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探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』~第Ⅴ章~
探偵L・アメリカ編『マンハッタンの枢機卿』

       第Ⅴ章

 ――とはいえ、その分の反動なのかなんなのかメロにはわからなかったが、翌朝起きた時の全身の痛みにはひどいものがあった。正直いって体を起こすのもままならないという状態ではあったが、起床の点呼のためになんとか身支度を整えて、廊下に整列した。
 メロと同室の他の三人――エリック・ソーントン中尉、ダン・ギャラガー少尉、ボブ・ファインズ少尉は、メロが顔の表情には見せないものの、相当参っているらしいということに気づいていた。おそらくこの時、メロの体のどこかを軽くぽんと叩いただけでも、彼はギャグ漫画よろしく飛び上がっていたかもしれない。
「ちょっとやりすぎだったか」と、小声でギャラガーが大男のソーントンに囁いている。
「まあ、もうやっちまったもんは仕様がねえだろ」とソーントン。
「俺は手加減したつもりだったんだがな」
 ファインズがそう呟いた時、マクダーモット少佐から鋭い怒声が飛んだ。
「そこ、何話しているっ!」
三人が「すみません、サー!」と敬礼をすると、少佐はつかつかと彼らの整列しているところまで近づいてきて、ふとメロの顔に目を落とした。無意識のうちに顔と頭を庇う格好となっていたので、メロの顔に大きな打撲の痕などは見られなかったが、それでも左目の端を一箇所、大きく切っていた。
「ミハエル・ケール少尉、この傷痕は何かね?」
 マクダーモットはメロの前髪を軽く払うと、まるで嘘でも見抜こうとするように、彼の青い瞳の中を覗きこんでいる。
「なんでもありません、マクダーモット少佐。きのう階段から落ちて怪我をしました」
「そうか。だがまあ、君がもし何か悩んでいることがあれば、わたしが上官としてその話を聞こう。いつでも部屋に訪ねてきてくれたまえ」
 そのあとこの小太りの少佐は、今日一日の補給部隊の日程について順に説明した。朝食をとった後、自分たちが使用している部屋の掃除や廊下・トイレなどの共用部分の清掃が終わったあと、正午にクウェート沖の基地に到着するまでは自由時間とする……。
 廊下に一列に並んだ百名以上もの兵士たちが少佐に向かって敬礼し、朝礼が終わると、全員が全員ばたばたと各自の部屋へ一旦散っていった。そしてまるで急がなければ朝食にありつけないとでもいうような慌ただしさで、一斉にみな食堂へなだれこむように走っていく。
「よお、新入り。きのうの怪我は大丈夫か?」
 通りすがりざま、ノックス中尉とその取り巻きにそう声をかけられた。そのうちのひとりがわざとメロの肩に思いきりぶつかってきたが、それだけでも結構なダメージであったため、メロは黙ったままでいた。
(きのうのことは全部、こいつらの差し金か……)とメロは考えた。(中にきのうメアリからの手紙を持ってきた、のっぽの男がいた。ということはあの女は、最初からこの男がノックスに手紙の内容をばらすであろうことを知っていて、この俺にそれを届けさせたわけだ。とすれば、あの女は本当に大した売女だということになるな……)
「気をつけな、新入り」と、うなだれたようにベッドサイドに腰掛けるメロに、上から声が降ってきた。ファインズ少尉だった。「別にチクられることに対してビビってるってわけじゃあないが、マクダーモットの奴はホモだからな……それも君みたいな金髪の美少年に弱いって噂だから、気をつけるに越したことはないよ」
 ソーントンとギャラガーはすでに食堂へいっていたので、室内にいたのはメロと彼のふたりだけだった。
「……何故、そんなことを俺に教える?心配しなくても、リンチにあったことを少佐にチクったりはしない。第一そんなことをすればきのう俺が就寝後に違反行動をとっていたことがばれる……まあ、お互いさまってやつだ」
「そうか。ならばいい」
 ファインズは二段ベッドの上から飛び下りると、メロに向けて握手を求めてきた。
「きのうは俺もちょっとやりすぎたようだ。これからは同じ部隊の人間同士、仲良くするとしよう」
