スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】
スポンサー広告
探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』~第16章~
探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』

          第16章

 翌日、メロはアブグレイブ刑務所内で他の刑務官たちに紹介されることになったわけなのだが、人事異動に伴う<新入り>が自分だけではないことに多少驚いていた。何故といって、その男はクウェート入りした時のみならず、フロリダのキャンプでも一緒になったことのある人物だったからである。
「リロイ・デンジャー一等兵であります」と、前に一歩でて挨拶した彼は、メロと大体同じくらいの背丈であるにも関わらず、どこか華奢で弱々しそうな感じにさえ見えた。
(こいつが暗殺者っていうのは、まずありえないな……)
 それにしては偶然が重なりすぎるというのもまた、事実ではある。メロは不審に思いはしたものの、数百人いる刑務官たちの前でとりあえず彼と同じように挨拶した。
「ミハエル・ケール少尉であります」と、彼が名のった途端に、隅のほうで小さな女の笑い声が起きる。アブグレイブ刑務所の最高責任者であるドナルド・ウィルソン中佐は即座に注意はしたものの、それは規律を重んじる軍隊方式にのっとったものではなく、砕けた調子の軽いものだった。
「可愛い金髪の坊やが入ってきたからといって、おまえたちのおもちゃになるとは限らんのだぞ」
「はい、もちろんであります、サー!」と女兵士ふたりが答えるなり、他の刑務官たちも笑う。
(やれやれ、ここでもまた坊や扱いかよ)とメロは頭が痛くなるものを感じた。隣で最初は緊張の面持ちをしていたリロイでさえも、メロの顔を覗きこむようにして微笑んでいる。
 この時メロは、即座にリロイのことを自分の<敵>であると判断した。べつに彼が例のCIAの内偵者だと決めつけたわけではない。むしろそれは可能性としてはかなりのところ低いといえる。それでも一応用心のために、疑っておくに越したことはないと判断することにしたのだった。
 朝礼のあとは三々五々、それぞれの持ち場に兵士たちが就くのを見送ると、リロイはジョニー・スペイダー軍曹に連れられて別の場所へ、またメロのほうはウィルソン中佐直々に囚人の取調室へと案内された。暗い穴蔵のような石造りの壁に囲まれた場所で、正直いってそこに長時間黙って立っているだけでも、神経回路に異常が発生しそうだとメロは思った。
(こんなところにいればまあ、虐待なんか起こすなというほうが無理か)
 上部の鉄格子のかかった窓からは、灼けつくような陽射しが差してきている。そして部屋にあるものはといえば、椅子がひとつきりなのだった。この時、ウィルソン中佐の命でひとりのイラク人の捕虜が連れてこられると、椅子に座らされた。窓から差してくる灼けつく陽射しの前へと、ちょうど晒されるような格好になる。
「さあ、ケール少尉。我々の仕事をはじめましょうか」
「……仕事、といいますと?」
 メロは疑心の隠せぬ眼差しで、ウィルソン中佐のことを見返した。中佐は年の頃はマクブライド大佐と同じくらいの三十代半ばといったように見える。金髪碧眼の押しだしのいい紳士といったような風貌であり、その柔和な顔立ちからは、ここで本当に虐待の事実があるというようにはまったく感じられない。
「ですから、取調べですよ。この男はフセイン政権下において、共和党防衛軍に所属していた男です。もしかしたらフセインが今いる隠れ場所を知っているかもしれません。多少理不尽なやり方でも構いませんから、フセインのいる居場所を吐かせてください。拷問器具であれば、いくらでもお貸しします」
「それは、ジュネーブ条約違反ではないのですか?」と、メロは至極まっとうなことを口にしてみた。彼の丁重な口振りからいって、自分が上層部の査察官のようなものだということは、マクブライド大佐かディキンスン少将から聞いて知っているのだろうと思った。
