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探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(1)
 探偵L・アイスランド編~秘密結社リヴァイアサン~(1)

          序章

 今から約四年前――チャールズ・ディキンスン少将(当時准将)は、JSOTF(統合特殊作戦タスク・フォース)の司令官だった。彼はアキレ・ラウロ号の人質救出、パナマ進攻、湾岸戦争などで特殊部隊の指揮をしたことのある、経験豊かな司令官で、当然国防省の制服組にも親しい人間がたくさんいた。たとえば、海軍の変革を成し遂げ、のちに四軍(陸・海・空軍・海兵隊)のトップである統合参謀本部議長となったジョージ・マクスウェルなどは彼の親友であったし、他にも軍内部にはディキンスンと極秘の情報――いわゆる政府内の「ここだけの話」――をやりとりする幕僚は多数いたといってよい。
 そんな中で、その年、ディキンスンが軍人生活の中でもっとも世話になったといえる元国防長官のサミュエル・J・スコットが、彼に対してこんな打ち明け話をした……いや、政府内と軍内部の制服組の足並みが揃わぬことへの愚痴であるとか、そうしたことではない。スコットは国防長官を辞任してからは、残りの人生を悠々自適に過ごすつもりであったのだが、米政府機関内でも秘中の秘とされる、ある極秘機関から命を狙われているというのだ。
「わたしがこれから話すことは、老いぼれの戯言と思って聞いてくれたまえ……だが、もしわたしが近いうちに死んだとしたら、わたしの言った言葉を君に忘れず覚えていてほしいのだ」
 ロードアイランドにある彼のペントハウスに招かれ、ふたりきりになった時にスコットはディキンスンにそう言った。そのあとスコットが打ち明けたことは、正直他の人間がもし彼に同じことを言ったとしたら、「職を辞して気が緩み、頭が呆けてしまったのではないか?」と疑いたくなるような事柄であった。
「1947年にあったロズウェル事件……わたしはその揉み消しに関与した人間のひとりなんだが、最近、その事件に関与した者が次々と不審な死を遂げている。まず、1994~5年にかけて調査した報告書――いわゆる『ロズウェル・リポート』だが、これは空軍にGAOから要請があって作成されたものだ。そしてそのリポートを作成するよう、GAOに働きかけたのが……」
「当時、下院議員だったあなただということですね?」
「そうだ」と、スコットは神妙に頷き、エアコンのよく効いた部屋であるにも関わらず、額の汗を拭っている。そして、まるで盗聴器がそこにあることを怖れてでもいるように、暖炉の上――マントルピースのあたりを爪先立って覗きこむ仕種をしたり、そこに置かれた家族写真の場所を若干移動させたりしている。
「将軍、一体何を怖れておいでなのですか?」
 チンツ張りのソファに深々と腰掛けたまま、ディキンスンはいつものとおり、冷静そのものの顔でスコットにそう問いかけた。ディキンスンが特殊部隊の大佐だった時、彼の位は将軍であった。ベトナム戦争で数々の勲功を立てたことで有名なスコットは、共和党陣営から次の大統領候補にと推されていたほどの男だというのに――今の彼の狼狽ぶりときたら、まったくいつもの勇壮活発な彼に似つかわしくない態度だったといえる。
 サミュエル・J・スコットは、陸軍大将退役後は、下院議員、そしてのちに上院議員となり、今では次の大統領候補として名前が挙がっているほどの人物だったが、先日、彼は選挙に出馬しない意向を正式に表明していた。理由は、家族との暖かで慎ましい関係をこれからも平穏に維持したいというものだったが――もしや、他に何か隠された動機があったのだろうか?
 スコットは、現在73歳だったが、見た目はとても若く見えるし(お世辞でもなんでもなく、彼の肉体・精神年齢ともに五十代後半といったようにディキンスンの目には映っていた)、今も最低週に二回はジムに通って鍛えているという彼は、老いてますます意気軒昂という以上の若さで満ち溢れているように感じられた。ただし、髪の毛のほうはすでに白く、その後退が露わなことだけが、彼も年相応に老いているらしいと伝えるのみであった。
「ディキンスン君、葉巻なんてどうかね?」
 スコットは、マントルピースの上からシガーケースを取りだすと、それをディキンスンに勧めた。ディキンスンもスコットも大の葉巻愛好家だったが、ディキンスンはハバナ産のプレミアムシガーを一本取りかけて、やめた――そして、ヒュミドールと呼ばれる木製の箱をゆっくりと閉める。
「将軍、わたしをここへ呼んだのは、何か理由があってのことなんでしょう?それとも、ただのゴルフのお誘いなのですか?」
 スコットが今度は、部屋の隅に置いてあるゴルフバックからクラブを取りだしてやにわに磨きはじめたのを見て、ディキンスンは溜息を着く。これが本当にベトナム戦争中、二年に渡って捕虜となり、厳しい拷問に耐えぬいた、ランボーさながらの英雄の姿なのだとは、ディキンスンには信じがたくなるほどだ。
「わたしは英雄なんかじゃない……英雄などではないのだよ、ディキンスン君」ドライバーのヘッドをしきりと磨きながら、スコットは言った。「ベトナム戦争で捕虜となった時、わたしは自分の力だけで脱出したわけじゃないんだ。いや、むしろ殺されると思って無我夢中だったといったほうが正しいだろう。誰に殺されるかって?ベトコンの連中にか?いいや、違う。気の狂ったような殺戮マシンにだよ。人間によく似た、美しくもおそろしい殺戮ロボットに、わたしは危うく殺されかけるところだったのだ」
「なんですって?」あまりの話の飛躍に、ディキンスンはついていけなくなり、思わず眉をひそめた。反射的にソファの後ろを振り返り、スコット夫人の姿を探してしまったほどだ――最近、夫君の健康状態におかしいところはないかと、そう聞きたくなったのである。
だが夫人は今、娘と一緒にプールサイドにいるということをディキンスンは思い出して、視線をゴルフ狂として知られるスコット議員に戻した。
「ははは。君はてっきり、わたしの頭がおかしくなったのだろうと思っていることだろうね。だが、これは真実だ――紛れもない真実なのだよ。いいかね?よく考えてもみたまえ。わたしは実際には陸軍でも落ちこぼれのみそっかすだったのだよ。その上出身も貧しくて、どう見たって軍で出世など望めない立場にいたにも関わらず……ベトナム戦争終結後はトントン拍子でどんどん出世していった。そして実際とは違う逸話によってその後英雄扱いされたというわけなのさ」
「どういうことです?」
 特殊部隊の司令官であると同時に、CIAとも太いパイプで繋がっているディキンスンにとっては、その手の経歴の粉飾といったことは数えきれないほど見てきたといっていいが――スコットの話は流石に、彼にとっても衝撃であった。
「つまり、わたしが殺戮マシンを見た数少ない目撃者であったために、アメリカ社会を影で動かす権力者たちは、わたしを出世させざるをえなかったというわけだ。もちろん、わたしを暗殺して口封じをするということも出来たに違いないが、どちらかと言えば生かしておいたほうが利用価値があると<上>は判断したんだな。実際、わたしも彼らの仲間入りを果たせて、富や権力といった、それまで考えてもみなかった地位を手に入れることが出来たのは確かだ……だが、不正というものはやはりいつかは正されるものらしい。わたしにもそのツケを支払わねばならぬ順番がまわってきたようだ」
「……何故、そんな話をわたしに?」
 スコットは、芝を模したマットを広げると、パットの練習をはじめている。確かに彼が下町の出身者で、叩き上げの軍人であることは、誰もが知っていることではある。だが、そんなスコットのことをアメリカン・ドリームの体現者として見、自分の夢を託す若者が多いのも事実なのだ。彼の経歴に多少不正なところがあったとて、その後軍人として、また政治家としてスコットが善人たろうと努力したことを思えば――誰にも彼を裁く権利などないのではないかと、ディキンスンにはそう思えてならない。
「いいかね、ディキンスン君。年寄りの戯言と思ってここからの話は聞いてほしいのだが……わたしはある時、本当にUFOにさらわれたことがあるのだよ。まわりをこう、パアッと蒼白い不思議な光に包まれて、その時はえもいわれぬ心地だった。そして美しい天使が――羽は生えてなかったが、彼女は天使としか呼びようがないほど美しかった――わたしに向かってこう言ったのだ。『汝は選ばれし者である』とね。以来、わたしは彼女に言われるがままの行動をとった……国防長官という立場を利用して、あれをせよと言われればあれをし、これをせよと言われれば、神の仰せのままにとばかりに、なんでも言うなりになった。だが、その結果として最後に大きな代償を支払わねばならんとは……いや、結局そうしなければ自分の命がなかったことを思えば、これまで順風満帆な人生を送れたことを、それこそ<神>に感謝せねばならんのかもしれないが」
 緑色のマットの上をゴルフボールが転がり、スコットのパッティングが決まる。カラン、とどこか乾いた音をさせてホールカップにボールが落ちる音が響いた。
「将軍、要点をまとめましょう」と、ディキンスンは仕事をしている時と同じく、きびきびとした口調で言った。「ようするにあなたは、こう言いたいのですね?その昔、あなたはベトナム戦争でおそろしい殺戮マシンを見た……そしてそれが国家の秘密事業で、その目撃者だったあなたは、戦争後、順調なステップを踏んで最後には国防長官にまでなることが出来た。しかしながら、その秘密事業とも繋がる極秘の組織に今は命を狙われている……そういうことで、よろしいですか?」
「そのとおりだよ、ディキンスン君」UFOだの天使だのという話を、鼻で馬鹿にすることもなく、あくまでも軍人としての真面目な顔つきで聞くディキンスンに、スコットはますます信頼の情がわいてきた。「わたしは天使に命じられたとおりに、『ロズウェル・リポート』を作成するようGAOに働きかけた。そしてGAOからの要請を受けた空軍は、それが<モーグル計画>の気球やその残骸を見誤ったものだろうと結論づけたのだ。君も、モーグル計画が何かということは知っているね」
 知っている、とディキンスンは首肯した。<モーグル計画>とは――アメリカ陸軍飛行隊による、高高度気球を使った極秘計画であり、その第一の目的はソビエトの核爆弾実験と弾道ミサイルからの上昇する熱い空気の乱気流によって生成される音波の長距離探知だった(ちなみに、この計画は1947年から1948年後期まで行われている)。つまり、空軍は1947年6月4日にニューメキシコ州アラモゴードから放球された、モーグルフライト♯4が、ニューメキシコ州ロズウェルの近くに墜落したものだったと『ロズウェル・リポート』で主張したのだ。何故1947年のこの事件について、四十七年も経過して初めて、千ページ近くもの公式の調査書が発表されることになったのかはいかにも謎であるが、このことについて空軍は、政府は当時モーグルについての情報を機密扱いのままにするよう望んでいたのだと言っている。
「ですが、今のわたしに一番わからないのは、UFOが実在するか否かといったようなことではなく――次のようなことです。あなたはその<極秘機関>のためにこれまで『ロズウェル・リポート』をはじめ、様々な協力を惜しまれなかったのでしょう?そしてアメリカ政府の影にいる権力者たちもそのことを知っている……それなのに何故今になってあなたの命を狙おうなどとするのですか?」
「万が一の保険のため、じゃないかね」スコットはディキンスンの斜め向かいの肘掛に腰掛けると、葉巻をケースから一本取りだし、端のキャップをカッターで切り落とした。「何しろ、ロズウェルの真実を知る人間が、今この時になって次々と不審な死を遂げているのだ……もちろん、中には病死など、少しもその死に疑わしいところのない人間もいるがね。だが、君も知っているだろう?我々には病死に見せかけてある特定の者をこの世から抹殺するなど、その気になればまったく造作もないことだということを。わたしもこれまで、そうした裏の世界の汚い側面を何度も見てきた……だからこそ、わかるのだよ。今度は自分にその番が回ってきたのだとね」
「して、将軍」と、ディキンスンもまた上物の葉巻を一本手にとり、専用のマッチで火を点けながら言った。スコットは、ディキンスンが特殊部隊の司令官であると同時にCIAのエージェントでもあることを知る、数少ない人間のうちのひとりだった。「そこまでわたしに話をされたからには、何かわたしにして欲しいことがあるのでしょう?もし、身辺の警護であるとか、そうしたことならわたしもいささかながら協力できるかと思いますが……」
「ありがとう、ディキンスン君」と、生涯の友でも見るような目で、スコットはディキンスンのことを見つめている。そして葉巻を一服したあと、それをクリスタルの灰皿の上に置きながら言った。「実は、わたしが今話したようなことは――誰にも何も語ることなく、墓場まで持っていこうと心に決めていたことなんだ。だが先日、ある人物から突然<リヴァイアサン>のことについて、話がしたいと連絡が入ってね」
「<リヴァイアサン>というのが、将軍の命を狙っている組織の名前なのですか?」一応はCIAの人間として、ディキンスンは軍内部のことについてだけでなく、政府の裏情報についても立場上様々なことを知っていたのだが――リヴァイアサンなどという組織の名前を耳にするのは、これが初めてだった。それだけ機密レベルの高い情報ということなのだろう。
「そうだ。申し訳ないが、この名前については、もう二度と口に出さないでくれ……」そう言ってスコットはまた、盗聴器の存在を気にするような、落ち着かなげな仕種をしたあとで、続けた。「その極秘機関の名前を知る者は、アメリカ政府の中でもほんの一握りだ。これまでの歴代アメリカ大統領や副大統領の中にも、実際にはその名前を知らない人間のほうが多いくらいだから、無理もないが……しかしながら、その超トップレベルの機密情報を、ある探偵が嗅ぎつけて、わたしにこう言ってきたのだよ。『近頃、<ロズウェル・リポート>に関わった人間が次々と殺されているようだが、次はあなたの番なのではありませんか?』とね」
「探偵ですって?」と、葉巻の紫煙をくゆらせながら、ディキンスンは笑いそうになった。「それは、一体どこのなんていう名前の蝿なんですか?」
「<L>だよ、ディキンスン君」スコットは、あくまで神妙な顔つきのままで言った。「彼が実質的に、ICPOの影のトップあるということは、当然君も知っているね?これまで世界中で三千件以上もの事件を解決に導き、アメリカのCIAもFBIも<L>には頭が上がらないと言われているその彼が――例の極秘機関についての情報まで、すでに入手していたというわけだ」
「なるほど……世界一の探偵と言われる<L>ですか」
 リヴァイアサンという組織については、ディキンスンも初耳だったが、<L>については知っていた。CIAの長官からも、彼についての愚痴をいくつか聞かされた覚えがある。
「そして、<L>が言うにはだ……ディキンスン君、君がもしUFOだの天使だのという馬鹿げた話を聞いても、思慮分別を保っていたとしたら、わたしの身辺警護を君に頼むべきだとLは言ったんだ。Lの話によれば、ディキンスン准将、君がこの話を引き受ける確率は90%とのことだったが……どう思うかね?」
「……………」
 再び葉巻を手にとり、マッチで再着火させているスコットのことを、ディキンスンは複雑な眼差しで眺めた。おそらくLは、自分の経歴のことも、CIAとの繋がりのことも、何もかも調べ尽くした上で――彼が90%の確率で今回のスコットの依頼を引き受けるものと計算したのだ。
(すべて、お見通しの上ということか……)
 先代のCIAの長官が、何故煮え湯を飲まされたような形相で<L>のことを語るのかを、ディキンスンはこの時になって初めて理解した。何しろ、CIAと言えばアメリカ一――いや、世界随一の情報機関である。その組織が『探偵』などという一個人に弱味を握られた上、相手の正体がいまもって皆目わからないとは……とんでもない失態であるとしか言いようがない。いや、<L>というのは数人、あるいは数十人規模の捜査集団との見方が一般的であるとはいえ、いつもは相手の情報を握って追い詰める側の人間がその逆の立場に立たされなければならないというのは――まったくもって面白くない話だとディキンスンは思った。
「では、作戦の指揮等について、わたしも噂の<L>と連絡を取り合わなければならないと思いますが……具体的に、どうすればいいんでしょうな?」
 ディキンスンが高級葉巻を灰皿の上に置くと、スコットは部屋の中央にあるカウンターの下から、一台のノートパソコンを取りだしてきた。モニターには、中央に<L>とイタリックの装飾文字が浮かんでいる。
「将軍も随分人が悪いですね。もしかして、今までの会話はすべて、最初からLに筒抜けだったということですか?」
「すまない。だが、これもわたし自身の命が懸かっていることなんだ……そう思ってどうか、許してくれたまえ」
 ――その後、ディキンスンは<L>とスコットの身辺警護をするにあたって、色々なことを話し合った。まず、ベトナム戦争でスコット自身が見たという、殺戮マシンがスコットを殺しにくる可能性を考慮した場合、最低でも五百人以上の特殊部隊の隊員が欲しいと、Lは無茶なことを言った。
「いくらわたしでも、その数の特殊部隊の人間を動かすのはまず無理だ」と、ディキンスンは呆れ返った。「スコット議員ひとりを守るために、わたしに動かせる手勢はせいぜい百名といったところだ。こう言ってはなんだが、<L>。あなたは軍のやり方を何もご存じないのではありませんか?」
『……わかりました』なんら人間味の感じられないコンピューターボイスであるにも関わらず、彼がやや不機嫌になったようにディキンスンは感じていた。
『それでは仕方がありません。ですが、出来得る限り優秀な人材を、ひとりでも多く集めてください。そして隊員のひとりひとりに相手が美しい女のような姿をしていても、人間ではないということをよくよく言い聞かせて欲しいんです。でなければ、即座に命を落とすということになると……』
「わかった」と、ディキンスンは請けあった。そして同時に、特殊部隊というものがどんなものか、<L>はまったくわかっていないのだと、彼は内心でせせら笑った。だが――その後、実際にスコットがベトナム戦争で見たという例の『殺戮マシン』がロードアイランドのペントハウスに姿を見せるなり、百戦錬磨の精鋭たちは実際、<彼女>――いや、<彼>と言うべきか――を前にしてたじろいだのだ。
 言うまでもなく、アメリカの特殊部隊といえば、軍部の精鋭中の精鋭である。「招ばれる者は少なく、選ばれる者はさらに少ない」と言われる特殊部隊には、厳しい資格過程があり、それに合格した本物のエリート中のエリートだけが、特殊部隊の栄誉ある徽章を身に着けることが許されるのだ。
 だが、その彼らをしても、殺戮マシンを止めることができなかった……結局、124名もの犠牲者を出した揚げ句、ディキンスンの隊は彼ひとりを残して全滅した。
「おまえのことは生かしておくよ」と、えも言われぬ美声で、そのアンドロイドは言った。銃撃を受けて片腕が取れた<彼>は、そこから特殊な金属で出来た体をのぞかせていたのである。そうでなければ、ディキンスンは<彼>が人造人間だなどとは到底信じられなかっただろう。「そして、<L>にこう伝えるがいい。我々のマスターである『K』が、いつか会えることを楽しみにしていると言っていた、とね」
「くそっ!この化け物め!!」
 ディキンスンは、最後に残った武器――9ミリの拳銃を数発<彼>に向けて撃ちこんだが、相手はただ哄笑するのみだった。
「馬鹿だねえ、本当に人間って奴は……今回は、あんたらがスコットの護衛についてるんで、わたしのこのボディはいつも以上の特殊装備が施されてるのさ。最悪の場合、わたしのこの体は超小型の核爆弾にもなるんだ……そうと知ってもまだ撃つつもりなのかい?」
 カチ、カチッ、と拳銃が虚しい音をさせても、ディキンスンは引き金を引き続けた。そして死んだ部下たちの装備から、なおも銃弾を取ろうとする彼を、<L>がルシフェルと呼んだアンドロイドが、蹴り飛ばしてくる。壁に叩きつけられ、気を失った彼が、目を覚まして最初に網膜に焼きつけたもの――それは、首をもぎとられたサミュエル・J・スコットの、変わり果てた亡骸だった。

 ディキンスンはその時のことを思い出すと、今も現在のCIA長官であるスタンスフィールドと同じく――<L>に対して殺意に近い憎しみを覚える。いや、スタンスフィールドは<L>のことを殺してやりたいとまではおそらく本気では思っていないだろう……彼の言う「もし目の前にいたらこの手で殺してやるところだ」というのは、半分は冗談のようなものだ。いくら腹の煮えくり返るような思いを<L>に何度もさせられていたにしても……。
 そして<L>から自分の部下の面倒を見てほしいと頼まれた時、ディキンスンはこの四年前の事件のことが忘れられず、その部下――名前をミハエル・ケールという――を、クウェートからイラク国境に続く砂漠でミサイル攻撃した。正確には威嚇射撃といったところではあったが、その後<L>本人からそのことについて厳しい追及がなかったところを見ると、そのことの真意を彼が汲みとったものとディキンスンは思っていた。
 正直いって今も、ディキンスンは<L>とは二度と一緒に仕事なぞしたくないと思っているし、アブグレイブの一件で彼が頼みごとをしてきた時にも、内心では(よくもいまさらしゃあしゃあとそんなことが言えたものだ)と感じていた。だが、己の信じる正義のためには手段を選ばないと評判の探偵<L>は――その後またもディキンスンに『実はあなたに頼みたいことがあるんです』などと、例のコンピューターボイスで連絡してきたというわけだ。



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【2008/09/19 07:14 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(22)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(22)