 彼はファインズという名前のとおり、どうやら気のいい男のようだった。メロは一番最初に受けた印象により、ソーントン(大男)、ギャラガー(太っちょ)、ファインズ(細目)というように身体的な特徴でとりあえず彼らを分類していたのだが、彼は普段から開いてるのか閉じているのかわからないくらい、本当に目が細かった。年の頃は他の二人と同じ二十四、五歳といったところだろうか。
 食事のあと、各自の部屋と共用部分の清掃と相成ったわけだが、メロは体のあちこちが痛むあまり、廊下のモップがけですらまともにできないような有様だった。だがそんな様子のメロのことを見かねたボブ・ファインズが、何かと気を回して手伝ってくれたお陰でかなりのところ助かった。「悪い、この埋め合わせは今度必ずする」そうメロはファインズ少尉に約束したが、彼はただ「お互いさまだよ」と言って、細い目をますます細めただけだった。
 ところが、またしてもエドワード・ノックスがメロの前に通りを塞ぐようにして現れ、メロがモップがけをしている邪魔をした。彼が廊下の右側へ進もうとすると右に、左へ進もうとすると左に歩を進ませる。
「おい、きのうはナニをしゃぶってもらったか」
「誤解するな」と、メロははっきり大きな声で言ってやった。「俺は彼女に何もしていない。なんだったら本人に聞いてみるといい」
「ふん。どうだか……」と、ノックスは自分の手下どもに手を振って合図した。「こいつのことはトイレ掃除にまわせ。あとで俺が綺麗になったかどうかじかに点検してやる。もし汚れたままだったらその時は、おまえのその顔を床にこすりつけて、モップがわりにさせてもらうぜ」
 ノックスの取り巻きのうちのふたり――例ののっぽと汚いにきび面の男――に両側を挟まれたメロは、一瞬体に激痛が走り、立っているのさえ危うくなった。だが痛みの感覚に一度体が慣れてしまうと、今度はむしろ幾つも朝顔が並んでいる便所という場所が俄然有難くなってきた。
「オラ、俺が掃除の仕方を教えてやるぜ!」
 にきび面の男がモップの柄を振り回した瞬間、メロは条件反射でそれを避け、反動でつんのめった男の黒い髪を引っつかみ、便所の壁に何度も容赦なく叩きつけた。だが、今朝の点呼の時、ホモのマクダーモット少佐が気味悪く自分の顔を覗きこんでいたことを思いだし、目立つところに傷がつくのはまずいかもしれないと思い直した。
「それじゃあ、作戦変更だ!」
 にきび面からモップを奪うと、何故かその瞬間にメロは、つい先ほどまでは気づかなかったのに、きのう自分が殴られた物がなんだったのかに思い当たった。それはこのモップだったのだ。
 メロはきのう自分がされたのとまったく同じ仕打ちをにきび面に加えたあと、今度は便器を清掃するためのブラシを手にしたのっぽに標的を変えた。この間、ほんの三十秒程度の出来事だった。おそらく彼らの計画からしてみれば――まずモップで痛めつけ、床に這いつくばらせたあと、便器清掃用の清潔なブラシでメロのことをお手入れするつもりだったのだろう。
 だが背が二メートル以上あるであろうやたら縦にひょろ長い男は、今朝自分が小便したばかりの朝顔に、にきび面のジョゼフ・マッカーシーが沈没しているのを見て、内心びびりはじめていた。
「なんだったら、あのホモ野郎の少佐にチクったっていいんだぜ……」
 と、メロは手の指をぼきぼきと鳴らしながら言った。彼の目はもう完全にどこかへいっていたし、その世界からメロのことをもう一度戻すには、自分がやられるしかないらしいということを、ケビン・ヒューズは悟りつつあった。
「ひっ!助けてくれ……っ!」
 逃げだそうとするも、もう手遅れだった。ヒューズ少尉はメロに肩をつかまれると、容赦なく腕の骨をへし折られた。そして失神した彼のことを引きずり、二番目の朝顔と接吻させてやっていた時、トイレを見張っていたらしい男がふたり、ヒューズの叫び声を聞き
つけて、中に入ってきた。
「こちとら、ただでさえチョコレートが食えなくて気が立ってんだ!人が大人しくしてやってれば、図に乗りやがって……っ!」
 メロはふたりの屈強な男の足をモップでなぎ払うと、弁慶の泣きどころをしたたか打ちつけてうずくまる彼らの顔をブーツで踏みつけにした。さらには本来はメロ用にと用意されていた小便入りバケツの存在に気づき、たっぷりそれを上からかけてやった。
 ――こうして、Lの不吉な予言的発言は成就し、トイレに並んでいた十以上もある朝顔はすべて満員御礼となった。その途中でノックス中尉ももちろんトイレへ駆けつけたが、彼に至っては誰かがクソを流し忘れた便器に顔をこすりつけられているという有様だった。

