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L家の人々、第二話
第Ⅱ章~無関心な父親(役)L、暇つぶしに非行に走る長男メロ、引きこもりの次男ニア~

 ラケルとメロとニアが日本へきて、三か月が過ぎた。Lはたまにふらっと不意打ち的に(あるいは抜き打ち検査的に?)家へ戻ってくる以外は、ほとんど留守にしていて顔を合わせることもない。正直この時になってはじめてラケルは、自分が安請けあいしてしまったことを後悔しはじめていた。
(なんだかこれじゃあまるで、夫の単身赴任中の留守を預かる主婦みたいじゃないの。しかも家族らしい会話なんてほとんどゼロ……その上、メロはニアと毎日食卓で顔を合わせるのは不愉快だとか言って、Lと同じくたまにしか家に戻らないし。ここにいるのはほとんどわたしとニアのふたりだけ。ニアは一日中二階の自室に引きこもって何をしているのかもわからない……ああ、なんだか引きこもりの息子を持ったお母さんの気持ちがわかるような気さえするわ)
ラケルはとりあえず一日に三度食事を作り、二階のニアの部屋の前まで持っていく。他の間食用のおやつも十時と三時に運んでいるが、彼から返事や礼の言葉といったものがあった試しはただの一度もない(ニアはそれが彼女の仕事なのだろうくらいにしか思っていなかった)。

   ――三か月前――

「『明るい家族計画』だって?ふざけるなっ!」
 家長のLから事の次第を聞かされたメロは、激昂するあまり、食卓の上のものをすべて引っくり返しそうな勢いだった。
「とにかく、まずは座ってください」
 Lはラケルの作った食事――炊きこみごはん、お味噌汁、おでん等――をもぐもぐと頬を膨らませて食べながら、ふたりの(仮の)息子に冷静に説明した。
「ここでの暮らしの基本的なルールはこうです。なるべく家族顔をあわせて食事をすること、でもわたしは捜査で留守にしていることが多いので、その場合は三人になります――あとはきちんと学校へいくこと、困ったことがあったら母親役ともいえるミス=ラベットに相談すること……まあ、そんなところでしょうか。あとは適当に自由にやってください。わたしには至極簡単なことのように思えますが」
 Lの言い放った<至極簡単なことのように>という言葉が、メロには引っ掛かった。裏を返すとすればそれは、「そんな簡単なこともできないのか」ともとれる。それで仕方なく、力を落としたようにすとん、と椅子に座り直した。
「ところでラベットさん。あなたはイギリス人ですよね?それなのに何故こんなに日本の料理が上手なんですか?」
 偏食家のメロとニアには炊きこみごはんもお味噌汁もおでんも、どれもすべて口に合わなかった。ただひとりLだけがひょいひょい鍋の中のものを箸でとっては口の中に放りこんでいる。
「わたしは……孤児になったところを、日本人のご夫婦に引きとってもらったんです。それで日本食を義母から少し教えてもらいました」
「ああ、なるほどそれで。そういえばロジャーからもあなたの経歴に関して、報告書がきてましたっけ。でもちょっと忙しかったので、ちらっと目を通しただけだったんです」
「そうですか……」
 その後、おでんの煮えるぐつぐつという音と、Lがそれを食べるくちゃくちゃという音しか食卓の上にはなかったといってよい。ニアは早々に箸をおくと、すぐに自分に与えられた部屋へ静かに戻っていった。メロは箸と格闘するように食事を続けていたけれど、最後に卵がつるりと床の上に落ちると、冷蔵庫からチョコレートを一ダース持ち逃げして二階へ上がっていった。
「すみません、失敗しました。せっかく日本へきたのだから、日本の文化に親しんでもらおうと思ったのですが……メロはさっき番茶をだしたら、『こんなにまずいものは飲んだことがない』と言って吹きだしてましたっけ」
 ラケルの目には、Lもまた無理をしておでんを頬張っているようにしか見えなかった。明日からはやはり、なるべく向こうでと同じ食事を作るように心がけるべきなのだろう。
