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探偵L・イギリス編~ロンドンの爆殺魔~(14)
   探偵L・イギリス編~ロンドンの爆殺魔~(14)

「ふうーん。どうやら、大人しく俺の帰りを待っていたみたいだな」
 水色のネクタイを緩めながら、手にたくさんの紙袋を持った男が言った。眠っていたベティが鍵のまわる音が聞こえるなり、ビクッとして体を起こし、尻尾を振って男にすり寄っていく。
(ワンちゃん、その人は悪人なのよ)と、ラケルはそう思うが、なんと言ってもベティはエサをくれる人が一番なのだ。彼女にとってはドッグフードをくれない善人などより、美味しい缶詰をくれる悪人のほうがよほど値打ちがあるに違いない。
「一応、あんたのために着替えも買ってきてやったんだぜ?バーバリーにエルメス、イヴサンローラン……全部ブランド品だ。こう言っちゃなんだが、ここまでしてくれる誘拐犯は、世界広しといえども、俺くらいのもんだろうな。その薄汚いワンピースを脱いで、早くそれに着替えろ」
「今、ここで……?」
 ラケルは紙袋の中に下着まであるのを見つけて、心が暗くなる。こんな高級下着、Lにだって買ってもらったことはない。
「ああ、着替えてるとこみんなってか?仕様がねえなあ。あんた、自分はすごくいい体してるから、俺に見られたくないとでも思ってんのか?」
「ち、違うわよ!そうじゃなくて、それが常識ってもんでしょ!」
 真っ赤になって言い返すラケルのことを見て、ビュターンは驚く……この女は、本当に本気なのだ。おそらく、自分に強引に犯されようものなら、そのあと自由になったとしても、首でも吊って死ぬかもしれない。
 そう感じてビュターンは、さも面白いものを見たとでもいうように、口角を曲げてにやりと不気味に笑う。
「わかったよ。俺は随分長いこと常識の通用しない世界で生きてきたからな。あんたとは価値観ってものが違うのかもしれない、ミス・ラベット。俺は隣の部屋にいるから、着替え終わったら声をかけてくれ。あんたがいいと言うまで、絶対にドアは開けない」
「……………」
 ビュターンの姿が見えなくなると、ラケルは手早く着替えをすませることにした。自分がもともと着ていた服には強い愛着があるが、この際仕方がない。
「い、いいわよ」
 ラケルがそう言うと、男のほうでもまた、黒いシャツにジーンズという格好に着替えていた。そして彼はラケルのほうを一瞥してから、腕まくりをして食事の仕度に取りかかる……その男の後ろ姿を見ていると、ラケルは自分がここにいる理由がよくわからなくなる。
 誘拐してきた女にいい服を着させて、さらに食事をご馳走するだなんて、一体彼にどんなメリットがあるというのだろう?少なくともラケルの目から見て、この男が女性にモテないなどというふうには見えなかった。その種の不自由を抱えているから、強引にデートの真似事をしているのだとも思えない。それだったら、何故……と、ラケルは犬に人参をやっているビュターンを見て、ますます不思議な気持ちになる。
「ほら、食えよ。味の保証はしないけどな」
 目の前にトレイを置かれると、そこにはパンとシチュー、そしてサーロインステーキが乗っている。その美味しそうな匂いに、ラケルの腹の虫が呼応したように鳴った。
「ほら、やせ我慢してないで食っちまえ。食える時に食っておかないと、いつなんどき、俺の気が変わるかわかんねえからな」
「……………」
 ラケルは、また少し不思議な気持ちになりながら、スプーンにシチューをのせて、少しだけすする。そうしてみて、自分のこの奇妙な気持ちがどこからきたものなのかを悟る。
(わたし、自分ではない誰かの作った食事を食べるの、本当に久しぶりなんだわ)
「どうだ、うまいか?」
 まずい、とは言えなかった。いや、それは本当に美味しくなかったからではなく、もし仮にまずかったとしても、この今の状況では相手にそうは言えなかっただろうということだった。
「……美味しいわ、とても」
「そうか。そっちの肉も食ってみろ。高かったから、値段に比例してそれなりにうまいはずだ」
 ラケルは男の言うなりになるように、焼きたてのステーキにナイフを入れる。すると、ビュターンはその様子をじっと見つめたままで言った。
