとする超能力者たちと最初に会議の場を持ってから、数日が過ぎた。その翌日にLは、リヴァイアサンという組織がどれほど危険な組織か、またエデンと呼ばれるコロニーへ赴くことがそのまま死に繋がるかもしれないということを何度も説明した後――それでもみなの意志が変わらないなら、自分について来てほしいと言った。
「アイスランドへ行くのは、今の段階で三月の下旬を予定しています。ですから、それまでによく考えて、もし気が変わったというようなことでもあれば、なるべく早く知らせてください。これまでにも何度か言いましたが、あなたたちのうちで誰かがわたしと一緒に来ないことで、わたしの勝率が下がるといったようなことはないと思ってくれていいです。わたしがひとりでエデンへ行っても、あなたたちの全員が来てくれたとしても――どちらが有利でどちらが不利になるのかは、正直わたしにもわかりません。すべてのことは、それこそ<神>のみぞ知るといったところですから……」
 Lはその二度目の会議で、超能力者たちひとりひとりの意志確認を行ったあと、詳しい計画についてはまた後日知らせるとみんなに言い渡した。それというのも、Lにとってはアイスランドへ行く前に越えておかなくてはならない大きな山があるせいだった。
 そして何日も自分の仕事部屋に閉じこもって、ワタリから渡されたエデンの地下コロニーの見取り図を、3D映像であらゆる角度から眺めつつ、Lはもっとも最良にして完璧と思われる計画を立てるのに腐心した。それと同時に、いつも心にかかるのはラケルのことだった。この計画を子供たち全員に話す前に、ラケルにすべてを打ち明けなければならない……そう思うと、Lの心は暗い海に錨でも投げ入れたかのように重く沈んでしまう。自分の命がこのアイスランドの地底にある巨大コロニーで儚く散るということよりも、ある意味彼女にすべてを告白するというのは、Lにとってそれ以上につらいことだった。
 その日も、十人いる子供たちの世話があるせいで、すっかり質の落ちたスイーツや市販もののビスケットやマシュマロを食べながら、Lは白一色の有機照明に照らされた部屋で、同じことを繰り返し考える。
(毎日、食事とおやつを十二人分作らなければいけないというのは、大変なことだと思います……でも、これはさすがに少しひどすぎる。わたしはそれをラケルが作ったかどうか、それとも他の子供に作らせたかどうかわかるくらい、今ではすっかり舌が肥えてしまっているのに……そのわたしに、市販のお菓子で我慢するよう仕向けるなんて。彼女は血も涙もない鬼になったとしか思えない)
 チョコレートウェハースにガリッと恨めしく齧りつきながら、それでも今の段階ではラケルに正々堂々と文句を言うことはできないとLは思う。そう――もしこの抗議の申し立てをするなら、自分にはその前にどうしても告白しておかなければならないことがあるからだ。
 メロもニアも、他の子供たちも、Lがなかなかラケルに本当のことをすべて話そうとしないのは、おそらく彼には彼の考えがあってのことに違いないと、信じて疑ってもみない様子だった。けれどもLにしてみればまったくそうではなくて、ただ単純に「怖い」というだけだった。今でさえ、スイーツを通したラケルの自分に対する愛情は低下している……その上、もっと面倒で気味の悪いことを今告白しようものなら、愛想を尽かされてしまうとも限らない。
 もし、Lがこのことを子供たちのうちの誰かに相談しようものなら――たとえば、モーヴあたりにでも――彼らは大声で笑いだしたことだろう。これまでLも、幾多の事件を解決に導く過程で、そうした<外側>の立場にずっとい続けていた。言ってみれば犯人たちや捜査員たちの繰り広げる逮捕劇のドラマに、中心的に関わる役割を果たしながらも、そのうちの誰にも本当の正体を明かすことはないという意味で、彼らの心のドラマを高いところから見下ろしていたとさえ言えるかもしれない。けれど、誰かひとりの人間と親しい関係や交わりを持ったその時点で――自分が<内側>の参加者となった時、物の見え方というものはまるで変わってしまう。
 Lは多くの物事を俯瞰して見るのが好きだったが、ある意味この時、ラケルに対しては近視眼になっていたと言えるかもしれない。愛は盲目とはよく言ったものだが、Lは彼女に対しては、他の人間が<外>から見て冷静に下せる判断というものを彼らしくもなく見失っていた。
(あ、このイチゴマシュマロは、市販のものにしては、そう悪くないですね……ラケルに今度、買い物へいったら十袋くらい買っておくように言っておくとしますか)
 もぐもぐと、柔らかい食感を舌の上で楽しんでいると、中からじわっとイチゴの味がしみだしてくる。それを甘い紅茶で飲みほす時の、口の中でのブレンド感……さらにLは、このマシュマロを紅茶の中に入れて飲んだらどうなるだろうと試しているうち、連想的にあることを思いだしてしまった。
 思わずごくり、と紅茶を飲みほす時に、喉が鳴ってしまう。
(そういえば、この食感は似てるんですよね……彼女に)
 この秘密の仕事部屋には、他に誰もいないと最初からわかっているにも関わらず――Lは思わずきょろきょろと周囲を見渡してしまう。人間の食欲中枢と性欲を司る中枢は近いところにあると言われているらしいが、どうやらそこが彼の中で今、ひとつに繋がってしまったらしい。
(そういえば最近、あまりしていません……)
 子供が十人も同じ城館内に住んでいるために、Lは仕事が忙しいせいもあって、夜にラケルのいる寝室へ行くことは滅多になかった。いや、あることにはあったが、そこで彼女はいかにも「疲れきった」というように、よだれを垂らして眠っているのだ。
(これまでは、起こしては悪いと思って遠慮してきましたが……よくよく考えてみると、何故わたしが遠慮などしなくてはならないのか?それに、近ごろの冷たい仕打ちに対して、抗議もしたい。かくなる上は……)
 エデンの地下コロニーの見取り図をあらゆる角度から回転させるのをやめると、Lはそのウィンドウを一旦閉じた。まるで我が儘な子供が母親におやつをねだる決意でもするように、すっくとその場から立ち上がる。
(現在、スイーツその他のことで、急にわたしのほうが虐げられているような気がしてきました。確かに、彼女が忙しいのはわかる……それに、そのことはわたしのせいであるとわかってもいる。だからといって、いつまでもこの立場に甘んじるということは、わたしのプライドが許しません)
 Lなりに頭の中で一度そう理屈が通ってしまうと、行動を起こすのは速かった。この場合、なんといっても優先されるものは理性ではなく感情である。Lは一旦<ラケルに真実を云々……>といったようなことは一切忘れ、彼には珍しいことながら、一時的な衝動に駆られて行動を起こしていたといっていい。
「ラケル。その、あなたと少し話したいことが……」
 広いリビングを横切っていくと、そこにはお菓子を焼く甘い香りが漂っていた。ラケルはダイニング・テーブルの上でイチゴのスコーンに軽く粉砂糖を振りかけている……Lは彼女のその様子を見るなり、口の中がよだれでいっぱいになるのを感じた。時計を見るともうすぐ午後の三時――(ということは、今日はもしかして久しぶりに手抜きではないのか?)、口の端を手の甲で拭いながら、Lは思わずテーブルいっぱいに並ぶ、神々しいまでのスイーツの数々に目移りしてしまった。
 他に、レモンタルトやバナナケーキ、蜂蜜の添えられたホットビスケットなどなど……彼の食べたいものがいくつもテーブルの上にはのっている。
「話ってなあに、L?」
 テーブルに顔がつくかというほど背中を丸め、どれから食べようかと指をむずむず動かすLに向かって、ラケルがそう聞く。彼女はこの時、Lのスイーツに対する飢餓状態というものをよく理解していたために――いつものように、「先に手を洗ってきて!」などと言って彼の手をぴしゃりとはたく真似はしなかった。Lのいう話というのもおそらくは、スイーツの質の低下についてどう思うかといったことだろうと、大体のところ想像がつく。
「ふひ……ふ……あへふ」
 喜びのあまりであろうか、Lの口からは我知らず、そのような意味不明の言葉すら洩れていた。彼は椅子に座るなり、いちごスコーン・バナナケーキ・レモンタルト・ホットビスケット・チェリーパイ・オレンジカスタードシュークリームといったものを次から次へと口の中へ放りこんでいた。
「し、幸せです。今日は何か特別な日ではなかったように記憶してますが……リッジウェイの紅茶も美味しいですね。わたしが求めていたのはまさにこれなんです。でもどうしてわかったんですか?そろそろわたしのスイーツを求める脳が限界に達していると……」
「だって、最近さすがに手抜きしすぎだっていうのは、自分でも自覚してたし……今日は子供たちがみんな検査でロンドンへ行ってるから、久しぶりにきちんとしたものを作ろうと思って。メロちゃんが気を利かせて、向こうで一泊して明日の夕方くらいに戻ってくるって言ってたの。なんでかわからないけど、ニアちゃんのことも珍しくメロちゃんが強引に連れていっちゃったし……だから今日は久しぶりにLとお城にふたりっきりだから、手抜きしないできちんとしたものを作ろうと思って」
「そ、そうですか……」
 口のまわりにメイプルシロップをべっとりつけながら、Lは甘いホットビスケットを口いっぱいに頬張る。そして香り高いリッジウェイのハー・マジェスティ・ブレンドを味わいつくすようにゆっくりと飲む……Lが我を忘れて至福の一時を過ごす間、そんな彼の様子をラケルは幸せそうにじっと見つめていた。
「あ、そういえば忘れていましたが……」皿の上のものがなくなると、Lはげっぷをしながら言った。「その、わたしはラケルに大切なお話があってですね……」
「え?最近スイーツの質が低下してるとか、その話じゃないの?」
「最初はそれもあったんですが……」
 Lがもじもじと落ち着かない様子になっても、ラケルは鈍いのでさっぱり気づかない様子だった。
「?」と、首を傾げているラケルのことを、Lは椅子から立ち上がるなり、その手を引っ張って部屋から連れだすことにする。
「ねえ、どこ行くの?話だったら、誰もいないんだし、どこでしても同じ……」
「いえ、寝室へ行きましょう。わたしの言いたいこと、わかりますよね?」
 階段を上がる途中で、一瞬だけLが振り向いたのを見て、そこでラケルにも流石に彼の言いたいことがわかる。廊下の赤い絨毯の上を、Lの背中についていくようにして歩きながら、彼女は少しだけ顔を赤らめた。
 本当は、もし理性的に考えたとすれば――とLは思う。先にリヴァイアサンやエデン、それに<K>のことを自分は話すべきなのだろうと。そのためにこそメロはわざわざ気を遣ったのだろうし、明日の夕方まで彼らが戻らないのであれば、その間に必ず自分はラケルにすべてを話すべきだとも思う。L自身も順序が逆だとわかってはいるのに、それでもこれは止めることの出来ない力であり衝動だった。
(わたしをこんな気持ちにさせるのは、世界で唯一、あなただけなんですから……)
 天蓋つきのベッドの上にラケルのことを押し倒すと、Lは彼女のエプロンの蝶結びを片手でほどき、何度もキスしながら、ワンピースのボタンを外しにかかる。そして白いレースのついたブラジャーの谷間に彼が顔をうずめていると――不意に突然、おそろしいまでの力でLは張り飛ばされた。
「ふごっ!!」
 まったく油断していただけに、絨毯の上に思いきり体をぶつけてしまう。思わず奇声まで発してしまったが、まともに顔面が床にぶつかったのだから、それも無理はないかもしれない。
「……ラ、ラケル??」
 もう、自分に触れられることさえ実は嫌なのかと、一瞬絶望的な思いに駆られながら、Lはもう一度ベッドのカーテンの隙間から顔をだす。
「ふーん。そうなんだ」
 ベッドの上に体を起こし、ラケルが胸元をかきあわせている目の前には、ラファエルの姿があった。もちろん、Lのことを突き飛ばしたのは彼ではない――Lがラケルにキスを繰り返す間に、ラケルの視界にラファの姿が映り、それで彼女は大慌てでLのことを突き飛ばした……といったような次第だった。
「ご遠慮なく、ゆっくり続きをどーぞ」