「べつに、拷問するように強制はいたしませんがね」ウィルソン中佐は、馬鹿にしたように鼻を鳴らして笑う。「まあせいぜい、捕虜を拷問することもなく、うだるような暑さの中で、うまく誘導訊問でもなさることですな、言っておきますが、TV番組で見る刑事の取調べなど、我々にしてみれば蝿のフンか蚊のしょんべんみたいなものですよ。あんなもので一体誰が口を割るもんですかね?あなたもまあ、実地で同じことを行ってみて、よく考えなさるといい。棍棒も鞭も使わず、電気ショックすら与えることなく、もしあなたがフセインの現在の逃げ場所を捕虜や囚人から聞きだすことができたとすれば、わたしは三べんまわってにゃん!と言ってやりますよ」
 ウィルソン中佐は猫の物真似が得意らしく、そのまま野良猫のどら声を真似てニャーゴと鳴きながら取調べ室を出ていった。こんな場所へ長くいるばっかりに、中佐は頭がおかしくなったのか?とすらメロは思ったが、まあ今はそんなことよりも、と考える。扉の前にいる警備の兵ふたりに、「記録をとる必要はないのか?」とまずは聞くことにした。ふたりはほぼ同時に肩を竦めている。
「記録などとって、一体なんになります?我々が奴に聞きたいことはただひとつだけ――フセイン大統領が逃げたであろう居場所の心当たりについてのみです。その所在地については記録というよりは録音してもいいくらいでしょうが、そんなのは向こうが話す気になってからの話ですよ。彼は泣く子も黙る共和党防衛軍の元親衛隊です。まあ、せいぜいがんばってください。人手が必要であれば、我々も協力します」
「そりゃどうも」
(協力ってのはようするに、拷問の協力ってことか。やれやれ)
 メロはそんなふうに思いながら、男に対してまずは「サラーム・アライクム」と挨拶した。さらに名前を聞いてみるが、返事はない。ここでメロが一番気になるのは、表の番兵ふたりがアラビア語がわかるのかどうかということだった。もしわからないのなら、適当に世間話でもしてお茶を濁すということもできただろうが、万が一の場合を考え、メロは慎重に相手に対して質問することにした。おそらく表のふたりはともに、メロが彼と何を話したかをウィルソン中佐に報告する義務があると考えてまず間違いはない。
 メロは体格のいい、精悍な顔立ちの、髭がぼうぼうに伸びきっている五十絡みの男に、まずは年上の人間として敬意を表すことにした。灼けつくような直射日光から彼を守るために、せめても少しはましな位置――窓の真下の光が射してこない位置――まで、椅子をずらしてやることにする。
「俺はあんたに危害を加える気はない」と、メロは最初にそう言い渡した。「これは俺の勘だが、あんたはおそらく、英語が喋れるに違いない――ゆえに、さっきのウィルソン中佐の言った言葉がわかっただろう?だからといってこれは実験ってわけでもないんだ。拷問を加えたほうが捕虜はよく喋るのか、それとも正反対に人道的に扱ったほうがより大きな成果が得られるのかっていうね……イラクじゃどうなのかわからんが、ハリウッド映画の刑事ものなんかじゃあ、時々こういうシーンがあるのさ。まずは暴力的ともいえる<脅し>刑事がでてきたあとで、優しく食事までだしてくれる<泣き落とし>系の刑事が犯人を懐柔するってシーンがね。まあ、フセインがどこにいるのかなんて、俺自身はこれっぽっちも興味がないが、どうもこれが今この場における俺に与えられた仕事らしいから、よろしく頼む」
「…………………」
 男が何かぼそぼそと呟いたので、メロは彼の顔の近くに耳を寄せた。すえたような匂いのする体臭が立ちのぼるが、それは無理もない、当たり前のことだといえた。
「おい、彼をトイレまで連れていけ」
 メロは表の番兵に声をかけたが、向こうからは何も返事がない。それで仕方なく、扉の前までいって、直接下士官ふたりにそう伝えた。
「トイレなんて、その場でさせるのが常識ってもんです」
「それも拷問として、ここではひとつの有効な手段と見なされてるんです」
(やれやれ。こいつらもあの所長同様狂ってきているのか?)
