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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(15)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(15)

 もしやロベルスキーかと思ったニアは、家の玄関口を映すカメラを見て、そこに全然別の人物が映っていることに気づく。年の頃は十六、七歳で、金髪に青い瞳をした、それはニアにとってはある人物を思いださずにはいられない容貌の青年だった。
(もしや……)と、ニアは思う。もちろん、何かのセールスである可能性もゼロではないが、まずはインターホン越しに話をしてみようと思った。
『どちらさまですか?』
「風といえば谷、といった具合に、君とカイの間では何か、暗号による取り決めでもしてあったのかな?」
『……………』
 今、この家の中にいるのは自分だけであることを思えば、多少危険といえないこともないが、ニアはオートロックの鍵を解くことにした。そして『用があるなら、どうぞお入りください』と無愛想な声で言う。
「ふう~ん。探偵のドヌーヴってのは、随分ショボいところに住んでるんだねえ」
 きょろきょろと不躾な視線でリビングを眺めまわしながら、その青年は言った。正直、彼の顔立ちや着ている服装からして、ニアは驚きを隠せない……この青年は瓜二つとまではいかないまでも、カイ・ハザードに顔がよく似ており、着ている服といえば、彼が死んだ時の黒いスーツを白くしたものを着用していたからだ。その上、マントとステッキまで手にしている。
「この季節、カリフォルニアはまだ暑いよねえ。カイにはマントを羽織って会いにいくようにって言われてたんだけどさ、流石に暑くて脱いじゃったよ……髪型もなるべく似せるようにして、びっくりさせてやれって言われてたんだけどさ」
「どういうことですか?」
 当惑を顔にはださず、ニアはタイタニック号に浮輪や警告板を接着しながら言った。1/125スケールで、大体2.5メートくらいあっただろうか……その船を乗せたマホガニーのテーブルを挟んで、彼と差し向かいに座って話をする。
「この船、僕知ってるよ。ディカプリオが乗ってた奴だよね?『Near,far,wherever you are……』って、セリーヌ・ディオンが歌ってたっけ。んで、ケイト・ウィンスレットが舳先でこんなふうになっててさ」
そう言って、彼は両腕を水平にして、しばしの間ニアのことを見つめていた。だが、ニアは「……………」といったような感じで、まったく無反応のままでいる。
「君、結構乗りが悪いんだね。そんなんじゃさ、きっと友達もいないんじゃない?」
「放っておいてください。そんなことより先に、わたしの質問に答えてくれませんか?」
 Near、と歌詞の中で歌ったことからして、彼は間違いなく自分が誰かを知っている、そのことを前提にして話を進めていいだろうと、ニアはそう思った。おそらくは彼こそが、カイ・ハザードが死に際に言い残した、『仲間のうちのひとりが、君の元に行くことになっている』と言った、その<彼>で間違いないだろう。
「ふーん。この家じゃあ客がやってきても、お茶ひとつ出ないってわけだ。この暑い中を僕は正装してやってきたっていうのにさ、随分な扱いだよね」
 どこか飄々として、ふざけた感じのするこの青年は、最初こそカイ・ハザードに似ているとニアは思ったものの、どうやら性格はまるで別人らしいと見てとった。それでもなんだかまだ、座り心地の悪い椅子に腰かけているような、奇妙な感覚は抜けきらないが……。
「まあ、君の言いたいことは大体わかるよ。自分がその死をみとった男と似たような奴がその後再び現れる……なんて、あまりいい趣向とは言えないだろうね。でもこれも、カイの中じゃあ計算のうちに入っていたことさ。君が直接手を下したというわけでもないのに、なんとな~く後味の悪い思いをするといけないからっていう、彼一流の配慮ってやつでね」
「……お茶は、何がいいですか?」
 こんな時に限って何故ジェバンニはいないのかと思いつつ、ニアは椅子から下りてキッチンへ向かった。とりあえず、コーヒーと紅茶のある場所くらいはわかる。
「ジャパニーズ・ティなんて淹れてもらえると有難いんだけど。最近ぼく、グリーンティとかウーロン茶とか、そういうのにハマってるんだ。兄貴にもウーロン茶には脂肪を吸収する作用があるって言って勧めたんだけど、一口飲んだだけで吹きだしてたよ。カラスのクソを煎じて煮詰めたような味がするって、そう言ってたっけ」
「あなたのお兄さんということは」と、ニアは冷蔵庫の中からウーロン茶を取りだしながら言った。ちょうどジェバンニが日本通だったために、家の中にはどくだみ茶だの、その手の健康飲料が結構ある。「やはり超能力者ということなんでしょうね?」
「まあね。じゃなかったら、同じ施設内にはまずいなかっただろうし……僕と兄さんは、前にあったユーゴ紛争の戦災孤児で、アルバニア系の住民だった。そこでセルビア人の民族浄化の犠牲になりそうだった時に――まあ、超能力に目覚めたという、そんなわけ」
 戦争という重い過去について、彼はなんでもないことのように、そう軽い調子で話した。ユーゴ紛争というのは、自治州内で90%を占めるアルバニア人住民が独立運動を行ったことにセルビア人住民及びユーゴ連邦・セルビア政府が反発したことに端を発するものである。1991年6月以降、スロベニア、クロアチア、マケドニア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナが流血を伴いながらも次々に独立し――今では元のユーゴスラビアという国は、事実上どこにも存在しない。
「僕と兄さんも、確かに自閉症児で、特に兄さんのほうは症状が重かったんだ。コソボ自治区にある孤児院じゃあ、厄介者扱いだったけど、まあ変な話、戦争を機に人生が逆転したんだよ。あるNGOを通して、僕と兄さんは血の雨が降り注ぐ荒野みたいな場所から助けだされて、<ベッテルハイム孤児院>っていうところに身柄を移されることになった……だから、今いる超能力者たちの中では、僕と兄さんのボー・グランティスと、それに」と言って、彼はここで一度言葉を切る。ニアがウーロン茶を入れたグラスを、テーブルの上に置いたからだった。「ラクロス・ラスティスっていう東欧系の美少女が、<薬>の投与を受けずに超能力を発症したっていう、そういうことになるね。ところで、このことがどういう意味を持つかわかる?」
「その前にひとつ、聞いておきたいのですが」ニアはもう一度椅子に座り、グランティスと差し向かいになりながら言った。「最初、てっきりわたしはカイ・ハザードとあなたの間に血縁関係があるのかと思ったんです……顔のほうがよく似ていると思ったので。だがそうではない、一応そこのところを念のために聞いておきます」
「そのとおりだよ。僕とカイの間に血の繋がりはない……もしあるとすればそれは、魂の双子とでもいうような、血よりも濃い絆だろうけどね。僕の名前はセス・グランティスで、兄とは二卵性双生児なんだけど、これがびっくりするくらい似てないんだ。僕のこの金髪はさ、わざわざ君に会うために染めたのであって、元の色は黒髪なんだよ。<ホーム>で初めてカイに会った時、僕らは互いに奇妙な気持ちを持ちあった……実際にいる双子の兄よりも、偶然何かの星の巡りあわせで会った男のほうと容姿が似てるなんて、なんともおかしな話じゃないか。まあ、なんにせよ僕らは出会ったその日から互いにわかりあった。僕はその時まだ自閉症を治すための薬を飲んでなかったけどね、カイとはすでに<心>でわかりあってるような感じだった……彼は本当に素晴らしい青年で、組織内の汚れ役のその大半を買って出ていたといってもいいだろう。その上、ラスや兄さんが仕事をする上で罪悪感に苦しむ時には、催眠術で彼らの心を癒し……その彼を失うということは、僕らには精神的な支柱がなくなるにも等しいことだった。だが、僕はニア、君を恨むつもりはない。何より、カイには力を使いすぎたことによる皺寄せがきていたんだ……そのことを知ったらみんなはショックを受けるだろうけれど、彼が平均年齢よりも二歳ほど若くして亡くなったのは、そのことが原因だったといえる。その上、最後にきちんと僕らがこれからどうすべきか、計画を立てた上で死んだんだ」
「失礼かもしれませんが、わたしの名前はどこで……?」
 まるでウィスキーでもあおるみたいに、ウーロン茶を飲むセスに、ニアはそう聞いた。彼らの組織内のことよりも、自分の保身のほうが大切であるように思われるかもしれないが、やはりニアにしてみれば重要なことだった。
「君も意外に小心なんだな。まあ、べつに構わないけど……君とニアが勝負している最中の会話は、僕はすべて聞いていたんだ。それと<殺し屋ギルド>のほうには、カイ・ハザードが探偵のロジェ・ドヌーヴの抹殺に失敗したこと、またヴェネチア行きのユーロスターに乗っていたのは結局、ドヌーヴの替え玉だったらしいという情報を流した。何分、カイの人生のモットーは、『念には念を入れろ』、それに……」
「『物事にはなんにでも、万が一ということがある』――でしたね?」
 わかっているじゃないか、というように、セスはウーロン茶をぐいと飲み干している。
「そういうことだ。僕は万が一という事態に備えて、あの時ヴェネチアにいたんだ。そして、君たちの手の者がカイの遺体を運ぶのを見届けてから、そこを離れた……あとはカイに言われたとおり、僕は君に会うための機会がやってくるのを待っていたという、そんなわけさ」
「なるほど。そこでもうひとつ聞きたいのですが、何故わたしがこの場所にいるとわかりました?」
 セスは、グラスの中の氷をからからと鳴らし、ニアにおかわりを催促している。(仕方ないな)と、ニアは溜息を着き、冷蔵庫の中からウーロン茶の入ったポットを持ってくると、彼の目の前に置いた。
「和菓子とかないの?もっとこう、客をもてなす時には、気前よくしなきゃ駄目だよ。美味しそうなごちそうをテーブルいっぱいに並べて、もっと僕が色々しゃべるように仕向けるとかさ。残念ながら僕は、顔は似ててもカイとは違ってあまり禁欲的なほうじゃないんだ……食べたい時に食べ、寝たい時に寝て、遊びたい時に遊び、しゃべりたい時にしゃべる。基本的にそういう浮わついた人間なんでね、僕が君のことをもし気に入ったとしたら、「これ話すとホントはマズイんだけど~」みたいなことでも、うっかり話しちゃうかもしれないじゃないか」
「なるほど。確かにあなたは顔は似ていますが、カイ・ハザートとは性格がまるで違うようですね」と、ニアは言った。動くのが面倒なので、これ以上キッチンとリビングの間を往復する気は、彼にはまったくない。「わたしの部下が、今スーパーマーケットに買いだしにいっています。なので、彼が戻ってくれば、たぶん何かご馳走してくれるでしょう……ところで、わたしもカイ・ハザードという青年について、それほど多くを知っているわけではありませんが、わたしには彼の遺言を引き継ぐ用意があります。セス、あなたが今日ここへ来たのも、そのことがあってなんでしょう?彼がわたしにある種の遺言を残したように、あなたにも同じような<役割>を託して彼は亡くなったんです。これからわたしとあなたは、仮にあなたがわたしを気に入らないにせよ、協力しあわなければならない……違いますか?」
「ああ、そうだよ」と、面白くないようにセスが言う。ポットからウーロン茶を自分で注ぎ足しながら。「僕が今日ここへ来たのはさ、君のお向かいさんのリード夫妻が『ニア・ジェバンニという自閉症児がそばの家に住んでいる』って報告書に書いてきたからなんだ。まあ、これは同時に、僕たちの仲間のモーヴの超能力……未来予知が当たったことの裏付けでもあるけどね。もしニア、君がカイの残したクロスワードパズルを解けなくて、ソノラ砂漠をショベルカーで掘り返してるような場合にも――僕は「チッチッチッ、それは違うんだな」ってことを教えるために、おそらく今日ここへ来ていただろうね」
「何故わたしがソノラ砂漠をショベルカーで掘り返したりするんです?」
探偵のロジェ・ドヌーヴも見くびられたものだと思い、ニアはいささかムッとする。未来予知の能力については、あとで他の超能力者たちのことと合わせて聞けばいいことだと思っていた。
「だって、クロスワード・パズルの答えが『リュウゼツランのヘソの中』だからねえ。竜舌蘭といえば、砂漠に生えてる植物だから……君が何か勘違いをして、そんなことをする可能性がないとは言い切れないだろう?」
「つまり、そうすることであなたやカイ・ハザードは、わたしにどの程度の力があるかを試した――そういうことですね?」
「まあ、そうだね」
 リビングの隅にある柱時計がボーンと二度鳴ると、セスは慌てたようになんの断りもなく、TVの電源を入れている。先ほどから思うに、どうやらこのセス・グランティスという青年は、話を脱線させるのが好きなようだった。おそらくは自閉症だった頃から、この性向は彼の中に強く根付づいているものなのだろう――そう思い、諦めてただ彼のしたいようにさせてみることにしようと、ニアは軽く溜息を着いた。
「僕らの仲間のひとりがさ、今日TVでエリザベート国際コンクールに出場するんだ……って言ってもこれ、録画なんで、賞自体はもう終わってるんだけどね。優勝者の名前はエヴァンジェリカ・エヴァーラスティンって言って、今話題の盲目の少女なんだけど、君も名前くらい知ってるかもしれないな」
「……………」
 生憎、ニアはそのことを知らなかった。もしこの場にジェバンニかリドナーがいたとすれば、「新聞で見た」とか「TVで今話題の……」などと口を挟んだかもしれない。だが、音楽コンクールの受賞者の名前まで、ニアはいちいちチェックなどしてはいなかった(何かの事件がそのコンクールに絡んでいたとすれば、話はまったく別だっただろうが)。
 ニアは、TV前のソファに席を移したセスのことを後ろから眺めつつ、32型の液晶画面に見入った。するとそこでは、第一次審査を勝ち抜いたプラチナ・ブロンドの髪の少女が、ショパンの大曲を優雅に弾きこなしているところで――彼女の目が見えないなどとは、ニアには到底思えないくらいだった。
 最終選考に名前が残り、そこでもまたラフマニノフのピアノ協奏曲第三番という難曲を、彼女はプロのオーケストラをバックに堂々とミスタッチなく弾ききっていた。そのピアノの演奏技術、曲の解釈、どれひとつ取ってみても、この盲目の少女はパーフェクトだった。最後に、TVのインタビューで審査員たちが次々と「百年に一度の逸材!」とか「今のピ
アニストたちは目が見えることこそむしろハンディ」などと、彼女に対して褒めちぎってよこす。そして最後にエヴァンジェリカは、この賞をショパンの生まれ故郷であり自分の祖国でもあるポーランドに捧げたいと、そう言葉を結んでいた。
「彼女の出身は、<本当に>ポーランドなんですか?」
 いささか意地の悪い質問かもしれないが、ニアとしては、一応そう聞かずにはいられない。確かカイ・ハザードも、世界チェス大会へ出場する際には、偽造した戸籍などを用意していたはずだ。サヴァン症候群を示す自閉症児のうちには、早くからピアノなどの楽器に卓越した才能を持つ子供たちが少なくない……おそらくは彼女、エヴァンジェリカ・エヴァーラスティンも、そういった意味で卓越した技能を有していたに違いなかった。
「ああ、エヴァは本当にポーランド出身で、名前のほうも間違いなく本名だよ。ポーランドっていう国はさ、歴史的に引き裂かれてきたっていう経緯を持ってるから、今も別の国の侵略戦争についてとか、そういうことには結構敏感な国柄だよね……一般に裏の世界で流通してる噂として、<殺し屋ギルド>には十二人の頭目がいるっていう噂があるんだけど、その中のうちのふたりはいつも、能力者じゃないんだよ。まず、僕たち超能力者を動かす窓口にひとり、それから資金面を管理する人間が必ずもうひとり存在するんだ。アンドレ・マジードのことはおそらく君も知ってると思うけど、彼はそういう意味で高い理念を持った男だ。ヴェルディーユ博士のことは信用できないが、僕も彼のことは信頼してる。それからもうひとり、資金面を管理している人間にアイザック・アイゼンシュタットという男がいるんだが……彼はユダヤ系のポーランド人でね。表の世界でもとんでもない大富豪だけど、彼は金儲けが目的で<殺し屋ギルド>に協力してるってわけじゃないんだ。言ってみればまあ、民族的な理念とでも言うのかな。彼の祖父や親戚の多くがアウシュビッツの収容所でガス室送りにされているから……悲惨な歴史を繰り返さないためには、金や欲望に目を眩まされず、裏の世界で動ける人間こそが必要なのだと、アイザックは信じているんだ。まあ、そんなわけで、<殺し屋ギルド>っていう組織と僕らのいる超能力研究所はこれまでうまくやってきたわけだけど、エッカート博士とソニアの父親のヴェルディーユ博士が亡くなって、内部は今かなりのところガタガタしてる。そしてそんな中でカイは、もう組織自体に見切りをつけたんだ。むしろ、第二次世界大戦以降、これだけ長く体制を維持できただけでも、奇跡にさえ近かったのかもしれないけどね……僕は彼ほど先を見通す目を持ってるってわけじゃないけど、それでもまあ僕は自分の次くらいに施設の中で彼のことが好きだったから、カイが言い残したことならなんでもその通りに、彼の望みどおりにしてあげたいと思って、今日君に会いに来たというわけだ。ニア、せいぜい君はカイに感謝するんだね。そんなことでもなければ、僕は身内の情報を売ったりするような真似は、絶対しなかったと思うから」
「わかりました」と、ニアは無表情に言った。セスがソファの背もたれに片手をかけて、もう一方の手ではケーブルTVのチャンネルを操作するのを見つめながら。「ところで、ここまで話を聞いた時点で、わたしはあなたにいくつか質問したいことがあるんですが、構いませんか?」
「ああ、構わんよ。だって、僕はそのために今日という日を選んで、君に会いにきたわけだから……まあ、なんでも聞いてくれたまえ」
 動物のドキュメンタリー映画のところでチャンネルを止めると、肩ごしに軽く振り返りながらセスは言った。
「ところで、君ってほんとに気が利かないね。僕はこれでも一応貴重な客なんだから、まずはウーロン茶をこっちに持ってきてよ。あとさ、和菓子とは言わないけど、なんでもいいからお菓子とかないの?この際ポテトチップスでもプリングルスでもなんでもいいからさ……あ、でもその場合はマウンテンデューが一緒に飲みたいかなあ」
「……………」
(やれやれ、仕方ない)と思い、ニアは椅子から下りると冷蔵庫やキッチンの棚をあさって、お菓子やジュースを彼にだしてやることにした。誰か人から顎で使われるなど、ニアにとっては生まれて初めてといっていい体験ではあったが――確かにセスの言うとおり、そのくらいのことをしてもいいだけの価値が、彼のもたらす情報の内にはあったと言っていい。
「これでいいですか?」
「悪くないね」と、セスはお菓子とチョコレートの山、それにコカコーラの注がれたグラスを見て、両手を擦りあわせている。「なんだったら、君もこっちに来て一緒に食べながら話をしないか?」
「いえ、結構ですよ。べつにお腹も空いてませんし」
 そう言ってニアは、元の椅子に戻ると、セスのことを後ろから観察するように話を続ける。とりあえず、タイタニック号の模型も完成したことだし、次はなんのおもちゃを作ろうかと考えつつ……。
「ふう~ん。もしかして君さ、パーソナル・スペースが大切って人?」
「パーソナル・スペース?」ニアは一向に肝心な話のほうが進まないと思いながら、溜息混じりにそう聞き返す。
「そう、パーソナル・スペース。簡単に言うとさ、人とコミュニケーションする時に相手と取る物理的距離のことなんだけど。心理的な縄張り意識っていうのかな……僕は小さい頃、それが異常に強くてね、最低でも相手との距離が一メートルはないとコミュニケーションをとれない子供だったんだ。まあ、薬の投与で今は治ったけどね。かわりに発症した能力っていうのが……」
 セスが後ろを一瞬だけちらと振り返ると、ニアは体が金縛りに合ったように、突然動けなくなった。
「……………!!」
「いちいち言葉で説明するより、こっちのほうが早いかと思ってさ。あ、もちろん僕、君に害を加えるつもりはないよ。むしろこの力で君のことを守ってあげるために来たって言ってもいいくらいなんだから……僕の言ってる意味、わかるかな?」
「いえ、よくわかりませんね」
 体が再び自由になると、ニアは深呼吸しながら言った。これでは彼は、カイ・ハザード同様、自分のことを殺そうと思えば殺せる立場に今、いるということになる……そう思うとなんだか屈辱的だった。
「つまりさ、僕の能力っていうのは、自分の半径一メートル以内に人が入ってきてほしくない・近づいてほしくないっていう一種の強迫観念が元なんだよね。他の僕の仲間も大体、何かそういうきっかけが元で、超能力の傾向が決まってたりするんだ……でも、僕は最後までカイの遺言を守るつもりでいるからさ、もし仲間のうちの誰かが君に歯向かうような場合には、この力を使って君のことを守ってあげられると思うよ。ラスはライターとかマッチとか、何かそういう火を連想させるものがないと力を発動させることが出来ないし、エヴァの力は聖書や十字架、教会がある場所でのほうがより強くきく傾向にある……そういう細かいことを色々知ってる僕は、おそらくこれから君の役に立つことができるだろう」
「……………」
 ニアはまた黙りこんだ。焦ってこちらから色々聞きだそうとしなくても、彼には自分に多くのことを話す用意があるのだろうとそう思った。むしろ自分と彼の立場とを置き換えた場合――色々なことを急いで詮索されるのは、疎ましいに違いなかった。少なくとも、もし仮にLかメロが死ぬなりして、自分がその遺志を継いだとしたら……そう想像すると、ニアはセス自身が話したい時を待つべきなのだろうと判断し、彼が気まぐれ的に話題を変えるのにつきあうことにしようと、そう決めた。
 セスは絶滅動物たちが何故次々と姿を消していったのか、その理由を述べるナレーションを聞きながら、どこか思慮深い顔つきをしている……時々ぽりぽりとポテチを齧りつつ、コーラを飲んではいるが、それ以上に彼は目の前の映像を魅入られたかのように凝視している。
「絶滅動物ってのはさ、人間にとって邪魔だから消されたって場合があるよね。あとは毛皮なんかを売れば金になるからとかさ、人間側のすごい身勝手な理由で根絶やしにされてたり……僕らも結局は存在が表沙汰になれば、同じ扱いを受けるだろうってエッカート博士にはわかってたんだ。もちろん、トマシュ・ヴェルディーユ博士やカイにもわかってた。超能力は金になる……そして生物兵器として仮にビジネス化が進んだとすれば、当然超能力者の人権なんてものはないに等しい扱いを最初のうちは受けることになるだろう。まず能力開発の段階で、ストレスやトラウマが能力発症におおいに役立つからね。そうなれば狭くて暗い個室を与えられ、時々部屋を出されたかと思えば、電気ショックを受けさせられたりさ……人間ってのは、人種差別の廃止だのなんだの、そんなことを実現できたのもつい最近のことにしか過ぎないだろ?しかもそれだってまだ全然十分とは言えないんだ。そんなところに超能力を持つ人間なんてのが現れたら……ろくなことになるわけがないのは、目に見えてると思うんだよな」
「そうでしょうね」
 ニアは椅子から下りると、セスが座るソファの横にある、肘掛に腰掛けた。確かにセスが言ったとおり、ニアにもパーソナル・スペースを意識する部分はある……少なくとも、彼の座るソファのすぐ隣に座りたいと思えないし、それは相手が誰であれ同じことだった。
「ところで、ここにはいつまでいるんです?あなたがカイ・ハザードの遺志を継ぎ、わたしの味方をしてくれるのは嬉しいですが、助けとなる情報をまだあまり聞いていません……いえ、急かせるつもりはありませんが、今わたしの仲間がビバリーヒルズ高に潜入して、あなたの仲間のことを探ってるんですよ。でもあなたがわたしに協力してくれるなら、もうその必要性もなくなりますし、出来れば今後の対策を立ててからセス――あなたには研究所のほうに戻ってほしいんです」
「ああ、そういえば言い忘れてたけど」と、ぼりぼりクッキーを食べながらセスは言った。「僕、もう研究所のほうには戻りたくないんだよね。だから、暫くここに置いてくれないかな?」
「……それは、構いませんが」ニアは軽く驚いて、セスのことを見返した。「でも、それではあなたにとって都合が悪くありませんか?何しろ、ここから目と鼻の先のところにあなたの仲間のアリス・リードが住んでいるわけですし、<殺し屋ギルド>の幹部もふたりいます。その条件はあなたにとって何かまずい事態をもたらさないんですか?」
「さあ、どうかな。ただ僕は、近いうちにある大統領や政府の高官を前にしたデモンストレーションとやらに参加なんぞしたくないと思ってるんでね。ちょっと雲隠れしてソニアのババアを困らせてやりたいっていう気持ちもあるし……なんにしても、僕をここに置いてもらえるなら、君が欲しい情報を僕はいつでも与えられると思うけど、それじゃあ居候の代金として安すぎるかな?」
「いいえ、むしろこんな安宿で申し訳ないくらいですね」と、ニアは彼が家へ上がってくるなり「ショボい」と言っていたことを思いだし、軽く笑った。「まあ、こんなところでいいなら、好きなだけ滞在してください。ところでロベルスキーやゴードンといったアメリカ支部の幹部は、あなたが超能力者であることを知っているんですか?」
「いや、知らないはずだよ。何故といって、組織にとって影のトップである僕らは、顔も名前も部下には知らせないことになってるからね……ただ、世界各国のギルドの支部が本当に困った時だけ僕たちのうちの誰かが力を貸すっていうことになってるんだ。あとは<表>の世界との力関係を維持するために、邪魔な大統領や首相の首のすげかえを行って、ギルドに都合のいい人選をしたりとか、そういう時に僕たちは動くというわけ」
「では、例の美術館の絵のかけ替えは何が目的だったんですか?」
「ああ、あれはただのお遊びだよ」と、事もなげにセスは答える。「カイが、原版を盗んだだけではドヌーヴや<L>が動くのに不十分かもしれないから、絵も盗んでおいたほうがいいだろうって僕に言ったのさ。もっとも、実行したルースやティグランは自分たちがなんのためにそんなことをしなくてはいけなかったのか、まだ知らないけどね……ただ僕たちの結束は固いんで、カイや僕が自分たちの将来のためだというその言葉を、彼らは信じてそのことを行ったにすぎない」
「なるほど。では、斜め向かいの家に住むアリス・リードという女性がテレポーターと見ていいということですか?」
「いい勘だね。でも、これ以上のことは、コーラをもう一杯もらわないことには、僕はあまり話す気になれないな」
「……………」
 カラカラとグラスの中の氷を鳴らすセスを見て、ニアは軽く溜息を着く。まあ、仕方がないといえば仕方ない。相手が自分の欲しい情報のすべてを握っている以上は――コーラの五杯や六杯、安いものだと思って、彼に注いでやるしかないだろう。
 ニアがそう思って面倒くさいと感じつつ、肘掛椅子から下りようとしていると、ちょうどジェバンニが帰ってきた。当然彼はセスの存在に驚いていたが、ニアがセスに飲み物を用意するように言うと、ジェバンニはよく冷えたジンジャーエールを持ってきてくれたのだった。
「ニア、君の部下は素晴らしいね。こんな子供の言うことにも黙って聞き従ってくれてさ――ジェバンニさんとやらも毎日大変でしょうね。こんな我が儘で性格の悪そうな上司に、顎でこき使われるなんて」
「えっと、そうですね~……なんちゃって」
 ジロリ、とニアが軽く睨みつけると、途端にジェバンニは「すみません」と小声になっている。
「まあ、なんでもいいですが、とにかくあなたの部屋は二階に用意させますので、そこで寝泊りしてください。あとは不自由なことがあればなんでも、ジェバンニに言ってくれれば、彼がなんとかしますので」
「ふう~ん。それじゃあ、これからどうぞよろしく、ミスター=ジェバンニ。僕、こう見えて人の気持ちを察することが出来るタイプだからさ、優しい人には優しく、曲がった人には曲がった対応をしちゃうんだよね……ジェバンニさんはいい人だと思うから、どっかの誰かさんと違って、僕は困らせたりすることはないと思うよ。そんなわけでまあ、これからどうぞよろしく」
「いえ、こちらこそよろしく」
 ニアは、ジェバンニとセスが握手をかわすのを、なんとはなし複雑な視線で眺める。確かに自分が疑り深くてお世辞にも真っ直ぐな性格でないことは認めよう……だが、曲がった人間には曲がった対応を、などと言われると、顔の表情には出さないまでも、いささか面白くないものを感じる。ウーロン茶やコーラなどのおかわりを要求したのも、おそらくはそのせいなのだろうから。
「ジェバンニ、彼はわたしにとって非常に有力な情報源を持つ、大切な<お客さま>ですから、くれぐれも失礼のないようにお願いします」
「はい、もちろん」
 ジェバンニは、このセス=グランティスという青年とはなんとなく気が合いそうだと思いながら、そう返事をした。二階の寝室へ案内した時にも、年下の上司を持つ自分のことを、色々ねぎらうような言葉をかけてくれたり……ただ、ひとつだけジェバンニにとって気になるのは、彼が<本当に味方なのか>ということだった。いくら自分がお人好しであるとはいえ、彼に対するそうした疑いの気持ちをすべて捨て去ることは出来ない……おそらくニアにしても同じ気持ちだろう。さもなければ、リドナーのようにロベルスキーを同僚として、また親友として信じてしまったがゆえの、悲劇がこれから起きるに違いなかったのだから。