 ブレザーを着た小悪魔は、まるで何ごともなかったかのように、バタン、と大きな音をさせてラケルの寝室を出ていく。ラケルの頭の中は、次にラファと顔を合わせた時にどう説明しようかということでいっぱいだったが、Lはまったく別のことを考えていた。
「やれやれ。たぶんあの子は……検査をすっぽかしてこの城に居残ってたんでしょうね。まあ病院の検査を受けるのも、こう何度もだと嫌になるのもわからなくはありませんが。ラファはよく「早死にしてもいいから薬を飲みたくない」と言って、だだをこねるんでしょう?」
「ええ……時々」
 ラケルがワンピースのボタンを上まできっちり止めるのを見て、Lは軽く溜息を着く。今は一旦諦めるしかないようだと、そう思い、ぼりぼりと頭をかく。
「その……こう言ってはなんですが、これもちょうどいい機会なので、あなたに一度、話しておきたいことがあるんです」
 ぎゅっ、と強い力をこめてラケルの手を握りしめながら、Lは言った。
「なあに?スイーツの質の低下のことだったら……」
「いえ、そのことじゃありません。その、わたしはあなたにずっと隠していたことがあって……本当は、いつ話したらいいだろうかと、思い悩んでいたんです」
 ラケルは、いつもとは違うLの物言いに、一瞬ドキリとした。これまでにも、彼にエリスという義姉がいることや、その他彼の本名を知らずにいたことなど、ラケルが<L>について知らなかったことは色々ある。そして彼女自身、Lにはまだ(何かある)と感じていたのも本当のことだった。
 その中でもラケルがこの時もっとも怖れていたのは――Lが自分に詳しくその内容を話すことのできない事件のために「申し訳ありませんが、少しの間離れて暮らしましょう」などと切りだされることだったかもしれない。同じ城館に住んでいながら、一日顔を合わせないこともざらにあるとはいえ……それでも「会おうと思えばすぐ会える」環境にいるのと、無期限で遠く離れて暮らすのでは、全然訳が違う。
「その、わたしの父と母のこと、ラケルには一度も話したことがなかったと思うんですが……わたしには、遺伝子上の父と母があまりにもたくさんいすぎて、結局父母にあたる人間は誰もいないとも言えるんです。これがどういうことか、わかりますか?」
「……試験管、ベビーっていうこと?」
 自分の手を握るLのそれが、微かに震えていることに気づいて、ラケルは彼の手をLの指力にも負けないほどに、ぎゅっと強く握り返した。まだよくわからないにしても、それはきっと――Lの魂に傷を創った最初の出来事だったのだろうと、ラケルはそう直感した。
「そうですね……平たくいえばまあ、そういうことです。優性遺伝子のみをうまくかけあわせて、遺伝子工学の権威であったある科学者が、わたしのことを生みだしたんですよ。そしてその科学者には優秀なひとり息子がいて――名前をカイン・ローライトというんです。わたしのアベルという名前はワタリがつけてくれたものですが、あなたも聖書の創世記に出てくる話は知っているでしょう?」
 ラケルは、ただ黙って首肯した。Lの右手を、両方の手で包みこむように握りしめながら。
「アイスランドに、わたしがこれまで全生涯をかけて追ってきたともいえる、リヴァイアサンという組織の本拠地があって……わたしが生まれたのも、もともとはそこにあるエデンと呼ばれる地下のコロニーでした。こんな話、馬鹿げて聞こえるでしょうが、そこには現在の地球上の科学を遥かに凌駕するほどの発達した科学技術があって――クローン人間の技術も、そこではすでに完成されているんです。そしてわたしが今もっとも怖れているのが、自分のクローンをカイン・ローライトが作ってこの地上に送りこんでくるということ……なんとかそうなる前に彼と話をつけたいというのがわたしの悲願だったわけですが、つい先日、その彼から招待状が送られてきて、まあ三か月以内に一度会おうというような内容のメールでした。カインはわたしのことを激しく憎んでいると、ワタリやロジャーからは聞いています。何故なら、彼の母親がわたしを妊娠している間に気が狂ってしまったから……「自分は悪魔の子を身ごもっている」と、彼女は自殺することすら試みたそうなんですが、彼女の夫でありカインの父親でもあるローライト博士は、半ば拘束・監禁する形で自分の妻にわたしを出産させたそうです。その後、すっかり頭がおかしくなった彼女を見るに忍びなかったカインは、自分の手で母親のことを殺し、さらに父親や父親の科学者仲間のことも全員殺害しました。そしてその中からふたりだけ――ワタリとロジャーのことだけを生かしておいて、赤ん坊のわたしのことを託したのだそうです。いつかわたしが、カインのことを倒せるほどの力を身に着けたとしたら、もう一度エデンであいまみえようと、そう彼は最後に言い、そして二十数年の時が流れて、とうとうその時がきたんですよ……」
 Lはラケルの両手からするりと逃れると、両方の手で自分の頭を抱えこんだ。彼女の澄みきったような瞳の色を見るのが、彼は急に怖くてたまらなくなり、ほとんど両膝の間に顔を埋めるような姿勢で、話を続ける。
「わたしは……人を殺したんです。生まれたその瞬間から、わたしは犯罪者であり、殺人者でした。こんなことを言っても、誰もがきっと『それはあなたのせいではない』と言ってくれると、わかってはいます。それでも、考えてしまうんです。生まれてこなければよかったと……そうすれば、自分のコピー人間が突然自分に会いにくるということに怯えたり、あるいはある日命を落として、自分のクローンが世界一と言われる探偵の<L>とすり替わるかもしれないことに、脅威を感じる必要もなかった。探偵のLは臆病者の安楽椅子探偵だと、そう言う人間が今も存在することを、わたしは知っています……でも、わたしはわたしなりにいつも命懸けだったし、寝る間も惜しんでそれこそ死にもの狂いで働いてきました。その最後が、それまでの労苦がまったく報われない形で終わるかもしれないと、絶えず脳裏をよぎることがあっても……そうする以外に自分に生きる道はないと、そう思って生きてきたんです」
<贖罪>、そして<正義>――そう自分の心に強く働きかける声を、ラケルは聞いた気がした。Lの正義というものに対する執着は、一種異常なほどであったが、それほどの強い意志の裏側には、L個人の苦しみと絶望が最初から存在していればこそだったのだろう。以前に、ラケルがモーヴと少し話をした時、彼がこんなことを言っていたのをラケルは思いだす。『人間はいつか死ぬ。それが人類全体に共通して見られる唯一のヴィジョンだ』と。それは100%絶対に変えられない未来ではあるけれど、その合間に光を見つけて幸せになる義務と権利が人間にはあると自分は信じている……彼はそう言っていた。そしてそれなら、とラケルはこの時思う。
「……Lは今、幸せじゃないの?」
(わたしといるだけじゃ、足りないのね?)と、そう聞かれた気がして、Lは何度もかぶりを振る。
「いえ、そういう意味ではないんです。わたしにとってラケルは――自分の人生に起きた、唯一の奇蹟のようなものでしたから……そうでなければ、孤独なままひとりで死ぬことも、そう怖くなかったかもしれない。いや、やっぱり怖いことに変わりはないにしても……自分の命が失われてただ死ぬということも、人の記憶の中に残らないかもしれないことも、以前は今ほど怖いと思わなかった。でも、心の中に計り知れない不安と絶望の源のようなものがあって、それがこのごろ日に日に強まっているんです。それはずっと昔から、わたしに影のようにつきまとっていて、滅多に見ない夢の中に<彼>は現れることさえあるんですよ……まるで悪魔のように否定的なことしかその影は言わなくて、けれどわたしには彼を殺すことは絶対に出来ないんです。何故ならそれはわたしの一部だから……そして彼はよくわたしにこう言うんですよ。『おまえはラケルにとって相応しい人間ではない』と。ラケルが誘拐されていなくなった時も、その夢を何度か見ました。でもある時気づいたんです。それほどまでにしつこく<彼>がそう言うのは何故なのかって。それは、わたしにとってあなたが唯一の光であり安らぎであり希望であって、「ラケルがいる」ということが彼にとっては邪魔なことなのではないか?……そう思ったら、影の囁く声とはべつに、『わたしにはラケルが絶対に必要なんだ』と、そう思えました。でも、今も不安な気持ちは消えません。本当のことをすべて話した時に、あなたの心が離れていったらと思うと……わたしがカインに殺されようと、その後この世界がどうなろうと、すべてのことに意味はなくなるような、そんな気がして……」
 Lは自分でも、自分の説明が不完全であり、ある部分非論理的でさえあるとわかっていた。それでも、理性よりも感情が大きく先に揺さぶられていて、これ以上どううまく説明したらいいのかが、彼自身にもわからなかった。
「わたしは、Lを愛してるわ。それに、Lがもし生まれていなかったらって想像しただけで……わたしの世界も終わってしまうの。人の不安や絶望の源は<死>というものがあるから、そこからやってくるんだって、昔何かで読んだことがあるけど……モーヴくんが言うにはね、<死>というものは破滅であると同時に救いでもあるんですって。わたしには、まだそこまで達観することはできないけど……でも、出来ることなら死というものが破滅としてではなく救いとして訪れてほしい。そしてLがもしどこかで死ぬというなら、わたしもその同じ場所で一緒に死ぬわ。そのカインっていう人が、お母さんのことでLを許さないって言ったら、わたしが彼のお母さんの命の代償として代わりに死んでもいいって思うの。だって、彼は自分の大切な人の命を奪われたから、それでLを憎んでいるんでしょう?それなら、わたしが死ねばそれでおあいこっていうことになる……違うかしら?」
 自分がずっと怖れていたことを、ラケルがあまりに的確に言葉にしたのを聞いて、Lは膝の中にうずめた顔を、一瞬上げた。そうなのだ。自分の命そのものをではなく、より彼を苦しめるために、Kがもしラケルのことを自分から取り上げたとしたら――そう想像しただけでも、Lにはたまらないことだった。だから、結局はそうしないし出来ないとわかっていながらも、Lはずっと彼女と離れることを頭の隅のほうで考えていなくてはならなかった。(もし、本当に愛しているのなら、いざとなれば決断できるように心の準備をいつもしておくべきなのではないか?)と。結局のところ、ラケルと一緒にいたいというのは自分のエゴでしかないとも思っていた。それでもそれがLにとって生涯唯一の我が儘といえる行為であるのも本当のことだった。
「……あなたがいなくなった時、わたしは自分に罰があたったんだと、そう思いました。でもあなたが無事戻ってきてくれて――この世界にもし神がいるのなら、信じてもいいという気持ちにさえなりました。そしてこうも思ったんです。もしラケルのことを知らないままだったら、人を<恋しい>と思う気持ちも、わたしは知らないままでいて、それはどんなに不幸なことかって……でも、わたしは今幸せなんです。あなたと会って、初めて女の人の肌の優しさを知りました。ラケル、わたしはあなたとこうしてる時……」
 そう言ってLは、泣いてしまったことをごまかすように、彼女の胸にしがみつくように抱きついた。
「一番幸せなんです。こうしてると、本当に全部忘れるんです。カイン・ローライトなんていう人間も本当は存在していなくて、わたしはただのLで、アイスランドのリヴァイアサンなんていう組織にもつけ狙われたりしていない……初めてあなたが体を許してくれた時、わたしは生まれて初めて、自分の存在を喜びました。ラケルだけがずっと、わたしにとって純粋な愛情であり優しさであり、そして唯一の安らぎの源でした。わたしはあなたのすべてを愛しています。けれど、カイン・ローライトという男はやはり実在していますし、わたしは彼と決着をつけなくてはなりません。生きて戻るという約束はできませんが……それでも、信じて待っていてほしいんです。以前はカインが自分に対してどういう復讐をして殺すつもりなのかとか、<死>以上に、自分の存在というものが無になるということ以上に――記憶を消されてエデンに標本として保存されることや、人体実験を行われたり、自分のクローン人間が地上に戻されたりすることのほうが怖かった。でも今は……そうなることがイコールとしてラケルを失うということに繋がるから、そのことが一番怖いんです。自分と同じ顔をした別人が――あなたとセックスするなんて、わたしにはとても耐えられません」