「まあ、そうがっかりすることもないと思いますよ。ようするに物は考えようです。母親役なんていっても彼らの目には結局、ミス=ラベットはワイミーズハウスの教員ないしは監視役といったようにしか見えないでしょうからね。これはわたしの予想ですが、まずメロとニアは学校へはいかないでしょう。あるいは学校へいくふりをして、まったく別の行動をとるか……とにかく、あなたは気を楽にして、それこそこの家が我が家なのだとでも思ってのんびり暮らせばいいんですよ。あのふたりがもし目立ってあなたに心配かけるとしたら、何か手に負えない事態が起こった時だけわたしに連絡をください。連絡方法はワタリから聞いていると思いますが、それをメロやニアには絶対に教えないでください。いいですか?」
「はあ……」
 一体なんなのかしらこの人……というような目で、ラケルは一瞬Lのことを見た。食事中もずっと変な座り方でものを食べているし……今は冷蔵庫の中のものをごそごそと漁って、「甘いものがない」などと指をしゃぶりながら拗ねている。
「あの、さっきメロちゃんが買い置きのチョコレートを全部持っていってしまったので……ちょっと待っててください。何枚か譲ってくれるよう、交渉してきますから」
 ラケルは(ここはひとつ、本当の家族らしく)と腕まくりすると、階段の下のほうから大声を張り上げた。
「メロちゃーん、お父さんがチョコレート食べたがってるから、下におりてきて何枚か渡してちょうだーい」
(まあ、こんな感じかな)とラケルが思っていると、ピシャッ!という物凄い音とともに二階のドアが開いた。そしてメロは階段の踊り場のあたりにチョコレートを三枚叩きつけたのだった。
「何がメロちゃんだ、このクソババア!今度ちゃんづけなんかで呼んでみろ!二度と朝日は拝めないものと思え!」
 メロはドタドタと二階へ上がっていくと、雷のような音をさせてドアを思いきり閉めている。ラケルはめげる様子もなく、割れたチョコレートを三枚拾いあげると、イーッという口の形をしてから居間に戻った。
(まったく、可愛くないんだから……)
 それとも、思春期の子供というのはどこも似たようなものなのだろうか?ラケルはパソコンのスクリーンを見ながら指をかじっているLにチョコレートを渡すと、台所の後片付けをしながら深い溜息を着いた。
(初日からこれじゃあ、先が思いやられるわよ)

 ――ー方、Lとラケルの会話を居間に仕掛けた盗聴器で聞いていたニアは、
(どうやらあのふたりはそう本気で両親の役をやる気はないようだ……それはまあ当然といえば当然。僕たちが今さら家族ごっこなんかしてなんになる。そんなものはただの茶番でしかない。それよりもこれはおそらく……僕かメロ、どちらがよりLの後を継ぐ者として相応しいかの試験と見たほうがいい。今ごろメロもそう考えて、隣の部屋で策を練っているだろう。まずはLの日本での拠点がどこなのかを掴んでおくに越したことはない。先ほどLはあの女……ラケル=ラベットに自分にはよほどのことでもない限り連絡するなと指示していた。そのことの意味はわかるが、あの女がこの家にいて一体どんな意味があるというのか……ただの僕とメロの監視役ということなのか、それともLを継ぐ者としてどちらがより相応しいかの判定に、あの女も何か関わりがあるとでもいうのだろうか?)
 疑り深くて腹黒い彼は、ウルトラマンにでてくる怪獣ジャミラとウルトラマン人形を対峙させながら考え続けた。
(Lがいかに探偵として優れていようとも、結局は僕と同じ人間であることに変わりはない……そうだ。例えばこの怪獣ジャミラにはウルトラマンのいかなる攻撃もまったく効果がなかったが、ジャミラの唯一の弱点……水を使うことでウルトラマンは勝利を得た。Lの弱点か……確かに正面きって勝負をしたのでは僕とメロに勝ち目はない。だがしかし……)
 当然といえば当然のことだったかもしれないけれど、ワタリとロジャーの考えたこの『明るい家族計画』なる企てが、本当に裏も何もないそのままの計画だなどとは、ニアもメロも最後までまったく気づくことなく終わることになるのであった。

 その後、ふたりは(いや、ふたりそろってと言うべきか)転入した学校をたったの一日でやめた。メロは尊敬するLに「学校へはきちんと通うように」と指示されていたため、我慢しながら低レベルの授業を受け続けていたのだけれど――六時限目、英語の教師がやたらと『L』と『R』ばかりしつこく発音するのに耐えられなくなり、盗んだバイクで学校を逃走した。そしてニアはといえば、パジャマ姿で寝そべったまま授業を受け続けた上、担任教諭がいくら注意しても「I can’t speak Japanese」としか答えなかったのだった。ラケルは放課後、中学校の職員室へ呼びだされると「息子さんはADHD(注意欠陥・多動性障害)なのではないですか?」と指摘され、ニアにいかに協調性がないかということを何度も繰り返し聞かされたのだった。