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【2008/09/18 05:11 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(14)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(14)

 パームツリーが整然と美しく並ぶ通りに住むニアは、その日も斜め向かいのリード家を張っていた。<殺し屋ギルド>のアメリカ・ロサンジェルス支部幹部――ミッシェル・ゴードンとブリジット・ロベルスキーは、近所でも評判のおしどり夫婦らしい。ニアの目には、美男美女のふたりがハリウッド・デビューするために整形したモデルのように、薄気味悪く映るのみだったが……彼らの本性を見抜けない人間にとっては、見目麗しい似合いのカップルといったように見えるのだろうと、そう思っていた。
 本当に整形しているかどうかは別にしても、確かにふたりはそのまま下着のカタログにでも出ていそうな雰囲気の、均整のとれたカップルだった。そしてとても頭のいい、可愛い娘がいる幸せな家族を演じているというわけだ――ニアには最初、そのことの必要性がまるでわからなかったが、メロから少し話を聞くうちに、なんとなくピンとくるものがあった。つまり、アリス・リードだけ何故こんなにも学校から家が近いのかということだ。他の転校生のふたりは、それぞれ学区内ギリギリの離れたところに住んでいるにも関わらず、リードだけは高校からすぐそばのところに住んでいる……ニアにしてみれば考えられうる可能性はひとつだけだった。おそらくは彼女こそが世界中の美術館で名画をかけ替えている張本人だからではないのだろうか?
(もちろん、仲間の中には他にも、テレポーターのいる可能性はある……だが、超能力を持った子供をわざわざ学校に通わせてどうするのだろうとは思っていた。たがそのことも、いかにも開かれていて平等なアメリカ式の考え方によるところが大きいのだろう。つまり、エッカート博士とヴェルディーユ博士が死に、別の新しい考え方をした人間に組織を移行させようとしているわけだから、ロスにある超能力研究所の博士がおそらくは、出来れば学校へ通ったほうが良いと勧めたのではないだろうか?そしてどうしても学校へ通いたくない子供には無理強いはさせなかったと考えれば、超能力者全員が編入してきていないことの説明はつく……あるいは、情緒的に障害があるなりなんなりして、中には普通に学校へ通えない状態の子供もいるのかもしれないが……まあ、なんにしてもアリス・リードの学業が優秀であることを思えば、彼女が同年代の少年や少女と学び舎をともにしたいというのは理解できる話だ。それと、例の<マトリックス>ことルーク・フォスターは、スポーツが万能らしいから、自分のその力を外で試したかったとも考えられる……)
 そこまで推理してニアは、残りのひとり、ジョシュア・サイズモアのことについては、具体的に何も思い浮かばなかった。メロの話では、彼は確かにピカソやマティスもかくや、という種類の絵を描きはしたが、どうも本物そっくりの贋作を描くほどの才能があるとは思えない、ということだった。そこでニアは、彼は超能力者でもなんでもない、ただ転校してきた時期の重なった生徒なのではないかとメロに聞いてみたが、「俺はそうは思わないな」と彼は言った。
「うまく言えないが、とにかく、リードとフォスターとサイズモアの間には何かあるっていう感じだ。特殊な結びつきとでも言ったらいいか……とにかく、三人の間にはそういう空気を俺は感じる。おまえがどう推理するかは勝手だがな」
 ニアの質問に答えるメロの態度は、いかにもしぶしぶといった感じのするものだった。パソコンのスクリーンには、イタリックの装飾文字でMと映っているだけだったが、声のトーンだけでもニアにはそのことがよくわかる。彼が退屈極まりない授業を毎日受けて得た成果を、そのまま引き渡すようなものなのだから、当然といえばあまりに当然ではある。
 そこでニアは、そのことの交換条件として、自分がアリス・リードに関して推理していることを、メロに話すことにした。つまり、彼女だけが何故、こんなにも高校から近いところに住んでいるのかということだ。
「おそらく彼女が例のテレポーターなのではないかと、わたしはそう思っています。つまり、あんまり高校から遠いところに住まわせてしまうと――超能力を使ってリードは学校へ通学するかもしれないでしょう?それはやはり、<普通>の生活を営む分には都合の悪いことだと思うんです。もしかしたら移動する瞬間を人に見られる危険性もある……第一、すでに例の『マトリックス』の件がありますからね。わたしが思うに、ロスにある超能力研究所の博士は、いかにもアメリカらしいものの考え方をする人物で、超能力者を出来れば普通の人間たちと共存させたいように思ってるんじゃないですか?それで、<学校>という社会環境になんとか適応できそうな子たちをまずは通わせてみようと思った……そんなところだと思いますが」
『じゃあ、あの<殺し屋ギルド>の高級幹部ふたりのことはどう説明する?』
「簡単なことですよ……まず、ルーク・フォスターは高級住宅地にある一軒家で一人暮らしをしています。そこからキャデラックを運転して通学しているわけですが、それはアメリカではなんら不自然なことではありません。そしてジョシュア・サイズモアは学校に提出した書類に書かれている住所には、実際には住んでいないものと思われます……これはリドナーに確認してもらったことですが、彼はサンタモニカにある研究所から直接送り迎えしてもらっているようですね。つまり、アリス・リードに<殺し屋ギルド>のふたりがついているのは、高校から近いだけに両親がいなければおかしいことがすぐバレてしまうから、というのが、現段階でのもっとも高い可能性ではないかとわたしは思います」
『なるほどな』画面の向こうから、パキリ、とチョコレートを齧る音が微かに響く。『それでリドナーは、偶然ロベルスキーと因縁の再会を果たしたってわけだ』
「メロにひとつ聞いておきたいんですが」と、ニアは一歩踏み込んだ話を彼にしようと思った。「あなたはアリス・リードに告白されていましたよね?べつに聞くつもりはなかったんですが、偶然リード家に仕掛けた盗聴器を通して聞こえてきたものですから……メロは彼女に対して今後、どういう態度で接していくつもりなんですか?」
『どういうって言われてもな。俺はフォスターの奴とアリスとは必要最低限接触しないって約束しちまったから、男同士の約束ってやつを守って彼女に近づくつもりは一切ない。まあ、今のところは遠まきに監視してるってところだな』
「……………」
 ニアが黙りこむと、今度はメロのほうがニアに対して少し突っこんだ話をしてくる。
『ところで、例のロベルスキーとゴードンのことはおまえ、どうするつもりなんだ?何しろ家から百メートルと離れてないご近所に、超のつく極悪人がふたりも揃ってるんだからな……この機会に逮捕しない手はあるまい?』
「そうですね。今のところはアリス・リードのこともあって、泳がせておいてますが……逮捕する時には、リドナーがロベルスキーの手に手錠をかけることになるでしょうね」
『わかってないな、おまえ』と、やや馬鹿にしたように、メロが言う。『聞いた話では、リドナーはあの女に恋人を殺されたも同然らしいじゃないか……つまり、リドナーはあの女を逮捕して法の手に委ねるよりも、自分のその手で殺したいほど憎んでるってことだ。その点をどうするのかと、俺は聞いてるんだ』
「そういうことですか。わたしはこれでも一応、彼女の上司ですからね、そうした復讐行為にリドナーが及ぶならば、当然彼女のことも処罰の対象にしなければならないでしょう……つまりはそういうことです」
『ふん』
 メロは面白くもない答えを聞いた、というようにプツリ、とニアとの通信を切ってしまった。それがきのう――日曜の夜ことで、ニアはその前日にあったバーバラ・ウォルシュのパーティのことを聞くために、メロと話をしていたのだった。
(さて、どうするか)と、ニアはタイタニックの1/125スケールの模型を作りながら考える。今、ジェバンニはスーパーへ買いだしに行っており、ここにはいなかった。おそらく今日も帰りにリドナーの様子を見るために、彼女のいるコンドミニアムへ寄ってから戻るだろう……リドナーはその度に「ニアをひとりにするなんて!」と怒るらしいが、ニアにとっては時々ひとりになれるくらいのほうがむしろ環境として好ましかった。
 リドナーが怒るのは当然、自分たちがニアの護衛も兼ねていると自負しているためだったが、彼女はロベルスキーに顔を知られているために、今は本来の自分の職務をまっとうできていないと感じているのだろう。なんとも真面目な彼女らしいことではあるが、ニアとしてはこの場合、自分がサンタモニカにある超能力研究施設に拉致されるのもアリだろうと考えていた。
 もちろん危険は大きいが、すぐに殺されるという可能性は低いとみていい……むしろそのくらい相手の懐深くに入りこむことさえ出来れば、かなり多くの情報が得られるはずだった。引っ越してきた翌日に、ジェバンニはひとりでリード家に挨拶しにいっていたが、「是非今度夕食をご一緒しましょう」という言葉は、ただの社交辞令では終わらなかったのである。
 その週末――ようするに、先週の土曜、メロがウォルシュ家のパーティへ行った日――ジェバンニとニアはリード家の夕食に招待され、ニアは食事のあと、アリス・リードという少女と少しの間遊ぶことになった。よくある大人同士の会話の間、子供は二階へ行ってなさいという、アレである。
(ジェバンニ、くれぐれもヘマだけはしないでくださいね)
 ニアは心の中でそう念じていた。自閉症児を演じているニアは、ほとんど「地」でもそれをやり抜けられたが、その分ジェバンニのほうにリード夫妻の質問は集中していたからだ。ニアは一度など、夕食の皿をわざと床に落とさなければならなかったし、さらには「パパ、パパ」と、彼の服の裾をつかんで、挙動不審な息子を演じなければいけないくらいだった。
 マイケル・リードとメアリ・リードという偽名の夫婦は、ジェバンニ親子の出身地や別れた妻が今どうしているかなど、随分細かいことを知りたがっていた……<殺し屋ギルド>という組織の情報ネットワークを使えば、簡単に彼らのことは洗いだしが可能である。そこでニアは前もって<囮>としての情報をコンピューターを通してインプット済みだった。
 自分とジェバンニはイタリア系の移民で、家系図も三代目まで遡れるようにしてある……ニアの幼い頃からの自閉症の病歴なども、カルテの日付に至るまで、すべてが完璧だった。あとはこれで、彼らが自分を誘拐するかどうかが鍵といったところだろうか。
 下でパパ・ジェバンニとリード夫妻が話に花を咲かせている間、ニアはいかにも十代の女の子らしい、可愛い感じのする部屋で、アリスと遊ぶことになったわけだが――ピンクの花模様の壁紙に白いアンティークの家具が揃ったその室内には、特にニアの気を引くようなものは何もなかった。当然、ラジコンもなければおもちゃのロボットもなく、代わりにあるものといえば、可愛い動物のぬいぐるみくらいのものだったろうか。
「ニアちゃんはモノポリーなんて好きかしら?」
(……ちゃんづけですか)と、ニアは内心やれやれと思いつつ、アリスに対して軽く頷いてみせる。可哀想な自閉症児の相手をする優しいお姉さんに、意地の悪い態度をとってみたところで仕方がない。
(モノポリーはふたりでやるより、四人でやったほうが面白いゲームですが、この際仕方ないですね)
 同年代の女の子の部屋に入るなんて初めてだとか、そういう感慨はニアには一切ない。ただ、アリス・リードという少女の性格分析をするのに、時々必要最低限言葉を話しながら、一時間ほどゲームをして遊んだというそれだけである……やがて階下から、「そろそろ帰るぞ~!」というパパ・ジェバンニの声が聞こえ、ニアはアリスに特別挨拶するでもなく、黙って階段を下りていった。
 リード家から目と鼻の先にある自宅へ戻ったニアは、ジェバンニからリード夫妻に聞かれたことを聞き、(なるほどな)と思った。実は自分の娘のアリスも自閉症だったが、藁にも縋る思いである<新薬>の被験者になったところ、彼女は今国際数学オリンピックで金メダルを取るほどまでに回復したというのだ。
「それは、きっととてもお金がかかることなんでしょうねってワインを注いでもらいながら聞いたら……まだ合法として認可されていない薬だから、危険が伴うことを承知さえしてもらえれば、お金は一切かからないということでした。ただ、そのかわり、薬の被験者は三か月あるいは半年の間、特別な研究所の施設で過ごしてもらうことが条件だって言うんです。一応、考えさせてもらう、と答えてはおきましたが……」
「決まりですね」と、その時ニアはジェバンニに言った。「もしあなたが、息子と離れるのはつらいが、それも病気の治療のためだから仕方ないと答えたとすれば、ジェバンニは彼らに殺されることになるでしょう。ここは答えを引き伸ばして、最終的には“ノー”と言ってください。時間を稼いでおいて、彼らの出方を見たい」
 わかりました、とジェバンニは答えていたが、その翌日にはメアリ・リードことブリジット・ロベルスキーはあからさまな色じかけ作戦に出ていたといっていい。何しろジェバンニはやもめになって三年にもなるという設定だったので――息子がいなければあなたももっと人生を楽しめるでしょうに、といったようなことを露骨にではなく遠まわしに言ったりした。そしてどこか悩殺的なポーズで、パイを焼いたとかなんとか口実を作っては、家の中まで上がりこんでくるのである。
 ロベルスキーはニアが自閉症児だと思いこんでいるので、そのへんのことについてはまるで遠慮がなかった。おそらくジェバンニにその気さえあれば、ニアの目の前でもかなりの際どいことをやってのけたに違いない。
ニアは困ったように照れ笑いしているジェバンニのことを見やりながら、(おそらくこれがロベルスキーの常套手段なのだろう)と思っていた。そしてリドナーのCIAの同僚にして元恋人であった男も、まんまと彼女のその策略にはまってしまったというわけだ……その時、リドナーは<殺し屋ギルド>というアメリカ国内における闇の組織を葬るべく、情報分析官としてヴァージニア州ラングレーにあるCIA本部で働いていたという。そしてシエラレオネで<殺し屋ギルド>の幹部が武器やダイヤの取引をするという情報を得――彼女の恋人であるヒュー・ブレットとともに、アフリカへ飛んだというわけだ。だがそれは結局、内通者であるブリジット・ロベルスキーがわざと洩らした偽の情報であり、ブレットは激しい拷問を受けた後、むごい死を迎えたというわけある。
 このことにより、ブレットと行動をともにしていたリドナーに組織内で疑いの目が向けられるようになったが、逆にリドナー自身には消去法として、ロベルスキーが内通者であるということがわかっていた。だが、ブレットとリドナーはその時、彼が一時の迷いからロベルスキーと関係を持ったことにより、婚約を解消していたので――リドナーがいくら上司にロベルスキーこそが裏切り者なのだと言っても、まるで取りあってもらえなかったのだという。
「ただの嫉妬による女の戯言だと、そう解釈されたんです」
 その上、ロベルスキーはとても立ち回りがうまく、それ以前から他の同僚たちに「ブレットに言い寄られて困っている、リドナーとは親友同士なのに」と何度も洩らしていたのだ……こうした悪条件が重なったことにより、リドナーは結局、内通者としてもっとも可能性の高い人物として組織の人間にマークされることになる。何故なら、彼女がもし<殺し屋ギルド>の幹部に情報を洩らしているとすれば、その逆を辿るのが犯人逮捕にもっとも近い、確実な方法だったからだ。
 ニアはリドナーから、上司として一通りその話を聞いて、CIAという組織に失望させられていた。だが、やはりLは見る目がある。<殺し屋ギルド>という悪の組織に関しては、Lは世界中のあらゆる場所から情報を収集していたので、当然ハル・リドナーという優秀な情報分析官がいることも知っていた。このままでは彼女は、自分の能力を組織内で活かしきるということが出来ないまま終わるだろう……そう思い、リドナーのことを引き抜いて、ニアの片腕につけたのである。
「さて、どうしたものやら」
 ニアは完成したブリッジに、マストを取りつけ、アンテナ線を接着しながら考える。すでにもう、船底部分は完成し、色も赤と黒の二色に塗装済みだった。あとは細部――浮輪や警告板や『TITANIC 1912』と書かれたプレートなどを付ければ、ほぼ完成といったところだ。
 もっとも、ニアが「どうするか」と呟いたのは、タイタニックの模型についてではない。こちらがリード家を張っているように、向こうもこちらの家の様子を探っている今、次にどう自分が動くべきかという、そのことを思っていたのである。
 そしてそんな時、不意に家のチャイムが鳴った。



【2008/09/18 05:01 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(13)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(13)

 先週の土曜の夜にあったウォルシュ家のパーティは、結果として大成功だったといえる――何故なら、パーティに招待された客たちはみな、すでに<普通の>パーティには飽き飽きしているような生徒が多かったからだ。みんな、会食している最中に誰と誰がくっついただの別れただの、あるいはハリウッド・スターの自分しか知らない素顔についてとか、そんな話ばかりをしている……あとはアルコールとドラッグと主催者の用意したちょっとしたショーくらいしか、楽しみなことはない。それか自分の恋人と見せつけるようにプールサイドで公然とイチャつくか……。
 そんな中で、パーティ嫌いで知られるルーク・フォスターが遅れてやってきたということは、招待客たちにとってはちょっとした<事件>だったといえる。校内新聞のネタ探しのために、ウォルシュ家へ忍びこんでいたアニス・ベーカーも、月曜日に早速とばかり校内新聞の号外をまたも生徒たちに配っていた。
『衝撃!!ウォルシュ家のパーティでルーク・フォスター狙撃される!!』というのがその見出しで、特にパーティに招待されなかった校内セレブに憧れる生徒たちはみな、こぞってその記事を読みたがった。

<ルーク・フォスターはこれまで、パーティ嫌いとしてみんなに知られてきたが、なんとこのたびその彼が、先週あったバーバラ・ウォルシュ主催のパーティへ出席したのである!!彼のパートナーは、チアリーダー部のキャサリン・エステヴァンで、彼女はその日、ラメ入りのとても素敵なイブニングドレスを着ており、エスコートするフォスターはオーソドックなタキシード姿だった。だが、彼らが友達のレイフ・ウィンクラーやリンダ・ハリスとプールサイドで楽しく談笑している最中に、どこかから銃弾が発射されたのだ!!
 一瞬、誰もが先日あった本校の忌まわしい事件のことが脳裏をよぎったことであろう……だがそれは、ただのブルーのペイント弾だった。フォスターは撃たれた際の衝撃で、プールへ落ちはしたものの、怪我はない模様。犯人はいまだ謎のままではあるが、おそらくフォスターのことを嫉んだ者の犯行か、<ダーク・スカルズ>の残党、あるいは超常現象に興味のある人間が彼に引き金を引いたものと思われる……>