 最後だけ、あまりに直接的な表現だったために、ラケルは思わず笑わずにはいられなかった。彼女の体に密着したLが、微かに振動を感じて、その胸の間からラケルの顔を少しだけ見上げる。
「なんですか。人が真剣な話をしている時に笑うなんて、不謹慎です」
「だって……」Lがいささかムッとした顔をしているのを見て、ラケルはさらにおかしくなってしまう。「いくら瓜ふたつのクローンでも、そんなに何もかも一緒っていうこと、あるかしら?わたしが思うには――もし仮にそうなったとしても、きっと何かが違うような気がするの。たとえば、キスの仕方があんまり粘着質じゃないとか、あんまりあっさりしてて前とは別の人になったような気がするとか……そういう<何か>がきっとあるんじゃないかしら?少なくともわたしは――ううん、わたしじゃなくても、メロちゃんやニアちゃんやワタリさんや他の誰かが、Lが前とは違うっていうことに気づくんじゃないかっていう気がするわ。もちろんそんなこと、想像してみただけでも怖いことだけど……でも、Lがもしその自分の生まれた場所で決着をつけなくちゃいけないなら、足手まといにならないギリギリのところまでわたしも一緒に行きたいの。今までLと一緒に世界各地をまわってきたけれど、アイスランドにだけは、そういえば行ったことがないものね」
「……ええ」
(彼女は、強いな……)と、Lは思い、そもそも<女性>という存在そのものが自分よりも遥かに強いものなのかもしれないとすら感じた。クローン人間など馬鹿馬鹿しいと一生にふすでもなく、そのことを信じるに足るだけの論理的な説明を要求することすら、ラケルはしなかった。それは彼女が子供のように純粋にLのことを信じきっているからでもあり、彼女が「死ぬ」と言ったその言葉も、嘘偽りのないものであることが、Lにはわかっていた。もしこの場にカインが突然現れて、今の会話を聞いていたから、命を差しだせと彼女に迫ったとしても――必ずラケルが自分で言った言葉通りにするであろうことが、彼にはよくわかっている。
 Lは最初、自分がすべてを告白したら、ラケルが同情を越えたあたたかな愛情の涙を流すのではないかと想像していたが、むしろ泣いてしまったのが自分のほうで、何か恥かしいような気がした。けれどそれは不思議と居心地のいい恥かしさで――感情的に動揺しているところを見せてしまったことも、淡々と事務報告でも済ますように彼女に出生の秘密について打ち明けられなかったのも、ためらうあまりに告白するまで時間がかかってしまったことも……すべては彼女という存在が自分にとってあまりに<特別>だからなのだと、Lはそう理解する。
「もうひとつ、わたしはずっとあなたに言えなかったことがあるんです」もう一度また、ラケルのワンピースのボタンを外しながら、Lは言った。そしてブラジャーのフロントホックを口で開き、母親に甘える子供のように、そこに顔をうずめる。
「なあに?まだ何かあるの?」
 彼女が軽く溜息を着いているのを感じて、Lは少しその前に悪戯がしたくなった。
「ええ……でも、最近ちょっと飢えているので、先にしてもいいですか?」
「でも、ラファがまた戻ってくるかもしれないし……」
 子供の教育上よくないというように彼女が感じているらしいのを見て、Lは内心おかしくてたまらなくなる。
「大丈夫ですよ。あの子はあなたが考えている以上にずっと大人ですから……ここへは戻ってこないと思います。なんだったら鍵をかけてもいいですが」
「……………」
 ベッドにかかる絹のカーテンを閉めてしまうと、そこは薄暗がりとなり、他にどんな邪魔も入ることが許されないような空間になる。ラケルはこの時、世界中の色々な高級ホテルのベッドでLと今しているのと同じことをしたのを思いだしていた。パリ、ワルシャワ、プラハ、モスクワ、チューリッヒ……走馬灯のように様々な思い出が甦り、そして最後にLと初めて体を重ね合わせた瞬間のことを思いだした。
「ねえ、初めての時、ノミの話をしたの、覚えてる?」
「ノミの話、ですか」
 Lはもちろん覚えていたが、出来ればそのことは忘れたふりをしていたいような気が、今はしていた。それで彼女に抱きついたまま、黙ったままでいることにする。
「仲のいいノミの夫婦がいて、人間の夫婦の体を痒がらせて、夜の生活を邪魔するっていう話……あれ、Lが自分で考えた話なの?」
「そんな昔のことは忘れました」と、Lはわざと嘘をついた。「でも、あの夜のことはよく覚えています。わたしは、あなたが何故わたしにこんなことをさせてもいいと思うのかが、最後までよく理解できませんでしたから。でも、ラケルがわたしに「愛してる」と言ったので、これがそれなんだと思ったんです……健気にもあなたは震えていましたが、その様子があんまり可愛いかったので、他の男が同じことをラケルにするなら、自分がそれをしたいと思ったのをよく覚えています」
「愛してるなんて、わたし言ったかしら?」
「言いましたとも」忘れたとは言わせない、というように、Lは彼女の体を強く抱きしめる。「あれはシンガポールのラッフルズ・ホテルで、午前3時27分頃のことだったと記憶しています。そうですね、またいつか同じ部屋に泊まることがあったら、時間をかけて思いださせてあげたいと思います」
「……L、わたしそろそろ行かなくちゃ。ラファとモーヴくんがいるから、夕食の用意もしなくちゃいけないし……」
 たとえは悪いが、蝿とり紙に貼りつくハエのように、Lが自分の体にべっとりと密着しているのから逃れようとしながら、ラケルはそう言った。
「そうですか。せっかく久しぶりにふたりきりになれたのに、とても残念です……ですがまあ、仕方ありません。それでも最後にひとつだけ、いいですか?」
「ええ。なあに?」
 身支度を整えようとするラケルの後ろ姿を見ながら、Lは彼女の白い背中に囁くような声で言った。
「その……わたしが無事、アイスランドの地下にあるコロニーから戻ってきたら――結婚式を挙げたいんです。そのことをもしわたしが忘れていたとしたら……それはおそらく本当のわたしではないと思ってください。それはある意味では確かに、形式上のことにしか過ぎないかもしれませんが、わたしは本当のことをあなたにすべて打ち明けるまでは、ラケルとそうする資格は自分にないと思っていたんです。でもすべてが終わって無事解決したら――新婚旅行も兼ねて、一度シンガポールへ行きませんか?もちろん、わたしとラケルが初めて結ばれた部屋に、また予約を入れたいと思っています」
「……L………」
 不意に、彼女の背中が震えているのを見て、Lは驚くあまり、体を起こした。見ると、ラケルが両手で顔を覆って、泣いていることが彼にはわかる。
「わたしは、絶対に戻ってきます。そして、必ずラケルのことを幸せにしますから……」
 その言葉を聞くなり、ラケルはLの首に抱きついた。そして自分のほうから熱烈なキスを彼に対して何度も仕掛ける。
「……………!!」
「自分からするのと、わたしからキスするのとでは違うって、Lは前に言ってたでしょう?」
「ええ……」
 それからもう一度お返しにと、Lが彼女にキスをして、ふたりはまたベッドの中へ倒れこんだ。結局その日の夕食は、いつもより遅れることになってしまったけれど――ラファはまったく気にしていなかったし、モーヴはラケルが夕食を知らせる電話を鳴らすまで寝ていたのだった。
 ただし、その夕食の席で「ラケルとLは仮面夫婦ってわけじゃなかったんだな」などとラファに言われ、ラケルは一瞬ドキリとすることになる。彼にしてみれば、ずっと部屋も別々に過ごしているLとラケルは、どことなく本当の恋人同士という感じがしなかったのだ。Lがどうやって彼女にプロポーズしたかという話を聞いた時にも、どことなく嘘っぽいものさえラファは感じていた。それで、自分が二十歳になった頃にラケルは三十四歳だと思い――それならまだ十分射程圏内だと考えていたのだった。
 この時ラファはショックを受けたというわけでもなんでもなかったとはいえ……それでも、数年が過ぎた時に、もしかしたらあれが自分の初恋だったのかもしれないと、彼はそんなふうに思い返すことになるのだった。



【2008/09/25 07:14 】
探偵L・アイスランド編 | コメント(0) | トラックバック(0)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(16)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(16)

 モーヴ・カークランドの朝はいつも、日暮れとともにはじまり、そして彼の一日は夜明けとともに終わる。近頃の彼の<モーニング・コール>はラケルからかかってくる携帯電話で、その夕食――彼にとっては朝食――を知らせる電話が、ほとんど目覚ましがわりだった。
 モーヴはすっかり陽が暮れて月の光や星明かりのさす城館の廊下を歩いていき、みんなと食堂のテーブルを囲んで色々な話をする時間をとても楽しみにしている。といっても彼は元来無口で無愛想ではあったが、夜の食卓の時間を逃すと、それ以外では仲間全員に会う機会が滅多にないため――そのあまり長くはない一時を、モーヴはとても大切にしていた。
 彼は誰かから意見を求められでもしないかぎり、絶対に口を開かなかったし、食事が終わるとまたさっさと地下の自分の部屋へ篭もってしまう。けれど、モーヴは仲間たちの全員を自分の芸術と同じように愛していたし、また仲間のほうでも彼をかけがえないのない存在として認めていた。その証拠にと言うべきか、モーヴの地下の部屋には毎日必ず誰かがやってくる……Lと超能力を持つ者たちの間で会議があった日、彼の部屋を最初に訪れたのはセスだった。夕食の時にも、むっつりと黙りこんで何も話そうとしない彼の様子を見て、(何かあったな)とモーヴも直感してはいた。彼は単に自分から積極的に何かを働きかけようとしないだけで、そのあたりの人間の感情の機微といったものには極めて鋭い嗅覚を持っている。エヴァとは実際には違う形ではあるが、彼もまたテレパシー能力があるというわけでもないのに、人が何かを話す前にそれがほとんどわかってしまうという傾向が強い。言ってみればモーヴが無口でほとんど会話というものをしないのは、それが原因ともいえただろう。何故なら、相手が何かを口にする前に、その内容が大体のところわかってしまう場合があまりにも多いからだ。
 けれどそんな彼も、仲間たちのうちのひとりが個別に人生相談のようなものをしにくる場合には――時に少しばかり饒舌になってしまうことがある。大抵は、相手の話したことについて必要最低限度頷いたり同意したりするだけで済んだりもするが、何か<上>からの圧力のようなもので、「これを話したほうがよい」と感じた時には、その内容をすべて話すといったような具合に、モーヴは彼らと話をするのだった。
 もっとも最近で、彼の元を一番訪れていたのはティグランだったが、そのせいでモーヴはルーとラスとメロとティグランの四角関係については、本人たち以上に色々なことをよく知っていたともいえる。その上でモーヴがティグランにアドバイスしたのは、次のようなことだった。
「あのメロって子と僕は、夕食の席で何度か顔を合わせただけだけど……ラスと彼は感情の相がよく似ているんだよ。おそらく本人たちはそんなこと、気づきもしないで惹かれあってるんだろうけどね。逆にいうとカイとラスはそれが正反対だから惹かれあったんだろうな。だから、彼らのことは責めても無意味だ。ルーはルーで数学を糧に自分の心の畑を耕して、そこに種をまいて実ったものを刈りとる以外に、傷ついた心を癒す術はないだろう。そしてティグラン、君も同じように自分の心が求めるものを追求し続けることだ。いくら僕に未来が読めるといっても、先のことは本当にわからないからね――すべては最初から決まっていることもあれば、その過程に起きた出来事で変化することもある。この世界を支配する神は現在進行形で今も生きて動いているんだよ……そのことを忘れないで」