 そう思ったメロは、とりあえずトイレだけは何がなんでも絶対にいかせろと命令した。結局、渋々といった体でふたりは捕虜を両脇から挟みこむ格好でトイレへ連れていき、十分ほどで戻ってきた。だがその後男は一切口を聞かず、やはり沈黙を守ったままでいる。
 仕方なくメロは、男の隣にどっかと座りこみ、うだるような暑さの中で、なんとか自分の考えをまずはまとめることにした。
(朝見た数百名の刑務官は、刑務所に勤める兵士の全員ではない……朝礼に彼らがでていたのは、これから夜勤の終わった見張りや警備の兵と交替するためだ。そう考えると、あの中に<リンクス>とやらがいたとは限らないわけだ……しかも俺の勤務表を見るかぎり、一度も夜勤がないというのは、一体どういうわけだ?中をあれこれ探りまわされたのではたまらないので、この取調室とは名ばかりの拷問部屋へ閉じこめておこうって魂胆なわけか……なかなかディキンスン少将も考えてあるな)
 これじゃあどっちが囚人なのやらと、メロはおかしくなって少しだけ笑った。すると、また男が小さな声で何か呟いている。
「……………一体、何がおかしい」
 随分長いこと声帯を使っていないかのような、嗄れた声だった。メロがこの男にたった今この場で浴びるほど水を飲ませてやりたいと感じるほど、その声音には絶望の色が濃い。
「べつに。ただこうして黙って座ってるだけでも十分拷問だと思っただけさ。何もわざわざ電気ショックを与えるまでもない……この状態で脱水症状ぎりぎりまで放っておかれて、必要最低限水や食事を与えられっていう繰り返しを五十日もやってしゃべらないとなれば、それはおそらく本当に何も知らないってことだ。ただ単にアメリカ側の兵士からしてみたら、それだと『仕事をした』という気分になれないことが問題なんだろう……これこれの拷問を施したにも関わらず口を割りませんでしたと上官に報告したほうが、なんといっても説得力があるものな」
「…………そんなものか」と、男のほうでも微かに笑う。ほんの少し口角を上げただけで、頬全体に皺が寄っていったが、彼の笑い方がメロは好きになれなかった。外の下士官ふたりが、人道的に扱う必要などないと判断するのももしかしたら当然のことなのかもしれない、と思う。何故なら共和党防衛軍の幹部クラスともなれば――これまでに相当手ひどいことの数々に手を染めていない限り、親衛隊という名誉ある地位には着けなかっただろうからだ。
「………ニザール・ハズラジは元気か?」
「ニザール・ハズラジ?」と、メロは鸚鵡返しに聞いたが、男はそれきり何も答えない。メロはしばしの間頭の中を探り、その名前が九十六年にイラク国外へ亡命した、元イラク軍参謀総長の名前であることを思いだした。クルド人への化学兵器使用の責任を問われ、デンマークで「戦犯」扱いにされて自宅軟禁状態にあった男だ。ところが、イラク戦争開戦直前の三日前、彼は亡命先の自宅から姿を消している。CIAが戦争に際してイラク国内工作のために彼を連れ去ったとの、もっぱらの噂であった。
「もしご希望とあれば確かなことを調べてもいいが……まあ、元気なんじゃないのか。アメリカ軍はバース党員に対してはともかく、軍人には意外と甘いようだからな。<フセイン政権指名手配リスト>を見ても、軍人はバース党員に比べて圧倒的に少ない。それにスルタン・ハーシム・アフマド元国防相でさえ、指名手配を取り消すっていう条件の元にアメリカ軍が投降させたらしいし……まあ、あんたもちょっと<取引>ってやつをすりゃあ、ここから出ていけるんじゃないのか。といっても、知らないことについて吐けって言われてるんじゃ、それも難しいか」
「………おまえは、おかしい」と、男は嗄れ声で笑った。「アメリカ側はだの、アメリカ軍はだの、まるでまるきり赤の他人のことを話すような言い方をするな。何故だ?おまえだってアメリカ人で、アメリカ軍の一員なんだろう?」