 ティグランは、バスケ部のロッカールームでスポーツドリンクを飲みながら、くだらないのことの書かれた校内新聞をぐしゃりと握りしめた。
(やはりパーティへなど、行くのではなかったな)
 彼は後悔とともに、強くそう思う。もともと、パーティ特有のあの、ガヤガヤした雰囲気が彼は嫌いだったし、脳味噌のない連中が話すゴシップ話にも辟易していた。あとは顔も知らない奴が「最近、調子どう?」なんて気安く話しかけてくるのも我慢がならない。
ティグランは薬によってほぼ完治したとはいえ、やはり元は自閉症だったために、生来の性向までは変えられないものだと、最近特に強く感じる。もっとも、バスケットや他のスポーツをしている時は別だ――ルーク・フォスターことティグラン・デミルは、スポーツに没頭している時だけ、この世のすべての煩いから解放されるような気持ちになれる。何故といって、どのスポーツにもやはり明確なルールというものがあり、その秩序の中でプレイしている時だけ、彼の魂は解放されることが出来るからだ。それ以外のこの世における法則については、ティグランはいまもよく理解できないことが多い。
 今の時点ですでに、UCLAにスポーツ推薦枠で入学が決まっているルーク・フォスターではあるが、体育以外の成績についてはさっぱりだった。小さな時にもし、同い年のルースが彼に根気よく読み書きを教えてくれなかったとしたら――果たして今も、人並に文字を読んだり書いたり出来たか、あやしいものだと彼は思う。
 そういう意味で、ティグランにとってルースリア・リーデイルという少女は、昔も今も女神だった。彼女は彼に生きるべき意味を文字の理解を通して教えてくれた、かけがえのない存在だった。もっともルースは、数学の分野においては天才的な才能を持っているとはいえ――ティグランとは逆に運動神経のほうはさっぱりだった。だが、そのことを補うように、ルースには瞬間移動できる超能力が備わっているというわけだ。
(そもそも、こんなふうに俺たちが普通に学校生活を送ろうとしていること自体、不自然なことなんだ……)
 ミハイル・エッカート博士とトマシュ・ヴェルディーユ博士の死後、<ホーム>の秩序は事実上崩壊したも同然だと、ティグランはそう思っていた。ヴェルディーユ博士の娘のソニアは、カミーユの延命のためなら、手段を選ばない……そのことがわかりきっているだけに、カイはみんなの今後のために、ひとつの計画を打ちだしていた。まず、ユーロ紙幣の原版を盗むこと、それから世界中の美術館から有名な絵をかけ替えること……カイはそれをソニア・ヴェルディーユに対するレジスタンスの手はじめだと言った。
 正直いって、スポーツ以外のことではあまり先を読めないティグランには、カイの打ちだした計画が、将来的に何故みんなを救うことになるのかまでは、まるでわからなかった。だが、カイのすることに間違いはない……そのことだけはわかっているために、なんでも彼の言うとおりに動いた。けれど、結果としてカイが死んだ今となっては、ティグランには今まで自分が行ったことが正しかったことなのかどうかさえ、わからなくなっている。
 仲間の中で唯一セスだけ、カイが立てた計画の全貌について知っていると聞いていた。だが、彼はいくら問いつめても、「今はまだ話すべき時じゃない」と言って、重い口を開こうとはしない。ただ今は、とにかく組織内では大人しくしていること、上から<指令>があれば動き、米超能力研究所のシュナイダー博士の言うとおりにすることだと言われている……そして「時」が来たらカイが何をしようとしていたのかをすべて話すと、セスはそう約束してくれた。
 けれど今、ティグランは『自分の考え』でこれからは動くべきなのではないかと、そんな気がしていた。シュナイダー博士に言われたとおり、ティグランも他の仲間たちもみな、知能テストやその他よくわからない複雑な検査を受けさせられた後で――彼からこう言われていた。
「ようするに君たちは、良くも悪くも<世間知らず>なんだ。これからはもっと多くの同年代の子供たちと触れあい、コミュニケーション能力を深めるべきだと思う。もちろん強制はしないが、もし学校へ通うことに興味があれば、編入手続きを取ろう……誰か、興味のある人はいるかね?」
 フロリアン・シュナイダー博士は、縮れ毛の、頭のてっぺんが禿げたいかにも変人といった雰囲気の初老の男だった。会った瞬間から、こんな奴に自分たちの未来を託すなんて……と、ティグランは強い怒りと屈辱感を覚えていたものだ。だが、セスに「今は我慢しろ」と言われ、出来るだけ<上>の指示どおりに動いてはいる。けれどもう……。
(限界だな)
 そう、ティグランは思った。近いうちに大統領をはじめとした政府高官を集めて、超能力者のデモンストレーションを行うという。その時の出来いかんで、ロスにある超能力研究所に莫大な資金が拠出されかどうかが決まるという話だったが、まるでサーカス小屋で見世物にされるようだとティグランは思っていた。
 シュナイダー博士の<学校へ通う>という提案は、ティグランにはまったく興味の持てないもので、他の仲間たちも同じように感じたようだった。だがその中でひとりだけ――ルースが是非一度他の同年代の子供たちに混ざって勉強してみたいと言ったのだ。ルースが高校へ通うというのなら、当然自分も彼女を守るために学校へ行かなくてはならない、ティグランはそう思った。同じように彼女から根気強く読み書きを教えてもらったボーも、自分と似たような気持ちだったろう。
「じゃあ、学校へ通いたいのはルースとティグランとボーの三人でいいのかな?」
 ティグランはその時のことを思いだし、内心、チッと舌打ちする。あの禿げ男が高校へ通ってみないか、などと言いだしさえしなければ……自分たちは平和だったのにと、強くそう思う。
 先週の土曜日、心ならずもバーバラ・ウォルシュのパーティへ出席することにしたティグランではあったが、それは副キャプテンのレイフに「おまえが来てくれなければ、俺はリンダと破局する」と説得されてのことだった。彼がつきあっているリンダと、チアリーダー部の部長であるキャサリンが親友であることは、ティグランももちろん知っている。
「いつまでも自分に振り向いてくれない娘のことを追いかけるより、キャサリンで手を打っておけよ。キャスの一体どこが不満だ?ブロンドで胸もでかいし、おまけに性格までいいときてる。みんなが言ってる声におまえも少しは耳を傾けろよ……スポーツ馬鹿のおまえと天才金メダリストじゃあ、釣りあいがとれないって、本当はおまえだって心の中じゃあわかってるんだろ?」
 レイフの話によれば、リンダは毎日のようにキャスから自分のことで悩んでいると電話され、リンダといざセックスしようとする度に携帯が鳴るのだという。内心(知ったことか!)と思いはするものの、最後にはアリスにやきもちを焼かせるいい機会だとそそのかされ、思わず同意してしまったというわけだ。
 けれど今、ティグランはぐしゃりと丸めた校内新聞を屑籠へ投げ捨てながら、自分の選択は間違っていたとあらためてそう感じる。ペイント弾を肩とわき腹のあたりにそれぞれ受けた瞬間――彼は反射的に念動力でそれを一瞬止めていた。そして、自分からわざとプールへ飛びこんだというわけだ。
 その瞬間に、確かにティグランはウォルシュ邸の屋根の上に誰かがいたのを見た。黒い影がちらっと動いたという程度だったので、もちろん誰なのかまではわからない。だが、みんなが騒ぐ中をなんとかかき分けて、人影が消えた方角にあった部屋を片っ端からすべて探してまわった。
 すると、ヤクでハイになっている連中や、ベッドで抱きあっている恋人たちの他に、ペイント弾の入ったライフル銃を手にしたままのびている、ひとりの男がいた。ティグランはケビン・クロムウェルの胸ぐらを引っつかむと、悪魔のようなおそろしい形相で、「おまえがやったのか!?」と怒鳴りつけた。
 だが彼は、バーバラ・ウォルシュをレイプしようとしたことは本当だが、ペイント弾については何も知らないと、そう繰り返し同じことを言うばかりだった。ティグランはベランダに出、屋根の上を見上げたあとで、ケビンの言葉をすべて信じることにした。
 第一、 彼にはこんなことをするメリットがないように思われたし、もしやったのならバーバラをレイプしようとしたと、自白する必要性がなくなってしまう。それよりも、狙撃した人間がたまたまベランダから下りてきたら、ケビンがバーバラを犯そうとしている現場に行きあってしまった……そして彼女を窮地から救った、状況証拠を見ると、そんなところではないかと、ティグランには推察された。
(ミハエル・ケール……あいつは危険だ)
 メロと最初に会った第一印象からして、ティグランは彼のことが気に入らなかった。もちろん、ルースのこともある。だが今日、A組の教室で、バーバラ・ウォルシュとイチャついているメロのことを見て、ティグランは確信した――間違いなく、ペイント弾はこいつが撃ったのだと……。
 もっとも、動機のほうはティグランにもよくわからない。他の人間であればおそらく、バスケの試合で恥をかかされたからとか、そんなことを想像するだろう。だがティグランにはそうは思えなかった。もしルースのことでした約束が不満であれば、彼女の前でバーバラとイチャついたりもしないだろう。そして何よりティグランが許せないと思うのは、ルースのことだった。
 キャサリンのことを思えば、自分も人のことは言えないが、メロは少なくともルースの気持ちに気づいているはずだとティグランは思っていた……それなのに、そのルースの気持ちを無視して他の女とイチャつこうとするその無神経さ。(今日こそ、目にもの見せてくれる)と、ティグランはとうとう放課後に、ミハエル・ケールのことを体育館へ呼びだしていた。
 幸い、今日から試験前ということで、どの部も体育館を使用できないことになっている。あとは、奴がやってきたら、人がいないことを確かめた後で、念動力ですべてのドアをロックすればいいだけの話だった。
 約束した時刻は午後五時――ティグランは腕時計にちらと目をやると、バスケ部のロッカー室から出て、体育館へ向かっていった。まるで、プロのスポーツ選手が競技のために、ゆっくり舞台へ上がっていくように……。



【2008/09/18 04:55 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(12)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(12)