 モーヴにさんざん愚痴をこぼしまくった後で、彼からその答えを聞くと、ティグランはあまり地下の部屋へは来なくなった。これまでにも、悩みのある一時期だけ毎夜のように彼の元を訪れ、また足が遠のくといったような仲間たちの動きは何度となくあった。そして彼はそんなふうにして仲間たちの「心の一番奥深く」にある物ごとに触れていたから、生活スタイルがみんなとはまるで逆のサイクルでも、ひとりだけ孤島に住んでいるというわけでもなかったのだ。むしろ逆に――そうしたモーヴのことを誰もが必要とし求め、いざとなったら彼の元を訪れようという信頼感を常に持っていたとさえ言えただろう。
「それで、今日は一体僕にどんな相談ごとがあるのかな、セス?」
 たくさんの蝋燭の灯りに照らされた部屋で、ブランケットにくるまりながら、セスは寝椅子にもたれかかっている。モーヴはそんな彼の前で立ったままキャンバスに向かい、ラケルの肖像画を描いていた――彼には<直感像>というものがあるので、たとえ今目の前に彼女がいなくても、細部に至るまで「まるでラケルがモデルとしてこの場にいるかのように」描くことが十分可能なのである。
「……モーヴは、自分のことを不幸だと感じたことがあるか?」
「そりゃあもう、しょっちゅうね」と、筆を動かし続けながら、モーヴは笑う。「生まれてからすぐ親に捨てられたこともそうだし、その上不治の病いにかかっているとあっては、我が身があまりに哀れで泣けてさえくるよ」
「でも、僕は――というより、僕たちのうちの全員は、君をそんなふうには全然思わない。いつも超然としていることのできる君が、僕は羨ましいとさえ思ってるよ。今日、Lが……みんなのことを集めてこう言ったんだよな。アイスランドにリヴァイアサンとかいう最先端の科学技術を持つ組織があって、そいつを一緒に潰すのを手伝ってくれないかってね。僕の答えは“ノー”だったけど、みんなの答えは“イエス”だった。まったく今日という日ほど、自分のこれまでの努力が報われなかったことはないよ。カイはそんなことのために命を捨てたんじゃないって、そう説いてみたところで無駄だろうから何も言わないけどさ……もしかしたらこれも、一種の集団心理って奴なんだろうか?僕らはこれまで、せいぜい生きて二十歳前後だって言われてきたから――新薬のお陰で急に長生きできるかもしれないって聞いて、元の寿命を神にでも捧げるような気持ちがみんなに生まれてしまったのかもしれないな。僕は、それを神の大切なお恵みだとでも思ってみんなに大切にしてほしいと思うけど、特にこれといった理由もなしにみんなはLについていこうとしてる……モーヴ、このことを一体君はどう思う?」
「そうだね。まあ、僕に言えるのは、セスはセスの思う道を進むしかないっていうことかな。それは、カイがヴェネチアへ行く前に君と同じように僕に聞いたことだよ……セスもその場にいたから、きっと覚えてると思うけど。彼は僕に、これから自分がしようとしてることは正しいと思うかどうかと僕に聞いたけど、実際のところそれが『正しい』か『正しくない』かというのは、単にカイ個人の動機の問題にすぎない。もちろん彼が僕に聞きたかったのはそういうことじゃないっていうのはわかってはいるけどね――人間は、自分が正しいと思ったことを行って最終的に悲劇を招く生き物だからさ、彼は自分の<選択>した結末を、未来を読める僕に聞いておきたかったわけだ。その時に僕がなんて答えたか、セスは覚えてる?」
「覚えているさ」忘れるわけがない、というようにセスは数瞬目を閉じる。「無二の親友に対して君は、あまりに冷酷なことを言ってのけたんだからな。『その答えについて、君は知らないほうがいい』――今も思うが、何故そんなことをモーヴはカイに言ったんだ?嘘でも気休めでもなんでも、『カイがこれからしようと思っていることは必ず、後に大きな実を結ぶことになる』と、何故言ってやらなかった?第一、僕らはカイが自分の命を捨てたお陰で、これから新薬開発の恩恵にあずかろうとしてるんだぞ?それなのに……」
「ストップ」油絵の具をパレットの上で混ぜ合わせながら、モーヴはいつになくセスが感情的になろうとするのを止めた。「そんなセリフを君が僕に言うのはあまりに無神経だ。八つ当たりなら、どこか別の場所でやってくれ……あの時点ですでに、カイには死相が見えていたからね。たとえ気休めでも、『きっとうまくいく』っていうようなポジティブなメッセージをカイに伝えるのはもちろん簡単だったさ。でも僕は、彼の心の奥底の希みを知っていたんだよ。それで、セス――君がいずれニアに会いにいくであろうヴィジョンは確定してるって教えたんだ。これだって僕にしてみれば十分な彼に対する餞だった。彼がヴェネチアで死ぬということは、同じように僕にはわかりすぎるくらいわかっていたから……<もしかしたら、何か奇跡のようなものが起きて>、カイはもっと長生きできるかもしれないと、ほんの僅かなりとも希望を持てる他の人間とは、僕は訳が違うんだ。そういう意味では、僕のほうがカイの死についてはつらい思いをしたってこと、忘れないでほしい」
「……すまなかった」
 セスは溜息を着くと、体を起こした。これではモーヴの言うとおりただの八つ当たりだとそう思う。感情的にならず、いつものように理性で物事を判断し、結論を導くようにしなくては。
「本題に戻ろう。Lやみんながリヴァイアサンに乗りこんでいった結果どうなるのか、僕はそのことが知りたい。それともこの場合も『君はそのことについて知らないほうがいい』って、モーヴはそう思うか?」
「わからないな」と、白とクリーム色の中間くらいの色でラケルの服を塗りながら、モーヴは答える。「その質問に答えるためには、僕には与えられた情報量が少なすぎる……でもまあ、今日の夕食の席に着いた時、みんなの顔には死相のようなものは現れていなかったから、死にはしないということになるのかな」
「じゃあ、みんなと一緒に僕もそのアイスランドにあるとかいうリヴァイアサンの基地とやらへ行くべきだと思うか?」
「セスの中で答えはもう決まってるんだろう?それなのに、僕に質問するなんてナンセンスだよ」
 ギルドの裏の運営事情というものがある以上、彼はそのボスの座というものから今は離れることができない。もちろん、後継者としてラファにすべてを教えこみ、彼のかわりに自分が……ということも出来ないことではない。だが、ラファには磁気嵐を起こすことが出来るという特殊な能力がある。そしてリヴァイアサンに渡ったと思われる資料には、ラファの能力についてはそれほど詳しく書き記されてはいないのだ。帯電体質で、静電気を発生させるといったようなことしか、ミドルトン博士もシュナイダー博士も知ってはいない。あとは鳥だけでなく、動物たちがなんとなくラファに寄ってきて、彼に懐くといったようなことしか、おそらくデータとしては書かれていなかったはずである。
 そうしたことすべてを考えあわせたとすれば――Lが仲間のうちでもっともリヴァイアサンへ連れていきたいのは、おそらくラファエルだったろうと、セスは自分を彼の身に置きかえて考える。
「エッカート博士が病気で倒れる前から、僕には彼の死期が見えていたし、ヴェルディーユ博士にしても同様だった。それとソニアとカミーユも長くはないと彼女たちの顔を最後に見た時からわかっていた……もっとも、君も知ってのとおり、ソニアは未来の見える僕に、先にこう聞いていたけどね。『ロサンジェルスの研究所と提携するのは神の御心にかなっているかどうか』って――だから僕はこう答えた。『それが運命だ』と。人間ってのは実に勝手な生き物だから、彼女はただ自分の心にあることの確証を与えられたかっただけなんだよ。仮にソニアにロサンジェルスへは行くなと言ったところで、彼女は間違いなくそうしていただろうしね……<運命>っていうのはつまり、そういうことだ。なるようにしかならないし、運命という風の流れを操ることは、人間のうちの誰にもできないことなんだよ」
「じゃあ、このままみんなが命の危険をかえりみず、無鉄砲にLとアイスランドへ行こうとするのを指をくわえて僕は静観しているしかないわけだ」
「まあ、シンプルにまとめるとすれば、そういうことになるね」
 セスが溜息を着き、黒い髪の毛をかきむしるのを見て、モーヴはそこにある種の<真実の瞬間>を垣間見た。普段は冷静でクールそのものの彼が、珍しくも人間の心の根底にある剥きだしにも近い無防備な姿を自分に晒している……そのことを感じるとモーヴは、もう一言二言、彼に慰めの声をかけてやりたい気がしたが、ちょうどその時、なんの前触れもなしにコツコツ、と鉄製の扉がノックされた。モーヴにとっては本日ふたり目の来客といったところだった。
「どうぞ」と、ラケルの金の髪を一本一本精緻に描いていきながら、モーヴは小さな声で答える。すると「失礼します」などと言って、いやに礼儀正しい猿のような姿勢でLが室内に入ってきた。
「たぶん、あなたも今夜ここへ来ると思っていました」
 チッ、と内心舌打ちしているような顔のセスを見て、モーヴは一瞬笑いたくなってしまう。Lとセスは感情の相がまったく噛み合わない性質を持つ者同士なのだ。ギルドの裏の仕事のことがあるにしても、彼らが直接的に行動をともにするのはある意味危険なことだといえた。あくまでも<ビジネス>として協力しあうならばいいが、それ以外では――互いによくない影響を及ぼしあうことになると、そのことがモーヴにははっきりとわかる。
「ここに僕がいてはお邪魔かもしれないから、そろそろ失礼するよ」
 羊毛で出来た赤いブランケットを脱ぎ捨て、Lと顔を見合わせることもなく、セスはモーヴの蝋燭で照らされた仄暗い部屋を出ていく。Lにしてももし、セスが同席したほうが都合のよい話であれば、彼に何か声をかけていただろう……だが、Lはモーヴとふたりだけで話したい事柄があったために、セスが苦虫を噛み潰したような表情で出ていくに任せたのだった。
「それで、ご用件は?」
 Lが自分に何を聞きたいか、大体のところわかっていながら、モーヴはあえてそう聞いた。自分が今キャンバスの上に描いている女性と、彼とはとても相性がいい――だが、ティグランとは違い、Lは恋愛相談などをしにきたのではないことが、モーヴにもよくわかっている。
「ルオーが好きなんですか?」
 キリストの磔刑像をとり囲むように、青灰色の石壁には、ジョルジュ・ルオーの『ミセレーレ』と呼ばれる銅版画がずらりと並んでいる。そしてLはミセレーレのうち13番目の「でも愛することができたならなんと楽しいことだろう!」という絵の前で、猫背の姿勢のまま、じっとそこに見入っている。
「人間は苦しまなければならない……というより、苦しまなければ人間は本当の意味での人間になることは出来ない。それがルオーにとっての信仰の本質だったんじゃないかと僕は思っています。まあ、つまらない一般論とも言えますけどね。でも、ここに並ぶ銅版画のうち、どの絵の前で立ち止まるかで、その人の心理状況がある程度見えるのも本当のことですよ。さしずめあなたは今、ラケルのことを想っている……ちなみにカイはよく、「イエスはこの世の終わりまで苦しみたまわん」や「死に至るまで、そして十字架上の死に至るまで従順なる」といった絵が好きだったみたいですけどね。でも、あなたには――それにも勝る愛情や光や救いといったものを感じます。僕から見ても、羨ましいくらいに」
「……その絵、完成したらいただけますか?」
 モーヴがラケルの絵を制作しているのを、横からひょっこり覗きこみながらLが言う。木漏れ日に手を差し伸べる彼女の横顔に、Lは確かに見覚えがあったが、それがいつどこでだったかが、よく思いだせない。
「いいですよ。今彼女は僕にとってのミューズですが、僕は基本的に一度完成した絵には執着や興味といったものを失いますから、一番大切にしてくれそうな人にもらっていただけるのは、とても嬉しいことです」
「ありがとうございます」
 またも礼儀正しい猿のような姿勢で、Lはモーヴに背を見せると、いつもの指使いで他の超能力者たちが「ライナスの毛布」と読んでいるブランケットを脇によけている。そしてまたいつもの座り方で寝椅子の片側に座りこんだというわけだ。
「おそらくは大体のところ、セスから話を聞いているとは思いますが……これからわたしはあなたの仲間の力を借りて、自分に因縁のある敵と戦おうとしています。最初、わたしはこの敵に自分ひとりで立ち向かうつもりでいたわけですが――ある種の巡りあわせのようなものにより、今こうしてある意味あなたたちのことを味方につけることが出来た。ですが、これから自分のしようとしていることが正しいことなのかどうか、正直わたしにはまったく確信が持てません。そこで未来が見えるというあなたに、相談をしにきたというわけです」