「さあなあ」メロはあえて曖昧な言い方をした。「今のこの状態じゃあ、あんたも俺も似たようなもんさ。同じ窯の中で煮えてる者同士、上も下もなく平等なんじゃないのか。まあこっから一歩でれば、俺は捕虜や囚人よりはましな食事にあずかれるが、活動範囲の広い檻の中にいるっていう点じゃあ、そう大差あるかっていうと疑問だな」
「俺は、フセインが死なないかぎりは、本当のことは何もしゃべらない」男の声は長い単語を話すうちに、少しずつ流暢なものに変わっていった。「だがおまえらは、フセインの居場所に心当たりはないかと聞く。だが仮に知っていたとしても、祖国に対する裏切り者にも等しい扱いを受けて、今後生きていくつもりはない。それなら死んだほうがましだと、何度もそう言っている」
(なるほど、この男がしつこく取調べを受けているのはこれが原因か)
 そう思ったメロは、彼がフセインの居所を知っているかどうかはともかくとして、自分の<仕事>をまずはすることにした。ポケットからメモ紙とボールペンをとりだし、これまでにどういう種類の拷問を何日間に渡って受けたか、また彼が自分と同じ捕虜や囚人などの虐待の実態をどの程度知っているかについて、幾つか質問をした。
「……何故、そんなことを聞く?それに日にちや時間や日数などは正確には覚えていない。俺の目の前では確かに、何人もの捕虜や囚人が死んでいった。だがその理由はわからないんだ。人間扱いされずに後ろを小突きまわされることなんかはしょっちゅうだが、ここが刑務所である以上、そしてアメリカが勝った以上は、ある意味当然のことだろう」
 男のこの考え方は、これまで自分がそうした扱いを他のシーア派イスラム教徒やクルド人に加えてきたことに対する表れだったに違いないが、メロはただドライに、彼を<使えるか・使えないか>で判断することにした。
「しっ」と、口許に指を立て、メモ帖にさらにアラビア語を左から右へ走り書きする。
『このメモ帖をあんたに渡すから、これをできるだけ多くの捕虜や囚人に配ってくれ。そして、いつ・どこで・どんな方法で拷問や虐待を受けたのかを、なるべく詳しく書くように指示してほしい。そうすればここで行われていることが明るみにでて、国際問題にまで発展する可能性がある。メモ帖にはその人物の名前を書きこんでくれれば、あとのことはこちらで手に入れたファイルで照合する。また、もしこの紙に書いたことが刑務官にバレそうになった場合――これは飲みこんだとしても人体にまったく害はない』
「そうすればあんたも、ここからでていける日がきっと近づくはずだぜ」
「……わかった」
 そう答えてから彼――ムハンマド・ジャマルディーンは、メロが外からはわからぬよう彼の脇の下に挟みこんだメモ帖と小型のペンを、しっかり受けとった。正直なところを言って、ジャマルディーンはメロの言ったことをそのまま信用したというわけではない。それに、自分は間違いなくフセインと並ぶ悪党として裁判にかけられ、死刑になるだろうこともわかっていた。そのくらい彼がイラク国内で犯した罪は大きなものだったので、他の捕虜や囚人たちにとっては朗報かもしれなくとも、彼自身にとってそれはさして関係がなかったといえる……だがそれでも死ぬ前に、最後に少しでも人間らしいことをしておきたいという気持ちが彼の中にあったのも確かなことだった。
「ケール少尉、そろそろお昼休みの時間なんじゃないですか」
「ああ、わかった」
 鉄格子のはまった窓から中をのぞきこみつつ、下士官のひとりがそう言った。おそらくふたりがぼそぼそと聞きとれぬ声で何やら話しはじめたのが気になったのだろう。
「捕虜や囚人たちには、この紙を俺が必ず回収にいくと伝えてくれ。それまで肌身離さず持っているようにと」