「あんなくだらない授業、受けるだけ無駄だと思ってわざと日本語のわからないふりをしたんです」……彼のIQの高さを思えばそれも当然かもしれないと思ったラケルは、「じゃあお父さんが帰ってきたら、相談してみるわね」とだけ答え、事実上そのままニアの不登校を容認することとなった。

 で、三か月後の現在に至る、というわけなのだけれど……。
(ニアちゃんって毎日、二階で何してるのかしら。前に一度だけ部屋をちらっと覗いたら、大きなガンダムのプラモデルとか、ウルトラマンシリーズの怪獣人形とか、そんなのばっかり置いてあったけど……確かにIQが高いだけじゃなく、普通一般の十三歳とは違うみたいだものね。そういえば、ワイミーズハウスでも友達らしき子はひとりもいなかったんじゃないかしら。最初に「僕の部屋へは許可なく立ち入らないでください」って厳しい口調で言われたから、ごはんを運ぶのも部屋の前までってことにしてるけど……こういう時、普通の家庭のお母さんならどうするかしら?第一、メロちゃんのことだって普通だったら何日も無断外泊したりしたら、死に物狂いになって探すとか、警察に捜索願いをだすとか……)
 以前、Lがふらっと戻ってきた時にメロの無断外泊のこととニアの不登校のことを相談していたラケルだったが、彼はラケルの焼いたアップルパイを頬張りながら、「ふたりとも、放っておけばいいですよ」と人ごとのように言うのみだった。そして「連絡事項はそれだけですか?」と最後に聞くと、リムジンに乗ってまたどこかへいってしまった。
(もしあんな人がわたしの夫で、しかも子供の父親だったりしたらどうしよう……なんだかわたし、日本へ戻ってきてから結婚するのが急に怖くなってきちゃった。もし仮に好きな人と結婚して無事元気な子供が生まれても、自分の思いどおりに子供が育つなんてこと、まずあんまりないんだし……夫はいるんだかいないんだかわかんない存在で、子供もこっちの言うことをまったく聞いてくれないとしたら……)
 地獄だわ、とラケルがぞっと鳥肌を立てていると、玄関のほうからバイクの大きなエンジン音と人の話声がしてきた。
「メロちゃん、帰ってきたの!?」
「うっせえ、ババア。メロちゃんとか言うなって何度言わせればわかる。それより、これはダチのマットだ。何か食うものあんだろ」
「え、ええ……」
 ふたりとも、黒のバイクスーツに革ジャンという格好……しかもマットとかいう友達は煙草を吸っていて、そこらへんに煙草の灰を落としながら歩いている。
(これはやっぱり親としては注意すべきよね……でもなんか怖いし、とても十五歳だなんて思えないし……)
「メロのおふくろさんて、めちゃくちゃ若くねえ?言ってたほど悪い親にも見えねえけど」
「うるせーな。さっきも言っただろうが。俺はあの女と血の繋がりなんかこれっぽっちもねーんだよ」
 ラケルはふたりが階段を上がりながらそんな話をしているのを聞いた。
(うん、そうだわ。あのマットっていう子も、もしかしたら見た目ほど悪い子じゃないのかも……そうよね、一方的に決めつけちゃいけないわ。お菓子とジュースを持っていったついでに、ちょっと軽く小話でもして事情を聞いてみるとか……)
 そう思いはしたものの、ラケルは結局、部屋の入口のところでメロから乱暴にお盆を奪われ、鼻先でピシャッとドアを閉められてしまった。続く、大音量のロックミュージック。
(わたし、母親として本当にこんなことでいいのかしら……メロちゃんはこのまま放っておいたら、どんどん駄目な子になってしまう……本当はとても出来る子なのに。そもそもあの子が日本へやってきた目的ってなんだったかしら?そうよね、家族の愛情や人の心の温かさを知ることによって、性格の歪みやねじれを矯正する機会を……って、そうワイミーさんはおっしゃってたんだわ。でもメロちゃんはイギリスにいた頃より日本へきてからのほうが格段に悪くなってる。言わばこれはわたしの母親としての責任……監督不行き届きっていうことよね……)
 ラケルが食堂のテーブルの上に手を組み合わせて祈るように考えごとをしていると、足音ひとつさせずに忍び寄ってくる影があった。
「……!ニアちゃん、どうしたの?びっくりするじゃない。そんな気配ひとつさせずに突然横に立っていられたりしたら……」