「なるほど。それは懸命な選択ですね」と、モーヴは自嘲するような皮肉げな笑みを洩らす。実際のところ、モーヴは先ほどひとつだけ、セスに嘘をついていた。仲間たち全員に死相は見えないと言ったのは嘘で、実はその中にひとりだけ――それが見えている者がいた。けれど、あくまでも彼にはそれが<見える>というだけで、運命を変える力というものは、また別のところから別の誰かが引っ張ってこなければならないことなのだ。さらにつけ加えるとすれば、死相の見える相手に「君は近いうちに死ぬだろう」などと忠告するのも意味がない。そう言ったところで、むしろそれであればこそ――「行く」と相手が答えるだろうことが、モーヴにはわかっている。
「僕は、カイがヴェネチアへ行くという時、彼に自分の選択は正しいかどうかと聞かれて『その答えについて、君は知らないほうがいい』って忠告したんですよ……これから死にゆこうとしている親友に対して、何故そんな冷酷なことを僕が言ったか、あなたにはわかりますか?」
「そうですね。古代ギリシャ人たちは、戦争の前や重要な政治的決断を下す時には必ず、デルフォイの神殿――アポロン神に仕える巫女にお伺いを立てたと聞いています。そしてその神殿の入口にはこう書き記されていたそうですよ。『汝、自らを知れ』と。そこには、人間はもともと寿命の定まった死すべき存在であり、誰も運命からは逃れられないという意味がこめられていたそうですが……つまりはそういうことだったのではないですか?」
(面白い意見だな。いや、流石はLとでも言うべきなのか)と思い、モーヴは相手に敬意を表するように、一旦絵筆を置いた。
「紅茶でも一杯、いかがですか?」
 長い夜になりそうだとの予感から、モーヴはそう聞いた。「ええ、是非」とLが答えたので、水差し(ピッチャー)の中から湯沸し器に水を注ぐ。ここは地下室ではあるが、一応電気は通っている。にも関わらず蝋燭を灯しているのは、単なるモーヴの趣味だった。
「正直いって、他の仲間たちとは違って、僕はもともと延命というものにまったく興味がありませんでした。何分、吸血鬼のように陽の光に当たることもできない惨めな存在ですからね……その上、夜の街をさまよい歩いてみたところで、人の寿命が見えたり運命がわかったりして、心の休まることがない。そのくらいならいっそのこと早く死んでしまいたいというのが、僕のかねてからの希みだったんです。ですから、エリス博士が新薬を完成
させても、僕はそれを飲む気はありませんし、もともとの寿命のまま、死ぬつもりでいますよ」
 ピィ、と小さな音を立てて、湯沸し器が沸騰すると、ティーバッグの茶葉を浸せたカップを、モーヴはLに手渡す。
「ラケルのように本格的じゃなくて申し訳ありませんが、まあ砂糖をたくさん入れて飲んでください」
「どうも……では、遠慮なく」
 モーヴから砂糖壺を受けとると、そこには何故か一匹の蟻がいた。それでLはスプーンでその蟻んこを救ってやろうとするが、モーヴは何を思ったのか、彼の隣に座りこむなりそれを握りつぶしている。
「この部屋、やたら蟻がしょっちゅう出没するんですよ。僕の心にも最初のうち、大いなる慈悲深き心っていうのがありましたが、一日に十匹も二十匹も見かけるうち、殺すのが当然のことのように思えてきましてね。そんな時、Lだったらどうします?」
「そうですね……わたしだったら、とりあえず部屋をかえますよ」
 モーヴはライナスの毛布にくるまると、アップルティーのカップをふうと吹いて、それが冷めるのを待った。
「でも、僕はここから出られないんですよ。どんな厚手のカーテンを引いたって、そこから太陽の有害な紫外線が忍びこんでくる……それがたまらないんです。この部屋も一応、地下とはいえ電気は通ってますからね、照明くらい点けることはできる。でも、僕はそこから太陽の光を連想して、たまらない気持ちになるんです。ギリシャ神話のイカロスの話を最初に読んだ時、なんて馬鹿な男だろうと思ったけれど、結局最後には僕も、彼と似たようになって死ぬんだろうと思いますよ……僕に言わせれば、人の人生なんてみんな、そんなものです」
「そうですか。こんなに素晴らしい芸術的才能があるのに、そのこともあなたの中では救いになりませんか?」
 砂糖壺からスプーンで砂糖を掬うと、その下からまた、蟻が一匹姿を現す――彼にとっておそらくこの砂糖壺は小さなパラダイスなのだ。だが、Lが上から何杯も砂糖をかけると、とうとうその可哀想な蟻は生き埋めとなる。
「蟻入りの砂糖が嫌なら、上のキッチンから新しいのを持ってくるしかないですよ」砂糖を入れずにアップルティーを飲みながら、モーヴが言う。「それか、砂糖なしで紅茶を飲むかのどっちかですね。さて、どうします?」
 Lは死んだ蟻ごと砂糖を紅茶に入れると、さらに蟻の死骸ごと紅茶を飲んでいた……ラスやルーがこの場にいたとすれば「うぇっ!」という顔をしたに違いないが、Lは全然平気だった。確かアフリカでは蟻を食料にしている原住民もいるはずだし、別にどうということはない。
「先ほどの話に戻りますが、カイが僕に希んでいたのは――『万事うまくいくから安心せよ』というような言葉ではなかったんです。だって、彼の命を代償として、その後のことが仮にすべてうまくいったからって、なんになりますか?モーセは、神から与えられた力により、葦の海を割ってイスラエル民族をエジプトの圧政から解放しました……ですが、彼は結局その神から約束された土地を見ることなく死んでいます。もし僕がモーセで、神から約束された土地を見ることなく死ななければならないと最初からわかっていたら――イスラエルの民族を導くというような大役を、担おうとはとても思えなかったでしょうね。だが、結局のところ神にはそうしたことがすべてわかっていた。自分が奇跡を起こして救った民が、やがて自分に呟き背き、罰を受け、さらにはそのことが後の子孫に語り伝えられて、後世の人々の戒めとなるであろうことが……僕たちは、言ってみればこの砂糖壺の中の蟻みたいなものです。歴史的に、自分がどこのなんていう場所にいるかもわからず、砂糖のような甘い幸運に出会えば大喜びし、それを奪い去られれば落胆して神を呪う――そんな小さな虚しい存在にすぎません」
「でも、人間と蟻は違いますよ」と、砂糖をざらざらとさらにカップへ入れながら、Lは言う。「まあ、人間を生かすのも蟻を生かしているのも同じ、生命保存の本能だとは、わたしも思いますけどね。蟻は食料を集められるだけ集め、人間は財産を蓄えられるだけ蓄えようとする……何故なら、本能的にそうしなければ安心できないからです。そして一生分の食料やら財産やらを眺めて、これで自分の生涯は安泰だと感じること、それが一般に人間が<幸福>と呼ぶものですが、蟻と人間の違いはやはりここでもはっきりしています。蟻ならば、そこで十分満足でしょうが、人間はお金があるだけでは幸福になれない……そこにさらに生きがいとか、愛とか才能とか、そうしたものがなければ駄目なんです。むしろそちら側が満たされてさえいたら――多少の窮乏には目を瞑ることのできる人も多いでしょうね。モーヴ、わたしはおそらくあなたはそういうタイプの人間なのではないかと思っています。これまでに数え切れないほどの彫刻作品を制作し、数百点にも上る絵画を描いてきたあなたは――それを自分の<生命>として後世に残そうと思っている。違いますか?」
「そうですね……L、あなたの指摘は確かに当たっていると思います。僕は若くして死ぬことをそれほど怖れてはいない。何故なら、長寿がそのまま才能の維持とイコールで結ばれているとは限りませんからね。むしろ長生きすることで、自分の芸術が堕落することこそを怖れているといってもいい……これまでに僕の制作した彫刻なりなんなりを外の世界にだせば、それなりの値がオークションなどでつくかもしれません。でも、僕は美術コレクターなんていう人たちに自分の作品を評価されたり、そうすることで名声を手に入れるということにもまったく興味がないんです。むしろそうしたことは僕の芸術の妨げにすらなりかねません。それくらいならいっそのこと――死んだあとに僕の知りえないところで好きなように保存するなり破壊するなりしてほしいと思ってるんです」
「なるほど。ではわたしには、新薬開発の取引材料として、あなたに未来を聞く権利はないということになるかもしれませんが……それでもよかったら教えてほしいんです。何より、あなたの仲間の命が懸かっていることでもありますし、わたしはもともと、リヴァイアサンへはひとりで赴くつもりでしたから――あなたに見えるヴィジョンとして、わたしが<K>に勝てる見込みは何%くらいでしょうか?」
「それは、お教えできませんね」
 アップルティーを飲んで体が温まると、ライナスの毛布をはらりと置いて、再びモーヴはイーゼルにかかるキャンバスに向かいはじめる。その薄汚いスモッグを着た青年は、薄い色の金の髪をひとつに束ね、骸骨のように痩せた体つきをしてはいたが――そのダークグリーンの瞳にはどこか決然としたような「生きる意志」が漲っている。そして彼のその眼には見えるのだ……まるで死神のように人の寿命や運命といったものが。
「何故教えることが出来ないか、理由はいくつかあります。ひとつ目の理由はまあ、教えたところで無駄だからです。人間、知らないほうがいいこともある……そのことは、あなただって仮にも探偵なんですから、ご存じでしょう?第一、行けばあなたは死ぬことになるといったところで、結局――L、あなたは自分の信じた道を進むという、そういう人です。カイもあなたと同じく、そんな人間だった。だから僕は『君が自分の命を犠牲にすることで、他のみんなは助かるだろう』とは言わずにおいたんです……いえ、正確にはより残酷なその真実を、僕は口にすることが出来ませんでした。それと同じことがL、あなたにも言えますよ。たとえば、オリンピックでメダルが取れるかどうかと、スポーツ選手が僕に聞いたとしても――僕は相手が金を取れると思ったところで絶対に言わないでしょうね。知るだけ無用であり、聞いた本人も後でそんなことは聞くほどではなかったと、後悔するような事柄だからです。ただ、あなたが迷う気持ちは僕にも理解できるし、何よりラケルの作る美味しい食事に免じてひとつだけお答えしましょう。仮に何がそこで起きたにしても、それはあなたの責任ではないということです。僕たちは一応その全員が未成年であるにしても、小さい時から長くは生きられない運命にあると覚悟して生きてきています。言ってみれば、病気にさえならず健康であれば八十歳くらいまで生きれるだろう……などと漠然と考えている同年代の子供よりは精神的に老成しているといっていいでしょうね。ですから、彼らのことはひとりの独立した個人として見、彼らひとりひとりの意見を尊重して、その方向で動いたほうがいいと思います。それで誰かがもし命を落としても結局は<そうなる>運命だったのだと、僕はそのことだけを予言しておきましょう」
「そうですか……有意義なお話、ありがとうございました」
 Lは、デルフォイの神託話を思いだし、微かに苦笑してしまう。アポロン神に仕える巫女ピューティアは、時にわかりにくい抽象的な言葉で未来のことを予言したと言われているが、それはおそらく本当には彼女にも未来のことなどわかってはいなかったからだとこれまでLは思っていた。だが――実は意外にそうではなく、未来の出来事がわかっていて、あえてそうした言葉を使ったのかもしれないと初めて思った。そして思う。人の未来が見えるという、十七歳の青年の心の中の地獄というものを……彼の描く絵の中には多くの黙示録的な事柄が描かれていたが、もしかしたらモーヴにはこの地球の終わりさえもが見えているかもしれないのだ。
 本当はこの時Lは、他にもうひとつ――(ラケルにすべてを告白すべきか否か)ということを、最後に彼に聞きたいと思っていた。だが、未来の秘蹟というものはあまりに大きく、モーヴの目には自分の悩みが小さなものとして映っているのを感じて、Lはその質問については取り下げることにした。それはあたかも、「この女性が本当に運命の人かどうか」と聞くにも等しいことだったし、仮にモーヴが「ラケルには別に運命の男性がいます」などと教えてくれたところで、自分はその運命を受け容れるつもりなど、最初からさらさらないのだから。