 最後に小さな囁き声でメロはジャマルディーンに伝え、蒸し風呂のような拷問部屋から外へでた。メロがジャマルディーンのことを選んだのは、あるひとつの理由によるものだった。メロにとっては共和党防衛軍の親衛隊だった彼が、フセインの居場所を知っているかどうかなどはどうでもいいことで、彼の口が堅いというのが、何より重要なことなのだった。
 メロは刑務所の刑務官たちの食堂で、エアコンが涼しい風を送るのを心地好く感じつつ、ご飯や鶏肉の炒めもの、ラザーニャやサラダ、リンゴやナシのデザートなどを食べた。そしてわびしいものを感じつつ、最後にワイミーズ製薬特製の低血糖症の薬をぼりぼりと齧る。今食堂にいるのは百名以上もの兵士たちで、朝礼の時にメロのことをくすくす笑った女兵士たちもその中に混じっていた。メロは彼女たちにあえて背を向ける格好で食堂の片隅に座ったのだが、そこへひとりの女性の影が落ちる。
「ハーイ、金髪の坊や。その後のお勤めはいかが?」
「おまえ……っ」メロは思わずガタリと席から立ち上がって逃げだす格好になった。
「あら、そんなに嫌がらなくてもいいじゃないの。ここ空いてるんでしょ。座ってもいい?」
「いやー、ほんとに奇遇だよねえ。僕もまさかここで、メアリさんと一緒になるとは思いませんでしたよ」
 そう言ってリロイは、メアリ・トゥールーズと隣り合って、メロの目の前に腰かけている。メロはこの場から逃げだしたいのは山々だったが、せっかく気持ちよくエアコンの効いている涼しい部屋から、外の汗のふきでる蒸し暑い環境へ飛びだす気にもなれない。
「……おまえら、どこで働いてるんだよ」と、メロは気力を総動員してなんとか椅子に自分のことを押し留める。
「おまえらだって、失礼しちゃーう!」
 メアリはスプーンでラザーニャをかき混ぜながら、リロイと顔を見合わせている。
「あたしは女の囚人を監督する房にいるのよ。そんでリロイは一般の捕虜を見張る房にいるのよね。で、あんたは何してんの?」
「俺は……取調室で捕虜のことを訊問してる」
 メロはできるだけ素っ気なくそう答えた。まわりにはメアリを目当てにした男の兵士たちが次から次へと横並びに腰かけていっている。その有様を見ただけでも、メロはなんとはなし苛々と腹が立つものを感じた。
「悪いが、俺はあんたとここに一緒に座っていることで、前の時のように他の兵士たちに逆恨みされるのはご免だ。リロイ、俺は向こうに席を変えるが、気を悪くしないでくれ」
「べっつにー、そこまで気にすることないんじゃないのー?」
 ねえ、とメアリが隣にいるジョナサン・ターツロー上等兵に微笑みながら相槌を求めると、彼は真っ赤になって、「そのとおりであります」などと答えている。メロは(完全に駄目だ、こりゃ)と思い、トレイを片付けるついでに、座席を変えた。そしてトランプやTVゲームなどに興じている一団に近づき、情報収集がてら彼らの話に耳をそばだてる。
 メロの今後の作戦というのは、次のようなものだった――まずは事務室にいる事務官及び、刑務所内にいくつかある警備室の刑務官を多額の金で買収する。あとは虐待の事実が本当なのかどうかをこの目でじかに確かめられれば一番ではあるが、まずは捕虜及び囚人の聞きとり調査(ムハンマド・ジャマルディーンに渡した例のメモ帖)と、証拠の写真などを押さえることだ。そして買収した刑務官のうちの何人かからでも確かな証言を得られれば、仮にもしメロが今後も捕虜や囚人のいる監房のほうへ配置されなくても、Lの手元にある証拠写真がものを言うことになるだろう。
(これで決まりだな)
 メロは何気ない振りを装って耳をそばだてていた兵士の一団に、事務官が数名いることに気づくと、まずは彼らの顔と名前をチェックした。昼休みの終了とともに、いかにも気怠い調子でぞろぞろと兵士たちが出口のドアへ流れていくのを見計らって、そのうちのひ
とりに声をかける。
「悪いんだが、勤務のことで話がある。あとで少し話せないか?」