 ルシフェル♯3021は、♯5017よりも、もっと手際がよかった。ミドルトンもまたシュナイダーと同じく、暗い部屋でパソコンに向かい、自身の研究に没頭していたのだが――彼は自分が何故殺されなければならないのか、そう訊ねる時間さえ与えられずに死んだ。
ルシフェルは、足音ひとつさせない暗殺者の足どりでミドルトンに近づくと――部屋に入室するためのパスコードは、<彼>は当然事前に知っていたし、もし知らなくても警報システムを切った今、どうにでも出来たことだろう――オスカー・ミドルトンのことを三十秒とかからず扼殺した。いや、彼の首がどうにか皮一枚で繋がっていることを考えると、それは扼殺というよりも虐殺と呼んだほうが近かったかもしれないが。
 さらにルシフェルは足の踵に自分の全体重をかけてミドルトンの頭を踏み潰すと、脳の内容物の付着した足を、彼の白衣で拭った。そしてフロリアン・シュナイダーを殺した仲間の♯5017とまったく同じ行動をとる――すなわち、オスカー・ミドルトンの所有する超能力者の資料すべてをスキャンし、タイタロンにいるガブリエル♯2026にそのデータをすべて送信したのだ。
「さてと、これでいっちょあがり!」
 ルシフェルは高性能爆弾をセットすると、ミドルトンの死体のある部屋を出た。とりあえず、これでマスターから命じられた<彼>の任務は終了だった。その時、ある不測の事態さえ起こらなければ……。
 ルシフェルが廊下へ出ると、そこにはパジャマ姿の、手にうさぎのぬいぐるみを持った少女の姿があった。彼女はすぐにパッと身を翻し、ルシフェルから逃げるように走り去っていく。
(――マズい!)
 ルシフェルは今見た少女の顔をタイタロンにいるガブリエル♯2026にデータとして送信し、さらにスコープから小型のマイクを伸ばすと、<彼女>と連絡を取りあった。
「こちら、ルシフェル♯3021。ガブリエル♯2026、応答せよ」
『こちら、ガブリエル♯2026。ルシフェル♯3021、どうかしましたか?』
「今送信したデータ……一番新しい01:13のものだけど、その少女に顔を見られた。対処法は?」
 パジャマ姿の少女の後ろ姿を追いかけながら、ルシフェルは早口にそう聞く。
『直接殺害するのは、オスカー・ミドルトンとフロリアン・シュナイダーの2名のみ……他の人間は全員、建物全体に仕掛けた爆薬が元で爆死する予定でした。しかしながら、顔を見られるか何かした場合には――その者を殺してもいい許可がすでに出ています。記憶処理班をわざわざ向かわせるまでもないでしょう』
「オッケー、その言葉を聞きたかった!」
 ルシフェル♯3021は、廊下の窓から差しこむ月光を浴びながら、ブロンドの長い髪の少女――カミーユ・ヴェルディーユの後を追った。<彼>の頭の中にはすでに、建物の全見取り図がデータとしてインプットされている……そこで<彼>はにやりとほくそ笑んだ。
「そっちは行き止まりよ、可愛い子ウサギちゃん!」
 実際、<彼>の言ったとおりだった。カミーユは時々夜中に目が覚めては、研究所の建物の中を歩きまわるのが好きで、今夜も美しい月のシルエットを見るために、散歩しているところだったのだが――ルシフェルとは違い、彼女は広いセンター内のどの廊下がどこの棟に通じているかなど、さっぱりわかっていなかった。ただいつもふらふらとさまよい歩き、なんとなく漠然と方角を見て、元の自分の部屋まで戻ってきていたに過ぎない。
「あなた、一体誰なの?」
 カミーユは綺麗な声でそう言った。普段彼女は言葉数が少なかったが、それでもカミーユが時々話すその声には、透きとおったクリスタルを思わせる響きがある。
「お嬢ちゃん、わたしはね、ルシフェルっていうの」
 スコープに一瞬、01:17と時刻が浮きでるのを見て、爆薬が爆発するまで時間があまりないと<彼>は思う。早くこの娘も始末して、屋上に待機しているタイタロンまで戻らなくては。
「ルシフェルって知ってるわ。堕天使の名前でしょ?神さまに成りかわろうとして罰を受けて、今は地獄の底にいるんだって、ママが言ってたわ」
「物知りな賢いお嬢さんだこと。だけど、神が人間を創造して被造物のすべてを支配させたのは失敗だったと思わない?」
「そんなことないわ。人間は善い生き物だもの」
 そう言いながら、カミーユはいつもとは違い、焦る心を隠しきれなかった。先ほどから彼女は、ルシフェルと名のる人間にいつもの超能力で<死>を暗示させていた。いつもなら、相手はすでに死の行動を取るはずなのに……。
(――何かがおかしい)、カミーユはそう思った。時々何か青いデジタル記号の浮きでている、透明なスコープのせいだろうか?もしかして、それが暗示の邪魔を……?
「あら、サーモグラフィの温度がすごく高いみたいね、お嬢さん?えーと、名前をカミーユちゃんって言うのね。フランス人形みたいに可愛らしい子だこと。ああ、あなたさっき資料をスキャンした時にデータで見たわ……なんでも、人の目を見ただけで相手を殺せるんですって?」
 ルシフェルはまるで狩りを楽しむように、一歩一歩カミーユに近づいていった。そして<彼>の顔は人殺しをする興奮で歪み、少女のほっそりとした喉元へと伸びていく……。
「ママーっ!!お願いママっ!!わたしを助けてっ!!これからはきっといい子になるから……っ!!ママーーッ!!」
 カミーユの体が、一メートルほども宙に上がった時、ルシフェルのスコープはまた人体の温度を感知した。それで<彼>は一旦少女のことを物でも放りだすように壁に叩きつける。
「うちの子に何するのっ!!あなた、一体何者!?」
 もう一体獲物がノコノコ現れたことに、ルシフェルは興奮を隠しきれない。<彼>はぺろりと上唇をなめると、しきりに咳きこんでいる娘のことは放っておいて、先に彼女――ソ二ア・ヴェルディーユを始末することに決める。
「おい、♯3021、何をグズグズしてる!もう時間があまりないんだぞ!」
 T字路になっている廊下の向こう側から、また新しく別の人間が現れたのを見て、ソ二アは驚愕に顔を歪めた。
「同じ顔……!?あなたたち、本当に一体なんなのっ!!」
 ソ二アは護身用に持っていた拳銃を、太腿のホルスターから取りだすと、即座に彼らに向けて発砲した。彼女の頭にあったのは、彼らが超能力研究所のデータを盗みにきたスパイだろうということだけだった。
 まず、ソ二アは後から来た人間に数発、続けざまに発砲した。何故といって、彼女は射撃がそれほど得意というわけではなかったので――行き止まりの壁にいる♯3021と呼ばれた人間に発砲した場合、弾が大事な娘、彼女にとって命よりも大切な存在に当たってしまう可能性があるからだ。
「……死、しなないっ!?どうしてなの、なんなのあなたたちっ!!」
 ルシフェル♯5017は、心臓部分に数発弾を食らうと、衝撃で顔を歪めはしたが、<彼>はそこから人間と同じ赤い血を流しはしなかった。特殊な強化金属で出来たルシフェル・ナンバーのボディは、まったく同じ場所に八発以上弾丸が当たりでもしなければ、壊れることはないのだ。
「ママーッ!!ママ、ママーッ!!」
 カチ、カチと、弾の切れた拳銃の引き金を、それでもなおソ二アは何度も引き続けた。そして、叫ぶ。
「ば、化け物……!!」
 それがカミーユの母、ソ二アが口にした、最後の言葉だった。次の瞬間には彼女は、後ろから肩を掴まれ、ルシフェル♯3021に首を引きちぎられて殺害される。
 ドサリ、と首から下の胴体が、月光を反射するリノリウムの床に倒れ、首から流れた血液で赤く染まった。
「ママっ、ママーーッ!!」
 もはやカミーユは、ただの無力な子供として、頭を抱えてうずくまることしか出来なかった。そして錯乱した頭の中で、(神さま助けてっ!ママとわたしをお願いだから救ってっ!)と、唱え続けることしか出来なかった。
「まったく、おまえの殺し方はいつもながら趣味が悪いな」と、ルシフェル♯5017。
「そんなこと言ったって、結局死ぬんだから同じことじゃん」と、ルシフェル♯3021。
「まあ、なんでもいいが、その子にはまだ手出しするなよ。ガブリエル♯2026と一度連絡を取りあって、指示を仰ぐ」
「あ、このおばさんはともかく、あの子は殺していいってさっき言われたんだけど?だから殺っちゃっていいんじゃないの?」
「いいから、とにかく待て。おまえはいつも血に急ぎすぎる」
 ルシフェル♯3021は、つまらなそうな顔をすると、廊下に転がったうさぎのぬいぐるみを見て、その五体をバラバラにした。そしてその腕や足を、震えて身動きできない少女に投げつけてやる。カミーユがそのたびに痙攣したようにビクッ!とするので、その仕種が楽しいと<彼>は思った。
『こちらガブリエル♯2026。ルシフェル♯5017、どうかしましたか?計画に遅れが出ているようですが……』
「こちらルシフェル♯5017。たった今、♯3021がソニア・ヴェルディーユを殺害。その娘も殺していいと、ガブリエル♯2026、あなたから指示が出ていると聞きましたが……」
『ええ、その通りよ。ヴェルディーユ親子には結局爆死してもらう予定だったわけですから、どんな形であれ先に死んでもらっても構わないでしょう』
「ですが、相手はまだ十四歳の可愛い子供なんですよ?せめて彼女だけでも、記憶を消去するなどして、生き延びさせてあげることはできませんか?」
『……随分人間らしいことを言うのね、ルシフェル♯5017。いいでしょう、あなたのその仏心に免じて、マスターに一度聞いてみます。ちょっとの間お待ちなさい』
「……………」
 ――その後、三分とかからず、ガブリエル♯2026は創造主(マスター)からの伝言をルシフェル♯5017に伝えた。
『やっぱり、その娘は邪魔だから殺してしまっていいそうよ。それも残虐に、いたぶって殺したほうがいいだろうってマスターはおっしゃってたわ。彼女は可愛らしい顔をしているけれど、これまでに何十人もの人間を超能力で殺しているから、それが当然の報いなんですって。それと、爆薬の爆発時間を少し遅らせて、追加で少しやってほしいことがあるっておっしゃってたわ。まず、その区画にセットした爆薬のみを解除して、あなたたちが今いる棟のみ、無傷で残すようにします。その場所にはセンターの機密情報など何もないから、いいところを選んだってマスターはルシフェル♯3021のことをお褒めになっていらしたわ』
「やった!マスターに褒められた!」
 ルシフェル♯5017と同じく、ガブリエルの言葉を聞いていた♯3021は喜びに顔をほころばせている。
「……………」
 最後に、マスターからの実行命令を耳にすると、♯5017は軽く溜息を着いた。そのことに一体なんの意味があるのか、ルシフェル♯5017は理解できなかったが、なんにせよマスター直々の命令である。従うより他に、<彼>に道は――というより選択肢は残されていない。
「♯3021、話は聞いたな?わたしはこの区画にセットされた爆薬を解除してくるから、おまえがマスターの命令を実行しろ。それで文句ないだろう?」
「アイアイサー」
 ルシフェル♯3021は、悪戯っぽく笑うと、♯5017に向かって冗談っぽく敬礼してよこす。彼らの間に基本的に上下関係はないが、それでもルシフェル・ナンバーのアンドロイドはガブリエル・ナンバーのアンドロイドの言うことには必ず聞き従わなければならないという絶対の掟がある。
「きゃあああああっッ!!」
 ルシフェル♯5017は、断末魔の叫びを背中で聞きながら、振り返らず、この棟を跡形もなく爆破するための高性能爆弾を解除しに向かった。そしてそれら二つをそれぞれ五分程度で解除・回収し、<彼>が元の場所へ戻ってきた時――カミーユ・ヴェルディーユという少女は、彼女が持っていた白いウサギと同じ運命を辿っていた。そして元は白かったウサギにカミーユとその母親の血液を染みこませると、行き止まりの壁に、ルシフェル♯3021は次のような血文字を書きこんでいた。

 <You are a “L”oser.>
  (“L”、おまえは負け犬だ)

「どお?なかなかの芸術作品だと思わない?」
 ウサギのぬいぐるみに染みこませた血だけでは、文字の端のほうがぼやけてしまう。それで♯3021はソ二ア・ヴェルディーユの手や足を引きちぎってくると、そこから流れた新鮮な血液で、文字のはっきりしない部分を書き足していた。
「……悪趣味だな。なんにせよ、そんなにぐいぐい血をつけなくても、人間どもはルミノール反応とやらで、おまえの残した血文字をきちんと読めるだろうし、もうそろそろいいんじゃないのか?」
 ルシフェル♯5017は、無残に引き裂かれた親子の死体を跨ぎ、♯3021のことは無視して、屋上へ急ぐことにした。爆薬の爆発する時刻は最初よりも二十分伸びて2:00ちょうどのはずだった。これ以上こんなところにいれば、自分もその爆発に巻きこまれて木っ端微塵の運命を辿ることになってしまう。
「あ、待ちなさいよ。♯5017」
 ルシフェル♯3021は、ポイ、とまるでゴミでも捨てるみたいに、ソ二ア・ヴェルディーユの折られた足を捨てると、♯5017の後を追った。一緒にガラス張りのエレべーターに乗り、最上階――屋上で下りると、そこに静止していたタイタロンに乗りこむ。
 黒い丸型をした機影は、ふわりと空高く浮かび上がると、彼らアンドロイドにとっての生まれ故郷、アイスランドへとガブリエル♯2026の操縦で向かった。そしてその約十分後に、憐れな母娘の遺体と壁の誰かに宛てたメッセージのみを残して、<サンタモニカ超能力研究センター>は、空を焦がす爆煙とともに土台から破壊され尽くしたのだった。



  『探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~』終わり



【2008/09/19 06:39 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(21)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(21)

 アメリカ政府からの五百万ドルもの拠出金に加え、第二次世界大戦以降ヨーロッパの闇社会を支え続けた組織――<殺し屋ギルド>からの潤沢な資金流用で、フロリアン・シュナイダー博士はほくほく顔だった。いや、ウハウハ笑いが止まらないと、下品にそう言ったほうが、よりシュナイダー博士の今の心情を反映していたといえるかもしれない。
 彼のキャリアは、アメリカのコロンビア大学を卒業後、『オオカミ人間(変身人間)』についての研究論文を発表したことにはじまり――『フランケンシュタイン』が実際に誕生する可能性についての論文など、常に学界から総スカンを食ってばかりだった。それでもそんな彼が今何故CIAが影で出資している<超能力開発研究センター>の所長の地位に着いているのかといえば、そこにはそれなりの理由がある。
 まず、今ではオカルト信奉者の間で非常に評価が高いとされる『オオカミ人間論』にしても『フランケンシュタイン論』にしても――彼は実に科学的な見地から多角的に論じているのだ。彼がその後発表した『未確認飛行物体』についての研究論文にしてもそうだが、満月の夜に人間がオオカミに変身するなどまったく馬鹿げていると一笑にふすことのできないリアリティがシュナイダーの論文にはあった。まず、何故そのような民間伝承が存在するのかということにはじまり、実際にオオカミ人間が目撃された例についての検証、映画や小説、漫画などにおける描かれ方はどうなのか、さらには実際にオオカミに育てられたと言われる少女、アマラやカマラへの言及などなど……シュナイダー博士の論文は注意深く読んだとすれば、確かにそこからは学術的な一定の価値を見出すことができたに違いない。そして『フランケンシュタイン』は一般に人造人間の固有名詞のように扱われることが多いが、メアリー・シェリーの小説ではそれを造った科学者の名前がヴィクター・フランケンシュタインなのである……シュナイダー博士は論文の最初にそう指摘した上で、ゾンビ論及び人造人間がこれから開発されるであろう可能性について、実に多角的かつ科学的リアリズムに溢れた洞察を展開しているといえた。
 まず、ゾンビという存在がキリスト教徒の神を信じなかった者の行く末を暗示する、神経症的産物ではないことを彼は指摘し、さらに死んだ人間を自分の意のままにしたいという死体性愛者の心理に博士は言及している。つまり、人造人間というのはもし仮にこれから科学技術が発達して誕生した場合――人間の他者のことを意のままに支配したいという欲求を満たすための道具となるだろうと彼は論文の中で予見しているのだ。ヴィクター・フランケンシュタインは、生命の謎を解き明かし、自在に操ろうという野心にとりつかれた科学者だったが、その動機の裏にあるものはやはり<支配欲>であり、人間の神になりかわろうという愚かさの結果として生まれたのが、一般に世の人が『フランケンシュタイン』と呼ぶ怪物なのだとシュナイダーは論文の中で述べている。
 この『フランケンシュタインの心』と題されたフロリアン・シュナイダー博士の論文は、最後に「我々人間ひとりひとりの心に、今もこの哀しい怪物――フランケンシュタインは確かに住み続けているのだ」と、そう締め括られて終わっているのだが、正直この論文を書き記した1960年代、シュナイダーは自分が死ぬ頃までにはロボット工学が進歩・発達してその原型となる人工生命体をこの目で見ることが出来るだろうと信じていた。だが実際には、それから四十年ほどがすぎた今も、SF小説に登場するようなアンドロイドは、人間の手によって創造されてはいない。

 旧約聖書、エゼキエル書:第37章第1節~第10節
<主の御手がわたしの私の上にあり、主の霊によって私は連れだされ、谷間の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。
 主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。
 主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです」
 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主の言葉を聞け。
 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
 わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返る時、おまえたちはわたしが主であることを知ろう」
 私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨が互いに繋がった。
 私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に息はなかった。
 その時、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いてこい。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ」
 私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった>