「びっくりさせたのなら、あやまります。ただ、僕、しばらくの間ここにいてもいいですか?隣の部屋の音楽がうるさくて、考えごとがまとまらないものですから」
 そう言うとニアは、両手いっぱいに持ってきたお気に入りのおもちゃをテーブルの上に下ろし、何やら遊びはじめた。ラケルは彼から必要最低限話しかけられた覚えがなかったので、なんだかとても嬉しくなってぱっと顔を輝かせている。
「今時革ジャンを着てラモーンズを聴いているだなんて、メロもどうかしたとしか思えない。それとも日本では今ごろあんなのが流行ってるんですか?」
「さあ……それはわからないけど」ラモーンズというパンクバンドを知らないラケルは、曖昧に首を傾げている。「なんにしても、気の合う友達がいるのは悪いことじゃないのかもしれないわ」
「それはつまり、一日中家に引きこもっているような僕よりも、メロのほうが社交性があるだけましということですか?」
「え、えっとね、べつにそういう意味じゃなくって……あの、ニアちゃん。晩ごはんに何か食べたいものある?もしリクエストがあったらそれを作るけど……」
「べつに、なんでもいいですよ。僕の嫌いなピーマンさえ入ってなければ……あと、この間のなんでしたっけ?秋刀魚の塩焼きに大根下ろしとか、ああいう骨をとるのが面倒くさい料理はやめていただけると助かります」
「わかったわ。でもそれじゃあニアちゃんは何が好物なのかしら?」
 ラケルは冷蔵庫を開けると、ロールキャベツを作る材料をとりだしながら(仮の)息子にそう聞いた。ニアはダイニングキッチンのテーブルの上でチョロQを走らせることに夢中で、彼女の言葉に返事もしなかったけれど。
(……もしかして今、わたしちょっとだけお母さんっぽくなってない?)
 ラケルは鍋の中でロールキャベツを煮こみながら、ふとそんなことを思ったりした。
(夕暮れ時、お父さんが帰ってくるのを待ちながら(実際には滅多に帰ってこないけど)、息子がおもちゃ遊びをしているのを背後に感じつつ、晩ごはんを作っている……まあ、その息子っていうのが十三歳でIQ高くて性格的にいびつっていうのがなんだけど……これでもうちょっとずつ家族らしくなっていければいいんだけどな)
 ロールキャベツを煮こんでいる間に、他の料理の品――スープやチキンサラダなど――の材料をラケルが包丁で切っていると、二階のほうからドカドカと人の下りてくる足音が聞こえてきた。
「どうやら、ようやく帰るみたいですね」
メロは超合金のロボットを何体か胸に抱くと、専用のケースにしまいこみはじめている。メロがキッチンへやってきた場合、「飛び降り自殺」などと言って、おもちゃを数体死亡させる危険性があったからである。
(このボンクラな女にはわからないだろうが、メロの手の内、僕には読めている……あのマットとかいう友人らしき人物はようするにメロの手駒……大音量で音楽を聴いていたのも、僕に会話を聞かれないためだったに違いない)
「ババア、飯できてるんならよそえ」
 メロはチョコレートをかじりながら、義理の母親にそう命令し、椅子に座るとドカッ!とテーブルの上に組んだ足をのせた。その拍子にガンダムやザクのプラモデルが数体、床の上に落ちる。そしてあるものは腕が折れ、あるものは首がとれたりした。
(どっどうしよう……こんな時、わたしが本当のお母さんだったら……)
『メロちゃん、いけませんっ!弟にあやまりなさい!』
 そう言わなくちゃと思いつつも、凍りついたように動けないラケルなのだった。ニアはしばしの間(一応設定上は兄の)メロと睨みあうと、仕方ないというように壊れたガンプラの破片を拾いはじめている。
「いいかげん、やめにしてもらえませんか、メロ。べつに僕はそれほどこうした玩具に執着があるわけではありませんが……それでもこう度々だと、だんだん腹も立ってきます。一体なにがそんなに気に入らないんですか?ミス=ラベットはいい人です。彼女を困らせないためにも、もう少し行儀のいい兄を演じてもいいんじゃないですか?」
「ハッ、何寝ぼけたこと言ってやがる。おまえだってわかってるくせに……これはLの後を継ぐのがおまえか俺かのテストなんだ。とりあえず俺はLの拠点がどこなのか突きとめたぜ。マットに頼んでバイクでLの乗ったリムジンを尾行してもらった。何度か気づかれて巻かれそうになったとは言っていたがな」
(……………!やはりそうだったか。では、とりあえず先に一勝したのはメロということに……僕も誰か使える手駒を用意しなくては)