「あんた、なんだか洗練された、上品な食べ方をするな。出身はどこだ?」
「……日本」
 一瞬、適当に嘘をついたほうがいいのだろうかと思いつつ、ラケルは素直にそう答える。
「へえ~。そりゃまた随分遠い国からやってきたもんだな。なんだ、もしかしてあんたツーリストなのか?」
「観光客ってわけじゃないけど……でもある意味、そうなのかも」
「ふうーん。っていうことは、アレか。親の都合で日本で育つか何かして、こっちへ戻ってきたのか。あんた、間違いなくどっかのいい大学でてるだろ?最終学歴と、学校の名前を言ってみな」
「……オックスフォード」と、ぽつりと答えて、ラケルはパンをちぎって食べる。お腹が空いているせいかどうか、誘拐魔の作ったものは本当に美味しかった。
「サラブレッドだな」ビュターンが口笛を吹いて言う。「それに、片方の親が日本人ってわけでもなさそうだから、それで日本にいたっていうことは……親の仕事は外交官か何かだろ?っていうことは、あんた、本物のお嬢さまなんだな」
「そんなことないわ。わたしの本当の両親は強盗に殺されたの。それでたまたま偶然裕福な日本人の夫婦が養子にしてくれたっていうだけよ。義理の母親とはうまくいかなかったし、今もクリスマスカードを年に一度送るっていう程度の仲だから、身代金なんて要求しても無駄よ」
 これは嘘だった。実際には手紙のやりとりがもう少しあるというのが本当だ。それでも、男の目的が身代金目当てなら、その要求する相手は義理の両親ではなく<L>――あるいはワタリにして欲しいというのがラケルの本音だった。
「なるほど。育ててくれた義理の親には迷惑をかけたくないということか……前にも言ったが俺は、金にはそれほど困ってない。この国の刑務所では、出所した後、落ち着き先のない受刑者に90ポンドくれるんだが、その必要もないくらい、俺には金があったからな。もっとも、真面目に汗水流して働いた金とは言い難いが」
「じゃあ、どうしてこんなこと……」と言って、ラケルは口を噤む。男は外で食事を済ませてきたのかどうか、椅子を後ろ前にして、ラケルが物を食べる様子をつぶさに観察している。彼女は彼がずっと、自分の口許ばかりを見て話す視線を、強く感じていた。
「なんだ、もう食べないのか?上等な肉がもったいないじゃないか。あんたが食わないなら、ベティに残りを全部やっちまうぞ」
「……………」
 ラケルは黙ったままでいた。刑務所に入っていたということは、おそらく殺人罪だろうと察しがつく。この男はもしかして、殺し屋か何かなのだろうか?それで、<L>を抹殺するために、まずは自分を誘拐したというのなら――いや、それはありえない、とラケルは心の中で首を振る。あの時自分がこの男のタクシーに乗ったのは、あくまでも偶然なのだから。
 ビュターンはラケルからトレイを取り上げると、それをテーブルの上に置いて、ナイフで細かく割いていく。そしてサイコロ大になったそれを、いくつか自分の口の中に入れながら、しきりに足許でジャンプしているベティにも与える。
「まったく、おまえは本当に卑しい犬だな。元の飼い主の品性が疑われるぜ」
「……元の飼い主って、本当はあなたの犬じゃないってこと?」
「ああ。今も言ったが、俺は刑務所をでて、まだ日が浅い。コイツのことは、たまたま偶然道端で拾ったのさ。と言っても、俺が今いるフラットじゃ犬が飼えないんでね……いや、そういう規則はないらしいが、下の階で犬の吠え声がうるさいだのなんだの、揉めごとがあったばかりらしい。そんなわけで、コイツのことは隠れ家に連れてくることにしたんだ」
「……………」
 ラケルはまた、口を噤む。そんなに細かなことを話さなくても、男が彼女をどんな人間か推測したように――ラケルもまた、彼がどんな人間なのかが、わかりはじめていた。刑務所を出た後に落ち着き先がないということは、身寄りがいないか、いても彼が起こした事件のせいで縁を切られたかのどちらかと思われる。前者にしろ後者にしろ、何かの事情により彼は、刑務所に入れられるような罪を犯した……けれど、捨てられていた犬を拾ってくるという、弱いものを哀れむ気持ちが、彼にまったくないというわけではない。というよりも何か……。
(どこか寂しそうなんだわ、この人……)