 彼は科学者の端くれとして、『神』を信じるのにやぶさかではなかったが、やはり人間の限界として、聖書の中で神が「息」と呼んでいるもの――ヘブライ語でルーアッハ、息とも霊とも訳せる言語――これが最後の壁として立ちはだかるのではないかと考えていた。人口知能(AI)の技術がいくら発達しようとも、骨や筋肉や人工血液といった人間によく似せて造った材料すべてを用いたところで、果たしてそれがSF小説の如く『人間』と同等の存在となりうるのかどうか……その人類の「踏み越え」を神がもし本当にこの世界に存在するとしたら、許すのかどうか……シュナイダーは自分が生きている間にそのことを見届けられないことが非常に残念だと感じていた。そう――ついほんの三か月ほど前までは。
『未確認飛行物体』についての論文はまたもや学界の著名人から嘲笑の種として扱われたが、それというのもその中で彼が「自分もまたこのUFOに遭遇したことがある」などと述べているせいだった。そして彼は自分のライバルともいえる最先端をゆく科学者が「オオカミ男とフランケンシュタインと一緒に、よい空の旅を」と嘲ったことを思いだし、手に持っていたコーヒーの紙コップをぐしゃりと握り潰す。
(くそっ!今に見ていろ……)
 シュナイダーは今、サンタモニカにある自分の牙城ともいえる<超能力開発研究センター>にいたわけだが、そんな自分にもとうとう運が向いてきたと彼は思っていた。そう――彼はFBIの捜査に協力しているサイキック捜査官や、CIAのエージェントを養成するための、特殊機関の任に当たっている人間なのだ。といっても、センターの名前が<超能力開発研究センター>となっているのは、実際にはカムフラージュ的意味あいが強い。そんな馬鹿げた機関にアメリカが巨額の資金を拠出していることを知っている人間もまた少ないのだが、シュナイダーは実際にこれまで殺人事件や地震を予知したり、また第六感としか呼びようのない超感覚的捜査能力を有する者を何人も見てきた。ただ、そうした特殊能力が何故生まれるのか、どうすれば人工的に発生させられるのかといった、そのメカニズムの究明には当然至っていない。彼がしているのはそうした人間についての健康状態から家系に至るまでの詳細な情報を調査・研究することであり、またCIAのエージェント養成については、彼は特殊な催眠方法を彼らに施すことにより、その分野では確固とした地位を築いていたといってよい。つまり、ある人間を特殊な催眠状態に陥らせた上で、フランス語・ドイツ語・アラビア語・日本語・中国語……その他のテープを対象者に聴かせただけで、その者は次に目覚めた瞬間にそれらの言語を自在に操れるといった状態になる。その方法で、ある者は洗脳し別の記憶と元の記憶を入れ換えて、最強の刺客として各国に放つことも可能なわけだ……もっとも、このことは国の極秘事項なので、シュナイダーは論文としてまとめあげ、学界に発表するような真似はできないのだが。
 そんなわけで、彼はCIAの検閲を免れるような論文のみをこれまで発表してきたわけだが、今から約三か月ほど前――<神>からのこんな啓示がシュナイダーには与えられていた。ある夜、研究所の屋上で彼が太平洋の海を眺めていると、かつて昔見たことのあるUFOが、再びシュナイダーの元を訪れたのである!
 ステルス戦闘機を思わせる、その黒一色の機影は、夜空の上で一度静止すると、青白い光を自分の上に投げかけていた――すると、よくSF映画であるのと同じように、すう、とシュナイダーの体を上部に浮遊させたのだ。こうして彼はUFOの中へ吸いこまれ、そこでこの世のものとは思えぬひとりの美女と対面することになる。
「ようこそ、フロリアン・シュナイダー博士。わたしの名前はガブリエル……『ある方』の使いで、あなたを第三の世界へ招待するために参りました」
「第三の世界……それはよもや発展途上国のことではありますまいな?」
 驚くべき境遇に身を置きながらも――いや、だからこそと言うべきか――シュナイダーにはまだ、冗談を言う力が残されていた。
 そんな彼の様子を見て、ガブリエルと名のった、その名のとおり天使のように美しい女性は、優雅に微笑んでみせる。
「いいえ、我々はずっと以前からこの地球を見つめ、真に価値ある人間のみを、わたしたちが<エデン>と呼ぶ本国へ招待するのです。しかしながら、あなたにも選択の余地はあります……もし、あなたが我々という存在と深く関わりあいになりたくなければ、今ここでわたしと出会った記憶、またタイタロンを目撃した記憶のみを消去して元の場所へ戻っていただくことになりますが、いかがでしょう?」
 タイタロンというのが、この乗り物の名前なのだろうか――そう思い、コクピットの中をあらためてシュナイダーは見まわす。よくわからない計器やパネルなどが美しい室内に備えつけられているが、一目見てこれは自分たち人類が現在所有している科学技術を越えたものだということが、シュナイダーにはわかる。
「ええ、是非……わたしはガブリエル、あなたの招待に応じたいと思います」
「では、出発しましょう」
 自分の足許のドアが閉まると、シュナイダーはガブリエルの隣でシートベルトを閉め、成層圏を突き抜けて宇宙へと飛び出した。最初、素晴らしい宇宙の世界にただ感嘆の声を上げるのみだったシュナイダーも、少ししてあるひとつの素朴な疑問を持った。自分たちの今の飛行は、アメリカの空軍かどこかに、レーダーでキャッチされているのではないかと思ったのだ。それにこの小型の飛行物体自体、闇一色といった黒さで目立たないにしても、かつて昔に自分が目撃したように、誰かから見られている可能性があるのではないかと、そう思った。
「そうですね。この機体はアメリカ自慢のステルス戦闘機と同じで、通常の飛行の場合、レーダーでは観測されません。しかしながら、成層圏を突き抜ける時にはNASAかどこかが我々の飛行の様子を観測していても不思議ではない……ですが、ご心配には及びません。わたしたちの上に立っている指導者は、そうした事実をもみ消せるほどの力を持ったお方なのです。ただし、1947年にあったロズウェルUFO事件は別ですけどね……あれは唯一我々の存在の一部が明らかになりそうになった、極めて危うい事件でした」
「やはり、そうだったのか!」
 シュナイダーは興奮のあまり、鼻息を荒くした。ロズウェル事件とは、1947年の7月、アメリカニューメキシコ州ロズウェルで、なんらかの物体が回収され――それが墜落したUFOの機体ではないかと噂された事件のことを指す。アメリカ空軍総司令部の発表した公式見解では、『極秘の調査気球』とされているが、UFO信奉者は今も、その機体には宇宙人が乗っており、UFOの残骸とともに宇宙人の体がアメリカの極秘機関のどこかに眠っているのではないかと噂し続けている。
「あの事件が起きた時、わたしはロズウェルにいたんだよ。まだ小さな頃の時だったけど……あの夜のことは決して忘れられない。そして、今日また同じ物体を目にして直感したんだ。とうとうその真実を知る瞬間がやってきたのだとね……」
「あれはただのタイタロンの故障なんですよ」ガブリエルは操縦桿を握り、元きた道――美しく青き地球へと戻りながら言った。「そして乗っていた我々の仲間、ルシフェル♯5017も墜落の衝撃で故障しましたが、その後空軍基地から引きとって元のとおり修復しました。ルシフェル・ナンバーはわたしたちガブリエル・ナンバーとは違い、もっとも古い型なので、構造が一番原始的なんです」
「じゃあ、君たちは……」驚愕のあまり、シュナイダーにはもはや言葉もない。
「そうです。あなたの推測どおり、わたしは人間ではなくアンドロイドなのです」
(信じられない)――元の自分がいたサンタモニカの研究所へ戻ってくるまで、シュナイダーはすぐ隣に座る美しい女のことをじっと見つめてばかりいた。こんなに美しい存在を誕生させた者がもしどこかにいるのなら……その者こそ<神>だと、彼はそう思った。
 最後にシュナイダーは、『不老長寿の薬』なるものを天使のように美しいアンドロイドから渡され、さらに驚愕する。見た目はなんの変哲もない白い錠剤なのだが、毎日飲めば細胞が若返って長生きが可能なのだという。
「で、ですが、何故わたしのように取るに足らない存在が選ばれたのでしょう?」
 もはやシュナイダーは畏敬の念にさえ打たれていた。この宇宙のどこかに<神>に等しい知的生命体が存在し、その使いとして今目の前にガブリエルと名のる天使が自分に使わされたのだとしか、彼には思えない。
「<あの方>のご意志はわたしにもわかりません。ただわたしたちアンドロイドは、彼の言われたとおりに事を行うだけですから――ただ、<あの方>は人間に対してとても疑り深いのですよ。あなたのこともこれから<あの方>は自分に対する忠実度を計られることでしょう……あなたが我々の住むエデンへ来られるまで、あともう一歩といったところ。<あの方>の言われたとおりにあなたが事を行うなら、あの方は必ずやあなたの働きに目を留めてくださるはずです」
「わかりました。すべて、<あの方>の御心のままに……」
 ガブリエルが『洗脳プログラム』を用いたことを知らないシュナイダーは、本当に自分が短い宇宙旅行をしたものだと信じこんでいた。もちろん彼自身、科学者の端くれとして、自分がもしや精神病で、実際には体験しなかったことを体験したように感じているだけではないかと、そう何度も疑いそうにはなった。UFOを目撃したり、また宇宙人に体を解剖されたと信じている者の中には、統合失調症などの重い精神病にかかっている者が少なくないからだ。たとえば、彼自身も論文の中で述べたとおり――実際本当にUFOを目撃したのではなく、それは脳の中で<UFOを体験した>という場合がある。この場合は、その証言者は嘘をついているわけではなく、UFOを見て光に包まれる体験を<脳の中で経験した>という意味では真実を語っているということになるだろう。
 シュナイダーはその点について自分自身を精神分析してみたが、やはり自分が経験したことが幻だったとはとても思えないし、何よりも物的な目に見える証拠――長く生きることが出来ると天使が言った<薬>の存在がある。その中のひとつを彼は不敬にも調べてみたわけだが、中からは未知の化学物質が検出され、それがなんなのかをさらに研究しようとするのは、流石に彼にもためらわれることだった。
 何故といって天使・ガブリエルは<あの方>が疑り深く、自分のあの方に対する忠実度をはかると言っていたからだ。自分は今きっと神に試されているのだとシュナイダーは感じていた。もしかしたら地球人類にとって未知なるこの薬に含まれる成分は、地球上に存在しない物質によって構成されている可能性すらある……だが、その成分を調べて学界にセンセーショナルな発表をしたとすれば――自分はある朝、何ものかに殺されるか、心臓発作か何かによって死ぬことになるのではないかと、シュナイダーは漠然とした恐怖を感じるのだった。
 さらに、三か月前のその夜、天使・ガブリエルは最後に、こんな予言を彼に言い残していた。
「近いうちにオスカー・ミドルトンという免疫学で名前を知られた男があなたとコンタクトを取ろうとするでしょう。彼は我々の仲間ですから、これからのことは彼とよく相談して決めてください。それでは、次期にまた時がきたら連絡します」
 そして天使の言った予言は成就し、ミドルトン博士はドイツにある研究所からシュナイダーの元へとやってきた。彼も例の<薬>を服用している仲間で、『エデン』へはオスカーもまだ招かれてはいないが、おそらくは超能力者の能力を見張り続けることが<あの方>の御意志に叶うことなのだろうと、彼はそう思っているようだった。
 また、ミドルトンは次に会った時、超能力を持つ子供たちをシュナイダーに紹介し、共同でこの一大事業に当たろうじゃないかと彼に言った。ミドルトンはおもに超能力者が延命するための<薬>を開発し、シュナイダーは超能力者たちの超能力の可能性について研究する……アメリカ政府はこの事業に莫大な資金を投資することを内々に確約しているし、<殺し屋ギルド>というヨーロッパの闇組織から流れてくる巨額の資金もある。我々にとってこれ以上の素晴らしい環境が果たしてあるものだろうか、というわけだ。
 しかし、その時シュナイダーはミドルトンに、あるひとつの素朴な疑問を口にした。我々が服用している薬の秘密を突きとめて、この細胞が若返るという薬が超能力者たちを長生きさせはしないものだろうかと、そう聞いたのだ。だが、ミドルトンは残念そうに首を振るのみだった。
「<あの方>はそのようなことは望んでおられないのだよ。わたしは確かに免疫学の権威として、あの子たちが長生きできるようにあらゆる可能性を検討してはいる……だが、わたしたちの<薬>のことは、これからも誰に対しても秘密を厳守しなくては。たとえば、わたしはこのことをソ二アにさえも言ってはいない。そうなれば彼女が目の色を変えて、わたしの<薬>を奪って娘に飲ませようとするに違いないからだ」
 ――ここでひとつ、シュナイダーは口にこそ出せはしないものの、オスカー・ミドルトンという男に対して、強い疑念を抱いた。表面的には彼は、美しく聡明な恋人ソ二ア・ヴェルディーユを愛し、またその娘のことも可愛がっているように見えるが、実際にはそうではなく、単に自分の研究のために彼女たちを利用しているのではないかということだった。それでいて、細胞が若返るという例の<薬>については研究することを自分に禁じている……これはシュナイダーの目から見た場合、明らかにおかしな矛盾だった。彼ほどの科学者が、自分が毎日服用する薬について、その成分を調べようともしないなどということは、まずありえない。とすれば彼は、薬の成分についてもはや知っていると考えてまず間違いはないだろう。
 フロリアン・シュナイダーは、この時になって初めてオスカー・ミドルトンを信用するのは危険なのではないかと、そう思った。そして、彼が面倒を見ることになった超能力を持つ子供たちのことを調べる過程で――彼らがあまりに傷つきやすく、同時に超能力と呼ばれる特殊な力を持っている以外は、どこから見ても普通の子供たちであることを知るにつけ、シュナイダーはどうにかして彼らを守ってやりたいような気持ちにもなっていた。
 サンタモニカにある研究センターで彼はその夜も、奇妙な感情の板挟みにあっていた。ソ二アの父親のトマシュ・ヴェルディーユ博士も、またホームの創設者ミハエル・エッカート博士も可哀想な子供たちのことをただ優しく見守り続けたのだ。そうした正しく清い<見守り>の力というのは、これからも彼らに必要なものだろうと、彼はそう思う。自分にも別れた妻との間にふたりの子供がいるだけに、シュナイダーは自分の子供がもし自閉症で超能力を発症するかわりに短命を宣告されたらと想像すると――いかに強いジレンマに自分は陥るだろうかと、そう思った。
 そう考えたとすれば、ソニアの常軌を逸したような娘に対する執着ぶりも理解はできる。一目会った瞬間から、この親子は異常だと彼は感じていたが、それもそのはずと言うべきか、美しい花盛りの娘のカミーユは、母親がその兄と近親相姦して生まれた子供だった。おそらく彼女自身、そのことをミドルトンにもシュナイダーにも知られたくはなかっただろう。だが遺伝子的な観点から超能力といったものを検証する場合に、どうしても彼女の父親のデータというものが必要になってくる。それでカミーユの父親がソ二アの実の兄であるということがわかったわけだ。
 現在、サンタモニカのこのセンターには、選び抜かれた通勤のスタッフの他に、離れの建物にミドルトン博士、ヴェルディーユ母娘、それにシュナイダー本人が住んでいる。そして超能力を持つ子供たちは、海辺にある別荘で共同生活を送っているというわけだ。だが、最後にロスへやってきたラクロス・ラスティスという少女は、恐怖遺伝子の発症によって「海が怖い」のだという。それならばということで、太平洋から少しばかり離れた場所にあるホテルで暮らさせることにしたわけだが――どちらにせよ、長く親しんだこのサンタモニカの研究所とは、シュナイダーは年内におさらばする予定だった。
 アメリカ政府からの巨額な資金投入が決まった今、築年数が三十年以上にもなる古い建物にわざわざいる必要はない。近く、シュナイダーはミドルトン博士やヴェルディーユ親子、それに超能力を持つ子供たちとともに、新しくロスのパサデナに建設された研究施設へ移る予定でいた。そう……おそらくはクリスマスには向こうの建物でそのことをみんなで祝えるに違いない。
 シュナイダーはその夜、子供たちのパーソナル・データに目を通しながら、ひとりひとりの健康状態をチェックして自分の部屋で眠ろうと思っていた。何しろ、彼らが長生きできない理由の自己免疫疾患というのは、彼ら自身の持つ超能力によってある程度進行や症状といったものが抑えられるので、その日その日の一番新しい状態を元に免疫抑制剤の量を加減しなくてはならないのだ……そしてシュナイダーがその処方箋を書いて眠ろうと思った時、真っ暗な部屋のパソコンのスクリーンに、かつて見た夢のような美女の顔が映っていたのだった。
「あ、あなたさまは……」
 自分のすぐ背後に、気配もなく立っている天使の姿を見て、シュナイダーは驚きの声を上げる。
「どこから入ってきたのかって、そう聞きたそうな顔だな」
 顔は一緒だが、髪型や言葉遣い、そして雰囲気――そうしたものが明らかに<彼女>は前と違っていた。もしかしたら天使というものは、みな同じ顔で、同じように美しいのだろうか?
「この間あんたが会ったのは、ガブリエル・ナンバーのアンドロイドだったけど、わたしはね……ルシフェル・ナンバーなんだよ。ルシフェル・ナンバーについてはシュナイダー博士、あんたも知ってるのかな?」
「あ、ああ」と、生唾を飲みこみながらシュナイダーはどうにか答える。「ガブリエルに聞いた話では、ロズウェル事件の時、墜落したUFO……いや、タイタロンに乗っていたのがルシフェル♯5017だったとか……」
「そうだよ。わたしがそのルシフェル♯5017さ。そしてあんたがくだらぬ話をしてくれたお陰で、創造主(マスター)があんたを殺すのに、わざわざわたしのことを指名したというわけだ。どうだ?これで死ぬ前にひとつ、墓場への土産話ができたんじゃないか?」
「こ、殺すって、そんな……」
 にわかに、自分が壮大なペテンにかかっているのではないかと、そうシュナイダーには思われてならなかった。この間会ったガブリエルも今目の前にいるルシフェルと名のる美女も、実は同一人物で――自分は何かの催眠プログラムで宇宙旅行をしたように思いこまされたのではないだろうか?さらに、<彼女>が自分を殺すとしたら、考えられる理由はただひとつ……。
「ま、待ってくれっ!最後に教えてくれっ!」肌にぴったりとした黒のボディスーツを<彼女>が着ているせいで、やはり前に会った美女と今目の前に存在している者は、別人なのだとシュナイダーは思った。ガブリエルもまた同じように黒のボディスーツを着用していたが、<彼女>には女らしい胸の膨らみが顕著だったのに対して――<彼女>、いや<彼>にはそれがなかった。体つきもどちらかといえば、中性的というより、やや男のそれに近いようにも思われる……そしてガブリエルの髪が長いブロンドだったのに対して、<彼>の髪はとても短い金髪だった。
「せめて、自分が最後に死ぬ理由を知っておきたいっ!何故なんだ!?この間は夢のような世界へ招待すると言い、さらに不老長寿の薬までくれたじゃないか……あの薬は本当はなんなんだ!?あの中には我々人類が知らない未知の化学物質が含まれていたっ。そんなものを一度は与えておきながら殺す理由について、最後に教えてくれっ!」
「確かにもっともな質問ではあるが……」
<彼>――ルシフェル♯5017は、透明なスコープに浮かび上がった数字を読みとると、今回自分に与えられたミッションを遂行するのに、時間があと残り少ないことを知った。
「悪いが、時間がない。自分が死ぬ理由については、あの世とやらで調べるのがいいだろう」
「ひっ!」
 よれよれの白衣を着たシュナイダーは、なんとか時間を稼いで警備システムを作動させようとしたのだが――その警報を鳴らすための赤いボタンを押したにも関わらず、なんの手応えも感じられないのを知った。
「まったく、馬鹿だねえ。人間ってやつは」
 後ろ手に何度もボタンを押すシュナイダーの手をとると、ルシフェルはなんの良心の呵責もなく、彼の腕をへし折った。
「あがっ……ぐわあああっ!!」
「警報装置なんぞ、とっくに我々の仲間が切ってあるさ。おそらく警備室の人間は、今ごろ寝てるか死んでるかの、どっちかだろうよ」
 ルシフェルがさらにシュナイダーの腹のあたりに蹴りを入れると、彼は内臓破裂を起こした。それもそうだろう、何しろ<彼>は人間ではなく――白い人工皮膚の下に眠っているのは、特殊な金属で出来た骨や関節だったのだから。
 最後にとどめとして、シュナイダーの心臓を手で一息に貫くと、そこに付着した血液を<彼>はぺろりと舐める仕種をした。肉食の動物と同じく、<彼>は人間の血の匂いが好きだった。何故そのように創造主(マスター)が自分のことをプログラミングしたのかはわからないが、マスターの話では、それが人間の本能にもっとも近いものなのだということだった。
 ルシフェル♯5017は、マスターから命じられた必要な情報をすべてスキャニングすると、それらの資料及びシュナイダーの死体を始末するために高性能爆薬をセットし――他の同じルシフェル・ナンバーのいる棟へ向かった。廊下を歩きながら、中庭にある大理石の噴水に月光が降り注いでいるのを見て、<彼>はその光景をとても美しいと感じる……そう、彼は確かにアンドロイドではあったが、それでも夜空を見上げて月を美しいと感じる<心>に近い何かがあったのである。



【2008/09/19 06:28 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(20)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(20)