「なんにせよ、それとこれとは別のことです。僕に対してじゃなくてもいいから、壊れたガンダムとザクにあやまってください。じゃないと、ラモーンズのCDがどうなっても僕は知りませんよ」
「てめえ!俺を脅す気か!大体いい年してこんなプラモデルなんかで遊んでんじゃねえ!もし俺に行儀のいい兄をやれってんなら、おまえこそ兄に対して敬意ってものを持てばいいんだ!」
 メロはニアのパジャマの襟を引っつかむと、殴る体勢に入っている。
(……かかった!)と思ったニアは一瞬にやっと笑った。この場合、先に暴力を振るったほうが負けになると、計算してやったことだった。
「ふ、ふたりとも、や、め、て――っ!!」
 ラケルはメロとニアの間に飛びこもうとしたが、ふたりとも反射神経のいいほうだったので、思わずさっと身を引いて避けた。それで彼女は何もない空中を勢いづいて突き進んだ揚句、食器戸棚にしたたか頭をぶつけて倒れた。
「……ババア!」
「ラケルさん!」
ふたりは彼女を抱き起こそうとしたが、ラケルは鼻血を流しながら失神しており、当分の間目覚めそうになかった。
「信じられねえ……こんなだせー女、はじめて見た」
「いいからメロ、早く彼女をソファーの上に運んでください。鼻血のほうはティッシュでも詰めておけばそのうち止まるでしょう」
 そして、メロがラケルを抱きあげ、ニアがティッシュボックスからクリネックスをとりだしていると――思わずふたりがぎくりとする人影が、いつの間にか居間に姿を現していたのだった。その影とはもちろん、父親(役)のLである。

「――で、メロがプラモデルを故意に壊したので喧嘩となり、メロがニアを殴ろうとしたらミス=ラベットが仲裁に入ろうとして怪我をしたと……」
 Lはいつもの座り方でダイニングキッチンの椅子に座り、とりあえずふたりから事の次第とそれぞれの言い分を聞いた。
「でも、怪我したなんて言っても、ババアがひとりで空中に飛びこんでこけて失神したってだけで、俺が殴ったというわけじゃ……」
「聞き苦しいですよ、メロ。大体あなたの日頃の行いの悪さがラケルさんに怪我をさせたんだ。僕はただ一言メロがあやまりさえすれば、それで良かったのに……」
「なんだと!」
 ガタリ、と椅子を引いて弟に詰め寄ろうとするメロを、Lは手で制した。
「とりあえず、座ってください。ここは喧嘩両成敗とします。まずひとつ目、メロには一週間、食器洗いとその片付けを命じます。そしてニアにもメロと同じく一週間、ミス=ラベットの料理の手伝いをすることを命じます。それで彼女が許してくれたら、今回のことはなかったことにしてもいい。また、それとは別にわたしはひとつ、メロとニアに言っておきたいことがあります。まずメロ、あなたは誰か人を使ってわたしの後をつけさせましたね?何故そんなことをする必要があるんですか?」
「……………」
 メロが黙りこんだまま下を向いていると、Lは今度はニアのほうを向いた。テーブルの下に手を伸ばし、小型の盗聴器をとり外す。
「ニア、これはあなたが仕掛けた盗聴器ですね?わたしたちは家族なのに、自分で自分が恥かしいと思いませんか?」
「……………」
 ふたりが反省しているかしていないかはともかくとして、メロもニアも何も言わずにただ俯いたままでいた。
(やれやれ。なんの因果でわたしがこんな役を)と内心溜息を着きつつLは、ちらっと居間のソファに横たわる女性を見てから言った。
「まあなんにしても、ミス=ラベットが目を覚ましたら一言あやまることです。それと、彼女はまだしばらく起きられないかもしれませんから、先に夕食をすませることにしましょう。罰則は早速今日から適用します。ニアは食事を温めてよそってください。それからメロは後片付け担当です」
 ――こうして、L家では男三人によるわびしい食事がしょんぼりとしたような暗い空気の中で行われ、その間もラケルが目を覚ます様子はなかった。彼女がつっぺをかった寝顔は安らかで、ニアは時々鼻血がとまったかどうかを確認するのにティッシュを交換していたのだけれど……。
「L、どう考えてもおかしいよ。あれからもう三時間も過ぎてるのに、一向目を覚まさないだなんて。もしかしたら頭の打ちどころが悪かったのかも……」
「うわっ、どうするんだよ。それじゃなくても頭悪そうなのに……これ以上おかしくなったりしたら……」
(――もしかして、自分たちの責任ということに?)