(そうと決まればあとは……)
 と、Lは考える。彼の言うとおり、自分は自分の信じた道を進む以外にはないだろう。ただ、心理学的な分析として、自分の心がモーヴの部屋を訪れる前よりも軽くなっていることにLは気づいていた。肚が決まった、とでも言えばいいのか……仮にもしモーヴに自分が元の場所に無事戻ってくるヴィジョンが見えていたとして、それはクローン人間ではなく、本当に本物の自分かどうかと聞く必要さえ、今のLにはなかった。
 あとはただ――愛する人が自分を信じて待っていてくれると約束さえしてくれたら……他に自分の希むものは何もないと、Lはそう思った。そしてモーヴの部屋にかかるルオーの銅版画を思い浮かべながら、心の中で祈りに近い言葉を彼は呟く。『ミセレーレ』、主よ憐れみたまえ、と。



【2008/09/25 07:00 】
探偵L・アイスランド編 | コメント(0) | トラックバック(0)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(15)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(15)

「さて、みなさん。全員揃ってますか?」
 一渡り顔を見回して、Lは一応そう確認した。唯一モーヴは睡眠中なのでいなかったが、それ以外のメンバー――メロとニアはもちろんのこと、セス・ラス・ルー・エヴァ・ラファ・ティグランは全員顔を見せていた。
「それで、話というのは?」
 セスが珍しく、どこか緊張感のある声音でLにそう聞く。Lは大理石の柱と数百冊もの蔵書の収められた本棚をバックに椅子へ座り、そのまわりを囲むように皆がソファに座っていた。唯一ティグランだけが立っており、ラファは床のラグの上でニア所有のアイソボットというロボットで遊んでいる。
「単刀直入に言うとすれば、こういうことでしょうか。わたしにはリヴァイアサンという生まれながらにして因縁のある敵がいて、その組織を壊滅させるために、あなたたちの力を借りたいと思っている……けれどもまあ、これは<もしよかったら>とか<できれば>といったような言葉が最初にくる、極めて消極的なわたしからの提案です。セスが殺し屋ギルドの裏情報を教えてくれたお陰で、これまでわからなかった犯罪組織の裏の流れもわかりましたし、シチリア・マフィアやロシア・マフィア、チャイナ・マフィアのボスなど――言うなれば、殺し屋ギルドの最高級幹部の面を割ることも出来ました。加えて、薬物売買・マネーロンダリング・武器密輸など、大体のところその規模や動いているグループのネットワークも解明されています。これだけのことが情報としてわかっていれば、彼らはわたしやメロやニアの手のひらで踊る猿に例えてもいいくらいだと言えるでしょう……しかしながら、上には上がいると言うべきか、わたしもまたある人間の手のひらで踊らされている猿にすぎないかもしれないんです。そしてそのお釈迦さまのことを、罰当たりにもわたしはこれから殺したいと思っている……そのことに無償で協力してくれと言うのはやはり、無理があるというものでしょうね」
「どうも今ひとつ、話が見えないな」と、セスが早速口を挟む。ラケルが出かける前にお茶の用意をしていってくれたので、そのセットを一揃い彼はすべてニアの部屋へ持ちこんでいた。
「まずひとつ目、Lのいう<敵>っていう奴の正体が僕にはさっぱりわからない。これでも一応僕は、カイと一緒にギルドの裏のトップを務めてきたからね……いうなれば、正義の探偵としてICPOのトップに立つ<L>とは、今まで敵対関係にあったといっていいわけだ。その僕らが互いに情報を明かしあっているのに――その上にさらに<リヴァイアサン>なんていう組織があるとLはいう。正直、そんな組織の名前はギルドの間では一度も聞いたことがないし、僕はLが精神病にかかっていて、いもしない架空の敵とこれから戦おうとしているようにさえ思えるけど……そのへんのことをもう少し、詳しく説明してくれないかな」
「もちろん、いいですよ」Lは、彼が日本茶を飲む姿を見ながら、思わず笑いそうになる。おそらく、メロとニアも同じような気持ちだろうことが、はっきりとLにはわかる。ある意味で<リヴァイアサン>という組織の情報をまるで知らないというのは、セスにとって屈辱的なことなのだ。これまでは自分のほうが有り余る情報を提供する側だったのに、今はその立場が逆転してしまったのだから……。
「<リヴァイアサン>という組織の名前は、あなた方もおそらくは知っている、有名なホッブスの著作名からきているらしいです。まあ、簡単にまとめるとすれば『万人は万人に対して、狼である』から、人間各自の無限の欲望を制限するためには、絶対の主権者と人は契約を交わす必要がある……そんなところでしょうか。この場合、言うまでもなくこの絶対の主権者というのが<リヴァイアサン>であり、その組織を率いるK――カイン・ローライトという男ということなります。わたしはアイスランドの彼の父親が創設した<エデン>という地下組織で生まれたのですが、彼の父親のレオンハルト・ローライト博士は遺伝子工学の父と呼ばれた人であり、その彼の研究の最高傑作として生まれたのがこのわたし、ということになるでしょうか。リヴァイアサンという組織ではすでにアンドロイドやクローン人間をはじめ、この世の既存の科学を超えた絶対的な力が存在しています。今は<K>ひとりが総帥として部下のアンドロイドたちを従えている状態ですが、彼が自分の父親に対してクーデターを起こす前までは――数百人の科学者たちがそこには住んでいたんです。しかしながら、そこまでの最先端の科学技術を有した彼らでさえ、人口子宮によって人間を誕生させるということまでは出来なかった……わたしもまた、ローライト博士の妻を代理母として彼女の子宮の中で育まれたんです。つまり、わたしは優性遺伝子の掛け合わせによって生まれた存在なので、ローライト博士の妻であるイヴとも、また彼らの息子であるカイン・ローライトとも血の繋がりというものはないんですが、イヴはわたしを身ごもっている時、「悪魔の子が胎に宿っている」と信じるようになり、やがて発狂したと聞いています。レオンハルト博士はイヴのことをとても愛していたそうなんですが、頭がおかしくなった彼女の心情を思いやることはせず、無理にわたしを出産させたということでした……そしてそんなふうに、出産の道具としてしか最愛の母のことを扱わなかった父のことを、カインは殺害する計画を立てる。その前に気の狂った母親のこともまた、彼はその手で直接殺したそうですが、父親や他の人間のことは旧式ナンバーのアンドロイドを改造することで、次々に彼らを血祭りに上げていったらしいですね。
 もちろん、アンドロイドなどという存在を認めろというのは、今の地球上における科学技術の発達具合から考えても、到底無理なことです。セスが言ったとおり、これがわたしひとりの誇大妄想であったらどんなにいいかとさえわたしも思いますよ。精神病の兆候として、いもしない敵に狙われていると妄想したりするのは、よくあることらしいですからね……まあ、わたしが言った言葉を信じるのも信じないのもあなたたちの自由です。ただわたしは、このままいくと確実にカインに殺されなければならない――それも普通の人間のようにただ死ぬというのではなく、死んだ後にクローンとして復活させられる可能性すらある……今わたしが持っているいくつかのシナリオのうち、もっとも可能性が高いと思われるものは、わたしひとりがアイスランドの<K>の組織に乗りこみ、よくて彼と相打ち、悪ければわたしひとりが死ぬというものです。わたしはあなたたちに自分に対して同情してほしいとは思いませんし、むしろそうした感情を一切排除した上で、この世界の未来のことをよく考えてほしいと思っています。<リヴァイアサン>という組織を最初に創設したのは、<K>の父親、レオンハルト・ローライト博士ですが、彼がエデンという地下組織を創った最初の目的は――核戦争から地球を守る、というものだったそうです。つまり、核のボタンをどこかの国が押せば、たちまちこの世界の危ういバランスは崩れ去る……そんな時にさまよわざるをえない弱き民のため、救いの手を差しのべるための重要な保険、それがエデンの創設された最初の意義だったんですよ。ですが、進みすぎた科学というものは人の心を狂わせるものです。エデンという地下組織には人工太陽が存在しており、さながら地上と変わらぬ生活を送れるということらしいですが、やはりそれも<本物>ではありませんからね……カイン・ローライトがしたのと似たようなことは、おそらく彼が行わなかったとしても、数十年後には必ず起こってエデンの秩序崩壊をもたらしていたのではないかと、わたしはそう考えています」
 アールグレイの紅茶に砂糖をぽちゃりといくつも入れ、そしてそれをズズーッとLは飲みほしている。その様子を見てルーとラスは「うぇっ!」といったような反応を見せ、互いに顔を見合わせる。さらにLは、これまたラケルの作ったパイやケーキに手を伸ばし、ぼろぼろとパイ皮のかけらをこぼしたりしながら、ムシャムシャと無造作にそれを食べるのだった。
「まあ、あなたは確かに相当の変人だと、それは確かに僕もそう思いはするが」と、全員の意見を代表するように、セスが腕組みをしたままで言う。「それは精神が病いにおかされているからではないと、一応そう信じることにしよう。何より、僕は前からほとんど確信していたからね――ソニア・ヴェルディーユと娘のカミーユの死に方は普通じゃなかった。そして壁のYou are a “L”oserの文字……僕があなたに事件についてどう思うかと訊いても、あなたは「わからない」としか答えなかった。それですぐに僕はこう思った――それは正確には「わからない」のではなく、「わかっているが答えたくない」ということなんだろうとね。そして今ほとんど確信したよ。ソニアとカミーユを殺したのは、おそらく人間の力を超えた何かの存在によるものなのだと……僕の推理が飛躍していなければ、冷酷無慈悲なアンドロイドにでも彼女たちは殺されたんだろう。違うかな?」
 自分でも馬鹿げていると思っているのか、セスの顔には自嘲するような皮肉げな笑みが漂っている。そして何を思ったのか、Lが彼のグリーンティに角砂糖を入れようとしているのを見て、セスはさっと素早くカップをテーブルからよけた。
「正解です」と、Lは自分にご褒美を与えるように、その角砂糖を口許へ運んでいる。「あなたたちの恩師であるミハイル・エッカート博士にはふたりの兄がいて、エデンでは航空学の権威としてとても有名な方たちだったそうです。そして末の弟であるエッカート博士のこともまた、ローライト博士はエデンに誘ったそうなんですけどね……彼は『この地上こそエデンだ』と言って、科学者にとってはこの上ない魅惑の誘いを断ったんだそうです。その後、このエッカート博士に育てられたあなたたちが、わたしと接触を持つことになったというのは――ある意味実に奇妙な運命の巡りあわせだとも言えるかもしれません。何故ならもしその時、ミハイル・エッカートが兄たちと一緒にエデンへ行っていたとしたら、彼はそこで超能力の研究を続け、わたしは今ごろその超能力者たちに苦しめられていたかもしれないわけですから……」
「あたしには、難しいことは何もわからないけど」と、ラスが初めて口を挟む。「それでも出来るなら、Lに協力したいと思う気持ちはあるわ。例の延命のための薬……それを創れるのは、今この地上でエリス博士ただひとりだけだと思うし、何よりもそのことがカイの遺志だったんだもの。その恩義に報いるためだったらあたしは、なんでもするわ。ただ、わたしの超能力がどの程度Lの役に立てるかは、極めて謎のような気もするけど……」