 ラクロス・ラスティスは、憤慨していた。何に対してといって、メロという男に対して――彼がした行為の何もかもに対して怒りを覚えていた。そして、自分の恋人が裏切ったことも、彼の親友のセスが裏切ったことも……さらには、ラス自身は自覚していないにしても、彼女の親友のルース――彼女が電話で何度も恋愛相談してきたことに対して、ラスは怒りを抑えきれなかったのだった。
 ソニア・ヴェルディーユ博士からは、なるべく早くロス入りするように勧告されてはいたが、ラスは色々と理由をつけてはそのことを先延ばしにしていた。結局、アメリカ大統領や政府高官を前にした例のデモンストレーションは、ティグランひとりがサーカス小屋のピエロを買ってでるという形をとることになったわけだけれど――それだけでも彼らは十分に満足し、<サンタモニカ超能力開発研究センター>などといううさんくさい施設に、年額でまずは五百万ドルもの出資をすることを決定したらしい。これからは<サンタモニカ超能力研究センター>は、ペンタゴンの一機関、ようするに軍需産業の一部に組み入れられることもすでに決定しているということだった……そのことを思うと、ラスはイラクで自分が行ったことが正しいことだったのかどうか、ますますわからなくなってくる。
 米政府が今回の決断をしたことには、自分が戦地で重要な役割を果たしたことと無縁ではないと、そのくらいのことは彼女にもわかっていた。とはいえ、自分はカイとマジードに言われて、道義的に「正しい」と思われることをしただけにすぎない……だが、もう一度イラクへ行けと言われれば、ラスとしては正直いってご免被りたいという気持ちのほうが強かった。
 それでももし、カイ・ハザードという青年が今も生きていて、そのことが自分たちの組織の未来に不可欠なことなんだと言ったとしたら、ラスもまた砂漠の異国の地へ赴く覚悟はある……けれどもう、彼女の中ではすべてがバラバラに壊れてしまった。さらには追いうちをかけるように、つい先日カイ・ハザードにかわる組織の指令塔、セス・グランティスからラスに、こんな電話が入った。
「なかなか君が来ないから、心配してるんだよ。もしかして何かあったのかと思って――たとえば、精神的な変化とか」
 セスにそう言われて、正直ラスはドキリとした。ホームの子供たちは小さい時から互いに仲が良く、気心も知れあっているけれど……ラスは彼のことが苦手だった。いや、セスのことを嫌いというわけではない。ただ、彼から嫌われているように感じることが、彼女には問題なのだった。
「べつに……何もないけど」と、戸惑ったようにラスは言った。セスは表面的には見せないまでも、自分のことを嫌っている……ラスにはそのことがわかっているだけに、すぐに彼に本心を見せることは出来なかった。カイが死んだと聞いて数日も経たないうちに、他の男と寝たなどとは――それこそ、口が裂けても言うことは出来ない。
「そっか。じゃあ、早く来れば?例のデモンストレーションの件は、ティグランひとりがうまくやりこなしてくれたみたいだからさ……君はルーと親友だから、もう聞いてるかもしれないけど、彼女、メロって子のことが好きらしいよ。で、ティグランは強力なライバルが現れて、ヘソを曲げてるってわけだ」
「そう……」心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、ラスは答える。セスにはどこか鋭いところがあるので、ほんのちょっとした言葉尻を捉えて、何かに気づくかもしれない――そのことが彼女は怖くて仕方なかった。
「まあ君もね、カイ以外に誰か他に好きな男ができたら……その時には余計な罪悪感など抱かぬようにすることだね。そのためにカイは、自分を忘れるための暗示を、最後に君にかけたわけだから」
「……どういうこと?」
 胸に重い一撃をくらった時のように、ラスはドクリ、と心臓の血管が脈打つ音を聞いた気がした。セスはいつもさりげなく自分に意地悪だった。他の子には決してそんなことはないのに、今も遠く離れた電話口の向こうで、彼が真実を告げるのを――「楽しんでいる」ように思えて、ラスはますます胸が苦しくなる。
「つまりさ、君がもし他の男を好きになったら、カイの記憶はその時点で徐々に薄れていくってこと……まあ、放っておいてもね、時間が経つにつれて、カイの顔の輪郭や声といったようなものは、思いだすのが難しくなるって部分はあるだろうけど、カイは君にだけ特に、そういう暗示を残したってことさ。逆にいうなら、それにも関わらず君がカイのこ
とを忘れず覚え続けていたら――それは本物の愛ってことになるんだろうけど。まあ、そんなわけだから、君がカイのことを忘れたとしても、仕方ないと思って罪悪感など持たないようにするんだね」
「セス、あたし……」
 ん?と、相手が聞き返してきたところで、ラスはガチャリ!と思いきりホテルの受話器を置いた。
(嫌いよ!あんたなんか大っ嫌い!!)
 直接そう言ってやりたいとラスは思った。そして同時にこうも思う。自分たちはやはり、カイがいなければ駄目なのだと……彼がすべてのバランスを考慮して、これまですべての采配をふるい、みんなを守ってくれたから――自分たちはうまくやってくることができたのだ。その上、エッカート博士もヴェルディーユ博士も今はもういない。自分にしても、短い間ではあるが、組織のために無私の心で働こうとは思った。けれど、カイのように高い理念を追い求め続けられるほど、自分は強くはないとラスは思い知らされるばかりだった……そしてイラク。カイが一時的に遠い土地へ自分が行くように追いやったのは、彼自身の<最後の計画>を実行するためだったと知り――ラスは愕然とした。さらに、自分の死後に残された彼女が他の男を好きになったら、彼のことを忘れるよう暗示をかけていたなんて……。
「たとえあなたでも、本当はそんな権利、ありはしないのよ……」
 涙声で、ラスは思わずそう呟いていた。同時に、カイが死んだと聞いて以来、何故こんなにもすり抜けるように彼のことが記憶から消えるようになくなっていくのかもわかった。それにかわって、ラスの中でリアルな感情をもって迫ってくるのは、メロのことばかりで――その葛藤の狭間で自分がどんなに苦しい思いをしているか、さらには彼のことをルースが好きらしいと聞いてからは、嫉妬でどうにかなりそうだと、ラスはそんなふうに感じてもいたのだ。
「わたし……生まれて初めて好きな人ができたのよ」
 最初に電話でそう聞かされた時、ラスは親友の幸せを嬉しいことのように感じていた。何故といって、ルーは数学に恋をしているようなところがあり、短い生涯の間に誰のことも好きにならなくても悔いはないと言っていたからだ。その彼女が<外>の世界へ出て初めて、「恋」というものに巡りあったということは――素晴らしいことのようにラスには思えた。最初は学校へ通うことになど、一体どんな意味があるだろうと思っていたけれど、シュナイダー博士もセスが言うほど無能ではないのかもしれないとさえ、ラスは思ったくらいだった。
 けれど、ルースが好きになった男の特徴や、彼のどんなところが好きかといったことを聞いているうちに……ラスはその男がメロによく似ているということに、気づいてしまったのだ。
「ねえ、ルー。最後に聞いてもいい?その、彼の名前のことなんたけど……」
まさか、そんな偶然はありえない――そう思いながらも、ラスは心が震えた。ホテルの電話のコードを指に絡ませ、彼女はなんとか自分を落ち着かせようとする。
「ミハエル・ケールっていうのよ」と、ルースは恋する乙女の無邪気な声で言った。「でも、小さい時からメロって呼ばれてるから、そう呼んでくれっていうの。なんだか犬みたいな名前のような気もするけど、可愛い仇名よね。あ、メロは可愛いっていうよりはカッコいいって言ったほうがぴったりくる感じで……わたし、今初めてラスがカイのことをどんなふうに好きだったか、わかるような気がしてるの。わたしも出来たらラスとカイみたいにメロとなれたらいいなって思うんだけど……彼、とてもモテるみたいだから気が気じゃないのよ。前に言った、同じクラスのバーバラって子もメロを狙ってるような気がするし……ねえ、ラス?聞こえてる?」
「ごめんね、ルー」と、ラスは小さな声でようやく言った。「なんだか電波の調子が悪いみたい。声が聞きとりずらいから、また今度かけ直すわね」
 そのあとルースは、軽く別れの言葉と、自分がロスへ来るのを待っている、といったようなことを言ってから電話を切った。そしてラスは――電話の受話器を置くなり、ホテルのベッドの枕を、思いきり壁に叩きつけたのだった。
 そう、ラスはその時になって初めて気づいたのだ。あのメロという男はおそらく、情報を得るために超能力者ひとりひとりに近づいているのだろう、と。
(だったら、あの夜にあったことは一体なんだったのよ!)
 その夜、怒りとともにラスはそう思った。けれど、そのあともルースの報告は毎日のように続き――次第にラスは、メロが自分に対してしたのと同じことをルーにしようと思っているわけではないらしいと気づいて、ほっとしてもいた。それと同時に、自分が親友の不幸を喜んでいるようにも思えて、悲しくなる……最後に、ルーからバーバラという同級生がメロとやたらベタベタしていると聞いた時には――彼女自身、心底怒りを覚えたものだった。
 そして今日……サンタモニカ・ブルーバードの交差点で、ラスはメロと再会した。ラスがメロに言った、「海が嫌い」という言葉は決して嘘ではない。彼女は海のそばへやってくると、硬直して体が動かなくなるのだ。それが何故なのかということについては、エッカート博士は「祖先の記憶が関係している」と言っていた。つまり、人間には三種類の記憶があって、まずひとつ目が<祖先の記憶>、ふたつ目が<認識的・連想的記憶>、みっつ目が<習慣記憶>である。このうちの<祖先の記憶>――これは、目の色や背の高さ、体つきなど多くの肉体的特徴が遺伝するのと同じことで、遺伝によって受け継がれる特性、技能、属性、能力についての記憶である。そうした様々な天性、遺伝が人間にも動物にも共通して見られるわけだが、そのうちのある種の記憶、自分にはまったく身に覚えのない記憶が遺伝するケースがあるのだという。たとえば、ラスは本能的・反射的に海が怖いと感じるわけだが、それはラスの先祖が海で(たとえばヴァイキングの襲撃に遭うなどして)、何十年、あるいは数世代にも渡ってよほど海に関連づけておそろしい思いをし、その恐怖があまりに強かったために、現在ラスが本能的に海が怖いと感じることに結びついているのではないかというのだ。この恐怖についてはカイの催眠術も太刀打ちできず、エッカート博士とヴェルディーユ博士は、治すためには遺伝子治療、恐怖を感じる遺伝子を治療する以外にないだろうと言った。
 研究所の外の世界ではまだその治療法は確立されていないが、もしラスが望むのなら、<海が怖くなくなる薬>を処方してあげようと博士に悪戯っぽく言われて――ラスはとりあえずそれを辞退した。それじゃなくても免疫抑制剤を服用しなくてはならないし、これ以上薬づけになるのはご免だと思ったのだ。それに、同時にこれは自分の自閉症が治ったことへの副作用でもあると、そうエッカート博士からラスは説明を受けていた。たとえば、ラス以外の今の仲間では、モーヴが<未来予知>の超能力を発症したかわりに、色素性乾皮症(XP)になってしまったように……博士が開発した薬は、多くの代償を必要とする危険の多いものだったのだ。
「ラス、もし君の可愛いお尻におできが出来たら、わたしは「なんてことだろう!」と思って、そのおできを治そうとするだろうねえ」と、エッカート博士は悪戯っぽく笑いながら言った。ラスの自閉症が治って、間もない頃のことだった。「それで、いい薬ができた!と思って君にそれを飲ませるんだけど、お尻のおできはそれで引っこんだのに、こんどはなんと!ラスの可愛い頭にたんこぶができちゃうんだ……」博士はここで、しょんぼりしたようにうなだれる。「そして今度はそのたんこぶを治すために、またわたしはがんばって新しい薬を開発するんだけど、頭のたんこぶが治ったと思ったら今度はまあ!ラスの可愛いあんよに腫れものができちゃうんだな。そんなわけで、先生の作った薬は決して完璧なものじゃないけど、人間はいつも何かに恐怖を感じ、怯えていたりするものだからね……そのこととうまくつきあっていくのも、<人生>なんじゃないかって、先生はそんなふうにも思うんだよ」
 子供たちはみな、ホームの創設者であるエッカート博士のことが大好きだった。そしてカイは亡くなった博士の遺志を継ぎたいと思っていたのだ……もし彼に、普通の健康な人間と同じだけの寿命が許されていたとしたら、それも十分可能なことだったろう。けれど、そのカイもまた死んだ今、彼らのためにラスは今度は自分たちがしっかりしなくてはならないのだと、何度も繰り返し自分自身に言い聞かせようとした。けれど……。
(わたしは弱いのよ、カイ。とても弱いの……あなたのように遠くを見つめて、崇高な理念のために働いたりするより、目の前にある物事にすぐ、感情を動かされてしまう。今日もメロの顔を見ただけで――とても冷静ではいられなかった。本当は、もっと大人の女っぽくしたいとは思ってたのよ……。あれは一夜の過ちだから、お互い忘れましょう、ルースはとてもいい子だから、できたら大切にしてあげてねって、彼と会ったらそう言おうって思ってたの。それなのに……)
 ガラス張りの広いバスルームでシャワーを浴びると、ラスはそのあと冷蔵庫からワインを取りだして飲んだ。飲酒は、彼女にとってどうしてもやめられない習慣のひとつだった。そう、嫌なことがあった時に、一時的に記憶を麻痺させるのに必要な、効果的飲料といったところ……ラスはメロに抱かれた夜に、すべてを忘れたいと思ったのと同じく、その日もワインを数本あけて、記憶があやしくなったあたりで眠りにつくつもりだった。
 自分は今、とても孤独で寂しいと、ラスは強くそう感じている。いや、カイが死んだと聞いてから、日増しにその思いが強く重いものになっていると言ったほうが正しいだろうか?彼は「万が一にも計画が狂うことがないように」、自分が近づくことのできない海に囲まれた都市、ヴェネチアを選んで死んだ。セスは、カイから自分の記憶が消えるよう最後に暗示をセットしたと聞かされていたというし、ルースは事故のようなものとはいえ、一度自分が寝た男に恋をしている……そしてティグランはそのせいでニア側には協力したくないらしい……これでもう、みんなバラバラだ。
 それでも、もし自分がメロと関係を持っていなかったら、とラスは思う。孤立状態にあるティグランとセスを結びつけるような役割を果たすことができたかもしれないのに……メロさえいなければ、メロが自分に近づかず、またルースにも近づかないでさえいてくれたら、メロさえいなければ……この時点で最初にニアに持っていた殺意というのは、ラスの中ではおもにメロに転嫁されていた。それとセスだ。カイからすべての計画を前もって聞かされていた彼には、気も狂いそうなほどの嫉妬を覚える。
 ラスは、そうしたややこしい事柄すべてを一時的に記憶から消し去るために、ワインを飲んだ。最近、アルコールに対してどんどん耐性ができているのかどうか、少しの量ではちっとも酔えない。そしてつまみにチーズか何か、ルームサービスでラスが頼もうと思っていると――不意に部屋の外で、携帯の着信音がしたのだった。
「ああ、アークエットか。悪いが今、取りこみ中でな。例のチャイニーズ・マフィアのボスのことで、話をしようと思ってたんだが……そう、ヤン・チョウって男だ。表向きは中国料理店のオーナーだが、裏では麻薬の売買に深く関わっていて、おもに北朝鮮から流れてきた麻薬を売りさばいてるって話だ。なんでも、キム・ジョンイルとは古くからの友人だっていうくらいだから、そこでドルが大量に北朝鮮へ流れてるのはまず間違いないと見ていいだろう。ああ、次の取引については、詳しい情報があるんで、また連絡する。じゃあな」
 プツリ、とメロが携帯を切ると、すぐ横でガチャリ、とドアが開いた。彼が電話で話す声を聴いて、ラスは思わずドアを開けていた――本当は、メロの存在など部屋からも自分の頭の中からも追いだすべきだとわかっているのに、体が勝手に動いてしまっていた。
「……こんなところで、何してるの?」
 バスローブを着たラスの胸元からは、ケロイド状の火傷の痕が見えている。彼がもし、あの時は気まぐれで自分のことを抱いたのだとしたら……今度はこの紫色の肌を見て引くかもしれない、そうラスは思ったけれど、それならそれで彼はその程度の男なのだと思い、諦めがつきそうな気もした。
「何って、あんたが出てくるのを待ってたんだろ」
 黒いジーンズのポケットに、携帯をしまいこみながらメロは言った。まるで間がもたない、とでも言うように、彼はまたチョコレートを食べはじめている。
「だったら、なんでドアをノックしないのよ?そんなところでいつまでも立ってて、あたしが中で死んでたらどうするつもりだったわけ?」
「……………」
<死>、という単語を聞いて、メロは一瞬躊躇する。そうなのだ。前にセスから彼女は、ある程度超能力をセーブして使うなら――おそらく普通の能力者よりも長生きするだろうと聞いていた。だが、ラスはそのことをまだ知らないのだ。
「ちょうどいいわ。あたしもあんたに話があったの」
 ラスは黙りこんだメロのことを見て、彼のことを部屋に通すことにした。セスがカイの代行者としてニア――探偵ロジェ・ドヌーヴの側についた以上、ルースとメロが同時に揃った場所で、自分はある意味<仕事>として彼らに会わなければならない事態がこれから起きてくるだろう。そのためには、今のうちにはっきりさせておく必要があると、ラスはそう思っていた。
「さっきも聞いたが、何故あんたは他の仲間よりもロス入りが遅れたんだ?」
「それは企業秘密よ」と、ラスはソファに座りながら言った。メロは彼女に目で促されて、ガラステーブルを挟んだ向かい側の肘掛に腰を下ろすことにする。
「あたしだって、これでも一応重要なギルドの構成員ですもの。色々やらきゃいけない仕事がヨーロッパではあったというわけ……さっきあんたが麻薬の取引のことで誰かと話をしていたのと同じようにね」
「なるほどな。ところで、本当に海は嫌いなのか?」
「どういう意味?」
 ラスはワイングラスを手にして、その中身を飲みほしている。
「いや、さっきは取り乱してるみたいだったから、自分が何を言ってるのかわかってないのかと思ったんでな」
 そこで、ラスはカッと頭に血がのぼった。ワイングラスをメロがいる側の壁に向けて叩きつけてやる。
「あんたなんか何よっ!あたしが一体どのくらいの思いをしてロスへ来たか、そんなことも知らないくせしてっ!大体あんたたち、本当に一体なんなわけ!?きのうまでは敵みたいなこと言ってたくせして、今度は仲間ですって!?ふざけんじゃないってのよっ」
「ああ、その件については、俺も意外だった……」メロは粉々になったワイングラスの破片に目を落としながら言った。カイが死んだと聞いた夜もそうだったが、どうも彼女は物にあたり散らす習性があるらしい。「いや、あいつの元にあんたの恋人が最後に遺言として言い残したとおり、セスって奴がやってきたのはある程度予測していたことではあった。だがそのお陰で色々なことが微妙に狂ったってことは確かだ。なんでもセスは、仲間のモーヴって奴から日時と場所を指定されて、ニアの奴に会いにいったらしいからな……もしその時間って奴がもっと早ければ、俺も高校に編入して退屈な授業なんぞ受けずにすんだんだろうが、セスの話によるとそれは偶然じゃなく必然なんだそうだ。俺にはとてもそうは思えないが、あんたはどう思う?」
「そうね」と、ラスはメロがあまりに平静な顔をしているので、自分だけが感情的なのが恥かしいと思った。顔と体が熱いのは、今飲んだワインのせいなのだと、なんとか必死で思いこもうとする。
「モーヴにしても、すべての未来が見えるってわけじゃなく、彼に見えるのはあくまでも断片的なものなのよ。その中であらゆる無意識的計測を元に、それだけは間違いなく<確か>だということが、モーヴには見える……そういうことなんだと思うけど」
「まあ、俺は観念論って奴には興味がないんで、どうでもいいといえばどうでもいいことではある。俺がとりあえず今興味があるのは未来のことじゃなく現在のことだ……セスとニアが組むことになったのが必然なのかどうかなんて、俺にはどうでもいい。あいつらはもう互いに気なんか合おうが合わなかろうが、それが当然みたいに俺の家で暮らしてやがる。俺はそれが気に入らないんだ。前にも言ったがこのニアって奴が俺は生理的に大っ嫌いでな……正直、セスとあいつが険悪になってふたりともあそこから出ていけばいいのにって本音では思ってるんだ」
「どうしてそんな話を、あたしに?」
 ラスは別のグラスにワインを注ぐと、それを一口飲みながら言った。
「さあ、どうしてかな。あんたも知ってるかもしれないが、俺とあんたの仲間のティグランは、ちょっとした経緯があって関係がマズイことになった。そのことについては多少責任を感じないこともない……それに、あんたに対してもだ」
「どういう意味?」ラスはワイングラスを口許から離すと、一度テーブルの上に置いた。
「その前に、ひとつ聞きたいんだが――どうしてあの夜、あんたは何も言わずに部屋を出ていったんだ?」
 今度は、決してワインのせいではなく、顔と体が熱くなるのがラスにはわかった。もう、彼とは目を合わせることもできない。
「それは……あれがただの一時的な感情による発作みたいなものだったからよ。あたしは――あの時、カイが死んだと聞いたばかりで、普通の状態じゃなかった。あのあともすごく後悔したのっ。いくらショックだったとしても、あんなにすぐ、他の誰かとあんなこと……なのにメロ、あんたが……っ」
 ラスはバスローブの袖で目頭の涙を拭った。数瞬、室内には沈黙が落ちたままだった。けれど、そのほんの数秒の間に、彼女の中で答えは出ていた。あの日のすべてのことをメロのせいにするのはフェアじゃない……そのことに、初めて気づいてしまった。
「そうか。わかった。あんたには悪いことをしたと思う……べつに、恋人を亡くしたばかりのあんたの弱味につけこもうとか、そういう意志はなかったんだが……それでも、もしあんたがそう思ったんなら、やっぱりそれも俺のせいってことなんだろうな。じゃあ、これからは顔を合わせたくなくても何度かは会うってことになるだろうし……まあ、私情は抜きにして仕事だけでつきあってもらえるか?」
 この瞬間――ズキリ、とラスの中で何かが痛んだ。自分の中で、心が大きくショックを受けたのではなくて……それは誰か別の人間の痛みだった。
 ラスはメロが肘掛から立ち上がり、ドアまで歩いていこうとするのを、ゆっくりと目で追う。そして自分のことを最低の人間だと感じた。メロに抱かれて以来自分がずっと感じ続けていたこと――それは彼が自分と同じくらい傷つくことだった。その願いがたった今実現したにも関わらず、ラスは少しも喜べなかった。
「待って、メロっ!お願い、待って!!」
 ラスは慌てて、メロのことを追いかけた。こんなことは全部間違ってると彼女は思った。何故といって、自分は本当のこと……自分の本音について、少しも心の中にあることを話していなかったのだから。
「あたし……あのあと、あんたのことばっかり考えてたわ。でも苦しかったの、そのことがとても。あたしがあんたのことばっかり考えてるのに、あんたはあたしのことなんて少しも考えてないと思うと癪だった。セスがね、この間電話をかけてきてこう言ったの。あの子、なんでか知らないけど、小さい時からあたしにだけ意地悪なのよ。だからあたしもセスのことは嫌いなの……だって、カイが死んだあと、もし他に新しい相手をあたしが見つけたら、彼のことを忘れるようにカイが暗示をかけたってそんなことまで嬉しそうに言うんだもの。そして困ったことには、実際本当にそのとおりなのよ――あたし、カイが死んだって聞いて間もないのに、カイよりもメロ、あんたのことを考えてる時間のほうが長いの。そんな自分が嫌で仕方なくて……その上、ルーは何も知らないから、無神経に電話であんたのことばっかり話すし。ルーの話を聞いてた時のあたしの気持ちがあんたにわかる!?嫉妬で頭がどうにかなりそうだったわっ。だって、ルーはとってもいい子なんだもの。それにとても可愛いし、それに、それに……」
 ラスはそこまでまくしたててから、突然呼吸が苦しくなって、壁にもたれかかった。そんな様子のラスを見て、一度開きかけたドアを、メロはゆっくりと閉める。
「これだけは言うまいと思ってたんだが」と、メロは泣きながら壁に寄りかかる、ラスの体を支えながら言った。「セスの奴がやたらカイのことを褒めちぎるんで――俺は時々、あいつのことを殺してやろうかと思ってた。それがなんでかわかるか?」
 わからない、というようにラスは首を振った。彼女には本当にもう何もわからなかった。胸の内側から誰かがどんどんと叩いてるみたいに、心臓が苦しい。
 そしてメロと何度もキスをかわしながら、ラスは思う――彼の背後には、カタストロフの瞬間がはっきり見えるということを。それがおそらくは彼が最終的に求めていることなのだ。
 ルースがティグランから受けたという忠告……それはおそらく本当のことなのだろうと、ラスは今あらためて思う。彼はおまえを幸せになどしないし、むしろ心を傷つけるだろう――自分もおそらくはそうなると、ラスはこの時直感した。
(でも、もうそれでもいい……)
ラスはベッドの上でメロのことを迎え入れながらそう思った。彼とこうなることで、自分はおそらく仲間たち全員に軽蔑されるだろう。カイが生きている間はあれほど彼のことを求め、彼なしでは生きられないほど依存していたくせに――彼が死んで三か月と経たないうちに別の男と親密になるだなんて……その上、メロのことを親友のルーがどれほど好きか、素知らぬ顔で相談に乗ってやり、ティグランには、自分にできることがあったらなんでも言って、などと、わかったふうな口を聞いた。なんて浅はかで最低で馬鹿な人間なんだろう、自分は。そしてそうとわかっていながら、どうしても止めることができないのだ。
 もう、何もかもどうでもいい――ラスは心からそう思った。メロが言ったとおり、ラスも過去や未来といったものに、この時まったく興味を持てなかった。メロにも、明日には興味を失われて、捨てられるのかもしれない。彼は明後日には自分の存在を重いと感じて、避けようとするかもしれない。もっと、はっきりと心を傷つけてくるかもしれない。でも、もうそれでもいい……今この瞬間、確かに自分たちは繋がっていて、互いに生きているということを共有できているのだから。
「次にセスに会ったらたぶん彼、腐った林檎でも見るような目で、わたしのことを見てくるに違いないわね……そして言葉にははっきりして言わないまでも、『君なんて所詮その程度の女なんだよ』って顔の表情で伝えてくるに違いないわ」
「ああ、そういえばあいつはある意味、ニアによく似てるかもしれないな。ニアの奴も「自分が一番」って優越感に浸ってやがるくせして、口では「わたし、何も言ってないじゃないですか」ってよく言いやがるからな」
 寝ながらパキリ、とチョコレートを食べるメロを見て、ラスはくすりと笑う。さっき彼の背後に見えたカタストロフの光景は幻だったのだろうかと、そう思えるくらい、今彼女の隣にいる男は幼く見える。
「ねえ、わたしがそのニアって嫌な奴のこと、殺してあげましょうか?」
 冗談でラスは笑いながらそう言った。
「ああ、その時には頭に銃弾を一発埋めこむなんてものじゃなくて、できるだけ苦しめてから殺すようにしてくれ」
 それから、メロの口からはぽつぽつと、俺の家の冷蔵庫なのに、なんでセスの奴の食べ物のほうが多く詰まってるんだとか、地下の特別室を使う時間がニアの奴は長すぎるだのという愚痴がいくつか洩れた――ラスはそんな彼の言葉を、笑いをかみ殺しながら聞き続け、そしてふと哀しくなる。自分がたった今、「幸せ」だと強く感じていることが、何故だかとても悲しかった。
「……どうした?」
 微妙な空気の変化を感じとって、メロは体を起こすと、彼女にそう聞いた。
「ううん、なんでもないの。わたし、本当にひとりぼっちになっちゃったんだと思って……もう、これでみんなとは元の関係に戻れないし、ルーやティグランともぎくしゃくしたままになると思ったら、なんだか……」
「全部俺が悪いってことにすればいいだろ」と、メロは事もなげに言った。「パリで俺がストーカーみたいに張りついてて、カイが死んだと聞いてショックを受けてたところにつけこまれた……さらにそのあと俺は学校でルースの超能力のことを探るべく近づいてきた、サイテー野郎ってことにしとけば、あとはなんとかなるだろ」
「うん……」
 そう単純には済ませられないにしても、メロがすぐそばにいてくれることが、ラスには心強かった。彼ならばきっと守ってくれるというような、それは受動的なことではなくて――ただ、彼が<そこにいてくれる>だけで、目の前に生きていてくれるだけで、ラスには十分だった。彼さえいてくれれば、本当はセスに軽蔑の眼差しで見られることも、ルーやティグランや他の仲間に複雑な視線を投げられることにも、おそらく自分は耐えられるだろう。
 ただ、その時にルーが味わう感情のことを思うと――友達として何をどう償ったらいいのか、ラスは胸が苦しくなるものを感じた。一から説明すれば、時間はかかってもルーはきっとわかってくれる……でも、もしかしたらそれは、無責任で楽観的な自分の押しつけにすぎないのかもしれない。そして自分がもし逆の立場だったとしたら――執念深くいつまでも覚えていて、決して許さないだろうとも思うのだ。
「ラスはたぶん、カイって奴のことがこれからも一番好きなんだろうな」
 うとうとと眠くなりかけた時、ラスはポツリとメロがそう呟く言葉を最後に聞いた。よくわからないけれど、メロにはどうも一番とか二番といったことに対して、強いこだわりがあるらしい。
「まあ、死んだ奴には勝てないっていうのは、こういうことをいうんだろうから、仕方ないんだろうが」
 ラスは寝たふりをして、メロが言った言葉が聞こえなかった振りをしたけれど、内心では吹きだしそうだった。彼は最初の印象とは違い、意外に子供っぽいのだ。
(わたしが短い生を終えるまで、少なくともわたしの心はあんたのものよ――だなんて、よほどのことでもなければ絶対言ってやらないわ)
 そう思いながら、ラスは深い眠りの中へ落ちていった。そして次の朝、メロよりも先に目覚めて――彼女はバスルームで声を殺して泣いた。夢の中にカイが出てきて、一言「これでいいんだよ」と、子供の頃の自分に向かって優しく微笑みかけたからだった。
 その夢の中ではカイも自分もまだ十一歳くらいで、その頃からまだ数年しか過ぎてないのに、ラスは自分がとても遠い場所へ来てしまったように感じていた。そしてホームのみんなとも、もう以前のような関係に戻ることは決してできないのだと思うと――ラスは涙が止まらなかった。



【2008/09/19 06:20 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(19)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(19)