 メロとニアは互いに顔を見合わせると、彼らとしては珍しく、連帯の情のようなもので一時的に結ばれた。Lは涼しい顔をしてそんな義理の息子たちの様子を眺めていたけれど、思わず新聞の影で笑いだしそうになったくらいだった。
(ワタリ、一体こんなことをしてなんになるのかと最初は思ったものだったが……確かに多少効果はあったようだ。これはおそらく、ミス=ラベットに感謝すべきなのだろうな)
 Lは心配そうにラケルのことをのぞきこんでいるメロとニアに「たぶん、心配いらないと思いますよ」と声をかけ、「あとは自分が彼女のことを見ているので、二階へ上がって好きなことでもしたらどうですか」と言った。
 ふたりは最初躊躇したが、それでもLがミス=ラベットが目を覚ましたら彼女にも話があると言ったので、大人しく階段を上がっていくことにしたのだった。
 Lはふたりの息子たちがいなくなって居間がしーんとなると、額にチロルチョコののったラケルの顔を何度かつねったり引っぱったりしてみた。
(……本当に、起きないな)
 それで奥の手として、少しの間鼻をつまんでいると――鼻血のほうは大分前に止まっていたので――ラケルは「うぐっ」と一瞬息が詰まったようになったあとで目を覚ました。
「あ、あれ?わたし……ここ……」
 ラケルが身を起こすと同時に、ポロリと落ちてきたチロルチョコを、Lが片手で受けとめる。
「はい、どうぞ。それはメロからです。それでこっちがニア」
 ラケルは自分がどうやらウルトラマンにでてくる怪獣、ピグモンの人形を抱いて寝ていたらしいことに気づいた。柱時計の針がちょうど八時をさしていて、ボーンボーンと八回鳴っている。自分がどうして居間のソファで横になっているのか、ラケルは記憶が三時間前まで戻るのに、若干の時を要した。
「気分は悪くないですか?もし吐き気などがするようだったら、救急病院にいったほうがいいかもしれませんが……大丈夫みたいですか?」
「ええ、全然……それよりメロちゃんとニアちゃんは?確かふたりが喧嘩になりそうになって、わたし、ふたりの間に飛びこんだんですけど、あっさりかわされちゃって……このピグモン人形、わたしに似てると思ってニアちゃんが置いていったんじゃないですよね?」
「さあ、それはわかりませんが」と、Lは軽く口許に笑みを洩らした。「彼なりの謝罪のつもりだったんじゃないですか?メロがチョコレートを置いていったのもそういう意味なのだと思います。ミス=ラベット、今回のことはわたしとしても、大変申し訳なかったと思っています。もしあなたが嫌なら、ワイミーとロジャーの言うこの『明るい家族計画』とやらは中止にしたほうがいいのかもしれません。あなたもそのうち精神的に参ってくるかもしれないし……」
「どうして、そんなことおっしゃるんですか?」ラケルは右手にチロルチョコを、左手にピグモン人形を抱くと、隣の肱掛椅子に変な座り方をしている男のほうを振り返った。「さっき、メロちゃんとニアちゃんが喧嘩した時……わたし聞いたんです。メロちゃんとニアちゃんのどっちがあなたの後を継ぐのに相応しいかあなたがテストしてるって……もしそれが本当で、『明るい家族計画』っていうのも全部嘘で、わたしがここにいることに意味なんてまるでないのだとしたら、わたしはあなたが許せません。メロちゃんもニアちゃんもとってもいい子なのに……そんな競うような真似をさせて、一体なにが楽しいんですか?」
「べつに、楽しくはありませんが」Lは(何故自分がここで悪者に?)と思いはしたが、とりあえず彼女には納得のいく説明をしなければならないようだと思った。「そもそも『L』という地位を、必ずしも誰かが継がなければならない、というようにわたしは考えていません。だからメロとニアが何故あんなにもわたしの後を継ぐことに執着するのかがまず理解できない。『L』というのが裏の世界では有名な探偵の称号だということはミス=ラベット、あなたも知っていますね?」
 ラケルは知っています、と答えるかわりにただ首肯した。
「だからもし……仮にもし、ですよ?あなたがどこかの組織のまわしもので、今わたしのことをバーンと一発、銃か何かで撃って殺したとしたら、自動的にメロかニアのどちらかがわたしの後を継ぐことになるでしょう。でも実際にはそれはわたしの本意ではない。メロもニアもわたしと同じように世界を股にかけるような探偵になりたいのならばなればいい……それにも関わらず『L』という地位に固執していることが、すなわちそのまま彼らの敗北なんです」