 バーバラ・ウォルシュは、パーティの招待客のひとりひとりに愛想を振りまきながら、プールサイドを歩いていった。彼女自身はロデオドライブにあるグッチで買った白のドレスを着ている――まるでマリリン・モンローが着ていたような、胸の谷間と背中があらわなドレスで、彼女の髪型もモンロー風だった。もっとも、友達からよく言われるのは、「バーバラってドリュー・バリモアに似てるわよね」ということだったけれど……。
 実際バーバラは、父親のコネクションで、その昔『E.T.』で子役を演じていた女優と直接会ったことがある。他にもパーティでブラッド・ピットやアシュトン・カッチャー、レオナルド・ディカプリオやトム・クルーズなどなど、ハリウッドの俳優たちとは数えきれないほど会ったし、親密な話をしたこともある。バーバラの父親は某大手映画配給会社の重役なので、娘の彼女が「会いたい」と言えば、そう出来ない俳優はひとりもいないくらいだったと言ってもいい……けれど彼女は特に、そうした我が儘を父親におねだりしたことはなかった。
(だって、わたしが欲しいのは、パパの権力を通してじゃなく、本当のわたし自身を見てくれる人なんだもの)
「ハイ、バーバラ」
「あら、モニカ。楽しんでる?ケビンならさっき、ビュッフェ・テーブルのほうにいたわよ……『君のところのピザはいつも最高だね』って言ってたわ。彼ってほんとにキュートよね」
 ケビン・クロムウェルは、最近モニカの恋人に昇格したばかりの取り巻きのひとりだった。ちなみにモニカが初体験をすませたのは十四の時で、お相手は有名ロックバンドのヴォーカリストだったらしい。以来、彼女はまわりに男たちを犬のようにはべらせては、残酷な気まぐれさで彼らを上へあげたり下にさげたりしている。
「彼はあたしがいなくても、ピザとコーラさえあればいいのよ」
モニカは呆れたように肩を竦めている。ブロンドの髪を赤く染め、さらに爪もドレスも真っ赤だった……このままレッドカーペットの上を歩いて、アカデミー賞の授賞式にでも参加できそうな装いである。
「ケビン・クロムウェルなんて、今日のあたしにとってはおまけの保険ってとこ。それよりもねえ、ルーク・フォスターと例のメロって子、もう来てるの?」
 バーバラのフランスシャトー風の別荘では今、宴もたけなわだった。プールサイドでは恋人たちがそれぞれ抱きあったりキスしたりしてイチャつきまくってたし、二階にいくつもあるゲストルームでは、大麻やコカインでハイになってる子たちがたくさんいる……だが、意外に思われるかもしれないが、バーバラはパーティの主催者としてはめを外すということが出来なかった。彼女にとって今夜もっとも大切なのは、みんなに「あなたのパーティっていつもサイコー!」と言われながら帰ってもらうことなのだ。だが、そんな彼女にもやはり、パーティの花形としてのお目当てがいた。
「招待状のチェックリストには、メロは来てるってことになってるのよ。パーティのはじまりっていつも混雑した感じになるでしょ?それで一通り顔ぶれが揃ってるかどうかさっきチェックしてみたんだけど……」
「いないわけ?じゃあ、ルークはどうなの?」モニカはタバコに火を点けながら言った。彼女が喫煙するようになったのは、ケイト・モスがマルボロを吸っているのをじかに見て以来らしい。
「レイフとリンダに頼んで、絶対キャスとルークを一緒に連れてくるようにって言っておいたんだけど……レイフもリンダもまだ来てないのよ」
「やったじゃないの!!」と、モニカはピッ、と煙草を投げ捨て、バーバラに抱きつく。「それは脈アリってことよ!!レイフとリンダだけ来てるんなら、ほぼ来ないと見ていいでしょうけど、ふたりが遅れてるんなら、絶対キャスとルークもくるわ。なんてったってルークは未来のロサンゼルス・レイカーズのメンバーなんですもの。今のうちに親しくしておくに越したことはないわ」
 興奮した様子のモニカに合わせて、喜ぶような振りをしながらも、バーバラの心はまったく別のことを考えていた。チェックリストには名前の横に丸があるのに、メロの姿がどこにもない……受付係(レセプショニスト)が間違えたとも考えられるが、確かに何人かの人間がパーティのはじまった最初の頃、メロのことを見かけたと言っている。連れはなく、いつものとおりレザーの上下を着ていたという話だった。
 やがて、ロールスロイスに乗ってレイフとリンダ、そしてキャスとルークが到着すると、モニカは興奮したようにリンダやキャサリンと抱きあっている。だが、いかにも気が乗らないといった顔つきのルークのことは無視して、やはりバーバラはメロのことを探し続けた……ルークのことを呼んだのは、学校の中でも誰もが一番来たがる彼女のパーティに、プロのスカウトがすでに来ている彼の名前がないのが癪だったからだ。だが、バーバラにとってメロのことは違う。うまく説明できないけれど、とにかく彼は<何か>が違うのだ。
 メロが転校してきた初日に、バーバラはすぐにそのことを感じとっていたけれど、意外にもアリス・リードまでが彼女と同じ感情をメロに覚えたらしいのには驚きだった。メロはどう見ても、ちょっと不良っぽかったし、その彼に頭脳派の優等生が大胆に近づいていったのは、本当に意外だったとしか言いようがない……チアリーダーのキャスとは仲がいいため、あまり大きな声では言えないけれど、ルーク・フォスターにはアリス・リードとくっついて欲しいというのがバーバラの本音だった。
 そうなればメロは完全にフリーだし、誰に気兼ねするでもなく広いおつきあいというのをすることが出来るだろう……そんなふうにバーバラは思っていた。
 バーバラ・ウォルシュは小さな頃から孤独な少女で、今も本当の友達と呼べる人間はひとりもいなかった。もちろん、周囲の生徒たちは、バーバラとモニカにだけは何があっても絶対逆らえないというような、そういう態度をとってはくれる。だがバーバラは普段一等仲良くしているモニカ・パーカーのことを、本当の意味での友達だと思ったことは一度もない。
 モニカの家は資産家で、学校一の金持ちであり、さらには親戚にハリウッドの大物がうじゃうじゃいるという、そういう家柄の女の子だった。それで彼女は<自分の最高の地位に見合う>友達としてバーバラのことを選んだという、単にそれだけなのだ。バーバラは学校の成績は捗々しくなかったが、それでも人を見る目と本当の意味で大切なことを見分ける賢さだけは持っているつもりだった。彼女にとってはパーティを盛り上げるアルコールもドラッグも、本当には意味がない。それだって単に酒を飲めなければ友達に白けられるし、ドラッグを嗜むのも「あの子ってブッ飛んでていつもサイコー!」と言ってもらう、そのためだけにやるようなものなのだ。
(誰か、こんなカラッポの生活から、あたしを救って……)
 高校へ入学して以来、それがバーバラの一番の望みだった。モニカや他の友達には嘘をついているが、彼女はまだヴァージンだった。夜毎夢に見るのは、自分のことを本当に心から愛してくれる信頼できる男性が現れて、この嘘と虚飾が蔓延するLAという街から、自分を救いだしてくれるという、そのことだけだった。
(少なくともメロは、同学年によくいる女の子とやりたいだけの男子とは違う気がする……その手の奴は、あいつのヴァージンは俺がもらったとかなんとか、友達に言い触らしたりするけど、メロはきっと違うわよね。彼はそういうことは絶対、胸に秘めておいて言わないタイプだって、何故だかそんな気がするの)
 お楽しみの最中の物音が聞こえる寝室の前を通り、バーバラは擦れ違う客たちに愛想笑いをふりまきつつ、目では真剣にメロのことを探していた。何しろ、屋敷の中は広い上、今日は百人近い招待客が来ているのだ――どこかに適当な女の子としけこまれたら、それこそ探しだすのは困難だった。
(それとも、パーティが退屈で、早々に帰っちゃったのかしら?)
 もしそうなら、それならそれで、バーバラのメロへの思いは募る。自分だっては本当はこんな金にあかせたパーティ、開きたくなんかないのだ。ただ、みんなから「バーバラってつまんないわよね」と言われるのが怖くて、一生懸命見栄と虚栄を張っているという、ただそれだけなのだから……。
 そして、バーバラが階段の吹き抜けから、ダンスを踊るカップルたちのことを見下ろして、深い溜息を着いていた時――その悲劇は起こった。
 彼女は突然革の手袋をはめた男に背後から襲われ、目立たない一室へ瞬時にして引きずりこまれていた。男は、革の手袋で覆っていた彼女の口許から手を外すと、今度はそこにさるぐつわを噛ませる……バーバラはあまりのことに、悲鳴を上げることさえ出来なかった。
「へへ……いい格好だな、バーバラ」
 ケビン・クロムウェルはタキシードの胸元からロープを取りだすと、バーバラの手首をベッドの上に固定している。そして四柱式のベッドの柱に、それをくくりつけていた。
 もちろん、バーバラとて抵抗しなかったわけではない。だが彼は空手とテコンドーを習っているのを自慢にしているような、筋肉馬鹿だった。もし逆らったとしたら、何をされるか……。
「俺はさ、高慢ちきなモニカなんかより、あんたのほうが本当は好みなんだよ。髪だって混じりけのない、綺麗なブロンドだしさ……」
 うーうーとうなり声をあげても、足で蹴りつけようとしても、まるで無駄だった。ケビンは無力な彼女の抵抗を楽しむように、バーバラの足を開き、それから胸の谷間に顔をうずめる。
「すぐに気持ちよくしてやるからな……」
 バーバラの青い瞳の中から諦めと恐怖の涙がこぼれ落ちた時――突然、ゴツッ!と何か鈍い音がした。それでバーバラは、覚悟を決めるようにぎゅっと瞑っていた瞳を、ゆっくりと開く。
「おい、あんた大丈夫か?」
 ベッドの柱にくくりつけられたロープをほどきながら、メロが言った。風を感じた方角に目をやってみると、ベランダに通じる窓が開いている……ということは、彼はそこから入ってきたのだろうか?
 ベッドの上には何やら物騒なもの――組み立て式のライフル銃が置いてある。メロがバーバラのさるぐつわを外すと、彼女はここぞとばかり、彼に抱きついた。
「俺に泣きつかれたって困る……それよりも、俺は早くここから出たいんだ。あんた、このパーティの主催者なんだろ?今プールサイドじゃちょっとした騒ぎになってるはずだから、早く駆けつけたほうがいかもな」
 バーバラがそれでもなおメロに抱きついて離れないままでいると、彼は半ば強引に彼女のことを離してよこす。
「悪いが、助けてやった礼に、俺がここにいたってことは、黙っておいてくれないか?それとこのライフル銃は、この変態野郎の物だったってことにしてくれると、もっと助かる」
 バーバラは、まだ事情がよく飲みこめなかったが、それでもなんでもメロの言うとおりにしようと思っていた。メロが部屋の外の様子を窺っているのを見て、彼の後を即座に追いかけることにする。
「ねえ、どこいくのよ?」
「家に帰るさ。とりあえず、やるべきことはしたからな」
 あたしも一緒に行く、と言葉にはせず、バーバラはそのままメロの後ろをついていった。そして「キャー」とか「ワー」と客たちの叫ぶ騒ぎには一切構わず、裏口のほうにメロのことをそっと手引きする……(こういうのって、なんだかほんとに映画みたい)、そうバーバラは思い、背筋がぞくぞくっとするのを感じた。
 それからさらに、メロが駐車場に停めたハーレーのところまで行くのを送っていき、思いきってこう聞いてみる。
「ねえ、後ろに乗せてくれない?」
 断られるかと思ったが、意外にもメロは、いいだろうというように、頷いてくれた。彼にしてみれば、今夜のパーティを台無しにしたという後ろめたい気持ちによって、主催者のバーバラをバイクに乗せてもいいと思ったのだった。そのくらいのことで今夜のことを黙っていてもらえるなら、安いものだとも思った。
 メロは金曜日の午後、カフェテリアでバスケ部の副主将がルークのことをしつこくパーティに誘う会話を聞いていた――ルークのほうはまったく乗り気ではない様子だったが、それでも彼が最後に「考えておく」と渋々答えたのを聞いて、メロは今日の作戦を実行へ移したというわけだ。
 学校で白昼堂々、ペイント弾を撃つというのは、少し前に銃の乱射事件が起きたばかりだけに、流石にメロにもためらわれた。だが、パーティ会場となった家で深夜ということなら、誰がなんの目的でルークのことを狙撃したのか、誰にもバレることはないだろうと思ったのだ。
 つまり、メロがその夜実行したのは、次のようなことだった。
 まず、パーティ会場であるウォルシュ家に到着するなり、目立たない部屋の一角から屋根へ上り、そのあとルーク・フォスターがやってくるのを、その見晴らしのいい場所から待っていた……彼の登場があまりにも遅いので、やはりパーティへは欠席することにしたのかとメロが思った時、丘を上ってやってくる、ロールスロイスの姿が見えたというわけだ。
 そしてメロはプールサイドでチアリーダーのブロンド娘と話す、ルーク・フォスター目掛けて青色のカラーペイントが入った改造銃を撃ったというわけだ。射程距離は18メートルで、メロの計算によれば、この弾に撃たれても怪我はまったくしない。もちろん撃たれた瞬間に軽い痛みはあるだろうが、至近距離でBB弾を撃たれるほどではないはずだった。
 こうしてメロは、ルークが超能力を見せてくれるかどうか試したわけだったが、残念ながら彼のこの作戦は失敗に終わったといえる。ルークは撃たれた瞬間の衝撃で後ろのプールへ飛びこみはしたが、そこには青いペイントが何かの染みのように広がっているだけだった……もしかしたら最初からどの方角から撃たれるかわかっていないと、彼の力は発動しないのかもしれない。
(いや、それでも収穫はあったともいえるか?あいつは、確かにペイント弾の衝撃を緩めるように一瞬止めた――だが、とっさのこととはいえ、プールに飛びこんだのはいい判断だったといえるだろう。じゃなければ、<力>を使ったことで不自然な形にペイント弾がはじけ飛んでいただろうからな)
 メロはバーバラを後ろに乗せたまま、ロサンゼルスの夜景を見渡せる、丘陵の上のほうまで登りつめていった。バーバラはハーレーに乗る前に、寒いだろうからと言ってメロが貸してくれたジャケットを羽織っていたけれど……(彼って最高!これこそ本当の恋ってものだわ!)と、赤く火照った頬をメロの背中に押しつけていたのだった。
 ドライブコースによくある、景色を見渡せる待避場所にメロはバイクを停め、一度そこでエンジンを切った。そこから、バーバラはメロと並んでロスの不夜城のようなロマンチックな夜景を、惚れぼれと眺めやる――もちろん彼女は、この手のデートを何度もしたことはあった。だが、どんな高級な車に乗る男も、ボロい日本車を改造した青年も、考えていることはみんな一緒だった。バーバラのFカップある大きな胸のこととか、厚ぼったい唇のこと、それにむっちりとした白い太腿のことしか、頭にはない……そういうタイプの男としか、バーバラはこれまでつきあったことがなかった。
「あの……今日は、助けてくれてありがとう」
 せっかくの素敵な沈黙を破るのは、バーバラとしても不本意だったが、メロがバイクに戻る仕種を見せたので、慌ててそう言った。もう少しこのまま、彼と何か話をしていたかった。
「べつに」と、メロはポケットからチョコレートを一枚取りだしながら言う。「それよりもさっきのことは黙っててくれ。いや、話されても困りはしないが、色々噂されると面倒なんでな」
 バーバラは、家の裏口から駐車場までメロを案内する過程で、彼が何をしたのか、漠然とではあるが推測していた。まず第一に、ペイント弾で撃たれて、プールに落ちたのがルーク・フォスターであることから――メロが彼を撃ったことはまず間違いないと見ていいだろう。
(でも、なんのために?)と、そう思った時に、パッとバーバラの脳裏に思い浮かぶのは、次のようなことだった。①バスケの試合で負けたことに対する腹いせ、②アリス・リードを彼に取られたくないことによる、嫉妬が原因の犯行……けれど、そこまで考えてからバーバラは、ぷるぷると首を振る。他の女が同じ仕種をしたすれば、いかにも馬鹿っぽかっただろうが、彼女の場合は可愛かった。
「あ、あたし、黙ってるし、誰にもなんにも言わないわ。第一あなたは、わたしの命の恩人なんだもの」
 命の恩人、というよりは貞操の恩人かしら?と思いつつ、バーバラはまくしたてるように話し続ける。空気を読むのが得意な彼女には、メロがチョコレートを食べ終わったら、下の世界へ戻るつもりでいることがわかっていた。