 メロは、最初は快適なひとり暮らしをしていたコンドミニアムに、今は人の出入りが激しいのを見て――ほとほとうんざりしていた。
 カイ・ハザードが残した遺言を実行するために、セス・グランティスという青年がニアの元を訪れたことにより、メロが学校へ通う必要はなくなったわけだが……そのかわりに、ニア、ジェバンニ、リドナー、セス、ボー、ルース、エヴァ……といった人間が鬱陶しくも居つくことになってしまったのだ。
 ロベルスキーの逮捕後、ルースもボーもディグランも学校へは通っていないという。それはそうだろう、とメロは思う。何故なら自分も短い間普通の<スクール・ライフ>とやらを送ってみて、つくづく退屈で仕方なかったからだ。ある分野の才能に抜きんでている彼らにとっては、残りの短い寿命の間、学校の単位など取って過ごすより、その才能を伸ばすことだけに集中したほうが、どれだけ有意義か知れない。
 だがここで、メロはセスという青年から聞かされた、あるひとつの重要なことを思いだす。それは、このコンドミニアムの広いリビングに、セスとニア、そしてメロしかいない時に彼の口から語られたことだった。
「なんだって!?それじゃあラスは、自分が普通の超能力者以上に長生きするって知らないのか?」
 飾り暖炉を囲む革張りのソファの上で、メロは思わずそう叫んでいた。ニアとセスはその時そこでチェスをしていたのだが、もはやこの家を我が物顔に使用している彼らに、嫌味のひとつでも言ってやろうとメロが思った時のことだった。
「まあ、そうだね」と、投了(リザイン)のしるしにキングの駒を倒しながら、セスは言った。これで167勝168敗だったが、まあ一旦ニアに一勝させておこうと、彼はそう思った。
「僕と兄さんとラスは、明らかに他の能力者とは、超能力の発症の過程が違う。互いに早期幼児自閉症だったという共通点はあるにしても――僕たちのように、何か幼い時にショックな出来事があって超能力を発症した人間というのは、これまでにも何人か存在するんだ。まあ、長生きするっていっても40歳前後らしいけどね。そういうトラウマが引き金になって超能力に目覚めた人間っていうのは、ラスやボーみたいに強い攻撃的な力を持つ場合が多いから――あまり無理せず<力>を使わなければ、それに比例して寿命が延びる形になるらしいよ。今まで僕たち能力者の間でもっとも長生きしたのが、<未来予知>の力を持つナディア・ハイゼンベルクという六十歳の婆さんだ。彼女は僕がホームに引き取られてから、間もなくして死んだけど、ベルリンの壁が崩壊したのを、自分の予知が当たったと言って泣きながら喜んでいたっけ」
「つまり、あなたもまたその、<未来予知>の力によってわたしに会いにきたと言ってましたよね?つまりそれはどういうことですか?あなたはわたしがチェスに勝ったら教えると最初に言いましたが――正直いって今のところ、あなたとわたしの力は五分五分といったところです。いつまでもこんなイタチごっこのような真似をするのはやめて、肝心なところを聞かせてもらえませんか?」
「そうだね」と、大理石の暖炉の上、ミケランジェロの『聖家族』の絵がかかっているあたりを見ながら、セスは溜息を着く。「正確には、ニア、君やジェバンニのいた家のことは、カイが生きてる時から<予言>されてたのさ。家の色や形、さらに番地に至るまで当たってたよ……僕はね、モーヴに君んところへ行く日時まで決められてたんだ。そしたらそのあと、一体何が起きたと思う?」
 ここでメロとニアは、互いに顔を見合わせる。
「つまり、そのあとすぐにロベルスキー・リドナー・エヴァ・ロス市警の警官の順に来客があったというわけだ。ところで君たちは、これをただの偶然だと思うかね?」
「いや……」と、メロが言いかけるのを、
「偶然でしょう」と、力強い口調でニアが遮る。そのことにカチンときているメロには構わず、ニアは続けた。
「あなたがわたしの仮住まいの家へ来たのは、そのモーヴという青年の<予言>どおりに行動したからであったとしても――リドナーは本当であれば、わたしとジェバンニのみがいる時を見計って戻ってくる予定だったんです。さらにエヴァのことにしてもそうでしょう?彼女はあの日、ベルギーから戻る予定ではまったくなかったのに、わたしたちのいる家を訪ねてやってきた……それも単にあなたをびっくりさせたかったという、それだけの理由でね。これが偶然ではなく、一体なんだというんですか?」
 メロは、整然と要点について説明するニアの横顔を見ながら、すぐにピンときた。ニア本人も本当は、それを<ただの偶然>などとは思っていないのだ。だが、相手に説明を求めるのに、それと反対のことをあえて言い、詳しいことを話させるようにもっていきたいのだろうと、そう思った。
「いいかい?この世界に偶然などというものは存在しない――というのは、僕が小さい頃に聞いたナディア婆さんの受け売りだけどね。つまり、簡単にわかりやすく、ジェバンニとリドナーのことを例に上げてみよう。彼らは我が儘な坊やのお守り役として、今の職務についているわけだが、ふたりにはいくつか共通点があるね。ふたりともアイビーリーグ卒でIQは普通の人間よりも30程度高い、加えてCIA、FBIの組織で若手のホープとして注目されていたという過去がある……そして互いに清廉潔白な性格が災いしてか、組織内では出世の望めない立場に立たされ、そこを<L>という人物に拾われたというわけだ。そうだね、この世界一の探偵と言われる<L>と仕事をしたことがあるというのも、ふたりの大きな共通点と言えるだろう。さて、ここで君たちに質問したい。彼らはここのところなんとなくいい雰囲気であるように僕の目には見えるが、ふたりがこのままゴールインする可能性は何%くらいだと思う?」
「さあな」何がどう関係あるのやら、そう思いつつ、メロはだらしなくソファにもたれたまま、パキリとチョコを齧る。「男と女のことなんか、先はわかんねえだろ。今日は仲が良かったかと思えば、明日には死ぬほど憎みあってるかもしれない……そういう人間の感情を数字で割り切るってのはナンセンスなんじゃないのか?」
「まあ、セスの言いたいことはなんとなくわかります。まず、ジェバンニ・ロボットとリドナー・ロボットをそれぞれ一体ずつ用意して――こんな言い方をするのは彼らに失礼かもしれませんが、まああくまでも仮に、ということです――それぞれにある一定の数値を入力すれば、ふたりが恋に落ちるパーセンテージは測定が可能になります。趣味は、ジェバンニがオカルトおたくなので、ちょっとどうかと思いますが、その他の点についてふたりは共通項が多いのも事実ですから……そういう人間ふたりが仕事とプライヴェートの区別がつかないような生活を共同でしていたとすれば、おのずと恋に落ちる値は高くなる、セス、あなたが言いたいのは大体、そういうことですか?」
「まあ、簡単に言うとすればそうだね。たとえばニア、先ほど君はエヴァがベルギーから戻るとは限らないという可能性について言及していたけど、それだってあの日あの時間を彼女が選んで来る可能性をゼロにはしないんだ。たくさんある可能性の選択肢の中で、エヴァがロスへ来てモーヴが彼女に「セスは例のカイが選んだ坊やに会いにいった」と教え、そして彼女があの日君の家を訪ねたのは……可能性として馬鹿みたいに低いことではない。たとえば、君たちのうちのどちらかが今日の夕方に心臓発作で死ぬ確率はいくつだ?病院で調べて心臓などどこも悪くない若い人間と、長年喫煙癖のある老人とでは――どちらがより死ぬ確率が高いか?そんなふうにして、ある程度のことは数字に置き換えて推測することが……運命を<計算>することが可能なんだよ」
「つまり、こういうことですか?あなたの仲間の、モーヴというその青年もナディア・ハイゼンベルクというお婆さんも、人間の<運命>を計算する超能力が備わっていると、あなたはそう言いたいわけですか?」
「まあ、簡潔にまとめるとしたら、そういうことだね」セスは、テーブルの上に駒を並べ、何故自分が負けたのか、その敗因を遡って調べながら言った。「もっとも彼らは、頭の中でそんな複雑な計算をしたりなんかしないけど……ただ彼らにはそれが<見える>んだ。超感覚的な力によってね。僕はやたらと理屈っぽい君たちに、なるべくわかりやすいように説明したつもりだけど、モーヴの能力については大体、そんなところでいいんじゃないかな」
「あ~、ようするにそれ、アレだろ?『ラプラスの魔』ってやつだ」
メロがチョコを齧りながらそう言うと、(意外に馬鹿でもないらしい)というような顔をして、セスが彼のことを見つめる。
「つまり、ここにコインがひとつあるが」と、メロはごそごそポケットの中を探りながら言った。そして空中に弾いて投げ、手のひらへとそれを再び隠す。「このコインの裏と表がでる確率は、一般に50%ずつだと人は信じているが、実際にはコインをはじく時の物理的要因――手の角度とか、地面からの距離、コインを空中にはじき上げる時の力、その他もろもろ――をすべて計算すれば、表がでるか裏がでるかは、100%確実に言い当てられる。つまり、『コインの表と裏、どちらがでるかは偶然の結果』ではないということだ。人間の未来もまた、そうした計算をすべて行う能力が人間にないというだけで、運命は計測不能のでたらめな偶然が重なった結果ではないっていう、セスが言いたいのはようするに、そういうことだろ?」
「『ラプラスの魔』ですか……それならそうと、先にそう言ってもらったほうが話が早かったですね。ラプラスは18世紀・フランスの数学者で、彼は『確率の解析的理論』で次のように言っています。<もしもある瞬間におけるすべての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)すべて見えているだろう>……セス、あなたはモーヴがこの「知性」だと言いたいんですね?ですが、『ラプラスの魔』は19世紀のはじめにヴェルナー・ハイゼンベルクという物理学者によって否定されています。物質粒子が同時に複数の場所に存在するとしたら、どんな知性であろうと――たとえ全知の存在であったとしても――すべての粒子の正確な位置を知ることは不可能であると証明したんです。また、情報処理の速度というものを考えて、たとえ『ラプラスの魔』が全原子の状態を把握していたとしても、その1秒後の状態を予測するのに1秒以上かかったのでは、未来を知ったことにはならないとする決定論の論議もあるようですが」
「……おまえが言うと、話がますますややこしくなるな。まあ、言いたいことは大体わかる。ラプラスの『確率的分析的理論』と『確率の哲学的試論』については、アンダーウッドの奴が試験に出しやがったからな」
「ちなみに、そのテストではわたしが一番で……」
「俺が二番だって言いたいんだろ?みなまで言うな。たかが一点差で勝ったくせしやがって」
 ニアがさらに言葉を重ねようとすると、セスが突然吹きだし、そのあとはもう、彼は笑いの虫を腹にでも飼っているように、数分間笑いどおしだった。その様子を見て、メロもニアもいささか憮然とする。
「……君たちって、仲がいいんだね。その絆の間には、僕はとても入りこめそうにない」
「何言ってんだ、誰がこんな奴……」
「何言ってるんですか、誰がメロなんかと……」
 ほとんど同じ意味の言葉を言いかけて、メロとニアは再び顔を見合わせる。そんな様子のふたりを見て、セスはもう一度笑ったあと、説明を続けた。
「まあ、<未来予知>の詳しいことについては、モーヴと直接会った時にでも、彼から教えてもらうといいよ。なんにしても、世界中の美術館に現在かかっている本物そっくりの贋作を描いたのは彼だ。モーヴは小さい頃から絵が上手くて――特に模写することにかけては、彼は天才的だった。40秒以上ある対象物を見つめると、その細部をまったく同じようにキャンバスの上に描いてみせることが彼には可能だったんだよ。つまり、彼は40秒の間ある景色を見つめたとしたら、あとはその景色を一切見ずにまったく同じ風景を描ける能力があるんだ。まあ、盗んだ元の絵はすべて、万全の状態で保管してあるから、あとで君たちに返してあげよう。この件については、メロが盗まれた半分の絵を取り返し、もう半分をニア、君が取り返したっていうことにすればいいんじゃないの?」
「今はもう、なんだかそんなこともどうでもいい感じだな」と、メロは溜息混じりにチョコを齧る。「それよりもセス、俺はあんたに肝心なことを答えてもらってない。何故あんたとボーとラスは、他の超能力者よりも長生きできるんだ?そこのところを早く説明してもらいたいもんだな」
「つまり、僕と兄さんとラスは、幼い頃から<薬>の投与を受けてないからだよ。ただし、そのことについては兄さんとラスはまだ何も知らないんだ……何故かわかるかい?僕はともかくとしても、ラスやボーはもともと、精神的に弱い質だった。自分たちがみんなより長生きするなんて知ったら――罪悪感にどれほど苦しむかわからないくらいね。だから、彼らが<みんなと同じ>ように飲んでる薬は、免疫抑制剤なんがじゃなく、ただの偽薬(プラシーボ)ってわけだ。いずれ頃合を見計って、カイはそのことをラスやボーにも知らせるつもりだっただろうが……その前に死んでしまった。だから、今は僕が彼らにそのことをいつか伝えなくてはならない。まったく、損な役まわりを引き継いだもんだと、我ながら思うけどね」
「その、免疫抑制剤についてですが」何かを考えこむように黙りこんだメロにかわって、ニアがセスに言った。「あなたから前にサンプルをいただいて、エリス博士に調べてみてもらったところ、製造が可能だという返事をもらいました。もしかしたら、その薬の研究をさらに進めることで――パーキンソン病や多発性硬化症などの病気にも一定の効果が得られるかもしれないと、彼女は興奮したように話してましたが、そのことをエッカート博士やヴェルディーユ博士もご存じだったのではありませんか?」
「まあね」と、セスは立ち上がると、広いリビングの中央、キッチンとカウンターのある場所へ行き、そこにある冷蔵庫からどくだみ茶を取りだしている……あんなもののどこがいいやら、とニアは彼の味覚に疑問を感じるが、彼曰く「クセになる味」だということだった。
「<毒をもって毒を制す>とはよく言ったものだと思うよ。だがまあ、その薬が外部に出ることで、エッカート博士もヴェルディーユ博士も下手に脚光を浴びたくなんかなかったのさ。まあ、自分たちの研究のことがわからないように、別の人間にその功績をうまくコントロールする形で与えることは可能だっただろうけど……そうすることで、世界中で難病に苦しんでいる人々が救われることを思えば、彼らは人道的にもそうすべきだったのだとは思う。でも<秘密>っていうものは大体、そういうところから洩れてガン細胞みたいに広がっていくものだって彼らにはわかってたんだ。君が今名前をだしたエリス・ワイミー博士にしてもそうだろう。エイズの画期的な特効薬を彼女は開発したが、その功績を嫉んだ連中の取った行動を見てみたまえ。エッカート博士は自分の研究の成果を保持し続けるために、この世における栄光を一切捨てたんだ。じゃなければ今ごろ彼は、パーキンソン病を治す画期的な新薬を開発したってことで、歴史に名前を残していたことだろうね」
「ようするに、その薬はおそらく、リウマチや全身性エリテマトーデスなんかにも効く可能性があるってことか?」
 メロは、冷蔵庫を開けたついでに、セスからチョコレートを一枚取ってもらい、それを受けとりながら言った。
「まあ、そういうことになるね。自己免疫疾患っていうのはようするに、本来は細菌やウィルス・腫瘍などの自己と異なる異物を排除するための役割を持つ免疫系が、自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応・攻撃することで起きる症状のことなんだけど……僕たち超能力者っていうのは、ある程度まで無意識のうちにその症状をもコントロールしているらしい。だから、それまでまったくなんの兆候も見られなかったにも関わらず、ある日急激に病状が悪化した時には手遅れっていうかね、そうなったらもう自分の死期が近いとみんな悟るってわけ。ちなみに、カイの場合は――彼はね、自己免疫性溶血性貧血だった。つまりニア、君は本来ならば立っていられないほど症状の進んだ人間と戦って――そしてようやく勝ったというわけだ。まったく、誇るべき勝利だね」
 話がカイ・ハザードのことに及ぶと、セスの言葉がにわかに険しくなることに、ニアは気づいていた。だが、彼の死に対してニアに直接の責任はないにしても――他に責められるような人間もいないゆえに、セスは自分に軽く当たっているのだろうと、そうニアは感じていた。
「なんにしても、あなたたちのことはこれから、ワイミーズ製薬の極秘スタッフが治療チームを組んでその病気が起きるシステムの解明に当たります。RH-X257とあなた方が呼んでいる薬も、次期できるそうですから……そうなったら出来れば、一度あなたたち全員にロンドンへ来て検査を受けてほしいそうです。とりあえずそれが<L>からの伝言ですね」
「わかった。だがまあ、今すぐというのは流石に難しいな。ティグランの奴も今はヘソを曲げてるし、超能力者全員が一時に同じ行動を起こすというのは、僕たちの次の代の子供たちにそれだけ大きな負担をかけるということでもある……現在、ホームで超能力を所有しているのは僕を含めて9人……まあ、カミーユのことは除いて8人か。その全員が一時にいなくなったとすれば、シュナイダー博士やミドルトン博士は現在<薬>の投与を受けてはいるが、超能力を発症していない子供たちの研究に熱を上げることになるだろう。そのへんのことはこれからうまくカモフラージュしていかなければならないけど、さてどうしたもんだろうな」
 ――君たち、何かいい案はないか?というように、セスが肘掛に並んで座るメロとニアに視線を投げるが、ふたりは黙ったままでいる。結局、<L>自身の都合もあって――彼は今ロンドンの例の爆弾魔騒ぎで、そこを離れられなかった――暫くは様子を見る、ということで話は落ち着いた。<L>本人がロスへ来られるようになれば、事態もまた変わるからだ。メロもニアも詳しくは知らされていないが、ロンドンの爆弾魔事件以外にも、Lは色々と難事件を抱えていてなかなか手を離すことが出来ないらしい……メロもニアも自分たちに手伝えることであれば、仕事を回してほしいと彼に言ったが、「これはわたしの宿題みたいなものなので、あなたたちは今、大切な超能力者との接触を持ち続けてください。その件についてはふたりに一任します」と指示されたのみだった。
 なんというのだろう、Lの様子がいつもとは違う、ということにメロもニアもはっきり気づいていた。だが、彼がそれ以上詳しく話そうとしないことについて、何かを突っこんで聞くというわけにもいかなかったのだ。
 とりあえず、メロとニアはセスとこのまま協力関係を保ち、他の超能力者たちが出たり入ったりする環境の中で、他の通常の仕事も続けるということになり――メロは十二月上旬のその日、ダウンタウンにあるロサンゼルス警察にいた。チャイニーズ・マフィアとヒスパニック系のギャングの抗争で、麻薬のルートを掴んだ件についてだった。麻薬対策課のパトリック・アークエットと直接会って話をする必要があったのだが、彼は今連邦裁判所で事件の証人として証言している最中だという。
 メロにしてみれば、ちょうどロス警察のそばを通りかかったので寄っただけではあったのだが、アークエット警部には後で電話がほしいという伝言のみを残し、クリスマスの装飾で賑わう通りを彼はバイク走り抜けていった。
 ニアやセス、リドナーやジェバンニと暮らしはじめて早一か月といったところだろうか……だがメロは、ビバリーヒルズのコンドミニアムにニアがいると思っただけで――この日も心が重かった。麻薬捜査のことで少しの間モーテルへ泊まると言ったのはつい先日のことだし、また同じ口実を使うというのも、なんだか奇妙な印象を持たれるかもしれない……いや、いっそのこと、俺はおまえが嫌いだから別のホテルで寝泊りすると宣言すればいいだけの話だろうか?けれど、いずれLが来てあのコンドミニアムでラケルも一緒に暮らすだろうことを思うと、それはそれでなんだか面白くないのだ。そもそも、最初にあのコンドミニアムを押さえたのは、自分のほうが先だったのだから。
(あーあ、あいつもフランスで事件が起きたとかなんとかで、ヨーロッパにでも戻ればいいものを……そもそもアメリカってのは、コイルの管轄だってのに。前までは冷蔵庫にチョコレートをぎっしり入れてても、文句を言う奴なんか誰もいなかったのに、今じゃあセスの野郎が居候のくせして色んなものを詰めてやがるし……ジェバンニとリドナーも、こそこそお互いの部屋を行ったり来たりしないで、どっか他に部屋でも借りろっていうんだ。まったく、あそこは元は俺の家だってのに、なんでこの俺が気を遣わなきゃならないんだ?クソ面白くもない……)
 正確には、もともとはワタリ所有のコンドミニアムだが、まあこの際そんなことはどうでもいいだろう。なんにしてもこの時、ニアと同じ家に長く住まなければならないストレスが、メロの中には蓄積されていた。それで、少しバイクで遠出をしてからビバリーヒルズへ戻ろうとメロが思っていた時――サンタモニカ・ブルーバードで、どこかで見たバイクの後ろ姿をちらと見かけたのだ。
(イタリア製のドゥカティ996S……まさか)
 信号機が変わるなり、メロは黒のバイクスーツを着た女性の後ろ姿を追っていった。ヘルメットはしているが、おそらく間違いない。いくつかギルドの仕事を片付けてから彼女はロス入りすると、セスから聞いていたが――ようやくここで会うことが出来たというわけだ。
 だがラスは、すぐ隣にハーレーが追い迫り、相手がメロだと気づくなり、さらに速度を上げていた。そしてメロのことを振り切るように狭い横道へ逸れようとしたが、彼もまた執拗にラスの後ろを追いかけて来たのだった。結局最後にはラスが降参する形となり、路地裏でバイクを一旦止めると、ヘルメットを取り、メロと向き合うことになる。
「あんた一体なに!?もしかしてストーカーか何かなわけ?」
 一目見るなり、ラスが怒っていることは明らかだったが、それが何故なのか、メロにはさっぱりわからなかった。
「そうなのかもな。あんたがいつロス入りするかと思って待ってたんだが……何故こんなに遅くなった?」
 理由はいくつかある……そのことを口にしようとして、やはりラスは黙ってしまう。だが、不思議と彼女はメロには嘘をつけないものを感じていた。それでとりあえずは一番無難な言葉を口にすることになる。
「あたし――海が嫌いなのよ。セスに何も聞いてないの?あの裏切り者に」
「べつに、セスは誰も裏切ってなんかいないだろ?そうだな、まああんたの一応の上司、ソニア・ヴェルディーユのことは裏切ったことになるんだろうが、彼女のことは信頼できないと、ラスも言ってだろ?そう考えたとすれば……」
「この大嘘つきの卑怯者!!ラスなんて馴れなれしく呼ばないでよっ!!あんたなんかもう、あたしは大っ嫌いなんだから!!」
 感情的になってそれだけ叫ぶと、ラスは踵を返して、またバイクに跨ろうとした。だが、そんな彼女の手をメロが強引に掴んで引きとめる。
「待てよ。何をそんなに怒ってる?俺があんたに何かしたか?」
「自分の胸に聞いてみなさいよっ!!」
 それだけ言うと、ラスはまたバイクにエンジンをかけて、走り去っていこうとした。メロもまたヘルメットを被り、再び彼女の後ろを追いかけていく……そしてラスがフォーシーズンズ・ホテルに最後に入っていくのを見届けると、メロは自分もまたそこへ宿泊することに決めたのだった。
 何故といって、メロにしてみればニアと顔を合わせたくないということと、これでまた新たに<仕事>が増えたということが重なったからだ。つまり、ティグランはサンタモニカの研究所近くの別荘にいるにも関わらず――ラスは何故離れた場所でホテル暮らしをしているのか、彼の中では腑に落ちなかった。
(海が嫌いだって?)
 確かに、セスから聞いたサンタモニカの研究所は、太平洋を見渡せる場所に位置しているが、単にそれだけの理由でわざわざ離れた場所にホテルを取ったりするものだろうか?
 その点がメロには疑問だった。そしてメロはLと同じく、自分が疑問に思うことは徹底的に究明しなくては気が済まないのだ。それにラスが自分に言った言葉も、彼にはまったく理解できなかった。「自分の胸に聞いてみなさいよっ!!」と言われても、メロは自分の心にやましいところなど何もないゆえに――ますます理解が不能だった。
 ラスのあとをこっそり尾行し、彼女が8階にあるプレミアスタジオという部屋をとっていることがわかると、メロもまたすぐその隣に部屋をとった。世界中のブランドショップが集まっているロデオドライブの街並みや、ロサンゼルスのスカイライン、ハリウッドヒルズの眺めなど、窓から見える景色は絶好のロケーションといってよかっただろう。その他、室内はクラシックなヨーロッパ風で、流石は世界でも指折りの名ホテルだけのことはある……メロはそんなふうに思った。
 だが、それと同時にメロにとっては、部屋に備えつけの42型のプラズマテレビも、イタリア製大理石の広いバスルームも、なんの意味もなさなかった。第一、すぐ隣の部屋に自分にとって欲しいと思える女がいるのに、キングサイズのベッドがでかでかと置いてあるのは、虚しいことこの上ないといっていい……メロはパリのリュクサンブール公園近くのアパルトマンにいた時とは違い、今はラスの様子を盗聴できないのが残念だと思った。
『あんた、もしかしてストーカーか何かなわけ!?』
 そう言ったラスの言葉を思いだし、メロは苦笑する。盗聴していたことがバレて、前に変態呼ばわりもされた……まあ、そんなことはどうでもいいにしても、やはり自分にとって彼女は特別な存在だと、メロはそう感じていた。
 正直いって、メロはラスがヘルメットをとった瞬間に――自分が彼女に対して何も感じないことを期待していた。そして向こうも、まるでこの間の夜は何もなかったという冷静な態度をとってくれたら……それで万事解決といったところだったろう。もしそうなら、自分はこれからラスに対してもルースに対しても中立的な立場でいることが出来、さらにはもう二度と同じ失敗は繰り返さないという絶対の自信が彼の中にはあったからだ。
 メロがラスに感じている感情というのは――直感的にはカタストロフ的なものだった。もちろん、何故そんなふうに感じるのかというのは、メロ自身にも説明がつかない。だからこそ気になる、とでもいえばいいのだろうか。カタストロフというのは、一般的に破綻、という意味で使われる場合が多いようだが、同時に大団円、ようするにハッピーエンドという意味もある……つまり、人間というのはそのどちらに転がるかわからない存在ということだ。恋もまたしかり、というように思えないところが、メロにとっては理解の範疇を越えていることではあるのだが。
 なんにせよメロは、自分のいる柔らかな色調の、重厚で豪華な雰囲気の家具が並ぶ部屋を出ると、ラスのいる部屋の前で彼女のことを張ることにした。パリにいた時とは違い、今度は隠れたりこそこそするような必要は一切ない。ただ、その行為自体はやはり、気になる女性のまわりをウロウロする男のそれと共通していただろうが、彼の場合はとてもストレートだった。
 そう――気になるけれど、声をかける勇気がないので相手の女性のまわりをうろつくような男とは、メロは根本的に違っていた。単にメロはラスのいる部屋の前で彼女のことを待ち、少しの間話をしようと思っただけなのだ。そしてすべてのことは、その時にはっきりするだろう。



【2008/09/19 06:12 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(18)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(18)