 ラケルはこわごわと、男の顔をちらと見やって、そう思う。もちろん彼女は、『ストックホルム症候群』については知っていた。犯罪の被害者が、犯人と一時的に時や場所を共有することによって、相手に対して同情を抱くようになるという心理現象だ。だがラケルは、そうした精神医学用語はどうでもよく、彼にはどこか「救ってあげなければいけない」一面があるような気がした。そしてそれは、自分がLに対して最初に感じた、愛情に似た感情であったことをラケルは思いだす。
 いつもひとりで部屋に閉じこもって、猫背の姿勢で捜査を続けるLの背中は、本人がそれと気づいていない分だけ、どこか寂しそうだった。けれどラケルは同情というのではなく、Lが寝る間も惜しんで働く果てしのない労力、それに僅かでも見合う何かを自分が与えられたら……とそう思ったに過ぎない。そしてこの男にも、おそらくは似たような意味で同じ何かが必要なのだと、彼女はそう感じる。
(そうだわ。ワイミーズハウスにいた時、ひとりだけどうしてもわたしに懐かない子がいたけど――この人はあの子ときっとおんなじなんだわ……)
 その子供は、成績はとても良かったが、授業がはじまると決まって他の子供が勉強する邪魔をした。いくら言葉で注意しても無駄で、後ろに立たせれば立たせたで、今度は新しく授業を妨害する方法を思いつくという始末だった。
 ところがある日、悪ふざけが過ぎて、彼が投げた石がラケルの頭に当たった。正確にはそれは雪玉だったが、雪の中に入れた石が、ラケルの頭に命中したというわけだ。ラケルはその時、少しの間倒れたままで、死んだように動かなかったという。真っ白な雪の上には血が滲んでおり、子供たちはみんな、彼女が死んだものと思い、その子のことを言葉の限り責めたらしい。
 目が覚めた時、ラケルは保健室のベッドの上にいたけれど、真っ先に目に飛びこんできたのが、雪玉に石を入れた子供の蒼白な顔だった。
「先生が死んだら、僕も死のうと思った」と言われ、ラケルは心底驚いた――その時のその子供の切羽詰った表情を、彼女は今も忘れることが出来ない。そして、その後彼は、問題行動を起こすのを一切やめ、クラスの中で一番の模範生になった。ラケルが一時的に休職すると聞いた時、彼は最後にこう聞いたものだった。「先生はどうしてあの時、叱らなかったんでしょう?僕はてっきり先生が、目を覚ますなり僕の顔をひっぱたくものだとばかり思って、覚悟していたんですが……」
 答えは簡単だった。見た瞬間に彼に心の底からの後悔と反省の色が窺えたから、叱る必要などどこにもなかったのだ。もちろん、彼にはそう言わず、ただ母親のように優しく抱きしめることしか出来なかったけれど。
(この人も、今は自分がしてることを悪いとは思ってないかもしれない。それでも、「自分が悪いことをしている」とはっきり自覚した時には――自ら進んで、わたしのことを釈放するに違いないわ)
 それは九つの子供の場合とは違い、どう考えても望み薄な結末と言えたに違いないが、ラケルは本気でそう考えていた。そして続く数週間、トイレに行くのもシャワーを浴びるにも男の許可が必要という極めて不自由な生活を送る中で――ラケルは時々挫けそうになりながら、それでも必ずこの男のことを更正させてみせると、そのことに望みをかけていた。
 何故なら、ビュターンは確かに、ラケルが恥かしくなるような軽口をよく叩きはしたが、それでいて馴れなれしく彼女に触ったり、風呂を覗いたりというようなことは一切しなかったからだ。その上食事も良いものを食べさせ、手錠と爆弾のネックレス以外のものによっては、一切彼女を拘束しなかった。むしろ、犬以外に人並に話せる相手が欲しくて、自分のことをさらってきたのではないかとさえ思えることもしばしばだった。
 けれど、「もう十分でしょう?いいかげんにして!」とラケルのほうから言うことは出来ない。それは男にとってのゲームのルールに反することだと、ラケルにもわかっていた。それで彼女は結局その年の十二月十七日、クリスマスの一週間前まで――ロンドンを騒がせた爆弾魔と、一緒に暮らすということになる。

 サミュエル・ビュターンがラケルをさらってきて、性的な意味合いで手出しをしなかったのには、いくつか理由がある。ひとつ目は、彼自身が性行為というものについて、虐待された経験から強い嫌悪感を持っていること、ふたつ目が、ラケルがつわりに似た症状を二度ほど見せたことから――彼女が妊娠しているのではないかと、彼が疑ったことが上げられる。