「あのね、実はあたし……まだヴァージンなの。だから、あんな奴にヤラレてたら、マジで最低よ。でも友達みんなには嘘ついてるの。ニースの別荘に行った時、ちょっとイケてる子がいたから、思わずやっちゃったとか、そんな馬鹿な話……ほんと、見栄なんか張っちゃって、馬鹿みたいでしょ。でも、ロスってもともとそんな街じゃない?映画のチョイ役のオーディション受けて、ほんとはドラムなんか叩けないのに、特技はドラムを叩くことですとか思わず言っちゃって……うっかりその役が来てから、必死でドラムの練習したり。うちの親もね、ふたりともそんなような人なの。ママは有名な女優だけど、トップをキープするって、ほんとに大変なことよ。名声ってまるで麻薬みたいなものなんだって、ほんとにそう思う。それに彼女、娘のあたしから見ても、最近ちょっとおかしいの……変な占い師にハマっちゃってね、クリスタルのパワーが邪気や悪い運からあなたを救うって言われたらしくて、家中クリスタルだらけなのよ。そんで、ママの守護聖獣はイルカとかで、毎日大きなイルカのクリスタルの前で、ヨガビクスとかやってるんだ。あとは中国のうさんくさい導師に風水パワーがどうこう言われて、あなたから愛が逃げていくのは、寝室のある方角が悪いからとかなんとか……それで家の中も大改造したんだけど、パパはそれっきり家から出ていっちゃった。おまえの占い好きにはもうほとほとウンザリだって、最後にそう言ったの。ママから愛が逃げていくのは、本当は占いのせいなのに、今も彼女はパパのことを愛人から取り戻そうとして、その力に頼ってるのよね」
 話してるうちに何故か、バーバラは涙が頬をつたっていくのを感じた。自分の両親はたぶん、近いうちに離婚して、その報道が世界各地に流されるだろう。誰か他の有名人が離婚記者会見を行っている時は、(お気の毒さま)くらいにしか思わないのに、いざ自分の身に同じことが起きてみると……とてもつらかった。
「やだもー、なんだか湿っぽい話しちゃった」
 バーバラは本当は泣きたくなかった。だって、本泣きしたら、マスカラが溶けて黒く滲んでしまう……そんなところ、メロにだけは絶対に見られたくない。
 メロは、ロスの光り輝く宝石のような夜景を見ながらチョコを食べ終わると、ただ黙ってバイクに戻った。バーバラに対する慰めの言葉も、優しい抱擁もキスもない。けれどバーバラは、何故かそのことにとても満足していた。もちろん、メロにしたところで――大抵の女性はただ話を聞いてあげるだけで満足するものだとか、何かその種の奥義を掴んでいたわけではまったくない。ただ、彼は彼女に興味がなかった。今日のこのドライブは、単に自分が夜景を見たかったこと、それにバイクを少し走らせたかったという、メロの気まぐれによるものに過ぎないのだ。
 帰り道でバーバラは、メロの背中に自分の胸をわざと押しつけたが、それは彼女の頭の中ではセックスアピールというのとは、少し別のものだった。これまでバーバラは、ボーイフレンドが自分の胸の谷間を見たり、目を逸らしたりするたびに――(相手に何かさせてあげたほうがいいのかしら?)と、そんなふうに思うことが多かった。けれど今は、自分がそれをしたいのだと思った。今日の夜、ケビン・クロムウェルがバーバラの意志などまるで無視してしようとしたこと、それと同じことを彼女はメロとしてみたかった。
(でも今は)と、バーバラは夜気をきる風の心地好さを感じながら思う。(これだってある意味、ひとつになるっていうのと、同じことだもの。ふたりでバイクに乗って風と一体になること……もしかしたらセックスなんかより、こっちのほうがずっと気持ちいいかも!)
 バーバラがパーティの終わった自分の屋敷へ戻った時、そこには使用人以外誰もいなかった。こういうことがあった時のために、ウォルシュ邸には何人もの警備員がいる。彼女の母親は自分の留守中に娘がパーティを開き、不測の事態が起きた時には――行きすぎたティーンエイジャーたちを即刻解散させるよう、彼らにきつく命じていたのだ。
 バーバラがスカッ!とした気分で、フランスシャトー風の邸宅の前でバイクを降りた時、彼女はメロに今日借りたジャケットを返そうとしなかった。
「だって、この服の袖で涙を拭いたりしたから、汚れちゃったんだもの。クリーニングして返すから、ちょっと待ってて」
「そんなことはべつにいい」と、メロはいかにも素っ気なく言ったが、バーバラはいやいやをするように首を振る。
「ダメよ。第一それじゃ、わたしの気がすまないの」
 バーバラはメロが黙ったのを見ると、彼の頬に軽くキスした。そして恋する乙女の切ないハートを抱えて、一目散にバラの蔦が絡まるアーチの下を走っていく。
(キャーッ!!やっちゃった、やっちゃった!これでまた彼と学校で話をする口実ができたわ!!)
 もちろんメロのほうでは、彼女が自分にキスしたことなどどうとも思っていなかった。ただ、レザージャケットのほうは返してほしかったという、それだけだ。流石に夜は少し冷えこむ季節なので、コンドミニアムへ戻るまでに、肩が少し寒い……だが結局、(まあいいか)と思い、ビバリーヒルズの高級住宅街を走り抜けていったのだった。



【2008/09/18 04:46 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(11)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(11)

 メロが自分を避けている、ということは、ルースは最初まるで気づかなかった。だが彼は、自分が話しかけるたびに気のない返事をし、目さえ合わせようとしない……(いくら切羽詰っていたからって、やっぱり告白なんてするんじゃなかった)、そう思ってルースは落胆した。
 けれど、自分にはあまり時間がない、という感覚が彼女にはいつもつきまとっており、それが早まった告白を導いてしまったのだとも、ルースには冷静に分析できるだけの頭の良さがあった。自分の年齢は今、十七だ。そして超能力者たちの平均寿命が19.23歳ということを思えば……生きてあと三年。あるいはもっと早くに死ぬ場合もある。そのことを思うと、ルースはたった今メロに自分の生い立ちや超能力のことなど、すべてを話してしまいたい衝動にさえ駆られた。
(わたしのこと、本当には好きじゃなくてもいいの。ただ、わたしはあまり長く生きられないから――その間だけでも、恋人の振りをメロがしてくれたら……)
 もう、死んでもいい、ルースは本気でそう思った。けれど、おそらくメロはきのうの自分の告白を、重いと感じたのだろう。朝も家まで迎えには来てくれなかった……おとついに彼が自分を送り迎えしてくれたのも、単なる気まぐれか、転校初日で学校を案内してくれる人間が欲しかったという、ただそれだけの理由だったのかもしれない。
(それなのにあたしったら、ひとりで舞い上がったりして……本当にもう、馬鹿みたい)
 ルースはその日一日の授業を、うわの空で落ち着かなげに過ごした。もちろん彼女にはメロ同様、どの教科の教師に突然当てられても、大抵のことには答えられるだけの知識の蓄積があった。けれど、国語の時間に突然――「ロミオとジュリエットが死なずに生きていたら、どうなっていたと思いますか?」とミズ・サマセットに質問された時、ルースは言葉に詰まって何も答えられなかった。
 そしてちょうどその時に終業の鐘が鳴り、ルースへのサマセット先生の質問はそのまま、宿題として持ちこされることになる。レポートの提出期限は来週の月曜日まで……折りよくチャイムが鳴ったことで、恥をかかずに済んだとはいえ、やはりルースの心は重いままだった。
 シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をルースが初めて読んだのは、ほんの十歳頃のことだったと記憶している。だが、最初に読んだ時に彼女が持った感想は、「この人たち馬鹿じゃないかしら?」というものだった。名ゼリフとして知られる、例の「ロミオよ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」というジュリエットの熱に浮かされた告白も、当時のルースには理解不能だった。それこそ「ロミオはロミオだから、ロミオなのよ」としか思わなかった。それなのに、今は……。
(胸を締めつけられるくらい、ジュリエットの気持ちがわかるわ)
 ルースは放課後に図書館で『ロミオとジュリエット』を借りると、物思いに耽りにながら、ロミオとメロを心の中で重ねあわせた。彼女はその日、部活動は休み、サマセット先生がだしたレポートの宿題を一気に片付けることにしていた。これまで、どちらかというとルースは文系の教科は苦手だったのだが、この日の宿題は自分の今の心情とジュリエットの心を重ね合わせることが出来たお陰で――レポートの出来栄えはとても素晴らしいものになったと自分でも思う。これなら、いつもは採点に厳しいミズ・サマセットもAをつけてくれるに違いないと、ルースはそう確信したほどだった。
(ジュリエットはきっと、最後に死んだその瞬間、とても満足だったはずだわ……だって、本当の愛って、相手に「本物」を与えることが出来たというそれだけでも、かけがえのないことだもの。そしてロミオも彼女に本当の愛を捧げてくれた……こんなに完璧なことってないわ。そしてふたりの人間は完璧なままで滅ぶことが出来たのだから、こんなに幸せなことってなかったんじゃないかしら)
 そう思いながらルースがレポート用紙を閉じていると、そっと誰かが肩に手を置いた。親友のジェシー・スミスだった。おそらく弁論部の論議を早めに切り上げたのだろうと、ルースはそんなふうにぼんやり思う。
「何よ、部活動はサボっておいて、こんなところで勉強してたの?まあ、べつにいいけどね。メロのことなら話に聞いてるし」
 メロ、と恋する青年の名前を聞かされただけでも、ルースの心臓は激しく高鳴ってしまう。
「メロがどうかしたの?」
「どうもこうも……」と、驚いたようにジェシーは目を丸くする。「まさかルース、何も知らないとは言わせないわよ」
 ほらこれ、と言うようにジェシーは『ビバリーヒルズ・クロニクル』――校内新聞の号外を鞄の中から取りだし、とんとん、とその表紙を叩く。
「なに、これ……!?」
「ねえ、ルース。本当にあなた何も知らなかったわけ?」
 そこには、メロと彼女の幼馴染み、ティグランことルーク・フォスターがバスケットのゴール前でボールを取りあう写真が掲載されていた。見出しは<転校生同士の勝負の行方は!?>となっている。新聞部の鬼部長として知られるアニス・ベーカーにしては、随分抑えた文言だったといえるだろう。
(フォスターは、試合を見学していたミハエル・ケールに突然突っかかり、喧嘩口調で勝負を挑んだ……ワンオンワンで、20分以内にどちらがより多く得点するかを競うものだ。ケールも健闘はしたが、何分フォスターはみんなも知ってのとおり、バスケット部の主将である。彼には決してスリーポイントを外さないという武器まであるのだ……試合は結局15対48でケールの惨敗に終わるも、見守る周囲の人間誰もが息をのむほどの、素晴らしいプレイを彼は見せてくれたとわたしは思う。そして試合後、勝った時の条件はとケールに聞かれ、フォスターは「アリス・リードから手を引け」と答える。みんなも知ってのとおり、数学国際オリンピックの金メダリスト、あの天才のアリス・リードだ(※右下の欄に人物紹介あり)。フォスターは前にも本紙でお伝えしたとおり、彼女に首ったけであり……)
 ルースは、青ざめた顔をして、ぐしゃりと校内新聞を握りつぶす。その手が微かに震えているのを見て、ジェシーはなんとなく心配になった。
「……アリス?」
(わたしは、そんな名前じゃないわ)
 この時ルースは、超能力を使いたいという衝動を、どうしても抑えきれなくなった。ロスの研究所のシュナイダー博士からは、学校内での超能力使用はいかなる場合も禁止だと言われている……それでも、ティグランが銃乱射事件でPKを使った時には、例外として彼はそれを認めていた。第一自分の場合は、他の誰をも傷つける心配のない能力なのだ。いや、姿を見られる危険性は確かにあるにしても、テレポートの瞬間を目撃したところで、大抵の人間は目の錯覚だと思うに違いなかった。
「ごめんなさい、ジェシー。わたし、ちょっと用があるのを思いだしたわ」
 そう言うなり、鞄に文房具類のすべてを急いで詰めて、ルースは席を立つ。慌ただしげに図書館を出ていく彼女を、ある者は苛立たしげな目で眺め、ある者は好奇の目で見ていた……これもすべて、校内新聞の威力のせいだったといえるだろう。
 確かに、ランチの時にも、自分のまわりに誰も寄ってこないとは、彼女自身気づいていた。時折、意味ありげな視線で見られたような気もするけれど、気のせいだろうとしか思わなかったのだ。何より、その時ルースの頭の中はメロのことでいっぱいだったので――誰か他の人間の思考にまで想像を膨らませる余地はまったくなかったといっていい。
 ルースは人気のない校舎の一角までくると、そこから体育館の裏手まで、一気に<飛んだ>。目立たない裏庭の茂みに無事着地し、誰にも姿を見られなかったかどうかと確認する……超能力者がその能力を使用したくなるのは、感情的にストレスがかかった時だ。その時にはストレスそのものが能力発動の手助けをするので、体にはまったく負担はかからない。
 ルースは周囲に人が誰もいないのを見てほっとし、体育館裏にある屋外コートでバスケ部が基礎体力の訓練をしている風景をちらと眺めやる。今日はコーチの姿がなく、代わりにキャプテンであるルークが、自ら下級生の面倒を見ているようだった。もう一方のコートではレギュラーや準レギュラーの生徒たちが、練習試合を行っている。
(下級生の前で恥をかかせるみたいなこと、わたしも出来ればしたくないけど……)
 そう思いながらも、ルースはもう自分を抑えることが出来なかった。今日一日、自分がどれだけメロのことを思い、彼に嫌われたと思って気に病んでいたか……そのことを思うと、これはティグランに対する正当な制裁行為だと、ルースにはそうとしか思えなかった。
「ルーク!!」
 反復横跳びをしている一年生の傍らを通り抜け、ストップウォッチとボールを手にしたティグランの前まで、ルースは肩を怒らせながら、スタスタと大股に歩いていく。
 そして、彼女より二十センチ以上背の高い、浅黒い肌の青年の頬を、まるで母親がおしおきでも加えるみたいに、バシッ!!と思いきり打ちすえた。
「あたしが何故こんなことをしたのか、あなたにはわかるわよね!?」
 きのうに引き続き、恋愛ドラマのこじれが見れるだけあって、バスケ部の生徒たちは全員、浮き足だったようにアリスとルークに注目している。
「アリス、俺は……」
 いつもは男らしいキャプテンが、惚れた女にはてんで弱腰なのを見て、誰もがみな口笛を吹きたいような衝動をこらえる。何しろ今日はカミさんが産気づいたとかで、コーチが留守なのだ。ここでまずい態度をとったが最後、ルークがこの後どれだけの猛特訓をひとりひとりに課すかを思えば――野次を飛ばせる勇気のある人間は、誰もいなかったといえる。
「メロに、あなたの口から例の約束は無効だと言って!!じゃないとあんたとはこれから、一生口なんか聞いてやらないからっ!!」
(……そんなにあいつが好きなのか)
 一生口を聞いてもらえないことより、ティグランにはむしろ、そのことのほうがショックだった。ルースはこれから先、一生誰のものにもならない……そう思えば、両想いの関係になれないことなど、ティグランにとってはつらいことでも悲しいことでもなかったというのに。
(ロスになんて来るんじゃなかった。俺はあのシュナイダー博士の奴も大嫌いなんだ……あいつが力のコントロールや安定のためには、普通に学校生活を送って社交術を身につけることが大切だとか、わかったようなこと言いやがるから、俺は今こんなことに……)
 ルークは手に持っていたボールを片手で投げ、六メートル先のゴールへ軽々と入れた。今まで試合の時に<力>を使ったことは一度もなかったが、今は別だった。彼もまた感情的にストレスがかかり、PKの力を使いたくてうずうずしていた。出来ることなら、たった今すぐにでもあのメロとかいう野郎を念動力でコンクリートの壁に叩きつけてやりたい。
「ルース、待てよ……!!」
 早足でバスケットのコートから出ていくルースのことを、ティグランは急いで追いかけた。アリス、という偽名を使うことさえ彼はこの時忘れていた。残されたバスケットボール部の部員が全員、副キャプテンのレイフに強い視線を投げかけ、その指示を待つ。
「あ~、キャプテンのルークは惚れた女のケツを追っていっちまったから、ここから先は俺がおまえらの面倒を見てやるよ」
 そう言ってレイフは、レギュラーでセンターのディロンにあとのことを頼むと、自分が一年坊主の面倒を見ることにした。また明日から鬼コーチのロバート・“ブル”・レビンソン監督が普段通り戻ってくるのだ。そうすれば一年生たちはまた暫くボールに一切触らせてもらえない、基礎体力作りのつらい日々が続くことになる……そう思いレイフは、今日は一年坊主どもに思う存分ボールに触らせてやることにしようと考えていた。