 ――話は、数時間前のことに遡る。
 セスがジェバンニに二階の一室へ案内してもらっていると、インターホンが鳴った。一瞬ドキリとするような表情をジェバンニがしたのを、セスは当然見逃さない……というより、すぐにピンときた。
 彼にしてみれば、ニアが何故ルースのいる家を張っているのかも、すでに承知の上のことだった。この特殊な<中流家庭>に訪ねてくる人間がいるとすれば、彼らの味方以外では相手の顔ぶれも限られるだろう。そしてジェバンニが一瞬見せた表情――それだけでも、セスには大体のことが把握できた。ルースの母親役のロベルスキーに、セスは直接の面識はない。だが、<殺し屋ギルド>の資料を見て、彼女がどういった人間なのかということはすでに知っていた。
 自分の直感が正しければ、おそらくジェバンニは今……ロベルスキーの色じかけの被害に合っているのだろうと、セスはそう思った。
 だが顔の表情には一切ださずに、「出なくていいんですか?もしかしたらセールスか何かかもしれませんが」と、セスはベッドに腰掛けながら言った。
「ええ……あ、いや、その。とにかくここで寛いでてください。あとで夕食が出来たらまた、お呼びしますから」
 ぼりぼりと頭をかきながら階段を下りていくジェバンニの後ろ姿を見て、セスは思わずくすりと笑った。裏の探偵世界のNO,2とも3とも言われるロジェ・ドヌーヴが、意外にも親しみやすい人間をそばに置いているのが不思議だった。おそらく、まあそれなりに仕事のほうも出来るには違いないが……。
 ジェバンニがドアを開けっぱなしにしていったので、玄関ホールの物音がセスにはすべて筒抜けだった。
「美味しいミンス・パイを作ったので、よかったらどうかと思って……ニアくんは何が好物なのかしら?教えてもらえれば、好みのものを是非作りたいのだけれど」
「あの、本当にお気遣いなく。僕ももう妻のいないやもめ生活には慣れてまして……ニアの奴は本当に偏食で、味の好みは僕にしかわからない微妙な匙加減があるんですよ。こちらのミンス・パイのほうは僕のほうで有難くご馳走になりたいと思います。でも本当に、気にしないでください」
「まあ、そんな……いけないわ。いくら自閉症とはいっても、出来るだけ外の人と触れあってコミュケーションを取ったりするのって大切よ。あなただって、時々は子供の世話から解放されて、息抜きくらいしたいでしょうし。なんだったら、ニアくんを時々わたしのうちに預けてくれてもいいのよ?わたしもルースも、自閉症の子にどんなふうに接したらいいか、よくわかってますもの」
(本当に、大した女狐だ)――玄関ホールの会話に耳を澄ませながら、セスは笑いを堪えるのが大変だった。彼女と<殺し屋ギルド>アメリカ支部のもうひとりの幹部……ミッシェル・ゴードンが住む家のそばに、重度の自閉症児が住んでいるという報告は、セスのほうにも上がってきている。フロリアン・シュナイダー博士は<超能力誘発剤>の被験者リストに、ニア・ジェバンニという少年のことも入れていたようだが、(まったく無能な連中だ)というのが、セスの正直な気持ちだった。
 まず第一に、十歳を越える少年を被験者にしても超能力が発症した例はこれまで一度もないにも関わらず――自分ならばまた何か新たな可能性を発見できるかもしれないと、シュナイダー博士は自惚れているのだ。さらに、ロベルスキーとゴードンはこれまで、<殺し屋ギルド>の高級幹部としてはなかなかの働きをしてきたとはいえるものの、そろそろどちらかの首をすげかえて、組織内の空気のよどみを外へ出したほうがいいだろうというのがセスの考えだった。
 そうなのだ……セスとカイのふたりはこれまで、<殺し屋ギルド>のトップに立つ人間として表の世界と裏の世界の「微調整」を行ってきた。Lやコイル、ドヌーヴといった探偵の顔を知る者がいないのと同じように――<殺し屋ギルド>の者たちもまた、自分たちにとって一番上に立つ人間が誰かを知っている者はひとりもいない。エッカート博士は、子供たちの中でも郡を抜いて賢い者を選び抜き、そのうちの何人かをこの任に当たらせることで、組織内の均衡を保とうとしたのだ。この場合大切なのは、超能力を持っているかいないかではなく、<超能力>を持った人間を効率よく駒として動かせられる上、『殺し屋ギルド』の内部事情に精通していることが求められる……また、彼らトップのやり方に疑問を持った人間に対しては<制裁処置>が容赦なく加えられることで、<殺し屋ギルド>という組織はこれまで悪の組織として成長を遂げてきたというわけだ。
 ヨーロッパの通貨がユーロで統一される方向へ動くことになったも、この裏の世界の力とはまったく無縁ではない。カイはユーロ紙幣の原版を盗むことを提案し、また実行へ移しもしたが、実際には原版などなくてもすでに、<殺し屋ギルド>の組織では偽札製造の技術が完成しているのだ……百パーセント木綿からできた紙幣に、すかし模様を入れる方法、さらに刻印箔にホログラム、視覚的に色が変わる特殊インクなど、ヨーロッパ中央銀行(ECB)の許可がなければ決して手に入れられないものすべてが揃っている。
 もっと言わせてもらうなら、中央銀行の偽札対策はカイの目から見てもセスの目から見ても甘いものだった。むしろ原版が盗まれたことで、自分たちの安全管理対策を見直す機会が与えられたことを感謝したまえ……そう言いたいくらいだ。なんにせよ、ユーロ紙幣の原版にしても世界の美術館の名画のかけ替えにしても、こうしたことは探偵ドヌーヴや<L>といった探偵が「どこまでやれるのか」をテストするためのものでしかない。カイやセスにしてみればちょっとしたほんの<お遊び>に過ぎないのだ。
(さて、カイ。君が選んだあのニアとかいう坊やは、どこまで僕を楽しませてくれるかな……)
 メアリ・リードことブリジット・ロベルスキーが、半ば押しきる形で家の中へ上がりこむ会話を聞きながら――セスはそう思った。あのジェバンニという人の良さそうな部下にしても、ロベルスキーの色香や強引さに負けるようでは、ドヌーヴの部下として相応しくはないだろう……そしてそんな人間をもし側近としてニアが置いているのだとすれば、彼の度量も大したものではないと、セスにはそのように思われる。
 ロベルスキーとジェバンニの会話の流れとして、彼女は強引にジェバンニ家の夕食を作ることにしたようだった。玄関ホールからリビングに続くドアが開け放されているので、話は今もセスの耳に丸聞こえである……だが、流石に少し聞きとりにくい部分があるので、セスは階段の上段のほうへ腰かけて、キッチンにいるジェバンニとロベルスキーの会話に引き続き耳を澄ませることにした。
「ぶーん」と、ニアが自閉症児を装って、おそらくはおもちゃの飛行機か何かで遊んでいる声が聞こえる……セスは思わず吹きだしそうになったが(彼は笑い上戸だった)、なんとか必死にこらえる。
 そして「あの、あまりそう体をくっつけられると、その……」などと、ジェバンニがまごついている様子の会話が聞こえた時――ピンポーン、とまたインターホンが鳴った。
(やれやれ。今度は一体誰かな?)
 玄関ホールからは、二階へ続く階段の下数段しか見えない。セスはそのまま階段上部へ腰かけたまま、訪問者が誰なのかを探ることにしようと思った――もしかしたら、今度こそセールスの人間かもしれないが。
「……リド……じゃない、どうしたんだ、ダイアン!まさか、本当に来てくれるとは思ってもみなかった!」
(おや……?)と、セスはまた喉の奥から笑い声が飛びだしそうになるのを、必死でこらえる。彼が前に見た資料によれば――ダイアン・ヴェルナーというのが、ジェバンニという男が離婚した元妻だったというように記憶している。
「ああ、あなた。わたしがいけなかったの。他の男に浮気心を起こすなんて、本当に馬鹿だったわ……でも、熱が冷めて相手の男と別れたら、あなたとニアが今どうしてるか、とても気になって。新しい引っ越し先の住所を教えてくれてありがとう。わたしが今日ここへくるのにどんなに勇気がいったか、ステファン、あなたならわかってくれるわよね?」
 ステファン、とファーストネームで呼ばれて、ジェバンニは思わずどきりとする。もちろん、演技とわかってはいても……。
「わかっているさ、ダイアン。じゃあ、これからは僕たち、ずっと一緒にいられるんだね?」
 ジェバンニは髪を赤く染め、ブラウンのカラーコンタクトで変装したリドナーと抱きあった。ジェバンニはワタリ所有のコンドミニアムに、ただなんとなくリドナーの様子を見にいっていたというわけではなく、一応仕事の打ち合わせもきちんとしていたのだ。
 リドナーは今日、変装した上でここに戻ってくる予定だったのだが、セスに続いて向かいの家に住むリード夫人までやってきたため、その報告をニアにするのが遅れていた。だがまあ、ニアならば何も言わずとも空気を読んでくれるはず……その絶対の自信がジェバンニにはあった。
「なんだかお邪魔なようだから、失礼させていただくわね」
 ブロンドの髪の、清楚、と呼ぶにはあまりに短いスカートをはいたリード夫人に、リドナーは挨拶しようとする。音声を変換するためのマイクロチップは装備してあるし、二時間かけたメイクで元の自分とは別人になれている自信が、彼女にはあった。
「あら、こちらどなた……?」と、リドナーはハスキーな声で戸惑いがちに言う。「もしかしてステファン、あなたの新しい恋人なの!?」
「いいえ、違いますわ。わたしはただの近所の者なんですよ。ジェバンニさんが家事とか色々大変そうだから――お節介かもしれないんですけど、時々お手伝いさせていただこうと思って、寄らせていただいてるんです。でも、これからはその必要もなさそうですわね」
「まあ。わたしがいない間に、主人がすっかりお世話になって……」
 どうぞよろしく、というようにリドナーが手を伸ばしても、リード夫人は握手しようとしなかった。そしてそのまま玄関へ行きかけて、彼女はそこで振り返る。
「うまく変装はできても、殺意までは消せなかったわね!」
 そう言いながら、ロベルスキーは小型の拳銃を胸元から取りだした。それは殺し屋特有の、無駄も隙もない動きだった。銃口はリドナーに向けられており、ロベルスキーはなんの迷いもなくその引き金を引いた。
「…………ジェバンニ!!」
 悲鳴に近い、ハスキーな女の叫び声が響く。咄嗟にリドナーの前にジェバンニが立ち塞がり、彼女のかわりに撃たれたのだ。
「くそっ!!」と、地に戻ったロベルスキーは、今度こそリドナーを殺すべく、彼女に向けて発砲しようとする――だが、突然体が動かなくなった。
「……………っ!!」
(まさか、これは……)
 その時、ロベルスキーの体の中で、唯一動かせるのは<眼>だけだった。彼女は金縛りにあったように動けないまま、階段から下りてくるひとりの青年の姿を認めた。いや、ありえない、と彼女は思う。組織のトップである人間のことは、ギルドの高級幹部である自分さえ名前も顔も知らないのだから……その人間が、今こんな場所にいるはずがないし、自分がいつも音声を変えた声で聞いている指示を――こんな年端もゆかぬ青年が出しているとは、到底思えないし信じられない。
「悪いことっていうのは、重なるものだねえ」
 セスはのんびりしたような声で言いながら、ロベルスキーの手から拳銃を取り上げる。
「君には失望させられたよ、ブリジット・ロベルスキー。残念だが、始末させてもらうしかないようだな」
 セスは自分が取り上げた銃を、リドナーの手に握らせた。このふたりの女の間にどんな確執があったのか、彼はもちろん知らない……だが、おおよそのところ見当はついた。ロベルスキーのいつもの常套手段のことを思えば、彼女は万死に値すると言わざるをえないことも承知している。
「……………」
「どうした?引き金を引かないのか?この僕の力はせいぜい持って十分か十五分ってとこだ。早く始末しないと逃げられると思うがな」
 リドナーが拳銃を握る手は、ジェバンニが肩に受けた銃弾の血で、赤く染まっていた……この時、リドナーの頭の中にはひとつの映像がフラッシュ・バックしていた。シエラレオネにある金山の天幕で、彼女の元婚約者、ヒュー・ブレットは死亡した。リドナーが駆けつけた時、拷問を受けた彼は虫の息だった……そして最後に、こう言ったのだ。一言、『すまない』と。
 その『すまない』という言葉が果たして、拷問でCIAの情報を洩らしてしまったことに対する「すまない」なのか、それとも恋人であった自分を裏切ったことに対する「すまない」なのかが、リドナーには今もわからなかった。ただ、今思うのは――ブリジット・ロベルスキーに対する復讐心により、自分は随分長く貴重な時間を無駄にしたということだった。こんなことは、早く終わらせなくてはならない。そしてロベルスキーという女がこの世に存在したこと自体、消してしまわなくては……。
「だ、駄目だ、リドナー……」
 リドナーがセスから差しだされた拳銃を握ろうとすると、ジェバンニは肩の傷口を押さえながら言った。
「もし君が彼女を殺しても、君の心は癒されないままだろう。方法が、間違ってるんだ……そんなことをしても、本当の意味では――君の心は決して晴れないと思う。それよりも……」
 ジェバンニは玄関ホールにある、コート掛けまでふらつくように歩いていき、そこにかかったジャケットの中から、手錠を取りだしている。
「逮捕して、警察に身柄を引き渡すんだ。こんな女……君が手を汚すまでもない女だったと、あとから裁判の様子を見ながら思ったほうが、どれほど得かわからない」
「………ジェバンニ……」
 リドナーはジェバンニから手錠を受けとると、フリーズした格好のままのロベルスキーに、手錠をかけた。そして後ろ手に手錠をかけた彼女のことをギリッと締め上げ、床の上へ思いきり叩きつける。
「終わったんですか?」
 リビングのドアのところで、様子を見ていた二アが、最後に締め括るようにそう言った。
「だから最初から、この作戦は危険だと言ったじゃないですか……まあ、リドナーの変装は上出来と思いますが、セスがいなければあなたは今ごろ死んでいました。それに、復讐心に駆られるあまり、危うく重要な被疑者を殺害するところでもあった……もしかしたらあなたには少し、休暇が必要なのかもしれませんね」
「ニア、わたしは……」
 確かに、タイミングが悪いといえば悪い話ではあった。最初の予定ではリドナーは、<ジェバンニとニアだけのいる家>へ戻ってくるつもりでいたからだ。まさか、セスという青年とロベルスキーがいるところへ鉢合わせることになるとは思ってもみなかった。ロスへ来てからというもの、ビバリーヒルズの小・中学校の転校生について調べるなど、地味な活動しかしていなかったリドナーにとって、いつも頭の中を占めるのはロベルスキーのことばかりだった。そして、自分もジェバンニやニアとともに向かいの家を見張るためには変装するしかないと思った。別人になりすます変装技術及び人格変換術については、ロベルスキー同様、リドナーもまたエキスパートであったからだ。
「なんにしても、済んでしまったことはとりあえず不問とします。とりあえず今は終わりよければすべて良し、ということにするとしましょうか……まずは救急車を呼ばなくてはいけませんね。ジェバンニの怪我の具合が心配です」
 リドナーは、フェンディのバケットの中から携帯を取りだすと、911をコールしようと思った――と、その時、またピンポーンとインターホンが鳴る。
「今度は一体誰ですか?」
 軽く溜息を着きながら、ニアがカメラの映像を見ると、そこには先ほどTVで見た少女とよく似た面差しの、白ずくめの女性の姿があった。派手なレースのついた日傘を差し、UVカットの長手袋をはめている……ニアはセスに視線を投げ、「あなたが呼んだんですか?」と、カメラの映像を指差しながら言った。
「いや、呼んだわけではないけど、まさかこんなに早く来るとは思わなかった」セスはそう言うなり、リドナーから携帯を取りあげている。
「もう、救急車を呼ぶ必要はないよ。君たちは本当についてるね」
 ニアは、その白ずくめのUVカット対策を万全に施した少女――エヴァンジェリカ・エヴァーラスティンのことを、玄関のドアを開けて中へ通した。すると彼女は、<まるで目が見えてでもいるように>一目散にセスに向かって駆けていき、彼に抱きついている。
「久しぶりね、セス。元気だった?」
「まあね。エリザベート・コンクール、優勝おめでとう……さっき、録画の放送をTVで見たよ。これから一年間はピアノ・リサイタルをしないって本当かい?」
「ええ。表向きは名声に踊らされず、これからもピアノ技術の研鑚を積むためってことにしてあるけど……実は全然違うの。もちろんあなたはそんなこと、とっくに知ってるわよね。あら?誰か怪我をしている人がいるのかしら?」
 腰まである長いプラチナ・ブランドの髪を揺らめかせて、エヴァは真っ直ぐに――失神して倒れているロベルスキーのことを、彼女は大股に跨いだ――ジェバンニの元へ歩いていった。そして傷口を押さえる彼の手をそっとどかすと、そこに白い長手袋をはめた手をかざす。
「……………っ!!」
 ニアは――そしてリドナーも――驚きに目を見張るばかりだった。ほんの数分彼女が手をかざしたままでいると、カラン、と何か乾いた音がして、血のついた銃弾が床の上へ落ちたからだ。
「血はもう止まったし、あとはまあ、少し休んだほうがいいわね。傷を治したあとの体は、とても疲れやすくなっているはずだから」
「あ、ありがとう」
 突然痛みが消えたことに、ジェバンニ自身が一番驚いていた。シャツを脱ぎ、撃たれた傷痕を眺めてみると、うっすらと表皮の部分が赤くなっているだけだった。セスの能力については、ジェバンニはよく理解していなかったが――彼の目には、単にロベルスキーが自分の意志で動かないでいるようにしか見えなかった――今度は違った。
「あなたはもしかして、ヒーラーなんですか」
 オカルト・ジェバンニは思わずそう聞いていた。ヒーラーというのは、簡単に言うとすれば「癒し手」であり、祈りの力などによって対象者の病気や怪我を治す者のこととを指す。もっとも、様々な宗教にその存在は見られ、中にはかなり怪しげな者も多いのだが……確かにそうした能力を持つ人間というのは、歴史的に何人も確認されてはいるのである。
「さあ、わたしにはよくわからないけど」と、淡紅色の瞳をきらめかせながら、エヴァは言った。「人は一般にわたしが持つ能力のことを、<超能力>って呼ぶらしいわ」
「えっと、じゃああなたは、<サイキック・ヒーラー>ということですね?ヒーラーっていうのはようするに、シャーマン的な能力を持った人のことで……<サイキック・ヒーラー>っていうのは、自分の生体エネルギーを他者に与えることで相手の病いなどを癒すんですが、<スピリチュアル・ヒーラー>というのは、どちらかというと守護霊や霊的世界の助けを借りて相手の怪我などを癒す人のことで……あ、ちなみに生体エネルギーっていうのは、一般にオーラとかレイキなどと呼ばれているものなんです。つまり、自分が持っているオーラを大量に人に与えることによってですね……」
「ジェバンニ」と、ニアはやや険しい声で自分の部下の名を呼んだ。「初対面の人にわけのわからないオカルト話をするのは、失礼だと思います。それはそれとして、そちらのビッチ――失礼。ロベルスキーのこともどうにかしなくてはいけませんが、リドナーがもし彼女のことを痛めつけたいなら今のうちです。警察には、取り調べの過程で怪我をしたとでもなんとでもいえばいいことですから」
「ああ、彼女とは僕も少し話をしたいんだが、いいかな」
 セスは、リドナーに手を貸して、気を失っているロベルスキーのことを立たせると、リビングの椅子に座らせた。床に顔をぶつけた時の衝撃で、彼女の美しい顔には痣ができていたが、リドナーは出来ることなら彼女に、自分の恋人、ヒュー・ブレットが受けたのと同じ拷問を受けさせてやりたかった。指を一本一本へし折っていくことにはじまって、麻酔なしの歯の治療……そして臨死体験のできる薬物の投与や硫酸によって皮膚を溶解させる拷問などなど。この女がこれまでゴードンと組んで何人もの人間に行ってきたことを――仮に直接手を下さなくても――彼女も味わうべきだとリドナーは思った。
 警察はあてには出来ない……何故なら、ロベルスキーには司法取引という強力な武器があるので、FBIもCIAもこぞって彼女が握る情報を買おうとするだろう。そう考えるとやはり、<正当な裁き>として、ロベルスキーには死ぬよりつらい目に合ってもらわないことには、リドナーは気が済まなかった。