 騒ぎを聞きつけた、まだ他にもいるノックスの取り巻きたちは、この不気味な光景を見て唖然とした。互いに顔を見合わせ、<おまえいけ>と無言の会話を交わしあうが、誰もが首を振って拒否するばかりだった。
 メロは胸ポケットから低血糖症の薬をとりだし、何十個もぼりぼり食べていたが、そのことによって彼はようやく正気に戻りつつあるようだった。一日数回に分けて二錠ずつ飲むようにエリス博士からは言われていたが、実際には十個以上一度に食べないことには、チョコレートの濃い味が口全体に広がらない。
「おまえら、このノックスとかいう間抜け野郎につくのか、それとも俺につくのか、五分で決めろ」
 便器に顔を突っこんだまま失神しているエドワード・ノックス中尉のことを親指で指し示したあと、メロは手に持っていたモップを先頭にいた男に押しつけた。
「あとの面倒な掃除は自分たちでやってくれ」
 そう言い残し、トイレの外でメロは五分だけ待つことにした。だが、実際には五分もいらなかった。三分もしないうちに、先ほどメロがモップを渡した小柄な男が、手を揉みしだきながら、おもねるようにメロのことを見上げてくる。
「満場一致で、我々は今後一切ノックスの命令には聞き従わないことに決定しました。して旦那の御要求のほうは……」
「俺の要求か」と、メロは思案した。「そうだな。毎日貢ぎ物としてチョコレートを十枚以上持ってこい。おまえらは軍の規定に違反するようなものでも前線の兵に賄賂を貰って届けてるんだろ?それだったらチョコレートくらい安いもんだよな?」
「はあ、まあ……」そんなにたくさんチョコレートがあったかどうか不安に思いつつ、ニック・ショルティ准尉はいざとなったら現地調達だと思いながら請け合った。「ええと、それ以外には何か御条件のようなものはないんでしょうか?」
「ないな」と、メロはきっぱり言った。「強いて言えば今後、俺という腫れ物には誰も無闇に触らないよう気をつけろってことくらいだ。以上」
 そのあとメロは、一暴れしたせいで、もう一度体に打撲傷の痛みが戻ってくるのを感じたが、朝起きた時の衝撃に比べればそれは大したことはなかった。それより、と彼は考える。結果的にチョコレートに不自由のない生活をとり戻せそうなことを思えば、あの三人に殴られたことは安い駄賃だったのかもしれない。最初からメロには同室の三人を恨む気持ちはなかった。恨むとすればメアリ・“ビッチ”・トゥールーズただひとりだけだった。ノックスに対してさえ、メロはある程度寛容的な気持ちになってやることができたが、あの女だけは許せなかった。
 もし彼女がエドワード・ノックスに自分を指差して「ちょっとタイプ」だなどと言いさえしなければ、すべてのこうしたごたごたは避けて通れたはずだった。メロの勝手な推測によれば、メアリはおそらくノックスに焼もちを焼かせたくてああした迷惑な振るまいに及んだに違いなかった。自分がほんの少し小指を動かしただけで、男たちが人形のように言うなりになるのを見て楽しんでいるのだろう……そう思うとメロは、にわか仕立ての軍人であるとはいえ、自分の崇高な職務を汚されたような、著しい怒りにも似た感情を覚えていた。
(これだから女ってやつは嫌なんだ)
 吐き捨てるように心底から本当にそう思う。今朝食堂へいった時、メアリはメロの顔にある傷を目敏く見咎めて、通りすがりざまに「ざまあないわね」と小声で囁きかけてきた。
「なんだったらあとで、あたしの部屋にいらっしゃいよ。手当てくらいしてあげてもいいわよ。もちろんただでとは言わないけどね」
(女じゃなかったら、殴ってるところだ)
 その時のことを思いだし、あらためてメロは両手の拳を握りしめ、怒りをこらえた。おそらく彼女さえいなければ、いくらノックスがいけ好かない嫌ったらしい野郎であったとしても、自分はそこそこうまくつきあうことができていたかもしれない。そうすれば同室の三人ともそれほどぎくしゃくすることもなかっただろう。にも関らず微妙なところで成り立っていたその関係を最初から徹底的にぶち壊されたことに対して、メロは何よりも腹を立てていたのだった。


 


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【2008/01/16 06:27 】
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