 わたしの言いたいこと、わかりますよね?というようにLがこちらを見たので、ラケルは頷いた。
「大体のところはわかります。なんとなく、ではありますけど……ようするに、裏の世界でもう出来上がっている『L』という通り名は便利だけれど、それはそこまで這い上がってくることができる者にこそ継がれるべき……ということですか?」
「簡単に言うならそういうことです。もちろん、わたしが今ここで突然不慮の死を遂げたら、いくつかの事件が未解決のまま放置されることにはなりますけどね。それはそれぞれの専門機関の人間が再捜査するということに大体のところ落ち着くでしょう。あるいはそのまま迷宮入りか……いずれにしろ、『L』だって全能の神というわけではない。くるべき時がきたら引退はするでしょうが、後継者争いなんてものをわたしが高みの見物でもするように見たいと思っていると思われるのは心外です」
「……ごめんなさい。わたし、本当に何も知らなくて……」
「ミス=ラベットがあやまる必要はありませんが、そうですね……あなたが美味しいコーヒーか紅茶を入れてくれたら、この続きを話すとしましょうか」
 ラケルはほっとしたように頷くと、キッチンへいってコーヒーと紅茶をそれぞれ一杯ずつ入れた。そしてブルーマウンテンコーヒーのほうはLに渡し、紅茶のヌワラエリアは自分で飲むことにした。昼間焼いたクッキーをトレイにのせて運ぶと、Lはどこか嬉しそうに手をのばしている。
「ミス=ラベット、わたしは女性一般というものにほとんど興味がありません」ぼりぼりとバタークッキーやチョコクッキーを貪りながら、Lは当たり前のことでも話すみたいにそう言った。彼が言うとなんだかまるで、それが世界の常識だとでもいうように聞こえるのが不思議だった。「いや、100%まったくないというわけではなく、せいぜいあっても全体のうち5%か7%くらいしか本当に興味がありません。それ以外は大体のところ、人間としての興味です。わたしが自分で自分が生きていると強烈なまでに感じられるのは犯罪捜査をしている時だけ……普通の人から見たら自分がちょっと異常じみていることも自覚しています。なんていうかまあ、すぐに手術したがる外科医と似たような分類の人間なんでしょうね、たぶん。わたしはこれまで随分多くの麻薬取引の現場を押さえてきましたが、わたし個人はべつに麻薬の存在自体を『悪』とも思いませんし、それを使用する人間のことをクズだと思ったこともありません。むしろわたしもまったく同じこと――犯罪捜査づけになっているんじゃないかと感じることもしばしばです。わたし個人がもっともに憎むべきことはなんだと思いますか?ミス=ラベット?」
「さあ……わたしはLみたいに推理が得意ではないので……」ラケルはわからない、というように首を傾げながら答えた。「靴下、とか?いつもはいてらっしゃらないみたいだから」
「惜しいですね。実に惜しい。答えは『暇』です」実際には全然惜しくないけれど、L的にはそのふたつは近いもののようだった。「わたしは大体平均して一日に2~3時間も睡眠をとれば大丈夫な体質なんです。あとは120%脳をフル稼働させて同時に進行しているいくつかの事件の解決にのぞみます。これがわたしの日常生活のスタイルです。他の人の目から見れば、わたしがどんなに自分が充実した人生を送っているかを力説したところで、不幸なようにしか見えないかもしれません。でもわたし個人は本当に自分の人生に満足しています。ただ、メロやニア……『L』を継ぐ者たちに自分とまったく同じようになってほしいかといえば、それはまったくの別問題だということです」
「あなたの言いたいこと、今はじめてわかりました」ラケルは紅茶を飲み終わったカップをソーサーに戻し、初めて正面から隣のLのことを――彼のくっきりと隈の浮かんだ両方の大きな目を見つめた。「それはようするに、突きつめていうとしたら、メロちゃんにもニアちゃんにも幸せになってほしいということですよね?『Lを継ぐ』ということが必ずしも彼らの幸せとは限らないのに――メロちゃんもニアちゃんもその地位がなければ決して満足できないと思いこんでいると……」