「こういう時、カイがいてくれると助かるんだけどねえ」と、セスは溜息を着きながら言う。「組織に関して、知られるとまずい情報を消してから警察にでもどこにでも売ることができるからさ。もしそうできたとすれば、僕もあなたに協力できるんだろうけど」
 リドナーのほうをちらと見てから、セスはエヴァと向き直った。
「僕はこれから、少し汚いお仕事をしなくちゃいけないから、エヴァ、君は学校を見学にでも行っておいで。ルーとボーとティグランが、たぶん今ごろ放課後を過ごしてるはずだから……君が行けばきっと喜ぶだろう」
「ええ……あなたがわたしにここへいてほしくないと言うのなら、そうするわ」と、エヴァは頷いた。「そしてこの子がカイの選んだ子なのね。白銀に、少しだけ紫のオーラが見える……たぶん、カイと同じで少しプライドが高いのね。いいわ、セス。わたし、この子になら協力してあげても」
「君ならきっと、そう言うと思ってたよ」
(本当に、目が見えないのか?)ニアはそう思いながら、エヴァが自分の髪や顔を撫でるのを、ただ黙って見ていた。ニアはもともと人から触られるのが嫌いだったが、彼女からは不思議と嫌な感触を受けなかった。むしろ、何か清らかな波動に近い何かを感じる……ジェバンニはシャーマンと言ったが、確かに彼女には<巫女的な能力の何か>が備わっているのだろうと、そんなふうに感じる。
「大丈夫なんですか、彼女?」
 ニアはエヴァがまるで目が見えているように、真っ直ぐ玄関へ向かい、外へ出ていってからセスにそう聞いた。
「大丈夫って、何が?」と、セスはとぼけたように首を傾げている。
「だって……目が見えないんでしょう?ここからビバヒル高までは歩いて五分くらいの距離ですが、盲人にはとても遠く感じられるはずです。それなのに、ひとりで……」
「ああ、<超能力>があるのが当たり前の暮らしをしてると、つい忘れちゃうんだけど――まあ、エヴァのことは心配いらないよ。彼女は確かに目は見えないけど、そのかわりに<超感覚的>なものの見方ができるんだ。どこにどんなものが置いてあって、そこにどんな人がいるか、目は見えなくてはエヴァにはきちんとわかっている。最初に見た瞬間に<直感像>が思い浮かぶんだ。もっともそれは、僕や君が感じてる世界とは次元が一段階上のものみたいだから――僕たちが普段<認知>している映像を越えた、別の世界といえるだろうけどね」
「なるほど。では、彼女が学校へ向かう五分の道のりの間に、引ったくりにあったり、通り魔に襲われたりする可能性は低いとみていいですね」
「まあ、そういうことになるかな?じゃあまあ、ここからはリドナーさんの好きにするといいよ……とりあえず僕は黙ってみてる。一応彼らのしてることには、僕らも無関係とは言いがたいから――多少は責任も感じるし」
「ニア、彼は一体……?」と、リドナーが言った時、ロベルスキーが目を覚まして、うなだれた顔を微かに上げた。左右対称といっていい、整った顔立ちが、痣の存在によって不様に崩れている。
「この、売女が!!」
 右や左に、リドナーが平手打ちを食らわせるのを、ジェバンニはまるで衝撃を受けたように立ち尽くして見ている……いつものどこか上品で、気品のあるリドナーからは到底信じられないほどのスラングが、次々と彼女の口を突いて出てくる。
「ハッ!!あんた、まだあんな男と自分の過去に拘ってんのね。っていうことはようするに、あのチンケな男があんたにとっては今も最高の男だってこと!?あんな男、ベッドのテクニックは最低だし、顔と頭がいいだけの、自己中野郎じゃないのっ。あんたはね、本当はあたしに感謝すべきなのよ……ヒューは自分よりも、ハル、あんたのほうが能力が上なんで――そのことが面白くないっていうのが、もともとあたしと寝た理由よ。そんなことも見抜けないで、何がCIAのエージェントよ。笑わせるんじゃないわよ。あたしには最初からわかってたわ――この男は同じ職場の恋人に、コンプレックスがあるんだってね。そこにつけこませてもらったのは確かだけど、あいつが誘惑に負けたのは、結局自分自身に問題があったからなんだって、頭のいいあんたになら、すぐわかると思ってたわ!」
「この……っ!」
 ヒュッ、と、もう一発殴ろうとしたリドナーのその手を、ジェバンニが止める。
「もう、そのくらいでいいだろう?この人の顔には痣もできたし、君が殴ったせいで口も切れている……このあと百回鞭を加えたところで、リドナーが冷静になれないのはわかるけど、そんなのは意味のないことだ。それとも、君は彼女が手足の骨でも折れば、ようやく満足できるのか?」
「……わからないでしょうね、あなたには」リドナーはジェバンニの手を振りほどきながら言った。「ブリジットはもともと同僚だったし、あたしの親友でもあったの。仕事がオフの時には、一緒にショッピングへ出かけたり、家の庭でバーベキュー・パーティをしたりしたわ……当然、恋の打ち明け話をして、夜明けまで盛り上がったこともある。CIAなんていうストレスの多い職場で、彼女はわたしが心を許せる数少ない友人のひとりだったの。わたし、ヒューのことなんかより、友達として彼女のことのほうがずっと好きだったわ……だから、わたしが一番許せないのは、そこなのよ!」
 バシッ!と、リドナーはロベルスキーの顔のかわりに、マホガニー製のテーブルの天板を叩いた。彼女の瞳の中には涙があった。だが、ジェバンニはリドナーのことをどう慰めていいかわからず、ただぼりぼりと自分の頭をかくことしか出来ない。いや、せめてニアとセスの目さえなければ、何か少しは気の利いたことを言って、彼女を抱きしめることができそうな気もするのだけれど……。
「さてと、女同士の修羅場は、こんなところでいいのかな?じゃあまあ、次は僕から少し、ロベルスキーにいくつか質問をしよう」
 セスがそう言うと、リドナーに対するのとは全然違う態度をロベルスキーが取ったのが、ニアにはわかった。手錠を後ろ手にかけられて椅子に座らされている彼女は、当然ほとんど身動きができない――だが、ロベルスキーは明らかに、自分より一回り以上年下の青年を怖れ、なんとか訊問を逃れようと身をよじっているのだった。
「質問その一。君は<殺し屋ギルド>に入ってから、実によくやってくれたと僕は思う……もともとは君は、とても優秀なCIAのエージェントだった。1990年代はおもに中東と南米が君の表舞台だった。でもまあ、冷戦終結後はね、中東にある支局にCIAはそんなに人員を割いたりしなかったんだ。そして9.11.を迎えて、そこでようやくもっとああしておけばとか、こうしておけばってバタバタしだしたのを見て――有能な君はこう思っただろうね。自分が地道に諜報活動を行った報告書に、上層部が耳を傾けて当時から手を打っておけば……いまのような泥沼的な局面を迎える前に、中東との関係はどうにかできたはずだって。まあ、君も知ってのとおり、知りあいなどほとんどいない外国で、君のようなハードケースオフィサーが地道に諜報活動した報告書を上層部がろくに検討もせず捨てるってことは、実際よくあることさ。そして南米コロンビア――君はここで、麻薬の流出ルートを探るうちに、<殺し屋ギルド>の支部がそこにあることを知る。ゴードンと知り合ったのはそこだ。彼は君がCIAのエージェントと知っても見逃し、その見返りとして……CIAの内部情報を自分に与えるよう指示したわけだ。君はおそらくそこで、内部で手柄の取りあいをしているCIAのクソ野郎どもには見切りをつけて、秩序ある悪の世界に魅せられたっていうことなんだろうね。違うかな?」
「イエス、サー」と、兵士が上官に使う言葉遣いで、ロベルスキーは大人しく言った。「CIAの諜報活動に命など賭けても無意味と思ったわたしは、むしろゴードンのやり方に惹かれました。彼は確かに冷酷で、情け容赦ありませんが、コロンビアで作られた麻薬はそのほとんどがアメリカに流れているんです……わたしはゲリラ活動を行っている者たちが、その麻薬をアメリカに売ることで資金を得ていることを当然知っていましたし、<殺し屋ギルド>という組織がその仲介にあたっていることも、情報として知っていました。ゲリラの兵士に捕えられ、わたしがゴードンの元まで連れていかれた時――「CIAは君の命を助けにこないが、君が我々の仲間になるのなら、君が危なくなった時にわたしは君を見捨てない」と言われたんです。CIAのエージェントは、身分や名前を偽って、長く異国の地で暮らして諜報活動を行うわけですが……いくら熱心に諜報活動をし、精密な報告書を書き上げたところで、手柄の奪いあいをしているような上層部の連中はその報告書を十分生かせないという現状がある。それはもう、明白なことでした。ですからわたしはむしろ、個人的に好意を持てる人物についていくことに決めたんです」
「なるほど。では質問その二。君は、ミッシェル・ゴードンという男のためなら――死ねるかね?」
「イエス、サー」と、ロベルスキーは静かに言った。「彼は裏切り者のことは容赦なく殺しますし、目的を達成する時にも手段を選ばない人間ですが、わたしは彼のためなら死ねますし、誰のことをも殺せます」
「じゃあ、CIAが非合法に君をどれだけ拷問しても、ギルドのことは外には洩れない……そうわたしは判断しよう。僕の顔を君に見られたことは計算外だが、僕もいつまでも今の役職に留まっているというわけではないんでね。まあ、いいだろう。だが、最後に個人的に興味がある、というわけではなく――そちらの君の元友達に納得してもらうために、ロベルスキー、君が何故そんなにゴードンに忠実なのかを教えてもらえるかな?」
「それは……彼がわたしを抱かないから、そして決して女として見ないからです」
 ロベルスキーは最後にそう答え、リドナーと正面から視線を交わした。その瞬間に、リドナーは心のどこかで惨めな敗北感を味わった……表面的にはロベルスキーは手錠に繋がれ、形勢が逆転したように見えるが、<善>とか<悪>といったようなこととは関係なく、自分は<信念>において彼女に負けたのだと、リドナーはそう思った。
 それに引き換え、恋人を寝取られたくらいでいつまでも騒いでいる、狭量な女……自分のことをそう考えると惨めだった。ブレットの仇を必ず討つと心に誓いながら生きてきた日々も虚しく思える。だがそれでもやはり、ロベルスキーがヒューにしたことは許せない。
「あなたたちは彼に……原子力発電所の設計図がある場所を聞こうとして拷問した。それで、彼はそれを喋ったの?そしてそんなもの、一体あなたたちはどうしようとしていたの?」
「さあね。わたしも知らないわ。わたしたちはただ、理由も知らされずに言われたとおりに動くだけよ。ヒューの管轄のひとつがその時、アゼルバイジャンだったから――ようするにバクーの油田や天然ガスの関係だったんじゃないかしらね。原発からプルトニウムを盗んでパイプラインを放射能で汚す……そうすれば、どこかの国が得するってことよ。もっと言うなら、アゼルバイジャンのバクー、グルジアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCラインが完成すると、非常に都合が悪いと考えた人間がいるってことね。ゴードンは<殺し屋ギルド>のロシア・モスクワ支部の人間から何かを相談されたらしいけど、結局ブレットが何も喋らずに死んだから、その計画はお流れになったみたいよ」
「セス、あなたはこのことを?」と、ニアは彼に聞いた。流石にずっと立ちっぱなしで疲れてきたので、ロベルスキーの斜め向かいにある椅子を引き、そこに腰かけることにする。
「初耳だけど、そんなようなことはギルドじゃ日常茶飯事だから」セスはなんでもないことのように、肩を竦めている。「君が我々の組織をどう考えているか知らないけど、僕は――というか、僕たちはこれまで、あくまでも全体的な組織の見取り図を見て指示を出していたに過ぎないんだ。まあ、ようするにバランスだね。要所要所で必要な指令は出すにしても、普段のギルドの活動には一切関与していない。ただ、彼らが困った時に超能力者の力を適材適所に配置するっていうそれだけのことだ。もしかしたら君にはわからないかもしれないけど、このことには絶大な効力がある……困った時には必ず組織のどこかに救世主が現れて救ってくれる、それが<殺し屋ギルド>の各支部を繋ぐ絆であり、実際にその『奇跡』を見た人間は組織への忠誠を新たにするというわけだ……そんなふうにしてこれまでギルドって組織は歴史の影で暗躍してきたんだよ」
「なるほど。わたしの中でも大分不明だったピースが埋まってきたように思います。<殺し屋ギルド>の下っ端の人間――あるいはマフィアの大物が捕まった時にも、彼らは自分たちよりも『上』の人間について、共通して曖昧なことを言っています。ギルドの伝説として、十二人の人間がトップにいるというのは、あくまでも概数ですね?つまり、交渉係や資金窓口係の他に、組織には常に十人前後の超能力を使える者たちが存在した……それを彼らが伝説として信じているのが不思議でしたが、パイロキネシスやテレキネシス、瞬間移動……そうした力を一度でも目の当たりにした人間であれば、その時のことをいつまでも覚えていて部下たちに語り続けるでしょうからね。そしていざとなったら自分たちのバックには頼れる<超能力者>が存在するということは――組織の指揮を高めると同時に、逆に裏切ればその制裁が自分の上に下るこということでもあるわけですから、ギルドの秘密保持にも大いに役立ちます。ところでセス、あなたはロベルスキーやゴードンの上司なわけですが、このまま彼女のことを警察へ引き渡して本当に構いませんか?」
「そうだな。まあ僕が君に協力するということになった以上、やむをえまいよ。僕としては出来れば、ゴードンを逮捕してもらって、ロベルスキーのほうをアメリカ支部のトップとして残したかったんだが……いずれにせよ、カイが死んだ今、僕はもうギルドの運営にはあまり興味がなくてね。今のまま、ソニアが実権を握り続けるなら、いずれ<殺し屋ギルド>という組織は分断され、悪が悪を食いあうような状態になるだろうが――カイとふたりで相談しながら事を決めるのがゲームみたいに楽しかった僕としては、彼亡き今、正直いって何がどうなろうが知ったことじゃないって心境なんだ」
「そんな……では、あなたさまはわたしたち組織に忠誠を尽くした人間を見捨てるっていうんですか!?」と、ロベルスキーが目を剥いて言う。彼女がギルドに入って以来、『上』の指令は絶対であり、その計画に誤りがあったことなど、ただの一度もなかったからだ。
「悪いけど、まあそういうことになるね。むしろ生かしておいてもらえるだけでも、君はラッキーだ……いや、アンラッキーとも言えるかな?僕は最後にゴードンに、君を絶対助けないよう指令を出すつもりでいるからね。ロベルスキー、これまで本当にご苦労だった。君は今、CIAにもFBIにも一切情報を洩らさないつもりでいるんだろうが――何より、ゴードンのために――むしろ、すべてとは言わなくても、多少ゲロって刑を軽くすることをお勧めするよ。何故なら数年が数十年か、いずれにせよ君の出所後、ギルドに君の座るべき椅子はない……まあ、そういうことだ」
「そんな……っ!!」
 ロベルスキーががっくりとうなだれているのを見て、リドナーは初めてこれで、<正しい刑が執行された>のだと感じた。何故なら、かつて彼女がリドナーの「生きがい」や「愛する者」を奪ったように、たった今目の前で同じことが成されたのを見たからだ。そうなのだ――実質的に、ヒューよりもリドナー本人よりも、CIAのアナリストとしてロベルスキーは能力が抜きんでていた。彼女がCIAを裏切ったのも、結局は自分の能力を活かしきれない現状に不満を覚えたことが原因だったことを思えば……もはや刑務所に服役中も服役後も、ロベルスキーの心にはなんの希望も見えないだろう。かつて、自分がヒューを失った時と同じように、そこには闇以外の色は見えないに違いない。そして彼女がミッシェル・ゴードンという重犯罪人を愛しているのだとすれば、その彼との絆も、これで絶たれることになるのだ。何故といって、ロベルスキー自身がゴードンに忠実であるように、ゴードン自身もまた『上』の指令には絶対に聞き従うであろうからだ。
「まあ、なんにしてもロス市警にはメロ――わたしの仲間から出来れば連絡をとってほしいんですよ。彼はこれまで何十件もの事件を通して、当局にコネクションがあるのでね……すみませんがリドナー、そんなわけで学校にメロのことを迎えにいってもらえませんか?」
「それは構いませんが……」きついウェーブのかかった赤毛を、後ろ手に縛りながらリドナーは笑った。「これで彼も学校に通うなんていう退屈事から救われるというわけですね」
 ジェバンニは、リドナーが微笑んでいる顔を見てほっとした。そう、彼女には復讐に燃える赤黒い心などよりも、笑顔のほうがよほど似合うと、ジェバンニはそう思っていた。一時はどうなることかと思ったけれど、彼女が引き金を引いてロベルスキーが死ぬということが、復讐の幕引きにならなくて本当によかったとそう思う。
「じゃあ、肩の傷も治ったことだし、僕も一緒にいきますよ」
 ジェバンニがそう言った時――またもピンポーン、とインターホンの鳴る音がした。ロベルスキー以外、全員が顔を見合わせる……「今度は一体誰だ?」と、その目は互いに語っていた。
「こちらから呼ぶまでもなく、ロス市警の方がおいでくださったようですね」ニアはカメラの映像を見ながら言った。ジェバンニが通りを見ると、警察車輌が二台、そこに止まっているのが見える。
「まあ、銃声で近所の人がたぶん、通報したんでしょうが……ついでですから、軽く事情を説明してロベルスキーの身柄を引き渡しましょう。リドナー、最後に彼女に何か言いたいことはありますか?」
「いえ、何も……」と、リドナーは首を振った。「ただ、拳銃の引き金を引いて、簡単に復讐心を満足させなくて良かった、そう思っているだけです。わたしが本当に見たかったのは、彼女が死ぬより苦しいどろ沼を這いずりまわることでしたから……これからおそらくそうなるであろうと想像しただけで、自分の過去を断ち切れるような気がします」
 その言葉を受けて、ロベルスキーはリドナーと正面から瞳と瞳を見合わせた――一瞬、火花が散りそうなほどの見えない電流が、ふたりの間を流れたように感じる。
「ひとつだけ、最後にあんたに言っておくわ」ジェバンニが玄関で警官と話をしている間に、ロベルスキーは立ち上がりながら言った。「嘘だと思ってくれていいけど……あたしはあんたのことが好きだった。もしそれが<仕事>じゃなかったとしたら――ヒューと寝たりもしなかったでしょうね。リドナー、あんたもCIAで似たような仕事を何度もしてきてるからわかるでしょうけど……あたしがあんたとショッピングしたり食事をしたりした、その時間のすべてが嘘だったってわけじゃないのよ。わたしもあんたと色々な時間を共有できて心から楽しいと思ったことは何度もあったわ。あんたがもしあたしを殺したいほど憎んでいても、あたしはあんたを嫌いってわけじゃない。まあ、これからもせいぜいお仕事がんばってって、そう言いたいわ」
「そうね。わたしもCIAの元同僚から、これからあなたがどういう処遇を受けることになるのか、逐一報告してもらって高見の見物をさせていただくとするわ」
 ブリジット・ロベルスキーとハル・リドナー、ふたりの因縁はここで鎖の輪が法の鉄槌で破壊されることにより、幕を閉じることになった。ロベルスキーはその後、いくつもの第一級殺人罪で起訴されるも、その件についてはこれから数十年もの間、裁判所で審議が重ねられることになる……もっとも、ロベルスキーの身柄はCIAとの取引により、刑務所の外の自由な牢獄――ラングレーCIA本部の地下へ置かれることになるのだが。そして彼女は長くそこで過ごし、限定された自由を得るかわりとしての労働力を提供することになったというわけだ。すなわち、ロベルスキーがもっとも嫌ったCIA上層部の犬として、優秀な分析官として働きつつ、飼い殺しにされることなったのである……彼らが必要な情報を得る際の<切り札>として。
 だが、そんなロベルスキーをある日、不幸が見舞う。ヴァージニア州の刑務所で、ある朝彼女は心臓発作を起こして死亡することになるのだ。もっともそれは、一般にマスコミ向けに公開された情報であって、彼女は自殺したのだとも、昔の仲間が彼女をCIAの地下から救ったのだとも、あるいは情報を引きだすための拷問の最中に死亡したのだとも言われおり、今も事の真相のほうははっきりしていない。