「ルース……!!何もそんなに怒ることないだろ!」
 ティグランはいつものとおり、自分はこんなに想っているのに不当に扱われているといった、不満げな眼差しで彼女のことを見つめる――誰もいない、学校の裏庭でのことだった。
「べつに、怒ってなんかないわ。ただ、メロのことを思うと、あんたに対して腹が立つだけ!!」
「……そんなにあいつが好きか」
(小さい時からそばにいる俺よりもか)、と言いかけて、ティグランは口を噤む。その言葉を口にだして言う勇気のない自分がもどかしくて、思わず舌打ちしてしまう。
「あたしは……ティグラン、あんたのことはただの幼馴染みとしか思えないの。もちろん、あたしだってあんたのことは好きよ。でもそれは、同じ力を持つ者同士として、仲間として好きってことなの。あたしはラスがカイのことを好きだったみたいに、特別な感情を持ってあんたのことを見ることはできない」
「随分、残酷なことを言うんだな。それもあいつのせいか?」
 流石にこの時になって、ルースは言い過ぎたと思った。いや、もしかして自分はメロに対して冷たくされたことの仕返しを、ティグランに対してしているのではないかと思い、良心が痛む。
「……あたしたちは、どのみちあと二三年の命なのよ?ティグランだって、残された短い時間の間に、本当に自分のことを愛してくれる人を見つけたほうが、どんなにいいかわからないじゃないの」
「俺はべつに、誰かに愛されたいなんてこれっぽっちも思ってない。俺はルース、おまえがそばにいて、ただ笑っていてくれたら、それだけでいいんだ」
(――それがそんなに、高望みなことなのか?)
 言葉にされなくても、ティグランが言外にそう言いたいことが、ルースには痛いほどわかっていた。もとより、超能力者同士はテレパシーがあるわけではないが、それに近い力を互いに感じあっている。言うなれば、ティグランがルースに対して感じている一種の<磁力>も、その力が少し変化しただけの、強い結びつきを求める心だったといえるかもしれない。
「ルース、ひとつだけ言っておくが」と、ティグランはルースのことを無理やりにでも抱きしめたい衝動を抑えながら言った。「あいつは絶対におまえのことを幸せにしないし、むしろ心を傷つけるだろう……俺にはそれがわかる。それでもいいなら、あとのことは好きにしろ」
「なんでそんなこと、わかるの?」
 自分も同じように、大切な幼馴染みのことを傷つけているとわかっているだけに、ルースは目に涙を浮かべながら言った。
「<勘>だよ。あいつは他の連中と同じ、凡人の匂いがあまりしない……うまく言えないが、とても女を幸せに出来るタイプとは思えないんだ。そこらに転がってる、女とやりたいだけのティーンエイジャーっていうんでもなければ、こっそりヤクに手を出してるとか、そんなんでもないな。なんて言ったらいいか……ただ、とにかく危険なんだ。これでもし相手が他の男なら、俺はこめかみに青筋を立てながらも、我慢できたかもしれない。だが、あいつだけは絶対に駄目だ。俺のこの忠告は、心ある友達からのものと思って、頭の隅のほうにでも覚えておいたほうがいい」
「うん……」
 そうぼんやり返事をして、ルースはティグランと互いに腰や肩を抱きあって、校門のほうまで歩いていった。お互い、喧嘩のようなものをしたとしても、いつも最後には仲直りしたものだった。今も、互いの間にあるのは特別な仲間意識と信頼しあう感情だけだ。ルースにとってそれは<家族愛>に近いものだったけれど、ティグランにとってはそれ以上のもので……けれど、何があっても断ち切れない“絆”でふたりが結ばれていること、いや、超能力者の全員が結ばれていることが、彼らにとって何よりもかけがえのない、大切なことなのだった。



【2008/09/18 04:38 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(10)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(10)

 アリス・リードに近づいてはならないという条件は、彼女の超能力がどんなものかを探りたいメロにとっては、かなりのところ計算外の出来事といえたかもしれないが――それでもメロは、(まだ打つ手はある)と考えていた。まず今日は、何も言わずにただアリスのことをバイクで送っていくしかないが、彼女と明日からは必要最低限口を聞かない間柄になったとしても……ルーク・フォスター及びジョシュア・サイズモアに対しては、接近して確認できる事柄が、まだいくつかありそうだった。
「ありがとう、メロ。送ってくれて……」
「ああ、べつに」
 素っ気なくそう答えて、バイクを発進させようとしたメロは、思いだしたように後ろを振り返る。
「そういえば、ルークって奴はそんなに悪い奴ってわけでもなさそうだな。それなのに、なんであんたはあいつが嫌なんだ?」
 どこか切なげな顔つきで、メロの背中を見送ろうとしていたアリスは、まったく思ってもみなかったことを言われ、さらに悲しげな表情になる。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
「いや、べつに。普通に考えたらそうだろうと思っただけの話さ。あいつはスポーツ選手の花形で、あんたは学校きっての才媛……悪くないカップルだろ?」
 アリスは、ぎゅっとブックバンドに挟んだ教科書を抱きしめて、しばしの間うつむく。
「あ、あたし……あたしが好きなのは……」
 彼女の言葉があまりに小さかったため、メロはエンジンをふかすと、ドライブウェイ(私有道路)を通り抜けていこうとした。メロにしてみれば、彼らの所有する超能力が捜査の対象なのであって、超能力者同士の色恋沙汰には、まるで興味がなかったといえる。
「ま、待って……待ってメロ!!」
 たたたっと、アリスは庭のレンガを敷き詰めた道を、メロの後を追っていった。よくわからないけれど、もしここではっきりさせておかなかったら――彼は何かを勘違いしたまま行ってしまうと、そう思った。
「わたしが好きなのは……メロ、あなたなのっ!!」
 ざあっと、ふたりの間を風が通り抜けていく。庭の椰子の木が揺れて、葉擦れの音を立てたようだった。それで一瞬メロは自分が、何か聞き間違えたのだろうと思った。そのまま銅製のリーフ模様のアーチを通り抜け、アリスには何も言わず、バイクに乗ったまま通りにでる。
 アリスは、似たような色違いの家が並ぶ通りまで走ると、暮れなずむ空の下、メロが真っ直ぐにストリートを走っていく後ろ姿を、見送るしかなかった。
(聴こえたわよね、今の……まさか、バイクのエンジン音でよく聞こえなかったなんていうことは……)
「どうしよう、もう……」
 アリスは半ベソをかきながら、その場にぺたりとへたりこむ。彼女の人生史上、こんなに勇気を振りしぼったことは、生まれて初めてだった。そう、世界中の美術館へ忍びこんで、そっと絵をすり替えた時などより、今のほうがずっと勇気がいったような気がする。
 だが、何はともあれ、あとは<審判の時>を待てばいいとも言えた。キリスト教の終末論によれば、終わりの時に主がこの地上に降りたって、人々を裁くということだったけれど――そんないつくるかわからない「時」よりも、アリスには明日という日のほうがよほど怖かった。メロが自分と目を合わせようとしてくれなかったり、避けるような態度をとったとしたらと思っただけで……アリスは泣きたいような気持ちでいっぱいになる。
「ラス、エヴァ。お願い、わたしを助けて……」
 アリス・リードこと、ルースリア・リーデイルは、同じ孤児院の親友の名前を無意識のうちに口にした。まさか、リード家の庭に仕掛けられた盗聴器を通して、彼女のその呟きを聴いている者がいるとも知らずに……。