「ああ、いいよ」と、ポーカーで勝って三百ドルせしめた男――ニール・レビンソン軍曹は軽い調子で応じた。今日刑務所へ移ってきたばかりでわからないことがあるのだろうと、彼は単純にそう思っていた。「仕事が終わってから声をかけてくれてもいいし、どうせ夜には同じ宿舎で寝泊りすることになるんだから、その時にでもあらためて聞いてほしいな」
「ああ、わかった。よろしく頼む」
 メロが彼に目をつけたのは、まず仲間何人かで話している会話を聞いていて、間違いなく金で動く人間だということがわかったからだった。その上刑務所内の人事も担当しているとあっては、彼を味方につけない手はないというものだ。
 メロはアブグレイブ刑務所勤務一日目で、ちょうど天国と地獄を交互に味わうような思いをした。メロが担当する捕虜のいる取調室は午後中一杯にかけて灼熱の地獄に近い釜ゆで状態が続いていたが――しかもそこでまともに働いているのは彼ひとりときては、これはもうドナルド・ウィルソン中佐の陰謀以外の何ものでもなかっただろう――昼休みや短い休憩時間に食堂のある棟へいくと、そこはかくも涼しきエアコンの恩恵にあずかれる場所なのである。メロは午後中、手錠で拘束されたままのムハンマド・ジャマルディーンとともに過ごし、軽い世間話のようなものを時々する以外は、始終黙って蒸し風呂のような暑さに耐えた。刑務所の事務室や警備室には心地好いエアコンの冷気が隅々までいきわたっていることを思うと、そこに勤務することのできる連中に対して憎しみにも似た感情がわきあがってくる――(やれやれ。まだここへきてたったの一日だってのに、早くも俺まで頭がおかしくなりつつあるのか?)と、メロは自嘲した。
 そしてその日一日の勤務が終わった時、メロは大して仕事らしい仕事もせずに黙って座っている時間が長かったにも関わらず、すっかり疲労困憊していた。ムハンマド・ジャマルディーンがふたりの下士官に連れられていく後ろ姿を見送りながら、(あのおっさんに
比べたら、俺はまだ幸せなほうだと思わねばならないんだろうが、それでも明日もまたこれと同じ状態に耐えなければならないと思っただけでうんざりするな)と、思わず重い溜息が洩れる。
「ほっほっほっ。どうですかな?刑務所勤務一日目のご感想のほどは?」と、事務室でウィルソン中佐に嫌味まで言われたメロは、体内の血糖値がチョコレート不足により下がっていたこともあって、もう少しで本当にぶち切れる寸前だった。
「確かに、中佐殿のおっしゃるとおり、捕虜や囚人などは人道的に扱うだけ無駄なようです。今日一日、よくよく観察して思いましたが、明日からは是非奴めに懲罰を与えてこらしめてやろうと思っている所存であります」
「そうでしょう、そうでしょう」と、ウィルソン中佐は猫が喉を鳴らす時のように、嬉しげに言った。「明日は是非とも奴めにいい思いを味わわせてやるのが良いですよ。なんでしたら、それが終わり次第、わたしはあなたをもっと楽な別の場所へ配置転換してもいいとさえ思ってるんですからね。あなたもあんな蒸し風呂みたいな拷問部屋に何日もいたのでは、きっと頭がおかしくなってしまうでしょう……そうなる前に、我慢するだけ無駄と思って、長いものには早めに巻かれることです。これはあなた自身のために言ってるんですよ」
「上官殿の有難いお言葉、身に沁みて感じ入ります」
 そう言って敬礼したあと、メロは事務室にいた二ール・レビンソンに、軽く合図を送って部屋をでた。彼の浅黒い顔には満面の喜びとでもいったような表情が輝くばかりにあふれている……おそらくすでにインターネットで、自分の銀行口座に五十万ドルもの金が振り込まれているのを確認したあとだったのだろう。
(助かったよ、ワタリ)と、メロは思わず胸ポケットの中の携帯電話を撫でた。簡単に説明すると、あのあとメロは短い休憩時間に偶然、もう一度レビンソンと顔を合わせていたのだった。そこで、五十万ドルもの金の見返りに、捕虜や囚人のファイル、また刑務所に勤める兵士全員の経歴等が書かれた人事ファイルのデータを横流ししてくれないかと持ちかけたのである――「俺は実はCIAの人間なんだ」と、打ち明けたあとで。