 カイの名前を聞いた途端、セスとメロがほとんど同時にラスのことを見る。彼女はその強い視線を感じて、思わず彼らから目を逸らした。カイが死んだのは決して、自分自身のためなどではなかったということをラスは知っている。カイは生きている間も死期が近くなってからも、自分以外の仲間とギルドという組織が<世界>に及ぼす影響についてしか、考えてはいなかったのだ。それなら自分もまた同じように――彼がもし今も生きていたらしたであろう決断を同じように下したいと、彼女はただそのことだけを思っていた。
「そうね。理屈の上では、セスの言うとおり、ギルドの情報が<L>の元に渡ったことと、延命の新薬は交換条件として五分五分なのかもしれないけど……わたしは物事をそんなふうに計算ずくで考えたりはしないもの。どちらかといえば、これはほとんど直感のようなものだけど――そのカインっていう人は間違っているような気がする。というより、彼自身が救われたがっているように思うのは、わたしの気のせいなのかしら?」
 エヴァの言葉に対して、答えられる者は誰もいなかったが、L自身はエヴァの直感を極めて鋭いと感じていた。<K>はむしろ、自分に倒されることで――<リヴァイアサン>という組織の総帥の座から降りたいと考えているのではないかと、Lは時々想像することがある。とはいえ、同時にKのプロファイリングは、その真逆――いつまでもその万能の神の座に着いていたい――でもあるのだ。そこでそのことを精神医学の権威であるロジャーに相談してみたところ、彼はこう言っていた。おそらくはその両方が正しいだろう、と。
「わたしのテレポート能力も、何かの役に立つかしら?」ルーが暫くの沈黙が流れたのちに、おずおずとそう申しでる。「わたしが単体で移動できる距離は5km四方といったところだけど……人数が増えた場合は当然、移動できる距離は短くなる。それに十人の人間を一度にテレポートさせるのは無理だし、その場合はせいぜい五~六人が限界っていったところだけど……それでよかったら、脱出する時にでも役に立てるんじゃないかって、そんな気がするの」
「ルーが行くんなら、俺も行くしかないな」と、大理石の柱のひとつにもたれかかりながら、ティグランが言う。「敵がもしアンドロイドのような人形だっていうんなら、むしろ俺にとっては好都合だ。人間相手にPKを使うのは流石に気が引けるが、結局そいつらのことは<物>だと思えばいいってことだろ?だったら思う存分、力を使ってやるよ」
「人間相手には気が引けるだって?その割におまえ、俺に対しては全然手加減しなかったんじゃないか?」
メロがパキリ、とチョコレートを食べながら容赦なくそう突っこむ。ルーは一瞬はらはらしたが、意外にも、メロとティグランの間には以前あったような険悪な空気はなくなっていた。
「おまえは唯一別だ。まあ、もしメロが困って「助けてくれ」って泣いて縋るなら、大いなる憐れみの心から救いの手を差しのべてはやるよ」
「……………」
 メロは面白くなさそうな顔をしてはいたが、それでも何も言わずにいた。ルーは彼のそんな様子を見て、思わず笑いそうになってしまう。
「なんだ?今のは笑うところじゃないだろう?」
「だって……なんだかおかしいんだもの。メロがティグランに助けてもらうところなんて、想像もつかないし」
「言えてる」
 ぷっ、とラスとエヴァもまた同時に笑ったが、メロとティグランには彼女たちが何故笑うのかがさっぱりわからない。それで一瞬互いに目を合わせそうになり――やはりムッとしたように、顔を背けあう。
 Lにとって、この事態はある意味、想定外のものだった。彼の予想ではまず最初にセスが新薬開発とギルドの情報網は五分の取引であるとして、協力する必要はまったくないと全員の代表として意見を述べ、他のみなもまたその意見に賛同するであろうと思っていたのだ。
第一、 Lはおそよこれまで、女性に好かれた試しがない。小さな頃に学校に通っていた時もそうだし、エリスが「生理的嫌悪を覚える」と自分に言っていたとおり、その反応がほとんど一般の女性の自分に下す評価基準なのだとこれまで思っていた。それなのに意外にも、ラスやエヴァやルーが真っ先に協力を申しでてくれたのを見て――その背後にはやはり、かなりのところラケルの存在が大きいと彼は思わずにいられなかった。
「ところで、最後にひとつ聞くけど、ラファのことも連れていくつもりなのか?」
 セスは腕を組んだまま、アイソボットをリモコンなしに動かしている問題児を、溜息混じりに見つめている。電磁波を操れる彼にとっては、ロボットだけでなくラジコンを動かす時にも、リモコンなどは一切必要なかった。ただ<念じる>だけで、それはラファの思ったとおりの方向へ自在に動いてくれる。
「……それは、ラファ自身に決めてほしいことだとわたしは思っています」Lは自分の後ろのラグに座っている彼のことを振り返り、そう言った。性格や性別や年齢といったことを別にして、ただ純粋に<能力>という点だけをとってみたとすれば――一番行動をともにして欲しいのは、Lにとってはこのラファエル・ガーランドという十歳の少年だったのである。
「俺は、Lになら一緒についていってもいいな」
 ガーガーとおもちゃとは思えないほど、複雑な動きをしてみせるロボットを動かしながら、ラファは答える。
「誤解してもらっちゃ困るけど、べつに俺は新薬がどうとかそんなこと、どうだっていいんだ。カイが生きてたらLに協力するだろうとか、そんなふうにも全然考えないしね――ただ、セスはギルドの仕事については全然手伝わせてくれないからつまんないし、正直、長生きできようができなかろうが、俺はどうだっていいんだよ。ただ退屈でとても暇だからLについていってもいいかなって思うっていう、それだけだ。でもまあ、もし俺がそれなりの働きをしたように思われた場合には、Lにひとつやってほしいことがある」
「……それは、なんですか?」
 ずっと黙って話を聞く側にまわっていたニアが、そう聞いた。もし自分がラファの立場なら、とてもではないが<退屈だから>というような理由で、リヴァイアサンの本拠地へ乗りこみたいとは考えないだろうと思いながら。
「足にフォークを挟んでスパゲッティを食えるんなら、フォークを箸にかえて、ラーメンを食うこともできるだろ?無事に帰ってきたら、是非それをやってみせてくれ」
「……そんなこと程度でいいんですか?」と、Lは思わず真顔で答えてしまう。ほんの少し、呆れ気味に。
「ああ。言っておくが、たとえLでも箸を使うのは難しいぞ。俺なんか、今も日本料理店じゃうまく使えないくらいだからな……それを足でやれたとしたら、ギネスものだろ?」
 対するラファも至って真面目な顔つきだった。それで、他のみんなは思わず、彼らの話の内容に相応しくないその反応がおかしくてたまらなくなってしまう。特にラスとエヴァとルーは声を合わせるように笑っていたが、その陽気な雰囲気を打ち破るように、セスが最後にこう言った。
「悪いけど、僕の考えはみんなとは別のものだ。僕はLにはついていかないし、他のみんなも命の危険をおかしてまで、得体の知れないその組織に乗りこんでいく必要はないと思う……僕はあえて、カイが生きていたらみんなの益になるためにどう行動したかとは考えないよ。ただ、みんなが何をどう考えて行動するかはそれぞれの自由だ。だからその意志を尊重して、みんな好きなようにしたらいい……ただ、それと同じ権限において、僕はその件についてLには協力しない。僕個人の意見は以上だ」
 セスはいつも必要以上に冷静なのでわかりにくいが、ニアの部屋を出ていく彼の背中には怒りの感情があると、誰もが気づいていた。言ってみれば、この会議はセスの予想していたとおりには進まなかったということだ。自分でも言っていたとおりセスは、この場合においては<カイだったらどうしたか>とは考えなかった――というより、幼い頃に戦争というものを経験したことにより、大義のために命を投げだすという行為に彼個人は極めて強い嫌悪感を覚えてしまうのである。それが仮に正しいことであるにせよ、間違っていることにせよ、いずれにしても何かそうしたことのために人間が集団的に命を投げだそうとすることに、ほとんど反射的といっていい嫌悪の情を彼は覚えてしまうのだ。
「セスには、あとでわたしから話をしておくわ」
 ミルクティーを一口飲み、そしてカップをソーサーに戻しながらエヴァが言った。彼女には読心術と呼べるほどの能力はないにしても、それでもセスのオーラが珍しくいつもの黄色――<中立>から青と赤、それに緑に分裂しているのを感じとっていた。そこから読みとれるものは怒りと苛立ちと一種嫉妬にも似た複雑な感情だっただろうか。
「それより、ラケルとボーがいない時を見計らってこうして話しあいの場を持ったということは、彼女はLと結婚していながら、実際のところ本当にはまだ何も知らないということなのかしら?」
 エヴァがまた鋭くそう指摘するのを聞いて、Lは思わずぼりぼりと頭をかく。
「ええ……ラケルにはまだここまでのことは話していません。あなたたちも、長くこのことを隠しとおすのは難しいと思いますから、近いうちに必ずわたしの口から、彼女には本当のことをすべて話します。それまでは内密にしておいてほしいんですが……そういうことで、お願いできますか?」
「そうね。なんにしても、そろそろラケルとボーも帰ってくるでしょうし、今日の会議の続きはまた明日、ラケルたちが買い物へ出かけてからっていうことにしましょう。そのリヴァイアサンとかいう組織のことは、Lのほうで調べがついてるんでしょうし、あなたの頭の中には、わたしたちのうち何人が協力するか、誰が協力してくれるかで変わるプランがあるんでしょう?それなら、ここでもう話は決まったわけだから、明日はLの頭の中にあるその計画について、詳しく聞きたいわね。みんなもそれでいい?」
 ラスやルー、それにティグランが同時に頷くのを見て、Lはまた少し意外な感じがした。全員の意志をひとつにしてまとめる役割はこれまで、セスひとりが担っているものとばかり思っていたが――実際にはそうとばかりも言えないらしい。エヴァからは、大人しくて控え目な印象しかLはこれまで受けてこなかったが、もしかしたら彼女は自分が<女性>で<目が見えない>のを理由に、一歩引いたところにいたというだけで、もし大きな物事を任せたとしたら、リーダーシップをとってうまくやれるだけの才覚があるのかもしれない。何より、人の感情的なオーラが読めるというその能力は、全員をひとつにまとめる場合にも役立つだろう。
「みなさんのご協力、心より感謝します」
 まるで、街頭で募金を集める時のようなLの物言いに、ラスとルーがまたくすくすと笑いだす。Lの言葉にはいつも感情的な何かがこもっておらず、エネルギーを節約するようなその話し方に対して、彼女たちは笑いを禁じえないのだった。何故なら、彼がぼんやりのっそりした様子のまま、まるで食卓の砂糖をとってくださいとでも言うように――「あなたを愛しています」とラケルに告白したり、背中に花を隠し持って「結婚してください」などと言うさまを想像するのは、彼女たちにとっておかしくてたまらないことだったのだ。
 男尊女卑云々を論じるでもなく、ルーとラスとエヴァがワゴンにティーセットを乗せてニアの部屋を出ていくと、その後に続くように無言で、ティグランもまた黙ってそこを後にする。残ったLとメロとニアは互いに顔を見合わせ――それからアイソボットで遊ぶラファのことを一瞬振り返る。
「意外にも、簡単に話が進んで拍子抜けしたな」
「ええ……彼らはもともと知能も高いですし、超能力を持っているせいかどうか、勘も鋭い。ですから、いちいちどれほどの危険の伴う命懸けの任務になるかなどと、詳しく説明するほどのこともなかったんでしょうね。まあ、これからのことはLの計画をさらに詳しく聞いて、みんなで細かいところを詰めていく……そんなところになりますか?」
「もちろん、命の危険があることについては、何度も念を押す形で、彼らに言っておきたいと思っています。ですが、これでKに勝てる勝算が高くなったと同時に低くもなりました……いいところを言って五分と五分、あとは出たとこ勝負ということになると、そのへんについても、彼らには包み隠さず話さなければならないでしょうね」
「箸でラーメン、忘れるなよ!」
 アイソボットにバレリーナの踊りをさせたり、エアギターを弾かせたり、ニワトリの物真似をさせたり――さらに西部劇をやらせるのにも飽きると、ラファは最後に一言そういって、ニアの部屋から出ていった。