「青春ですね……」
 リード家の、斜め向かいの家に越してきたばかりのニアは、まさか早速こんなに大きな収穫を得られるとは思っていなかった。くるくると巻き毛を指で絡め取りながら、ジェバンニが家の片付けをするのを、ただ黙って眺めやる。
「でも、本当に大丈夫なんですか、ニア」ダンボールの荷解きをしながら、いかにも不満げな顔をしてジェバンニが言う。
「何がですか?」
「何がって……決まってますよ。リドナーのことです」
 ああ、そのことですか、というように、ニアはリード家の偽母娘の会話を聞きながら、ジェバンニのほうに顔を向ける。家の中はまだ雑然としたままだったが、彼ならきっと一晩でこの二階建てのすべての部屋を片付けてくれるに違いない。
「仕方がないでしょう。例のリード家の偽物両親は、<殺し屋ギルド>のアメリカ・ロサンジェルス支部上級幹部なんですから。そして、あの母親役のメアリ・リードという偽名を使っている女は、元CIAのエージェントで、リドナーの同僚なんですよ。しかも、本当は自分が組織内の内通者であるにも関わらず、その罪をリドナーにすべて被せ、自分は平然としていたほどの女狐です。あなたもリドナーの汚名を晴らしたいなら、まずはこの家の中を片付けて、<殺し屋ギルド>ロサンジェルス支部のあの幹部ふたりを逮捕できるようにしてください」
 ――時間は数時間前のことに遡るが、ニアとジェバンニとリドナーが引っ越し業者のトラックと一緒に別の車でやってくると、リドナーはすぐにある人物の存在に気づいていた。斜め向かいの薄いピンク色の家に住む住人、そこの主婦らしき女性に、リドナーは見覚えがあった……というより、彼女の顔は忘れようにも忘れられなかったといっていい。
(あれは……!!)
 芝生の手入れをしていた女性のほうでも、リドナーの視線に気づいたのだろう、くるりとこちらを振り返っている――あら、新しいご家族が引っ越してきたのね、とでも言いたげな、至極善良そうな顔つきの、綺麗な女性だった。
「ニア、わたしは彼女に顔を見られるわけにはいきません」
 引っ越し業者のトラックの影に隠れて、小声でリドナーはニアに囁く。
「……どういうことですか?」
「どういうもこういうも」と、リドナーにしては珍しく、彼女は顔に怒りを滲ませている。「あの女が、わたしがCIAに居ずらくなった原因を作ったそもそもの元凶なんですから。しかも、番地を見たら、彼女……ブリジット・ロベルスキーが庭の手入れをしている家は、例の超能力少女が住んでいる家じゃないですか。これは間違いなく何かあるっていう、そういうことですよ」
「なるほど」引っ越し業者への指示は、ジェバンニに適当に任せて、ニアはにやりと笑う。「それでは、とりあえずあなたはこのままわたしたちが乗ってきた車で、メロのところにでも身を寄せてください。これはワタリからもらった電子ロックの合鍵です……それと暗証番号は37564(みな殺し)とメロがパスワードを入れたそうですから、このふたつがあればドアは開くでしょう。住所や場所がどのあたりかというのは、知っていますね?」
「はい……」やや腑に落ちない顔で、リドナーはニアから電子ロックの鍵を受けとる。「ですが、メロは我々にコンドミニアムを譲る気はないんでしょう?勝手にわたしひとりが入っていったとしたら、怒らないでしょうか?」
「それはわかりませんね。メロの留守中にわたしがいた場合には、不法侵入で彼はわたしを裁判所へ訴えることさえしかねませんが、リドナーひとりであればおそらく大丈夫でしょう。事情を話せば理解してくれるはずです……何しろあのコンドミニアムには、七つもゲストルームがあるんですから」
 それに引きかえ、というように、ニアはクリーム色の、どこか古ぼけた感じのする二階建ての家屋を眺めやる。だが、屋内はそう悪くなく、床やドアはマホガニー製だったし、天井はアーチ型で高く、暖炉は大理石で出来ていた。寝室が四つにリビング、そしてキッチンにバスルームがふたつあるという、三人家族が住むにはそう悪くはない家だったといえるだろう。
 だが、引っ越し業者が次々運んできた家具は、そう高級なものではまったくなく、ありがちなメーカーの量産品だった。いかにも<中流階層>であるかのごとく振るまうためには、まずこうした「形」から入ったほうがいいという、Lからの有難い助言を参考にした結果、ジェバンニが深夜のTVショッピングを見て選んだ品揃えである。
 ニアは、ここまで乗ってきた日本車の中古車――これも中産階級を演出するため――ニッサン・ブルーバードにリドナーのことを乗せると、自分は庭のアーチをくぐって、ポーチまでのびる煉瓦敷きの道を歩いていった。まずは、リドナーのことを貶めた女のいる家を張り、彼女が買物にでも出かけ次第、盗聴器を仕掛ける予定だった。引っ越してきた挨拶がてら、庭と窓のすぐ外くらいになら、自然な動作で難なく盗聴器をジェバンニが仕掛けてくれるだろう。
 幸い、このビバリーヒルズは十月でもまだまだ暑い日が続く。そうなれば窓を開け放す機会も当然多いし、そこから拾える音声も十分あるということになる……そんなわけで、ニアは今リード家の偽母娘の会話を聞きながら、ジェバンニと話をしていたのだった。
「あの家に住む母親役の女性は、CIAの元エージェントなんですよね?ということは、父親もそうなんですか?」
「いえ、父親役の男はもともと、<殺し屋ギルド>の幹部だったようです。リドナーは彼のことを追う過程で、偽の情報をロベルスキーから掴まされたということですよ。アフリカのダイヤや武器の密輸に関する事件だったそうですが、CIAはなかなか彼らの尻尾を掴むことが出来なかった……そこで、中に間違いなく内通者がいることが発覚したわけです。つまり、CIAの動きが先に読まれていることがあまりに多すぎたということですが、ロベルスキーはリドナーに自分のすべての罪を被せて逃亡をはかったらしいですね」
「……どういうことですか?」
 ダンボールの中の食器類を、キャビネットや食器戸棚へしまいこみながら、ジェバンニが聞く。
「彼女は、<殺し屋ギルド>に人質にとられるというふりをして、いかにも自分の命が危険にさらされているかのごとく装ったんです。そこでリドナーへの疑いがますます濃くなったわけですが、ロベルスキーの生死はいまだに不明のままということに、CIAの資料ではなっているようですね」
「そんな……CIAっていうのは、いってみれば世界最高の情報機関じゃないですか。それなのに、彼女の偽装を見破れなかったっていうんですか」
「それだけロベルスキーは抜け目がなくて計算高い上、賢かったということですよ。いいですか、あなたも庭先にいる彼女をちらと先ほど見たでしょうが、あの女性が人殺しの手先に見えますか?」
「いいえ」と、ジェバンニは片付け作業の手を止めながら言う。「綺麗な人だと思いましたし……その、こう言ってはなんですが、虫一匹殺せなさそうな、繊細な感じのする女性に見えました。リドナーの見間違いか、他人の空似なんじゃないかとさえ、僕は思いましたが……」
「そこですよ。彼女は自分に対する他人のその印象を常に利用するんです。リドナーも組織内では、ロベルスキーと親友といっていい間柄だったそうですからね……ジェバンニも用心しておくことです。あなたは特にあの手の女性に騙されやすそうですから」
「……………」
 ジェバンニはFBIの捜査官ではあったが、ややお人好しの傾向があったことは否めない。もちろん、殺人事件ということが絡めば、冷静に相手に対して疑いの目を向けはするが、その反動なのかどうか、日常生活ではかなりのところ対人関係ではボケているといっていい。たとえば、昔つきあっていた女性に高価なものをいくつも買わされた揚句、振られたりとか、そういったようなことだ。今も、庭の花に水をやっていたエプロン姿の女性が<殺し屋ギルド>の幹部だなどとは、とても信じられないと思っていた。
(柔らかい物腰の、感じの好い人のように見えたけどな……まあ、なんにしてもそのへんのことは、これから捜査が進めばおのずとわかるようになることだ。それよりも僕が今気になっているのは……)
「その、ニア……僕が言っている言葉の意味、わかってもらえなかったでしょうか?」
「なんのことです?」
 家の中でまでは母娘の演技をまったくしていないアリス・リードとメアリ・リードの会話を聞きながら、ニアはジェバンニに聞き返す。
『学校のほうはいつもどおり、何も問題ないわ』
『そう……あなたは可愛いし、性格もいいから何も心配はしてなかったけど、サンタモニカの研究所で、近々軽い実験が行われるそうよ。軍の上層部の人間とギルドのあたしたち上級幹部の前でデモンストレーションしてもらうことになるらしいわ。ルース、あなたには気が進まないことだとはわかってるけど……』
(なるほど、そういうことですか)
 アリス・リードこと、本名はルースという名前らしい少女が二階へ上がっていくと、ニアは回転椅子からくるりと振り返る。
「わたしの前で、歯の間に物が挟まったような物言いはやめてもらえませんか、ジェバンニ?聞きたいことがあるなら、はっきりそう言えばいいじゃないですか」
「ですから、その……リドナーはこれからメロとひとつ屋根の下で暮らすということになるんでしょう?若い男女がその、なんていうか……」
「そんなことですか」くだらない、というようにニアは溜息を着く。「メロに限ってその心配はまったく必要ありません。その点だけは断言できますよ。まあ、仮にもしわたしがリドナーのことを自分の部下としてではなく、ひとりの女性として見ていたとすれば――メロは何をするかわからないでしょうが、<L>を介した仕事上の繋がりのある女性とメロが関係を持つなど、絶対にありえません……まあ、それ以前の問題としてもないと言っていいでしょうけどね」
「そうでしょうか。あの、僕、できればあとで様子見に行ってもいいですか?本当に、ちょっとだけでいいんですけど」
「好きにしてください。ただし、出かけるのはこの家の片付けが終わってからにしてくださいよ」
 携帯に電話がかかってくると、用心のためかどうか、ロベルスキーはリビングの窓をすべて閉めてしまった。さらに、宵闇が迫る時刻になるとカーテンも閉められたが、ニアはそのままリード家の監視を続けることにする。
 この家でのニアとジェバンニの役割は以下のとおりだった――ジェバンニは妻に不貞を働かれた上逃げられたやもめ男(職業はウェブ・デザイナー)で、ニアは重度の自閉症を患う気の毒な子供といったところ……本当はここに、リドナー演じる心優しい慈善活動が趣味の妻、という役割が加わる予定だったのだが、(まあいい)とニアは思う。
 ウェブ・デザイナーが仕事なら、ジェバンニがほとんど家から外へ出なくても、そう不審がられることはないし、自分にしてもサヴァン症候群でおそろしくうまく絵を描ける反面、人とコミュニケーションを普通に取ることが出来ないという設定だ……果たしてこれで、アリス・リードことルースという少女がどういう態度にでるかが、ニアは楽しみだった。
 世界中の美術館から絵を盗んで、美術鑑定家でもちょっとやそっとでは見抜けない贋作とかけかえたということは――考えられる可能性のひとつとして、次のようなことをLもニアも推測していた。つまり、超能力者のうちのひとりに、絵を描くのが極めてうまいサヴァンの自閉症児がいるのだろう。そして瞬間移動能力者が彼(あるいは彼女)のよく出来た贋作とすりかえている……元の本物は裏の世界で取引された可能性もなくはないが、むしろ個人的な満足のためにそのような犯行を行った可能性のほうが高いだろうと、Lもニアも推理していた。
(これでもし、わたしの自閉症という病気に向こうが興味を持ったとすれば、わたしは彼らに誘拐され、サンタモニカにあるという研究所へ連れていかれる可能性がある……もちろん、超能力誘発剤は幼い頃からの投与によらなければならないが、体のいい実験台としてちょうどいいと思われるかもわからない。十歳を過ぎた自閉症児でも、超能力を発症させるにはどうしたらいいかという被験者にする可能性はなくはないだろう。それと、あのルースという少女が、元自閉症児の自分の体験を語りに、わたしの元へ遊びにくるかもしれない……ある意味、そうなったとすればしめたものだが)
 とりあえず今は、とニアはキッチンの片付けをしているジェバンニを尻目に、メロと連絡を取りあうことにする。もちろん電話ではなく、穏便にメールで――リドナーが彼の元へ行くことになった経緯を上司として知らせなければならないし、アリス・リードや他の超能力者と疑われる生徒の美術の成績を調べてもらわなくてはならないと、そう思っていた。

<Dear Melo.
 あなたにとっては、普通の高校の授業など退屈そのものでしょうね。まあ、なんにしても捜査活動ご苦労さまです。
 早速用件のほうですが、わたしの部下のハル・リドナーが、メロのコンドミニアムへ身を寄せることになりました……鍵のほうはワタリから貰っていたんです。万が一の時のために、念のため。
 詳しい事情のほうはリドナーの口から直接聞いてほしいと思いますが、今わたしがメールしているのは例の超能力者の件のことで、です。メロもLから話を聞いているでしょうが、美術館の連続盗難事件は、おそらく彼らの仲間におそろしく贋作を描くのが上手い絵描きがいるのだろうと我々は睨んでいます。サヴァン症候群の子供の中には、プロ級に絵を描く才能のある者がいますからね……その線を洗うために、現在、メロの通う高校で超能力者である疑いのある者の美術の成績を調べてほしいんです。前にいた学校の記録などはすべて詐称ですから、当てにできません……そこで、メロの目で直に見定めてほしいんです。
 それでは、そういうことでリドナーのこと、よろしくお願いします。

                                              かしこ >

「なーにが、かしこだ、ニアの奴!」
 即行でニアからのメールをパソコンのデータから削除して、メロはどさり、と寝椅子の上で足を組む。
「まあ、大体事情は聞いてよくわかったが、あんたはそれでいいのか?なんだったら、どこか別の場所にホテルでもとったほうがいいっていうんなら、金くらい渡してやってもいいが」
「それは困ります」と、リドナーはやや戸惑ったような顔になる。「ブリジット・ロベルスキーのことは、何があってもわたしのこの手で逮捕したい……そのためには、わたしはあなたであれニアのためであれ、どちらにせよいかなる協力をも惜しみません。お茶くみでもなんでもしますから、ここに置いてください。お願いします」
「……………」
(やれやれ、面倒くさいな)と思いつつ、メロはチョコレートをパキリと齧る。せっかく気ままな独り暮らしだったのに、余計な同居人がひとり増えるとは。
「事情が事情であることを思えば、仕方ないのかもしれないが」彼女にとってのロベルスキーは、自分にとってのニアのようなものだろうと思い、メロは溜息を着く。「ただし、絶対に俺の邪魔はするな。それがここであんたが暮らすための条件だ……俺はあいつみたいに助手なんて必要ないし、動く時には出来る限りひとりで動く。茶なんかあんたが飲みたい時に適当に淹れて、ひとりで飲めばいいんだ……俺には関係ない。メシも勝手にひとりで好きな時に食えばいいし、あんたが変に気を使って俺にまで何か食わせようとか、余計なことさえ考えなければ、それでいいんだ。空いてる部屋はたくさんあるから、好きな場所を使え。じゃあ、あとはご自由に」
 メロは冷蔵庫に隙間なくびっしりと詰まっているチョコレートの箱のひとつをとると、地下にある特別室へ向かう。ニアが美術の成績云々と命令するように言っているのは気に入らないが、確かに気になる点ではある……Lにもう一度話を聞いておくかと、メロはそう思っていた。
「その、好きなようにって言われても」リドナーは困ったようにメロに問いかける。「何か少しはあるでしょう?たとえば情報分析とか、そうした……」
「いや、ないね」メロは後ろを振り返りもせずに答える。「俺があんたがここにいて一番気に入らないのは、俺がああしただのこう言っただの、ニアに情報を流しそうなことだ。二人三脚で仲良く事件を解決しろってか?馬鹿ばかしい。俺は俺のやり方でやるから、あんたはあんたのやり方でやれ。他のことでは絶対に俺に干渉するな――わかったか?」
 最後に、思わずぞくりとするような視線で睨まれ、リドナーは動けなくなる。相手はたかだか十七歳の、自分より一回りも年下の青年なのに……。
「わかりました」
 リドナーは、ニアに対するのと同じ敬語で身構えたままだった。メロは「わかればいい」というように、そのままチョコレートの箱を手にして地下へと階段を下りていく。リドナーは彼のそんな後ろ姿を見送りながら、(これがメロ……)と思った。
(てっきり、ニアと同じ小憎らしいまでに理屈っぽい少年なのかと思っていたけれど、全然正反対のタイプ……いや、それともある意味では似ているだろうか……)
 リドナーは真剣にそう考えてから、思わずくすりと笑ってしまう。やはり、ニアとメロにはある種の共通点があると、彼女はそう思った。だからこそ、あんなにも反発しあうのだろうと思うと――なんだか微笑ましいものさえ感じてしまう。
(まあ、本人たちは心外でしょうけど、少なくとも目つきの悪いところは似てるわね。それに、全体的に持っている雰囲気も一緒だし、違うといえば、敬語かそうじゃないかっていうところくらいかしら……)
 もっとも、これはあくまでも第一印象にすぎないことではあるけれど、とリドナーはそう思いながら、まずはバスルームでシャワーを浴びることにした。今日は特にこれといって何も仕事らしいことはしていなかったが――昼間にかいた汗で体がベタついているような気がして気持ちが悪かった。
 このあと、リドナーがお風呂上がりにバスローブ姿で部屋を歩いていると、チャイムが鳴った。カメラを見てみると相手はジェバンニで、彼女は迷わず玄関のドアを開ける。
「ど、どうしたんですか、その格好……!!」
 どこか衝撃を受けたように顔を赤らめているジェバンニに対して、リドナーは冷静そのものだった。
「どうしたも何も……あなたこそどうしたのよ?何か仕事の言付けでもあって、ここへ来たの?」
「えーと、僕はその……」と、ジェバンニは口篭もる。「リドナーが居心地の悪い思いをしていないかと思い、様子を見に……」
「あら、わたしならとても快適に過ごしてるから、何も心配ないわよ。あのメロって子とも、気が合いそうだし」
(だから、それが心配なんだ!!)
「……………」
 言葉をなくしたように黙りこくるジェバンニに、リドナーは軽く溜息を着く。リドナーの基準では、彼はまだまだ合格ラインには程遠かった。
「なんだったら、上がっていく?メロは地下にある通信室に閉じこもってるから、実質的には誰もいないようなものだし……まあ、無理にとは言わないけど」
「いいですよ、もう」
 何故か拗ねたように、ジェバンニはくるりと踵を返している。その後ろ姿を見ても、当然リドナーは追いかけようとは思わない。彼の気持ちにまったく気づかないというわけではないけれど――彼女が欲しいのはもっと強引な腕だった。ジェバンニのように「もし良ければ……」とか「嫌じゃなかったら……」とか、雰囲気としていちいち遠慮がちなのではまるで駄目だった。なんとなく察してほしいというのではなく、もう一歩有無を言わさぬ強引さをジェバンニが持っていたとしたら……。
(わたしも考えるんだけどな)
 そう思いながらリドナーは、シビックに乗るジェバンニの後ろ姿を見送り、ワインセラーにあったワインを物色したあと、その一本を失敬してゲストルームに引きこもった。
 ロベルスキーは変装の名人であると同時に、変装を見破るのを得意ともしている……だが、まさかかつての同僚が死んだ疑いの強い自分の元へやってくるとは思いもしないはずだ。相手のその心理の裏をついて、あの女に目にもの見せてやるためにはどうしたらいいだろうか?
 その夜、リドナーはブリジット・ロベルスキーに対する憎しみと復讐心を胸に、眠りに落ちていった。何故なら彼女は、リドナーのかつての恋人を寝取っただけでは物足りず、さんざん利用したあとで見殺しにしたような女なのだから……。



【2008/09/18 04:26 】
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探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(9)
   探偵L・ロサンジェルス編~墜ちた天使たち~(9)