 レビンソンは「なんだか映画みたいだな」と、どこか興奮したような面持ちになり、「そういうことなら協力するよ」と、すぐにふたつ返事で引き受けてくれた。
 メロは刑務所の近くにある刑務官専用の宿舎まで戻ると、ワタリに感謝のメールを一通送った。休憩時間中に、レビンソン軍曹の銀行口座を書き記したメールを送ってはいたものの、電波の都合によって送受信が遅れる可能性がないではなかった。だが、思ったよりも早くメールが届き、ワタリのほうでもすぐにメロが「至急!」と注文したとおり、手配してくれたというわけだ。
(これで、あとは……)と、メロは二段ベッドの上でごろりと横になりながら、策を練った。(明日にでも一芝居打って、あの蒸し風呂のような部屋からの脱出を試みよう。ようするにあのちょっとカマっぽい感じのする中佐は、俺に捕虜や囚人の拷問や虐待もやむなしと納得させたいだけのようだからな……それならこちらにもこちらで、それなりの用意があるというものだ。もしあの取調室から、他の一般の捕虜や囚人のいる監房のほうへ移れるのなら、いくらでもあのカマっぽい中佐に媚びへつらってやるさ。あとは誰かと夜の勤務を代わってもらうことだが……さて、これを誰に頼むことにするか?)
 そうメロが考えを巡らせていると、部屋に黒人の小柄な兵士が入ってきた。メロは彼の顔を見るなり、一瞬目を見張る。
「リロイ、おまえ……もしかしておまえが同室の相棒ってやつなのか?」
「うん、そうだよ」と、リロイはまだどこか幼さの残るような顔で頷いている。「だって、たまたま同じ日に人事異動になったからさ、僕らが一緒の部屋になったって、おかしかないだろ?」
「まあ、確かにおかしくはないが……」メロはベッドの下に足をぶらつかせながら、どこか腑に落ちない顔をしている。「大体おまえ、なんでここにいるんだ?補給部隊で何か問題でも起こしたのか?」
「べつに。僕はただ正しいことをしたまでだよ。ノックス中尉がウィスキーなどの酒類を不正に各部隊へ配給してますって告発しただけさ。そしたら即刻マクダーモット少佐に刑務所へいけって言われたんだ」
「ああ、あのホモ野郎か。まあ、あいつらはグルになって甘い利益をすすってるんだろうからな……これでうまく口を封じたってところか。それにしてもあのイカレ野郎を相手に、おまえも結構勇気があるな」
「勇気なんか問題じゃないよ。もしこのことが原因で不名誉除隊処分にでもされたら、マスコミにすっぱ抜いてやるって脅したんだ」
「ふうん……リロイ、おまえ、来週中に夜勤が何度かあるだろ?俺と一度だけ代わってくれないか?」
 メロはリロイのことを用心のために<敵>と見なすことにしようと思っていたが、すっかり警戒心を解いて、そう頼むことにした。
「べつに、いいけど……」と、リロイは自分の荷物をほどきながら、どこかためらいがちに首を傾げている。「でも僕はメロみたいにアラビア語ペラペラっていう特殊技能を持ってるわけじゃないからな。勤務を交代したとしても、メロと同じような仕事ができるっていうわけじゃないし……それでもいいの?」
「そこのところはこれから俺のほうでうまくやるから、何も心配はいらない」
 メロは二段ベッドから飛び下りると、リロイと一緒に食堂へ夕飯を食べにいくことにした。そして食事を終えたあとは、兵士のひとりに十ドル渡してハンビーを借り、売店までいってチョコレートを十数枚買ってきたのだった。
(とりあえずこれで、首尾は上々ってとこだな)