「ラファは、実は意外に将来大物になるかもしれませんね……」アイソボットをポイ、と手許に手渡され、ニアはそれをテーブルの上へ置く。そしてリモコンで操作しながら、色々と複雑な動きを彼にさせてみた。
「ああ。あの小憎らしいツラは、どっかの誰かさんにそっくりだからな」
 アチョー!と言ってアイソボットが蹴りの構えをメロにして見せるが、彼はくだらない物でも見るような目をして、チョコレートの最後のひとかけをポイと口の中へ放りこんでいる。
「さてと、そんじゃあまあ、後はL次第ってことだ。これから毎日ラケルとボーのいない間だけ作戦会議をするってのも、無理があるだろうからな……Lも早めにラケルには話したほうがいいんじゃないか?」
「ええ……」
 アップルパイの最後の一切れをもぐもぐ頬張りながら、Lもまた考える。まず最初にメロとニアに自分の出生について話し、今また同じ話を繰り返したことで――少し勇気がでたような気が、Lはしていた。そうでなければ、ラケルにはとても<真実>を話す勇気が持てないままだっただろう。あるいは「わたしは死ぬかもしれませんが、お元気で」といったような奇妙なことを口走ってしまいそうだった。彼女が自分を深く愛していることがわかっているだけに……実は愛人がいるというわけでもないのに、それ以上のひどい裏切りをこれから犯しそうな気のすることが、Lには不安だった。そう、小さな子供ように怯え、不安で心細いと感じる自分が心の奥底にいることを、Lは自分自身でよく自覚している。そしてその部分をラケルに隠しとおすことが出来るのかどうか――何よりもLは、そのことが一番怖かった。
(あなたの愛する者が、もっともあなたを脅かす……)
 Lは昔、小説か何かでそういった一説を読んだ覚えがあるが、その一説がどの書物からのものであったかが、何故か思いだせない。彼の頭の中には、ニアと同じく、後ろの本棚の内容がすべて収められていたにも関わらず。
 ただ、Lにわかっているのは次のようなことだった。<K>はLにとっては不倶戴天の敵であり、ラケルは何があっても彼を裏切ることのない味方であるにも関わらず……Kにひどいやり方で殺されることよりも、ある意味ラケルの心が自分から離れていくことのほうが、Lにとってはより脅威なのだ。
(愛しているからこそ失うのが怖い……いや、愛しているからこそ死ぬのが怖い。もしあなたのことを知らなければ、わたしはこんな感情を覚えることもなかったのかもしれませんが……)
 もちろん、Lにはわかっている。すべてを打ち明けたら、彼女はこれまで以上に溢れるほどの愛情を示し、また自分に同情してあたたかい涙を頬に流すだろうことが。それは彼にとっても99.9%疑いようのない反応だった。それでももし――そうした反応の後に、拒絶されたとしたら?0.1%あるその僅かな可能性が、Lの心に酸のような染みを残す。今度こそ、あなたにはついていけないと言われたとしたら……。
「……L?」
 膝を抱えている彼の手が微かに震えていることに気づいて、ニアはリモコンの操作を止めた。アイソボットは「シャキーン!」というポーズを決めたまま、止まっている。
「いえ、なんでもありません。ラケルには近いうちに必ず話しますから、また明日、同じ時間にここで話しあいましょう」
「?」
 メロとニアには、ラケルが本当のことを知ろうが知るまいが、彼女のLに対する態度は変わらないだろうことが、わかりきっている。にも関わらず当のL本人が本当は怯えているということを知ったとしたら――彼らも「愛する人間のいることが不幸の種であり、不安の源である」というふうに思っただろうか?愛しているからこそおそろしい、愛する者こそが実はもっとも怖い存在なのだと知ることが、幸せなのか不幸なのか……Lはわからないと思った。そしてラケルが彼という存在のすべてをわかった上で再び受け容れてくれたにしても――まるで戦役のために妻を故郷へ残す夫のように、自分は死を覚悟してエデンへ乗りこまなければならないと思うと……Lはいっそのことラケルが自分のことを突き放して、荒野のようなひどい場所に置き去りにしてくれたらとさえ、時に願う瞬間があるのだった。



【2008/09/25 06:50 】
探偵L・アイスランド編 | コメント(0) | トラックバック(0)
探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(14)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(14)

「L、どうやらラケルとボーの奴が買い物へ出たらしいから、みんなを一度ニアの部屋へ集めるが……それでいいか?」
「ええ。よろしくお願いします」
 メロからの携帯電話の連絡に応え、Lは壁と床が自然発光している、窓のない白い部屋から出た。一見してみてここは、どこまでも奥行きのある広い部屋のように見えるが、それはただの視覚トリックで、実際には十畳ほどの室内にパソコンが一台とあとは目に見えない形で壁にモニターがいくつも内蔵されているだけだった。
<エデン>で建築家としてもっとも先端をいっていたヘルベルト・シュトラッセは、ホログラムを用いて狭い室内を広く見せたり、あるいは壁一面に世界の有名な建築物の内部を映しだすことで――まるでリアルにその場所(たとえば、スペインのアルハンブラ宮殿やフランスのヴェルサイユ宮殿、ローマのシスティーナ礼拝堂などなど)にいるかのように見せることに成功していた。Lが秘密基地のようにしているこの場所も、そのように見せかけることは可能な装置が内蔵されてはいるのだが、Lは世界のうちのどんな名所も映しだそうという気にはなれなかった。
(まあ、もしラケルがいたとすれば……彼女が「わあ、すごーい!」だのという反応を見るのは楽しいんですけどね。仕事をしている分には、他に何もない空間のほうがわたしは落ち着きます)
 そしてこの場所を、一面星の輝くプラネタリウムのように変えることも出来るのだが、前に一度、奈落の底に落ちていくような闇一色の世界をLは経験したことがある。それは単に、星が瞬きはじめるまで数秒の時間を要したという程度のことではあったのだが、その数秒がまるで永遠のようにも長く感じられ、珍しくもLはあやうくパニックに陥るところだった。
(あの時にわたしが経験した、まるで永遠にも感じられるような闇……それがもしかしたら<死ぬ>ということなのかもしれません。そしてその後に眩く星が輝きはじめる……それがもし本当に死ぬということなら、もしかしたらそれほど怖れることでもないのかもしれませんが……)
 Lがふとそんなことを思いながら、隠し扉を開いて外へ出ると、そこには何故かラファエルがいた。
(いつの間に……)
 モニターのセンサーの故障だろうかとLは一瞬訝しく思うが、ラファエルが手にゲーテの『ファウスト』を持って、何かを点検するようにバラバラとページを捲っている。
「この本を引いたら、そっちの隠し部屋に通じるようになってるんだろ?なのに、なんで俺が同じことしても、ドアが開かないんだ?」
「ああ、それはわたしの指紋にのみしか反応しないようになってるからですよ。所定の場所にその本を収めることとわたしの指紋、その両方が必要なんです……それより、どうやってこの部屋に入ってきました?」
「べつに。いつもどおりドアを開けて入ったってだけだ」
「……………」
 侵入者がいれば、それが誰であれ、センサーが感知して隠し部屋のモニターに映しだされるシステムになっている。コンピューターの誤作動ということも可能性としてゼロではないにしても……何かがおかしいと、Lはそう感じた。
「あなたの超能力は確か……電磁波を操ることでしたよね?」
「ああ。だからメロにもニアにもセスにも、毛嫌いされてんだ。俺がそばにいくと、機械の調子がおかしくなるって言われてさ。そんなの、べつに俺が意識してやってるってわけでもないのに、人のせいにされたって困るよ」
「ちなみに、あなたがこれまでにこの部屋に入ったことは何回くらいありますか?」
「そうだな。気が向いた時に時々、かな。ボーやラケルがこの部屋にスイーツを運んでくるだろ?だからそういう時にお菓子をちょっとくすねたり……なんだ、もしかしてビスケットが減ってるとか、マドレーヌが少ないとか、全然気づいてなかったのか?」
「……………!!」
 これは、Lにとってかなりショックなことだといえた。ボーやラケルが入室した時には、壁に埋めこまれたセンサーが反応して、必ずモニターにその姿が映しだされることになっている。だが、もしラファの姿のみコンピューターに感知されていなかったとすれば……。
「あなたは、鳥寄せも得意でしたよね?」
「ああ。なんか知らないけど、向こうが勝手に寄ってくるんだ。なんだっけ?渡り鳥は地球の磁場を感知して、渡りの方位とか位置を把握してるんだろ?渡り鳥じゃなくても、鳩とか雀とかさ、公園でもやたらくっついてくるよ。今度、庭で鳥がいっぱいやってくるとこ、見せてやろうか?」
「……ええ、是非」
 そうなのだ。確かにラファエルの超能力のことを聞いて以来、もしかしたら使えるかもしれないとは、L自身思ってはいた。だが、相手がまたほんの十歳の子供であることを思うと――エデンに連れていくのは忍びないと感じていたのも本当のことだ。
(だがもし、勝機があるとすれば……)
「なんだ、どーかしたのか、L?」
 自分のことを信頼しきっているように見上げる、性格はともかくとしても、容姿のほうは天使のように可愛い少年のことを見て――Lは(やはり出来ない)と首を振った。それは<K>のやり方であって、自分のやり方ではない……そうも思う。
「いえ、なんでもありません。とりあえずはまあ、あなたも大切なこの城の一員ですから、一緒に会議に参加しませんか?」
「……会議?一体なんだそりゃ?」
 おそらく、メロとニアは城のどこをほっつき歩いているかわからないラファのことは、会議のメンバーから外してもまったく支障なしと判断していたのだろう。自分にしても、ニアの部屋に彼の姿がなかったとしても、大して気に留めなかったに違いない。だが、彼が一緒にエデンへ来てくれるかどうかで、計画のすべてが変わってしまうという可能性があるのも事実だった。
「なあ、俺あれから足の指でスパゲッティ食べる練習してるんだけど、なかなかうまくいかないんだ。Lみたいにうまくなるには、あと何年くらい修行を積めばいいと思う?」
「そうですね……まあ、サッカー選手が試合中に手を使わないように、なるべくなんでも足でやるようにしたらいいですよ。こんなことを言ったら、またラケルに「子供に変なこと教えないで!」とか言われて、叱られそうですが」
「ふーん。なんでも足でか。なるほどな」
 ――以前、セスがみんなの前で手品の腕前を披露した時に、たまたまその場に居合わせてしまい、「Lも何かできるか?」と聞かれたことがある。それで「足の指でフォークを使い、スパゲッティを食べることくらいなら」と半分冗談で答えると、早速その日の夜にスパゲッティが茹でられ、余興としてそれをやらされたというわけだ。
「でも、イチゴクリームスパゲッティより、やっぱりショートケーキのほうがいいですよ、わたしは……」
「なんか言ったか、L?」
 廊下を先に歩いているラファが、くりっと振り返る。彼はこの時もLの物真似をして、ポケットに手を突っこみ、さらには極度の猫背だったが――Lはそのことを特に注意しようとは思わなかった。こうしたことは子供の成長における一過性の出来事であり、そのうち飽きてしなくなると思っていたし、足の指にフォークを挟み、スパゲッティを食べるなどという馬鹿な真似も……おそらくはそのうち興味がなくなるだろうと思っていた。
 だが、天才というのは、凡人の子供とは違うということを、彼らしくもなくLはこの時失念していたらしい。ラファはその後、猫背では歩かなくなったものの、やはり歩く時はずっとポケットに手を入れていたし、甘いものを好み、足に挟んだフォークでスパゲッティを食べるという技もマスターするようになるのである。



【2008/09/25 06:44 】
探偵L・アイスランド編 | コメント(0) | トラックバック(0)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。