 午後の保健体育の授業では、避妊の重要性やコンドームの使い方、性病の危険性のことについてなど、ほとんどの生徒が眠くなるような講義が行われた――いや、UCLAから招かれたヴォーン教授は、この手の授業を数多く行ったことのあるスペシャリストらしく、時にユーモアを交えて語られたその話は、なかなか面白かったともいえるだろう。だが、生徒の半数ないし、三分の一は「俺たちもう子供じゃないんだぜ?」というような顔をして教授の話を聞いていたといっていい。
 アリスは、ヴォーン教授の話のことなどより、メロのことが気になっていた。何度探してみても、講堂のどこにも彼の姿はない……(一体どうしたのかしら?)、そう思ってきょろきょろ辺りを見回す彼女は、まるでセックスに関する話を聞かされて、落ち着かなげに首をまわす子供のように見えたかもしれない。それで友達のジェシーがつんつんと脇を突ついて、アリスに小声で注意する。
「ねえ、アリス。あんた自分が今どんだけ間抜けに見えてるか、わかってる?」
「だって、メロがいないんだもの」
 ジェシーにそう小声で答えながら、アリスはなおも首をめぐらす。
「やめなさいってば。あとでクラスの頭カラッポ女たちに馬鹿にされたくないでしょ?」
 ジェシー・スミスは、アリスが転校してくるまでは、この高校一の秀才だった。けれど今は、学術弁論大会へ向けて、アリス・リードと最強タッグを組んでいる……ジェシーはアリスのことを、<滅多にいない子>だと思っていた。彼女は他人に対して媚を売らないし、人の顔色を窺うでもなく、いつでも思ったことをはっきり口にするのだ。
 バーバラ・ウォルシュやモニカ・パーカーのような子は、確かに人気はあるけれど、それは本当の意味での友情に裏打ちされた<人気>ではないと、ジェシーにはわかっていた。だが、そんなことを口にしてみたところで、「眼鏡にそばかす顔のブスが何言ってるのよ」と、そんなふうにしか思ってもらえないことも、よくわかっている。
「メロって、あの転校生のこと?まさかとは思うけど、アリス……ああいうのがタイプなの?彼は確かに格好いいかもしれないけど、あの顔は絶対女を泣かせそうだわ。もっとこう、他にもいるでしょう?あんたがルークのことをただの幼馴染みとしか思ってないことはわかってるけど、弁論部のアンディ・ヒューズとか……アンディは絶対、あなたに気があると思うわ。それに彼は一応、わたしとあなたに次いで、成績も3番目にいいみたいだし」
「自分より頭の悪い人なんて、絶対にごめんよ」
「ちょっと~。そんな高飛車発言してたら、この先一生結婚できないわよ、アリスは」
「そうかもね」
 ヴォーン教授が、マスターベーションする時に罪悪感を抱いてはいけない、むしろ避妊なしのセックスをするよりはマスターベーションを多いにすべしと言うと、講堂にどっと笑い声が起きる。
(きっとメロは、こんな馬鹿みたいな講義、聞きたくなかったのよね。彼がエスケープする道を選んだのは当然だわ)
 アリスはそう納得すると、スライドに性病に感染した女性の性器が映しだされるのを見て、あらためてうんざりする。不特定多数の異性と不純に交遊していると、こういう結末や罰が待っていると、ヴォーン教授は言いたいのだろう。この世界にエイズの特効薬が生まれたからと言って、性病がまったくなくなったというわけではない、彼は最後にそう言葉を結んでいた。
 ヴォーン医学博士の、非常にためになる性病講座が終わると、そのあとはもう放課後だった。アリスは一度教室へ戻ってきたメロのことを見つけると、すぐに消えようとする彼のことをなんとか捕まえようとする。
「ねえ、メロ。学術弁論部に入ってくれない!?」
「学術弁論部?」と、メロは鸚鵡返しに聞いた。微かに冗談じゃないというような空気を感じるけれど、アリスは怯まなかった。
「そう。簡単に言えば将来法学部を目指す人間が雄弁術を身につける部とでも言えばいいのかな……あ、べつに将来弁護士や検事になりたいなんて思ってなくても、全然いいのよ。ただ、結局世の中に出た時って、人前でスピーチしたりプレゼンしたり、色々そういう機会が多いでしょ?そういう時に雄弁術って、すごく役に立つのよ」
「……………」
(興味ないな)
 それがメロの本音ではあったが、どうしたものかと、しばし考える。アリス・リードにもっと接近するために、その弁論部とやらに入部しておいたほうが便利なような気もするが……。
「考えておく。とりあえず今日はこれから、クラブ活動の見学をしようと思ってるから」
「そう。もちろん無理にとは言わないわ。ところでメロは、スポーツ系と文系、どっちの部のほうがいいの?」
「まあ、スポーツ系だろうな」
 アリスはメロと廊下を並んで歩くと、それぞれのロッカーのところまで行った。すると、彼が何枚かの手紙らしきものをどこか不審気に見ていることがわかる――すかさずアリスは、弾丸のように彼の元まで走っていった。
「バーバラの招待状!?」
「ああ、そうらしいな」
 香水の匂いに軽く顔をしかめながら、メロはロッカーの中にその白い手紙を戻している。彼は香水の匂いも、それをつけた女も大嫌いだった。
「えっと、でも行かない……のよね?」
「行く気はない。だが、万が一ということもあるからな、一応取っておくさ」
「……………」
(もし仮に、ルーク・フォスターがバーバラ・ウォルシュの屋敷へ行くとすれば――この招待状が役に立つかもしれないからな)
「あ、メロ。これからクラブ活動を見てまわるんでしょ?じゃあ、できれば帰りに送っていってくれない?」
「ああ、わかった」
(やった!!)
 アリスは緑色の瞳を輝かせると、メロときのう会った化学実験室で待ち合わせをした。そのまま飛ぶように一階の南翼にある建物まで走っていく。
(やった、やったわ!!)
 化学実験室は、弁論部が放課後に使っている教室だったが、今はまだ部長のジェシーしかいなかった。それでアリスは喜びのあまり、思わず彼女に抱きついてしまう。
「どうしたのよ、アリス!?」
「メロが、帰りもわたしのこと、送ってくれるって……」
 肩で息をしている彼女のことを、ジェシーもまたぎゅっと抱きしめる。
「こんな気持ち、本当に初めてよ。どんな難しい数式も、なんかもうどうでもいい……!!」
「あんた、まさか本当にあのケールって子のこと……」
 ジェシーはアリスのこの変わりように、心底驚いた。彼女が転校してきてからすぐ、ついた仇名は<氷の女王>(アイス・クイーン)というもので、それは彼女がどこかツンと取り澄ましていて、冷たいように感じられるせいだったけれど――それが突然、豹変してしまったのだ。彼女と同じように、表面的には冷たい感じのする男の子の出現によって。
「あたし、てっきりアリスは、大学にでも進学して、それからじゃないと恋愛なんてしないんじゃないかって思ってたわ」
「そうよ。そのつもりだったの、本当は。っていうより、一生誰のこともきっと本当の意味では好きにならないままだと思ってたわ……でもきのう、ここでメロに会ってから、なんだかおかしいの。彼のことばかり考えてしまって……」
 他の部員たちが集まってくるまでの間、アリスは自分がポアンカレ予想を検証している最中にメロがこの教室へ入ってきたこと、そのあと少しの間言葉を交わしたことなどを話した。
 そしてそこまで聞くと、(ははーん)と、ジェシーはある部分納得する。おそらくこの学校中を探しても、彼女が解こうとしているものがポアンカレ予想だなどとは――数学や物理の教師でも言い当てられたかどうかわからない。だが、メロが彼女のその他人にはわからない世界観を理解したこと、その中にふたりであらためて新しい世界を構築したいと直感したことが……今回の<恋>に結びついたに違いなかった。
「ジェシー、あたしどうしよう。メロはきっともてると思うし、べつに相手はあたしじゃなくても……」
「何言ってんのよ。アリスはあたしと違って顔も可愛いし、その上頭までいいじゃないの。才色兼備っていうのは、あんたのためにあるような言葉よ。あとはただ、自分の想いさえ伝えることができれば……なびかない男はいないって」
「そうかしら?」
 言いながらアリスは、早速とばかり、鞄の中から鏡をとりだしている。きのうまでは、クラスのバーバラやモニカみたいな子が、同じ仕種をしているのを見ただけで――(馬鹿みたい)と思っていたのに。
「ねえ、化粧ってやっぱりしたほうがいいと思う?」
「どうかしらねえ……あのメロってあんたが呼んでる子、あんまりそういうの、好きっぽくないようにも見えるけど。なんだったら今週末、化粧品選ぶのつきあってあげよっか?」
「本当!?」
 アリスが両手を打ち合わせていると、副部長のアンディ・ヒューズと、その親友のウィル・マクドナルドが化学室へ入ってきた。今日は部員が全員揃ったら、弁論大会の模擬戦を行う予定だった。テーマは『地球の温暖化について』だったが、お互いにそれぞれ、相手の弁論の弱いところをどんどんついていくという手法をとる。
 この日アリスは、彼女らしくもなく、二回もとちった上、どこか集中力も散漫だった。ジェシーも、軽く溜息を着きこそすれ、あえてそれほど強く注意はしなかった――何故なら、いつものアリス・リードはあまりにも完璧すぎて、面白くないと部員の誰もが感じていたからだ。
 やがてメロが迎えにやってくると、アリスは誰が見ても恋をしているとわかる顔つきで、化学実験室を出ていく。部員たちは当然、「氷の女王にもついに春がやってきた!」と彼らの姿が見えなくなるなり騒ぎたてたわけだが――弁論部副部長、ポーカーフェイスのアンディ・ヒューズが傷心を胸に秘めていることを知っているのは、部長のジェシー・スミスだけなのだった。

 メロがアリスを化学室へ迎えにいく前、彼は屋内体育館で、バスケットの練習試合を見ていた。この高校はバスケットが強いことにかけてはつとに有名らしく、数多くのプロバスケットボール選手をOBにいただいている、歴史と伝統ある強豪チームだという話だった。
 今日はコートの半面をバスケ部が、もう片方をチアリーダー部が占拠して練習試合を行っている。まるで巨大スタジアムのような立派な体育館の中で、メロが真っ先に思うのは、つい先日ここで殺された一年生の男子生徒のことだったろうか。成績もよく、性格も温厚で、クラスの人気者というほどではないが、とても真面目ないい生徒だったという。
(一年生だった彼は、ハンドボール部の先輩に命じられて、ボール磨きをさせられていたらしい……運が悪かったとしか言いようがないが、突然銃を持った上級生がやってきて、その犯人に体育館倉庫から出ろと言われたわけだ。そして体育館の真ん中まで来させたところで、射殺されたらしいな)
 聞いた話によると、処刑については3秒ルールが適用されたということだった。まず最初に「神を信じるか?」と聞かれ、何も答えないと、今度は「悪魔を信じるか?」と聞かれる……この時、3秒以内に答えないと、犯人は即座に銃を発砲した。そして「神を信じるか?」と聞かれ、イエスと答えた人間はすぐに射殺、さらに「無心論者だ」と答えた者もやはり3秒以内に息絶える結果になったという。唯一生き残ったのは――「悪魔を信じるか?」と問われて、3秒以内にイエスと答えた人間のみらしい。
 事件後、「神を信じるか?」と聞かれてイエスと答えた生徒たちは聖人に等しい扱いを受けたのに対して――悪魔を信じると答えて生き残った生徒たちは、いくら生き残るためとはいえ、相当気まずい思いをすることになったという。そのほとんどが今、休学しているか、あるいは転校の手続きを取っているかのいずれからしい。
 メロは色別に分けられたいくつかのチームが、試合で勝ち上がっていくのを眺めながら、ルーク・フォスターの所属するグリーンのユニフォームを着たチームに注目した。フォスターの背番号は十三番だったが、彼は正規のユニフォームを着用する時にも、その番号を好んでいるという。そして、彼についた仇名が<Devil>。普通、13という数字は不吉であるとされており、プロのスポーツ選手もその背番号は避けるらしいが、彼は「そんなものは迷信だということを、俺が証明してやる」と、そう豪語しているらしい。
 この時メロは、速い展開で進むゲームを目で追いながら、ただひたすらルークの動きだけをしつこく監視し続けた。彼はポイントガードで、パス回しがおそろしく早い。そして、フリースローラインからのシュート、スリーポイントラインからのシュートはただの一度も外しはしなかった上――彼がゴール付近で取ったボールは、相手のディフェンスにもよるが、入る確率が極めて高い。
(これは偶然か?)
 もし、テレキネシスでボールを操れたとしたら、面白いくらいに彼の手にした玉がゴールに入るのも、不思議ではない……だが、ルーク・フォスターという青年の性格からして、超能力を使ってゲームに勝ったとしても、彼は喜ばないだろうと、メロはそんなふうに分析する。
(これはおそらくは……)
 そしてメロがチョコレートを一枚パキリ、と齧っていると――笛が鳴った。ゲームセット。112対84で、ルーク率いるグリーン・チームの優勝だった。
「そこのおまえ、優雅にチョコなんか食いながら、何見てやがる!!」
 練習が終わり、コーチが「今日はこれで解散!!」と言い渡して体育館から姿を消すなり――思いきり人差し指をメロに突きつけながら、ルークはそう怒鳴った。
「部活動の見学だ。悪いか?」
「あ~あ、悪いね!!テメェのその気味の悪い目つきで見られると、ムカッ腹が立って仕様がねえ!!そのお陰で俺が一体何度、ゴールを外しそうになったと思う!?」
「そんなこと、俺の知ったことじゃない」
 ヒュウ♪と、誰かが口笛を鳴らすと、チアリーダー部の女子たちも、反対側のコートの様子に注目しだした。
 ルークはまるで、浅黒い皮膚が破れんばかりに、こめかみの血管を盛り上がらせている。
「知ったことじゃないだとお!?テメェ、根性あるならそっから下りてきて、俺と勝負しろ!!コーチもいなくなったことだし、たっぷり可愛がってやるぜ!!」
 体育館の隅のほうで、今日の練習試合の様子を写真に収めていたアニスは、今月号の特ダネとばかり、興奮してシャッターを切りまくっている。見出しはそう――<ふたりの転校生、氷の女王を奪いあう>なんてどうだろう?
「いいだろう」メロは五秒くらい考えたあとで言った。いずれにしろ、このままでは拉致があかないと思っていたところだ。もし奴が超能力を使って試合に勝っていたのだとしたら、ここからはじかに体で確かめてみるしかない。
 他のバスケットの部員たちは全員、メロがルークのこの挑戦を断るものとばかり思っていたのだろう、互いに顔を見合わせたあと――これは面白いことになってきたと、みんな意味ありげな笑みを顔に浮かべている。
「ルールは?」
 階段状になっている座席からコートに下りてくると、メロはルークにそう聞いた。
「勝負はワンオンワンだ。制限時間20分以内に、どっちがより多くゴールを決めるかっていうことで、どうだ?」
「いいだろう」
 話が決まると、ホイッスルが鳴り、副主将のレイフ・ウィンクラーがセンターラインでボールを高く投げた。
 先にボールを取ったのは当然、二十センチも身長差のある、ルークのほうだった。いや、身長差だけではない――彼には類い稀なジャンプ力がある。メロはおそらく、彼と同じだけの身長があったとしても、ルークには負けていたかもしれない。
 先制点はルークが決め、そこからメロの反撃がはじまったが、体格のいい彼のディフェンスに邪魔され、やはりゴールを決めることが出来ないままだった。
(これでは、こいつが超能力を使うまでもないということになる……!!)
 そう思ったメロは、何度もファウルすれすれのプレイでなんとかルークのことを翻弄しようとしたが、なんといっても彼にはほとんど外れなくスリーポイントシュートを決められるという特技があった。それでメロはひとつもシュートを決められないままに、どんどん点数だけ開かされていく。
「おい、どうした、白人のチビ小僧!これでも俺は手を抜いてやってるんだぜ――せめて一点くらい、ゴールを決めてみたらどうだ!?ええ?」
(抜かせ!)
 メロはいくつもフェイクを入れてルークのディフェンスをかわすと、ゴール目がけて走っていった。彼は確かに、プロのスカウトが来ているルークほどにはバスケはうまくないかもしれないが――筋は良かったといえる。
「あいつ、なかなかいいドリブルをするな」
 副主将のレイフがそう言うと、
「それに、ゴール下での動きにもキレがあるし、カットインの仕方もうまい」
 レギュラーでセンターの、身長が2メートル以上もあるケビン・ディロンも同意した。そして隣にいた同じくレギュラーでフォワードの、ベン・スチュアートとパトリック・エヴァンスも顔を見合わせて頷きあう。
 ――結局、この短い試合はメロの惨敗ではあった。15対42。勝負が終わると、メロはルークのディフェンスで飛ばされた体を起こし、自分の負けを潔く認めた。
「そういえば、お互いに勝った時の条件を提示していなかったな。それで、ルーク。あんたは俺にどうして欲しいんだ?」
「アリスから手を引け」
 メロはしばし黙考したあとで、
「わかった」
と答えた。確かにこれは、正々堂々の、男同士の勝負だった。その上、ルークはフルタイムで試合を終えたばかりだったのだ。自分はそのハンデすら生かすせずに彼に負けた以上――その約束を守らないわけにいはいかないと、メロはそう思った。
「じゃあ、握手だ」
 左の手を差しだされて(彼はどうやら左利きらしい)、メロも同じく左手で彼と握手する。この時、ルークからはメロのことを目の仇にする、例の気違いじみた色合いが瞳の中から消えていたし、その時になって初めてメロは理解した――彼はアリス・リードのことさえ絡まなければ、つきあいやすい、それほど悪くない男なのだろう、と。
「だが、今日だけ彼女を送っていってもいいか?あんたと今日、この試合をする前に――アリスとは一緒に帰るという約束をした。だが、明日からは必要最低限、彼女とは接触しないよう心掛ける。それでどうだ?」
「いいだろう」
 そう言うと、ルークはタオルを一枚、メロに投げてよこした。彼自身もまたスポーツ用のタオルで汗を拭き、他の部員たちと一緒にロッカールームへと向かう……不思議と、メロのことを笑う者はひとりもいなかった。試合がはじまったばかりの最初の頃は、メロがへまをやらかすと口汚い野次が飛んでいたにも関わらず――そのうちに誰も何も言えなくなるような空気が、コート全体を包んでいたせいだった。
(やれやれ。バスケットがこんなに疲れるスポーツだったとはな)
 もちろん、ワイミーズハウスでもメロは、仲間の子供たちと一緒にバスケをしたことはある。だがどちらかといえば得意なのはサッカーのほうだった。それで、(これがサッカーなら負けなかっただろうがな)と一瞬思ったけれど、負け惜しみを言っても仕方ないと思い、南校舎にある化学実験室へ向かうことにした。



【2008/09/18 04:18 】
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