 以来、ビュターンはまるで自分が父親であるかのように、ラケルに体温計を握らせては、基礎体温を表として書き記すということまでするようになった。彼がラケルのことをさらってきたのは十一月中旬のことであり、ラケルが最初に食べ物の匂いで吐いたのが、十二月の初旬――待降節(アドヴェント)のはじまる最初の週のことだった。
 そして彼は十一月最後の日――三十日に、エッジウェア・ロード駅からパディントン駅へ向かう車輌に、爆弾を仕掛けるという大仕事を終えたばかりで、とても興奮していた。実際には彼は、ベルマーシュ刑務所と自分の間にいる使い走りの男――名前をティンバーレインという――が持ってきたクロンカイトの指示書を元に、その恐ろしい事件を成し遂げたに過ぎなかったが、まるですべてのことを自分が考えて実行したかのように錯覚しはじめていたのである。
 ただし、今回は前回と違って、<奇跡的に>死者がでなかった。負傷者は百名近くにも上ったが、死者は出なかった。クロンカイトとは違い、ビュターンはそのことにもまた満足を覚えた。彼は誰のことをも傷つけたくはなかったし、他者に対する共感性に乏しいというわけでもなかった。ただ、自らの惨めな生い立ちのことを思うと――朝のラッシュ時に、ストレスの檻に閉じこめられた連中に、その<普通>ということがどんなに有難いかを思い知らせてやりたかったという、それだけだのことだった。
 ビュターンはパディントン駅からセント・メアリーズ病院に次々と人が担ぎこまれていくのを実際に眺めながら――また、病院や駅の前からTVのレポーターが中継する様子を眺め、さらに携帯でその実況中継を見つめているうちに、不意に不思議な気持ちになる。目の前で起きていることがまるで現実とは思われず、まるで映画でも見ているようにしか感じられないのだ。TVのレポーターは男も女も全員、沈痛な面持ちをしているが、カメラが外れると一瞬、ほっとリラックスしたような表情になる……その微妙な差異を見て、この世界を包むこのおそるべきペテンについて、ビュターンは考えずにはいられない。
 TVのレポーターにせよ、カメラマンにせよ、自分の家族や友人、あるいは恋人が爆破事件の起きた車輌に乗りこんでいたとしたら――そんな仕事は糞のようなものと考えて、即刻投げだしていたに違いない。だが、自分の半径一メートル――いや、現代人には五十センチか三十センチ、あるいは二十センチでも広すぎるくらいだろうか――に被害さえ及ばなければ、目の前でどんなおそろしいことが起きているにせよ、ある部分思考を切り離して、平気で傍観者になれてしまうのものなのだ。
 その精神構造はおそらく、これから先自分がどれほどの爆弾騒ぎを起こそうとも、決して変わることはないし、変えられもしないだろう……ビュターンはそのことを確認すると、自分がなすべき仕事はこれですべて終わったように感じた。いや、もし彼の心でこの時、ある種の変化が起きていなかったとしたら――心の暗闇に爆弾を投げ入れ、ほんの一時でも輝くその光を見たいと、彼自身切望し続けたかもしれない。だがこの時、ビュターンはパディントン駅に背を向けると、自分の小汚い<別邸>に住む、可愛い女のことを考えていた。
(自分には、あの女さえいれば十分だ)
 そう思い、これ以降はクロンカイトから例の『指示書』が届いても、他の奴にその仕事を回すよう、頼むつもりだった。だが、悪の世界というものはコカインやクラック、ヘロインといった麻薬と同じで、足を洗おうとする人間のことを好まない。ビュターンは結局この後、「クリスマス・キャロル」ならぬ「クリスマス・テロル」なる指示書を受けとることになるが――それが最終的にLがクロンカイトを追い詰める一打となることを、ビュターンは最後まで知らずに終わることとなる。

 

 
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【2008/07/03 12:27 】
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