【2008/09/19 06:05 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(17)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(17)

 全身の打撲の痛みのせいもあり、もう何がどうでもなんでもいいような、メロはそんな気持ちだったわけだが――次に目を覚ました時、最初に視界に映ったのがニアの顔だったことには驚いた。この世で一番見たくない奴の顔を寝起きに見なければならないほど、普段自分は素行が悪いだろうかと、疑問にさえ感じる。
「メロ、大丈夫ですか!?」
(おまえに言われたくねえな)
 そう言おうとして、メロは言葉が喉から出てこない。だが、折られたはずのあばら骨のあたりを庇うように身を起こそうとして、あることに気づく――まるで痛みがないのだ。
「……ニア、俺はおまえまでこの家に招待した覚えはない」
 しかも、今メロがいるのはロスで自分が自宅にしているワタリ所有のコンドミニアムだった。(一体、何がどうなってる……)上体を起こした瞬間に、くらりと眩暈を覚えて、メロは右手で額のあたりを押さえた。
「まだ、もう少し休んでいたほうがいいわ」
 さらに、黒ずくめのメロの寝室には、見知らぬ少女までいる。すらりと背の高い美少女で、ニアと同じプラチナ・ブロンドの髪に赤い瞳をしていた……(この女、色素欠乏症(アルビノ)か)と、一目見てメロはそう思った。アルビノとは、先天的なメラニンの生合成に支障をきたす遺伝子疾患であり、メラニン色素の欠乏により肌が異常なほど白かったり、眼底の血液が透けて見えるために瞳孔や虹彩が赤く見える症状を持つのが特徴である。もちろん、その疾患には個体差があり、髪の色も銀髪の他に金髪、瞳の色は無色・淡青色・淡褐色などの場合もある。これらは生まれつきのものであって、非進行性ではあるが、皮膚で紫外線を遮断できないので、紫外線に対する耐性がアルビノの症状を持つ者は極めて低いのである……ようするに、普通の人間より皮膚ガンになる確率が高いといえば、わかりやすいかもしれない。
「この女、もしかして……」
 と、メロは彼女がフード付きの白い装束を着ているのを見て、あることに思い当たる。そうだ、この白い衣裳には見覚えがある、とメロは思った。例のルーヴル美術館でフェルメールの『レースを編む女』を本物そっくりの絵とかけ替えた人間……あの白い後ろ姿と今目の前にいる少女の姿とが、メロの脳裏では重ね合わさる。
(ということは、この事件は結局、ニアが俺より先に解決したってことか)
 それなのに、あばら骨まで折った上、こんな惨めな姿をニアの奴にさらすことになるとは……メロは、この時なんだか本当に何もかもを放りだしたいような気持ちになっていた。体育館で自分が気を失ったあと、どうやってここまで運ばれたのか、ニアの奴が何故ここにいるのかといったようなことも、もうどうでもいい。アルビノの少女が「もう少し休んだほうがいい」と言ったとおり、このまま死んだように眠りたいとさえメロは思った。
「メロ、あなたが彼女――エヴァのことを見て、何を真っ先に考えたのか、わたしにはわかります」
 ニアは髪の毛を指で巻き取りながら、ベッドの傍らの椅子に座ったままで言った。エヴァ、と呼ばれた少女は、軽く微笑むような表情で、ベッドサイドに腰掛けている。
「今回のわたしとあなたとの勝負は……まあ、引き分けといったところじゃないでしょうか。メロはビバリーヒルズ高校に潜入し、アリス・リード、ルーク・フォスター、ジョシュア・サイズモアといった超能力者たちの存在を明らかにし、さらには彼らの持つ能力を使わせることにも成功しました。そしてわたしは、カイ・ハザードと彼の死ぬ間際にした約束の見返りとして――セス・グランティスという青年から、彼らの仲間の情報となるものを得ました。もっとも、セスはもったいぶっていて、なかなかすべてのことを話してくれないんですけどね……まあそんなわけでわたしたちのこの勝負は<引き分け>っていうことでどうですか?ここからはお互い、協力しましょう」
(そうだな、なんて誰が言うか)
 メロはそう思いながら、ふて寝するようにベッドの中へもぐりこんだ。目の前にいる少女のことといい、確かに聞きたいことは山ほどある……だが、敗北の烙印を押されるように、そうしたことをニアの口から色々聞かされるのは、メロにとって屈辱以外の何ものでもなかった。
「ニア、本当にまだ、彼のことは休ませてあげたほうがいいわ。傷口や痣の痛みはないでしょうけど、オーラの力を使って癒しを行うと、その分体に負担がかかって、睡眠が必要になるの……大体一晩も眠れば、すっかり良くなるとは思うけれど」
「ちょうどいい時にあなたが来てくれて、本当に助かりました。メロ、次に目を覚ましたら、あなたも彼女に一言お礼を言ってください」
「……………」
 当然、メロは何も答えずに、黙ったままでいた。ニアとエヴァが寝室から出ていくと、メロは欠けた記憶のピースを補うように、推理を組み立てはじめる。
(オーラの力で俺の傷を治しただって?もしそれがあの女の特殊能力だっていうんなら、他に瞬間移動能力者がいるってことになる……いや、何しろ<超>能力者だからな。ひとりにひとつの能力のみが現れるとは限らないのかもしれない。なんにせよ、ルークとジョシュアの力についてはよくわかった。あんなものを見せられた以上、何が起きてももう驚くかっての)
 メロがだるい体で何度も寝返りを打ちながらそんなことを考えていると、二度ドアをノックする音が響いて、誰かが入ってくるのがわかった。(まさか、またニアの奴じゃないだろうな)そう警戒するあまり、メロは寝たふりを決めこもうかと思ったが、ギシリ、とびっくりするくらいベッドが片側に傾いだので――そこにいるのが誰なのか、すぐに見当がついた。
「ジョシュア……いや、本当はボーっていうんだっけ」
 メロは体を起こすと、ベッドの革の背もたれに上体を預けるようにして座った。ジョシュア……いや、ボー・グランティスは、突然起き上がったメロに驚いたようだったが、次の瞬間にはしゅんとした表情に戻って、自分の両方の指を交互にいじっている。
「僕……またいけないことしちゃった。学校では<力>を使っちゃいけないって、シュナイダー博士にも言われてるのに。でも、メロを助けるにはああするしかなかった……さっき、ニアから色々なことを聞いたんだ。メロが、僕たちの超能力について調べるために、僕やルーやティグランに近づいたんだって……それ、本当?」
「そうだな、確かに本当だ」と、メロは答えた。「だが、さっきは助けてくれて、本当にありがとな。もしジョシュア……いや、ボーが俺のことを今も友達だと思ってくれるなら、俺にとってもおまえは友達だ。なんだか調子がいいみたいだが、それじゃ駄目か?」
 メロがそう言うなり、ボーの顔がパッと明るく輝いた。彼にとっては、学校へ通って得た唯一の成果と呼べそうなものが……メロの存在だった。あのあと例のブタとイノシシの双子――オズワルド兄弟――は、ボーがひとりきりのところを狙って仕返しをしてきたが、その時にもメロは、彼らふたりの頭をゴミ箱の中に突っこんで、彼のことを守ってくれたのだ。その気持ちのすべてが嘘だとは、ボーにはとても思えなかった。
「良かった。僕にとってメロは、<外>の世界で出来た、初めての友達なんだ。僕、難しいことは何もわからないけど、セスが僕たちはもう仲間のようなものだって言ってたから、きっとそうなんだと思う。じゃあ、これからもよろしくね」
 ボーが丸まっこい手を差しだしてきたので、メロは彼と握手した――<仲間>……メロの頭の中でもようやく、すべてのことが一本の糸として繋がった感じだった。
「なあ、俺は一体どうやってここまで運ばれてきたんだ?あのあと何があった?ルーク……いや、本当はティグランか。あいつは今どうしてる?」
「ティグランは……研究所のほうに帰ったよ」
 ボーはどこか寂しそうな、暗い表情になりながら言った。
「メロと仲間になるのはどうしても嫌だって……それくらいならヴェルディーユ博士の下で働いてたほうがいいって言うんだ。でも、そのうちきっとルーがティグランのことを説得してくれると思う。ルーはね、小さい時に僕やティグランに辛抱強く読み書きを教えてくれた子なんだ。僕はルーのこと、とっても尊敬しているの。でも、ティグランはもっと親密な、恋人みたいな関係になりたいんじゃないかな。そしてルーはきっとメロ、君のことが好きなんだと思う」
「……………」
 ルー=アリス・リードというのは、もはや聞くまでもないことだった。ここに至ってメロは、あるひとつの可能性に気づく。アリス・リードがどういった種類の超能力を持っているのか、それは定かではないにしても……もし彼女がテレポーターだったとしたら、ここに自分を運んだのは、アリス・リードことルーという少女なのではないだろうか?
「ここへ、俺のことを運んだのは、もしかしてアリス……いや、ルーなのか?」
「うん、そうだよ」と、ケロリとしたように明るく、ボーは答える。超能力があるのが当たり前という環境で育ったとすれば――むしろ彼の反応は至極当然のものだったかもしれない。「僕、カフェテリアでティグランが「話がある」ってメロに言ってたのを聞いてたから……きっとルーのことでなんだろうなって思ってたの。それで放課後体育館へいったら、案の定ティグランが念動力でドアを閉めてたから、これは絶対に何かあると思って、ルーのことをジェシーに頼んで探してもらうことにしたの……そして彼女が見つかったら体育館へすぐ来るように言ってもらうことにしたんだ。で、そのあとすぐに僕は体育館まで戻ってきて、<力>で扉を破ったっていう、そんなわけ」
「……ボーのあの力は、一体なんなんだ?ルークの奴の力が念動力っていうのはわかるが、バスケットのリングやボードを支える鉄が全然別の塊みたいになってた。あれに比べたらユリ・ゲラーのスプーン曲げなんぞ、赤ん坊の曲芸みたいなもんだろうし」
「僕が気持ち悪い?」
 ボーは、自分の手元に目を落とすと、また指をいじっている。彼の両手の爪はすべてボロボロだった――<力>を使って物を壊すと、ボーはその後決まって自己嫌悪に陥り、自分の爪を噛んだり皮膚を引っかくといった自傷行為を繰り返してしまう。それでも、カイがいた頃はよかった。彼がその度にボーを催眠状態に陥らせて、自分の自己嫌悪の感情を取り除いてくれたから……でもこれからは、自分の行動についてはすべて自分で責任を持たなければならないと、セスにも言われている。
「気持ち悪くはないが、あの力で骨を折られでもしたら、笑ってもいられないのは確かだろうな。ルークにボールであばらを折られたのは、流石にキツかった」
 メロがティグランのしたことを根に持つでもなく笑っているのを見て、ボーはほっとする。やっぱりメロはいい奴だと、ボーはあらためてそう思った。
「安心して、メロ。僕はこの力を人を傷つけるために使ったことはないから……物を破壊するために使ったことは何度もあるけどね。僕は自閉症で、五歳になるまで一言もしゃべれなくて、とにかく目の前にあるものをすべて破壊してまわるっていう、そんな厄介な子供だったんだ。僕の弟のセスも自閉症だったけど、弟はどっちかっていうと大人しくて、自分の殻に閉じこもってる感じでね……でも僕が物を壊してまわったのは、<音>を感じたかったからなんだ。そのあとも言語を使っては人とコミュニケーションをとれなかったけど、唯一教会の聖歌隊で歌うことだけはできた。十歳の時に戦争で――というのも、僕がいたのはコソボだったから――セルビア人の民族浄化の犠牲になりそうだった時に、僕は初めて自分のこの<力>を使ったんだ。セルビア人兵士が持ってた銃をすべて、重力でひしゃげさせて、使えないようにしてやった。つまり、僕が持ってる力ってのはそういうことさ。感覚としては、重力でプレスするような感じっていうのが一番近いのかな……僕、言葉で説明するのが上手じゃないから、うまく言えないけど」
「いや、十分すぎるくらい、よくわかったよ」と、メロは感心したように言った。「だが、五歳まで話せなかったにも関わらず、そのあと歌は歌えたんだろ?歌が歌えるっていうことは、読み書きが出来るっていうことに繋がらないのか?」
「んー……そうだね。僕が持ってたのはようするに、反響言語ってやつなんだ。これは、僕がベッテルハイム孤児院でエッカート博士に教えてもらったことなんだけど。つまり、誰かが言った言葉をその意味はわからないけど繰り返すとか、歌についてもおんなじなんだ。僕は当時、賛美歌の歌の意味なんて全然わかっていなかった。ただ歌のリズムが気持ちいいから同じように繰り返すっていう、それだけでね……ただ、まわりの人が僕の歌がとてもうまいって褒めちぎってくれるのが嬉しくて、意味もわからず歌ってたっていうのが正しいんだけど。でもルーが本当に辛抱強く僕に<言語>を教えてくれたから、それで自分の歌ってる歌詞の意味がわかるようになったんだよ。ルーは今も僕にとって、尊敬するお姉さんみたいな人なんだ……だから彼女には心から幸せになってほしいって、そう思ってる。ルーがメロのことを好きなら、ティグランには悪いけど、メロにも彼女のことを好きになってほしいんだ」
「……………」
 メロはやはりここでも、またベッドの中へもぐりこみたいような気持ちになっていた。作戦的なことでいえば、やはりラスと寝たのは失敗だったのだ。何より一時的な感情の発作のようなもので、仕事に絡んだ人間と特別な関係を持つのはタブーだと、あらためて思い知らされる。
「あのな、俺もよくは知らないが、人間ってのは恋をすると脳からなんとかいうホルモンが分泌されるらしい。ようするに生理現象みたいなもんなんだろう……だから、アリス……いや、ルーもそのうちこれはただ脳内でホルモンがおかしくなってるだけだって気づくんじゃないか?そんなことよりも、俺はチョコレートのほうが……」
(よほど大事)、と言いかけて、不意にナイトテーブルの上にチョコレートが置いてあることに、メロは気づく。もしかしたらニアの奴が持ってきたのかもしれない――そうメロは思ったが、誰が冷蔵庫から持ってきたにせよ、チョコそれ自体に罪はない……自分の今の居心地の悪さをごまかすみたいに、メロはナイトテーブルに手を伸ばすと、銀紙をはがしはじめた。
「そうかなあ。僕は<恋>っていうのは、それ以上の何かっていう気がするけど……うちの施設ではラスって子とカイが恋人同士で、ラスはもうカイに首ったけだったの。でもカイは寿命がきて死んじゃって、それ以来僕、ラスには会ってないんだよね……きっとすごくショックを受けてると思うんだけど」
「じゃあ、ラスはまだロスに来てないのか?」パキリ、とチョコレートを齧りながらメロは言った。
「えっとね、近いうちにロスの研究所で僕たちの<力>を、アメリカ政府の偉い人たちに見せることになってるんだけど、その時までには来るんじゃないかな。何しろ、彼女はイラク戦争の影の功労者だもの」
「……………」
 正直いって、今の時点でラスが自分の側につくのか、それともヴェルディーユ博士の側につくのか、メロにはよくわからなかった。ニアの首を彼女に与えるという約束は確かにしたものの、状況が今のようになってしまえば、それも無効といったところだろう。何しろカイ・ハザードという男が遺言として、自分が死ねばかわりの者がニアの元へいくと言い、実際にその「時」がやってきたわけだから……。
(やれやれ。どうやら俺は文字通り骨折り損という奴をさせられたらしいな。状況がどうなってるのか、今の段階ではいまいちつかめないところもあるが……全体として、<L>にとっては悪くない流れだろう。あとのことは、ニアの奴がセスって奴とうまくやるってことだ。そうなれば俺にはもう関係ないともいえるな)
 メロはチョコレートを食べ終わると、銀紙をくしゃくしゃにして屑篭に捨てた。そして、ボーに眠くなってきたと言い、ベッドの中へもぐりこんだのだが――彼は子守歌がわりに、綺麗なボーイソプラノでウェルナーの『野ばら』をそっと歌いはじめたのだった。
 ボーの歌声はほとんどプロ級といってよく、単にメロが眠ろうとしているために声量を抑えているだけで、実際にはウィーン少年合唱団へ入れるほどの技量があるのではないかと、メロは思ったほどだった……そして、ドイツ語の歌詞が、野に咲く小さな薔薇を少年が手折ったところで――メロは安らかな眠りの世界へと、誘われるように落ちていったのだった。



【2008/09/19 05:51 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(16)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(16)

 メロはその日、学校のカフェテリアでルーク・フォスターに「話がある」と言われていた。
「俺に話?」
 おまえがか、というように、メロはルークのことを睨み返してやる。
「おまえが見たいと思ってるものを、見せてやるよ」
 そう一言いい残し、ルークはメロに背中を向ける形で、別の席に座っていた。まるで「おまえのことなど視界の端に入れるのも汚らわしい」とでも言いたげな態度だった。そのあと、廊下で「今日の午後五時に体育館へ来い」とすれ違いざまに言われ、メロは彼に返事をしないことで、「行く」と答えていたわけだ。
 ここからはメロ自身の推測の域を出ないことではあるのだが、おそらく彼は、先週の土曜日にあった事件の犯人をメロだと思っているに違いなかった。そして週が明けた月曜日、メロがやたらとバーバラ・ウォルシュにつきまとわれているのを見れば――その疑いは嫌が上にも高くなって当然だといえただろう。メロにしても、バーバラにつきまとわれるのは、迷惑といえば迷惑だった。だが、彼女に例のペイント弾のことを黙ってもらっているせいもあって、流石に「俺に構うな」と邪険にするわけにもいかなかったのだ。
 とはいえ、バーバラはメロにとってそれほど鬱陶しい存在ではなかったことは確かである。バーバラ・ウォルシュは学校の成績のほうはさっぱりだったが、そのかわりの天分として神は彼女に<場の空気を読む>という才能を与えたのだろう。バーバラはメロがチョコレートを食べようと思ってポケットを探ると、ホステスがライターを客に差しだす要領で、すぐにさっと彼に板チョコレートを渡していた。他にも、メロが離れていて欲しい時には彼女は距離を取り、時々気まぐれな猫のように近寄ってきては話をするという、何かそんな感じだった。
 そういうバーバラのことを、メロはとりあえず存在として<邪魔>とも<目障り>だとも思わなかった。ただ、彼女がレイプされそうなところを自分が救ったことで――バーバラが何か勘違いしている可能性はあると、流石にメロも気づいてはいた。だが、結局自分は流れ者の転校生なので、アリス・リードとルーク・フォスター、それにジョシュア・サイズモアの超能力の実態さえ掴むことができれば、この学校とも早々におさらばするつもりでいるのだ……その間、バーバラからチョコレートを支給してもらうのは、メロにしてもそう悪くはない取引といったところだったろう。
 それとは別に、メロはアリス・リードのことは、正直どうしていいかわからなかった。前に彼女に「好きだ」と夕暮れの中で言われたことを、メロは忘れたというわけではない。だが、ラスと彼女は同じ超能力を持つ仲間なのだ……それも電話を盗聴した時の会話の内容を思いだすに、ラスは「ルーやエヴァはどうしてる?」といったようなことをマジードに聞いていたはずだった。前にジョシュア・サイズモアはアリス・リードのことを「ルー……」と言いかけていたことがある。ということは、ラスと彼女は強い仲間意識を持つ、家族も同然の親友同士だったといえるだろう。
(やれやれ、面倒くさいな)
 放課後になり、五時近くまで図書館で時間を潰したメロは、ラスやアリスのことは別にしても、ルークとはこれからはっきりカタをつけられそうだと思い喜んだ。向こうには蛇蠍の如く嫌われてはいるが、男同士の関係というのはこういう時、極めてシンプルなところがいい。
 ルークがもしPKであったとすれば、自分はこれから一体どんな目に遭わされるかわかったものではないが――銃など持っていても意味のない人間が相手である以上、メロは武器になるようなものを一切持たず、丸腰で体育館へ向かった。あばらや腕や足の骨は折られる可能性があるが、それでもこんな学校という場所で殺しを行うほど、奴も馬鹿ではないだろう……そう判断してのことだった。
 試験が近いこともあって、体育館付近には人気がまるでなかった。重い鉄製の両開きのドアを開け、メロは観客席となっている一番高い場所から、コートのほうへ下りていった。体育館には、バスケットボールが床にバウンドする音が反響している……メロがその音のするほうへ目をやると、そこではルークがスリーポイントシュートラインから何本ものシュートを決めているところだった。
 メロは最前列の観客席からルークが次々と見事にボールをゴールへ入れるのを、感心したように眺めやる。何故なら、彼はメロが見守る間、三十本ものスリーポイントシュートをミスなく決めていたからだ。メロは自閉症児のみが何故超能力者となりうるのかを調べる過程で、様々な研究論文に目を通していた――その中には、音楽や絵画などの芸術面で天才的な才能を持つサヴァンがいる一方、サヴァンと呼べるほどの天分ではないにしても、優れた能力を持つ子供たちのことが数多く紹介されていた。たとえば、体のコントロール能力が異常に優れており、フリースローラインから五十本ゴールを入れて、五十本とも外さないといったような能力を持つ自閉症者である。
 メロはルークとワンオンワンで試合をした後、彼の他校との練習試合のテープも見ていたが、最終的に彼は試合中に超能力など使っていないと結論を下していた。もともとルークにはそうした天分が備わっていたのだろうと、今彼が続けて五十本ほどもゴールを決める姿を見て、あらためてそう思う。
「お見事!!」
 メロは思わず、拍手しながらコートへ下りていった。あたりにはバスケットボールが何十個となく散らばっている。そのうちのひとつをメロもまた手にとり、スパッ!!とスリーポイントシュートを決めるが、残念ながら十本目で外してしまった。
「もっと膝と全身のバネを使うようにしなきゃ駄目だな。手先の感覚だけでゴールを決めようとするから外れるんだ……バスケは全身のコントロール能力が物を言うスポーツだからな」
「ありがたいご教示、どうも。それで、俺に話ってなんだ?」
 メロはレイアップシュートを一本決めるが、そのあとにルークが力の差を見せつけるように、ダンクシュートを決め、ギシギシと大きくゴールを揺らす……メロとしては、やれやれといったように肩を竦めるのみだった。奴は相当にご立腹らしいと、そう見てとった。
「言うまでもないが、話ってのはアリスのことだ」
 おそろしくスピードのある、重いボールをパスされて、メロは軽く顔をしかめながら、それを受けとる。
「なんだ?そのことならもう話がついているだろう。俺はあんたの言うとおり、あれ以来リードとは必要最低限接触していない……これ以上、何か文句でもあるっていうのか?」
「ああ、大アリだ」
 そう言ってルークはまた、スパッ!!とフリースローラインからシュートを決める。メロはそのゴールを通過したボールを拾うと、またルークに投げ返してやった。
「どうやらアリスは、おまえのことが本当に好きらしい……奇妙なことを言うようだが、実は彼女の寿命はあまり長くないんだ。せいぜい生きて二十歳といったところかな。もっと長生きして二十二、三歳、いや二十歳前に死ぬ可能性も高い。おまえ、もし他に好きな女がいないなら、高校にいる間だけでも、アリスとつきあう気はないか?」
「……随分勝手なことを言うな。この間はもう関わりあうなと言い、今度はつきあってやれって言うのか?あんたこそリードのことが好きなんだろう?それだったらルーク、あんたがアリスのそばにいれば、それでいいんじゃないのか。彼女の寿命が短かろうと長かろうと、そっちのことのほうが、俺には大事なことのように思えるがな」
 メロにしても、ルークやアリス、それにラスといった超能力者たちが、あまり長くは生きられないとすでに知っている。そして、どうせ長く生きられないのなら……せめても自分の好きな人間と出来るだけ長い時を過ごしたいと、そう思っているはずだ。その時間を彼は自分に譲ると言っているわけだが、メロにしてみればそれは到底飲めない要求だった。少なくとも今、自分はアリス・リードという少女に対して、恋心らしきものはまったく持っていないのだから……。
「俺じゃ駄目なんだ」
 そう言ってルークは、またもう一本、フリースローラインからシュートを決める。
「あまりにも小さい頃から俺たちは一緒にいすぎたからな……まあ、無理もない。それに、俺自身がアリスに持ってる感情というのも、恋愛感情なのかどうか、よくわからない部分がある。強いて言えば、自分と血の繋がらない妹が、どこか不良の匂いのするいけ好かない男に横から取られて腹を立てている、そんなところかもしれないな。だが、この際そんなことはどうでもいいんだ……俺がおまえに聞きたいのは、もっと別のことだ」
 シュッ、と自分のほうをまったく見ないままパスされて、メロは多少驚きながらそのボールを受けとった。ルークが頷いているのを見て、シュートを決めようとする……が、残念ながらボールはリングに当たり、大きく外れてしまった。
「何故今、肩に力が入った?」
「さあな。あんたがこれからどうも、俺にあまり良くない話をしようとしてる予感がしたからかもな」
 コロコロと床を転がるボールをルークは拾い上げ、またもスパッ!!とシュートを決めている。スリーポイントラインからリングの真下までの距離は6メートル25センチ……何故こうも彼のシュートは、面白いくらいに決まるのだろう。
「なあ、ルーク、あんた気づいてるか?俺がここへきてから一度もあんたはゴールを外してないぜ?ここまでくると、ちょっと異常なようにさえ思えるのは、俺の気のせいか?」
 何も答えず、無言のままでルークはまた、もう一本別のボールでシュートを決める。
「人間っていうのは、何かひとつ得意分野があると、そのことを繰り返し行って才能を伸ばそうとするものだ。俺には小さい頃からバスケしかなかった。アリスがいなければ今も、文字の読み書きさえ出来ないままだったろう……知識のはじめというのは、物に名前をつけてそれを覚えることだというが、その世界を開いてくれたのが、俺にとってはアリスだったということだ。そうだな。俺が彼女に感じている感情というのは、恋愛感情以上に純粋なものだと言っていいだろうな。だから、アリスが俺と一緒にいるよりおまえと一緒にいたほうが幸せだというのなら、俺も目を瞑って彼女の幸福を祝福してやろう。だが、おまえは先週の土曜日、俺をペイント弾で狙撃した。普通に考えたとすれば、バスケの試合で負けたことに対する腹いせか、あるいはアリスのことかのいずれかだ……だが、おまえは週明けから、やたらバーバラ・ウォルシュとひっついてばかりいる。そのことでどれほどアリスが胸を痛めているか、おまえにわかるか!?」
 また、鋭く重いパスが飛んできて、メロは思わず受け損なった。手が一瞬、じん、と痺れる。つき指をしたというほどではないにしても、ボールにかかった圧力が尋常でないようにメロは感じていた。
「どうもよくわからないな」と、メロはしらばっくれた振りをする。「俺があんたを狙撃しなきゃいけない理由がどこにある?それに、もし仮に俺があんたとの試合に負けて恥をかかされたっていうんで、そんな姑息な真似をしたにしても――それで得られる俺のメリットってのがよくわからない。もし俺がルーク、あんたを変に逆恨みしたとすれば、実弾をこめて銃を発砲するさ。何せあんたは学校では伝説の<マトリックス>って呼ばれてるくらいだからな……実弾を発砲したところで、弾のほうがあんたをよけてくれるだろうよ」
「問題はそこだ」と、ルークは言った。先ほどから数回、不自然な形にボールが曲がり、彼の元へは戻ってこないはずのボールが、ルークの手元へ戻ってきていることに、メロも気づいていた。
「おまえ、もしかして超能力を信じてるのか?俺の推察によれば、おまえは試合に負けたくらいで俺のことを陰湿に狙撃するような人間ではないだろう……むしろ本当に恥をかかされたと思っていたとすれば、それこそ実弾を使うタイプの人間だろうな。もし仮におまえが週明けからバーバラ・ウォルシュとイチャついていなかったとすれば、アリスのことが原因かもしれないと俺は思い、自分が身を引く話を、今ここでしていたかもしれない……だが」
 ヒュッ、とボールが風を切る音がしたかと思うと、メロの顔のすぐ脇をかすめた。そのボールが壁にぶつかり、異常なほど大きくバウンドする。
「安心しろ。今のはわざと外したんだ……それで、おまえは一体何が知りたいんだ?銃乱射事件の真相を知りたいとかいう、まさかそういうふざけた連中の仲間なのか!?」
 答えろ!!と、ルークが叫ぶのと同時に、空中でピタリと止まったボールが幾つも、百キロを越える速さでメロ目掛けて飛んでくる!!
「……………!!」
 庇いきれなかったボールのうちのひとつが、胴に当たり、メロはその場に蹲った。肋骨をやられる覚悟は出来ていたというものの……流石にその瞬間になってみると、いささか後悔したいような気にもなってくる。
「……がはっ!!」
 思わず咳こむと、唾液の中に血が混じっていることがわかり、(ヤバイな……)とメロは思った。
「どうだ、これで満足か!?おまえが見たかったのはこれなんだろう?そうとわかった以上は、始末させてもらう……いや、殺しはしないが、今目の前で見たことを、おまえが永久にしゃべりたくないくらいには、痛めつけさせてもらうぜ!!」
 またボールが幾つも飛んできて、メロの体を殴打し、打撲の痕を残したが、彼にはなす術もなかった。そして、メロがボロボロになった体を必死に丸めてなおも身を守ろうとしていると、ルークが身動き出来なくなったメロの体を、足で引っくり返してくる……そのあとルークは、情け容赦なくメロの折れたあばらのあたりを踏みにじって寄こした。
「……うっ……ツっ!!……ッ」
 メロが声にならない呻き声を上げたその時――メキメキとどこかで、何かがひしゃげる、不自然な物音がした。いや、メロの体内でそのような音がしたわけではない。
(――なんだ?)
 耳朶を打つその音を、メロは奇妙に思い、必死に顔を上げて何が起きているのかを見定めようとした。実をいうとこの体育館は今、ルークが超能力を使ってどの扉も封鎖していたのだが――その壁を破れる者がいたとすれば、ルークの知る限りただひとりの人間をおいて他にいなかった。
「邪魔をするんじゃない、ボー!!」
 ルーク――いや、ティグランは力をその扉ひとつに集中しようとしたが、相手のほうの能力が上だった。それで抗しきれずに、彼がボーと呼んだ人間の侵入を許してしまう。
「暴力に超能力を使うだなんて、絶対に駄目だ!!ティグラン!!」
 メロが必死に顔を上げて、ルークよりも力が上らしき人間の顔を確認しようとすると、そこには彼にとって意外な人物――ジョシュア・サイズモアの姿があった。
「それに、メロは僕の友達なんだっ!!彼は太ってる僕の隣で、いつもランチを一緒に食べてくれたし、いじめっ子からも守ってくれたっ!!その彼を超能力で攻撃しようとするなんて……そんなことは、たとえティグランが相手でも、この僕が決して許さない!!」
(はは……は……マジかよ)
 最後にそう思い、メロは気を失った。ボーと呼ばれた、ハンプティ・ダンプティ並みに太った青年が超能力でバスケット・ゴールを重力で歪めた上、それを全然別の鉄屑に変化させたからだ。さらには、ルークの立っている場所を中心点に、亀裂まで走っているのを見届けてから、メロは意識を手放していた。



【2008/09/19 05:43 】
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