 メロは就寝時間になる前にシャワー室でシャワーを浴びると、その日一日の汗と垢を洗い流しながらそう思った。あとは夜、レビンソン軍曹に教えてもらったとおりの方法で、刑務所内の事務室にあるコンピューターシステムをハッキングして、欲しい情報を得ればいいだけだ。見回りの兵士がたまたまレビンソンに借りのある人間で助かった、ともメロは思っていた。どうやらレビンソンは刑務所内でも顔が利くほうであるらしく、他にもポーカーで貸しがあるなど、彼に弱味を握られている兵士は複数いる様子だった。
 夜中に宿舎のすべてが寝静まったように思える頃、メロは早速行動を開始した。休憩室の片隅にはパソコンが数台置かれていて、刑務所に勤める兵士たちは、それを使ってアメリカ本国にいる家族と通信することが許されている。メロは真っ暗な部屋の中で、まずはその中のうちの一台を稼動させると、早速事務室にあるパソコンのデータをハッキングしにかかり、データをすべてフロッピーにダウンロードした。何しろ刑務所には数千人もの捕虜や囚人がいるのであり、その全員を覚えておいてあとから例のメモ帖を書いた人間と照合するなどというのは到底不可能な話だった。とりあえず、捕虜と囚人のデータがすべてフロッピーに入ってさえいれば――アメリカへ戻ってからでも、名前と顔を一致させることが可能である。
(この刑務官の人事ファイルを見るかぎり、俺とリロイの前には、一か月前に何人かの兵士が異動になっているだけだな……ということは、<リンクス>とやらのデータはここにはないということか?経歴を偽っているにしても、該当するような人物がひとりも見当たらない……レビンソン軍曹にも俺が入ってくる何日か前に見ない顔が来なかったかどうかと聞いてみたが、心当たりはないっていう話だったしな。ということは……)
 メロはチョコレートを齧りながらパソコンのマウスをいじっていたが、何気なくクリックしているうちに手元が狂って、兵士たちが家族や友人、恋人へ向けて送ったメールのうちのひとつが開かれた。
(I love you,Please marry me……?なんだこりゃ、メールで恋人にプロポーズしたのか?まあ、俺には関係ないし、人のラブレターを盗み読みするような趣味はない……)
 そう思ってメロがメール作成画面を閉じようとしていると、中から突然画像付きのものが表れた。その写真に、メロは確かに見覚えがあった。裸のイラク人の囚人が何人もピラミッド式に積まれたものや、兵士が四つん這いになったイラク人に足をかけて勝利のポーズをとっているものなど……メロはそのメールの発信者及び受信者を調べようとしたが、その映像が飛びだしてきたのはたまたま何かの偶然によるものだったらしく、あとからいくらメールのチェックをしても、それだけはわからなかった。
(だが、これでもう証拠はつかんだも同然といえるな……)
 メロは刑務所に勤める刑務官たちのメールをチェックしているうちに、他にも何人かの兵士たちが記念撮影よろしくイラク人に虐待を加えている画像と出合った。それに付いているメールには、イスラム教徒やイラク人、アラブ系住民に対する差別と偏見に満ちた暴言がいくつも垣間見られる。
(これも証拠の品として、押収させてもらうか……)
 棚から牡丹餅のような、自分にとっては間違いなく確かに欲しい証拠の画像であるにも関わらず、メロは何か物悲しいものさえ感じながら、フロッピーディスクを手にしてパソコンの前から離れた。超人Lとは違い、メロは流石にもう眠かった。昼間は蒸し焼きにされた鶏肉よろしく無駄に体力と気力を消耗し、夜は夜で膨大な量のデータと首っぴきで調べものをし……これでもし明日もう一度、あの灼熱の陽が射す部屋で勤務したとしたら、流石の自分もかなりのところ参るだろうと、メロはそう自覚しないわけにはいかなかった。



スポンサーサイト
【2008/02/25 16:32 】
探偵L・アメリカ編 | コメント(0) | トラックバック(0)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。