「わたしが思うには」と、Lはラケルの真っすぐな眼差しに耐えかねるように、目を逸らしていた。「Lを継ぐ資質があるのはおそらくニアのほうです。あなたも知ってのとおり、メロはニアに対して常軌を逸したまでのコンプレックスを持っている。わたしがもし彼の前でうっかり今と同じ科白を言えば、彼は自暴自棄になって何をやりだすかわからないほどだと思います。でも誤解しないでほしいのは――それは何もメロがニアよりも能力的に劣っているからLを継げない、というわけではないんです。ようするにすべては可能性の問題で、二アよりもメロのほうがそうした意味ではより広い可能性を秘めている、ということなんです。ニアがLの地位を継げなかった場合、明らかに彼の能力はある範囲に限定されてしまうでしょう。でもメロには……それを全然別の分野にも押し広げていく可能性が高いだろうとわたしは見ています。だからメロはLを継ぐ必要がないとも言える……でもこのことをわたしがどんなに言葉を尽くしてメロに語っても、彼は理解できず、ただ単に自分はニアよりも能力が劣っているとしか思わない……だから」
 思わず熱をこめてLを見つめていたラケルのことを、彼もまた見つめ返した。
「言葉で言ってわからなければ、態度によって示すしかない。正直いってわたしは、ワイミーから今回の話を聞いた時、ただの時間の無駄、浪費に終わるだろうくらいにしか考えなかった。今日ここへ向かう途中にもこう思っていました。メロとニアが日本へやってきて、そろそろ三か月……今日顔をだしてもしなんの変化もないようなら、彼らにはイギリスへ帰ってもらったほうがいいのかもしれないってね。でも確かに彼らの間に少しは変化があった。それはわたしが彼らに何かをしたというわけではまったくなく……すべてはあなたの功労ですよ、ミス=ラベット」
「自分ひとりで食器戸棚にぶつかって、鼻血を流して倒れたことが、ですか?」
 ラケルはいまさらながら、自分のしたことが恥かしくなってきて赤面した。
「そうです。わたしは先ほど『暇』というものをもっとも憎むと言いましたが……おそらく教育で一番必要なのがそれなのかもしれません。一見してみて、ただ無駄なようにしか思われない時間……ワイミーズハウスでは多くの子供たちに詰めこみ式の英才教育を行っていますが、メロとニアには教えることはもうほとんどないと言っていいでしょう。わたしにも今ようやくはじめて、ワイミーの言った『実験』の意味がわかってきましたし」
「実験?」と、ラケルはLの言っている言葉の意味がわからなくて、鸚鵡返しに聞いた。
「まあ、次期にあなたにもわかることです。糖分も十分補給できましたし、わたしは自分の本拠に戻って捜査の続きを開始します。これまでは『意味がない』、『時間の無駄』と思って、こちらにはあまり顔をだしませんでしたが――これからはなるべく寄るようにしますよ。あなたの作るお菓子もとても美味しいし。ではまた」
 そう言って立ち上がると、Lは部屋からでていきかけたが、「あ」とあることを思いだして、ラケルのほうを振り返った。
「メロとニアには、母親に怪我をさせた罰則として、一週間の皿洗いと料理の手伝いを命じてあります。さぼるようだったらビシビシ叱ってやってください。わたしに言いつけるとでもいえば、おそらくメロには覿面でしょう。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 ラケルは居間にひとりとり残されると、茶器類を片付けてから自分の寝室へいってベッドに横になった。二階のほうはとてもシーンとしていて、物音ひとつ聞こえてこない……(家族って、なんなのかしら)とラケルはあらためて思った。たったの三か月同じ屋根の下に暮らしたというそれだけで――自分は彼らに対してこんなにも情が移ってしまっている。チロルチョコはもったいなくてなんだか食べられないし、怪獣ピグモンは今自分のすぐ隣で眠っている……こんな生活はそんなに長くは続かないだろうとわかっているのに、おそらく自分はワイミーズハウスに戻って彼らと別れる時、泣いてしまうに違いないと思った。たとえメロがその時になっても「ババア」と呼んだとしても、ニアが何も感じないような無表情でいるだけだったとしても――自分は泣いてしまうだろう。そしていつか別れがくることを想像して、今枕に涙を流している自分のことを、ラケルはとても馬鹿だと思った。


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【2007/10/02 10:00 】
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